09 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 11

花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよに もとつみかたか
  たふくしく ふたかたかみつ ともによきかな

(長き世に 元つ神型が 多福敷く 二方が満つ 共に良きかな)

解説

元つの‘つ’は「体言または体言に準ずるものに付いて、連体修飾語をつくる。の。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」、多福(たふく)は「多くの幸福。幸福が多いこと。多幸。」、二方(ふたかた)は「二つの方面。両方。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「満つ」は三つ(みつ)の言葉がかけられているような感じがする。

二つの方面が三つになって、それぞれが満たされ、共に良いなぁ、というようなニュアンス。

「元つ神型」はよくわからないが、これまで長い間続いて来た世の中に、いきなり世界全体を巻き込むような何か象徴的な大きな出来事がバーンと出て来て、それによって+と-、上と下、左と右、個と全、といった、相反する二つの方面のその両方が最後は大団円を迎えるという、そのような三(道)がくっきりと見えて来る、というイメージです。

Posted on 2017/10/19 Thu. 20:12 [edit]

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19

まわりうた 

しらなみの ほときゆるふね
  かたのせの たかねふるゆき とほのみならし

(白波の 穂と消ゆる船 潟の背の 高嶺降る雪 遠野見慣らし)

解説

白波(しらなみ)は「波頭がくだけて白く見える波。」、潟(かた)は「浦。入り江。湾。」、高嶺(たかね)は「高い峰。高い山のいただき。」、遠野(とおの)は「岩手県中東部にある市。遠野盆地の中心地。近世、城下町・宿場町として発展。古来、馬の産地。伝説と民話で知られる。酪農・製材業が発達。」、見慣らす(みならす)は「常に見させて目になれさせる。見なれるようにする。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

何となく物悲しい気持ちになったので、そのままの気分に任せて書いてみました。

Posted on 2017/10/17 Tue. 18:27 [edit]

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17

まわりうた 

かみのりの いまのみこなた
  なかよきよ かなたなこみの まいのりのみか

(神の理の 今のみ此方 仲良き世 彼方和みの 真祈りのみが)

解説

此方(こなた)は「こちら。ここ。▽話し手に近い方角・場所をさす近称の指示代名詞。」「あなた。▽対称の人称代名詞。話し相手を敬って言う。」「わたし。われ。▽自称の人称代名詞。」、彼方(かなた)は「あちら。▽遠称の指示代名詞。」、和み(なごみ)は「気持ちが穏やかになること。くつろいだ気分になること。」の意味です。

雑感

「世界人類が平和でありますように」を提唱した五井先生の講話が動画にあったので、久しぶりに聞いて懐かしんでいたら、出て来た歌です。

やたら聞き心地が良いなぁ、と思っていたら、口調が落語みたいだからだな、きっと。(笑)

Posted on 2017/10/13 Fri. 15:25 [edit]

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13

まわりうた 

なかきよの ねよりかひのた
  うすのまの すうたのひかり よねのよきかな

(長き世の 根より佳美の田 臼の間の 数多の光 米の良きかな)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、臼は「穀物を精白したり、粉にしたり、餅 (もち) をついたりする道具。つき臼とひき臼とがある。」、数多(すうた)は「数の多いこと。たくさん。あまた。多数。」、米(よね)は「こめ。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

昔は、臼で「もみ殻」と「玄米」を分けていたのだとか。

もしかしたら、精白している人からすれば、臼の間から出て来る米一粒一粒が、光の粒のように見えていたのかもしれないですね。

Posted on 2017/10/12 Thu. 15:55 [edit]

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12

まわりうた 

きとのそく なかれはあきの
  きはいない はきのきあはれ かなくそのとき

(きと覗く 流れは秋の 気配内 萩の木あはれ 鹿鳴くその時)

解説

きとは「特に意図せずにある動作をするさま。思わず。ふと。」、気配(きはい)は「ありさま。様子。けはい。」、あはれは「‘をかし’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。」、鹿(か)は「シカの古名。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

おく山に 紅葉ふみわけ なく鹿の 声きく時ぞ 秋はかなしき

上記の歌は、百人一首にも載っている有名な歌だが、一説ではこの紅葉(もみじ)は黄葉(もみじ)であり、楓ではなく萩を指しているそうな。

Posted on 2017/10/12 Thu. 10:48 [edit]

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12

まわりうた 

なかききろ ことむけやはし
  まいのちの いましはやけむ ところききかな

(永き岐路 言向け和し 真命の 今し速けむ 所義気かな)

解説

岐路は「道が分かれる所。分かれ道。」「将来が決まるような重大な場面。」「本筋ではなく、わきにそれた道。」、今しは「たった今。今という今。」、義気(ぎき)は「正しいことを守り行おうとする意気。義侠心(ぎきょうしん)。」の意味です。

雑感

「永き岐路」は、永遠の分かれ道という意味にとれるが、今ここしかないという一期一会のようなニュアンス。

「言向け和す」は、相手を説き伏せて納得させるというような意味だが、漢字をそのまま見ると、言葉を向けて、相手を和ませる、というようなニュアンスを感じる。

「真命の 今し速けむ 所義気かな」は、自分の命が、今の今、速くなるだろう所、という意味で、いわば、無意識から出て来る言動というような意味と解釈したい。そしてそれが義気である、と。

つまりは、たとえば、困っている人がを見かけて、大丈夫ですか、と声をかける、など、そういう言動が義気だなぁ、と詠っているということ。

それは、その人が大丈夫だろうかと思う前に、自分の中の命がもう動いてしまっている、そういう働きのことを指している。

逆から言えば、その一瞬を逃せば、いや私がしゃしゃりでても一緒だし、とか、声をかけたら逆に迷惑かもしれない、とか、そういう思考が出て来て、一期一会の所を逃してしまう、ということでもある。だから「永き岐路」なのだ。

Posted on 2017/10/11 Wed. 08:42 [edit]

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11

まわりうた 

まいのちの ゆつりてきつく
  ほとりあり とほくつきてり つゆのちのいま

(真命の 移りて気付く 熱りあり 遠く月照り 露の地の今)

解説

移る(ゆつる)は「時間が経過する。うつる。」、熱り(ほとり)は「熱くなること。熱気をおびること。熱さ。」、露は「空気中の水蒸気が地面近くの冷たい物体の表面に凝結して水滴となったもの。温度が露点以下になるとできる。」「はかないこと、消えやすいことのたとえ。」「涙のたとえ。」の意味です。

余談

この歌は、ジブリの「かぐや姫の物語」を見て、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

以下、「かぐや姫の物語」のネタバレあり。

かぐや姫が、極楽浄土にたとえられる月から、どうして穢れたこの地にやってきたのかは、それとなく劇中で語られているが、今回の歌はとりわけ、その点についてスポットを当てて書いたものになります。

「熱り」は煩悩の火でもあるが、同時に体温、即ち生命の火でもある。

「露」は、ここでは儚い命や、涙にくれるかぐや姫の象徴でもあると解釈したい。或いは露は丸い水滴でもあるので、丸い水の惑星、地球も連想させられる。

「遠く月照り」もまたおもしろい。

地上から見ている限りの月は美しいが、かぐや姫の視点からみると、そうでもない、ということがあげられる。これは穢土から見た極楽浄土は美しく感じられるが、そうではない可能性がある、という示唆でもあるように思う。

だから「遠く月照り 露の地の今」は、不幸ではないけれども、無機質な、無感情な月の世界から遠く離れて、たとえ煩悩に塗れていたとしても、喜怒哀楽を目一杯表現できるこの地上に今自分がいるということは、ある意味幸せだ、というニュアンスが込められているように思う。

つまり物理的な距離だけでなく、かぐや姫にとっての月の世界は、あまり魅力的に映らない遠い世界でもある、というニュアンスがあるように思う。

物語中に「生きている手応え」云々のセリフがあったが、歌ではその部分を「熱り」と表現している。物語では、恋愛もまた大きな一つのテーマになっているので、この部分を初恋の気持ちなどと解釈しても、またおもしろいかもしれない。

蛇足だが、物語中に出て来た天人達のふるまいが、アメリカドラマの「スーパーナチュラル」に出て来た天使達と似通っていたのは、中々面白かった。おそらく、彼らが感情というものがほとんど無い形で描かれているからだろう。

Posted on 2017/10/09 Mon. 15:12 [edit]

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09

いろはうた 

しんめまみえぬ くにのよを
さかひあろゆゑ おほきむね
すへてわらはせ りつゐやも
いちうなるこそ たふとけれ

神馬見えぬ  国の世を
界ひ鴉鷺故  大き旨
統べて笑はせ 立位八方
一宇成るこそ 尊とけれ

解説

神馬(しんめ)は「神霊の乗り物として神聖視されている馬。白馬を特に重んじる。」、見える(まみえる)は「‘会う’の意の謙譲語。お目にかかる。」「顔を合わせる。対面する。」、界ふ(さかふ)は「境を決める。限る。区切る。」、鴉鷺(あろ)は「黒白。」、大し(おほし)は「大きい。広い。」「偉大だ。」、統べるは「 ひとつにまとめて支配する。統率する。」「一つにまとめる。たばねる。」、立位(りつゐ)は「立った姿。立った状態。」、八方(やも)は「八つの方面。あらゆる方面。四方八方。」、一宇(いちう)は「屋根を同じくすること。一つ屋根の下に暮らすこと。」、尊し(たふとし)は「きわめて価値が高い。非常に貴重である。たっとい。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

霊界物語に国大立尊(くにひろたちのみこと)という神様が出て来るが、今回の歌はそのご神名にあやかって作った歌です。

ちなみに日月神示にも、このご神名が出て来る。

日月神示参照。

『何も彼も前つ前つに知らしてあるのに、人民は先が見えんから、言葉の【ふくみ】がわからんから取違ひばかり、国土(九二つち)の上は国土の神が治(し)らすのぢゃ、世界の山も川も海も草木も動物虫けらも皆この方が道具に、数でつくったのぢゃ。愈々が来たぞ、いよいよとは一四一四ぞ、五と五ぞ。十であるぞ、十一であるぞ、クニトコタチがクニヒロタチとなるぞ、クニは黄であるぞ、真中であるぞ、天は青であるぞ、黄と青と和合してみどり、赤と和して橙(だいだい)となり、青と赤と和して紫となる、天上天下地下となり六色となり六変となり六合(クニ)となるのぢゃ、更に七となり八となり白黒を加へて十となる仕組、色霊(イロタマ)結構致しくれよ。』(紫金の巻 第十一帖)

それでは歌の解釈に移りたいと思う。

「神馬見えぬ」は、神馬(に乗った神霊)にお目にかかった、という意味であろう。

「国の世を 界ひ鴉鷺故」は、国と国とがわけ隔てられた世の中の、さらにまたその中で、それぞれ境界を作り、互いに争うことで、勝てば官軍、負ければ賊軍の、白黒はっきり分かれてしまう様が、このままでは過去にも増して激しくなるゆえに、という意味であろう。

「大き旨 統べて笑はせ 立位八方 一宇成るこそ 尊とけれ」は、偉大な御旨を持った(前述の神馬に乗った)神霊が全てを一つにまとめて、皆をどっと笑わせ、そうして自分を含めた周り全て、世界全てが、一つの屋根の下で過ごしているかのように仲良くなる、その様が尊いなぁ、という感じの意味かと思う。

Posted on 2017/10/08 Sun. 18:22 [edit]

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08

まわりうた 

きよきあめ たかそらすまる
  このときと のこるますらそ かためあきよき

(清き天 高空統まる この時と 残る益荒ぞ 堅め秋良き)

解説

天(あめ)は「空。天。あま。」「天上界。」、高空は「澄みきって高く見える空。」、統まる(すまる)は「集まって一つになる。すばる。」、益荒(ますら)は「神や男の勇ましく力強いさまをいう語。また、雄々しい神や男。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

秋は明きと掛かっているように思う。

「清き天 高空統まる この時」は、そのまま解釈すれば神界(天上界)の統一を指すので、そのことが明らかになる、という意味であろう。

その時節に従い、ついにこの時が来た、とそれぞれ縁ある身魂は、知らず知らずのうちに御用に使われ、全てが明きとなる良き秋(とき)が来た、ということかと思う。

このようにして天の岩戸も地の岩戸も、同時進行で開かれてゆく、ということかと思う。

日月神示参照。

『いよいよとなれば、外国強いと見れば、外国へつく臣民 沢山できるぞ。そんな臣民一人もいらぬ、早うまことの者ばかりで神の国を堅めて呉れよ。』(上つ巻 第二十二帖)

『神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事 神こころぞ。神のした事になるのざぞ。行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。』(夜明けの巻 第七帖)

『マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。』(磐戸の巻 第十二帖)

『天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ。地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、其の時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。』(磐戸の巻 第五帖)

『イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、男(おのこ)もウズメざぞ、女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。ヤミの中で踊るのざぞ、唄ふのざぞ、皆のものウズメとなりて下されよ、暁(あけ)つげる十理(とり)となりて下されよ、カミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、カミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。』(磐戸の巻 第一帖)

『八のつく日に気つけと申してあろう。八とはひらくことぞ。ものごとはひらく時が大切ぢゃ。第一歩の前に○歩があるぞ。○歩が大切ぞ。心せよ。そなたは行き詰って苦しんで御座るなれど、それは間違った道を歩んで来たからぞ。行き詰りは有りがたいぞ。省みる時を与えられたのぢゃ。ミタマ磨きさえすれば何ごともハッキリとうつりて、楽に行ける道がちゃんとつくってあるのぢゃ。その人その人に応じて如何ようにでも展け行くぞ。犬猫でさえ楽々と栄えてゐるでないか。洗濯次第でどんな神徳でも与えるぞ。』(月光の巻 第四十七帖)

『八のつく日に気つけてあろうが、八とはひらくことぞ。今が八から九に入る時ぞ、天も地も大岩戸ひらき、人民の岩戸ひらきに最も都合のよい時ぞ、天地の波にのればよいのぢゃ、楽し楽しで大峠越せるぞ、神は無理申さん、やればやれる時ぞ、ヘタをすると世界は泥の海、神々様も人民様も心の目ひらいて下されよ、新しき太陽は昇ってゐるでないか。』(五葉の巻 第十二帖)

『ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。 辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。◎と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦ばかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。』(日月の巻 第十帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『旧十月八日、十八日、五月五日、三月三日は幾らでもあるぞと申してあろが、此の日は臣民には恐い日であれど神には結構な日ざぞと申してあろが、神心になれば神とまつはれば神とあななへば臣民にも結構な日となるのぞ。其の時は五六七(みろく)の世となるのざぞ。桜花(さくらばな)一度にどっと開く世となるのざぞ、神激しく臣民静かな御代となるのざぞ、日日(ひにち)毎日富士晴れるのざぞ、臣民の心の富士も晴れ晴れと、富士は晴れたり日本晴れ、心晴れたり日本晴れぞ。』(日の出の巻 第四帖)

『今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。』(日月の巻 第三十六帖)

『何事も天地に二度とないことで、やり損ひしてならん多陀用幣流天地(たたよへるくに)の修理固成(かため)の終りの四あけであるから、これが一番大切の役であるから、しくじられんから、神がくどう申してゐるのざ、神々さま、臣民みなきいて呉れよ。一二三(ひふみ)の御用出来たら三四五(みよいつ)の御用にかからなならんから、早う一二三の御用して呉れよ。何も心配ないから神の仕事をして呉れよ、神の仕事して居れば、どこにゐても、いざといふ時には、神がつまみ上げて助けてやるから、御用第一ぞ。一日(ひとひ)に十万の人死ぬ時来たぞ、世界中のことざから、気を大きく持ちてゐて呉れよ。』(上つ巻 第三十四帖)

Posted on 2017/10/08 Sun. 11:36 [edit]

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08

まわりうた 

きしなかめ ほとりあまたの
  ちこくいく こちのたまあり とほめかなしき

(岸眺め 辺数多の 地獄行く 固持の魂あり 遠目悲しき)

解説

辺(ほとり)は「川や池などの水際。きわ。ふち。」、数多(あまた)は「数が多いさま。たくさん。多数。」、固持(こじ/こぢ)は「」「意見や信念などをかたく守って変えないこと。固執。」、魂(たま)は「たましい。」、遠目は「遠くから見た感じ。遠くから見えるぐあい。遠見。」の意味です。

余談

この歌は、地獄少女二籠オリジナルサウンドトラックの中にある「あいぞめ」を聴きながら書いた歌です。

雑感

数日前、地獄少女宵伽(よいのとぎ)を見たのだが、中々おもしろかった。後半の回顧録は、実質過去の再放送で残念だったが……。

ちなみに地獄少女がどういうアニメかを簡単に言うと、下記のような流れになる。

(以下重要なネタバレあり)

1. いじめられる、誰かに無実の罪を着せられる、等々、誰かに理不尽な仕打ちを受ける
2. 被害者が加害者を恨む
3. 地獄少女に頼んで加害者を地獄に流してもらう。(いわゆる地獄流し)
5. 「人を呪わば穴二つ」で、その依頼者(被害者)もまた死後地獄に行く

全ての話がこの構図になっているわけではないが、オーソドックスなパターンはだいたい上記の通り。

ということで、歌の内容としては、この地獄流しをイメージしたものです。

今回の放送は第4期になるが、確か第1期では、地獄少女になった由来なんかも明かされていたように思う。

もう見たのが十年以上前なので、あまりよく覚えていないが、こんな話だったと記憶している。

地獄少女の前身である少女もまた、何の落ち度もないのに、否応なしに人身御供にされ、生き埋めになるという理不尽な殺され方をされていた。

しかし、そのひどい仕打ちを受けたことによる凄まじい怨念によって、最後は村中に火を放ち、その復讐を遂げるのだが、それが罪となってしまった。

そしてその贖罪のため、地獄少女の仕事を与えられた、という話だったと思う。

なぜこの仕事をすることが贖罪になるのか、と考えてみると、おそらく復讐を遂げても、その恨みの連鎖が広がっていくだけで、根本的な解決にならない、ということを知りなさい、ということなのだと思う。

今回の地獄少女宵伽では、ミチルという少女が出て来て、似たような話が展開されている。

舞台は大正か昭和初期。ミチルの家は比較的裕福で、両親は常に人の為、村の為を思って行動していたので、村人からの人望も厚かった。

だが、それをよく思わない人々がいて、娘が拉致監禁されてしまう。それに気づいた両親は助け出そうとするが、両親共々、殺されてしまう。

ミチルは殺されるまさにその時、凄まじい怨念を発し、村中に火を放つ。そしてミチルは彷徨う魂となってしまった。

両親については、その後のことが描かれていないことから、成仏したものと思われる。おそらく両親は、そのような仕打ちを受けても相手を恨まず、それを受け入れたのだろう。

出来れば怨恨は地獄に流さずに、水に流したいものである。とはいえ、それは中々難しい。

かつて、この世を治めていた国常立大神様は、上と似たような構図で、八百万の神々から、冤罪により艮に押し込められたのだとか。しかしその時、仕返しをする力が十分にあるにも関わらず、じっと耐えていたという。驚くことに、その年数は三千年。

水に流すことは中々難しいので、怨恨に蝕まれた魂は、その魂自体を流せば良いのかもしれん。どこに流すのかというと、神の方向へと流すのだ。これも一種の惟神(かんながら)に通じるものがあるように思う。

そういえば昔、五井昌久という宗教家の本を読んだ時、神様、神様、と思っていたら、神様の中に入っちゃった、みたいなことが書かれていたが、あの感じにニュアンスとしては似ているかもしれない。

日月神示参照。

『そなたはつまらんことにいつも心を残すから つまらんことが出てくるのであるぞ。心を残すと云うことは、霊界とのつながりがあることぞ。つまらん霊界にいつ迄くっついてゐるのぢゃ。何ごとも清めて下されよ。清めるとは和すことであるぞ。同じもの同士では和ではない。違ったものが和すことによって新しきものを生むのであるぞ。奇数と偶数を合せて、新しき奇数を生み出すのであるぞ。それがまことの和であり清めであるぞ。善は悪と、陰は陽と和すことぢゃ。和すには同じあり方で、例へば五と五との立場で和すのであるが、位に於ては陽が中心であり、陰が外でなければならん。天が主であり地が従でなければならん。男が上で女が下ぢゃ、これが和の正しきあり方ぞ。さかさまならんぞ。これを公平と申すぞ。口先ばかりでよいことを申すと悪くなるのぢゃ。心と行が伴はねばならん。判りきったこの道理が行はれないのは、そなたをとり巻く霊の世界に幽界の力が強いからぢゃ。そなたの心の大半を幽界的なもので占めてゐるからぞ。己自身のいくさ まだまだと申してあろうがな。このいくさ中々ぢゃが、正しく和して早う弥栄結構ぞ。そなたのもつ悪いくせを治して下されよ。そのくせ治すことが御神業ぞ。自分で世界を建直すような大きこと申して御座るが、そなたのくせを治すことが最も大切な御用でないか。これに気がつかねば落第ぞ。おそれてはならん。おそれ生むからぞ。喜べ、喜べ、喜べばよろこび生むぞ。喜びは神ぢゃ。神様御自身も刻々弥栄して御座るぞ。故にこそ生長なされるのぢゃ。人間も同様でなくてはならん。昨日の自分であってはならん。今の自分ぞ。中今のわれに生きねばならん。われにどんな力があったとて、我を出してはならんぞ。我を出すと力なくなるぞ。我を、大き我に昇華させよ。大我にとけ入らねばならん。大我にとけ入ったとて、小我がなくなるのではないぞ。人おろがめよ。物おろがめよ。おろがむと自分の喜びとなり、拝まれたものも喜びとなるぞ。うれしうれしとはそのことぞ。』(月光の巻 第五十二帖)

Posted on 2017/10/07 Sat. 09:16 [edit]

category: まわりうた

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07

まわりうた 

きしみさけ とほそらのしき
  にしのへの しにきしのらそ ほとけさみしき

(岸見放け 遠空の色 西の方の 死に帰し野良ぞ 仏寂しき)

解説

見放く(みさく)は「遠くを見る。はるかに眺める。」、遠(とお)は「‘とおつ’‘とおの’の形で、または直接に名詞の上に付き、遠いことの意を表す。」、色(しき)は「目で見ることのできるもの、すなわち色(いろ)と形。」、方(へ)は「そのものにごく近い場所、また、それへの方向を示す。近く。ほとり。あたり。」、帰すは「最後に一つのところに落ち着く。帰着する。」、野良(のら)は「野。野原。」「田や畑。」の意味です。

余談

この歌は、地獄少女オリジナルサウンドトラックの中にある「かりぬい」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

イメージとしては、三途の川を渡って、西方の寂静(じゃくじょう)の世界に行き着いた時の心境を詠っている。

なので「岸見放け」は、岸を遠くはるかに眺めて、という意味になるので、この岸は彼岸(=あの世)から見た此岸(=この世)のことと解釈したい。

「遠空の色」は、向こう側の岸(此岸)の方の、遠くに見える空色(が美しいなぁ)というニュアンスなのだが、これは色(しき)でもあるので、要するに、死後、生前の世界を改めて見て、生の世界特有の色(しき)の世界、形ある世界のその美しさというか、懐かしさというか、そういう感慨深さが魂に沁みて来るニュアンスが含まれているように思う。

だから最後が「寂しき」となっているのだろうと思う。

あんなに嫌だと思っていた生前の世界が、思い出す一瞬一瞬の全てが狂おしいほど懐かしく、また美しく輝いている様を見て、とてもとても寂しくなってしまうのである。

もっと自分は良い対応ができなかったのか、と思ってしまうのである。

それは、あたかも、身近な人が死んだ時のような寂しさでもある。だが、死後、西方の寂静の世界に行き着いた自分は、すでに生前に持っていた色(しき)から離れているがゆえに、空(くう)であるがゆえに、その寂しささえも、愛おしく感じられるのである。

そしてその心境こそが仏の心境でもある、ということ。

歌の最後にある「仏」は、仏に成った(=死んだ)自分という意味でもあるが、西方世界にいらっしゃる仏様という意味でもある。西方の仏様は阿弥陀如来なので、まあこの仏様という意味でもある、ということでもある。

というよりも、自分と阿弥陀如来とが一つになって、何とも言えない感慨深さの中に身を置くことになるのである。

嫌な記憶、辛い記憶だと思っていたその記憶全てが、まるで夕日の光に照らされて流されて行くように抜け落ちて行くというか、その辛さをひっくるめて美しく感じるというか、まあ、うまく言えないが、そのような感情に変わり、後には楽しかった思い出、嬉しかった思い出、感動した思い出、そのような思い出だけが残り、生前にあった全ての全てが自分の中で消化(昇華)され、肯定されて行くのである。

そうして、自分の中で生前の人生全てが納得できた時、生前あった私というものは消え、仏になるのである。仏は火(ほ)の解け(とけ)であり、煩悩の火が一切合財解けて消え去った状態のことをいう。

そうして今度は、自分の中に残った楽しかった思い出、嬉しかった思い出等の、その思念が土台となって、それにふさわしい世界へと旅立つのである。

Posted on 2017/10/06 Fri. 18:55 [edit]

category: まわりうた

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06

まわりうた 

きしなかめ ゆふそらこせは
  をちのひの ちをはせこらそ ふゆめかなしき

(岸眺め 夕空越せば 彼方の日の 地を馳せ子等ぞ 冬芽愛しき)

解説

彼方(おち)は「遠い所。遠方。」「以前。昔。」、馳せるは「速く走る。駆ける。また、馬・車などを速く走らせる。」、冬芽(ふゆめ)は「晩夏から秋に形成され、休眠・越冬して、春に伸びて葉や花になる芽。寒さを防ぐため鱗片 (りんぺん) でおおわれている。とうが。」、愛し(かなし)は「心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。」の意味です。

Posted on 2017/10/04 Wed. 17:47 [edit]

category: まわりうた

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04

まわりうた 

なかきよの せいのはかそす
  もみちみち みもすそかはの いせのよきかな

(永き代の 聖の場が甦す 紅葉道 御裳濯川の 伊勢の良きかな)

解説

聖(せい)は「神聖でおかすことのできないこと。清らかで尊いこと。また、そのさま。」、甦す(そす)は「生きかえる。よみがえる。」、御裳濯川(みもすそがわ)は「五十鈴川いすずがわの異名。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容としては、紅葉一杯の御裳濯川の辺を歩いていると、まるで永遠なる時間の中に存在している、犯すことのできない聖なる場所が、今ここに甦って来るようだ、というニュアンスを感じる。

何気なく「場」という言葉を使っているが、場はもともと「には(庭)」の転という。庭には神事・行事などの行われる場所という意味もあることから、「聖の場」は聖なる場所という意味のほか、代々そこで(犯すことのできないほどの重要な)神事が行われている場所、というニュアンスも含まれているように思う。

それはそうと、下記動画は中々美しいなぁ。

『【伊勢神宮】四季の営み ‐秋‐ ISE-JINGU』(you tubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=mtlhermhgeg

Posted on 2017/10/04 Wed. 00:08 [edit]

category: まわりうた

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04

まわりうた 

またとこふ ことたまとけい
  うらみのみ らういけとまた とこふことたま

(また呪ふ 言霊と刑 恨みのみ 牢行けとまた 呪ふ言霊)

解説

呪ふ(とこふ)は「のろう。」、刑は「法律や規則によって科せられる罰。刑罰。」の意味です。

雑感

昔のいじめられていた記憶を思い出していたら、出て来た歌です。

Posted on 2017/10/03 Tue. 13:06 [edit]

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03

まわりうた 

かみのうま いたりかひみき
  たまのひの またきみひかり たいまうのみか

(神の馬 至り佳美見き 魂の火の 全き御光 大望のみが)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、全し(またし)は「完全だ。欠けたところがない。」、大望(たいもう)は「大きな望み。遠大な志。たいぼう。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

神の馬?

意味がさっぱりわからないので、辞書を引くと神馬の文字があった。

神馬(しんめ)は「神霊の乗り物として神聖視されている馬。白馬を特に重んじる。」の意味だそうだ。

白馬と言えば、下記記事を思い出す。

『第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その6』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=465

記事によれば、この白馬に乗った神霊はヨハネ黙示録に出て来る義の方でもあって、神界を統一できるだけの力を持った神霊なのだとか。

イメージとしては、そのお方が霊界において表に出て来ることによって、現界も劇的に変わる、というもの。

どう変わるかというと、人、動物、植物を始め、各魂が同時多発的に光を放ち始めて、そこら中が光り輝くというもの。

地球の魂も当然光り輝いていて、その色は緑色に透き通っている。

宇宙から見ると、まるで巨大な宝石のように大変美しく、それを見た者は、魂の芯からうっとりとして、一瞬にして虜になってしまうほどのようだ。

肉体的に見れば、この一連の流れの中で皆朽ち果ててしまうのだが、まるで脱皮するかのように、内側から光輝いた霊体が現れて、気が付けば皆、新しい地球で甦っている、というイメージが湧く。

そして、その光はそれぞれの個性によって色も光り方も違っている。しかし間違いないのは、それら無数の魂の光が新しく輝く地球に、より一層の彩りを与えている、という点だ。

何にせよ、人知を遥かに超えた、大きな大きな大望である。

Posted on 2017/09/24 Sun. 13:05 [edit]

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24

まわりうた 

みるさうに ますみのひかり
  まとのへの とまりかひのみ すまにうさるみ

(見る像に 真澄の光 窓の辺の 止まり佳美のみ 隅に失さる身)

解説

像は「神仏・人・鳥獣などの形をまねて描いたりつくったりしたもの。」、真澄(ますみ)は「よく澄んでいること。澄み切っていること。」、辺(へ)は「辺り。ほとり。そば。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、隅(すま)は「‘すみ(隅)’に同じ。」、失さるは「なくなる。消えうせる。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「悔恨と安らぎの檻にて- Orchestral Version -」 を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

イメージとしては、壇上のはるか上にちりばめられているステンドグラスから光が差し込んで、十字架にかけられた大きなキリスト像がそれに照らされ、美しく輝いているという、そういう教会に居合わせているというもの。

「隅に失さる身」は、隅に消えていく身体、というニュアンス。

単純に解釈すれば、その圧倒的な美しさに吸い込まれて、思わず自分を忘れて見入ってしまう、釘づけになってしまうという意味であるが、宗教的に考えれば、その美しさとは、イエスキリストの自己犠牲の美しさであり、隣人愛とも解釈できる。

その大いなる利他の行為の前に、自我の強いこのちっぽけな私がことごとく打ち砕かれていくという、ある意味、言葉にできない神秘体験を、この歌は表しているように思う。

隅に消えていくというとネガティブなニュアンスだが、隅(すみ)は澄み(すみ)に通じるものがある。隅(すま)と読めば、これは澄まされた間、主(す)の間のニュアンスに感じる。

自分が隅に消えていくことによって、逆に自分の中心が照らされる。主(しゅ)が居られる間が現れる。いわば、自らの内にある魂の座がはっきりと見えて来る、というニュアンスを感じるのである。

宗教的に言えば、この時まさに、主の神が内なる魂の座に降りて来て、魂の救済を行っているのだ。こうして自然と【悔い改め】というものが起きるのだ。

Posted on 2017/09/21 Thu. 20:29 [edit]

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21

まわりうた 

なかくとき しいれはまなか
  すかしよし かすかなまはれ いしきとくかな

(永く時 死入れば真中 清し良し 幽かな間晴れ 意識解くかな)

解説

清し(すがし)は「すがすがしい。さわやかで気持ちがよい。」、入る(いる)は「はいる。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

唐突だが、「なが」(永・長)と「なか」(中)には、同じニュアンスを感じる。

長い長いトンネルを歩いていくことは、トンネルの中へ中へと向かっていくことと同じである、と。

だからこの「永く時」は、永遠の中に入っていく、というニュアンスであって、今を起点として、これまで永く続いてきた過去や、これから永く続いていく未来を思い浮かべて、そこに向かっていくのではない。

今この時の中へ中へと入っていくのだ。

そのことを歌では死と表現している。それは、我々が普段から過ごしている生の中に含有する、過去も未来もその一切を切り捨てるという事でもある。

その状態を真中と表現しており、それが清しい状態であり、良い状態であるなぁ、と言っているのだ。

「幽かな間」というのは、ゆらぎの間のことと解釈したい。我々が普段認識している目の前の空間は、おそらく一瞬過去の映像であるように思う。

我々は常に、今この瞬間を生きていると錯覚しているが、実際はそうではなく、一瞬遅れた残像の世界に生きているように思うのである。意識はいつも一歩前の過去に存在しており、ピタっと合った今を認識できていないはずなのだ。

そのわずかにズレた幽かな間が、要らぬ思考や自我、または死への恐怖を生み出しているように思うのである。それを全部とっぱらって、一瞬先の世界へとこの意識ごと飛び込んでいく。

それは従来の感覚からすれば、まるで目の前の崖に向かって飛び込んでいくような、死へとダイブしていくような感覚なのだが、しかしその一瞬先の世界こそが、本来存在している世界の姿であり、そこに到達し続けることによって、この意識は解き放たれるように思うのである。

Posted on 2017/09/20 Wed. 09:42 [edit]

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20

まわりうた 

またのこり つうかんしいさ
  いなのめの ないさいしんか うつりこのたま

(また残り 痛感しいざ いなのめの 内在神が 移りこの魂)

解説

いなのめは「語義未詳。‘あけがた’‘あけぼの’‘しののめ’の意か。」、魂(たま)は「たましい。」の意味です。

余談

この歌は、ゲーム「ゼノサーガエピソードⅢ ツァラトゥストラはかく語りき」のEDテーマ「maybe tomorrow」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/09/18 Mon. 12:05 [edit]

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18

まわりうた 

もかひかる をかにはきさし
  こすもすも すこしさきはに かをるかひかも

(面が光る 丘には萌し コスモスも 少し咲き場に 香る佳美かも)

解説

面(も)は「おもて。表面。あたり。方向。」、萌し(きざし)は「物事が起こりそうな気配。兆候。」、コスモスは「キク科の一年草。高さ1.5~2メートル。葉は細かく羽状に裂ける。秋、白色や紅色の花を開く。メキシコの原産で、観賞用。アキザクラ。オオハルシャギク。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、かもは「感動・詠嘆を表す終助詞。…ことよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「やさしい風がうたう -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/09/18 Mon. 09:56 [edit]

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18

まわりうた 

もんてしる まとまたちつく
  をはりなり はをくつちたま とまるしてんも

(門で知る 真と魔質付く 終はりなり 破屋地球 止まる自転も)

解説

門は「物事が出入り、また経由する所。」、質(たち)は「人の生まれつきの性質・体質。」「その事柄の性質。」、破屋は「こわれ破れた家。あばらや。」、地(つち)は「地球の陸地の表面をおおう物質。風化した岩石の細かい破片、生物の遺骸およびその腐敗物、微生物などよりなる。土壌。」「地球の表面。地上。大地。地面。古くは天あめに対して地上界をさす。」、自転は「天体がその内部にある軸の周りを回転運動すること。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見ながらそれをモチーフに書いた歌です。

「【巡音ルカ】 劇場 【オリジナル曲】」

雑感

個人的に、明日の日付にはちょっと注目している。なぜなら9月18日は九十八(ことは=言葉)に通じるからだ。

と言っても、この日付は毎年来る。なぜ今年だけ気になるのかというと、2017にも意味を感じるからである。

二千十七は「二千(にせん)十(と)七(なる)」で「二線と成る」と読める。

大本神諭や日月神示では、かねてから善と悪が分かれる、と言われてきたが、明日を境にそれが起きて来るように感じる。つまり、善と悪の二つの線に分かれて、それらはもう永遠に交わらない、ということだ。

今までは玉石混交で真と魔が入り乱れていたが、その真と魔がきっちり分かれる気がするのである。そして真と魔の間には、ある種の蓋。境界線。神話的にいうと岩戸が出来るように思うのである。

そして二千十七は、また「二千(ふたせん)十(と)七(なる)」でもあって、これは「蓋せんと鳴る」とも読める。

意味としては、その境界線に蓋をしようと鳴る、という意味になる。この鳴るというのが、地球規模で言うならば天変地異であり、個人的な範囲で言うならば、それぞれが大切にしているものを、自分で選択していく、ということになる。

もちろん、これまでも天変地異は幾度となくあったし、各々自分の人生の行く末を、その場その場で選択して来ただろうが、今までとさっぱり違うのは、その場が玉石混交ではなくなる、ということだ。

善と悪の世界がばっさりと分かれれば、善人の世界は善人ばかりとなり、悪人の世界は悪人ばかりとなる。

善人のみの世界では、当然争いは起こらず、もう悪人に騙されたり、痛めつけられることもなくなる。それどころか、何かあれば周りが助けてくれるし、また自分も助けようとする。

結果、周りに敵はどこにも居らず、安心立命で暮らせるようになる。

一方悪人のみの世界では、とにかく自分の力しか頼れなくなるので、幸せになろうと思うと、相対的に他人を蹴落としたり、殺したりするしかなくなる。

結果、今まで以上に争ったり、騙し合いが起きる。恐ろしいのは、その世界では、今までのように善人がさっぱり居ないということだ。

見るからに世間知らずで騙しやすそうな相手とか、いかにも気弱でいじめやすそうな相手とか、そういうカモに見える人々が一人も居なくなるのである。それどころか、今まで自分の知らなかった、もっと大きな悪の力を知ることになる。

その大きな悪の力の前では、自分こそが世間知らずで騙しやすそうな相手であり、自分こそが気弱でいじめやすそうな相手となってしまう。

さらに恐ろしいのは、今までは人の内側に神様が居たので、どんな悪人にせよ「良心」というものがあって、一旦悪を為しても、そこで後悔したり反省したりすることが出来たが、もうそれが一切なくなる所である。

なので、その世界では、もはや中途半端な悪をやっていては、コロっと騙されたり、すぐいじめられたり、殺されたりするので、どこまでも悪を強くするしかなくなる。

そこで初めて気付いて後悔して善に戻ろうとしても、もう遅いのである。その世界では善人は一人も居ないし、良心を持った人も一人も居ないのである。

だから二千十七は「二千(ふせん)十(と)七(なる)」でもあって、「不戦と成る」年でもあるのだ。

ハルマゲドン的に善と悪が最終戦争を起こすのではなく、善と悪は自然に二つの線に分かれて、戦いは起こらず、永遠の別れとなるのである。

日月神示で「負けが勝ちぞ」(青葉の巻 第十四帖)とあるが、最後は負けた状態が一番勝っていた状態であることに気付くのである。

今まで人のためにと思って良いことをしても、何一つ自分に利することがあるわけでもなく、逆にそれが仇となって、人からつけこまれたりして、何も報われない、と嘆いていた、まさにその状態こそが、一番の最良の自分をつかみ取っていることになっている、ということも、場合によってはあるわけである。

続いて歌の解釈に移ろうかと思う。

「門で知る」は、今まさに開かんとする門の前で知る、という意味かと思う。

門はモ(百)のン(无)であって、完成する最後の瞬間、というようなニュアンスを感じる。

「真と魔質付く 終はりなり」は、真と魔、そのどちらかの性質が付く終わりの時だ、ということ。これが一旦付くと、もう永遠に覆らない。

これから永遠を生きて行く自分に真神が懸かるのか、それとも魔神が懸かるのか、その決着の時だということ。

「破屋地球」は、地球があばら家となる、ということで、とても人が住めるような環境ではなくなる、という意味になる。

ちなみに下記ブログでは、良心神に従う人々は新しい地球に移行して、そうでない人々は、今の地球の地下に王国を作って過ごす、と書かれてある。

『第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その3』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=462

ついでに、この動画も参考になるかもしれません。

『もしも地球の自転が止まったら?』(you tubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=p0HowKZm78Y

Posted on 2017/09/17 Sun. 12:33 [edit]

category: まわりうた

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17

お知らせ 

ご訪問ありがとうございます。

九月から忙しくなるため、今後更新が不定期になる予定です。

いつも来て頂いている方には申し訳ないのですが、どうぞあしからず。

m(_ _)m

Posted on 2017/08/30 Wed. 18:18 [edit]

category: 未分類

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30

まわりうた 

なかきえた みなもみかるて
  まありけり あまてるかみも なみたえきかな

(長き枝 皆も身軽で 真ありけり 天照神も 涙良きかな)

解説

枝(えだ)は「一族。子孫。」、真(ま)は「偽りがないこと。まこと。ほんとう。真実。」、天照神(あまてるかみ)は「天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名。」、良し(えし)は「よい。いい。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/30 Wed. 18:09 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

つきよみの ひかりはをかし
  ふかきあき かふしかをはり かひのみよきつ

(月夜見の 光はをかし 深き秋 合祀が終はり 佳美の御世来つ)

解説

月夜見(つきよみ)は「月の異名。つきよみ。」、をかしは「‘あはれ’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。‘あはれ’のように対象に入り込むのではなく、対象を知的・批評的に観察し、鋭い感覚で対象をとらえることによって起こる情趣。」、合祀は「二柱以上の神や霊を一神社に合わせ祀まつること。また、ある神社の祭神を他の神社に合わせ祀ること。合祭。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/30 Wed. 17:51 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

しなはみる ゆきなはのこる
  かひのその ひかるこのはな きゆるみはなし

(死なば見る 行きなば残る 佳美の苑 光る木の花 消ゆる身は無し)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、苑(その)は「庭。庭園。また、花・野菜・果樹を栽培する区域。」、木の花(このはな)は「木に咲く花。特に、桜の花や梅の花。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/30 Wed. 17:26 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきよの またきしくみか
  たふとしと ふたかみくしき たまのよきかな

(永き代の 全き仕組みが 尊きと 二神奇しき 玉の良きかな)

解説

全し(またし)は「完全である。欠けたところがない。まったい。」、二(ふた)は「に。ふたつ。名詞または動詞の上に付けて複合語を作る。」、奇し(くし)は「 霊妙だ。不思議だ。くすし。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/30 Wed. 12:20 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

とうとのら しかんへいたり
  ほのほのほ のほりたいへん かしらのとうと

(到頭野良 時艱へ至り 炎の穂 昇り大変 首の東都)

解説

到頭(とうと)は「物事が最終的にそうなるさま。ついに。結局。とうとう。」、野良(のら)は「野。野原。」、時艱(じかん)は「その時代の直面している艱難。当面する難題。」、穂は「とがったものの先。」、首(かしら)は「人や動物の首から上の部分。あたま。」、東都(とうと)は「東方にある都。特に京都に対して、江戸または東京をいう。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「常闇ノ皇」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

炎は「火の穂(ほ)」の意味なので、「炎の穂」は炎の穂の穂の意味となり、炎がより高く燃え上がっている様であることが見て取れる。

このまま行けば、東京は元の焼け野原になるものと思われる。

思うに、日本のメグリ(カルマ)は相当根深く、ここまで大規模に膨れ上がってしまっては、どうにかしようにも、最早どうすることも出来ない段階にまで来てしまった感がある。

国のメグリは一人の力だけではどうしようもないが、せめて自分自身のメグリだけは済ませておきたいものである。

Posted on 2017/08/30 Wed. 11:21 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

としいたき うかふよまくら
  はしまるま しはらくまよふ かうきたいしと

(年抱き 浮ぶ世真暗 始まる間 暫く迷ふ 剛毅大事と)

解説

年は「年齢。よわい。」「老齢。老年。高齢。」「季節。時候。時節。」、剛毅は「意志が堅くて強く、くじけないこと。また、そのさま。」の意味です。

Posted on 2017/08/30 Wed. 10:35 [edit]

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30

まわりうた 

もかきよき さいはてのきし
  なかめゆめ かなしきのては いさきよきかも

(面が清き 最果ての岸 眺め夢 愛しきの出は 潔きかも)

解説

最果ては「中央から遠く離れて、その先はなくなる所。いちばんはずれ。」、愛し(かなし)は「心にしみるような趣だ。深い感興を感ずる。」、出(で)は「出る状態・度合い。」、潔しは「清らかで気持ちがよい。」、かもは「詠嘆の気持ちを強く表す終助詞。…ことよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「6番目の駅」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「かなしい」という言葉は、古くは、いとしい、かわいい、すばらしい、嘆かわしい、心が痛むなど、物事に感じて切に心の動くさまに広く使われていたそうだ。

歌では、深い感興を感ずるという意味で使っているが、ニュアンス的には、言葉にならない感情があふれ出て来る様であるように感じる。

ちょうど、自分が死んだ後、己の人生を振り返った時の感慨深さに近いように思う。

Posted on 2017/08/29 Tue. 09:41 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

なかきよの またききかいの
  みかふるふ かみのいかきき たまのよきかな

(永き代の 全き気海の 身が震ふ 神の厳き気 玉の良きかな)

解説

全し(またし)は「完全である。欠けたところがない。まったい。」、気海(きかい)は「地球を包む空気の広がりを海にたとえていう語。」「〔元気の集まる海の意〕 鍼灸医学のつぼ(経穴)の一。へそ下一寸半の所。」、厳し(いかし)は「(程度が)はなはだしい。大層である。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/28 Mon. 09:50 [edit]

category: まわりうた

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28

まわりうた 

なかきよの ひかてりしんし
  いせぬけぬ せいしんしりて かひのよきかな

(永き代の 日が照り仁慈 伊勢抜けぬ 清心知りて 加被の良きかな)

解説


仁慈(じんじ)は「いつくしみめぐむ・こと(さま)。」、清心(せいしん)は「心のけがれを去ること。また、清らかな心。」、加被は「神仏が力を貸して守ってくれること。加護。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/28 Mon. 09:19 [edit]

category: まわりうた

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28

まわりうた 

にかのほり をかはのひかり
  とほきあき ほとりかひのは かをりほのかに

(丹が昇り 小川の光 遠き秋 辺佳美の葉 香り仄かに)

解説

丹(に)は「赤い色。丹色。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

丹は赤色の太陽と解釈してもよいだろうし、秋が深まって紅葉が日に日に赤く染まっていく様、と解釈してもよいかと思います。

遠き秋は、目の前の秋真っ盛りの風景が永遠なる秋の情景から来ている感じがして、遠くに感じる、ということ。

つまり、今年の秋は今年限りの秋で初めての秋のはずなのに、その秋はいつか見た秋に、或いはこれから何年か後、何十年か後に誰かが見ているかもしれない秋のようでもあって、近いのだけれども、とても遠くに感じる、ということです。

さらに細かくいうと、永遠なる視点から目の前の秋の風景を感じている、ということ。

Posted on 2017/08/28 Mon. 09:00 [edit]

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28

まわりうた 

なかきよの ひかりあめより
  とひらから ひとりよめあり かひのよきかな

(永き代の 光天より 扉から 一人嫁あり 佳美の良きかな)

解説

天(あめ)は「空。天。あま。」「天上界。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。
余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「CREID」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。ちなみに「CREID」はゲール語で「信じる」という意味だそうです。

雑感

聖書ではしばしば、主を花婿、信仰者を花嫁にたとえているそうな。

ということで、歌にある「嫁」は、そういうニュアンスが含まれているように思う。

日月神示参照。

『はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。』(月光の巻 第三十八帖)

Posted on 2017/08/26 Sat. 20:13 [edit]

category: まわりうた

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26

まわりうた 

かみのりか あしきとよきと
  たたかひか たたときよとき しあかりのみか

(神の籬下 悪しきと善きと 戦ひが ただ時世解き 仕上がりのみが)

解説

籬下(りか)は「垣根のそば。低い位置にあることのたとえ。」、時世(ときよ)は「時代。時節。」の意味です。

解説

この歌は、「Xenosaga EpisodeⅠ Soundtrack」のDisc2の中にある「Last Battle」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

籬下(りか)は「垣根のそば。」の意味だが、神籬と書くと「ひもろぎ」と読み、神の依代の意味となる。

歌のニュアンスとしては、正神・悪神共に地上に降って来て、それぞれの人に懸かって戦いが繰り広げられる、または天帝を真っ二つにして、善と悪とが戦う、ということかと思う。

まあどちらにせよ、時節が下るにしたがって、一体どちらが強いのかが判ってくるのだろう。

日月神示参照。

『神の国の昔からの生神の声は、世に出てゐる守護人の耳には入らんぞ、世に出てゐる守護人は九分九厘迄 外国魂ざから、聞こえんのざぞ。外国の悪の三大将よ、いざ出て参れよ、マトモからでも、上からでも、下からでも、横からでも、いざ出てまゐれよ。この神の国には世の元からの生神が水ももらさぬ仕組してあるから、いざ出て参りて得心ゆくまでかかりて御座れ。敗けてもクヤシクない迄に攻めて御座れよ、堂々と出て御座れ、どの手でもかかりて御座れ。その上で、敗けてこれはカナワンと云ふ時迄かかりて御座れよ。学、勝ちたら従ってやるぞ、神の力にカナワンこと心からわかりたら末代どんなことあっても従はして元の神のまことの世にして、改心さして、万劫末代 口説(くぜつ)ない世に致すぞよ。』(磐戸の巻 第八帖)

『マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。』(磐戸の巻 第十二帖)

『天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。旧九月になればこの神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ、富士は晴れたり日本晴れ、おけ。』(地つ巻 第二十七帖)

『この方は元の肉体のままに生き通しであるから、天明にも見せなんだのざぞ、あちこちに臣民の肉体かりて予言する神が沢山出てゐるなれど、九分九厘は分りて居れども、とどめの最後は分らんから、この方に従ひて御用せよと申してゐるのぞ。砂糖にたかる蟻となるなよ。百人千人の改心なれば、どんなにでも出来るなれど、今度は世界中、神々様も畜生も悪魔も餓鬼も外道も三千世界の大洗濯ざから、そんなチョロコイ事ではないのざぞ。ぶち壊し出来ても建直し分かるまいがな。火と水で岩戸開くぞ、知恵や学でやると、グレンと引繰り返ると申しておいたが、さう云へば知恵や学は要らんと臣民早合点するが、知恵や学も要るのざぞ。悪も御役であるぞ、この道理よく腹に入れて下されよ。天の神様 地に御降りなされて、今度の大層な岩戸開きの指図なされるのざぞ、国々の神々様、うぶすな様、力ある神々様にも御苦労になっているのざぞ。天照皇太神宮様初め神々様、あつくまつりて呉れと申してきかしてあろがな、神も仏もキリストも元は一つぞよ。』(天つ巻 第四帖)

『一二三(ひふみ)の仕組が済みたら三四五(みよいづ)の仕組ぞと申してありたが、世の本の仕組は三四五の仕組から五六七(みろく)の仕組となるのぞ、五六七の仕組とは弥勒(みろく)の仕組のことぞ、獣と臣民とハッキリ判りたら、それぞれの本性出すのぞ、今度は万劫末代のことぞ、気の毒出来るから洗濯大切と申してあるのぞ。今度お役きまりたら そのままいつまでも続くのざから、臣民よくこの神示(ふで)よみておいて呉れよ。』(富士の巻 第四帖)

『おろしやにあがりておりた極悪の悪神、愈々神の国に攻め寄せて来るぞ。北に気つけと、北が愈々のキリギリざと申して執念(くどう)気つけてありた事近ふなりたぞ。神に縁深い者には、深いだけに見せしめあるのざぞ。国々もその通りざぞ、神には依怙(えこ)無いのざぞ。ろしあの悪神の御活動と申すものは神々様にもこれは到底かなはんと思ふ様に激しき御力ぞ。臣民と云ふものは神の言葉(こと)は会得らんから悪神の事に御とつけるのは会得らんと申すであろが、御とは力一杯の事、精一杯の事を申すのであるぞ。何処から攻めて来ても神の国には悪神には分らん仕組致してあるから、心配ないのざぞ、愈々と成りた時には神が誠の神力出して、天地ゆすぶってトコトン降参ざと申す処までギュウギュウと締めつけて、万劫末代いふ事聞きますと改心する処までゆすぶるから、神の国、神の臣民 心配致すでないぞ、心大きく御用して呉れよ、何処に居ても御用してゐる臣民助けてやるぞ。』(日の出の巻 第七帖)

『いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。神の国から除かれた臣民と神の臣民と何ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりて何うしたらよいかと申すことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。何んな所にゐても、神がスッカリと助けてやるから、神の申すやうにして、今は戦して居りて呉れよ。てんし様 御心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ。神の臣民 言(こと)に気をつけよ、江戸に攻め来たぞ。』(富士の巻 第十帖)

『今度 役目きまったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ、悪も末代ぞ。此の世は一(ひとつ)であるぞ。われの身体われに自由にならぬ時来たぞ。神に縋(すが)るより仕方なくなって、すがったのでは、間に合はんぞ。今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。素直にすればタマ入れかへて、よい方に廻してやるぞ。よろこびの身といたしてやるぞ。』(松の巻 第十帖)

『愈々となって助けてくれと走り込んでも、その時では遅いから、間に合はんから、早う神の心悟れと申してあるのざ。笑のない教にして下さるなよ。学問や金を頼ってゐる内は、まだまだ改心出来ないぞ。今迄の宗教の力でも、法律でも、どうにもならん。掃除が目の前に来てゐるぞ。神の力を頼るより他に理(ミチ)ないことまだ判らんか。中程まで進むと判らんことあるぞ。神の試練 気つけてくれよ。どちらの国も見当とれんことになるぞ。肚立つのはめぐりあるからぞ。善でつづくか悪でつづくか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、末代つづくか、得心ゆくまで致させてあったが、もう悪ではつづかんことが、悪神にも判って来るのであるから、今しばらくのゴタゴタであるぞ。ものの調和が判れば、正しき霊覚が生れるぞ。神の姿がうつって来るぞ。』(黄金の巻 第八十二帖)

『ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。 辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。◎と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦ばかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。』(日月の巻 第十帖 ◎は「○にヽ」の形)

Posted on 2017/08/26 Sat. 19:07 [edit]

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26

まわりうた 

かみのりの みなかいくさき
  しくしめし くしきさくいか なみのりのみか

(神の理の 真中行く先 敷く示し 奇しき作意が 波乗りのみが)

解説

真中(みなか)は「真ん中。」、奇し(くし)は「神秘的だ。不思議だ。霊妙な力がある。」、作意は「芸術作品において、作者の制作した意図。創作上の意向・工夫。趣向。」の意味です。

Posted on 2017/08/26 Sat. 18:26 [edit]

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26

まわりうた 

なかきよの かきりのいくた
  たそかれか そたたくいのり きかのよきかな

(永き代の 限りの幾多 黄昏が そだたく祈り 季夏の良きかな)

解説

そだたくは「しっかり抱きしめる。」、季夏(きか)は「夏の末。晩夏。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「ナウシカ・レクイエム」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

どうも最近、過去のことがあやふやになって、かといって未来に目を向けても予測不可能な感じで、これも当てにならず、ただ確かなのは今この時だけだ、という感覚が強くなっている。

歌はそういう感覚を表現したものなのだが、一方で漫画版「風の谷のナウシカ」第七巻の、最後の夕焼けのシーンも連想してしまう。

Posted on 2017/08/26 Sat. 17:22 [edit]

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26

まわりうた 

とのはいく あまたかみのこ
  いさきよき さいこのみかた まあくいはのと

(何の場行く 数多神の子 潔き 最後の御型 真開く岩の戸)

解説

何の(どの)は「どれとはっきり限定しないままに、不明・不定の事物・人間・程度などを取り上げるときに用いる語。いずれの。」、数多は「数が多いさま。たくさん。多数。」、潔しは「汚れがない。清浄だ。」「心やおこないにやましいところがない。潔白だ。」「清らかで気持ちがよい。」、真は「(〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕)完全・真実・正確・純粋などの意を表す。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「ナウシカ・レクイエム」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/26 Sat. 17:06 [edit]

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26

まわりうた 

なかきよの もやしうるしは
  かをりけり をかはしるうし やものよきかな

(永き代の 萌やし得る芝 香りけり 丘走る牛 八面の良きかな)

解説

萌やすは「芽を出させる。もやしをつくる。」、八面(やも)は「八つの方面。あらゆる方面。四方八方。」の意味です。

雑感

この歌は、下記動画を見ながら、それをモチーフに書いた歌です。

『"happy Cows" Kuhrettung Rhein Berg english subtitles / vacas liberadas』(you tubeより)
https://youtu.be/kUZ1YLhIAg8

雑感

偶然見つけた動画です。何だか牛が楽しそうだったので、歌にしました。

英語がさっぱりわからないのだが、ミルクを出せなくなってリタイヤした牛に余生を楽しんでもらうため、牧場に放した、という内容らしい。

Posted on 2017/08/25 Fri. 08:19 [edit]

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25

まわりうた 

きしみさそ しつくせつなく
  かなかなか なかくなつせく つしそさみしき

(軋みさぞ 疾苦切なく 蜩が 長く夏急く 辻ぞ寂しき)

解説

さぞは「直接見聞していない他人の心中・状態についてこうに違いないと思いやる意を表す。きっと。さだめし。さぞや。」、疾苦(しっく)は「悩み苦しむこと。」「病気で苦しむこと。」、蜩(かなかな)は「蜩(ひぐらし)の別名。かなかなぜみ。」、急く(せく)は「せかす。いそがせる。せきたてる。」、辻は「二つの道路が十字形に交差している所。また,四方からの道が集まりゆききする人が出会い別れる交通の要所。辻堂・辻社(つじやしろ)が置かれ道祖神がまつられることが多い。十字路。四つ辻。」の意味です。

余談

この歌は、「電脳コイル サントラ音楽集 Disc 1」の中にある「悲しみ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

特に何があったわけではないのだけれど、気分が落ち気味なので、その感覚を歌にしました。

Posted on 2017/08/25 Fri. 06:47 [edit]

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25

まわりうた 

かみのくら ひとりひとりの
  いまめさめ まいのりとひり とひらくのみか

(神の座 一人一人の 今目覚め 真祈りと皮裏 門開くのみが)

解説

真は「(〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕)完全・真実・正確・純粋などの意を表す。」、皮裏(ひり)は「こころ。こころの中。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/24 Thu. 05:20 [edit]

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24

まわりうた 

なかきよの みなねふるのら
  かたむけむ たからのるふね なみのよきかな

(長き夜の 皆眠る野良 潟向けむ 宝乗る船 波の良きかな)

解説

眠る(ねぶる)は「ねむる。」、野良は「野。野原。」「田や畑。」、潟(かた)は「砂州によって外海から分離されてできる海岸の湖。潟湖(せきこ)。ラグーン。」「浦。入り江。湾。」「遠浅の海岸で、潮が満ちると隠れ、引くと現れる所。干潟(ひがた)。」の意味です。

余談

この歌は、新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

Posted on 2017/08/23 Wed. 08:25 [edit]

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23

まわりうた 

いはのとの まあくときなり
  まつりあり つまりなきとく あまのとのはい 

(岩の戸の 真開く時なり 祭りあり 詰まり無き徳 天の音の拝)

解説

真は「(〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕)完全・真実・正確・純粋などの意を表す。」、天の(あまの)は「天にある。天の。天上界に所属する。」、音(と)は「 おと。ひびき。こえ。」、拝(はい)は「頭を下げて敬礼すること。おがむこと。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/23 Wed. 07:39 [edit]

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23

まわりうた 

かみのひと ひひきふりよし
  かむかせか むかしよりふき ひひとひのみか

(神の人 響き不離良し 神風が 昔より吹き 日々問ひのみが)

解説

不離は「離れないこと。また、離せないこと。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/23 Wed. 07:20 [edit]

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23

まわりうた 

つきのよの みかきありかは
  むかはるは かむはかりあき かみのよのきつ

(月の夜の 御垣在り処は むかはる場 神議り秋 神の世の来つ)

解説

御垣は「宮中・神社などの神聖な地域のまわりにある垣。」、在り処は「物のある場所。人のいる場所。所在。居所」、むかわるは「時が経過して、対応する物事が巡ってくる。因果が巡ってくる。」、神議る(かむはかる)は「多くの神が集まって相談する。かんはかる。」、つは「動作・作用が完了すること。また、すでに完了してしまったことを表す助動詞。…た。…てしまう。…てしまった。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/23 Wed. 07:03 [edit]

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23

まわりうた 

なかきよら かたきかみまた
  とことはと ことたまみかき たからよきかな

(長き夜ら 堅き神また 常と 言霊磨き 宝良きかな)

解説

夜ら(よら)は「夜。」、常(とことわ)は「永久に変わらない・こと(さま)。永久不変。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 23:28 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよの またきしいのり
  まつのみの つまりのいしき たまのよきかな

(永き代の 全き詞祈り 待つのみの 詰まりの意識 玉の良きかな)

解説

全し(またし)は「完全である。欠けたところがない。まったい。」、詞(し)は「ことば。文章。詩歌。」、詰まりは「物事の行きつくところ。果て。終わり。」「行きどまり。すみ。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 23:15 [edit]

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まわりうた 

なかきより あもるてんてい
  あしきなき しあいてんてる もありよきかな

(永きより 天降る天帝 悪しき無き 至愛天照る 面あり良きかな)

解説

天降るは「天上から降りてくる。天下る。 」、面(も)は「おもて。表面。あたり。方向。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 23:07 [edit]

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まわりうた 

なかきよの ひしりあいせん
  せいへいへ いせんせいあり しひのよきかな

(永き代の 日知り愛善 清平へ 依然生あり 至美の良きかな)

解説

清平(せいへい)は「世の中が清らかに治まっている・こと(さま)。」、至美は「たいへん美しいこと。すばらしいこと。また、そのさま。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 22:40 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよの ひつくのしせつ
  きたりけり たきつせしのく つひのよきかな

(永き代の 日月の時節 来たりけり 滝つ瀬凌ぐ 終の良きかな)

解説

月(つく)は「つき。」、滝つ瀬は「水の激しく流れる瀬。また、滝。」、終は「つまるところ。最後。はて。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 22:13 [edit]

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22

まわりうた 

しけるはの ひかりのせかい
  たきよせよ きたいかせのり かひのはるけし

(繁る葉の 光の世界 抱き寄せよ 機体風乗り 佳美の遥けし)

解説

機体は「飛行機のエンジンおよび装備品以外の部分。また、飛行機それ自体。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、遥けし(はるけし)は「空間的、時間的、心理的に遠くはなれている。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ…」の中にある「鳥の人」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

以下、「風の谷のナウシカ」のネタバレ含みます。

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「風の谷のナウシカ」にメーヴェという乗り物が出て来るが、これに乗っていたナウシカは風を感じながら、腐海もまた大自然の大きな営みの一部であると感じていたのかもしれない。

だが人の身としては、腐海は余りにも大きな脅威であり、だからこそ「青き清浄の地」という理想郷にあこがれてしまう。

「繁る葉の 光の世界」は、その「青き清浄の地」を彷彿とさせるわけだが、漫画版「風の谷のナウシカ」で、いざナウシカが「青き清浄の地」を垣間見た時の反応は、ここがまた人間の手で壊されやしないか、という心配であった。

そこは確かに、腐海と共に生きる者にとっての理想郷ではあったが、長らく風の谷に守られ、さらに、風の動きにほとんど命を預けざるを得ないメーヴェに、いつも乗っていたナウシカにとっては、腐海を肌で感じた時の感覚とそう大差がなかったように思う。

つまり、腐海を忌み嫌って、清浄の地を崇拝する、というような二元的な立ち位置ではなかった、ということだ。

腐海に住む異形の植物や虫たちが見せる生命のダイナミックさと、清浄の地が見せる静かな湿地帯の風景。そのどちらにも接したナウシカが感じたのは、物語中のセリフを借りれば「この星では生命はそれ自体が奇跡なのです」ということなのだろうと思う。

だから、この「繁る葉の 光の世界」は、それを示しているように思うのである。

「青き清浄の地」は、腐海に生きる者としては理想郷だが、本来、葉が繁るのも、太陽が輝くのも、ごく自然の日常の出来事のはずである。

葉が生い茂っていく力。太陽が輝く力。それら力の源は、腐海の異形なる生き物たちが生きていこうとする力の源と同じである。そして、その力は人にもまた与えられている。

それが「佳美の遥けし」なのだ。

その力はとんでもなく美しく、それはあらゆる時間空間に対して、遥か彼方まで広がっている。だからこそ「繁る葉の 光の世界 抱き寄せよ」でもあるのだと思う。

思い出される下記ナウシカのセリフが印象的だ。

「ちがう。いのちは闇の中のまたたく光だ!!」(漫画版「風の谷のナウシカ」 第七巻より)

Posted on 2017/08/20 Sun. 08:27 [edit]

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20

まわりうた 

なかきよの いはのとひらく
  すめかみか めすくらひとの はいのよきかな

(永き代の 岩の戸開く 皇神が 召す座人の 拝の良きかな)

解説

皇神(すめかみ)は「神を敬っていう語。すべかみ。」、召すは「そばにお招きになる。」、お招きになってある役職につかせる。また、任ずる。」、拝(はい)は「頭を下げて敬礼すること。おがむこと。」の意味です。

雑感

座人(くらびと)という言葉は辞書には無いが、湧いて出て来たので、そのまま出すことにする。座人(ざにん)という言葉ならあって、こちらは「座に加わっている人。座衆。」の意味になる。

歌の意味としては、皇神によって弥勒の世に招かれて、その世界に居る人、というような感じになる。

だが、この「座人」には、別の意味も含まれているように思う。

岩戸が開かれるとは、弥勒の世になることと同義ではあるが、別の視点から見てみると、今までのように、一人の人にいくつもの神がかかっていた状態から、かかる神が固定される、ということを意味するように思う。

今までであれば、邪悪な心の状態であれば邪悪な神様が、綺麗な心の状態であれば綺麗な心の神様が、時と場所によってかかっていて、一人の人でも、状況によって善悪がかわって、いろいろな状態の変化があった。

神界に霊線がつながっている時もあれば、幽界に霊線がつながっている時もあった。

しかし、この度三千世界が大掃除されるがゆえに、人にかかる神様自体も淘汰される事態になっているので、神様からすれば、誰か人にかからなければ、自分が消滅していく可能性すら出て来た。

そうして、最後は独りの人に独りの守護神がついて、弥勒の世では一体として動くということになるのだ。

これまで数ある神示神典が「身魂を磨け」を言ってきたのは、このためと思われる。

たとえがちょっと変かもしれないが、これはちょうどポケモンのバトル大会のようなものだ。

今まではポケモントレーナーとして、いろいろなポケモンと出会って、その中から好きなタイプのモンスターを選んで育てて、レベルを上げたり、新しい技を覚えさせたりして来たが、大会ではそこに出せるポケモンの数は決まっているので、否が応でも今の自分の立ち位置が固定されるということだ。

そして大会では、これまで自分が培ってきた以上の自分にはなれない。

他の人の持っている、あの強いポケモンが欲しいと、どれだけ思ってもそれは手に入らない。しかし、その姿に憧れ、それと同じポケモンと出会って、自分の手で育てることは出来る。否、今までは出来た、というわけだ。

まあ何にせよ、その時が間近に迫っていることは確かだと思う。

Posted on 2017/08/19 Sat. 07:33 [edit]

category: まわりうた

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