03 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 05

花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

はるかさり をかてなほほく
  よきかせか きよくほほなて かをりさかるは

(春が去り 丘で尚祝く 良き風が 清く頬撫で 香り盛る葉)

解説

去るは「(本来は移動する意で、古くは、遠ざかる意にも近づく意にもいう)ある場所から離れる。そこを離れてどこかへ行ってしまう。遠ざかる。」「 時・季節などが近づく。巡ってくる。」、祝く(ほく)は「祝い言を唱える。ことほぐ。祝う。」、清いは「にごりやけがれがない。きれいである。さわやかだ。」、盛るは「にぎわう。栄える。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「春が去り」の解釈が難しい。去るは「遠ざかる」だけでなく「近づく」の意味でも使われるが、本来は移動する意味だという。よって、この歌の「去り」は、今を起点として、やって来た春と過ぎ去っていく春の、その真ん中にある春というニュアンスで捉えたい。つまり概念的な春ではなく、今まさにやって来て過ぎ去ろうとしていく、臨場感溢れる春の様子と捉えたいということ。

意訳

やって来た春は、今まさに過ぎ去ろうとしているけれども、丘ではなお、この季節を祝うかように良い風が吹き、さわやかに頬を撫でていく。(風に乗って来る)緑の香りと、さやさやと音を立てて賑わう葉もまた、春らしいなぁ。

Posted on 2017/04/28 Fri. 10:42 [edit]

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28

まわりうた 

はるのいけ とほのそらてり
  ほのかなか のほりてらその ほとけいのるは

(春の池 遠の空照り 仄かな香 昇り寺苑 仏祈る場)

解説

遠(とお)は「‘とおつ’‘とおの’の形で、または直接に名詞の上に付き、遠いことの意を表す。」、香(か)は「におい。かおり。」、苑(その)は「庭。庭園。また、花・野菜・果樹を栽培する区域。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

Posted on 2017/04/27 Thu. 19:52 [edit]

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27

まわりうた 

なかきよの こころいきより
  むけんかん けむりよきいろ ここのよきかな

(永き代の 心意気より 無限間 烟良き色 此処の良きかな)

解説

心意気は「性格。気性。気質。」「真情。こころね。」、烟(けむり)は「水蒸気。霞(かすみ)。霧。もや。塵(ちり)。▽けむりのようにたなびいたり、かすんだり、立ちのぼったりするもの。」「炊事のけむり。▽暮らし・生活を意味する。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「MELKABA」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

まあ要するに、これまでの長い道のりで得た体験により、それぞれの身魂の色が決まり、それに応じて各々の生活様式が必然的に決まって、それ相応の天国に住むことになる、ということだろう。

根拠はないが、この「烟」は霊体の本質、という感じを受ける。無限に続く世界で、自分が自分でよかった、と皆が言えるようになるのだろう。これまでの時代には一度も見られなかった、大変有り難い時代になってきたようだ。

Posted on 2017/04/27 Thu. 10:06 [edit]

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27

まわりうた 

なかきよの ひかるまとてき
  ときのまの きときてとまる かひのよきかな

(永き代の 光る窓出来 時の間の 来と来て止まる 佳美の良きかな)

解説

時の間は「少しの間。きわめて短い時間。つかのま。」、来と来(きとく)は「遠くからはるばるやって来る。」「次々と来る。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

雑感

窓は真戸、真音かしらね。真十(まど)で真神という意味ならば、窓は「ウ+公+心」なので、皆に公の心が生まれるとも受け取れる。我善しと対極にある公の心、即ち良心であろう。

或いは○十(まど)とすると、○(始め)と十(終わり)が同時に出来て、という意味にもなるかもしれない。だから「永き代」がついている。始めと終わりが同居している世界、中今の世界ということかと思う。

だから「止まる」が、十(と)の○(まる)となって、表の○から十(まど)と裏の十から○(とまる)がそれぞれ至って、表の11(○~十)と裏の11(十~○)が合わさって22となり、ここに二二(ふじ=不二)の世界が現れるということであろう。

石器時代から現在まで、物質的には○から十へと発達したと言えるが、精神的には十から○へと退化したと言える。この全てを体験して、新しい窓が開かれるのであろう。

また窓は英語でwindowだが、ここには風(wind)が含まれている。火(精神)と水(物質)の道の流れが、究極にまで極まることで、その中心に風が起こるということなのかもしれない。これによって、これまで火水(ひみつ=秘密)であったものが、火風水(ひふみ=一二三)となり、今までとは全く違う新しい道が一、二、三と進んでいく、とも読み取れる。

というかまあ、シンプルに考えると、個人的には「光る窓」は、ひところ騒がれたクオンタムリープ(量子的飛躍)の意味に受け取れる。そしてそのあまりの激しい変化がゆえに、瞬間、時が止まったかのようなインパクトとなる、ということなのだと思う。

Posted on 2017/04/27 Thu. 08:52 [edit]

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27

まわりうた 

なかきよの かなしきのかれ
  たいうちう いたれかのきし なかのよきかな

(長き世の 悲しき逃れ 大宇宙 至れ彼の岸 仲の良きかな)

解説

彼(か)は「遠称の指示代名詞。話し手や聞き手からともに離れた物や人をさし示す。かれ。あれ。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「MELKABA」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/27 Thu. 08:18 [edit]

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27

まわりうた 

しけるはの きとくさかをり
  かひなはな ひかりをかさく ときのはるけし

(繁る葉の 木と草香り 佳美な花 光り丘咲く 時の遥けし)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、遥けしは「空間的・時間的に遠くへだたっている。はるかである。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/26 Wed. 21:21 [edit]

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26

まわりうた 

ひたちはて みしひんかしに
  のありけり あのにしかんひ しみてはちたひ

(日立ち果て 見し東に 野ありけり あの虹甘美 沁みては千度)

解説

東(ひんがし)は「ひがし。」、甘美は「うっとりと快く楽しい・こと(さま)。」、千度は「回数の非常に多いこと。千回。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/26 Wed. 19:28 [edit]

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26

まわりうた 

とものひか なみてろくかい
  かくのまの くかいかくろて みなかひのもと

(友の悲歌 並みて六骸 核の間の 苦界各炉で 真中火の元)

解説

悲歌(ひか)は「悲しみの気持ちを表した歌。悲しい調子の歌。また、死者をいたむ歌。エレジー。」「悲しみ歌うこと。」、並むは「並ぶ。連なる。」、六骸(ろくがい)は「人体を構成する六つの部分。すなわち、頭・胴・両手・両足。りくがい。」、苦界(くがい)は「苦しみの多い世界。生死を繰り返して流転するこの世。人間界。」、炉は「金属などを加熱して溶かしたり化学反応を起こさせたりする装置。」、真中(みなか)は「真ん中。」、火の元は「(火事の原因になるような)火の気のある所。」の意味です。

余談

この歌は、「交響組曲 ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち」の中にある「エレジー~不思議のほこら」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

あろうことか、北朝鮮からミサイルが飛んで来るかもしれないこの時期に、佐賀県知事の同意を受けて、玄海原発の再稼働が年内にも実現しそうだという。ある程度この流れは予想していたものの、ひょっとすれば今回の軍事危機によって流れが変わるかもしれない、との淡い期待があったが、見事に打ち砕かれた。このような状況でも再稼働するのであれば、今後どのような状況であっても再稼働の流れになるだろう。

たとえば、夜○時以降は計画的に停電するなどして、一部不都合が出ても再稼働しない方向で行く、という流れには出来なかったのだろうか。いや、熟慮を重ねてこのような結果になったのだから、おそらく出来なかったのだろう。

詰まるところ、これでもう日本は完璧に終わったように思う。福島と違って玄海原発に事故が起きれば、当然のことながら偏西風に乗って、日本の九州・四国・本州の国土の大部分が放射性物質で汚染されることになる。

今回のことを一つの型示しと見れば、どこかの時点で、いずれ限界(げんかい)を超えて、日本中に放射性物質(特にウランとプルトニウム)が未来永劫、半永久的に降り注ぐことになるだろう。

ウランはウラノス(天空神)、プルトニウムはプルート(冥界の王)が語源らしいが、そうなれば、天上の王と冥界の王が同時に日本に降臨することになる。

ふと下記部分が思い出されて、何とも、もの寂しいばかりである。

火水伝文参照。

「 汝等盲しいた由、段々に語り聞かす外なきも情けなきが、暫し止むなし。なれど、日本は元のキの国。ヒの元つ国。マコトの国なるを覚え置き下されよ。今の人民様にはわかるまいなれど、スミキリてくれば段々にわかりて来ることぞ。
 そは始源の時、宇宙創りた、元つ神の神仕組みなり。マコト、マコトに尊き御国。ヒノモトの国は元つ神のご神体そのものなるぞ。今この時、ハキリ他国とタテワケ肝腎ぞ。ヒノモトなければ外国ないぞ。外国ありてヒノモトあるのでないぞ。ヒノモトありて外国あるのぞ。それ由、日本は世界の雛形と申して居る。区別大切ぞ。差別でないぞ。区別することが平等であるぞ。区別タテワケせぬことが不平等であるのぞ。取り違えしてはならん。
 汝等のご身体見て御座れ。宇宙コトワリの似姿なるぞ。頭は頭。胸は胸。手足それぞれの区別してタテワケ、ハタラク仕組みなり。日本は世界の真中のヘソの国。肚の国なるぞ。元つキの国。元つ神気いずる国なるぞ。これ日本の尊き御ハタラキなり。日本大切と申すこと、ここより外に元つ神気いずる国、なきが由ぞ。これあるによりて地球のケガレ、元の元つ国なる日本が背負わねばならんのじゃ。
 こ度の天意転換は、この宇宙創りたる始源より決まりてありたことなのぞ。汝等の宇宙、光ひとつ上ぐる仕組み、七つに別けて進み来たりたのじゃ。こ度がその最期なり。七期目の仕上げの時になりたのじゃ。しかあれ、こ度の大変は天意転換なるが由でなきこと、先ず知りおきて下され。世界の人民様ケガレ無くありたなら、マコト麗しき幕の上がりでありたのじゃ。なれどケガレ逆巻く気枯れ世と成り成してしもうたが、こ度の大変招きしワケ成るぞ。
 こ度ケガレ祓うは元つ神なるぞ。こ度はハラとアタマの戦ぞ。神力と学力の戦いであるぞ。アタマ『あやま知』用いて汝等の神気いずるを封じ込め、さんざん世を気枯れケガラし【マコト】無き世と成さしめたのじゃ。神にはアタマを操るの仕組みし企み、すべて解かりて居る由、最後の最後の最後のところで見事ひくり返し、あっぱれ新しき御代建てるも心配無きが、人民様にはこれよりひと苦労ふた苦労、地獄の苦労もせなならん者もあるから、しっかり【マコト】持ち行きて下されよ。汝等、悪神の仕組みし企み知るよりも三真釣り持ち行く【マコト】大切なるを忘るなよ。それ無くば、何を知りてもご無念ぞ。
 日本の大変が酷いのは上に立つお偉い様方、ヒノモトは《元つキの国》なるを『あやま知』に惑わされすっかりだまされ忘れ去り、神気息も出来ぬほどにケガレ気枯らしてしもうたが由なるぞ。汚してはならぬ元つ神のご神体でありたのじゃ。汚したるご無礼、末代ワビつると申せど取り返しのつかぬ事でありたのじゃ。一度は日本はもう潰れたと、誰もが思うひどき有りざまにせなならぬ。神も辛いがこれも人民様にマコト無きが由ぞ。マコト無き所にマコトの神は降りぬのぞ。」

「 三千年の昔より、汝等には解からぬよう汝等の心身の薄弱化を図り続け来たる力ありたぞよ。そは汝等の身魂捕らえるがためぞ。汝等の心、曇り曇らせ汝等の光輝忘却させ、自ら思考する事の出来ぬ獣と化さしめ、欲望のままに生くる者となさしむるがためぞ。そは汝等アメとムチにて治めんがためなるぞ。そは己が野望を成就せんがためなるぞ。そは自ら地球の盟主とならんがためでありたのじゃ。
 汝等を獣化せしむるに用いたる、主たる力が『あやま知』なるぞ。かの力、侮りてはならんと申した事、こ度の人類の歴史、彼等の思うどうりに描かれ来たりたの見つれば得心致すであろうがな。汝、幾度もの転生揺りかごから墓場までどぷりと彼等の作りせし世で過ごし来たりたのぞ。三千年の企みぞ。そ度『あやま知』に囚われ囚われ苦しみ来たったのぞ。ソクラテス殺せし力も、イエス殺せし力も『あやま知』なるぞ。マコト唱えし者殺しマコト覆い隠せし力『あやま知』なるぞ。『あやま知』言うも直接手を下せしは『あやま知』に囚われたる人民様でありたのぞ。ここそ『あやま知』の狙うた企みぞ。果であるぞ。力であるぞ。
 『あやま知』仕掛けた者ども、この力よく知りておる。本来チカラ無きも知りておるのじゃ。悪は苦労に甘いから、知らず誉め称える人民様ばかりじゃ。誉めて力与えしも人民様ご自身なるぞ。誉め称える度毎に汝等の身魂、曇りに曇りて行きたのじゃ。ワナにはまりて行きたのぞ。治め易き獣と成り果てたのじゃ。
 『あやま知』操る者どもも『あやま知』振りまく害悪を、知るが唯一の者なれば自ら冒され無き者と、勝ち誇りておるなれど、こ度は悪の影さえ残さぬのざから最期の仕上げを見てござれ。こ度の相手は元つ神ぞ。決死の覚悟で来てござれ。
 しかあれ、彼の者どもも始源の時汝等と共に『囚われ』の重き病みにかかりた者でありたのじゃ。このこと彼の者どもも知らず。由に『我善し』と思うておるのじゃ。この事、こ度に関わる深因なるゆえ覚えおきくれよ。後に解かるぞよ。
 今、最期の時。彼等の企み、彼等の申すとうり九分九厘成功しておるのぞ。彼等の企み最も鮮やかに花開きたるは日本なるぞ。汝、気付かぬか。日本の人民様見てご戯れ、上から下まで見てご戯れ。彼等の言うた〈自ら思考する事の出来ぬ〉人民様や〈欲望のままに生くる〉人民様ばかりの世になりなりておろうが。ここそ『あやま知』に見事にはめられし果ぞ。実ぞ。証ぞ。破滅の花でありたのじゃ。
 破滅の花はこわいぞ。欲心の種何処ともなく寄り付きて汝に芽吹くが由なるぞ。これ大事なことぞ。汝『あやま知』にどぷりと囚われておるが由、関わり無きと申すなれど、汝の持ちたる衣の糸引いて見て下されよ。食の糸引いて見て下されよ。住の糸引いて見て下されよ。衣食住その糸引きたる先見れば、商人がいるであろうが。更に引きたる先見れば工場見えるであろうが、農場見えるであろうが。さてその先に、汝何を認めしか。汝等日々ほとんど省みし事なきが、そは資源ぞ。汝等の創りたりえぬモノぞ。天恵ぞ。水ぞ。油ぞ。食物ぞ。鉱物ぞ。森林ぞ。海洋ぞ。地球ぞ。すべてのすべて神なるぞ。
 汝等この天恵なくば一日たりとも生きてはおれんのぞ。されば汝等一人一人にその糸集まりきておろうが。されど汝等、自然とあまりにも隔たされ過ぎたるが由に衣食住の本義忘れ、ただただ『あやま知』たる衣食住むさぼり生くるようになりてしもうたのじゃ。食えば食ほどゼイに入り、着買え着捨つる狂り返し、住むに不自然作り上げ怪適かなえる物集み、『あやま知』病みたる欲望の糸引く勢い増しに増し、『我善し』消費の限り尽く。引かれし糸の先見れば、ワガ国ばかりか他国まで天恵むさぼり略奪の汚名頂く様となる。三千年の策略に、まんまとはまりし由なれど、成せしは汝の罪なるぞ。天恵とられし国々は、衣食貧しく住難く、辛き思いの国なるぞ。物心飢餓の国作り、地球の環境悪化させ、騒ぎ起きれば人ごとの、援助、援助と騒ぎ立て、汝の成せしは自覚無く『あやま知』たてたる援助にて、金出し、口出し、手を出して自国ばかりか他国まで利権むさぼり食い尽くし。『あやま知』散々ばらまきて、山死ぬ海死ぬ心死ぬ、貧富逆巻く悪き世にさせたが日本の罪なるぞ。寝ぼけマナコに在りては危ういぞ。こ度の大変、悪神は日本の人民様餌食に致してやり通す、申す声聞こえんか。これより日本を世界の悪者に成す仕組み、どんどん表に顕れ来るぞ。出て来てから騒ぐなれど後の祭りじゃ。真釣りは真先でなくてはならんのじゃ。これで少しは解かりたか。
 汝、外に悪認めしと申すなれど、悪現われたる元見れば、汝の手元に結ぶのぞ。汝の集めしその糸は『我善し』汝のご都合に合わせ作らる欲糸ぞ。『あやま知』生みたる悪の糸。汝の育む欲糸じゃ。汝の厭う原子力、背後で育む悪親は『あやま知』病みたる汝等の『我善し』使うる電力のひたすら消費が真の親ぞ。汝等、悪滅っせんと申すなれど、握りた糸切ったかや。汝等欲糸引かずば悪育たず。生ぜず。自ら滅するの他無きであろうが。糸切りて滅びる産業、悪の業と知る時ぞ。慘業でありたのじゃ。滅びる他に無きものでありたのじゃ。お役目終わりぞ。」

「 三千年に渡り仕組み参りた、『魔釣り』の表を操る蛇の者共は、《身欲》を餌に金で釣りて思想を煽り、継ぎ接ぐ学にて仕組み説き、真釣り外せし枝だの葉の形を基の科学にて、思うが御代を造らんと成し来たりたのぞ。末代マコトに至れぬ、善を偽る『あやま知』で、『ウソ』を基の策謀で、この世を支配し参りたのであるよ。なればこれにて幾生も、育たれありた汝等の、ハラの真中に据え立つモノは、汝等が気付き無くありたなら、そは仇恐ろしき『ウソ』にござるが道理であろうが。身欲のためなら節度なく、何でも信じる『ウソ』にござるよ。知らぬは汝等ばかりなり。真中が総ての御座を統べ居るなれば、汝等の総ては、身欲のご都合に魔釣り副う、『ウソ』に依り立ち居るを今今に、ス直に知りて取らるが善かろうぞ。我のハラは大丈夫じゃ等と申して居るのでないぞ。天をも含む地を創り、神をも含む汝等を創りせしこの方の申す事にてある。一言半句の否やも言わせはせぬぞ。今のままでは汝等が危ういから言うて居る。黙して聞くのじゃ。素性卑しき《身欲》の響きを、永きに渡りて忘れる程に、汝等のハラに住まわせ居るから『ウソ』が入りても気付かんのじゃ。ご自身でミタマの検め成しくれよ。
 人民様の曇り様は救い難きに至りた由、多くを伝うも詮無きことなれど、汝等は少しでも曇りたマナコを明なに致すが大事にてござるから、今少し申し置くぞ。汝等は人の生き死の長短を神の無慈悲と嘆ずるが、そも《身欲》が基と知り居るか。短き命は医学の遅れた悲しき事にてござろうか。不慮の事故死は神の無きが証にてござろうか。なれば長く生きるは、医学の進みた嬉しき事にてござろうか。神の座し座す証にてござろうか。人の生き死の長短は、真釣るマコトのコトワリの、大事な情けの仕組みにて、大悲大愛の事にてあるは汝等も、深きところで知り居るなれど、《身欲》な思いが段々と、強きに響きて鳴り来ると、《身欲》を果たす基なる、この身、この時大切と、生くる基のマコトなる、生かされあるを忘れ去り、長きを得るに自らが、《我善し》力と『あやま知』で、長寿を図りた成し様は、真釣り外したそがために、多くのケガレを結び行く、囚われ曇りをカタチ成す、メグリ深める末期道。生かされある申すは、真釣るコトワリに鑑みて、生かす者はどうありても生かし行き、引き上ぐる者はどうありても引き上ぐるが神のオキテなれば、こに身欲人知を持ち込みて、情けの仕組みに仇成すは、カタチばかりのその内に、更なる情けを創り行く、げに恐ろしき魔釣り業。末期の酷きを知りぬるか。
 この方がこう申せば、医学は悪き業じゃ。医者は魔釣りの使い魔じゃ。なぞ取り違え致す底の浅き人民様も居られようから、ちいとご注意申し置くぞ。
 この方は、痛き辛きを治すが『あやま知』申して居るのでないぞ。こを取り違え致しては、片ハタラキの神々や狐や狸の戯言になりてしもうから、ハキリ申し置くぞ。善きか。汝等、真釣り外せば、情けが出くるは申し伝えあろうがな。なればこの世が『欲』と【情け】の両輪で動き参りたは解かりあるな。真釣りを外す度毎に情けをかけて参りた申しあろうがな。大神様は総てを知られ居りて、至誠至愛で汝等に情けをお渡しなされ居るのぞ。汝等の今がか弱き心身で、堪え得る情けをかけるのじゃ。痛き辛きを顕すが情けの表にてござるのぞ。病みたる表の顕れを水を基の医術にて〔治す〕が花の表にござるよ。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ。大神様も共に堪えてござるのぞ。汝一人の痛みで無いぞ。顕幽双方の世界に苦しむ総てのミタマの苦しみを、御身ご一人に移され堪えてござるのじゃ。この世に在りて有るものは総ての総て神なるが由ぞ。解かるでござろうが。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ申したが、こで汝等が、身欲にありて何かの真釣りを外しありた事に気が付きて、自らを生かし支えある元つ天地の深きご恩に、お詫びと感謝の響きが鳴り鳴り出くれば、真釣るマコトがハラに咲くのじゃ。ハラに咲かせた花一輪、こが花の裏にてござるのぞ。こが咲けば顕幽ただちに【直る】を知りて下されよ。外した真釣りのメグル響きも、真釣ろうた申すことにてあるぞ。
 なれど汝等皆々は、何時いつにありても気付けぬままに、水を基の医術のみで【直り】た積もりで〔治り〕て居りて、正味のメグル情けはそのままに、新たに酷きメグリを育み行くのじゃ。外した真釣りは気が付きて、真釣ろう響き出るまでは、万古末代鳴り鳴り響きて消えはせぬ、申したであろうがな。新たな酷きメグリ申すが、難しき病と鳴り行くは解かるであろうが。こが身欲を基の種となす医学の魔化けを促すのじゃ申して居るのぞ。誰ぞが医学の『あやま知』を押し進め参り来たか、これでハキリ解かりたでござろうが。医者の治すが魔釣りで無いぞ。汝の身欲が魔釣りでござる。人を責めむも業を責めむも恥ずかしき限りにてあるよ。汝の身欲が基じゃ。良う目を見開かれて、スミキリてあれよ。
 これで少しは解かりたか。医学に限らず総ての『学』や『業』呼ばれるものは、九分九厘、人民様の《欲》を基と成し居るが由、末のこ度は総て解くぞ。解く申すは新ら魂をお入れ致す申す事にてもあるぞ。何もかも綺麗サッパリ無うなる言うて居るので無いぞ。取り違え致すなよ。『商』の響きは末代無いぞ。そばかりか政治も経済も律法も総て無う成るぞ。タテナオシよりミロク代へ至る暫しの間、三つが一つになりた様なハタラキが在るだけぞ。マコト、ミロク代へ至りなば、農鳴る響き、漁鳴る響き、林鳴る響き、鉱鳴る響き、医鳴る響き、身欲を外したる総ての響き、新ら魂もお入りに鳴られて、一如に鳴り鳴り真釣ろう響きになりて、在りて有るのぞ。真釣りあるだけの、歓喜弥栄の御代と鳴るのじゃ。
 ざから『商』や『業』が無う成る申したは、そを支える初発の基が保身なる、身欲に発し在るからじゃとくどう言うて居ろうが。生かされあるものに保身の必要無きも申したな。逆に真釣るマコトのお邪魔に成るも解かりたであろうがな。今今の『学』や『商』や『業』の発展申すも、『魔釣り』に囚われた申すも、汝等お一人お一人の《身欲》強きが因でありたと、よくよく真ス直に取りて解かりて下されよ。【真中】に《身欲》の『魔釣るあやま知』を据え置くが、いかに気枯れケガレし世と成せしあるか、八御座総てが曇る申したも解かりたであろうがな。なれば、そを基と成したる力持て、力ある。国力ある。申すはマコト恥ずかしき事にてあろうが。ざから恥力じゃ申して居るのじゃ。解かりたか。
 汝は知らず、気付かず。汝の真中に座し座すモノがマコトのモノで無いなれば、総てが総て知らず身欲に仕え魔釣る様になりてしもうのじゃ。真中に座し座す尊きは、マコト火の位の至誠にておわすなれば、心スミキリあらねば適わぬ事ぞ。
 汝等皆々それぞれにマコト聞きワケ護持致し、二(フ)の座、幽の座、心の座、こ度真中の要石、曇りハライて水晶のスミキル素型と鳴り鳴らし、ハキリタテワケ鳴りた火と、マコト組み組み組み結ぶ、水の清きを取り戻す、透け切る一二三(ヒフミ)の神と鳴る。解かりたでござろうか。フミにてマコトを聞きワケて、心の曇りを一つずつ、ハライ落として下されて、見え来るマコトを護持致し、口と心と行いを、違わず顕すそのことが、こ度の汝のタテカエにござるのぞ。タテカエ進みたそれ相応、真中のマコトが肥え太り、段々、真釣りが解かりて来るから、マコト真釣るが進みて参りて、ものごとも楽に進む様に鳴り成りて来るぞ。それまでのひと苦労ふた苦労申して居るのじゃ。苦労の多きはまだまだに、曇りマ釣りて居る由と、自ら厳しく清まるが至誠至楽に至るミチじゃ。励みて下されよ。
 大事なことを申して置くぞ。汝等を至誠至楽に導く、三真釣り鳴り成すに外すは適わぬ基の事であるぞ。外すは適わぬ基申すは元つ天地のご恩の事じゃ。マコト大事な事にてござるのぞ。汝等の思いも及ばぬ、真釣るに外せぬ、大き要のおイノチにござるから、簡単な言魂思いて軽く聞き流し居りては、すべての総てが水の泡と成りてしもうから、一度で取りて真ス直に行じて下されよ。汝等皆々忘れて居りた元つ天地のご恩を今今にハキリ気付きて、汝は知らず冒したとは申せ、汝が産みなされし初発より今今の今に至る迄の、汝の成せしご無礼の数々を、これよりは産な心に立ち戻りて深きお詫びを結ばねば、こ度の後は無きが世と知りて解かりて下されよ。マコト、マコト外せぬ大事なことにてあるを知りて下され。
 汝は知らず、親のご苦労を土台に致して、踏みつけに致して、なお解からず身欲に走りて不平不満を言うて居りたのぞ。子が親を殺すも今世の型示しにござるのじゃ。今世の人民様の有りザマ申すは、皆々九分九厘取り違え致し居りて、身欲を基の生きザマに逆転致して居るが由、天地に仇成すお子と成り果て居るのじゃ。今のままにありては天地の御祖を殺すがオチぞ。御祖を殺してご自身が在ると思いてか。身欲の所行申しても程があろうぞ。神が無くれば何も無い申して居ろうがな。親にお子を殺させる様な惨き真似、させんで下されよ。神、頼むぞ。
 今生の我の身には覚え無き事じゃ、我は清く正しく生きて居る。なぞ恥ずかしき申しザマするで無いぞ。神、恥ずかしいぞ。神の民が恥ずかしきザマに在れば、この方も恥ずかしい申したであろうがな。数うも適わぬ永き幾転生再生におきて、汝が元つ天地のご苦労を感謝も無しに、当然の事と致して、無断で盗み生きた事どもは消せぬ事実にござるのぞ。無から有を創り出せぬ者どもが何故に生きて居られるか、生かされあることに気付きて下されよ。この世に在りて有るものは、木の葉一枚、髪の毛一本、砂利粒一つ、神のものにてあらざるものは何一つあるは適わぬ事なれば、人民様のものは何一つ有りはせんのぞ。無から有を産み出す適わぬ人民様でござるから、元つ資源の【有】持ちて、有なる物々作りておるのでござろうが。汝等支える【元つ有】このまま一挙に引き上げられて、汝等いかで生き行く申すのぞ。そ程大事な元つ天地のご苦労を、身欲利便の好き放題、勝手に持ち荒らしたを泥棒と、申すも尽きせぬ悪き業でござろうが。そを、こは我のものじゃ。こも我のものじゃ等申して、神に無断で勝手に所有致した挙げ句、売り買い致して、相い争うて息も出来ぬ程の我利我利の世と成さしめしもうたではござらぬか。いかで天地を売り買い出くるのぞ。この方、誰ぞに売りた覚えも無くれば、誰ぞから買うた覚えもござらんぞ。無から創りたのじゃ。元つ火の響き鳴り鳴りお出ましなされてお鳴りに成られたのであるぞ。大神様の清き尊き響きを汚すも好い加減にしなされよ。世も持てぬ《我善し》力の天下の大泥棒を魔釣り上げ、『魔釣る経綸』の仕組みある、仕立てし使い魔なる金に、たぶらかされて踊らされ、身も心も腐り切り、挙げて天地を持ち荒らす。身欲に使われるお金も哀れであるが、お金の要るのも今暫しじゃ。マコトは金では買えぬが由じゃ。
 よう聞きあれよ、この天と地に、売り買い出くるものは何一つありはせんのぞ。なれば汝等の有りザマはオカシキ事にてあるを知りて下されよ。そんな事は解かりて居る申すその口、その先で、一筋のマコトもなさず、楽な道ばかりを探し居るはトコトン性根の腐りた証と取りて異存はなかろうな。そんな積もりは無かりた、申し訳無くありた思える鳴れば、産な心に立ち戻り身欲が成せし悪き業、今、今、今に、気付きあるが大事にてあるのじゃ。成せし来た事どもは消せぬ響きにござるから、元つ天地の大神様に、心底からの深きお詫びと感謝の響きを日々に鳴し出されて、これよりは天地の理法に違わぬ、強きス直な性根を磨き出される様、意乗り行じて下されよ。三真釣り持ちてなさるがマコトぞ。解かりたでござろうな。それ無くば、汝の成し来たケガレし響き、一挙に一度で渡すその他に、ケガレ真釣ろうミチは無いのぞ。今今ここに至りて尚、困らせねで下されよ。
 元つ天地のご恩の事をくどくど申し参りたは、汝の【口・心・行】を違えず一如と鳴し行く三真釣りを、護持ご守護致すは改心の、深き浅きで決まりて来るからくどう申して居るのじゃ。改心出くるそれだけで、真釣るを外すが無うなりて来るのぞ。マコトの改心が強き支えと成り鳴りて下さるを、ゆめお忘れ下さるなよ。天地の総ては真釣りあるだけなれば、真釣りが真釣りを助けてくれるのじゃ。
 マコト真釣ろうてあれば、たとえ汝が暑き地にあろうが、寒き地にあろうが、汝に暑き寒きは無いのぞ。そは汝が暑き思わば涼けさが寄りて参るからぞ。汝が寒き思わば暖かきが添いて来るのじゃ。今ザマの汝等に、こを解かれ申すはご無理ご難題なるを知りては居るなれど、こが如きがウソにてあらば、この世に神は座しまさん。真釣り申すは歓喜弥栄じゃ申して居ろうがな。不都合はどこにも無いのじゃ。今ザマの如くに、汝ご自身が暑きを避け寒きを避けむ必要はどこにも無いのじゃ。なれど身欲に囚われあれば話は別じゃ。
 人民様はこに囚われあるから、我知らずとんでもないことを平気で成し参り来たのであるよ。在りて有る総ての響きは大神様の授けものじゃ。そが由、総てに感謝致し一如に真釣ろうが、生かされある汝等の初発のミチにありたものを、汝等は真先に身欲に走りたのじゃ。身欲と感謝は裏表にござれば、感謝あれば身欲生ぜず。身欲あれば感謝生じぬのじゃ。こは解かるでござろうが。感謝は一如に真釣ろう響きにて、身欲はどっちが損か得か、どっちが苦か楽かに分かれ進む分裂の響きにてあるぞ。こが汝等の使い居る知恵の基にござるぞ。こを『分かつ知』申すなり。末代一如に真釣ろえぬ響きでござるよ。こが『あやま知』産み成す母体にてござるのじゃ。汝等が《身欲》囚われ居るから、せっかくのアタマが『あやま知』に走るのじゃ。もったい無い事をなさらいで下されよ。
 善いか、汝等はどっちが苦か、どっちが楽かの快欲に囚われて居る由、総てを二つに分け進み行くのであるよ。神々も汝等も、自らにご苦労致して産まれ出られた訳ではござらぬから、初めから真釣るマコトを知り得ぬも無理なくありたなれど、ちいとはご苦労なされてみれば、感謝の響きも鳴り出して、真釣ろう響きに入るも出くたでござろうに、汝等は楽ばかりを追い求める様になりたが由、苦を知る事になりたのじゃ。感謝の一如に真釣ろう響きにあれば、苦楽一如にあるだけなれば、苦も楽も知る事は無かりたのであるぞ。苦楽に分裂する事は無かりた申して居るのぞ。至楽あるのみでござりたのじゃ。なれど汝等は身欲の分裂する響きに入りて居りた由、どっちが楽かと比ぶるから、楽を知るのに苦も知る事になりてしもうたのじゃ。既にこに感謝の響きは無かろうまい。『分かつ知』で知る言うは、一如に真釣ろうハタラキを二つに分けて知る申す事にてあるのぞ。どっちが早きか比ぶるから、遅きも知る事になるのじゃ。どっちが善きかと比ぶるから、悪きも知る事になるのであろうがな。こも既に感謝の響きは無かろうぞ。心が曇りたが由でござるよ。苦ある悪ある申すなれば、そは『一如に真釣ろう響きを分け知りた』そが事にてごぎろうが。そが真釣りを外した証にてもあるのざぞ。そが汝等の知恵の正体にてもござるのじゃ。なれば『苦』申すは、そが知恵で汝等ご自身が創り出した『苦』なるを知りて下されよ。元つマコトの神真釣りには『苦』は影さえ無いからであるぞ。なれば初発の『苦』より今今に至る総ての『苦』申すものは、そこそ総て汝等の創り出せし『苦』にてあろうがな。こはゆめ忘れて下さるなよ。今に至りては『苦』あるを当たり前ざ思いてござらぬか。『苦』を『楽』に変え行くが人生ざ思いてござらぬか。よう曇りなされたなぁ。
 汝等は『苦』を自らの力にて、『楽』に変え来た如く思い成して居られようが、そうでは無いぞ。逆さじゃ。『楽』に変えた思いて『苦』を創りて居るのじゃぞ。善いか、よう聞きやれよ。自らが創り出せし『苦』を、そも元々無きが『苦』を、『楽』に変え行く申すは、いかなる事にてござろうか。自らが創り出せし『苦』申すは、真釣りを外したが由に現れたのでござるから、汝等のどちらが楽じゃ、どちらが得じゃと比ぶる『あやま知』分かつやり方で、いかで『楽』に変え行く申すのぞ。真釣りを外すやり方では、なさり様が逆様でござろうが。そは『苦』を『楽』に変え行きたにあらざるぞ。現れなされた『苦』を更に、新たな『苦・楽』に分けしめて、新たな『楽』を選び作りたに過ぎぬのじゃ。そは更に『あやま知』病みた申す事にてござろうが。真釣りを更に外し行きた事にてござろうが。真釣り外せば、情けのメグリが『苦』となりて、真釣り外したる事どもを、知らせ参るがお仕組みなれば、そは、新たな『苦』を自ら呼び入れた申すに同じ事にてござろうが。汝等は生くるに現る『苦』を更に、身欲を基の『苦』と『楽』の二つに新に分け進みて参りたのじゃ。ちいとも初発の『苦』は真釣ろい戻れぬばかりか、汝等が『分かつ知』で進めば進む程、新な『苦』を創り続けて参りた申すも解かるでござろうが。逆に分け進みた事どもを、一つに集めなおせば良い等と情け無きことを申して下さるなよ。同じ事じゃ。分け知る世界が見え来るだけで、『苦』はちいとも減りもさん。増えるだけぞ。末代真釣る一如には、至れぬ愚かな浅知恵じゃ。人民様、時が無いのじゃ。好い加減に目を覚まして下されよ。メグル苦楽の輪廻に入りてしもうて居るぞ。
 ついて参りて居るか。人民様の囚われ居る『あやま知』申すは、マコト、オカシキ事にてあるから、無理に解かる必要は無いのじゃが、アタマで着て。アタマで食べて。アタマで住み居る。救い難き者共にハキリ『あやま知』の正体を伝えねばならぬ由、今暫しくどう申すも許して下されよ。ス直に元つ天地の大恩に感謝を致し、今までの有り様を心底より、詫びて改心出くる程の者なれば、こが事は解かり取れねでも善いぞ。難しく思いたら、解かるとこだけ取れば善いのじゃ。心配致すで無いぞ。この方の申したきは、マコトの改心を持ちて三真釣りなされて欲しくあるだけにござるから、【口と心と行い】を違えず一如に真釣ろうご苦労を致して下されば、それで善い。そが一番ぞ。この方もそが一等嬉しいのじゃ。ここまで良く良くついて参りた。もう後少しじゃ。ゆっくり、ゆっくりついて参られよ。この方がお手を引いて居る由、手を離すで無いぞ。解かりたな。
 何でもそうであるぞ。神の真釣りに外れるものは、人、物、事にかかわらず万象万物に渡りて不都合出くるが神法にてあるのぞ。そは真釣り外した情けの知らせあるに、人民様は真釣りを忘れ身欲にどぷり囚われあるが由、身欲勝手に物事を進め成し、次なる不都合現れい出来たるを、あたかも未開な不調和を見るが如く思い為し、自らこそが真釣りを外れたる不調和なるに全く気付けず、更なる欲膨れの手前勝手な思いにて、自らこの世に出せしある、真釣り外した不調和をまたまた身欲で外し行く。こが今ザマの人民様の真姿にてござるぞ。
 善いか、今少し汝等の《身欲》を基の『分かつ知』が、今世の酷きを作り成す、過つ先の狂いザマ、寒暖一つ取り上げて、例えて伝うる事ほどに、自ら辿りて見なされよ。汝等が身欲を基の『分かつ知』で一如の響きの寒暖を、二つに分け知りなされたが、寒いと申せば厚着なし、暑いと申せば薄着なす、『過つカタチ』の産み初めじゃ。このヒノモトは薄布一枚にて、心地良く過ごせる結構な国にてあるのぞ。汝等が一如に真釣ろい生きあらば、その如きカタチにては現れ来ぬものにてあるのじゃ。思いも見て下されよ。どの様な暑きところ、寒きところにありても、生かされあるものは在りて有るのぞ。なれど寒暖に合わせ、自ら真釣ろい授かりたマコトの衣以外なる、『過つカタチ』の肌衣、着替え着捨つる生きものはどこにも無いぞ。この方がその様に創りて有るからじゃ。その地その地の自然と真釣れる様、創りてあるのぞ。まして汝等皆々は、尊き神の鎮まれる尊きお宮と成して創りありたのじゃ。その地その地の気候風土に真釣りて創りしお宮なるぞ。五色人種見てござれ、世界のぐるりを見てござれよ。暑き寒きに真釣れる様、外見も中身も違えて創りてあろうがな。日月の響きも違えば、お土の響きも違うによりて、育む響きも違うて居るのぞ。そのお土より創りた汝等、そのお土より取れしマコトの響きと真釣りて居れば、苦はどこからも産まれはせんのじゃ。
 この方は、寒暖を我慢致せ申して居るので無いぞ。取り違え致すなよ。この方が申すは『苦』から逃れん思うその前に、神と真釣ろう感謝の響く心に在りせば自然と真釣りた善き手立て、顕れ産まれ成り鳴るを、くどう申して居るのじゃぞ。
 真釣りを我慢思うは違うて居るぞ。ヤセ我慢致せ申し居るので無いぞ。汝等が我慢思うは、魔釣る手立ての『分かつ知』で考え居るからじゃ。真釣りに我慢はありもさん。魔釣りから真釣りに変える一時に、鳴りて顕る響き成る『苦』鳴る響きに惑わされては鳴らぬ由、特に注意致し置くぞ。真釣ろう響きでお産まれなされた真コトのカタチと、魔釣ろう響きでお産まれなされた魔コトの『過つカタチ』ハキリ、タテワケ出くる様になりて下され。
 厚着、薄着の事ぐらい、さしたる事では無かろうと、思うが初発の終末の真釣れぬ響きと鳴るのざぞ。この方とて厚着、薄着に目くじら立てて居るので無いぞ。真釣り外すに気が付かず、『過つカタチ』で冒し行く、『あやま知』招く酷き世を知りて解かりて欲しいから、か程くどう申して居るのじゃ。軽く思いた初発から、その先いよいよ見てござれ。身欲で引いた糸先を、曇りたマナコを見開いて、いよいよハキリ見てござれよ。『あやま知』病みたる汝等の、暑き寒きを癒すため衣変え、食変え、住変えて防寒防暑に精を出し、カタチに冷暖魔釣ろわせ、真釣ろう基の自らは、真釣れぬ響きと成りたのじゃ。《身欲》を基に汝等が、寒暖分けたがそのために、防寒防暑の『あやま知』の、科学と呼ばしむ魔釣り業、魔釣るカタチを維持するに、元つ天地の資源から、石掘り燃やして水止めて、都合の好い様使い成し、神の真釣りを外し行き、油汲み上げ好き放題、燃やし化かして真釣ろえぬ、『過つカタチ』に奉仕させ、膨れる身欲を支えんと、魔釣るが求めた原子力、真釣る基はそのままに、カタチばかりに魔釣ろわせ、魔釣るカタチがあり無くば、生くるも難くなる程に、真釣れぬ響きと鳴りた成り。解かりたか。
 汝等皆々、『過つカタチ』で楽を得んと致したのじゃ。苦を避けむと致したのじゃ。そが汝等を破滅に導く、ウソを基の『魔釣りの経綸』とは気付きも出来ず、世を挙げて、専ら身欲を基の『あやま知』で、真釣りを外し続けて参りたのじゃ。一体何をやっているのざ。魔釣りと一如に魔釣ろうてどうするお積もりじゃ。
 寒暖だけにては無いのぞ。汝等は総てに渡りて一如の響きを分け分け進み参りたのじゃ。そ度、科学と技術は押し進み、『過つカタチ』を作り続けて参りたのじゃ。今今は枝葉ばかりの世となりて、真釣るも難き有り様と鳴りて居るのぞ。
 今世の科学言うも技術言うも九分九厘、こが『あやま知』に奉仕する業にてござるのぞ。奉仕する度毎に、真釣りを外して世を荒らす、響きと鳴りたが解からんか。そのままにありては、末代マコト真釣りに奉仕は出来ぬ悪き業ぞ。マコト『分かつ知』の申し子にてござるのぞ。何故こが解からんのじゃ。ス直大切ぞ。」

Posted on 2017/04/26 Wed. 01:16 [edit]

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26

まわりうた 

もくろみの よちすへかその
  にくきなき くにのそかへす ちよのみろくも

(目論見の 輿地統べ父の 憎き無き 国の祖返す 千代の弥勒も)

解説

目論見は「もくろむこと。また、その内容。計画。企て。」、輿地は「大地。地球。全世界。」、統ぶは「(ばらばらのものを)一つにまとめる。」「支配する。統轄する。統治する。」、父(かぞ)は「父(ちち)。」、千代は「千年。非常に長い年月。永遠。」、返すは「帰らせる。戻らせる。」「裏返す。ひっくり返す。」「戻す。返却する。返上する。」の意味です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

内容は見ての通り、国祖が地上世界を統べて、天の大神様にお目にかけるというものです。

Posted on 2017/04/25 Tue. 11:34 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

ちのいのり いたくこんてい
  けちかきか ちけいてんこく たいりのいのち

(地の祈り 抱く根底 気近きが 致景天国 大理の命)

解説

根底(こんてい)は「物事や考え方のおおもととなるところ。根本。」、気近し(けぢかし)は「近い。」「親しみやすい。うち解けている。」、致景は「この上なくすばらしい景色。絶景。」、大理(だいり)は「大きな道理。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「主よ、人の望みの喜びよ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌のニュアンスとしては、地の祈りをその心の根本に置き、その状態に近づく、或いは(地の祈りを実践することで)打ち解けやすい状態でいることが、天にまします神から見れば、この上なく素晴らしい人としての光景であり、そこにこそ天国があり、また大いなる道理としての命のあるべき姿だ、といった感じかと思う。

「地の祈り」が具体的に何を指すのかちょっとよくわからないが、歌の流れ的には、イエスキリストが地上でやったような祈りのように、自分も祈るということだろう。要するに、神様を信じ、祈りながら、自らが善いと思った行いをする、というもの。

自らが思う「善いこと」が、必ずしも神様から見た「善いこと」であるとは限らないが、しかし神様に「我に善いことをなさしめ給え」と思いながらする善行は、少なからず神様に通じるだろうということ。そして、心底祈りながらする善行によって、それが正しく神様に通じる善行へと、当の神様が導いてくれるであろう、ということかと思う。

日月神示参照。

『◎の中のヽの中の◎は一であり、二とひらき、三と生命するぞ。理は一(ヒ)で二(フ)で、三(ミ)であると申してあらう。一(ヒ)も二(フ)も三(ミ)も同じであり、違って栄えるのざ。一二三(ヒフミ)であるぞ。このこと教へられても判るまい。ハラで判る大切こと、ハラ大切ぞ。かたまってはならん。ヽに捉はれるとヽは判らん。地の定規ではかってはならん。如何なる天国も自分でつくるのぞ。そろばん捨てよと申してあらうがな。よろこびは理(ミチ)ぞ。数ぞ。言ぞ。真理ぞ。愛善ぞ。生命のイキと云ふこと判るであらう。天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ。天国は霊人のみの住む所でないぞ。そなた達も今住んでゐるでないか。霊人も現界に住んでゐるでないか。現界をはなれて天国のみの天国はないのであるぞ。故にこそ、現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国へ住める道理ないのぢゃ。アメツチと申してあらう。この道理よくわきまえよ。善とか悪とか真とか偽とか愛とか憎とか申すのは相対の天国ぞ。まことの天国には喜びのみが生きてゐるのであるぞ。喜びの中にとけ入って、喜びのものとなってゐるのであるぞ。喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って、嬉し嬉しとなるのぞ。いらんものは形が変って来る。新しき生命 湧き出るのであるぞ。善が悪と、真が偽と変った時は死となるぞ。その死は新しき別の生命と現はれて、新しき形の、新しき世界の善となり真となるのぞ。善も悪もないのざと申してあらう。善悪はあるが無いのざと申してあること判りたか。自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ。死んだものは新しき形をとって生命するのであるぞ。弥栄の道、神の喜び人間の喜びの中にあるぞ。愛ざと申して愛に囚はれて御座るぞ。真ざと申して真に囚はれて御座るぞ。喜びに生きよ。宗教に囚はれてはならん。道に囚はれてはならん。喜びに生きて、喜びに囚はれるなよ。お互に喜びの湧き出づることでなければ真の愛でないぞ。理(ミチ)でないぞ。天国に理あると申すが、今の人間の申したり、考へたりするやうな道でないぞ。道なき理と申してあらうが。喜びが理であるぞ。嬉し嬉しの理、早う合点せよ。生命栄えるもの皆喜びであるぞ。信仰とは、その喜びの中にとけ入ることぞ。生も死もなくなるのざ。時間や空間を入れるから、知(血)、通はなくなるのぞ。』(白銀の巻 第三帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『理屈は一方的のものぞ。どんな理屈も成り立つが、理屈程 頼りないもの、力にならんものないぞ。理(リ)が◎(カミ)の御能(オンハタラキ)ぞ、よく見極めねば間違うぞ。囚はれるなよ。他の為に苦労することは喜びであるぞ。全体のために働くことは喜びぞ。【光の生命】ぞ。誰でも重荷負はせてあるのぢゃ。重荷あるからこそ、風にも倒れんのざ。この道理、涙で笑って汗で喜べよ。それとも重荷外してほしいのか。重い重荷もあるぞ。軽い重荷もあるぞ。今まいた種、今日や明日には実らんのざ。早く花が見たく、実がほしいからあせるのぢゃ、人間の近慾と申すもの。神の大道に生きて実りの秋(トキ)まてよ。まいた種ぢゃ。必ず実る。誰も横取りはせんぞ。万倍になってそなたにかへると申してあらう。未来にもえつつ現在にもえよ。神相手に悠々と天地に歩め。』(黒鉄の巻 第三帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

Posted on 2017/04/24 Mon. 23:25 [edit]

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24

まわりうた 

なかきよし らくとのせかい
  けかれはれ かけいかせのと くらしよきかな

(長き葦 楽土の世界 穢れ晴れ 佳景風の音 暮らし良きかな)

解説

葦(よし)は「植物アシの別名。」、楽土は「心配や苦労がなく楽しい生活ができる土地。楽園。」、佳景(かけい)は「よい景色。よい眺め。」、音(と)は「おと。ひびき。こえ。」の意味です。

余談

この歌は「EVANGELION:DEATH」の中にある「Kanon D-dur(Quartet)」(パッヘルベルのカノン)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「考える葦」ではないが、聖書の世界観からすると葦は人間の象徴という見方もできる。その昔、人間はもっと巨大だったらしいが、地球の重力や磁場が変わって、遠い未来にもまた大きくなるのかもしれない。何となく日月神示の下記部分が思い出される。

日月神示参照。

『神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ。海の水がシメであるぞ。鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ、よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。よろこびいくらでも生まれるぞ。』(夜明けの巻 第二帖)

Posted on 2017/04/24 Mon. 13:44 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

かみそのの ねつくそんあい
  かせのまの せかいあんそく つねののそみか

(神園の 根付く尊愛 風の間の 世界安息 常の望みが)

解説

根付くは「植えつけた草木が根を張って発育する。」「新しい物事が定着する。」、尊愛(そんあい)は「うやまい愛すること。敬慕。」、安息は「心身をやすらかにし、静かに休むこと。」、常(つね)は「いつでも変わることなく同じであること。永久不変であること。」、望みは「そうしたい、そうありたいと思っている事柄。願い。希望。願望。」「ながめ。眺望。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「イン・パラディズム」(三大レクイエムの一つ フォーレのレクイエム 第7曲より)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

根付くは寝付く(眠りにつくこと)と通じる気がする。題材にしている曲がレクイエム(鎮魂歌)ということで、まあ歌の内容としては、永眠した人が神の楽園へと昇天していく様を描いたもの、と個人的には解釈したいところ。

ようするに、死者を送る者から見れば、神園で眠りについているように見えるが、当の本人にすれば、永眠して、神の楽園にその心の根が張り付く、ということかと思う。早い話が、天国の籍を正式に置く、ということ。

そしてそれはどんな心かというと尊愛の心である。生前、その人が周りに対して敬いや愛する気持ちを持っていたが故に、楽園にて同じように神から敬われ愛される、ということだ。

その次の「風の間の 世界」とは何であろうか。イメージとしては、風が吹くままの世界ということから転じて、自らの内から湧き出ずる心のままに動いていく世界、命の情動のままに動いていく世界、と解釈できそうだ。

「安息 常の望みが」は、こうして命の情動のままに動くので、神の楽園にある霊的な心身は常に安らぎの中にあり、自らの望むままの世界が展開されるということかと思う。

ただこの「望み」は、地上的な欲望のままに動いていく、という意味ではない。歌の前半に「尊愛」とあることから、神の楽園での「望み」とは、これは互いに敬い愛するままにそれぞれの望みが展開され、それが何もかも叶っていくということであろう。

また同時に、この「望み」は主の望みでもあるので、天にまします父なる神とその楽園に居る住人の望みが連動しているということでもあるかと思う。ゆえに、この命の情動がどこから来るかというと天にまします父なる神から来ている、ということになる。

父のチは霊(ち)に通じる。父は霊(ち)の霊(ち)ということであろう。天に昇って霊的な心身を与えられるわけだが、その霊的な心身は、さらにその霊の奥にある精妙な霊の動き、すなわち霊霊(ちち)の動きから出て来る、ということであろう。

そもそも天では何もかも満たされているゆえに、生存競争に基づいた地上的な欲望を持つ必要がなくなる。それとはもっと他の欲望、言わば性欲ならぬ聖欲を持つに至るのではないかと推察される。

聖欲とは、おそらく他の存在との喜びの分かち合いであろう。悲惨な光景を目にすると胸が痛んだり、赤子を見ると心がほっこりしたり、自然に触れると心が和むのは、自分が思う以上に、自分の心は他者と繋がっているという証拠である。

欲望の限りを尽くして、どんなに贅沢したとしても、一人のみの喜びはたかが知れている。さらなる喜びの中に入りたいと思ったら、それは他者と共感して、一緒に喜ぶ他ない。他者と共感するには、相手を敬うとか愛するとか、そういう天国的な心境がどうしても必要だ、ということかと思う。

Posted on 2017/04/24 Mon. 04:48 [edit]

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24

まわりうた 

はるかひの ゆつりてかひの
  さありけり あさのひかてり つゆのひかるは

(春が日の 移りて佳美の 座有りけり 朝の陽が照り 露の光る葉)

解説

春が日のがは「連体修飾格を表す。‘の’と同じ。現代語では文語的表現のみに用いる。多く、所有・所属・同格などの関係を表す。」、移る(ゆつる)は「時間が経過する。うつる。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「ホルベルク組曲~プレリュード あなたとともに」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/24 Mon. 03:05 [edit]

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24

まわりうた 

なかきよは きままのらその
  をさきたき さをのそらのま まきはよきかな

(永き代は 気まま野良園 兎抱き さ青の空の間 牧場良きかな)

解説

野良(のら)は「野。野原。」、兎(おさぎ)は「‘うさぎ’の上代東国方言。」、さ青(さお)は「青。まっさお。」、牧場は「柵などで囲い、牛や馬などを放し飼いにしておく所。ぼくじょう。まき。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「ホルベルク組曲~プレリュード あなたとともに」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/23 Sun. 12:13 [edit]

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23

まわりうた 

なかきより かひののそみか
  きよききき よきかみそのの ひかりよきかな

(永きより 佳美の望みが 清き木々 良き神園の 光良きかな)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、望みは「ながめ。眺望。」、清いは「よごれ・にごり・くもりなどがなく美しい。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「ホルベルク組曲~プレリュード あなたとともに」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/22 Sat. 20:02 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよに もとれはもよき
  しけるはる けしきよもはれ ともによきかな

(永き代に 戻れば萌黄 繁る春 景色四方晴れ 共に良きかな)

解説

萌黄(もよぎ)は「‘もえぎ(萌黄)’の音変化。」、四方(よも)は「東西南北。前後左右。しほう。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「ホルベルク組曲~プレリュード あなたとともに」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/22 Sat. 19:37 [edit]

category: まわりうた

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22

まわりうた 

よみとあき こむをんてきと
  かしりあり しかときてんを むこきあとみよ

(黄泉門開き 籠む怨敵と 呪りあり 確と基点を 酷き後見よ)

解説

黄泉門(よみど)は「黄泉にはいる入り口。」、籠む(こむ)は「ぎっしり詰まる。混雑する。」、怨敵は「深いうらみのある敵。かたき。」、呪り(かしり)は「のろうこと。のろい。」、確と(しかと)は「物事を完全に行うさま。しっかりと。かたく。」、基点は「考えや行動のもととなるところ。」、酷いは「見ていられないくらい悲惨だ。いたましい。」の意味です。

余談

この歌は「イノセンス オリジナル・サウンドトラック」の中にある「傀儡謡_陽炎は黄泉に待たむと」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

日月神示では「キが元」という言葉が何度も出て来る。基点はキ点であり、全ての元の部分の点の意味と解釈したい。

日月神示参照。

『キつけてくれよ、キがもとざぞ、キから生れるのざぞ、心くばれと申してあろが、心のもとはキざぞ、総てのもとはキであるぞ、キは◎(よろこび)ざぞ、臣民みなにそれぞれのキうへつけてあるのざぞ、うれしキは うれしキことうむぞ、かなしキは かなしキことうむぞ、おそれはおそれうむぞ、喜べば喜ぶことあると申してあろがな、天災でも人災でも、臣民の心の中にうごくキのままになるのざぞ。この道理わかるであろがな。爆弾でもあたると思へばあたるのざぞ、おそれるとおそろしことになるのざぞ、ものはキから生れるのざ、キがもとぞ、くどくキづけておくぞ。ムのキ動けばムくるぞ、ウのキうごけばウ来るぞ、どんな九十(コト)でもキあれば出来るぞ、キからうまれるぞ、勇んで神の御用つとめて下されよ。』(磐戸の巻 第二帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『神第一とすれば神となり、悪魔第一とすれば悪魔となるぞ。何事も神第一結構。カイの言霊(かへし)キざぞ。キが元ぞと知らしてあろが、カイの御用にかかりてくれよ。何と云ふ結構なことであったかと、始めは苦しいなれど、皆が喜ぶ様になって来るのざぞ。先楽しみに苦しめよ。ぎゅうぎゅうと、しめつけて目の玉がとび出る事あるのざぞ、そこまでに曇りて居るのざぞ、はげしく洗濯するぞ。可愛い子、谷底に突き落さなならんかも知れんぞ、いよいよ神が表に現はれて神の国に手柄立てさすぞ、神国光り輝くぞ。日本にはまだまだ何事あるか判らんぞ。早く一人でも多く知らしてやれよ。タマ磨けば磨いただけ先が見えすくぞ。先見える神徳与へるぞ。いくらえらい役人頑張りても今迄の事は何も役に立たんぞ。新しき光の世となるのぞ。古きもの脱ぎすてよ、と申してあろがな。まこと心になりたならば自分でも判らん程の結構出て来るぞ。手柄立てさすぞ。いくら我張りても我では通らんぞ。我折りて素直になりて下されよ、これでよいと云ふことないぞ。いくらつとめても、これでよいと云ふことはないのざぞ。神の一厘のしぐみわかりたら世界一列一平になるぞ。ますかけひいて、世界の臣民、人民 勇みに勇むぞ。勇む事 此の方 嬉しきぞ。富士は何時爆発するのざ、何処へ逃げたら助かるのぞと云ふ心 我れよしぞ。何処に居ても救ふ者は救ふと申してあろが。悪き待つキは悪魔のキざぞ。結構が結構生むのざぞ。』(水の巻 第十一帖)

『キが到ればモノが到る。モノを求める前にキを求めよ。めあてなしに歩いたとて、くたびれもうけばかり。人生のめあて、行く先の見当つけずに、その日暮しの、われよしの世となり下がってゐるぞ。めあては◎のヽでないか。ヽに向かないでウロウロ。草木より、なり下がってゐるでないか。為すとはイノること。人の為にイノるは、己の為にイノること。今の人民、イノり足らん。』(黒鉄の巻 第三十五帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『何事に向っても先づ感謝せよ。ありがたいと思へ。始はマネごとでもよいぞ。結構と思へ。幸と思へ。そこに神の力 加はるぞ。道は感謝からぞ。不足申せば不足うつるぞ。心のままとくどう申してあろうが。病気でないと思へ。弥栄と思へ。病治るモト生れるぞ。キがもとぞ。何事くるとも何クソと思へ。神の力 加はるぞ。おそれはおそれ生むぞと申してあろうが。一聞いて十さとらねばならんぞ。今の人民には何事も平面的に説かねば判らんし、平面的では立体のこと、次元の違ふことは判らんし、ハラでさとりて下されよと申してあろう。』(春の巻 第三十六帖)

Posted on 2017/04/22 Sat. 18:05 [edit]

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22

まわりうた 

すそてまた とこよてひはい
  をへててて へをいはひてよ ことたまてそす

(呪詛でまた 常夜で疲憊 終へて出て 辺を祝ひてよ 言霊で蘇す)

解説

呪詛(ずそ)は「神仏や悪霊などに祈願して相手に災いが及ぶようにすること。のろうこと。じゅそ。」、常夜(とこよ)は「いつも夜であること。常闇(とこやみ)。」、疲憊(ひはい)は「疲れ果てて弱ること。疲労困憊(ひろうこんぱい)。」、辺(へ)は「辺り。ほとり。そば。」、てよは「完了の助動詞‘つ’の命令形。」、蘇す(そす)は「生き返る。よみがえる。」の意味です。

余談

この歌は「イノセンス オリジナル・サウンドトラック」の中にある「傀儡謡_陽炎は黄泉に待たむと」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

世の中や、或いは特定の何かや誰かを呪って、またその闇夜の中で一人疲労困憊しているのですか。もうそろそろ、そのようなつまらないことは早く終えて、その場所から出て、今あなたが居る周りを祝ってみなさい。言葉に出して祝ってみなさい。そうすれば、その言葉の力によって、あなたはたちまち蘇るでしょう。あなたが蘇るということはこれ即ち、この世界が蘇るということでもあるのですよ。

Posted on 2017/04/22 Sat. 14:38 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよの とかてりあまつ
  のりとこと りのつまありて かとのよきかな

(永き代の 音が照り天津 祝詞言 理の端在りて 下土の良きかな)

解説

音(と)は「おと。ひびき。こえ。」、天津(あまつ)は「天の。天空の。」、祝詞言(のりとごと)は「‘のりと’に同じ。」、端(つま)は「いとぐち。てがかり。端緒。」、下土(かど)は「(‘かと’とも)大地。下界。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/21 Fri. 19:20 [edit]

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21

まわりうた 

なかきよの ちたるみくにの
  いれるはる れいのにくみる たちのよきかな

(永き代の 千足る神国の 入れる春 霊の肉見る 太刀の良きかな)

解説

千足る(ちたる)は「十分満ち足りている。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容をそのまま解釈すれば、ヒトの中の善的な部分と悪的な部分との切り離しが行われ、悪的な部分を全て断ち切った上で神国に入れる、ということではないかと思う。

深読みすれば、今の穢れ切った自分が一度全て無くなって、一度死んで、その上で改めて、光的自分、神道的にいうなら正守護神と一つとなり、さらに本守護神のご加護の下、神国に入る、という段階を踏むのではないか、と読み取れなくもない。

Posted on 2017/04/21 Fri. 18:22 [edit]

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21

まわりうた 

なかきよの せいゐきしりて
  うちはしは ちうてりしきゐ いせのよきかな

(永き代の 聖域知りて 宇治橋は 宙照りし貴威 伊勢の良きかな)

解説

聖域は「神聖な地域。神社・寺院の境内、神が宿るとされる所など。」、宙は「大空。空中。」、宇治橋は「三重県伊勢市の五十鈴川に架かって、伊勢神宮内宮の表参道に通じる橋。」、貴威(きい)は「貴さのある威光。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

永遠の聖なる場所を知ることができて(感無量です)。(先ほど渡って来た)宇治橋は、天に照っていた貴い威光に満ちていた。あぁ、伊勢は素晴らしいなぁ。

雑感

日の光と言えば、日月神示の「与える政治」が連想される。

尽きることのない光を常に分け与えながら、善人悪人分け隔てなく全てを育む太陽の姿を見れば、私達の社会が本来どのようなやり方をするべきかは明白ではないだろうか。

そのやり方とは、何もかも無料にして、皆がタダ働きして天地に奉仕するやり方である。

神示では「それぞれの岩戸あるぞ」(下つ巻 第二帖)とあるが、経済的な岩戸開きが、このやり方に移行することではないかと推察される。

日月神示参照。

『親と子であるから、臣民は可愛いから旅の苦をさしてあるのに、苦に負けてよくもここまでおちぶれて仕まうたな。鼠でも三日先のことを知るのに、臣民は一寸先さへ分らぬほどに、よう曇りなされたな、それでも神の国の臣民、天道人を殺さず、食べ物がなくなっても死にはせぬ、ほんのしばらくぞ。木の根でも食うて居れ。闇のあとには夜明け来る。神は見通しざから、心配するな。手柄は千倍万倍にして返すから、人に知れたら帳引きとなるから、人に知れんやうに、人のため国のため働けよ、それがまことの神の神民ぞ。酒と煙草も勝手に作って暮らせる善き世になる、それまで我慢出来ない臣民 沢山ある。早く◎(モト)の神の申す通りにせねば、世界を泥の海にせねばならぬから、早うモト◎心になりて呉れよ、神頼むぞよ。盲が盲を手を引いて何処へ行く積りやら、気のついた人から、まことの神の入れものになりて呉れよ、悪の楽しみは先に行くほど苦しくなる、神のやり方は先に行くほどだんだんよくなるから、初めは辛いなれど、さきを楽しみに辛抱して呉れよ。配給は配給、統制は統制のやり方、神のやり方は日の光、臣民ばかりでなく、草木も喜ぶやり方ぞ、日の光は神のこころ、稜威ぞ。人の知恵で一つでも善き事したか、何もかも出来損なひばかり、にっちもさっちもならんことにしてゐて、まだ気がつかん、盲には困る困る。救はねばならず、助かる臣民はなく、泥海にするは易いなれど、それでは元の神様にすまず、これだけにこと分けて知らしてあるに、きかねばまだまだ痛い目をみせねばならん。冬の先が春とは限らんぞ。◎の国を八つに切って殺す悪の計画、◎の国にも外国の臣が居り、外国にも神の子がゐる。岩戸が明けたら一度に分かる。』(上つ巻 第二帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『今の政治はむさぶる政治ぞ、神のやり方は与へぱなしざぞ、@(ウズ)ぞ、マコトぞ。今のやり方では世界は治まらんぞ、道理ぢゃなあ。天にはいくらでも与えるものあるぞ、地にはいくらでも、どうにでもなる、人民に与へるものあるのざぞ、おしみなく、くまなく与えて取らせよ、与へると弥栄へるぞ、弥栄になって元に戻るのざ、国は富んで来るぞ、神徳 満ち満つのぢゃ、この道理判るであらうがな。取り上げたもの何にもならんのぢゃ、ささげられたものだけがまことじゃ、乗るものも只にせよ、田からも家からも税金とるでないぞ、年貢とりたてるでないぞ、何もかも只ぢゃ、日の光見よ、と申してあらうが、黄金(きん)はいらんと申してあろが、暮しむきのものも只でとらせよ、只で与へる方法あるでないか、働かん者食ふべからずと申す事 理屈ぢゃ、理屈は悪ぢゃ、悪魔ぢゃ、働かん者にもドシドシ与へてとらせよ、与へる方法あるでないか、働かんでも食べさせてやれよ、何もかも与へぱなしぢゃ、其処に神の政治始まるのぢゃぞ、神の経済あるのぢゃ。やって見なされ、人民のそろばんでは木の葉一枚でも割出せないであらうが、この方の申す様にやって見なされ、お上は幸でうもれるのぢゃ、余る程与へて見なされ、お上も余るのぢゃ、此の道理判りたか。仕事させて呉れと申して、人民 喜んで働くぞ、遊ぶ者なくなるぞ、皆々神の子ぢゃ、神の魂うゑつけてあるのぢゃ、長い目で見てやれ、おしみなく与へるうちに人民 元の姿あらはれるぞ。むさぶると悪になって来るのぢゃ、今のさま見て改心結構ぞ、そろばん捨てよ、人民 神とあがめよ、神となるぞ、泥棒と見るキが泥棒つくるのぢゃ、元の元のキの臣民 地(くに)の日月の神ぢゃと申してあろがな。』(光の巻 第三帖 @は原文では「渦巻き」の形)

『あら楽(たぬ)し、あなさやけ、元津御神の御光の、輝く御代ぞ近づけり。岩戸開けたり野も山も、草の片葉(かきは)も言(こと)止(や)めて、大御光に寄り集ふ、誠の御代ぞ楽しけれ。今一苦労二苦労、とことん苦労あるなれど、楽しき苦労ぞ目出度けれ。申、酉すぎて戌の年、亥の年、子の年 目出度けれ。一二三(ひふみ)の裏の御用する身魂も今に引き寄せるから、その覚悟せよ。覚悟よいか。待ちに待ちにし秋来たぞ。八月の七日、アメのひつくのかみ。 ひふみ、よいむなや、こともちろらね、しきる、ゆゐつわぬ、そおたはくめか、うをえ、にさりへて、のます、あせえほれけ、八月八日、秋立つ日、アメの一二のおほかみ。』(夜明けの巻 第十二帖)

下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

宇治橋は宇宙を治める橋(梯)とも読めることが出来よう。いち早く「与える政治」のやり方に移行して、皆が安心して暮らせる、嬉し楽しのミロクの世への架け橋とするべきだ。

Posted on 2017/04/21 Fri. 16:39 [edit]

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21

まわりうた 

みなきよる かひのきしへの
  きおくとく おきのへしきの ひかるよきなみ

(皆来寄る 佳美の岸辺の 記憶解く 沖の辺四季の 光る良き波)

解説

来寄る(きよる)は「寄せて来る。寄って来る。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、岸辺は「岸のほとり。陸が水に接するあたり。」、辺(へ)は「そのものにごく近い場所、また、それへの方向を示す。近く。ほとり。あたり。」の意味です。

余談

この歌は、元ちとせさんの「いつか風になる日」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/20 Thu. 19:11 [edit]

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20

まわりうた 

ひろきかせ とちはるうみに
  もやてりて やもにみうるは ちとせかきろひ

(広き風 閉ぢ春海に 靄照りて 八方に見得るは 千年陽炎)

解説

靄(もや)は「大気中に無数の微小な水滴が浮遊し、遠方がかすんで見える現象。気象観測では視程1キロ以上の場合をいい、1キロ未満の霧と区別する。」、八方(やも)は「八方の方面。転じて、あらゆる方向。四方八方。」、千年(ちとせ)は「千年(せんねん)。多くの年。長久の年月。」、陽炎(かぎろい)は「明け方の空の明るみ。曙光。」の意味です。

余談

この歌は、元ちとせさんの「いつか風になる日」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/20 Thu. 16:46 [edit]

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20

まわりうた 

なかねふり かひのちみなき
  よきめさめ きよきなみちの ひかりふねかな

(長眠り 佳美の地見和ぎ 良き目覚め 清き波路の 光船かな)

解説

長(なが)は「 他の語の上または下に付いて複合語をつくり、ながいことの意を表す。」、眠る(ねぶる)は「‘眠る(ねむる)’に同じ。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、見和ぐ(みなぐ)は「見て心がなごやかになる。」、波路(なみじ)は「船の行く波の上を道に見立てた語。ふなじ。航路。」

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

長く眠っていたが、とても立派で美しい地を見て心が和やかになり、良い目覚めと相成った。これもひとえに、清々しい波路の中を進んでいく、光輝く船に乗っているからだなぁ。

雑感

一つの解釈として、これはミロクの世界に行く船に乗っている人の心境を詠ったものと思われる。

Posted on 2017/04/19 Wed. 21:23 [edit]

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19

まわりうた 

なかきよの ひかりなみかく
  ろみてはて みろくかみなり かひのよきかな

(長き夜の 光り波掻く 櫓見て果て みろく神なり 佳美の良きかな)

解説

櫓(ろ)は「和船をこぎ進める用具の一。ふつう水をかく脚部と手で握る腕部とを、への字形に継いである。脚部にあけた入れ子の穴を、船尾に取り付けた櫓杭(ろぐい)にはめて支点とし、腕部につけた櫓杆 (ろづく) とよぶ突起と船床とを早緒(はやお)で結び、押し引きして水をかき、推進させる。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

長く続く夜の海に、何やら光るものが近づいて来る。波を掻く櫓を見て、(あの船は何だろうと思案した)その果てで気付いたのは、みろく神(を乗せた船)だということだ。あぁ、あの立派で美しい船姿の何と素晴らしいことだろう。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

ちなみに、この歌に出て来る船のイメージは、千と千尋の神隠しに出て来る船に近いです。

Posted on 2017/04/19 Wed. 16:25 [edit]

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19

まわりうた 

なかくさき かみのよみなは
  ことのはの とこはなみよの みかきさくかな

(永く先 神の代皆は 言の葉の 常花三世の 御垣咲くかな)

解説

言の葉は「ことば。言語。」「歌。和歌。」、常花は「いつまでも散らずに咲いている花。」、三世(みよ)は「過去・現在・未来。また、前世・現世・来世の三つの世。さんぜ。」、御垣(みかき)は「宮中や神社などの周囲の垣。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

永きに渡る先の神代では、皆それぞれに使う言葉が大変美しく、過去・現在・未来のどの時代においても、いつも嬉し楽しの話に花を咲かせているなぁ。

雑感

この歌では直接使われていないが「言葉の花」という表現がある。既にご存知かもしれないが、これは「美しい言葉。巧みな言葉。はなやかな言葉。」という意味で使われる。このことも念頭に置いてみると、より歌の内容が楽しめるかもしれない。

また先は幸(さき)に通じているようにも思う。

Posted on 2017/04/19 Wed. 13:15 [edit]

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19

まわりうた 

ててはのち いたきしひにも
  もとりけり とももにひしき たいちのはてて

(出ては後 抱きし日にも 戻りけり 友も新しき 大地の果てで)

解説

新し(にいし)は「あたらしい。」の意味です。

余談

この歌は、ヴァネッサ・メイさんのアルバム「レッド・ホット」の中にある「Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565」(トッカータとフーガ ニ短調)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。ゲーム「luv wave」の中でも、このバッハの曲は使われていたので、それも意識しています。

Posted on 2017/04/19 Wed. 02:02 [edit]

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19

まわりうた 

なかきよら かたにきつきし
  ふくかみか くふしきつきに たからよきかな

(長き夜ら 潟に来着きし 福神が 恋しき月に 宝良きかな)

解説

夜ら(よら)は「よ。よる。」、潟(かた)は「浦。入り江。湾。」、来着くは「到着する。着く。」、恋し(くふし)は「恋しい。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

意訳

長く続く夜、入り江に到着した七福神様たちが、あの恋しく思う月に照らされて、とてもお美しい姿を見せてくれているよ。一方(乗って来た船に積まれている満載の)お宝もまた、素晴らしいなぁ。

Posted on 2017/04/19 Wed. 01:02 [edit]

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19

まわりうた 

つうきなひ くたるしんしう
  ちうまるま うちうしんしる たくひなきうつ

(痛奇な日 降る神舟 地埋まる間 宇宙人知る 類ひ無き渦)

解説

痛奇(つうき)は「ひどく珍しい・こと(さま)。」、類い無い(たぐいない)は「他にくらべるものがないほど、その程度がはなはだしい。」、渦は「入り乱れた、めまぐるしい動き。また、周囲を巻き込みながら一つの方向へ向かう流れ。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「最先(いやさき)と最後(いやはて) -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ふと降りてきたインスピレーションを元に、そのまま書いてみたが、UFOの大群が地上に降りて来るという内容は、さすがにちょっと自分でもどうかと思う。(汗)

Posted on 2017/04/18 Tue. 12:11 [edit]

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18

まわりうた 

はるけしき さくやまさくら
  はやてりて やはらくさまや くさきしけるは

(春景色 咲く山桜 はや照りて 和らぐ様や 草木繁る葉)

解説

はやは「早くも。もう。すでに。」、様は「ようす。ありさま。状態。」、やは「詠嘆の意をあらわす間投助詞。…だなあ。…よ。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「サクヤ姫のテーマ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

目の前には春の景色が広がっている。咲く山桜は早くも照り輝いて、穏やかな様子を見せてくれているなぁ。そして(もちろん桜だけでなく)草木の生い繁る葉も、また同じように。

Posted on 2017/04/17 Mon. 15:19 [edit]

category: まわりうた

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17

まわりうた 

きらくさく ゆめちのいまの
  ゆつりけり つゆのまいのち めゆくさくらき

(喜楽咲く 夢路の今の 移りけり 露の間命 目行く桜木)

解説

喜楽(きらく)は「喜び楽しむこと。また、喜びと楽しみ。」、夢路は「夢を見ること。また、夢。」「夢の中で行き来すること。また、その道。」、移る(ゆつる)は「時間が経過する。うつる。」、露の間は「露がおいてから消えるまでの間。転じて、ちょっとの間。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「MELKABA」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/17 Mon. 10:41 [edit]

category: まわりうた

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17

まわりうた 

しらなみの きよきおとより
  くかねふね かくりよとおき よきのみならし

(白波の 清き音より 黄金船 隠世と沖 良きのみならし)

解説

黄金(くがね)は「金(きん)。おうごん。こがね。」、隠世(かくりよ)は「あの世。黄泉。」、ならしは「…であるよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

意訳

白波の清い音がする方向より、みろくの世の到来を告げる黄金色の船がやって来る。ご先祖様が住まう常世(から来る船)と、(その姿をこの世へ現してくれる)沖の光景を見ていると、ただもう素晴らしいばかりであるよ。

Posted on 2017/04/16 Sun. 16:36 [edit]

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16

まわりうた 

きしにのら くさのひしはる
  けさのひの さけるはしひの さくらのにしき

(岸に野ら 草伸びし春 今朝の陽の 咲けるは至美の 桜の錦)

解説

野らは「野原。野。」、錦は「色彩ゆたかで美しいものをたとえていう語。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/16 Sun. 14:17 [edit]

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16

まわりうた 

しらすなの とこはのまつは
  はまかせか まははつまのは ことのなすらし

(白砂の 常葉の松は 浜風が 舞はば端の端 琴の鳴すらし)

解説

常葉は「常緑の木の葉。ときわ。」、浜風は「浜に吹く風。浦風。」、端(つま)は「はし。へり。」、端(は)は「はし。へり。ふち。」、鳴す(なす)は「鳴らす。」の意味です。

余談

この歌は、吉田兄弟さんのアルバム「Soulful」の中にある「百花繚乱」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

端(つま)は何気、妻(つま)、爪(つま)と掛かっている感じがしないでもない。

意訳

この白砂の常葉の松は、浜風が当たればとても心地良い音を出すのだろう。それはきっと、妻の爪(弾くその手)の端から奏でられる琴の音が、その風に乗って流れて来るからに違いない、といった感じか。

Posted on 2017/04/16 Sun. 00:36 [edit]

category: まわりうた

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16

まわりうた 

しきのかた みあきぬつくり
  かねのねの ねかりくつぬき あみたかのきし

(四季の方 見飽きぬ造り 鐘の音の 音が理屈抜き 阿弥陀彼の岸)

解説

方(かた)は「ところ。場所。」「頃。時分。」、彼の岸は(かのきし)は「迷いを脱し,生死を超越した理想の境地。悟りの境地。涅槃(ねはん)。」の意味です。

余談

この歌は、魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTIONの「Sis puella magica!」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/15 Sat. 04:08 [edit]

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15

まわりうた 

むけすたれ かなたみあけむ
  ひしにむに しひむけあみた なかれたすけむ

(無価廃れ 彼方見上げむ ひしに無二 慈悲向け阿弥陀 流れ助けむ)

解説

無価(むげ)は「値のつけられないほどの高い価値があること。貴重なこと。」、ひしは「災難。身の不幸。破滅。」、無二は「ふたつとないこと。かけがえのないこと。無比。無類。」、慈悲は「仏・菩薩の衆生をあわれむ心。楽を与える慈と苦を除く悲とをいう。」「いつくしみ、あわれむ心。また、情け深いこと。」の意味です。

余談

この歌は、「魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTION」にある「prelude to Act 2」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/15 Sat. 03:17 [edit]

category: まわりうた

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15

まわりうた 

をちのきし なかめよきみる
  ゆくはるは くゆるみきよめ かなしきのちを

(彼方の岸 眺め良き見る 行く春は 悔ゆる身清め 悲しき後を)

解説

彼方(おち)は「多く隔たっている場所を指す。ある地点より向こうの場所をもいう。」の意味です。

余談

この歌は、「魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTION」にある「prelude to Act 1」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/15 Sat. 01:49 [edit]

category: まわりうた

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15

まわりうた 

なかきよて みなみなはるの
  さかりなり かさのるはなみ なみてよきかな

(永き代で 皆々春の 盛りなり 香乗る花見 並みて良きかな)

解説

香(かざ)は「におい。かおり。」、並む(なむ)は「並ぶ。連なる。」の意味です。

Posted on 2017/04/15 Sat. 01:04 [edit]

category: まわりうた

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15

まわりうた 

きつるはに かをりてさくひ
  よものまの もよひくさてり をかにはるつき

(来つる場に 香りて咲く美 四方の間の もよひ草照り 丘に春月)

解説

四方(よも)は「あたり一帯。いたるところ。」、もよい草は「桜の異名。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/15 Sat. 00:38 [edit]

category: まわりうた

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15

まわりうた 

はかなさの よされはあちら
  くさのはの さくらちあはれ さよのさなかは

(儚さの 世去れば彼方 草の端の 桜路あはれ 小夜の最中は)

解説

端(は)は「はし。へり。ふち。」、路(じ)は「名詞の下に付いて、そこを通る道、そこへ至る道などの意を表す。また、その地方の意を表す。」、あはれは「‘をかし’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。」、小夜(さよ)は「夜(よる)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/14 Fri. 23:31 [edit]

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14

まわりうた 

なかきよの こころいまある
  かひのみの ひかるあまいろ ここのよきかな

(永き代の 心今生る 佳美のみの 光る天色 午後の良きかな)

解説

生る(ある)は「神聖なものが出現する。生まれる。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、天色(あまいろ)は「晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色のこと。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「やさしい風がうたう -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/14 Fri. 18:57 [edit]

category: まわりうた

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14

まわりうた 

けさみなは なみてさくらき
  いつくしく ついきらくさて みなはなみさけ

(今朝見なば 並みて桜木 美しく つい気楽さで 皆花見酒)

解説

なばは「(完了の助動詞‘ぬ’の未然形+接続助詞‘ば’)…てしまったならば。…たならば。」、並むは「ならぶ。連なる。」、美し(いつくし)は「美しい。きれい。」、ついは「そうする気持ちのないままに、そのことをしてしまうさま。思わず。うっかり。」、気楽さは「気楽なさま。」、花見酒は「花見をしながら飲む酒。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

今朝見たら、並んで桜の木が美しく、(その美しさゆえか)つい気楽さに任せて、皆も花見酒を楽しんでいるよ。

雑感

今が花見の盛りということで、書いた歌です。

Posted on 2017/04/14 Fri. 18:18 [edit]

category: まわりうた

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14

まわりうた 

ときとはは ちちのほしくそ
  いまにちに まいそくしほの ちちははときと

(時問はば 千々の星屎 今に地に 真急ぐ思慕の 父母と義と)

解説

千々(ちぢ)は「数の多い・こと(さま)。たくさん。」、星屎(ほしくそ)は「隕石。ほしいし。」、真(ま)は「(名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて)完全・真実・正確・純粋などの意を表す。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「最先(いやさき)と最後(いやはて) -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

何か戦争のきな臭さが世界中で蔓延しているが、今の時節がどういう時節かと問うてみると、空から隕石が降ってくる時期に差し掛かってきたようだ。

はっきり言って国同士でいがみ合っている時ではないが、実際に天から隕石が、国境を問わず雨あられのように降って来ることとなれば、皆、どう思うだろうか。これまで自分のしてきたことが正しかったかどうか、己の心を「良心」に照らし合わせるのではないだろうか。

おそらくこの時、父なる天の神と母なる大地と、そして義を思うはずである。ならばせめて、その義に恥じないように生きて、死んでいきたいものだ。

Posted on 2017/04/13 Thu. 11:44 [edit]

category: まわりうた

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13

まわりうた 

くそおもて いくとものひし
  たたかひか たたしひのもと くいてもおそく

(苦楚表 幾度ものひし 戦ひが 但し日の本 悔いても遅く)

解説

苦楚(くそ)は「苦痛。辛苦。」、ひしは「災いのもと。災難。破滅。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「常闇ノ皇」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

辛苦を表に開き、幾度もの災いと破滅をもたらす戦いが目の前に迫っている。戦争で経済を活性化でき、また国の存続が危ぶまれれば権力が安定するので、為政者にとっては都合が良いかもしれない。しかし、もしこの戦いを開くことになれば、日本の国が丸々潰れる所まで行く。国が潰れる前に当の為政者がまず潰れるが、やるならその覚悟をもって開戦せよ、といった感じ。

雑感

まぁ、どえらい時代に突入したなと思う。

ひょっとすれば、この春、北朝鮮から日本にミサイルの一発も飛んでくるかもしれない。そしてその場所は、私やあなたが住む場所になるかもしれない。

ニュースやツイッターなど見ていると、どこか他人事で、まさか日本が攻撃されることはないだろう、みたいな雰囲気を感じるが、いざとなれば日本には在日米軍があるので、真っ先に狙われるのは日本になる。

実際に国土が攻撃されれば、日本でも軍事関連の法整備が急ピッチで進み、国内の雰囲気もガラリと変わるだろう。

だが、日月神示では徴兵制が復活した時に大変が起る、と書いてある。

『日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。』(水の巻 第十四帖)

最近「銃剣道」が中学の新学習指導要領に明記されたり、「教育勅語」についての議論がニュースにされていたりするが、数年前では考えられなかったことが目の前で起きている。

実際に日本が攻撃されたとなれば、徴兵制復活の声もすんなり世間に受け入れられるかもしれない。

しかし、やはり戦争をする代償は大きすぎる。

日月神示の記述をざっと要約すればこのようになる。

最初は意気揚々と戦を始めるけれども、ちょっと進んでいくと、どちらの国もこんなはずではなかった、という事態に陥る。日本の兵隊も、戦が激しくなるにつれ、これはかなわないとなるが、後に引くことも出来ず、かといって前に進むことも出来ない地獄となる。

また、戦が激しくなって食物が足りなくなると、国民同士が取り合いになって共喰いとなる。イモ不足でポテトチップスが販売中止になったと、ここ数日ニュースになっているが、それどころではない騒ぎになる。

いざとなれば今までの学歴や勲章も役に立たなくなり、いくらお金を積んでもどうにもならなくなる。

そしていよいよとなれば、上の人は皆臭い飯を食うことになり、一般の人たちも縄を付けられて外国に連れていかれる。あとに残るのは老人や障がい者、女子供のみとなるが、そうなっても戦が止むどころか、日本の人が居なくなる所まで突き進んでいく。

神社仏閣も壊されて、行けども行けども白骨ばかりとなる。場所によっては白骨すら無いところも出て来る。

米国がいるから大丈夫、と考えるかもしれないが、神示では「米あると申して油断するでないぞ」(磐戸の巻 第九帖)とある。

もし戦争を始めた後、何らかの理由で米国が手を引く、或いは米国が潰れる、という事態に陥ったら日本はどうするのか。日本は道義的にも戦略的にも、このまま戦争に突入するのは得策ではない。

では、どうやったら戦争を回避できるのか。神示では新しい武器は念だと書かれている。

日月神示参照。

『念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。』(春の巻 第四十七帖)

『今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ヒックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん。』(春の巻 第四十六帖)

『与へよ、与へよ、与へよ、与へる政治と申してあろうが。戦争か平和かと人民申してゐるなれど、道はその二つでないぞ、三が道と、くどう申してあろう。水の外道の武器と火の外道の武器の他に、新しき武器気づかんのか。神示よく読めば示してあるのであるぞ。ほかに道ないと きめてかかるから判らんのざ。生れ赤児になれば判るぞ。知らしてやりたいなれど、知らして判るのでは自分のものとならん。自分が体得し、自分から湧き出ねば自分のものでないぞ。つけ焼刃は危ない、危ない。気狂ひに刃物ぞ。平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。神人共にとけ合ふことぞ。外道でない善と悪ととけ合ふのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず。外道は夜明けくれば消えて了ふぞ。夜明けの御用大切と申してあろうが。外道の悪 殺すでないぞ。抱き参らすから消えるのであるぞ。』(春の巻 第四十三帖)

上記にもあるように、やはり何もかも無料にして、その代わり、皆、タダ働きする、という「与える政治」に移行できるかがカギのようだ。「与える政治」の詳細については下記を参照のこと。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

そもそもなぜ戦争を起こすのかと言えば、ほとんどが生存競争のためだ。平たくいうと「今のままでは食っていけなくなる」という恐れからだ。聖書の預言を成就するために、という場合でも、結局は自分が天国にいきたい、神のもとにいきたい、という生存慾から来ている。

「与える政治」に移行すれば、その恐れの根本部分が綺麗さっぱり無くなる。結果、これから大きくなっていく戦争の芽を摘むことにもなる。そしてこのやり方がどれほど良いかということは、ちょっと話を聞けば、誰でも理解できる話だ。

そしてこのやり方こそが、誰もが得するやり方であり、誰も損しないやり方であり、全人類誰も落とすことなく、誰もが食っていけるやり方であるのは明白だ。

目の前に泥海が迫ってきてしまった今、いち早く「与える政治」に移行されることを望むのみである。

日月神示参照。

『またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは◎(カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。』(下つ巻 第二十八帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、春まけとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、も少し戦すすむと、これはどうしたことか、こんなはづではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、さうなってからでは遅いからそれ迄に、この神示よんで、その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、役員の大切の役目ざぞ、われの思いすてて了ふて早うこの神示、穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終りに、神強く頼むぞよ。』(磐戸の巻 第二十帖)

『神の国には昔から神の民より住めんのであるぞ、幽界(がいこく)身魂は幽界(がいこく)行き。一寸の住むお土も神国にはないのざぞ。渡れん者が渡りて穢して仕舞ふてゐるぞ。日本の人民、大和魂 何処にあるのざ、大和魂とは神と人と解け合った姿ぞ。戦いよいよ烈しくなると、日本の兵隊さんも、これは叶はんと云ふ事になり、神は此の世にいまさんと云ふ事になって来るぞ。それでどうにもこうにもならん事になるから、早よう神にすがれと申してゐるのぞ。誠ですがれば、その日からよくなるぞ、神力現れるぞ。今度の建替は、此の世 初まってない事であるから、戦ばかりで建替出来んぞ。世界隅々まで掃除するのであるから、どの家もどの家も、身魂も身魂も隅々まで生き神が改めるのざから、辛い人民 沢山出来るぞ。ミタマの神がいくら我張っても、人民に移っても、今度は何も出来はせんぞ。世の元からの生神でない事には出来ないのであるぞ。それで素直に言ふ事聞けとくどう申すのぞ、今度は神の道もさっぱりとつくりかへるのざぞ。臣民の道は固(もと)より、獣の道もつくりかへぞ。戦の手伝い位 誰でも出来るが、今度の御用はなかなかにむつかしいぞ。赤いものが赤い中にゐると色無いと思ふのぞ、気付けて呉れよ。悪神の守護となれば自分で正しいと思ふ事、悪となるのざぞ。悪も改心すれば助けてやるぞ。海の御守護は竜宮のおとひめ様ぞ。海の兵隊さん竜宮のおとひめ殿まつり呉れよ。まつわり呉れよ。竜宮のおとひめ殿の御守護ないと、海の戦は、けりつかんぞ。朝日照る夕日たださす所に宝いけておいてあるぞ。宝 愈々世に出るぞ。人民の改心第一ぞ。顔は今日でも変るぞ。民の改心なかなかぞ。』(松の巻 第八帖)

『此の世の位もいざとなれば宝も富も勲章も役には立たんのざぞ、此の世去って、役に立つのは身魂の徳だけぞ、身についた芸は其の儘役立つぞ。人に知れぬ様に徳つめと申してあろがな、神の国に積む徳のみが光るのざぞ、マアカタの御用結構であったぞ、富士晴れるぞ、湖(うみ)晴れるぞ。此の巻、日の出の巻として纒めて役員に読ませて一二三として皆に知らせて呉れよ、神急ぐぞ。』(日の出の巻 第二十三帖)

『知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。』(下つ巻 第十六帖)

『行けども行けども白骨許りと申してあろがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらん内にぐれんぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、こうなることは世の元から判ってゐるから もう無茶な事は許さんぞ。軽い者程 上に上に上がって来るぞ、仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ』(雨の巻 第九帖)

『神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事 神こころぞ。神のした事になるのざぞ。行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。』(夜明けの巻 第七帖)

『富士は晴れたり日本晴れ。の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。』(日月の巻 第一帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。』(梅の巻 第十四帖)

『お宮も土足にされる時が来る、おかげ落さん様に気付けよ。勲章も何んにもならん時が来る、まこと一つに頼れ人々。』(水の巻 第四帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』(日月の巻 第二十二帖)

『大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思へる時ぞ神国の、まこと危なき時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ、後には老人(としより)不具者(かたわ)のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、悉々暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終り近づきぬ。この神示(ふで)心に入れ呉れと、申してある事わかる時、愈々間近になりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌締めよ。』(日月の巻 第三十八帖)

『富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。天狗や狐は誰にでもかかりてモノいふなれど、神は中々にチョコラサとはかからんぞ、よき代になりたら神はモノ云はんぞ。人が神となるのざぞ、この神は巫女(みこ)や弥宜(ねぎ)にはかからんぞ、神が誰にでもかかりて、すぐ何でも出来ると思ふてゐると思ひが違ふから気つけておくぞ。かみがかりに凝るとロクなことないからホドホドにして呉れよ。この道は中行く道と申してあろがな。戦すみたでもなく、すまぬでもなく、上げもおろしもならず、人民の智や学や算盤では、どうともできんことになるのが目の前に見へてゐるのざから、早う神の申す通り素直に云ふこときけと申してゐるのざぞ。長引く程、国はヂリヂリになくなるぞ。米あると申して油断するでないぞ、タマあると申して油断するでないぞ。命(いのち)あると申して油断するでないぞ。この神示よく読めば楽になって人々から光り出るざぞ、辰の年はよき年となりてゐるのざぞ、早う洗濯してくれよ。』(磐戸の巻 第九帖)

『日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。』(青葉の巻 第十六帖)

Posted on 2017/04/12 Wed. 13:45 [edit]

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12

まわりうた 

ゑらくさの こころいくさき
  いさきよき さいきさくいろ ここのさくらゑ

(ゑらく座の 心行く先 潔き 祭儀咲く色 午後の桜会)

解説

えらくは「喜び楽しむ。」、潔し(いさぎよし)は「清らかだ。清浄だ。」、祭儀は「神仏を祭る儀式。祭祀(さいし)。」、桜会(さくらえ)は「平安・鎌倉時代に、桜の花の咲くころに営まれた法会。その後に観桜の宴が開かれた。京都の醍醐寺(だいごじ)や賀茂神社で行われたものが有名。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「サクヤ姫のテーマ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/10 Mon. 19:23 [edit]

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10

まわりうた 

むはたうろ ここにみなよる
  へいわのわ いへるよなみに こころうたはむ

(無派道路 個々に皆寄る 平和の輪 言へる世並みに 心歌はむ)

解説

無派は「どの派閥にも属さないこと。」、世並みは「物事の成り行きや進みぐあい。」の意味です。

余談

この歌は、下記記事を見ながら、それをモチーフに書いた歌です。

『2017/4/7 国連安保理事会緊急会合でのボリビア代表の演説』(ずくなしの冷や水さんより)
http://inventsolitude.sblo.jp/article/179371281.html

雑感

アメリカがシリアを空爆したが、本当に人間としてもう終わってると思う。やはり国柄が簡単に変わることはないのだと、今回のことで思い知らされた。聖書の預言だか何だか知らないが、これ以上罪を重ねないためにも、アメリカ及びイスラエルは早めの報いを受けるべきだ。

翻って、公的年金の積立金を運用する年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)がクラスター爆弾を製造する米国企業の株式を保有していることが明らかになったが、こちらも、もう終わってるとしか言いようがない。

人殺しの兵器が使用(=経済的には‘消費’)されることで、私たちの老後の資金が担保されるなど、おぞまし過ぎる。人殺しの兵器を作らせるために、こちらは年金払って来たのではない。

イスラエルは言霊的に解釈するとイセ(伊勢)に通じるらしいが、大本や日月神示の神が伝えるように、今までの開いた岩戸はだましたウソの岩戸開きだったということが、今回のことでよくわかる。

下記文献参照。

『たまがへしの二三種』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館~」さんより)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=kg619

ちなみに霊返し(たまがえし)というのは、最初の文字の行と最後の文字の段を組み合わせたものをいうのだそうだ。



fuji(富士) → 「ハ行」にあたるフ + 「イ段」にあたるジ →ハ行のイ段 → ヒ

uta(歌) → 「ア行」にあたるウ + 「ア段」にあたるタ →ア行のア段 → ア

Posted on 2017/04/10 Mon. 12:31 [edit]

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10

まわりうた 

かみふくろ ととめしはりて
  またきよき たまてりはしめ ととろくふみか

(神袋 留め縛りて また清き 玉照り始め 轟く文が)

解説

袋は「口の部分だけを残し他を縫い合わせたり張り合わせたりして、中に物を入れるようにしたもの。布・紙・革などで作る。」「開いている口が一方だけで、他に抜けられないもの。」「水に囲まれている土地。」の意味です。

雑感

中々解釈が難しい。

この「袋」は後に「留め縛りて」とあることから、決してそこから抜けられないというニュアンスを感じる。

しかもこれはただの袋でなく、神の袋である。袋と言えば、七福神の布袋様が連想される。布袋様は弥勒菩薩の化身とされており、その持っている袋は「堪忍袋」なのだとか。

時節的に何もかも破裂して、世界中で堪忍袋の緒が切れた状態となる一歩手前だが、堪え堪えている間に、それぞれの玉(魂)が照り始めて、この行き詰まった世界を良い方向へ導く声明文や意見が生まれて来る、ということなのかもしれない。

個人的には下記の「与える政治」の実現をいち早く願いたい。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

Posted on 2017/04/10 Mon. 10:12 [edit]

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10

まわりうた 

なかきよて みなるるかあて
  こころいろ ここてあかるる なみてよきかな

(永き代で 見馴るる我当て 心色 此処で別るる 汝見て良きかな)

解説

見馴る(みなる)は「見なれる。見てなじむ。慣れ親しむ。」、当つ(あつ)は「ぶつける。当てる。」「さらす。向ける。」「直面させる。」、別る(あかる)は「散り散りになる。別々になる。」、汝(な)は「一人称の人代名詞。わたくし。自分。」「二人称の人代名詞。あなた。おまえ。なんじ。」の意味です。


余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

どうも最近、それぞれの心の状態の差から生まれる世界に、大幅な解離が起こっているように感じる。

普段から、それぞれの心の状態によって、お金が好きな人はお金中心の世界に、権力が好きな人は力中心の世界に、何より自分一人だけが好きな人は自分一人だけ好きな人が中心の世界に、それぞれ住んでいると思うが、どうもこれらの世界が解離し始めて、固定化されてきているようにも思う。

何気に、下記神示の部分が思い出される。

日月神示参照。

『人間の死後、自分の命(イノチ)の最も相応(フサワ)しい状態におかれるのであるそ。悪好きなら悪の、善好きなら善の状態におかれるのであるぞ。皆々、極楽行きぢゃ。極楽にもピンからキリまであるぞ。神の旨に添ふ極楽を天国と云ひ、添はぬ極楽を幽界と申すのぢゃ。心の世界を整理せよ。そこには無限のものが、無限にあるのであるぞ。神の理(ミチ)が判れば、判っただけ自分がわかる。 めでたさの九月八日の九のしぐみ、とけて流れて世界一つぢゃ。』(黒鉄の巻 第三十八帖)

『天界も無限段階、地界も無限段階があり、その各々の段階に相応した霊人や地上人が生活し、歓喜している。その霊人たちは、その属する段階以外の世界とは、内的交流はあっても、全面的交流はないのである。何故ならば、自らなる段階的秩序を破るからである。秩序、法則は、神そのものであるから、神自身もこれを破ることは許されない。しかし、同一線上に於ける横の交流は、可能である。それは丁度、地上に於ける各民族がお互に交流し、融和し得るのと同様である。総て分類しなければ生命せず、呼吸せず、脈うたない。分類しては、生命の統一はなくなる。其処に、分離と統合、霊界と現実界との微妙極まる関係が発生し、半面では、平面的には割り切れない神秘の用が生じてくる。一なるものは、平面的には分離し得ない。二なるものは、平面的には一に統合し得ないのである。分離して分離せず、統合して統合せざる、天地一体、神人合一、陰陽不二の大歓喜は、立体的神秘の中に秘められている。ヽについては一なるも、○に於ては二となり三となり得るところに、永遠の生命が歓喜する。一は一のみにて一ならず、善は善のみにて善ならず、また、真は真のみにて真となり得ない。神霊なき地上人はなく、地上人とはなれた神霊は、存在しない。しかし、大歓喜にまします太神のヽは、そのままで成り鳴りやまず存在し、弥栄する。それは、立体を遥かに越えた超立体、無限立体的無の存在なるが故である。霊人は、その外的形式からすれば地上人であり、地上人は、その内的形式からすれば霊人である。生前の形式は、生後の形式であり、死後の形式である。即ち、死後は生前の形式による。形式は愛と現われ、真と現われ、善と現われ、美と現われる。而して、その根幹をなし、それを生命させるのは歓喜であって、歓喜なき所に形式なく、存在は許されない。愛の善にして真の美と合一しなければ呼吸せず、現の現人にして霊の霊人と合一しなければ生命しない。これら二つが相関連せるを外の真と云う。外の愛も外の真も共に生命する。人間に偽善者あり、霊界に偽善霊の存在を許されたるを見れば判るであろう。表面的なるものの動きも、内面的に関連性をもつ。故に、外部的にまげられたる働きの許されてあるを知ることができるであろう。許されてはいるが、それは絶えず浄化し、弥栄すればこそである。浄化し弥栄しゆく悪は悪でなく、偽は偽でない。動かざる善は善でなく、進展せぬ真は真でない。更に善を善とし、悪を悪として、それぞれに生かし弥栄するのを歓喜と云う。歓喜は神であり、神は歓喜である。一から一を生み、二を生み、三を生み、無限を生みなすことも、みなこれ歓喜する歓喜の現われの一つである。生み出したものなればこそ、生んだものと同じ性をもって弥栄える。故に本質的には善悪のないことが知られるであろう。死後の世界に入った最初の状態は生存時と殆ど変化がない。先に霊人となっている親近者や知人と会し、共に生活することもできる。夫婦の場合は、生存時と同様な夫婦愛を再びくりかえすことができるのである。霊界は、想念の世界であるから、時間なく、空間なく、想念のままになるのである。しかし、かくの如き死後の最初の状態は長くはつづかない。何故ならば、想念の相違は、その住む世界を相違させ、その世界以外は想念の対象とならないからである。而して、最初の状態は、生存時の想念、情動がそのままにつづいているから、外部的のもののみが強く打ち出される。故に、外部の自分に、ふさわしい環境におかれるが、次の段階に入っていくと、外部的のものは漸次うすれて、内分の状態に入っていくのである。内分と外分とは、互に相反するが、霊人の本態は内分にあるのであるから、この段階に入って始めて本来の自分にかえるのである。生存時に於ては、地上的な時、所、位に応じて語り、行為するが為に、限られたる範囲外には出られないが、内分の自分となれば、自由自在の状態におかれる。生存時に偽りのなかった霊人は、この状態に入って始めて真の自分を発見し、天国的光明の扉をひらくのである。偽りの生活にあった霊人は、この状態に入った時は、地獄的暗黒に自分自身で向かうのである。かくすることによって、生存時に於ける、あらゆる行為が清算されるのである。この状態に入ったならば、悪的なものは益々悪的なものを発揮し、善的なものは善的な力を益々発揮する。故に、同一の環境には住み得ないのである。かくして、諸霊人は最後の状態に入り、善霊は善霊のみ、悪霊は悪霊のみ、中間霊は中間霊のみの世界に住み、善霊は善霊のみの、悪霊は悪霊のみのことを考え、且つ行為することになる。そして、それは、その時の各々にとっては、その時の真実であり、歓喜である。』(地震の巻 第二帖)

『地上には、地上の順序があり、法則がある。霊界には、霊界の順序があり、法則がある。霊界が、原因の世界であるからと云って、その秩序、法則を、そのまま地上にはうつし得ず、結果し得ないのである。また地上の約束を、そのまま霊界では行ない得ない。しかし、これらの総ては大神の歓喜の中に存在するが故に、歓喜によって秩序され、法則され、統一されているのである。その秩序、法則、統一は、一応 完成しているのであるが、その完成から次の完成へと弥栄する。故にこそ弥栄の波調をもって全体が呼吸し、脈拍し、歓喜するのである。これが、生命の本体であって、限られたる智によって、この動きを見るときは、悪を許し、善の生長弥栄を殺すが如くに感ずる場合もある。しかし、これこそ善を生かして、更に活力を与え、悪を浄化して必要の悪とし、必然悪として生かすのである。生きたる真理の大道であり、神の御旨なることを知り得るのである。本来 悪はなく闇はなく、地獄なきことを徹底的に知らねばならない。これは生前、生後、死後の区別なく、総てに通ずる歓喜である。一の天界に住む天人が、二の天界に上昇した時、一の天界は、極めて低い囚われの水の世界であったことを体得する。更に一段上昇、昇華して三の段階に達した時も同様である。地上人的感覚によれば、二の天界に進んだ時、一の天界は悪に感じられ、三の天界に進んだ時、一の天界は最悪に、二の天界は悪に感じられる場合が多い。悪的感覚と悪的実態は自ら別であるが、この実状を感覚し分け得た上、体得する霊人は極めて少ない如く、地上人に到りては極めて稀であることを知らなくてはならない。悪を悪なりと定めてしまって、悪は総て祖先より、或いは原因の世界より伝えられたる一つの因果であると云う平面的、地上的考え方の誤っていることは、以上述べた処で明白となり、己を愛するは、先ず悪の第一歩なりと考える、その考えが悪的であることを知らねばならぬ。来るべき新天地には、悪を殺さんとし悪を悪として憎む思念はなくなる。しかし、それが最高の理想郷ではない。更に弥栄して高く、深く、歓喜に満つ世界が訪れることを知り、努力しなければならぬ。』(地震の巻 第七帖)

『地獄はないのであるが、地獄的現われは、生前にも、生後にも、また死後にもあり得る。しかし、それは第三者からそのように見えるのであって、真実の地獄ではない。大神は大歓喜であり、人群万類の生み主であり、大神の中に、すべてのものが生長しているためである。死後、一先ずおかれる所は、霊、現の中間の世界であり、其処では中間物としての中間体をもっている。意志のみでは力を生まない。理解のみでも進展しない。意志と、理解との結合によって弥栄する。このことは、中間の状態、即ち、死後の最初の世界に於て、何人もはっきりと知り得る。しかし、生存時に於て、既に過去を精算している霊人は、この中間世界にとどまる必要はなく、その結果に対応した状態の霊界に、直ちに入るのである。精算されていないものは、精算が終るまで、この中間世界にとどまって努力し、精進、教育される。その期間は五十日前後と見てよいが、最も長いものは十五、六年から二十年位を要する。この中間世界から天国的世界をのぞむ時は、光明にみたされている。故に、何人も、この世界へ進み易いのである。また、地獄的な世界は暗黒に満たされている故に、この世界に行く扉は閉ざされているのと同様であって、極めて進みにくいのである。天国には昇り易く、地獄にはおち難いのが実状であり、神の御意志である。しかし、この暗黒世界を暗黒と感ぜずして進みゆくものもあるのであって、そのものたちには、それがふさわしい世界なのである。其所(そこ)に、はかり知れない程の大きく広い、神の世界が展かれている。この地獄的暗黒世界は、暗黒ではあるが、それは比較から来る感じ方であって、本質的に暗黒の世界はなく、神の歓喜は限りないのである。以上の如く、中間世界からは、無数の道が無数の世界に通じており、生前から生後を通じて、思想し、行為したことの総決算の結果に現われた状態によって、それぞれの世界に通ずる道が自らにして目前にひらかれてくるのである。否、その各々によって自分自身が進むべき道をひらき、他の道、他の扉は一切感覚し得ないのである。故に、迷うことなく、自分の道を自分で進み、その与えられた最もふさわしい世界に落ち付くのである。他から見て、それが苦の世界、不純な世界に見えようとも、当の本人には楽天地なのである。何故ならば、一の世界に住むものには、二の世界は苦の世界となり、二の世界に住むものには、一の世界は また苦の世界と感覚するからであって、何れも自ら求むる歓喜にふさわしい世界に住するようになっているのである。また一の世界における善は、二の世界では善でなく、二の世界の真が一の世界に於ては真でない場合も生じてくる。しかし、その総ての世界を通じ、更に高きヽに向って進むことが、彼等の善となるのである。ヽは中心であり、大歓喜であり、神である。死後の世界に入る時に、人々は先ず自分の中の物質をぬぎすてる。生存時に於ては物質的な自分、即ち肉体、衣類、食物、住宅等が主として感覚の対象となるから、そのものが生命し、且つ自分自身であるかの如くに感ずるのであるが、それは自分自身の本体ではなく、外皮に過ぎない。生長し、考慮し、行為するものの本体は、自分自身の奥深くに秘められた自分、即ち霊の自分である。霊の自分は、物質世界にあっては物質の衣をつける。故に、物質的感覚は、その衣たる物質的肉体のものなりと錯覚する場合が多いのである。しかし、肉体をすてて霊界に入ったからと云って、物質が不要となり、物質世界との因縁がなくなってしまうのではない。死後といえども、物質界とは極めて密接なる関係におかれる。何故ならば、物質界と関連なき霊界のみの霊界はなく、霊界と関連なき物質のみの物質界は、呼吸し得ないからである。生前の霊界、生後の物質界、死後の霊界の何れもが不離の関係におかれて、互に呼吸しあっている。例えば、地上人は生前世界の気をうけ、また死後の世界に通じている。現実世界で活動しているのが、半面に於ては生前の世界とも、また死後の世界とも深い関連をもっており、それらの世界に於ても、同時に活動しているのである。』(地震の巻 第十七帖)

本質的に天国的世界地獄的世界に優劣はないと思うが、今後、それぞれの世界が永遠に固定化されることを考えると、自分は一体どういう世界に進みたいのか、ということを、今一度自分の心を通して、考えてみるのも悪くないような気はする。

その思いや行動は過去の自分の心のクセから来ているのか、それとも今ここにある正真正銘の本心なのかを見極めて、随時修正して進んでいくところに本当の幸せがあるようにも思う。

それを自分から見極めるのは中々難しいが、もしその言動が本心から来ているならば、必ずそこには大きな歓喜が伴っているはずだ。

Posted on 2017/04/09 Sun. 10:24 [edit]

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09

まわりうた 

なかきよの せいうんきはめ
  ととのまの ととめはきんう いせのよきかな

(永き代の 星雲極め とどの間の 止めは金烏 伊勢の良きかな)

解説

星雲は「雲のように広がって見える天体。銀河系内星雲と銀河系外星雲とに分けられていたが、現在では前者を単に星雲、後者を銀河と呼んでいる。星雲は、散光星雲、暗黒星雲、惑星状星雲などに分類される。」、極むは「物事のこの上ないところまで達する。良いことにも悪いことにもいう。」「定める。決定する。」「極限に達する。きわまる。」、とどは「最後。限度。」、金烏(きんう)は「〔太陽に三本足の烏(からす)がいるという中国の伝説から〕太陽の異名。 」の意味です。

雑感

中々解釈が難しいが、歌から感じるイメージとしては、この銀河の運行上に関する何らかの時が巡って来て、それに伴い、必然的に太陽(金烏)が何らかの変化を起こして、この地球が泥海になる一歩手前で万事解決となる様がイメージできる。

そもそものこの金烏の出所は、肉眼で見える黒点とされているので、これは太陽にカラスが住んでいるように見えるぐらいの巨大な黒点が現れる、とも解釈できる。だが、既に極小期に入っている太陽がそのような変化を見せるとは、正直のところ想像しにくい。とは言え、全くあり得ない話ではないとも思う。

霊界物語では、黒点は『日の若宮に坐す伊弉諾命を、黄泉軍の犯しつつある表徴であります』とある。春マケドンを神界における最終的な戦争と考え、今がその最後の局面に入りつつある所と見てみると、その様子が現界に移って来たおりには、太陽表面に肉眼で見えるほどの黒点が無数に出来る、ということも十分に考えられる話ではあると思う。

少なくとも、太陽の極小期を迎えている今のこの時期に、洪水や火山噴火などの天変地異が頻発し、中東や東アジアで大規模な戦争のきな臭さが漂っているというのは尋常ではない。黒点が再び増加に転じた時には、想像もつかないような大参事が待っているのではないか。

もはや、誰がどうする、という手段ではなく、時節的な巡り合わせによる何らかの変化によって、事の一切が大転換するより他、我々が救われる道はないのではないだろうか。

霊界物語参照。

『 太陽面に、地球の七八倍もある円形にして巨大なる黒点が出現し、約七万哩の直径を有し、吾人の肉眼を以て明視し得る如くに成つて居るのも、日の若宮に坐す伊弉諾命を、黄泉軍の犯しつつある表徴であります。亦この黒点が現はれると、其の年及び前後数年間は、従来の記録に依つて調べて見ると、第一気候が不順で、悪病天下に蔓延し、饑饉旱魃等は大抵その時に現はれ、人心の騒擾極点に達する時であります。天明の大饑饉も、太陽の黒点と時を同じうして現はれて居る。今日此頃の天候の不順も亦この黒点の影響である。況んや今度の如き、開闢以来未曾有の大黒点に於ておやであります。アヽ一天一日の太陽の黒点、果して何を意味するものぞ。伊弉諾命の持たせ玉へる一ツ火の光も、半ば消滅せむとするには非ざるか、我等は一日も早く千五百産屋は愚、八千五百産屋万産屋を建て、以て君国の為めに大活動を開始せざるべからざるを切に感ぜざるを得ないのであります。』(第8巻 第6篇 黄泉比良坂 第43章 言霊解五)

Posted on 2017/04/07 Fri. 11:23 [edit]

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07

まわりうた 

くろみのひ いさらかはしる
  ほしのまの しほるしはから さいひのみろく

(黒みの日 細小川知る 星の間の 霑る磁場から 最美の弥勒)

解説

黒みは「黒い色を帯びていること。」、細小川(いさらがわ)は「水の少ない小さな川。いさらおがわ。」、霑る(しおる)は「濡らす。しめらす。」、磁場は「磁力の働いている空間。磁石や電流の周りに生じる。磁界の強さを表す単位はアンペア毎メートル。磁界。」、最美は「最も美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、エヴァのサウンドトラックの中にある「Decisive Battle」(和訳:決戦)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分で書いて置いて何ですが、意味がわからんです。

Posted on 2017/04/06 Thu. 10:33 [edit]

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06