05 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 07

花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

うたいてに ひつくふうかて
  みなよきよ なみてかうふく つひにていたう

(宇内手に 日月風雅で 皆良き世 並みて幸福 終に帝道)

解説

宇内(うだい)は「天下。世界。」、月(つく)は「月(つき)。」、風雅は「高尚で、みやびな趣のあること。また、そのさま。」、並む(なむ)は「並ぶ。連なる。」、幸福は「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。」終に(ついに)は「長い時間ののちに、最終的にある結果に達するさま。とうとう。しまいに。」、帝道(ていどう)は「帝王が国を治める道。仁徳を主とする政道。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/27 Tue. 22:12 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

きるつみの かむすさのをの
  みこととと こみのをのさす むかのみつるき

(切る罪の 神素盞嗚 尊とど 籠みの尾の刺す 無瑕の神剣)

解説

神素盞嗚尊(かむすさのおのみこと)は「素盞嗚尊のこと。」、とどは「《‘とどのつまり’の略》結局。しまいに。」、籠む(こむ)は「ぎっしり詰まる。混雑する。」、無瑕(むか)は「傷がないこと。むきず。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」の意味です。

余談

この歌は、「大神 オリジナル・サウンドトラック」にある「妖怪退治」~「双魔神 モシレチク コタネチク退治」~「妖魔王キュウビ退治」~「ヤマタノオロチ復活」~「ヤマタノオロチ退治 其の一」~「ヤマタノオロチ退治 其の二」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容は、見ての通りヤマタノオロチ退治伝説のものとなっている。特に、退治した後に尾っぽを切り刻んでいると、都牟刈之太刀(つむがりのたち)が出て来た、という部分にスポットを当てている。ちなみに都牟刈之太刀は草薙剣のことを指す。

まず、籠みは九(こ)の身(み)に通じて、八股に分かれている九つ大蛇の身の意味も含まれているように思う。

都牟刈之太刀(つむがりのたち)は頭(つむ)を刈る質(たち)と解釈したい。つまり何でも頭で考えて、損得勘定で考えるその根性を絶つということ。

逆から言うと、八岐大蛇はその質が怖いので、その太刀を飲み込んでいたわけだ。損得勘定で考えず、頭ではなく何事も肚(はら)で動いていく。頭が肚を従わせるのではなく、肚が頭を従わせている、そういう性質の者たちが。

しかし、その太刀を飲み込まれていたということは、そういう性質の者たちでさえ、八岐大蛇を退治できず、飲み込まれていったことを意味する。

だから最後は素盞嗚尊が退治することになったのだろう。

ツムガリのツムは積むに通じ、歌の最初の切る罪(積み)に通じて来る。これはこれまでいろいろと雑多に積まれた、様々な問題に決着を付ける、尾(最後)のとどめを刺すというニュアンスを感じる。

ちなみに霊界物語では都牟刈之太刀を下記のように記している。

『霊界物語 第15巻 如意宝珠 寅の巻 第2篇 古事記言霊解 第11章 大蛇退治の段』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1511

八岐大蛇が洪水の比喩とかではなく、生存競争、弱肉強食といろいろと理屈を言いながら、実質強い者勝ちの世の中、共喰いしないと生きていけないような今の社会のシステムそのものだとすれば、それを退治するとは、そのシステムが一斉に停止することを意味する。

草薙剣はまた天叢雲剣と呼ばれる。これは天界で書き留められている業(カルマ)を取る剣と解釈されるそうだ。

結論から言えば、今の社会システムが一斉に停止するほどのカルマ返しが起こる、と解釈できる。それを通じて、損得ばかり考えて行動する人々が、今一度良心に立ち戻って生きて行く、ということなのかもしれない。

Posted on 2017/06/26 Mon. 22:35 [edit]

category: まわりうた

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26

まわりうた 

なかやみの とおりてかひの
  かむかせか むかのひかてり おとのみやかな

(長闇の 途降りて佳美の 神風が 無何の日が照り 乙の宮かな)

解説

途(と)は「道。道すじ。道のり。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、無何(むか)は「‘無何有(むかう)’の略。作為がなく、自然のままであること。また、無我の境地。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「真スサノオ」を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ちょっと歌の意味がわからんです。

「長闇の 途降りて」とあるので、暗闇の中、坂を降っているのでしょう。無我夢中で降っていると、気付けば美しい神風が吹いてきて、日の光が照り、辺りの様子が見えて来た。そうすると「乙の宮」が見えて来た、ということかと思います。

だが、これがどういう状況での出来事なのかが、よくわからない。

全体的な流れを見てみると、今まで長く続いて来た闇の世が、いよいよその道を降って、もはやこれまでとなった時に神風が吹いて、日之出神と龍宮の乙姫様のそろい踏みとなる、とも読み取れるが、この解釈は半分願望も混ざっている。

日本では大分、長野と中央構造線上に近い所で中規模地震が起き始めているし、アメリカの一部では50度を超える気温すら出て来ているし、これはもはや異常気象や天変地異の域を超えて、地球自体がいよいよ危険水域に入って来た感がある。

最後は何とか大団円で終われたら、とも思うが、今までのやりたい放題好き放題の経緯もあるので、それはちょっと虫が良すぎるのかもしれない。

でも、そこを何とか……、と、神に祈りながら最善を尽くす以外に、もはや道は残されていないのかもしれない。

Posted on 2017/06/25 Sun. 22:31 [edit]

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25

まわりうた 

はかなみの みさくあまいろ
  ここのまの こころいまあく さみのみなかは

(儚みの 見放く天色 此処の間の 心今開く さ身の真中は)

解説

儚みは「マ行五段活用の動詞‘儚む’の連用形である‘儚み’、あるいは連用形が名詞化したもの。」、見放く(みさく)は「遠くを見る。はるかに眺める。」、天色(あまいろ)は「晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色のこと。」、さ身(さみ)は「物の主となる部分。なかみ。」、真中(みなか)は「真ん中。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「真スサノオ」を聴きながら、下記記事をモチーフに書いた歌です。

『女の本能・神道と天皇(54)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20170625

雑感

何となくだが、この「さ身」は寂しい(さみしい)のさみに通じる気がする。さ身のさは接頭語なわけだが、小(さ)、狭(さ)から来ているのだとか。

小さい身、狭い身が「~しい」、となって寂しいとなったようにも思う。同時にさびしいもあるが、こちらは錆(さび)から来ているのだそうだ。びは微細の微な気がする。小(さ)の微(び)が「~しい」となって動詞化したと感じる。

どちらにせよ、小さい微細な存在として自分を感じる、というニュアンスがさびしい・さみしいには含まれているように思う。

「儚みの 見放く天色」は、儚んで、遠くを見る天の色のこと。そしてその天の色に「此処の間の 心今開く」となるわけだ。

まあ何だかわかないけども、全てが儚く感じて、自分の存在もこのまま消えていったら良いのにと思って、遠くの天を見たら、そこに同じ儚さを感じて、あぁ!! と感じたということ。

このように、遠くに見る天の色と、此処の間の心とが今この瞬間の中で一致して、自然と心が開いていく。儚さで悶々としていたものが、一気に雲散霧消していく。

なぜなら、儚むことは自分だけだと思っていたのに、遠くに見る天の中にも、その儚みを見たからだ。こうして自分と天が通じる時、すでに自分という中身の真ん中にも、天の広がりを見てしまう。

このような感覚を感得した時「今ここ」しかないことを知る。今ここのど真ん中に、気付けば自分も入っているが、天もまたそこに存在しているということ。

Posted on 2017/06/25 Sun. 12:23 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

すそんてる すきときらひと
  はいしよし いはとひらきと きするてんそす

(素尊出る 好きと嫌ひと 拝し良し 岩戸開きと 帰する天蘇す)

解説

素尊は「素盞嗚尊のこと。」、帰すは「最後にはそうなる。結果としてそうなる。」、蘇すは「生き返る。よみがえる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/25 Sun. 08:24 [edit]

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25

まわりうた 

かみかくら すやりかすみの
  きみかよか みきのみすかり やすらくかみか

(神神楽 すやり霞の 君が代が 御酒飲みすかり 安らぐ神が)

解説

神神楽(かみかぐら)は「‘かぐら(神楽)’に同じ。」、すやり霞は「大和絵、特に絵巻物で、横に長く棚引く霞。鎌倉時代以降、遠近感を与え、また場面を転換するために用いた。槍霞(やりがすみ)。」、君が代は「我が君の御代。特に、天皇の治世にいう。」、御酒(みき)は「酒の美称。また、神に供える酒。おみき。」、すかりは「すっかり。」の意味です。

※「すかり=すっかり」は、辞書にはないけれども、日月神示、火水伝文にその意味と思われる箇所があるため使用しています。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「すやり霞」は場面を転換するために用いられているものでもあるので、この歌は時代が変わって、皆が宴をしているような嬉し楽しの世の中になった様を詠っているように思う。

個人的には、宴は歌(うた)と食(け)でウタゲと解釈したい。

誰もが食べることを、衣食住を保障されて、いつも歌を歌っているような気分で毎日を過ごせる、そんな世の中が早く来れば良いのになぁ、と毎日首を長くして待っています。

Posted on 2017/06/24 Sat. 16:40 [edit]

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24

まわりうた 

なかきよの やみさけなから
  よきかせか きよらかなけさ みやのよきかな

(長き夜の 闇裂けながら 良き風が 清らかな今朝 宮の良きかな)

Posted on 2017/06/23 Fri. 04:52 [edit]

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23

まわりうた 

ひのかみの いありきみいか
  いはのとの はいかいみきり あいのみかのひ

(日の神の 意在り君以下 岩の戸の 排開見切り 愛のみが伸び)

解説

日の神(ひのかみ)は「太陽神。天照大神(あまてらすおおみかみ)をさす。」、君は「国を治めている人。天皇。」、排開(はいかい)は「おしひらくこと。」、見切るは「全部見る。すっかり見る。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/23 Fri. 01:10 [edit]

category: まわりうた

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23

まわりうた 

なかやみの ふうときしいま
  くうのまの うくまいしきと うふのみやかな

(長闇の 封解きし今 空の間の 浮く真意識と 産の宮かな)

解説

産(うぶ)は「生まれたときのままであること。」「自然のままであること。また、できたときのままであること。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「心を無重力にする」というのが心に浮かんで、それに関する歌にしようと思ったのだが、意味がよくわからなくなってしまった。

歌をそのまま解釈すると、意識が空間の中に溶けだしている様相と、宮は身屋(みや)で、産なる肉体のことを指しているものと思われる。

つまり自分の体の中に意識があると思っている通常の感覚から、身体が空っぽになって、意識がその空間の中に溶けだしている感覚のことかと思われる。

「長闇」「産の宮」とあるので、たぶん産道を通って、この世に生まれた時の意識の様相を示しているようにも思う。

Posted on 2017/06/22 Thu. 22:16 [edit]

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22

まわりうた 

いそのへし ことにまとふと
  みきりけり きみとふとまに とこしへのそい

(五十述べし 言に真問ふと 見切りけり 岐美と布斗麻邇 常しへの素意)

解説

五十(いそ)は「ごじゅう。また、数の多いことをいう。」、真は「〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕完全・真実・正確・純粋などの意を表す。」、見切るは「ものをすっかり見てしまう。見終わる。」、常しえ(とこしえ)は「いつまでも続くこと。また、そのさま。永遠。永久。とこしなえ。」、素意(そい)は「かねてからの思い。日ごろの願い。本心。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分で書いて置きながら何ですが、歌の意味がわかるようでわからんです。

岐美(きみ)は伊邪那岐と伊邪那美の神様のことだろう。

布斗麻邇(ふとまに)は下記HPによれば言霊学のこととある。

『布斗麻邇(ふとまに・言霊学)講座』(古事記の秘密とはあめつちの言霊学さん)
https://sites.google.com/site/ametutinokagami/wa/bu-dou-ma-er-futomani-yan-ling-xue-jiang-zuo

日月神示の下記部分も参考になるかもしれない。

『いやな事は我が血統に致さすなり、他人傷つけてはならんなり、ひふみにも二十@(ふとまに)、五十@(いづら)、いろはにも二十@(ふとまに)、五十@(いづら)、よく心得なされよ。何彼の事ひふみ、いろはでやり変へるのぢゃ、時節めぐりて上も下も花咲くのぢゃぞ。誰によらず改心せなならんぞ、この方さへ改心致したおかげで今度の御働き出来るのぢゃ、同じこと二度くり返す仕組ざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じこと二度、この神示 神と仏のふで。』(青葉の巻 第七帖 @は原文では渦巻きの形)

『氷と水と水蒸気ぢゃと申してあろうがな、同じであって違ふのぞと知らしてあろう、地には地の、天には天の、神には神の、人民には人民の、動物には動物の、植物には植物の、それぞれの法則があり、秩序があるのであるぞ、霊界に起ったことが現界にうつると申しても其のままでうつるのではないぞ、また物質界が霊界に反影すると申しても其のままに反影するのではないぞ、総てが太神の中での動きであるから、喜びが法則となり秩序となって統一されて行くのであるぞ、それをフトマニと申すのぞ、太神の歓喜から生れたものであるが、太神もその法則、秩序、統一性を破る事は出来ない大宇宙の鉄則であるぞ、鉄則ではあるが、無限角度をもつ球であるから、如何ようにも変化して誤らない、マニ(摩邇)の球とも申すのであるぞ。その鉄則は第一段階から第二段階に、第二段階から第三段階にと、絶えず完成から超完成に向って弥栄するのであるぞ。弥栄すればこそ、呼吸し、脈拍し、進展して止まないのであるぞ。このこと判れば、次の世のあり方の根本がアリヤカとなるのであるぞ。』(碧玉の巻 第十八帖)

『百は九十九によって用(ハタラ)き、五十は四十九によって、二十は十九によって用(ハタラ)くのであるぞ、この場合、百も五十も二十も、天であり、始めであるぞ、用(ハタラ)きは地の現れ方であるぞ、フトマニとは二十の珠であり、十九は常立であるぞ、根本の宮は二十年毎に新しく致さねばならん、十九年過ぎて二十年目であるぞ。地上的考へ方で二十年を一まわりと考へてゐるが、十九年で一廻りするのであるぞ、いろは(母)の姿見よ。』(碧玉の巻 第十九帖)

『今の学者には今の学しか判らん、それでは今度の岩戸ひらきの役にはたたん、三千世界の岩戸ひらきであるから、少しでもフトマニに違ってはならんぞ。廻りくどいようなれど【とつぎ】の道から改めなされよ、出舟の港は夫婦からぢゃと申してあろう、ミトノマグハヒでなければ正しき秩序は生れんぞ、素盞鳴命が、荒ぶる神、悪神ではなく、人民の罪を背負って下さる救ひ主の大神であることが判らねば、岩戸はひらけんぞ。新しき世界の宮は土地(神智)(十千)であるぞ、住所(数真意)(すまい)であるぞ、永遠に在(おわ)す神は住む(澄む、数務)土地(十千)であるぞ、下には永遠の腕(宇丁)(うで)があるぞ。』(極めの巻 第二十帖)

『フトマニとは大宇宙の法則であり秩序であるぞ、神示では012345678910と示し、その裏に109876543210があるぞ、○九十(マコト)の誠であるぞ、合せて二十二、富士(普字、不二)(フジ)であるぞ。神示の始めに示してあろう。二二(富士)は晴れたり日本晴れぞ。』(至恩の巻 第二帖)

『七は成り、八は開くと申してあろうが、八の隈(くま)からひらきかけるのであるぞ、ひらけると○と九と十との三が出てくる、これを宮と申すのぞ、宮とはマコトのことであるぞ、西と東に宮建てよと申すこと、これでよく判るであろうが、マコトの数を合せると五と五十であるぞ。中心に五があり、その周辺が五十となるのであるぞ。これが根本の型であり、型の歌であり、型の数であるぞ、摩邇(マニ)の宝珠(タマ)であるぞ、五十は伊勢であるぞ、五百は日本であるぞ、五千は世界であるぞ、このほう五千の山、五万の川、五億のクニであるぞと申してあろうがな。』(碧玉の巻 第五帖)

Posted on 2017/06/21 Wed. 19:03 [edit]

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21

まわりうた 

まつまつる かかみかみかた
  まありけり あまたかみかみ かかるつまつま

(先づ祭る 鏡が御形 真在りけり 数多神々 掛かる端々)

解説

御形(みかた)は「神体。また、仏像。お姿。」、真(ま)は「本当。真実。まこと。」、端々(つまづま)は「物事のはしばし。すみずみ。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

鏡がおそらく「火(か)が水(み)」であろう。これは火(霊)が水(身)として現れているという意味で、この宇宙は意識が物質として現れている、という意味かと思う。

つまり、この世の本質は物質ではなく、霊にあるということを示している。それは自分の本体が身体ではなく、その心にあることを感得すれば、容易に理解できるのではないだろうか。

そしてそれが御神体でもあり、そこに真実がある、と歌は言っているわけだ。いわば、この宇宙すべてが御神体であり、自分の正味の姿もまた神で、そういう真実があるということ。

そういう認識に立った途端、数多ある八百万の神々が、隅々にまで行き渡って自分のために動いていることが認識されるであろう、ということ。

歌の主題は「鏡」となっているため、この八百万の神々は、自分とはかけ離れた存在の神々ではなく、自分の心の断片でもあるということだ。ゆえに、八百万の神々が一つとなって、自分を映す鏡として現れている、という見方も出来る。

その鏡を見て、目の前の森羅万象を見て、日々の現実を見て、自分は人として現れている神だということを認識できる、ということかと思う。

Posted on 2017/06/21 Wed. 17:02 [edit]

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21

まわりうた 

またとこの ひかるみはしら
  くみてたて みくらしはみる かひのことたま

(未だと九 光る御柱 組みて立て 神座屡見る 佳美の言霊)

解説

九(この)は「〔‘ここの(九)の略’〕九。声に出して物を数える時の語。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」、屡見るは「しばしば見る。たびたび見る。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、濃緑(こみどり)は「濃い緑色。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分で書いて置きながら何ですが、意味がよくわからんです。

何気日月神示の下記部分を思い出すが……。

『ヨコの十の動きがクラゲナスタダヨヘルであり、タテの十の動きがウマシアシカビヒコジであるぞ、十と十と交わり和して百となり九十九と動くのぞ。過去も未来も霊界にはない、「今」があるのみ、これを中今(ナカイマ)と申すぞよ。竜宮の乙姫殿、日の出の神殿、岩の神殿、荒の神殿、風の神殿、雨の神殿、暗剣殿、地震の神殿、金神殿の九柱なり、総大将は国常立大神なり、このこと判りて下されよ、教はなくなるぞ、元の道が光り輝くぞ、これを惟神(かんながら)の道と申すぞ。』(紫金の巻 第十二帖)

『十柱の神様 奥山に祀りて呉れよ、九柱でよいぞ、何れの神々様も世の元からの肉体持たれた生き通しの神様であるぞ、この方合はして十柱となるのざぞ。御神体の石 集めさしてあろがな、篤く祀りて、辛酉(かのととり)の日にお祭りして呉れよ。病あるかないか、災難来るか来ないかは、手届くか届かないかで分ると申してあろがな。届くとは注(そそ)ぐ事ぞ、手首と息と腹の息と首の息と頭の息と足の息と胸の息と臍の息と脊首(せくび)の息と手の息と八所十所の息合ってゐれば病無いのざぞ、災難見ないのざから、毎朝 神拝みてから克く合はしてみよ、合ってゐたら其日には災難無いのざぞ、殊に臍の息一番大切ざぞ、若しも息合ってゐない時には一二三(ひふみ)唱へよ、唱へ唱へて息合ふ迄 祷(ゐの)れよ、何んな難儀も災難も無くしてやるぞ、此の方 意富加牟豆美神(オホカムツミノカミ)であるぞ。神の息と合はされると災難、病無くなるのざぞ、大難小難にしてやるぞ、生命助けてやるぞ、此の事は此の方信ずる人でないと誤るから知らすではないぞ、手二本 足二本いれて十柱ぞ、手足一本として八柱ぞ、此の事 早う皆に知らしてどしどしと安心して働く様にしてやれよ。飛行機の災難も地震罪穢の禍も、大きい災難ある時には息乱れるのざぞ、一二三祝詞と祓え祝詞と神の息吹と息と一つになりておれば災難逃れるのぞ、信ずる者ばかりに知らしてやりて呉れよ。』(日の出の巻 第十五帖)

『あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり、此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も云ふでないぞ。言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。悟った方 神示とけよ。といて聞かせよ。役員 皆とけよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ、役員 気付けて呉れよ。神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。愈々の時ぞ。神示で知らすことのはじめは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。つらいなれど、がまんせよ。ゆめゆめ利功出すでないぞ。判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。何にでもなれる様にしてあるでないか。役員も同様ぞ。まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。此の方 喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。信者つくるでないぞ。道伝へなならんぞ。取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。日本の臣民 皆勇む様、祈りて呉れよ。世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服(まつ)ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄(もや)の裡(うち)。」「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」 「アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」 アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ。此の巻 夜明けの巻とせよ。この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ。天津日嗣皇尊(あまつひつぎすめらみこと)弥栄(やさか)いや栄(さか)。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。 一二三四五六七八九十百千卍(ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず)。』(夜明けの巻 第十三帖)

『ヽばかりでもならぬ、○ばかりでもならぬ。◎がまことの神の元の国の姿ぞ。元の神の国の臣民は◎でありたが、ヽが神国に残り○が外国で栄へて、どちらも片輪となったのぞ。ヽもかたわ○もかたわ、ヽと○と合はせて まことの◎(かみ)の世に致すぞ。今の戦はヽと○との戦ぞ、神の最後の仕組と申すのは○にヽ入れることぞ。○も五ぞヽも五ぞ、どちらも、このままでは立ちて行かんのぞ。一厘の仕組とは○に神の国のヽを入れることぞ、よく心にたたみておいて呉れよ。神は十柱五十九柱のからだ待ちてゐるぞ。五十と九柱のミタマの神々様お待ちかねであるから、早うまゐりて呉れよ。今度の御役大層であるが、末代残る結構な御役であるぞ。』(下つ巻 第二十一帖 ◎は原文では「○の中にヽ」の形)

※下記箇所は特殊文字が多いので、リンク先で読んでください。

日月(ひふみ)神示 補巻 月光の巻 第十六帖(ひふみ神示データさん)
http://hifumi.uresi.org/hokan.html

Posted on 2017/06/21 Wed. 14:41 [edit]

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21

まわりうた 

くらしるす いつのめのかみ
  ふひとると ひふみかのめの ついするしらく

(座標す 伊豆能売神 武備取ると 一二三我の目の 対する至楽)

解説

座(くら)は「座る所。」、標す(しるす)は「しるしをつける。目じるしとする。また、形跡を残す。」、伊豆能売神(いずのめのかみ)は「黄泉(よみの)国からのがれた伊邪那岐命(いざなぎのみこと)(伊奘諾尊)が筑紫(つくし)の阿波岐原(あわきはら)でみそぎをしたとき生まれたという。」、武備は「戦争に対する備え。軍備。兵備。」、取るは「不要なものや汚れなどを除く。取り去る。どける。」、対す(ついす)は「対応させる。また、調和する。」、至楽は「この上なく楽しいこと。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

伊豆能売神は古事記に出て来る神様だが、これは稜威(いつ)の目と解釈される。稜威は「神聖であること。斎み清められていること。」の意味なので、簡単に言うと清められた目の神様ということになる。しかも「いづ(のめ)」となっているので、これは稜威の稜威、と重複の意味が込められているのだろう。清めに清められた目、ということで非常に清い神様ということになる。

清められた目の神様と言えば、イザナギの神様が禊祓いしたときに生まれた天照大御神と月読命が連想される。どうして目なのかと不思議に思ってしまうが、「ホルスの目」の例に見られるように、古来、太陽と月はその形状から、目に準えられることもあった。

須佐之男命はどこに行ったかと言うと、歌の中では「座」(くら)の字に出ているのではないかと思う。座は「高く設けられた場所。」という意味もあり、これは人の顔で見てみると、その表面から出っ張っている鼻の部分に当たるからだ。これは鼻を洗った時に生まれた須佐之男命の神格に通じるものがある。

そしてこの「座標す」は、須佐之男命の座す場所を標すということでもあるように思う。それはどこかというと「座標す」とあるように、座と印(しるし)を持つ所、即ち皇帝の位のことで、須佐之男命がこの世の治める者として出て来るという意味が含まれているのではないかと思うのである。つまり「くらしるす」とは位を標す、ということでもあるということだ。

こうして皇帝の位に付いた須佐之男命を見て、武備を取り除くと、一、二、三と一段ずつ私たちの目の前に至楽の状況が現れる、ということかと思う。

肝心なのは、第三者の誰かが武備を撤廃させるのではなくて、「座標す 伊豆能売神」を認識することで、自然と「武備取る」となる点である。

こうして武備を取ると、一二三が出て来る。これは三つの稜威、即ち御稜威(みいつ)とも解釈できる。御稜威とは天皇や神などの威光のことで、即ち武備を取ることで、その御威光を拝めることが出来、ひいてはその目に至楽のみが映るということでもある。

またこの歌は、心の動きとしても解釈できるように思う。

最初の「くらしるす」のくらは暗(くら)に通じて、暗いところを標すと解釈できる。

「いつのめのかみ」は一(いつ)の目の噛み(かみ)で、いろいろな見方ではなく、絶対的な一つの見方ながらも、常に噛み合っている見方。自分の主観的な見方ではなく、宇宙の視点からの客観的な見方だということ。

或いは、一つ目に噛み合う状況の意味。つまり、思考がゆらゆら揺れて右往左往せず、何でもパッと出て来て、スラスラ進む状態といった意味に解釈出来る。

「ふひとると」は、戦いや争いに備える心の動き、即ち不安とか葛藤を取り除くと、という意味になる。

といっても、これは自分が取り除いているのではなく、心の奥の暗い場所を標す、一つなる噛み合った見方が武備を取ると、と言っているので、一つなる噛み合った見方になることによって、自然と不安や葛藤が取り除かれている様を指している。

そうして武備を取ると「ひふみ」が出て来る。これは一(ひ)の踏み(ふみ)で、先ほど一つなる噛み合った見方、というものを実際に体験するという意味になる。

そうして「かのめの ついするしらく」(我の目の 対する至楽)となるということだ。

つまり一つなる噛み合った見方に、私個人の視点が、我の目が対応する、調和するということ。こうして至楽を体験できる、ということである。

一言で言うと、宇宙全体から見た視点と私個人から見た視点が、ぴったり対となって表裏一体として感じられることによって、至楽を体験できるということ。

「宇宙全体から見た視点」というのは、自分が認識している世界の一瞬前の世界であり、自分の意識以前に存在している世界のことかと思われる。

中々イメージすることが難しいが、この世界に自分が存在しないと思って周りを眺めてみると、その感覚がつかめるかもしれない。といっても自分の意識を無くすとかいうことではなく、自分の意識を自分として認識せず、ただ「それ」として認識するということ。

Posted on 2017/06/20 Tue. 18:22 [edit]

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20

まわりうた 

むらへかみ くたりかひまた
  とことはと ことたまひかり たくみかへらむ

(村へ神 降り加被また 常と 言霊光り 巧み返らむ)

解説

加被(かび)は「仏・菩薩・神が慈悲の力を加えて衆生を助け、願いをかなえること。加護。被護。加持。」、巧みは「美しいものを作り出すわざ。」、返るは「もとの状態に戻る。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

村は斑(むら)、群(むら)に通じて、これは斑(むら)があって物事が揃わない、一定しないままに群がっている様を表し、一言でいうと混沌とした状態のニュアンスを指す。さらに言うと村肝(むらぎも)の村のニュアンス。

この群がった状態の心の中へ、神が降って守護をする。

要するにモヤモヤした心、ざわざわした心、陰鬱な心の中に神が降って、永遠に守護するということだ。そうして澄み切った心に成った人々は、自ずと善言美辞を使うようになり、それに従って、天地もまた元の状態に戻るだろう、ということ。

Posted on 2017/06/19 Mon. 11:23 [edit]

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19

まわりうた 

なかめうる けさてりかひの
  ゆつにはに つゆのひかりて さけるうめかな

(眺め得る 今朝照り佳美の 斎つ庭に 露の光りて 咲ける梅かな)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、斎つ(ゆつ)は「名詞の上に付いて、神聖な、清浄なの意を表す。」、咲けるの‘る’は「存続の意味の助動詞‘り’の連体形。…ている。…てある。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

Posted on 2017/06/19 Mon. 10:09 [edit]

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19

まわりうた 

かみのみな きしてまのりの
  いまめさめ まいのりのまて しきなみのみか

(神の御名 帰して真の理の 今目覚め 真祈りの全手 頻並みのみが)

解説

帰すは「従う。帰依する。」、真(ま)は「本当。真実。まこと。」、全手(まて)は「両手。左右の手。」、頻並み(しきなみ)は「絶え間なく続くこと。また、そのさま。たてつづけ。」の意味です。

Posted on 2017/06/19 Mon. 09:29 [edit]

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19

まわりうた 

はせかなた うみへちとせか
  よそらから そよかせとちへ みうたなかせは

(馳せ彼方 海辺千年が 夜空から 微風と地へ 御歌流せば)

解説

微風は「そよそよと吹く風。びふう。」の意味です。

余談

この歌は、Enyaさんのアルバム「A Day Without Rain」の中にある「Deora Ar Mo Chroi」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/18 Sun. 20:24 [edit]

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18

まわりうた 

かめこかの ひかりはをちて
  いつるつる ついてちをはり かひのかこめか

(亀故家の 光は複ちて 出づる鶴 次いで地を玻璃 佳美の籠目が)

解説

故家(こか)は「古くから続いている家。旧家。」、復つ(おつ)は「もとに戻る。若返る。」、次いでは「その次に。ひき続いて。」、玻璃(はり)は「仏教で、七宝の一。水晶のこと。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、籠目(かごめ)は「籠の編み目。また、模様やひもの編み方などが、籠の目のようになったもの。」

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

生前退位によって平成が30年で終わることが決定しているが、何気日月神示の下記部分が思い出される。

『同じ神の子でも本家と分家とあるぞ。本家は人間ぢゃ。分家は動植物ぢゃ。本家と分家は神の前では同じであるが、位置をかへると同じでないぞ。三十年で世の立替いたすぞ。これからは一日ましに世界から出て来るから、如何に強情な人民でも往生いたすぞ。神は喜びであるから、人の心から悪を取り除かねば神に通じないぞと教へてゐるが、それは段階の低い教であるぞ。大道でないぞ。理屈のつくり出した神であるぞ。大神は大歓喜であるから悪をも抱き参らせてゐるのであるぞ。抱き参らす人の心に、マコトの不動の天国くるぞ。抱き参らせば悪は悪ならずと申してあろうが。今迄の教は今迄の教。』(秋の巻 第一帖)

『神示に書かしたら日月の神(一二◎)が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ、王(おー)の世が※(さかさまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、神なき一平一列は秋の空ぞ、魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ、神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、名残して世界唸らすのざぞ、これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、論より実地見て早う改心結構、何事も苦労なしには成就せんのざぞ、苦労なしに誠ないぞ、三十年一切(ひときり)ぞ、ひふみ肚に入れよ、イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、皆えらい取違ひして御座るぞ、宮の跡は草ボウボウとなるぞ、祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、誠の神の道に返さすのざから、今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。』(雨の巻 第五帖 ◎は原文では「○にヽ」の形 ※は原文では「‘王’の文字を180度逆さまにした文字」の形)

平成は平(=上から一と八と十の形になっている)が成るで、一八十(いわと)成ると読めるとされるが、これは平成の年号が終わることでもって、岩戸(開き)が成るとも解釈できる。

三十は三の十(神)で三柱の神が揃う、或いは三(み)繋がりで、瑞(みづ)の御霊の大神様が出ると解釈できるように思う。瑞(みづ)の御霊の大神様とは、大本によるとスサノオの神様となる。

さて、歌の解釈に映りたいと思う。

見ての通り「かごめかごめ」の童謡がモチーフになっている。

亀はウ(▽)とム(△)の形が合わさった六ぼう星の中の六角形を象徴していて、これはユダヤを表している。

歌では「亀故家の 光は複ちて」とあるので、これはユダヤのいわゆる「失われた十支族」の問題が解決して、十二支族全てが揃うと解釈できる。十(神)の光が復(ふく)すとも受け取れる。

これまでユダヤは悪に見えていたが、それがひっくり返って元に戻って、善なる働きをして、この世の救世主とされるスサノオの大神様として表に出て来るように思う。

ユダヤが善なる働きをするというのは、彼らの信奉する神が表に現れて、今の政治、経済、軍事を中心に、世界を牛耳っている今の社会システムを、そっくりそのままその神様に捧げることを意味している。

一方「出づる鶴」の鶴は、かごめ歌における「籠の中の鳥」であり、これは日本のことである。

籠は加護に通じて「加護の中の鳥(=十理=神理)」であり、何かと神の恩寵を特に受けている日本であり、また「過誤(かご)の中の取り」でもある。福島原発事故の隠ぺいや、テロ準備法案を進める日本は、世界から見れば相当奇妙奇天烈で、それは別の見方からすれば相当誤った国でもあるということだ。

つまり世界で一番取り(鳥)違いをしているけれども、一番神様の守護、加護が厚い国である、ということ。

また鶴は、祭るのツルに通じる。それは空気を読んで、間(ま)を釣り合わせるのツルであり、同時に吊し上げるのツルでもある。これは日本人の、何でも釣り合わせようとする協調的な姿勢を表すと共に、そこから外れた人を村八分にして吊し上げるという意味でもある。

しかしその鶴が加護(籠)の中から出る、と言っている。

平が成るの年号が終わるというのは、世界の平坦化が成ることが終わるということでもある。今まで日本は神から特に目をかけられていたが、そういう時代ではなくなった、ということである。

これまでは、日本は世界の雛形ということで、日本が潰れると世界が潰れるので特に守護されて来たが、この度終わりの時節となり、世界ひっくるめての表の守護となるので、日本の国や人ばかりを特に守護する必要はなくなった、ということである。

ユダヤであろうと日本であろうと、これからは神の心に適う人、そうでない人にきっちりと分けられるようになる。恐ろしくも結構な最期がやってきた。

裏から言えば、こうなることによって、これまで悪的な働きをしていたユダヤにも、彼らが信奉する神様が、スサノオの神様が、真の姿でもって降臨することが出来る、ということでもあり、これによってユダヤの人々の役割も完了して救われる、ということでもある。

だから日月神示では悪は改心早いと書かれているし、悪は悪自身を悪でないと思っているとも書かれている。

『今に世界の臣民人民 誰にも判らん様になりて上げもおろしもならんことになりて来て、これは人民の頭や力でやってゐるのでないのざといふことハッキリして来るのざぞ。何処の国、どんな人民も成程ナアと得心のゆくまでゆすぶるのであるぞ。今度は根本の天の御先祖様の御霊統と根元のお地(つち)の御先祖様の御霊統とが一つになりなされて、スメラ神国とユツタ(ユダヤ)神国と一つになりなされて末代動かん光の世と、影ない光の世と致すのぢゃ、今の臣民には見当とれん光の世とするのぢゃ、光りて輝く御代ぞ楽しけれく。悪い者殺してしまふて よい者ばかりにすれば、よき世が来るとでも思ふてゐるのか、肉体いくら殺しても魂迄は、人民の力では何うにもならんであろがな。元の霊(たま)まで改心させねば、今度の岩戸開けんのぢゃぞ、元の霊(たま)に改心させず肉体ばかりで、目に見える世界ばかり、理屈でよくしようとて出来はせんぞ、それ位 判って居らうが、判りて居り乍ら他に道ないと、仕方ないと手つけずにゐるが、悪に魅入られてゐるのぢゃぞ、悪は改心早いぞ、悪神も助けなならんぞ、霊(たま)から改心させなならんぞ、善も悪も一つぢゃ、霊も身も一つぢゃ、天地(アメツチ)ぢゃとくどう知らしてあろが。何んなよいこと喜ばして知らしても、聞かせても、今の臣民人民 中々云ふこときかんものぢゃぞ。この道にゆかりある者だけで型出せよ、カタでよいのぢゃぞ。』(光の巻 第六帖)

『悪とはカゲのことであるぞ。斜めに光を頂くから影出来るのぢゃ。影は主人でないぞ。絶対は何と申しても絶対ぞ。相対から神を求めると、相対の神が顕はれるぞ。相対で神の道に導くこと中々ぢゃ。必ず後戻り、判りはせんぞ。この神示、肚に入ったらグレンと変りて来るぞ。早う肚に入れて下されよ。間に合はん。天の声は内から聞こえて来る。人間の言葉は外から聞こえて来る。霊耳と申すのは内からぞ。耳ふさいでも聞こえて来るのぢゃ。悪霊自身は自身を悪と思うてないぞ。』(黒鉄の巻 第二十四帖)

一方で、鶴(=日本)が籠の中から出るというのは、過誤の中から出る意味もあり、良くも悪くも日本の本当の姿が表に出るということでもある。だから日本が真っ先に禊祓いとなるし、それゆえに日本から十理(神理)、即ち神の理(みち)が、真理が表に出るということでもある。

最後の部分が「佳美の籠目が」となっているが、カゴメは火(か)の凝(ご)の目(め)、または日(か)の光(こ)の光(こ)の目(め)であり、これは太陽の光が凝縮されて目のように見える形のことで、ラー(太陽神)の目が出て来るという意味でもある。

ちなみにゴはコが重なった意味となり、ゆえに「光の光の」と二回続けている。

これまでは闇夜の世界の月の目の守護であって、上から支配する△(ピラミッド)型だったが、時節が来て日の目の、日目(ひめ)の、秘めの守護が表に出て来る。

それは即ち、何もかも無料で税金を取らない「日の光の政治」として表れて来るということだ。

日の光の政治については下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

それはちょうど目のように○の中に・の形として出て来る。

大本ではこの◎(=○の中に・)をスと読んでいたが、これに従えばスメラとは◎(ス)の目(メ)のラー(太陽神)と解釈出来る。

こうして・(中心)と○(周り)、・(神)と○(人)の形でもって完全な調和が図られるようになる。日本の国でいうと・(天皇陛下)と○(国民)の形になり、これは外から見れば△(ピラミッド)型に見えるけれども、違うことが感覚で判るはずだ。

体的には△(ピラミッド)型になるが、霊的には▽(逆ピラミッド)型になっている。

外から見れば、天皇陛下が頂点に鎮座していて、上から下まで国民全員が何もかも捧げる形となるが、従来の△(ピラミッド)型の支配に見えるが、そうではない。

なぜなら、その捧げた富を天皇陛下が独り占めするのではなく、その集中した富はそっくりそのまま足らない人へと、自然に無償へ回ってゆくためである。

形としては国民全て、その富を天皇陛下に捧げ、その後、改めて天皇陛下から頂く形になるが、天皇陛下はただ集まった富が、自然に足らない所や人へ流れていくのを「良し」とするだけだ。

だから霊的に見ると▽(逆ピラミッド)型の形になる。形を見て判るように、頂点が一番下に居て、全てを支え、逆に底辺の人々が一番上に居て、その恩恵を多く受けられるようになっている。

つまり、上記にある通り、何もかも無料の税金を取らない「日の光の政治」に移ることで、一般の人々はその恩恵を自由にもらって、それを自由に使えるが、その頂点に立っているはずの天皇陛下は、その恩恵を自由に受け取らない、またはそれら恩恵が皆に十分行き渡ってから、最後に受け取る存在となる、ということだ。

頂点に位置しながら、なぜそれほどまでに自分を律することが出来るかというと、それは周りが歓喜することを先ず喜び、自分をその中にとけ入らせるからである。

だから人民を「おおみたから」と言うのだ。

こうして体的には△(ピラミッド)型、霊的には▽(逆ピラミッド)型の、ちょうど六ぼう星の調和した形が出て来るというわけである。

おそらく平成が終わって、新しい年号になるあたりから立て直しが進んで、そのような方向に進むのではないかと思うのである。

日本は日(霊)の本なので、その形は▽型に映り、天皇陛下は一番上の頂点に鎮座されているけれども、実質一番下に降って皆を支えているがゆえに、その御稜威に仰ぐわけだが、ユダヤから見れば△型に映って、これが完璧な支配の形、理想の支配に見えるわけである。

なぜなら縛る律法も何も無いのに、自ず皆、天皇陛下を頂点として仰ぎ、全てを捧げているからである。そして驚くべきことに、その支配は△(ピラミッド)型でありながら、その富や恩恵は、自然と社会全体に行き渡っていて、この形がまさにユダヤの理想とする神の国の形になっているからである。

これを見たユダヤは、今まで自分たちがしていたやり方が全くの逆さまであったことに瞬時に気付いて、手のひらを返すのである。

結果、ユダヤのあらゆる富もまた、天皇陛下に捧げられることになる。そしてその富は世界中の貧しい人々に行き渡り、さらにこのやり方が良いやり方であると、大いに世界で宣伝されるので、あっと言う間にこの「日の光の政治」のやり方が広がるわけである。

世界から見ると、日本が「日の光の政治」の雛形を出して、ユダヤがこれを世界中に広めるという形になる。こうして最終的には、ユダヤは正しく神の選民であると、世界中から拍手喝采となるわけである。

しかしこの立て直しを行うためには、どうしても今の制度の壊す必要がある。

出来ればバブルの頃に「日の光の政治」の雛形を出して、壊さないままに立て直しするのがベストだったのだろうが、その型は出て来ないまま時は過ぎてしまったので、一旦全てを壊して引き上げた後に立て直しするしか道になるものと思われる。

どうも今の制度を維持したまま、何もかも無料のやり方に移行するのは、現状としては厳しい感じがする。周りを見ても、今の日本の国体は自壊への道を進んでいるようにしか見えない。

一般の人も対象になりうる可能性も十分残っているテロ等準備罪(いわゆる共謀罪)も成立した。これによって戦前のような監視社会、管理社会に戻るのではないかとの懸念もある。

これはそのまま、今のユダヤが目指す管理社会と全く同じだ。だが、戦前の大本がこれを潰す型をすでに完了させているので、大日本帝国と同じく、今回の経済優先の国体も早晩潰れるだろう。

そしてそれは先の敗戦と同じく、アメリカ(ユダヤ)が引き金によって潰されるはずだ。なぜなら悪は悪(の仮面を被った善)によって祓われるからである。

流れとしては下記のようになるように思う。

日本

1. テロ準備等法案成立 (社会を監視して国民の財産を把握)
2. 赤字国債発行を続けて今の国体(経済制度)を無理やり維持 (国民の実質的な働きを国の借金と重税という形に代えながら搾取)
3. 実質政府を頂点とした支配監視搾取社会 

ユダヤ

1. 世界経済の破綻 (貨幣からゴールドへとシフトさせて世界の富をゴールド無しには動かせないようにする)
2. 金本位制の確立維持 (ゴールドが大量にある日本を目指して世界中が攻めて来る)
3. 世界政府樹立によっての支配監視搾取社会 (日本無しの世界支配)

日本は世界の雛形なので、日本が起こったことが世界に起こるわけだが、時期的に見ると日本の2の「赤字国債発行を続けて今の国体(経済制度)の無理やり維持」とユダヤの1「世界経済の破綻」が重なって来るはずだ。

アメリカも赤字がひどいが、アメリカは自国を潰さないため、その人身御供のために日本国債が狙われるように思う。

こうして世界では2の「金本位制の確立維持」に向かう中、日本は3を達成することが出来ずに、日本経済破綻が起きる。

もはやこれまでとなる中、注目が集まるのは日本近海に眠る膨大なゴールドとなる。これによって日本は一発逆転を狙うが、世界から見れば経済破綻して疲弊したこの今に日本を攻めないと、また日本が力をつけるとの懸念が広がって、世界中から日本を攻める事態になる。

おそらくその時点では、もはやドルは世界に通用しておらず、アメリカは相当なダメージを負っているゆえに、世界と一緒になって攻めて来る可能性がある。

だから日本は、近海の膨大なゴールドを金本位制度に君臨するために使うのではなく、ゴールドを使わなくても、全て無料で税金を取らずにやれば、世界ひっくるめて皆丸く収まるんですよ、と世界を説得して、率先して「日の光の政治」に移行して、その型を示さなければならない。

しかしいきなり無料にすることは出来ない。日本と外国の性質は違うので、無料にした途端、日本は身ぐるみはがされるだけとなる。そうなるので、その時点で相当の価値をもっている海底資源のゴールドを活用して、徐々にその形にもっていくのだ。

そうして、実際に形にして見せていくと、世界もまた、日本を総攻めにしなくても、ちゃんとやっていけることがわかって、丸く収まるというわけである。

だから日本経済が破たんした時に、何としてでも、何もかも無料で税金を取らない「日の光の政治」の型を出さなければならない。いやむしろ、その時点になって初めてチャンスが訪れるのだ。

なぜなら過去、戦争に負けて価値観が一変したように、そこに至って初めて、これまでの価値観を一変するからだ。どのような価値観が出て来るかというと、戦争放棄の時と同じく、経済一辺倒の価値観の放棄であろう。

国家破たんに瀕して、混乱に対峙する我々は、今一度日本は一体どういう国であるか、ということを問うことになる。そして人々が心を寄せるのは、やはり天皇陛下であろう。

何もかも失うわけだが、では最後に日本に残るものは何か、となると、やはり万世一系の天皇を頂く神の国である、ということに集約されていくように思う。

おそらく、天皇陛下だけはお守りしなければならない、と思う人々が大勢出て来るはずだ。ただ今回は軍事的にではなく経済的にである。

日本に食料が全く入って来ずに、国民の大半が飢える中、天皇陛下だけは飢えさせてはならない、と日本中から皇居に食料が送られて来る、という現象も、もしかしたらあるかもしれない。

しかし、国民を思う天皇陛下はそれを食さず、最も貧しい所へとその食糧を運ばせるだろう。

ここに至って初めて、国民は天皇陛下に全てを捧げ、改めてその富、恩恵を天皇陛下から頂く、という雛形の第一歩が出されることになるのだ。

こうして皆が無料で奉仕し、一方で何もかも無料で税金を取らない「日の光の政治」が確立されて行けばよいなと思います。

Posted on 2017/06/17 Sat. 12:39 [edit]

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17

まわりうた 

とまるみと たはむれかなて
  けふのひの ふけてなかれむ はたとみるまと

(止まる身と 戯れ奏で 今日の日の 更けて流れむ はたと見る間と)

解説

更けるは「時間が経過して、真夜中に近くなる。夜が深まる。」、はたとは「新しい状況や考えが突然表れるさま。」の意味です。

余談

この歌は、Enyaさんのアルバム「A Day Without Rain」の中にある「Only Time」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「止まる身」は「はたと見る間」と、ちょうど対になっている。

何かをはたと見る、或いは、何かをはたと発見するので、身が止まるということ。

つまり、通常は常に流れていく時間の中に身を任せているわけだが、何かにはたと気付いたり、何か新しい状況が表に現れる時、自分の身が、心がそこで一瞬止まる様を示している。

それは買い物に行って思いもよらない掘り出し物を見つけた時かもしれないし、急な仕事の電話が入った時かもしれない。

しかしそこで一瞬、自分の身が止まったとしても、時間は絶えず前に進んでいるのだから、またその流れに身を任せて行こう、ということ。なぜなら何か新しい発見は、はたと見る瞬間は、その時にならなければわからないのだから、というニュアンスです。

Posted on 2017/06/16 Fri. 00:06 [edit]

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16

まわりうた 

なかきよの こころいけたり
  かひのをの ひかりたけいろ ここのよきかな

(永き代の 心生けたり 佳美の小野 光り竹色 午後の良きかな)

解説

たりは「存続を表す助動詞。…ている。…てある。…た。▽動作・作用が行われ、その結果が残っている意を表す。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、小野(おの)は「野。野原。」の意味です。

余談

この歌は、Enyaさんのアルバム「A Day Without Rain」の中にある「A Day Without Rain」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

永遠なる心をそこに生けている姿を、美しい野原の中に見ているというイメージです。

竹色は竹のような色の意味の他、長け(たけ)色、丈(たけ)色のニュアンスを感じます。

それぞれの身の丈に合った色が、その草木や花にとっての最高の長けた色だ、という感じです。

日月神示参照。

『平等とか公平とか申すのは悪魔のワナであるぞ、天地をよくみよ、人民の申す如き平等も公平もないであろうがな、一寸のびる草もあれば一尺のびる草もあるぞ、一寸の草は一寸が、一尺の草は一尺が頂天であるぞ。これが公平であり平等と申すもの。人民は選挙と申すマヤクに酔ってゐるぞ、選挙すればする程、本質から遠ざかるぞ。他に方法がないと定めてかかるから、悪魔に魅入られてゐるから判らんことになるぞ。世は立体であるのに平面選挙していては相成らんぞ。平面の数で定めてはならん、立体の数に入れよ。』(五葉の巻 第九帖)

Posted on 2017/06/14 Wed. 16:44 [edit]

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14

まわりうた 

かそのみな さいきなさいし
  きたみなみ たきしいさなき いさなみのそか

(数の御名 最貴な祭事 北南 抱きし伊邪那岐 伊邪那美の祚が)

解説

最貴(さいき)は「最も大切な・こと(さま)。重要。」、祭事(さいじ)は「まつり。神事。」、祚(そ)は「天子の位。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分で書いて置きながら何ですが、意味がよくわかりません。

数は普通「かず」と読むが、なぜか「かぞ」と出て来た。「かず」にすると、どうもしっくり来ない。

辞書を見てみると「かぞ」の記述はなかったが、数を「かぞ」と読めると、どこかで見た気がするのでこちらを採用することにした。

父も「かぞ」と読むので、これと関連があるように思う。ちなみに母は「いろは」と読める。

おそらく数(かぞ)と言葉(いろは)で父母の意味に取れる気がするが、よくわからない。

日月神示の下記部分も気になるところだが、今一歩つかめない。

『基の大数叉名立大神(キのオースサナルオーカミ)、世に光り輝くの理ぞ(ヨにヒカりカガヤくのミチぞ)。理は世の元に立つ道ぞ(リはヨのモトにタつミチぞ)。』(荒の巻 第一帖)

『字の言座(ジのコトクラ)、名(言波)の極ぞ(ナのキワミぞ)。意志の極み成るぞ(イシのキワみナるぞ)。道は道理であるぞ(ミチはドウリであるぞ)。』(荒の巻 第一帖)

想像してみるならば、神示の別の部分では同じ神の名が二つある、とあり、日本神話ではスサナルの神様は、イザナギの神様が禊祓いした時に生まれた神様だが、それとは別に、ナギナミの神様が息を合わせたスサナルの神様が他にいるのではないか、ということだ。

またスサナルにはサの文字があり、これは三(さん)のサに通じる。ナギナミの一、二、から始って、その果てに生まれる三なる世界の象徴でもあるように思う。つまり一と二の相反する世界を統合、和合させる三(1+2)だ、ということ。その三なる世界に成るということ。

この一と二は霊系と体系の世界と解釈したい。簡単に言うと、心と物質ということ。霊界と現界と解釈してもよいかもしれない。

歌では、この一と二を「北南」と表現している。北はネ(子)であることから根に通じる。一方、南はウマ(午)であることから、これは美し(うまし)の美(ウマ)、または有(ウ)の万(マ)に通じる。

これは、自分の心は一つだが周りには森羅万象が見える、ということだろう。根と花(端)とみて、元と末の関係と見ても良いと思う。

また下記部分を見れば、北は光のさす方向ともある。

『霊界に方位はない、人民は東西南北と申してゐるなれど、今に東の東が現れてくるぞ。霊界では光のさす方が北ぢゃ、その他の東西南北は皆南ぢゃ、北が元ぢゃ、北(基田)よくなるぞと申してあろうがな。鳴門(ナルト)の渦巻を渡る時はカヂをはなして、手放しで流れに任せると渡れるのであるぞ、カヂをとると同じ処をグルグルぢゃ。カヂをはなせる人民少ないのう。何んでも彼んでもカヂをとって自分の思ふ通りに舟を進めようとするから大変が起るのぢゃ、渦にまかせる時はまかさなければならんぞ、ナルトの仕組の一面であるぞ、大切ごとぞ。』(五葉の巻 第二帖)

東西南北を四方(よも)とも言うが、これは黄泉国(よもつくに)の‘よも’と通じる。一方、スサナルの神様が降った場所は出雲である。出雲は五(いつ)の方(も)、五方(いつも)であり、東西南北の方角とは違う、もう一つの方角に天降った、ということかと思う。

下記部分も踏まえて考えてみると、五つ目の方角とは自分の心の中へと続く方向のことかと思われる。

『元は5で固めたのぢゃ、天のあり方、天なる父は5であるぞ。それを中心として、ものが弥栄えゆく仕組、それを人民は自分の頭で引き下げて4と見たから行き詰って世界の【難ぢう】であるぞ。手や足の指は何故に5本であるか、誰にも判るまいがな。』(極めの巻 第八帖)

今は東西南北という、目に見える世界のみが自分に作用すると考えて、それのみが優先され、自分の心の中の方角から来るものは後回しになっている、ということだろう。

しかし、スサナルの神様が天降った場所は出雲、五方(いつも)の方角であり、これは私たちの心の奥底に鎮座している、ということでもある。

スサナルの神様が表に出て来るというのは、今まで見えなかったそれぞれの心の状態が、一切合財、表に出て来る様を表している、という側面もあるように思う。

この動きに伴って、悪的な穢れが残っている人はそれによって祓われ、善的な光を内に持っている人は、隠そうとしても、また隠れていても、自ずと表に現れてくる、ということかと思う。

余談だが、友は十方(とも)であり、自己と他者の心と心、五方と五方が合う様相を表しているように思う。このスサナルの神様の働きによって、穢れは祓われ、光が現れ、世界中が友と見えて、みんなが仲良くなる世界が実現されるのではないか、とも思うのである。

また一を数、二と言葉と見ても良いだろう。数(1.2.3…)は世界共通で使われており、宇宙の原理の根本を為している。一方、言葉の方は様々な言語があり、有万(うま)に通じる。

「数+言葉」と言えば和歌が連想される。スサナルの神様が、和歌を作った最初の神様なのもおそらく偶然ではないように思う。ご存知だとは思うが、その和歌は下記となっている。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」

出雲を五方(=心の奥底の方角)と解釈すると、この歌は下記のように解釈できる気がする。

「八雲立つ 出雲八重垣」は、自分の奥底にある本心の周り八方に立つ、もやもやとしたもの、という意味になるかと思う。

「旅行にいきたけれど、時間がないからやめておこう」とか「自分は○○したいけど、周りが○○と言うかもしれないからやめておこう」とか、そういうもやもやしたものである。

妻籠(つまごみ)のツマは詰まりのツマ、籠みは籠もるのコミであろう。「これは詰まり、○○だ」というように、ツマゴミとは「結論が自分の中で籠もっている状態」という意味と受け取れる。

本来、自分の心は自分がよく知っているので、「○○したい / したくない」という自分の本心、結論は、もうすでに自分の心の中で答えが出ているはずなのだが、外の状況や環境によって躊躇してしまう時がある。

「八重垣作る その八重垣を」とは、そうやって周りが、自分が作る八重垣を(全て取り払いましょう)と言っているように思う。

だから一と二が、霊と体が和合するとは、三になるとは、自分の奥底にある本心が表に出て来るとも言える。

さらに歌の最後部分には「祚」の文字がある。これは各々天の子、神の子としての位が確定する、という意味も含まれているのだろう。神示で「改心」を促す記述が大量にあるのは、そのためだと思われる。

Posted on 2017/06/13 Tue. 17:34 [edit]

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13

まわりうた 

なかきよの みかとひとひの
  ひのまにま のひのひとひと かみのよきかな

(永き代の 御門一日の 日の随 伸び伸びと人 神の良きかな)

解説

御門(みかど)は「天子・天皇の位。また、天皇の尊称。」「国家。天皇が治める国。」、一日(ひとひ)は「いちにち。また、いちにちじゅう。終日。」、随(まにま)は「事の成り行きにまかせるさま。ままに。まにまに。」、伸び伸びは「じゃまされずにすくすくと伸びるさま。」「心配などがなく、自由でゆったりとしたさま。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

永遠に続く(天皇が治める)国は、一日一日成るように成るままに、皆ゆったりとしながら自由に暮らしているよ。あぁ、この国を守ります神の良いことだなぁ。

日月神示参照。

『此の世と申しても臣民の世ばかりでないぞ、神の世界も引くるめて申してゐるのぢゃぞ、勇んでやって下されよ、勇む所 此の方 力添え致すぞ。心配顔 此の方 嫌ひぞ、歌唄ひ下されよ、笑ひて下されよ、笑へば岩戸開けるぞ。今の人民キリキリ舞しながら まだキリキリ舞する様もがいて御座るぞ。つ千に返ると申してあろがな、早う気付いた臣民人民 楽になるぞ。神の守護と申すものは人民からはちっとも判らんのであるぞ、判る様な守護は低い神の守護ざぞ、悪神の守護ざぞ、悪神の守護でも大将の守護ともなれば人民には判らんのざぞ、心せよ、何んな事あっても不足申すでないぞ、不足悪ざぞ、皆 人民の気からぞと くどう申してあろがな、人民キから起って来たのざぞ、我の難儀、我が作るのざぞ、我恨むより方法(ほか)ないぞ、人民の心さへ定まったら、此の方 自ら出て手柄立てさすぞ、手柄結構ざぞ。此の世の物 一切 神の物と云ふ事まだ判らんのか、一切取り上げられてから成程なァと判ったのではおそいから嫌がられても、くどう同じ様な事申してゐるのざぞ、人民の苦しみ此の方の苦しみざぞ、人民も此の方も同じものざぞ、此の道理判りたか、此の方 人民の中に居るのざぞ、別辞(ことわけ)て申してゐるのざぞ。まだまだ大き戦激しきぞ、是で世よくなると思ってゐると大間違ひとなるのざぞ、是からが褌(ふんどし)ざぞ、よき世となれば褌要らんのざぞ、フラリフラリと風に吹かれるヘチマぢゃ、ヘチマ愉快で嬉しひなあ、風の間に間に雨の間に間にユタリユタリと嬉しかろがな、何も彼も嬉し真から楽しき世ざぞよ。誠が神であるぞ、コトが神であるぞ、元であるぞ、道であるぞ、日であるぞ月であるぞ。始めコトありと申してあろがな、キであるぞ、まつりであるぞ。』(雨の巻 第十六帖)

Posted on 2017/06/12 Mon. 13:12 [edit]

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まわりうた 

なかきよの ねみれはあさの
  みかめさめ かみのさあはれ みねのよきかな

(長き夜の 寝見れば朝の 身が目覚め 神の座あはれ 御音の良きかな)

解説

寝(ね)は「ねること。眠り。」、あはれは「‘をかし’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

長い夜の眠りの中、夢を見るだけ見たので、気が付けば朝になって目覚めていた。

……というような感覚で、この世界全てが単なる物質世界ではなくて、神そのものの世界であったことに気付き、とても感慨深い。

あぁ、この目覚めの感覚の良いことだなぁ。

Posted on 2017/06/12 Mon. 12:20 [edit]

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まわりうた 

すめらかた むかのさくみて
  きあふけふ あきてみくさの かむたからめす

(皇型 無価の座組みて 来合ふ今日 明きて三種の 神宝見す)

解説

皇(すめら)は「天皇に関する事柄を表す語に付いて、敬意をこめてほめたたえる意を表す。すべら。」、無価(むか)は「値をはかることができないほど貴重なこと。むげ。」「代価を必要としないこと。ただであること。」、来合う(きあう)は「ちょうどやって来て、たまたま出会う。」、見す(めす)は「‘見る’の尊敬語。御覧になる。御覧遊ばす。」「‘治める’の尊敬語。統治なさる。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、下記ブログを見て、それをモチーフに書いた歌です。

『言霊の会・残る1つのキーワード(3)』(moto MEMO BOXさん)
https://ameblo.jp/motoharu567/entry-12282537184.html

雑感

自分で書いて置きながら何ですが、どう解釈して良いのかわからんです。

個人的には、何でも無料で税金を取らない「日の光の政治」の実現を詠ったものと解釈したい。

日の光の政治については下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

Posted on 2017/06/12 Mon. 11:36 [edit]

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12

まわりうた 

みるさうに こころきおくか
  いたりけり たいかくおきろ ここにうさるみ

(見る像に 心記憶が 至りけり 大覚賾ろ 此処に失さる身)

解説

像は「かたち。姿。ありさま。」、大覚(だいかく)は「正覚しようがくを得ること。悟りを開くこと。大いなる悟り。大悟。」「正覚を得た人。仏。如来。」、賾ろ(おぎろ)は「広大・深遠であること。また、そのさま。」、失さる(うさる)は「なくなる。消えうせる。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/12 Mon. 02:16 [edit]

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12

まわりうた 

かみのいめ くはしきなみの
  いれてはて れいのみなきし はくめいのみか

(神の夢 細しき波の 入れて果て 霊の身和ぎし 薄明のみが)

解説

夢(いめ)は「ゆめ。」、細し(くわし)は「うるわしい。細やかで美しい。」、和ぐ(なぐ)は「心が穏やかになる。なごむ。」、薄明(はくめい)は「日の出前と日没後のうすあかりの状態。地平線または水平線下の太陽からの光が、上空大気で散乱して生じる。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/11 Sun. 00:21 [edit]

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11

まわりうた 

よちるてん せかいてんてる
  しほときと ほしるてんてい かせんてるちよ

(捩る点 世界点出る 潮時と 聘る天帝 俄然照る地輿)

解説

捩る(よじる)は「ひねり曲げる。ねじる。ひねる。」、潮時は「潮の満ちる時、また、引く時。」「物事を始めたり終えたりするのに、適当な時機。好機。」、聘る(ほじる)は「招く。よぶ。」、天帝は「古代中国で、宇宙の万物を支配すると考えられた神。造物主。上帝。 」「仏教で、帝釈天(たいしゃくてん)のこと。てんたい。」「キリスト教で神のこと。上帝。」、俄然は「突然ある状態が生じるさま。急に状況が変わるさま。にわかに。」、地輿(ちよ)は「大地。坤輿(こんよ)。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

解釈が難しいが試みてみる。

シュタインズゲートというアニメで「世界線」という言葉が出て来るが、「世界点」はその線上における点と解釈したい。世界線とは、簡単に言うと時空の流れを線で現したもの。

うろ覚えだが、シュタインズゲートでは別のパラレルワールドに移動するときに「世界線を移動する」とかいう表現を使っていたように思う。

ということで、歌の中で使われている「世界点」は、ニュアンス的には従来の延長線上にある世界とは違う線上に変わる転換点というような意味で使っている。

「捩る点」は、ある時点で世界が捩れるイメージで、今のカオス的な世界の状況から、一つの何らかの方向性が出て来る、というニュアンスを感じる。

続きが「世界点出る 潮時と 聘る天帝」となっているので、その方向性が出て来ることで、今までとは違う世界が出て来て、最後は天帝を招くような状態になる、と解釈できる。

結論としては、この「何らかの方向性」というのは、人々の心の中にある良心が、その内に留まっていることに耐えきれなくなって、一斉に表に出て来る現象のように感じる。そして、それが世界レベルで同時多発的に伝染していき、今の世の中の構造があっと言う間にひっくり返って、世界中が明るくなる、という風に感じる。

Posted on 2017/06/10 Sat. 19:00 [edit]

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10

まわりうた 

ちのいきし ことたまありて
  とうかふか うとてりあまた とこしきいのち

(地の生きし 言霊在りて 統合が 烏兎照り数多 常しき命)

解説

統合は「二つ以上のものを合わせて一つにすること。」、烏兎(うと)は「太陽と月。日月(じつげつ)。」「年月。歳月。」、常し(とこし)は「いつまでも変わらない。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

神道用語で「生言霊」(いくことたま / いくことだま)という言葉があるらしい。

生(いく)は「名詞に付いて、いきいきとしている、久しく栄える、の意を表す。」の意味なので、これは生き生きとした言霊、久しく栄える言霊、という意味になる。

一部ニュースやネットを見ていると、他人の悪口や一方的な批判ばかり目に付く所があるが、行く所まで行くと、今度は悪口等を言う人だけが勝手に自滅していくように思う。

そこまで行くと、悪口を言う当人もそれに懲りて何も言わなくなり、周りの人々も、その人の事(言)の顛末(てんまつ)を見て、悪口を言わなくなる。

いずれ、今までのような一連の悪い言葉には皆が飽き飽きして、反対に自分や周りが元気になって生き生きするような善い言葉が、そこら中に満ち満ちて来るだろう。

そうなれば、上と下、左と右、陰と陽、表と裏、+-、霊と体、神と人、天と地、など今まで分離していたものが一つに纏まりだして、今まで歩んできた長い長い年月に感謝するようになるのだ。また太陽も月も水晶のように輝いて来て、皆もこれまでとは全く違う仕様の永遠の命を頂けることとなるのだ。

Posted on 2017/06/09 Fri. 18:07 [edit]

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09

まわりうた 

なかきよの ひかるうみくか
  あいのみの いあかくみうる かひのよきかな

(永き代の 光る海陸 愛のみの 意明かく見得る 佳美の良きかな)

解説

陸(くが)は「陸地。りく。くぬが。」、意(い)は「心の働き。思っていること。気持ち。考え。」、明かし(あかし)は「明るい。」「清らかだ。偽りがない。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

見ての通り、永遠に続く新しい天地の様相を詠ったものです。

海も陸も、何かキラキラしていて水晶のように透き通っている。そこに居るだけで心が柔らかく、和やかになって、慈愛の気持ちが不思議と、後から後から湧き出て来る。また、そこで見ることが出来る光景、場面は、そのどれもが同じでないのに、皆それぞれに壮大すぎる美しさを纏っている。

もうこの状態にまでなれば、そこに居る自分はもはや何者かである必要は無く、ただその時と場所に応じた環境の中で、喜びそのものになっている。

料理をしている時は料理の喜び、本を読んでいる時はその中にある物語の喜び、というように、自分がその場その場で、それぞれの喜びと完全に溶け合っているため、ただその喜びを体験する存在になっているのだ。

だから心地好い風を頬に受ければ、風なる自分が人なる自分に触れていると同時に、人なる自分が風なる自分に触れられているように感じるということ。

厳密に言うと、もうそこには「自分」という者はおらず、無限の自分になっている。自分は風であり、また人でもあり、また森羅万象そのものである。

そこにはただ風なる自分と人なる自分の両者の出会い、触れあいがあるのみで、触れあうことで人なる自分も風なる自分も両方気持ち良くなり、実体としてはそこにただ喜びのみが存在している、と感じられる。

かといって、新しい天地で小我がなくなっているわけではない。むしろこれまで身魂に刻まれた経験をもとに、それぞれ持っている内なる情動のまま、惟神的に喜びに向かうことになる。

ある人にとってそれは音楽かもしれないし、ある人にとっては絵画かもしれない。その表れ方は千差万別であり、それぞれの分野から感じる喜びもまた必然的に千変万化していくが、喜びに向かうという点では共通一致している。

こうして誰一人同じでない道を歩んでいくが、全体としては常に一つにまとまっているという、何もかも噛み合った不思議な世界が、神の世界が完成するのだ。否、すでに完成せずして完成しているのだ。永遠の未完成のままに完成しているのだ。

そしてこの完成された世界は、完成されたままに回って行き、また一段奥にある超完成の世界へと昇華されていくのである。

Posted on 2017/06/08 Thu. 10:37 [edit]

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08

まわりうた 

すはるなか とのまさきなり
  きかとむと かきりなきさま のとかなるはす

(統ばる中 十の真先なり きかと無と 限り無き様 長閑なる蓮)

解説

統ばる(すばる)は「集まって一つになる。すまる。」、きかとは「はっきりと。明白に。」、長閑(のどか)は「静かでのんびりとして落ち着いているさま。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

解釈が難しいが試みてみる。

「と」には十の漢字を当てたが、このトは尖ったト、頭(とう)のト、処(ところ)のト、扉のト、のニュアンスを感じる。

またこの「十」は縦と横のちょうど中心の処を表していて、これは体の中心に位置する胸の部分を表しているようにも思う。

感じるイメージでは、自分の意識が一つに集まることで、自分の身体の中心にある胸の部分から、暖かいような冷たいような、何か柔らかい空気みたいなものが出て来て、それが全身に広がっていく。そしてそのスースーしたものが、自分の意識と共に頭の天辺へと昇っていき、さらにその先にある何も無い、限り無い空間へと抜け出ていくような、そんな感じです。

簡潔に言うと、胸(無の根)の中から来たスースーした何か、静かなる何か、平安なる何かが、自分の身体と意識全体に広がり、すっぽりと包み込んだ後、そのまま脳天から抜けていく感じです。

Posted on 2017/06/07 Wed. 20:03 [edit]

category: まわりうた

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07

まわりうた 

きしまうて みひかりあふる
  ふみとへと みふるふありか ひみてうましき

(岸詣で 御光浴ぶる 踏み処へと 身震ふ在り香 陽見て美しき)

解説

詣づ(もうづ)は「参る。参上する。▽‘行く’の謙譲語。」、浴ぶ(あぶ)は「浴びる。」、踏み処(ふみど)は「踏んで立つ所。足を踏み入れる所。ふみどころ。」、在り香(ありか)は「よいにおい。香り。」、美し(うまし)は「満ち足りていて美しい、すばらしいと賛美する気持ちを表す。よい。すばらしい。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ちなみにこの歌は、彼岸に渡った直後に見る風景をイメージしています。

なのでこの「岸」は、いわゆる彼岸の岸辺のことと解釈したい。自分のイメージでは、夜明けの岸辺に立って、昇る朝日を半ば茫然としながら眺めている、というもの。

特に「身震ふ在り香」が、この歌の一番の楽しみどころではないかと思う。

夜明けの彼岸の絶景なる場所へと足を踏み入れた瞬間、(死後の霊的な)身体が震えるほどに良い香りがする、ということかと思う。

当然そこで見ている太陽は霊界の太陽になるわけだが、この光がとてつもなく心地よいのだ。その光を浴び、その光から感じる香りを吸い込むと、身体全体がスーーっと透き通って、まるで消えていくような感覚になる。

それは、自分の心が一切合財洗われるほどだ、というと月並みな表現になってしまうが、とにかく圧倒的な清々しさと爽やかさが感じられて、うーん、何というか、その瞬間に何もかも投げ出して、この世界全部をぎゅっと抱きしめたくなるような感覚になるのだ。

有り難さと、感慨深さと、申し訳なさと、嬉しさと、懐かしさと、清々しさと、とにかく言葉で到底表現できないほどの、何というか、今までずっと忘れていた故郷に帰ったような感覚になるのだ。そしてその故郷はもの凄く懐かしいのに、とてつもなく新鮮なのだ。初めて見る景色なのに、どこか遠い遠い昔で見たような不思議な景色なのだ。

Posted on 2017/06/06 Tue. 20:59 [edit]

category: まわりうた

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06

まわりうた 

なかひひき たまのくらした
  かみのみの みかたしらくの またきひひかな

(中響き 玉の座自他 神のみの 御形至楽の 全き日々かな)

解説

全し(またし)は「完全だ。欠けたところがない。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

解釈を試みてみる。

歌の内容は要するに、天帝が宇宙の中心の玉座に座って即位することで、全てが神のみの姿かたちになって、完全なる至楽の日々が訪れる、というものだが、玉の座は魂(たま)の座でもあることから、これは一人一人の心の中でも起こるということでもあるように思う。

さらに解釈すれば、玉は球(たま)に通じるので、天帝が座る玉座とは、丸い玉の形をした地球のことであろう。地球から見れば天帝の降臨となるが、宇宙全体で見てみると、地球という玉(球)の座に新たな天帝が即位した、という意味になる。

つまりこれは、大きく見れば天帝の即位であり、小さく見れば、各々の魂が更新され、自身は神であり、また外の世界も神の世界であることが、ありありと判るようになって、至楽の日々を送れることになる、ということだ。

さらに踏み込むと、この「中響き」は「永響き(ながひびき)」でもある。結果的に見れば、永遠に渡る響きであり、こ度の天帝の即位が、永遠に渡っての出来事であることを表している。

また「中響き」との言葉からも判るように、この変化は外からの影響ではなく、自らの内の中心なる部分にある魂の座から行われるので、一人でに、自然に、自発的に起こる。

おそらく宇宙全体から見れば、この地球は魂の座に当たるところと思われるので、これも「中響き」であると言えよう。

遠い遠い未来、宇宙には様々な星が生まれ、知的生命体を含めた、ありとあらゆる生命体が住まうことになるが、見渡す限りの宇宙に広がる全存在のプロトタイプが、モデルが、今のこの地球で生まれている、ということになる。

いわばこの地球は、全宇宙の雛形なのだ。そして想像するに、今現在の宇宙はまだ、神が想像したに過ぎない、頭の中での宇宙なので、本当の宇宙は生まれていない。

つまり我々は無の世界、判りやすくいうと神が意識した想像の世界に住んでいるに過ぎないが、その想像の中で育まれた各魂が実を結び、こ度の天帝の即位に合わせて新たな魂として生まれ出る、ということになる。

とにかく宇宙開闢以来のめでたい時節が到来したという、ある意味おそろしいほどの大変な結構がめぐって来て、ただただ有り難いばかりである。

Posted on 2017/06/05 Mon. 14:42 [edit]

category: まわりうた

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05

まわりうた 

なかきよの ひかりかあみた
  なかつうつ かなたみあかり かひのよきかな

(永き代の 光が阿弥陀 中つ渦 彼方身上がり 加被の良きかな)

解説

阿弥陀は「大乗仏教の浄土教の中心をなす仏。法蔵比丘びくとして修行中に衆生しゆじよう救済の願をたて、現在は成仏し西方の極楽浄土で教化しているとされる。自力で成仏できない人も、念仏を唱えればその救済力によって、極楽に往生すると説く。平安時代に信仰が高まり、浄土宗・浄土真宗の本尊となる。弥陀(みだ)。阿弥陀仏。阿弥陀如来。無量寿仏(むりょうじゅぶつ)。無量光仏。無碍光仏(むげこうぶつ)。清浄光仏。尽十方無碍光如来(じんじっぽうむげこうにょらい)。」、中つ(なかつ)は「中の。中央の。」、加被(かび)は「仏・菩薩・神が慈悲の力を加えて衆生を助け、願いをかなえること。加護。被護。加持。 」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/05 Mon. 00:30 [edit]

category: まわりうた

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05

まわりうた 

なかきよの またきゐれつは
  せかいあい かせはつれゐき たまのよきかな

(永き代の 全き威烈は 世界愛 枷外れ委棄 玉の良きかな)

解説

全し(またし)は「完全だ。欠けたところがない。」、威烈(いれつ)は「威光の激しいこと。激しい威力。」、枷(かせ)は「心理的、物理的に行動の妨げになるもの。」、委棄(いき)は「捨てて顧みないこと。置き去りにすること。遺棄。」「法律で、物または権利を放棄して他人の自由にまかせること。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の解釈を試みる。

前半部分は、永遠の世界に通じる完全なる威光は、この世界の全てを愛する心だ、という意味かと思う。

そして、その愛が広がるにつれて今まで心理的、物理的に妨げになっていたものが外れて、もうその枷には見向きもしなくなる。そうして現れて来る新たな玉(魂)の良いことだなぁ、ということかと思う。この「玉」は、ニュアンス的には、枷が外れることによって手に入れる初めての自由な心境、という感じがする。

ちなみに、委棄は「法律で、物または権利を放棄して他人の自由にまかせること。」の意味もあることから、何もかも無料で奉仕する日の光の政治を指しているようにも思う。また玉(球)は、その形状が丸いことから、何もかもが円満な状態に世界全体がなる様子も表しているように思う。

日の光の政治については下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

Posted on 2017/06/03 Sat. 17:05 [edit]

category: まわりうた

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03

まわりうた 

しまひあく とくいてんてる
  たくせうせ くたるてんてい くとくあひまし

(仕舞ひ開く 特異点出る 濁世失せ 降る天帝 功徳相摩し)

解説

仕舞いは「物事が終わること。物事をやめること。」「物事の終わりの部分。最後。」相摩す(あいます)は「互いにこすれ合う。触れ合う。」、特異点は「曲線や曲面上で,その点での接線や接平面が存在しなかったり,二つ以上あったりする点。」、濁世(だくせ)は「政治や道徳の乱れた世。だくせい。」、功徳は「よい果報を得られるような善行。普通、供養・布施の類をいう。」「以前によいことをしたために、実現したよい報い。神仏が与えるよい報い。」、相摩す(あいます)は「互いにこすれ合う。触れ合う。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「最先(いやさき)と最後(いやはて) -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の中にある「特異点」は数学的な意味よりも、どちらかというと文化的特異点の意味で使っている。

『文化的特異点』(wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%87%E5%8C%96%E7%9A%84%E7%89%B9%E7%95%B0%E7%82%B9

上記ある通りだが、文化的特異点とは、たとえば原始時代で、これまで全く見られなかった火を使う人が現れたりして、それまでの文化が一変する分岐点のこと。

要するに、精神世界界隈でさんざん言われてきたパラダイムシフトが、いよいよ起こるのではないか、ということ。

Posted on 2017/06/02 Fri. 20:52 [edit]

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02

まわりうた 

きみしのふ こくとものひの
  まいにちに いまのひのもと くこふのしみき

(君偲ぶ 国土も野火の 毎日に 今の日の本 苦業の死見き)

解説

野火は「野山の不審火。また、野の火事。」、苦業は「苦を生む行為。また、そのむくいとして受ける苦。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「ナウシカ・レクイエム」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

これまでは、日本があまりに酷くなる前に何とかできれば、と思っていたが、ここ最近の出来事、特に政治の動きを見ていると、もうおそらくダメだろうと思う。

自分は大したお金もなく外国語も話せないので無理だが、お金を持っている人、外国につてのある人、外国語が話せる人は、もう日本から出て行ったほうが良いように思う。

これまでの再稼働を含めた経緯を見ていると、今後どこかの時点で必ず、第二の原発事故が起きる。大分、長野に地すべりがあったように、日本の国土を横断する中央構造線も動き出しており、それはいつ起こってもおかしくない時期に入ったと言える。

九州、四国、関西、どの原発が事故を起こしても、日本の国土の大部分が半永久的に放射性物質に汚染されるのでジ・エンドだ。ひとたび事故が起こってしまったら、容易に出国できない恐れがある他、出国の際の初期被ばくによって、命を落とす危険性もある。

こう説明すると「日本を捨てることになる」という後ろめたさを感じる人もいるかもしれないが、そうではない。北朝鮮のミサイルが飛んでくるかもしれないのに未だ原発再稼働を進めたり、食べて応援に始まって、全国の公共事業で余っている(8000ベクレル/kg以下の)汚染土の利用、さらには森本、加計学園問題の経緯等を見ていると、すでに国は民を捨てているとしか思えない。

戦前、「戦争」のために国土と国民全てを犠牲にしたように、今回は「経済」のために全てを犠牲にするようだ。

まさか国が、国民をここまで殺しにかかるとは思わなかった。残念無念の極みで、何とも寂しいかぎりである。

Posted on 2017/06/02 Fri. 00:06 [edit]

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02

いろはうた 

あまつみかとは ほいをすゑ
おもなるえにへ ゆめぬけね
くたりてさんせ うちひらき
のそむよろこふ われゐやし

天つ帝は 本意を据ゑ
主なる縁へ 夢抜けね
降りて三世 打ち開き
臨む喜ぶ 我礼し

解説

天つ(あまつ)は「天の。天空の。」、本意(ほい)は「ほんとうの考え。本来の目的。ほんい。」、縁(えに)は「えん。ゆかり。」、ねは「強意の助動詞‘ぬ’の命令形」、三世(さんぜ)は「前世・現世・来世、または過去世・現在世・未来世。過去・現在・未来の称。三界。三際(さんさい)。」「本人・子・孫の3代。さんせい。」「《親子の縁は一世、夫婦の縁は二世、主従の縁は三世というところから》主従の関係。」、打ち開くは「広々と開けている。うちひらける。」「大きく開く。また、勢いよく開く。」、臨むは「統治者・支配者として対する。」「ある事態が起こるようなところに身を置く。そういう時に当たる。出あう。直面する。」、礼(ゐや)は「敬うこと。礼儀。うや。」「敬意を表して頭を下げること。」、しは「‘為(す)’の連用形。」の意味です。

念のために書いておくと、「礼(いや)し」は「礼(れい)する」の連用形の「礼(れい)し」と同じように、頭を下げ、という意味になる。

余談

この歌は、サティヤ・サイ・ババの「ガーヤトリーマントラ 108 - Gayatri Mantra」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

天帝は本来の考え、本当の目的を据え、主なる縁へと引き寄せる。(この縁を通じて)夢の世界を抜けなさい(と言う)。(天から)降って、三千世界を勢いよく開き、全世界、全宇宙に臨むその姿に大いに喜ぶ私は、ただただ頭を下げ……(あぁ、ただただ感無量だなぁ)。

雑感

この歌は非常に重要な歌と感じるので、細かく解釈を試みることにする。

天帝が本来の目的を据えるということは、いよいよ天帝の降臨が近いと考えられる。

「主なる縁へ」とは、神がその人を助けられる縁を起こして、ということ。いくら善人でも、神を信じていない人には、どうやっても神は助けることが出来ない。天帝は万物万象に渡り、また過去・現在・未来を通じたどの時間軸にでも存在していて、一人一人を厚く守護しているが、その人が神を信じようとしなければ、感じることができないし、助けることもできない。といっても、その人が判らなくても、見えない所で助けられているのだが、その人がそれを感じようとしないがゆえに、助けられたとは判らない、ということ。

また、天帝は万物万象に偏在しているので、あそこの山に居る、とか、ここの部屋に居る、とか、あの人に宿っている、とかいう形では現れることができない。なぜなら、そうなった瞬間、無限の広がりを持つ天帝が、たちまち有限の物質という檻の中に閉じ込められてしまって、その姿形が変容してしまうからだ。

唯一判るのは、外ではなく、それぞれの心の中から感じられるようになる。そうして感じられるようになれば、万物万象を通して、神を感じられるようになる。

ちょうど将棋の名人が将棋盤を見た時、そこに素人では見えないものを見て、感じ取っているように、神を信じて、神を感じ取ろうと道を歩めば、日常を通して神を感じられる、ということ。いや、というよりも、神しか存在していないことが判る。

まるでコインの裏表のように、その都度思う自分の心にぴったりと一致して、森羅万象が動いているのが感じられるのである。

しかし普通はそれを中々感じられない。神がこの世に居るかもしれない、とは思うものの、神はこの世に絶対存在する、とまではどうしても確証が持てない。言い切れない。

だから、一人一人を主なる縁へと引き寄せるということだ。簡単にいうと、神が存在するということを見せるとうこと。それはどういう形になるかはわからず、それこそ神のみぞ知るところだが、その縁を、その出来事を通じて、今までの、神は存在しない、この世はお金が全て、という夢の世界から抜けなさい、ということかと思う。

その最たるものが天帝の降臨であり、その時には今までの三千世界は一新され、皆救われ、喜びに打ち震えながらも、もはや神の御業(みわざ)としか思えないその出来事に、有り難い勿体ないその縁に、ただただ頭が下がるのみとなる、ということかと思う。

Posted on 2017/06/01 Thu. 12:44 [edit]

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01

まわりうた 

かみのひと ふたいてんてる
  たくまいま くたるてんてい たふとひのみか

(神の人 不退転出る 琢磨今 降る天帝 尊びのみが)

解説

不退転(ふたいてん)は「信念を持ち、何事にも屈しないこと。」「修行を通して得た功徳や悟りが決して失われることのない段階に達すること。また、怠ることなく勤行を続けること。不退。」、琢磨は「玉などをとぎみがくこと。 」「修行して、学問・技芸・精神などを向上させること。」、尊ぶ(とうとぶ)は「尊いものとしてあがめる。たっとぶ。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

個人的に確認はできないが、歌から感じるイメージをそのまま読み取ると、世界中に散らばっている神なる人の身魂磨きが完了したこの今の状況に呼応して、天帝が地上に降る、という内容になる。

兎にも角にも、一日も早い天帝の御降臨を願うばかりだ。

Posted on 2017/06/01 Thu. 00:27 [edit]

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01

まわりうた 

かとかみつ まあかきしきと
  ふたかみか たふときしきか あまつみかとか

(下土が満つ 真明かき時期と 二神が 尊き磯城が 天つ帝が)

解説

下土(かど)は「下界。大地。」、真(ま)は「(名詞・形容詞・形容動詞などに付いて)うそいつわりのない、真実の、本当の、などの意を表す。」、明かし(あかし)は「明るい。」「清らかだ。偽りがない。」、時期は「事を行うための期間。ある区切られた時。おり。」「季節。時節。」、磯城(しき)は「周囲に岩石をめぐらした祭場。」、天つ(あまつ)は「天の。天空の。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/05/31 Wed. 23:31 [edit]

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31

まわりうた 

なかきよの ひかるしんしう
  かしらから しかうしんしる かひのよきかな

(永き代の 光る神州 頭から 至高神知る 加被の良きかな)

解説

神州(しんしゅう)は「神の国。神国。日本で自国の美称として用いた。」、頭(かしら)は「人間や動物の首から上の部分。あたま。こうべ。」「一団の人々を統率する人。統領。特に、鳶職(とびしょく)・大工・左官など職人の親方。」、加被(かび)は「神仏が力を貸して守ってくれること。加護。」の意味です。

余談

この歌は、サティヤ・サイ・ババの「ガーヤトリーマントラ 108 - Gayatri Mantra」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

この歌の「神州」は特に日本に限らず、神国という意味で使っています。

また「頭」は、頭の頂点から感じるという意味の他、大統領とか首相とか、この世における各分野で、一番偉い地位についている人から神を感じ取るようになる、という意味も含まれているように感じます。

Posted on 2017/05/30 Tue. 19:02 [edit]

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30

まわりうた 

かみのしつ うちのひかてり
  たいうちう いたりてかひの ちうつしのみか

(神の実 内の日が照り 大宇宙 至りて佳美の 智映しのみが)

解説

実(じつ)は「ほんとう。真実。」「まごころ。誠実。」「中身。内容。実質。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、サティヤ・サイ・ババの「ガーヤトリーマントラ 108 - Gayatri Mantra」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/05/29 Mon. 17:05 [edit]

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29

まわりうた 

たまふらは むかははちちく
  かたむかむ たかくちちはは かむはらふまた

(魂振らば 向かはば地軸 傾かむ 高く父母 神掃ふまた)

解説

魂(たま)は「たましい。」、地軸は「地球の自転軸。公転面に対して垂直ではなく66.6度ほど傾斜している。この軸は不動ではなく、空間に対しても、地球自身に対しても変位し、前者を歳差・章動、後者を極運動という。」「大地の中心。大地の支え。」、神掃う(かむはらう)は「神の力で、けがれや災厄などを追いはらう。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「最先(いやさき)と最後(いやはて) -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

世界中に洪水伝説があるが、あれは過去、地球の地軸が傾いて起きたことが元になっているという話がある。

下記記事によると、今回またも同じことが起ころうとしているのだとか。

『クリシュナ物語(60)』(サイババが帰って来るよ)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/96873b994d514f45e229057519f5e77d

世の中の動きを見ていると、限界のそのまた限界の所へと極まって来ている感があるし、日月神示にも地軸について書かれてある部分があるので、それは有り得るかもしれない、とは思う。

日月神示参照。

『天(あま)さかり地(くに)さかります御代となるぞ、臣民の心の中にいけおいた花火 愈々ひらくとききたぞ、赤い花火もあるぞ、青いのもあるぞ、黄なのもあるぞ、それぞれのミタマによりて、その色ちがふのざぞ、ミタマ通りの色出るのざぞ。金は金ぞ、鉄は鉄ぞ、鉛は鉛として磨いてくれよ、金のまねするでないぞ。地つちの軸 動くぞ、フニャフニャ腰がコンニャク腰になりて どうにもこうにもならんことになるぞ、其の時この神示、心棒に入れてくれよ、百人に一人位は何とか役に立つぞ、あとはコンニャクのお化けざぞ。』(磐戸の巻 第五帖)

『我が名呼びておすがりすれば、万里先に居ても云ふこときいてやるぞ、雨の神、風の神、岩の神、荒の神、地震の神、と申してお願ひすれば、万里先に居ても、この世の荒れ、地震のがらせてやるぞ、神々様に届く行で申せよ。こんなよき世は今迄になかりたのぢゃ、膝元(ひざもと)に居ても言葉ばかりの願ひ聞こえんぞ、口と心と行と三つ揃った行い、マコトと申して知らしてあろが。時節来てゐるなれど、わからん人民多い故 物事遅くなりて気の毒なるぞ、今暫くの辛抱なるぞ、神は人民に手柄立てさしたいのぢゃ、許せるだけ許してよき世に致すのぢゃ、ここまで開けたのも神が致したのぢゃ、今の文明なくせんと申してあろうが、文明残してカスだけ無(のう)にいたすのぢゃ、取違ひ慢心致すなよ。日本の国いくら大切と申しても、世界中の臣民とはかへられんから、くにひっくりかへること、まだまだあるかも知れんぞ、くにの軸 動くと知らしてあろがな。此の神示キの儘であるから心なき人民には見せるでないぞ、あまりきつくて毒になるから、役員 薄めて見せてやれよ、一日も早く一人でも多く助けてやりたいのぢゃ、神まつり結構ぞ、神まつらいでいくら道説いても肚にはいらんぞ、肚に入らん道は悪の道となるのぢゃ、頭ばかりで道歩めん道理わからんか、改心足らんぞ。』(風の巻 第五帖)

『善言(よごと)は神、なにも上下、下ひっくり返ってゐるから、分らんから、神の心になれば何事も分るから、鏡を掃除して呉れよ。今にこのおつげが一二三(ヒフミ)ばかりになるから、それまでに身魂をみがいて置かんと、身魂の曇った人には何ともよめんから、早く神こころに返りて居りて呉れ、何も一度に出て来る。海が陸になり陸が海になる。』(上つ巻 第三帖)

一応歌の解釈を書いておくと「魂振らば 向かはば」は、地球の魂が振ったら、それを決心することに向かったら、という意味かと思う。石油を際限なく汲み上げたりして、もはや地球の環境は元に戻らない所まで来ているので、地球の魂が、もはやこれまで、と判断したら、その時に地軸が傾くのだろうと思う。

神道用語で魂振り(たまふり)というものがあるが、おそらくあれに相当するものかと思われる。具体的にどうなって地軸が傾くのかはよくわからないが、マントル奥深くにある地球の核が、何らかの異常振動を起こすということかもしれない。

「高く父母」は、その後に神(かむ)と来ているので、これは誰かの両親という意味ではなく、人類レベルで見た父母、つまり神様ということだろう。広義で見れば陰と陽のエネルギーの流れという感じがする。要するに、今はバランスが傾いているので、それを戻すために掃うということかと思われる。

この世は相似形なので、地軸が傾くという大掃除もまた、個々の内にある心のバランスを取るために行われるのだと推察できる。地軸がいつ傾く、どこに逃げたら助かる、ということを知るのも大事ではあるが、まずは自分の心のバランスを取り戻し、いつも平安で居ることが、今求められていることではないかと思うのである。

むしろそれを促す為に、これらのことが今現在起きつつある、という見方も出来るかと思う。

Posted on 2017/05/28 Sun. 11:16 [edit]

category: まわりうた

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28

まわりうた 

すへかみの ひかりのいまの
  かひなかな ひかのまいのり かひのみかへす

(皇神の 光の今の 腕かな 彼我の真祈り 佳美のみ返す)

解説

皇神(すべがみ)は「神を敬っていう語。すめがみ。」、腕(かいな)は「‘うで’の古い言い方。肩からひじまでの部分。二の腕。また、肩から手首までの部分もいう。うで。」、彼我(ひが)は「他人と自分。相手方と自分方。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/05/27 Sat. 20:35 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

かけんてる けさのひかてり
  しあいない あしりてかひの さけるてんけか

(仮現出る 今朝の日が照り 至愛内 阿知りて佳美の 咲ける天華が)

解説

仮現(かげん)は「 神仏などが、かりにこの世に身をあらわすこと。化身。」、阿は「梵語字母の第一字、およびそれによって表される音。密教では、阿字はすべての梵字に含まれており、すべての宇宙の事象にも阿字が不生不滅の根源として含まれていると考える。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、咲けるの‘る’は「存続の意味の助動詞‘り’の連体形。…ている。…てある。」、天華は「天上界に咲くという霊妙な花。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「CREID」を聴きながら、下記ブログを読んで、それをモチーフに書いた歌です。ちなみに「CREID」はゲール語で「信じる」という意味だそうです。

『インタビュー特集(46)大奇跡が起こるよの巻』(サイババが帰って来るよさん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/11edf80d4cb47759fea7493add26c9c5

雑感

上記日記によれば、いつの日か、そう遠くない未来にサイババが再降臨されるのだそうだ。他の日記も合わせて読んでみたら、このサイババというお方は、明らかに大元の神様の化身なので、有り難い話だなぁ、と思います。

日本も放射能汚染問題とからんで、日を追うごとに悪化して来ているので、一日も早い御降臨を願うばかりだ。日月神示に、神の眼から見ても、人の眼から見ても、見て居れない、という旨のことが書かれているが、まさにその状況が目の前に広がっている。

東京も実はかなり汚染されているという話があったが、大手の新聞でもようやく、放射性物質が都内にも飛来していたことを報道している。

『放射性セシウム含む微粒子 「3.11」後、都内にも飛来』(日本経済新聞より)
http://www.nikkei.com/article/DGXLZO16870290V20C17A5CR8000/

それを裏付けるように循環器系の病気(インフルエンザによる学級閉鎖 / 甲状腺がんや心臓病の増加 等)の蔓延に加えて、中枢神経の障害(いくら寝ても抜けない疲労感 / ブレーキとアクセルの踏み間違いによる追突事故 / シャンプーを二度してしまうなどの極度の物忘れ / 素っ裸で街中を歩いてしまったり、電車内で奇声を発してしまうなどの奇行 等)と思われる事象も、実際に出て来ている。

下記記事参照。

『かにちゃんと世界線』(twitterより)
https://twitter.com/hunterkani?lang=ja

『今日の放射能 健康被害が広がっている!』(ずくなしの冷や水さん)
http://inventsolitude.sblo.jp/article/46082335.html

『被曝症状最前線 こんな症状が出たら被曝が原因ではないかと疑うのが今の日本の常識です』(ずくなしの冷や水さん)
http://inventsolitude.sblo.jp/article/171710583.html

しかもそれら病気や障害は終わるどころか、チェルノブイリの例と同じく、今後さらにひどくなり、日本の首都圏はもうダメだ、放射能にはどうしても勝てない、と社会全体で共有認識するまで止まらない見通しなので、もうどうにもならない。

前復興大臣の痩せ方具合や国会での与野党のやり取りを見ていると、政治家の方たちの被ばくも疑うぐらいだ。

超一級の被ばく対策をしているであろう方たちでさえ、あのような状態なのだから、一市民にとってはもう逃げ出す以外にない。だが日月神示では、殺さなならん人はどこまで逃げても殺さないといけない、とも書かれてある。生かす人はどこにいても生かさなならん、ともある。

ここまで来たらもうお手上げで、神様に祈ってすがるより他に道がないように思う。一日も早い天帝の御降臨を願うばかりだ。

個人的な見解を言うと、この放射能問題は日本の国と、日本人のカルマだと思われ、また各人々の霊的な振り分けでもあるように思う。

たとえば被ばく症状で極度に眠くなるというものがあるが、ある人は運転中に極度の眠気に襲われ事故を起こしてしまうかもしれないし、ある人は眠ることで霊体の調整が進み、今まであまり取れなかった休息を取ることで心に余裕が生まれ、それが良い結果を招くかもしれない。

また中枢神経に障害がおこると、感情の制御がきかなくなるが、ある人はそれで怒りっぽくなってしまって、これまでは温厚な性格で喧嘩などしなかったのに、電車内で喧嘩をしてしまうかもしれない。しかしその喧嘩を見て、普段はあまり他の人に関わらないようにしている人が、見るに見かねて止めようとするかもしれない。

霊的な視点で言えば、おそらく善行というものは、私たちが思っている以上に、その人自身にとって良い影響をもたらすはずで、それは形の大小に関わらない。

なぜなら、善行とは良心の発露であり、良心の発露をすることで、自分の霊的な階層が上がるからだ。簡単に言えば、この宇宙の最高の座に位置する神様、良心の神様が自分の中から出て来るので、その神様が自分の中から出て来るということは、即ち自分がその宇宙の最高の神様と一つになるからである。

日本でも原発の再稼働が続いているし、下記記事によれば、米国の核施設も老朽化で相当危ないとあり、ひとたび事故を起こせば福島原発事故と匹敵するほどだ。

『ハンフォードからどれだけ放射性物質が飛散しているんだろう』(ずくなしの冷や水さん)
http://inventsolitude.sblo.jp/article/179723250.html

さらなる放射能汚染で私やあなたの肉体は滅ぶかもしれないが、その滅びの中で自らの心を見つめて、愛善の行いを一つでも多く為すならば、それは紛れもなく幸いなのだ。最善を尽くしてもなお、さらなる過酷事故が起きてしまったのならば、それはそれでよかったのだ。もし起こってしまったのなら、もうそう思うしかない。

話は飛ぶが、加計学園問題で文科省の前事務次官が記者会見を開いて、文科省が「存在は確認できなかった」という内部文書についての存在を認めているが、とても良い兆候だと思う。

半信半疑だった日月神示の下記部分の兆候が、よもやここで出て来るとは思わなかった。このままバタバタと埒(らち)が明いて、何もかも捧げる無料の世の中に早くなればよいと思う。

日月神示参照。

『神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言ふ時ぞ。神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てん詞様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんばばかりと申してもあまりでないか。』(地つ巻 第十五帖)

『桜咲き神の御国は明けそめにけり。十月になったらぼつぼつ会得るぞと申してあろがな。叩(はたき)かけてばたばたと叩く処もあるぞ、箒(ほうき)で掃く処もあるぞ、雑巾かけしたり水流す処もあるのざぞ、掃除始まったらばたばたに埒(らち)つくと申してあろがな、めぐりだけの事は、今度は何うしても借銭無しにするのざぞ、花咲く人もあるぞ、花散る人もあるぞ。あめのひつ九のかミの御神名書かすぞ、それを皆の者に分けてやれよ。聴き度い事はサニワで聞けよ、何んなことでも聞かしてやると申してあろがな、神せけるぞ。火吹くぞ。火降るぞ。』(日の出の巻 第十帖)

『今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民 火がついてもまだ気付かずにゐるが、今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。今度の御用外(はず)したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ。末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。』(日の出の巻 第二十帖)

何もかも無料の世の中については下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

上記神示の箇所で「十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ」という部分があるが、下記記事によれば2027年以内にゴールデンエイジが来るそうな。

『あと十三年でゴールデンエイジやて』(サイババが帰って来るよさん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/ff3fd7b9a0a368cd1187955d40af674f

日本も含め、貧困や戦争や病気に苦しむ人々は疎(おろ)か、動物も植物も、地球上のあらゆる所でみんなの苦しみが続いているので、2027年と言わず、こういう時代が一日もはやく来て欲しいと切に願うばかりである。

Posted on 2017/05/27 Sat. 12:29 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

みついのり とほきよのとも
  しあはせは あしもとのよき ほとりのいつみ

(密意の理 遠き世の友 幸せは 足元の良き 辺の泉)

解説

密意(みつい)は「深く隠されている本意。」、理(り)は「物事のすじ道。法則。ことわり。道理。」「(有為転変する、事実・現象に対して)真理・真実あるいは法・規範などをいう。仏教の真如・法性など。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

「幸せは 足元の良き 辺の泉」はおそらく、滾々と湧き出る泉にたとえた自分の心のことかと思う。要するに、自分の本心にどこまでも従うことで、真如を掴めるということ。

なぜなら全てが神の現れである以上、自分の心の中から出て来た本心もまた、全き(まったき)神の現れだからだ。なので「遠き世の友」は、自分の心の中にある神性と解釈できる。

ちなみに、どうやって自分の本心か見分けるかというと、清い泉の水のような澄み切った心、自分の内面からスーッと出て来る純粋な心が本心かと思われる。おそらく人はこの時に幸せを感じるのだ。つまり幸せは私合わせ(しあわせ)で、外的自分と内的自分が一致することで、そこに幸せが出て来るということ。

だから、○億円手に入るとか、理想の彼氏彼女に出会うとか、何か条件が揃って幸せになるのではなくて、外と内が一致した時に、無条件でフッとそこに幸せが湧いて来るのだ。何か理由があって幸せになるのではなくて、幸せという結果が、まず最初に前面に出て来るのだ。

Posted on 2017/05/26 Fri. 05:38 [edit]

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26

まわりうた 

つみのみか かみみなはのす
  ちはしめし はちすのはなみ みかかみのみつ

(罪のみか 神見なば乗す 地は示し 蓮の花見 御鏡の蜜)

解説

のみかは「…だけでなく。…ばかりか。」、蓮(はちす)は「〔花後の花托が蜂の巣に似ることから〕 ハスの別名。」「〔浄土教で極楽浄土に往生した者は、蓮の花の中に生まれると説くことから〕 特に、極楽浄土の蓮。また、極楽浄土や往生の象徴的表現。」の意味です。

余談

この歌は、ゲーム「ゼノサーガエピソードⅢ ツァラトゥストラはかく語りき」のEDテーマ「maybe tomorrow」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

この「花見」は、花見をするの花見ではなく「花を見」の意味です。あとこの歌はヒンドゥー教のヴィシュヌ神をモチーフにしているので、「御鏡の蜜」はアムリタ(永遠の命を得られる飲料のこと)のことと解釈したいところ。

歌の内容としては要するに、何でも神の現れと見ることで、悟りと永遠の命を得られますよ、ということ。

Posted on 2017/05/25 Thu. 17:13 [edit]

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25

まわりうた 

なかきえこ くかねのきしへ
  かみのみの みかへしきのね かくこえきかな

(長きえご 黄金の岸辺 神のみの 見返し季の音 各戸良きかな)

解説

えごは「山中のくぼ地。」「川の流れが入り江となってよどんでいる所。」、黄金(くがね)は「こがね。」、季は「一年を四つに分けた春・夏・秋・冬のそれぞれの時節。」、各戸は「それぞれの家。」の意味です。

余談

この歌は、ゲーム「ゼノサーガエピソードⅢ ツァラトゥストラはかく語りき」のEDテーマ「maybe tomorrow」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/05/25 Thu. 09:14 [edit]

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25

まわりうた 

またのりと みこにみるかひ
  なみたまた みなひかるみに こみとりのたま

(また祝詞 神子に見る佳美 涙また 皆光る身に 濃緑の玉)

解説

祝詞(のりと)は「儀式など改まった場面で、神を祭り、また、神に祈るときに神前で唱える古体の言葉。現存する最古のものは‘延喜式’所収の27編と、藤原頼長の日記‘台記’所収の中臣寿詞(なかとみのよごと)1編。のっと。のと。のりとごと。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、濃緑(こみどり)は「濃い緑色。真夏の木の葉の色。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「濃緑の玉」がよくわからないが、緑の玉というと翡翠が連想される。翡翠(ひすい)は火水(ひすい)で火水(かみ)に通じることから、これは神の玉という解釈が出来るのかもしれない。

イメージ的に言えば、神子が祝詞を唱える姿が畏きほどに美しいのだが、その祝詞が唱えられる度に皆の身体が光り、その魂が深い緑色になっていく映像が浮かぶ。

この深い緑色は真夏の木の葉の色にも象徴されるので、おそらく生命力が漲るという意味と同時に、日月神示でいうところの松心にも通じる気がする。

神示に松心の具体説明はないが、たぶん公の木(気)の心で公の利益を考える心のことだろう。つまり我善しとは反対の心のこと。また、まつのつを格助詞のつとして見ると「まつごころ」は「まのこころ」になって真心に通じる感じもする。

赤は情熱の赤とか言ったりするが、緑は心を落ち着かせる効果があるそうだ。青色も心を平静にさせる効果がありそうだが、こちらはどちらかというとシャープなイメージが湧く。緑色は青色よりも、もうちょっとほんわかしていて、その心を優しく包み込むことで心が落ち着くイメージ。

Posted on 2017/05/25 Thu. 03:06 [edit]

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25

まわりうた 

しらなみの くりかへしきて
  くかねふね かくてきしへか りくのみならし

(白波の 繰り返し来て 黄金舟 斯くて岸辺が 陸のみならし)

解説

黄金(くがね)は「こがね。」、斯くて(かくて)は「前に述べた事柄を受けて、あとの事柄が起こり、あるいは、あとの事柄に移っていくことを表す。こうして。このようにして。かくして。」、ならしは「…であるよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は、攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+(プラス)の中にある「Some Other Time」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌のイメージとしては、白波が繰り返し黄金の舟を押し流すことで、半ば自動的に岸辺に着き、目の前には見たことも無い新しい大陸が広がっている、というもの。

おそらく陸は離苦(りく)の言葉とかかっていて、一種心の流れを表したものとも解釈できる。白波は知らぬ波、知らない流れの意味で、自我では見ることのできない流れのことか。まあつまりは自我では見ることのできない法(ダルマ)のことかと思われる。よく見れば法は「サンズイ+去」なので、ニュアンスとしてはあながち間違っていないようにも思う。

ダルマについては下記記事参照。

『何がダルマで、何がダルマでないか』(sathya sai organization japanより)
http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19621005.html

黄金舟の黄金は九が音(くがね)で九つの音を意味し、これは九識、または九星図(魔方陣)と解釈できる。また舟は普根(ふね)で普く根本を表し、おそらく自分または現存の宇宙を指しているものと思われる。岸辺は帰し方(きしべ)で、その自我が知らない流れの先に着く方向、先を表す。どこに着くのかというと、先ほどの九が音(くがね)でも判るように、9の次の10に着く、十(神)の大陸に着くという意味かと思う。

そしてこれは神を100%帰依する心を持った、という意味でもあるのだろう。さらに9は一桁、10は二桁なので、この行き着く大陸は、今までの宇宙の枠組みの根本が変わっている場所と見ることが出来る。そしてこの10は、二桁の宇宙の世界の始まりの場所でもある、ということ。つまり一桁の宇宙、今までの宇宙から見れば10は「1」と「0」としてしか認識できず、0は見えないので、「10」は「1」に見えて、まるで9から1に戻るように、今までの宇宙を1からやり直すように感じるということでもあるように思う。

Posted on 2017/05/24 Wed. 13:41 [edit]

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24

まわりうた 

なかきよの ひとりよかよみ
  うちのまの ちうみよかより とひのよきかな

(長き夜の 一人余暇余味 内の間の 宙見よか寄り 肚皮の良きかな)

解説

余暇は「仕事の合間のひま。仕事から解放されて自由に使える時間。ひま。」、余味(よみ)は「あとに残っている味わい。あとあじ。」、宙は「大空。天。また、地面から離れた所。空中。空間。」、か寄る(かよる)は「《‘か’は接頭語》寄り添う。一説に、ゆらゆら動く。」、肚皮は「心の中。腹の中。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容は要するに、一人静かに心を鎮めれば、そこに神様が寄り添ってきて平安が広がりますよ、ということかな。

Posted on 2017/05/23 Tue. 21:04 [edit]

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