07 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 09

花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよの みなねふるのら
  かたむけむ たからのるふね なみのよきかな

(長き夜の 皆眠る野良 潟向けむ 宝乗る船 波の良きかな)

解説

眠る(ねぶる)は「ねむる。」、野良は「野。野原。」「田や畑。」、潟(かた)は「砂州によって外海から分離されてできる海岸の湖。潟湖(せきこ)。ラグーン。」「浦。入り江。湾。」「遠浅の海岸で、潮が満ちると隠れ、引くと現れる所。干潟(ひがた)。」の意味です。

余談

この歌は、新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

Posted on 2017/08/23 Wed. 08:25 [edit]

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23

まわりうた 

いはのとの まあくときなり
  まつりあり つまりなきとく あまのとのはい 

(岩の戸の 真開く時なり 祭りあり 詰まり無き徳 天の音の拝)

解説

真は「(〔名詞・動詞・形容詞・形容動詞・副詞などに付いて〕)完全・真実・正確・純粋などの意を表す。」、天の(あまの)は「天にある。天の。天上界に所属する。」、音(と)は「 おと。ひびき。こえ。」、拝(はい)は「頭を下げて敬礼すること。おがむこと。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/23 Wed. 07:39 [edit]

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23

まわりうた 

かみのひと ひひきふりよし
  かむかせか むかしよりふき ひひとひのみか

(神の人 響き不離良し 神風が 昔より吹き 日々問ひのみが)

解説

不離は「離れないこと。また、離せないこと。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/23 Wed. 07:20 [edit]

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23

まわりうた 

つきのよの みかきありかは
  むかはるは かむはかりあき かみのよのきつ

(月の夜の 御垣在り処は むかはる場 神議り秋 神の世の来つ)

解説

御垣は「宮中・神社などの神聖な地域のまわりにある垣。」、在り処は「物のある場所。人のいる場所。所在。居所」、むかわるは「時が経過して、対応する物事が巡ってくる。因果が巡ってくる。」、神議る(かむはかる)は「多くの神が集まって相談する。かんはかる。」、つは「動作・作用が完了すること。また、すでに完了してしまったことを表す助動詞。…た。…てしまう。…てしまった。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/23 Wed. 07:03 [edit]

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23

まわりうた 

なかきよら かたきかみまた
  とことはと ことたまみかき たからよきかな

(長き夜ら 堅き神また 常と 言霊磨き 宝良きかな)

解説

夜ら(よら)は「夜。」、常(とことわ)は「永久に変わらない・こと(さま)。永久不変。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 23:28 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよの またきしいのり
  まつのみの つまりのいしき たまのよきかな

(永き代の 全き詞祈り 待つのみの 詰まりの意識 玉の良きかな)

解説

全し(またし)は「完全である。欠けたところがない。まったい。」、詞(し)は「ことば。文章。詩歌。」、詰まりは「物事の行きつくところ。果て。終わり。」「行きどまり。すみ。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 23:15 [edit]

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22

まわりうた 

なかきより あもるてんてい
  あしきなき しあいてんてる もありよきかな

(永きより 天降る天帝 悪しき無き 至愛天照る 面あり良きかな)

解説

天降るは「天上から降りてくる。天下る。 」、面(も)は「おもて。表面。あたり。方向。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 23:07 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよの ひしりあいせん
  せいへいへ いせんせいあり しひのよきかな

(永き代の 日知り愛善 清平へ 依然生あり 至美の良きかな)

解説

清平(せいへい)は「世の中が清らかに治まっている・こと(さま)。」、至美は「たいへん美しいこと。すばらしいこと。また、そのさま。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 22:40 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよの ひつくのしせつ
  きたりけり たきつせしのく つひのよきかな

(永き代の 日月の時節 来たりけり 滝つ瀬凌ぐ 終の良きかな)

解説

月(つく)は「つき。」、滝つ瀬は「水の激しく流れる瀬。また、滝。」、終は「つまるところ。最後。はて。」の意味です。

Posted on 2017/08/22 Tue. 22:13 [edit]

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22

まわりうた 

しけるはの ひかりのせかい
  たきよせよ きたいかせのり かひのはるけし

(繁る葉の 光の世界 抱き寄せよ 機体風乗り 佳美の遥けし)

解説

機体は「飛行機のエンジンおよび装備品以外の部分。また、飛行機それ自体。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、遥けし(はるけし)は「空間的、時間的、心理的に遠くはなれている。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ…」の中にある「鳥の人」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「風の谷のナウシカ」にメーヴェという乗り物が出て来るが、これに乗っていたナウシカは風を感じながら、腐海もまた、大自然の大きな営みの一部であると感じていたのかもしれない。

だが人の身としては、腐海は余りにも大きな脅威であり、だからこそ「青き清浄の地」という理想郷にあこがれてしまう。

「繁る葉の 光の世界」は、その「青き清浄の地」を彷彿とさせるわけだが、漫画版「風の谷のナウシカ」で、いざナウシカが「青き清浄の地」を垣間見た時の反応は、ここがまた人間の手で壊されやしないか、という心配であった。

そこは確かに、腐海と共に生きる者にとっての理想郷ではあったが、長らく風の谷に守られ、さらに風の動きに、ほとんど命を預けざるを得ないメーヴェに、いつも乗っていたナウシカにとっては、腐海を肌で感じた時の感覚とそう大差がなかったように思う。

つまり、腐海を忌み嫌って、清浄の地を崇拝する、というような二元的な立ち位置ではなかった、ということだ。

腐海に住む異形の植物や虫たちが見せる生命のダイナミックさと、清浄の地が見せる静かな湿地帯の風景。そのどちらにも接したナウシカが感じたのは、物語中のセリフを借りれば「この星では生命はそれ自体が奇跡なのです」ということなのだろうと思う。

だから、この「繁る葉の 光の世界」は、それを示しているように思うのである。

「青き清浄の地」は、腐海に生きる者としては理想郷だが、本来、葉が繁るのも、太陽が輝くのも、ごく自然の日常の出来事のはずである。

葉が生い茂っていく力。太陽が輝く力。それら力の源は、腐海の異形なる生き物たちが生きていこうとする力の源と同じである。そして、その力は人にもまた与えられている。

それが「佳美の遥けし」なのだ。

その力はとんでもなく美しく、それはあらゆる時間空間に対して、遥か彼方まで広がっている。だからこそ、「繁る葉の 光の世界 抱き寄せよ」でもあるのだと思う。

Posted on 2017/08/20 Sun. 08:27 [edit]

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20

まわりうた 

なかきよの いはのとひらく
  すめかみか めすくらひとの はいのよきかな

(永き代の 岩の戸開く 皇神が 召す座人の 拝の良きかな)

解説

皇神(すめかみ)は「神を敬っていう語。すべかみ。」、召すは「そばにお招きになる。」、お招きになってある役職につかせる。また、任ずる。」、拝(はい)は「頭を下げて敬礼すること。おがむこと。」の意味です。

雑感

座人(くらびと)という言葉は辞書には無いが、湧いて出て来たので、そのまま出すことにする。座人(ざにん)という言葉ならあって、こちらは「座に加わっている人。座衆。」の意味になる。

歌の意味としては、皇神によって弥勒の世に招かれて、その世界に居る人、というような感じになる。

だが、この「座人」には、別の意味も含まれているように思う。

岩戸が開かれるとは、弥勒の世になることと同義ではあるが、別の視点から見てみると、今間でのように、一人の人にいくつもの神がかかっていた状態から、かかる神が固定される、ということを意味するように思う。

今までであれば、邪悪な心の状態であれば邪悪な神様が、綺麗な心の状態であれば綺麗な心の神様が、時と場所によってかかっていて、一人の人でも、状況によって善悪がかわって、いろいろな状態の変化があった。

神界に霊線がつながっている時もあれば、幽界に霊線がつながっている時もあった。

しかし、この度三千世界が大掃除されるがゆえに、人にかかる神様自体も淘汰される事態になっているので、神様からすれば、誰か人にかからなければ、自分が消滅していく可能性すら出て来た。

そうして、最後は独りの人に独りの守護神がついて、弥勒の世では一体として動くということになるのだ。

これまで数ある神示神典が「身魂を磨け」を言ってきたのは、このためと思われる。

たとえがちょっと変かもしれないが、これはちょうどポケモンのバトル大会のようなものだ。

今まではポケモントレーナーとして、いろいろなポケモンと出会って、その中から好きなタイプのモンスターを選んで育てて、レベルを上げたり、新しい技を覚えさせたりして来たが、大会ではそこに出せるポケモンの数は決まっているので、否が応でも今の自分の立ち位置が固定されるということだ。

そして大会では、これまで自分が培ってきた以上の自分にはなれない。

他の人の持っている、あの強いポケモンが欲しいと、どれだけ思ってもそれは手に入らない。しかし、その姿に憧れ、それと同じポケモンと出会って、自分の手で育てることは出来る。否、今までは出来た、というわけだ。

まあ何にせよ、その時が間近に迫っていることは確かだと思う。

Posted on 2017/08/19 Sat. 07:33 [edit]

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19

まわりうた 

きとふとう くしきひひとり
  きしかんか しきりとひひき しくうとふとき

(きと不動 奇しき日一人 既視感が 頻りと響き 時空飛ぶ時)

解説

きとは「特に意図せずにある動作をするさま。思わず。ふと。」「動作が瞬間的に行われるさま。急に。とっさに。」、不動は「動かないこと。ゆるがないこと。」、奇し(くし)は「霊妙だ。不思議だ。くすし。」、既視感(きしかん)は「一度も経験したことのないことが,いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられること。デジャビュ。」、頻りと(しきりと)は「繰り返し何度も。ひっきりなしに。たびたび。」の意味です。

余談

この歌は、ゲーム「luv wave」の主題歌「luv wave」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

今日は朝から何だか変な感じで、昨日の延長線上に続く今日のはずなのだけれども、何だかまるで違う世界にいるような感じがしたので、その感覚を歌にしたものです。

最近、アメリカのドラマ「スーパーナチュラル」を見ているので、そのせいかもしれない。(笑)

では、歌の解釈を少々。

「きと不動」は、フッと不動の状態になる、ということ。

イメージ的には、高速のエレベーターが上に上がる時の、フッとしたあの感覚に近い。luv wave的にいうと、XINNにアクセスした時の状態を想像する。個人的には、季節の変わり目などでも感じることが多い。

「奇しき日一人 既視感が 頻りと響き」は、デジャビュが一瞬のことではなく、それが脈打つように続いているということ。

その感覚は、上に書いたように、何だか別の世界に来たような感覚なのだけれども、いつかどこかで見たような世界にも感じる。懐かしいと同時に、全く新しい世界に感じるということ。

「時空飛ぶ時」は、そのまま時空を飛ぶ瞬間という意味であるが、詠み終った所から、また反対に詠み返すと、最初の「きと不動」に戻るため、「時空を飛ぶ時」の後には「きと不動」が続いていることが判る。

図にすると、こうなる。

→                →                →

きとふとう くしきひひとり きしかんか しきりとひひき しくうとふとき

←                ←                ←

このように、時空を飛ぶ瞬間、フッと不動の状態になった、という風に続いていることが判る。

通常は、自分の意識も身体も時空に乗っかって移動しているが、ふとした瞬間、意識だけがそこから抜け落ちて、時間と空間に影響されない、特殊な不動の間(ま)の中に、はまってしまったような、そういう感覚である。

だから、目の前の変化する空間と、止まることなく続いていく時間が、何だか嘘くさく感じられるのだ。

しかし同時に、本来自分はここに存在していないのに、目の前の時空に触れられることに、とんでもない喜びを感じてしまう、ということでもある。

まるで10年前の世界に来たような、或いは10年後の世界に来たような、また或いはパラレルワールドの世界に来たような、そんな感覚である。

それは昨日の延長線上で続いて来た今日ではなく、昨日のある時点から枝分かれした、別の次元で存在している今日の中にいるような感じなのだ。

従来の世界からすれば決して存在するはずのない、そんな不思議な今日の中にいるような感じなのだ。

Posted on 2017/08/18 Fri. 09:13 [edit]

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18

まわりうた 

かなしみを みかへしことく
  たまはらは またくとこしへ かみをみしなか

(悲しみを 見返し孤独 給はらば 全く常しへ 神を見し中)

解説

全し(またし)は「完全である。欠けたところがない。まったい。」、常しえ(とこしえ)は「いつまでも続くこと。また、そのさま。永遠。永久。とこしなえ。」の意味です。

余談

この歌は、ヴァネッサ・メイさんのアルバム「レッド・ホット」の中にある「Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565」(トッカータとフーガ ニ短調)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。ゲーム「luv wave」の中でも、このバッハの曲は使われていたので、それも意識しています。

雑感

luv waveをしていて思ったのが、まあとにかく神は、とんでもなく孤独らしいということだ。

それは、全ての全てを永遠なる時間と無限なる平行空間が交差している座所から黙って見つめ、この世のありとあらゆる存在の感情を、共に味わっているためだ。

人の身としては、悲しいことや辛いことがあると、とても孤独になって、神の存在について問うてしまうものだが、むしろその孤独の状態こそが、神としての在り方に一番近い状態なのだと思う。

古事記でも聖書でもそうだが、混沌から神が生まれる、或いはすでに神が存在してしまっている、という所から始まっている。

古事記冒頭。

『宇宙の始まりは混沌としていて、ハッキリとしていませんでした。そこに世界を成す根元が固まってきたのですが、まだまだ名づけようもない状態でした。しかし天と地が別れるとアメノミナカヌシ神・タカミムスビ神・カミムスビ神が産まれて世界が始まりました。』

聖書冒頭。

『初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。』

私達が、気付けばこの世に生まれ出てしまっていたように、神も混沌から生まれ、そして世界を創造していった。何もない無の世界から万物を生み出していったわけだが、なぜそんなことをしたのか。

あえて言うならば、命の情動に従って必然的にそうなった、ということだろうが、そうだとしても、孤独ではなかったのだろうかと思う。

いやむしろ、とんでもない孤独の中に居たので、半ば無意識的に世界を創造していったのではないか、とさえ思う。

そしてそれは、未だ見ぬ人々と出会うために、今ここにいる私やあなたと出会うために、創造をしていったのだと考えると、中々感慨深いものがある。

つまり神は、私やあなたとただ出会いたいが為に世界を創造したのではないか、ということだ。

時々自分という存在が、神が頭の中で想像した空想上の人物に過ぎないのではないか、と思う時がある。まるで、本や映画の中の架空の人物のように。

だが、その想像は想像のみに終わらず、最後は創造され、現実のものとなる。最期の時、私達は聖書でいうところの「新しい天と新しい地」に行くことによって、空想上の人物から、現実に存在する人物へと転換されるのだ。

このようにして、私達は全く新しい天地で神と出会うのだ。

Posted on 2017/08/17 Thu. 07:54 [edit]

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17

まわりうた 

かみうれし こむときしらは
  すへてめて へすはらしきと むこしれうみか

(神嬉し 来む時知らば 全て愛で 辺素晴らしきと 無期知れ海処)

解説

愛づは「物の美しさ・素晴らしさをほめ味わう。感嘆する。」辺(へ)は「ほとり。あたり。」「海辺。海の岸に近い所。沖に対していう。」、無期(むご)は「長くその状態が続いていること。久しいさま。」「いつと期限のないこと。いつ終わるともわからないさま。」、海処(うみが)は「海辺。海。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

Posted on 2017/08/17 Thu. 00:37 [edit]

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17

まわりうた 

ひころより たひのめつしに
  まいのちの いまにしつめの ひたりよろこひ

(日頃より 度の滅しに 真命の 今に鎮めの 浸り喜び)

解説

度は「何度か繰り返された中の一回、一回。ある状態にあった、その時。折。」、滅する(めっする)は「ほろびる。死ぬ。」「なくなる。消える。」、鎮めるは「からだの痛み・症状や気持ちの乱れなどを落ち着かせる。」の意味です。

余談

この歌は、ヴァネッサ・メイさんのアルバム「レッド・ホット」の中にある「Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565」(トッカータとフーガ ニ短調)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

映画「アビエイター」を見ていたら、「Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565」が流れていて、何か歌にしたくなったので書きました。

しかしこの曲を聞いていると、まるで空を飛んでいるかのように気持ち良い。気持ち良すぎる。

思えば、自分が左右対称になっているまわりうたを書いているのも、一種の強迫行為なのかもしれない。

いつぞやは、ご飯もお風呂も終わって、いざ寝床について寝ようとしたら、頭の中に、とあるいろは歌のインスピレーションが湧いてきて、眠いのに結局歌を書くのに没頭してしまって、でも眠気が限界なので、無理やり寝床に入ったけれども、インスピレーションが止まらずにどうしても眠れないので、また起きて歌に没頭したけれども、さすがに夜中の数時間だけでは、どうがんばっても完成させられないので、明け方近くになって無理やり寝た、ということもあった。

別の日には、確か一日6時間ぐらいを3、4日ぐらいかけて、とあるいろは歌を完成間近(形としては一応完成していたが、歌として見た時にしっくりこなかった)までつくり上げたのだけれども、それがどうしても気に入らず、文字の解体作業と再構築を続けていたら、最初とはまるっきり内容が変わってしまって、ほとんど全く別のいろは歌が出来てしまった、ということもあった。

また別の日には、朝5時ごろ起きて、今日はまわりうた10首どうしても作り上げなきゃ、となぜか思ってやってたら、気付いたら夕方になっていて、次の瞬間、気付いたら夜の11時だったこともあった。

結局夜中12時直前までやって、なんとか10首間に合ったのだが、今思うと何をそんなに必死になっていたのか、さっぱりわからない。

当時の状況を客観的に振り返ってみると、ちょっとやばい状態だったかもしれない。

Posted on 2017/08/15 Tue. 00:45 [edit]

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15

まわりうた 

したつまひ あけしかすかす
  らありけり あらすかすかし けあひまつたし

(下つ真日 開けし数々 良ありけり あら清々し 気合全し)

解説

つは「体言または体言に準ずるものに付いて、連体修飾語をつくる。の。」、真日は「日の美称。」、あらは「感動した時などに発する語。ああ。あな。」、気合(けあい)は「ようす。けはい。」、全し(まったし)は「完全である。欠けた点がない。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「下つ真日」は直訳すると、下の太陽、ということになる。

日月神示の次の部分を踏まえると、これは地球の核と読み取ることが出来る。

『この巻「星座の巻」。偶然と申すのは、宇宙世界、星の世界の必然からのものであって偶然ではないぞ、天に星のある如く地には塩があるのであるぞ、シホ、コオロコオロにかきならして大地を生みあげた如く、ホシをコオロコオロにかきならして天を生みあげたのであるぞ。天の水、地の水、水の中の天、水の中の地、空は天のみにあるのではないぞ、地の中にもあるのぞ、天にお日さまある如く地中にも火球があるぞと申してあろう、同じ名の神二つあるぞ、大切ことぢゃ。』(星座の巻 第一帖)

これまで、岩戸開きは太陽の変化とばかり思っていたが、上記を踏まえると、地球の核が何らかの変化を起こす、とも考えられる。

下記ブログでも、地球の核が動作を停止して時間が止まる可能性がある旨が書かれてある。

『第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その3』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=462

『聖なる天の火と地の火。天の岩窟の中の天照太御神とは?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=275

これから、一体全体どうなるのかと思ってしまうが、大本の基本宣伝歌にあるように「誠の力は世を救ふ」ということらしいので、誠に戻ることが一番大事なことのようだ。

基本宣伝歌参照。

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朝日は照るとも曇るとも  月は盈つとも虧くるとも
たとへ大地は沈むとも  曲津の神は荒ぶとも
誠の力は世を救ふ

三千世界の梅の花  一度に開く神の教
開いて散りて実を結ぶ  月日と地の恩を知れ
この世を救ふ生神は  高天原に神集ふ

神が表に現はれて  善と悪とを立別ける
この世を造りし神直日  心も広き大直日
ただ何事も人の世は  直日に見直せ聞直せ
身の過は宣り直せ。

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Posted on 2017/08/14 Mon. 10:52 [edit]

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14

いろはうた 

あまつくにはら とよさきの
てりそむるいろ うけもえぬ
おほわたちふね ひめやゆれ
しんゐなへせす かみこゑを

天つ国原   豊幸の
照り初むる色 受け燃えぬ
大海千船   姫や揺れ
神威並べ為す 神声を

解説

天つは「天の。天にある。天上界に所属する。」、国原は「広く平らな土地。広い国土。」、豊(とよ)は「助詞‘の’を伴って連体修飾語として用いられるほか、名詞、時に動詞の上に付いて用いられる。物事が豊かである意を表し、褒める意を添える。」、幸(さき)は「さいわい。繁栄。」、初むは「〔動詞の連用形に付いて〕…し始める。初めて…する。」、海(わた)は「海(うみ)。」、神威(しんゐ)は「神の威光。」、並ぶ(なぶ)は「並べる。」、為す(せす)は「なさる。あそばす。」の意味です。

※ちなみに天つ国(あまつくに)は「高天原のこと。日本神話で、神々の世界。」「天国のこと。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

高天原は、豊かな繁栄をもたらす(朝の光が)、照り始めるその色を受けて、まるで一面が燃えたかような神々しさを放っている。

一方、大海原からは数多くの船が、波に揺られながらやって来て、その先頭の船の舳先には、勇敢に立っている姫様の姿が見られる。

その姫様は、神威を発揮しなさる声を次々に発せられているよ。

雑感

中々合わせるのが難しく、ちょっと強引になってしまったかもしれない。正直、どういう状況での歌なのか、ちょっとよくわからない。

まず感じるのは、豊幸の幸(さき)は崎(さき)に通じ、御崎(岬)の情景を連想させられる。

おぼろげに感じるイメージとしては、とある姫君が長い間、船でどこかに行っていたが、目的を果たして晴れて帰ってきたシーン、というもの。

「神声」としているが、これは何かの目的が達成されたので、その神威を知らしめることが出来た、という意味で、いわば勝ち鬨みたいな感じを受ける。

目的が成就されたことを、いち早く知らせるために「天つ国」に戻って来た、という感じもする。

この姫様は神功皇后のようなイメージだが、よく考えてみると天照大神の別名は日孁(ひるめ)である。ヒルメは何気ヒメに通じる感じがする。なので、この姫様は天照大神とも言えるのかもしれない。

だが、後半部分の最初の文字を縦に繋げると「豊受姫神」となるので、そのまま豊受姫神のことと取るべきなのかもしれないが、接点がちょっとよくわからない。

うーん、詳細がよくわからないが、良い知らせが来る、という意味には違いがないので、この形をもって、この歌の完成とすることにします。

Posted on 2017/08/12 Sat. 18:32 [edit]

category: いろはうた

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12

まわりうた 

うきのちの いまときみつと
  ひもくろく もひとつみきと まいのちのきう

(泥の地の 今時満つと 日も黒く も一つ見きと 真命の球)

解説

泥(うき)は「泥深い土地。沼地。和歌では多く‘憂き’にかけて用いられる。」、満つは「(限度まで)いっぱいになる。充満する。満ちる。広まる。」、も一つは「その上にさらに一つ。もう一つ。」、球(きゅう)は「丸いもの。たま。」の意味です。

余談

この歌は、Xenogears ORIGINAL SOUNDTRACK Disc 2の中にある「最先と最後」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

既に、この地球が泥海の地になっている今、時が満ちると、太陽さえも黒くなる。

この現象が起こると、神隠しにあったように、多くの人々がこの世から消え失せる。

これら消えた人々は口をそろえて、もう一つの世界を見た、と言う。その世界とは、泥海になった地球とは似ても似つかない、まるで瓜二つの地球であった。しかしその地球は、今まで全く見たことも聞いたこともない、真っ新で産(うぶ)のままの地球であった。

そこでは、自分自身も含め360度全てが輝いているという。その輝きは、地球をはじめとして、そこに住む人々、動物達、植物達、果ては鉱物に至るまで、それぞれが固有に持っている命の光によって、もたらされているという。

Posted on 2017/08/12 Sat. 10:17 [edit]

category: まわりうた

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12

まわりうた 

なかきよの ねむりのいまの
  をさまるま さをのまいのり むねのよきかな

(永き世の 眠りの今の 収まる間 さ青の真祈り 胸の良きかな)

解説

さ青(さお)は「青。まっさお。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「いつも何度でも」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌を書いていると、いろいろと凝ってみたくなるのだけれども、こういうシンプルなのも良いな、と出来上がった形を見て、改めて思いました。今の今まで、あまりにシンプルすぎるのは、おもしろくないと思っていたので……。

とは言え、凝りすぎていても、ちょっと流れが止まってしまって、嫌だけれども。

Posted on 2017/08/11 Fri. 22:28 [edit]

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11

まわりうた 

うたいてる こののちみのき
  ひありけり あひきのみちの のこるていたう

(宇内照る この後身退き 一ありけり 合気の道の 残る定道)

解説

宇内(うだい)は「天下。世界。」、一(ひ)は「いち。ひとつ。声に出して数をかぞえるときの語。ひい。」、定道(ていどう)は「神の意志などによって定まっている不変の道。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見ながら、それをモチーフに書いた歌です。

『合気道 植芝盛平 道祖』
https://youtu.be/fgZrZbtvUgE

雑感

ひょんなことから合気道の動画を見ていたら、中々おもしろかったので歌にしてみました。

合気道をしたことはないけれども、改めて動きを見てみると、やっぱりすごい。まるでヽ(ホチ)のように崩れない。見えない中心になっているので、相手は自分の出した力で吹っ飛んでいるように見える。

Posted on 2017/08/10 Thu. 09:03 [edit]

category: まわりうた

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10

まわりうた 

しふきこと きつきかあひき
  ろくかふか くろきひあかき つきとこきふし

(繁吹き共 気付きが合気 六合が 黒き日赤き 月と呼吸し)

解説

繁吹き(しぶき)は「雨風が吹きつけること。また、その雨。」「水などが細かく飛び散ること。また、その水滴。飛沫(ひまつ)。」、共(ごと)は「名詞に付いて、そのものも含めて、の意を表す。…とともに。…ぐるみ。」、六合(ろくごう)は「上下と東西南北の六つの方角。天下。世界。六極(りっきょく)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「常闇ノ皇」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/09 Wed. 20:23 [edit]

category: まわりうた

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09

まわりうた 

うさきさる をかはれたあい
  かせのまの せかいあたれは かをるさきさう

(兎去る 丘晴れ他愛 風の間の 世界当たれば 香る鷺草)

解説

他愛は「自分の利益・幸福よりも、まず他人の利益・幸福を願うこと。愛他。利他。」、鷺草(さぎそう)は「ラン科の多年草。日当たりのよい湿地に生え、高さ30~40センチ。8月ごろ花茎を伸ばし、飛び立つサギに似た形の白い花を数個開く。観賞用に栽培される。」の意味です。

余談

この歌は、Xenogears ORIGINAL SOUNDTRACK Disc2の中にある「SMALL TWO OF PIECES ~軋んだ破片~」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/08 Tue. 21:52 [edit]

category: まわりうた

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08

まわりうた 

むれかなた まちかくらくら
  えとほのほ とえらくらくか ちまたなかれむ

(群れが涙 街がぐらぐら 江戸炎 ど偉く落下 巷流れむ)

解説

群れは「多くの同類のものが集まっている状態。むらがっている状態。また、そのもの。」「仲間。」、涙(なだ)は「なみだ。近世、奴(やっこ)などが用いた語。」、巷は「町の中の道路。また、町中。」の意味です。

余談

この歌は、Xenogears ORIGINAL SOUNDTRACK Disc 2の中にある「神に牙むくもの」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

最近、関東の方で地震が多いように思うが、これから茨城、千葉など、首都圏でM5以上の地震が、継続してちらほら出て来るようだと、秋(特に9月10月)頃は要注意かもしれない。

下記ブログ参照。

『地震の記録』(ずくなしの冷や水さん)
http://inventsolitude.sblo.jp/article/180521015.html

『次の大地震が接近か 地震の動向に注意』(ずくなしの冷や水さん)
http://inventsolitude.sblo.jp/article/80313549.html

ひとたび大地震が起きれば、そこら中にある超高層ビルが燃え盛って、まるで火の塔のようになるはずだ。下手すると、ビル倒壊さえあるかもしれない。

少なくとも、上層階から燃えた瓦礫が落下してきて、非難する人々の頭上へ襲い掛かるだろう。木造住宅密集地もそうだが、これら瓦礫の炎が瞬く間に、周囲に燃え広がって行く。

首都圏に住んでいる方は、もう一度備蓄や避難経路などの確認をしておいたほうが良いように思う。

Posted on 2017/08/07 Mon. 21:37 [edit]

category: まわりうた

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07

まわりうた 

きしなかく ほとりかひかい
  かくのひの くかいかひかり とほくかなしき

(岸長く 辺が被害 核の火の 苦海が光り 遠く悲しき)

解説

辺は「 海や川・池などの水際。きわ。」、苦海(くかい)は「苦しみの絶えないこの世を海にたとえていう語。苦界(くがい)。」の意味です。

Posted on 2017/08/06 Sun. 11:47 [edit]

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06

まわりうた 

しきるなつ せかいけほとも
  なみたまた みなもとほけい かせつなるきし

(頻る夏 世界毛ほども 涙また 水面と暮景 佳絶なる岸)

解説

頻る(しきる)は「何度も繰り返し起こる。また、さかんに引き続いて起こる。」、毛ほどは「(打ち消しの語を伴う)ほんのわずか。」、暮景(ぼけい)は「日暮れ時の景色。夕方の情景。」「老境。晩年。」、佳絶(かぜつ)は「(風景が)この上なくよい・こと(さま)。絶佳。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「あの夏へ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

毎年毎年、繰り返しやって来る夏。生命の躍動が盛んに起こって来る夏。頻りに蝉が鳴き、草木が大いに生い茂っていく夏。

今年の夏は、今年限りの夏のはずなのに、目の前に見る夏の世界は、昔からこれっぽっちも(変わらないなぁ)。そう思うと、涙がまた溢れ出て来る。

(川の)水面と夕暮れ時の(街並みの)情景が見える、この岸からの眺めは、(昔から知っているけれども、変わらずに)素晴らしいなぁ。

雑感

自分の場合は、川の水面と夕暮れの街並みというイメージで設定したが、人によっては海の水面を想像して、夕暮れ時、そこに多数の船が行き交っている、などなど、それぞれ好きな情景を楽しんでもらえたらと思う。

もう少し踏み込むならば、暮景は「晩年」の意味があり、岸には崖の意味もあるので、これは晩年の自分と、その先にある死を暗示させる。

また巡って来た今年の夏の風景は、いつかどこかで見た風景とそう変わらないのに、気が付けば自分は年老いてしまって、昔とずいぶんと変わってしまったなぁ、という心境が、ここに滲み出ているように個人的には感じる。

けれども、幼少期だろうが老年期だろうが、目の前の光景が素晴らしいことは変わりない。夏の季節、それぞれが生命豊かに、これでもかと変化していく事実は何も変わらない。

だから、この先にある自分の死もまた、素晴らしいものなのではないか、と、大いに期待し、手放しで予感してしまうほどに、目の前の情景が素晴らしい、ということを、この歌は詠っているように思う。

このようにして、夏が頻りに何かを訴えかけて来る。生命がどれだけ偉大であるかを訴えかけて来る。既にここに生きていることが、いつかどこかで死んでいくことが、どれだけ素晴らしいかを、訴えかけて来る。

きっと一番最初の「頻る夏」は、そういうニュアンスさえも含まれているに違いない。

Posted on 2017/08/05 Sat. 00:33 [edit]

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05

まわりうた 

ふかむのら ひとつしんあい
  かせのまの せかいあんしつ とひらのむかふ

(深む野良 一つ仁愛 風の間の 世界庵室 扉の向かふ)

解説

深むは「深まる。深くなる。」、野良は「野原。野。」、仁愛は「めぐみいつくしむ・こと(さま)。慈愛。」、庵室は「僧尼や世捨て人の住む粗末な家。いおり。」、向こうは「正面。前方。また、前方の比較的離れた場所。」の意味です。

※向かふは「向かう」ではなくて「向こう」の歴史的仮名遣いとして使っています。

余談

この歌は、魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTIONの中にある「Ave Maria」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/04 Fri. 22:12 [edit]

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04

まわりうた 

なかきよの へいわにもとり
  かひなるな ひかりともにわ いへのよきかな

(永き代の 平和に戻り 佳美なる名 光り共に輪 家の良きかな)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

Posted on 2017/08/04 Fri. 09:41 [edit]

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04

まわりうた 

しまとさし さやけきをとの
  みなもにも なみのとをきけ やさしさとまし

(島と砂嘴 清けき彼方の 水面にも 波の音を聞け 優しさと真風)

解説

砂嘴(さし)は「海中に細長く突き出た地形。半島や岬の地形の入り込んだ部分に、沿岸流によって運ばれた砂礫(されき)が堆積(たいせき)して形成される。しゃし。」、清けし(さやけし)は「清らかでさっぱりしている。すがすがしい。」、彼方(おと)は「時間的また空間的に遠いこと。遠方。おち。」、音(と)は「おと。ね。」、真風(まじ)は「南または南西の風。まぜ。まじの風。多く西日本でいう。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「あの夏へ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/03 Thu. 13:17 [edit]

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03

まわりうた 

むらくもに みうるかひから
  よきまにま きよらかひかる うみにもくらむ

(群雲に 見得る貝殻 良き随 清らが光る 海に潜らむ)

解説

群雲(むらくも)は「群がり集まった雲。一群れの雲。」、随(まにま)は「事の成り行きにまかせるさま。ままに。まにまに。」、清ら(きよら)は「清く美しいこと。気品があって美しいこと。また、そのさま。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「あの夏へ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/08/03 Thu. 12:29 [edit]

category: まわりうた

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03

まわりうた 

なかきよち ここるみうさる
  つゆのまの ゆつるさうみる ここちよきかな

(長き輿地 凝る身失さる 露の間の 移る像見る 心地良きかな)

解説

輿地(よち)は「大地。地球。全世界。」、凝る(こごる)は「液体状のものが、冷えたり凍ったりして凝固する。」「手足がかじかんで、自由がきかなくなる。」、失さるは「なくなる。消えうせる。」、露の間は「露がおいてから消えるまでの間。転じて、ちょっとの間。」、移る(ゆつる)は「時間が経過する。うつる。」、像は「かたち。姿。ありさま。」の意味です。

余談

この歌は、Chopinの「幻想即興曲」(演奏者:Artur Rubinstein)を聴きながら、下記ブログを読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『歌や踊りの起源・天皇と神道(66)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20170731

雑感

映画「戦場のピアニスト」を見たら、突然クラシックを聴きたくなり、その世界観に浸りながら書いたものです。

解釈するのは野暮な気がするが、ニュアンスがわかりにくいかもしれないので一応試みることにする。

「長き輿地 凝る身」とは、まあいわゆるケガレのことで、ケ(=日常)の中で固まって、枯れていく様のこと。

或いは、過去から現在まで歴史があって、時間が続くかぎり未来永劫その歴史が紡がれていく、という時間軸の中に身を置いている、とても窮屈な自分のこと。

しかし、そういううっとおしさが全部無くなる、ということだ。

自分の体の中に沈んだ過去が、この身体を重くし、まだ見ぬ未来に恐れおののくことで、この意識はそこに釘付けにされる。こうして、そこから逃れんがために、死から逃れんがために、意識は半自動的にこの生にしがみついていく。

そのような感覚が、全部無くなり、ただ露の間の中の移り変わっていく像を見るだけとなる。それが非常に心地よいのだ。

ちょうどピアノを弾いている時、指がものすごい速さで動いているのに、意識はその音と一体になりながら、出て来る一音一音の上を軽やかに弾んでいくような、そのような心地よい感覚。

弾いている最中は過去も未来もなく、ただその感覚のみが指を、身体を支配し、意識はただ、その心地よさの中にまどろんでいく。そのような心地よさ。

この時、目の前の映像は常に一歩前の残像として移り流れていくだけ。意識はそこに見向きもしていない。意識は常に、今の中の中へと沈んでいき、その深度に比例した無意識の動作が、曲の一音一音を紡いでいく。

こうして自分はどこにも居なくなって、そこに音のみが存在するようになるのだ。つまりケガレに対してハレになるということ。

ハッとした連続模様が、目の前で展開されていくということ。何もかも解放された、放たれた自分が、それら物や事を通して、目の前でリアルタイムに列挙されていく、連続されていく、そういう心地よさだ。

だから、この心地よさは自己満足のような、何かに満たされて心地よい、という方向とは逆の、むしろ何もかも空っぽになってすっきりする、清々する、といった心地よさなのだ。

Posted on 2017/08/02 Wed. 13:00 [edit]

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02

まわりうた 

なかきよの とおしひらかれ
  かなのむの なかれからひし おとのよきかな

(永き代の 門押し開かれ 仮名の无の 流れから秘事 音の良きかな)

解説

仮名は「漢字に基づいて作られ、用いられるようになった、日本語独特の音節文字。一般には片仮名・平仮名をさすが、広義には万葉仮名を含めてもいう。」、秘事は「秘密にしている事柄。」「人に容易には教えない学問・芸事などの奥義。」の意味です。

余談

この歌は、Xenogears ORIGINAL SOUNDTRACK Disc 2の中にある「最先と最後」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「无」は平仮名の「ん」の元となった漢字を指す。

そして「ん」は仮名の一番最後に位置していることから、歌の意味としては、いよいよ終わりの時が来た、とも解釈できる。

永遠の世界へ通じる門が押し開かれて、仮名の最後の文字の「无」に準えられる流れから、秘密の事柄が出て来る。その音の良いことだなぁ、といった所だろう。

秘密の事柄なので何が起こるのか分からないが、秘密は火水、日光(ひみつ)に通じる。また音は、御父(おとと)のおとに通じる。さらに秘事は日出(ひじ)にも通じる。

上記を踏まえると、父なる神の意志によって、宇宙から未知の波動が到来することで、太陽に変化が生じて、それに伴って地球も変化する、といった所か。地球においては火と水の事柄で現れるということだろう。

また「ひし」は災難の意味もあるので、火と水は災難的な意味を含まれているように思う。或いはひみつを火、水、土の頭文字と読み取ると、火山の噴火、洪水、地震の三拍子が揃った災難とも解釈できる。

そうすると最後の「音」は、それぞれの響きと解釈できる。それら災難を通じて、個々の身魂は磨かれて、それぞれに澄み切った音(響き)が出て来るので、良いなぁ、ということでもあるように思う。

Posted on 2017/08/02 Wed. 00:43 [edit]

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02

まわりうた 

みなきしに きつきかたらは
  つまりけり まつはらたかき つきにしきなみ

(皆岸に 来着き語らば 詰まりけり 松原高き 月に頻波)

解説

来着く(きつく)は「到着する。」、松原は「松がたくさん生えている所。」、頻波(しきなみ)は「次から次にしきりに寄せてくる波。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「大神 白野威」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

皆も岸辺に到着し、目の前に広がるこの絶景を語るならば、言葉に詰まることよ。

存在感のある松の数々! さらにその上に見える月に、繰り返し寄せて来る波の音!

Posted on 2017/08/01 Tue. 22:05 [edit]

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01

まわりうた 

とりのとき いせといつもと
  かみしふし みかともついと せいきとのりと

(酉の秋 伊勢と出雲と 神十字 帝持つ意図 正義と法と)

解説

秋(とき)は「大事な時期。」、正義は「正しい道義。人が従うべき正しい道理。」「他者や人々の権利を尊重することで、各人に権利義務・報奨・制裁などを正当に割り当てること。アリストテレスによると、名誉や財貨を各人の価値に比例して分配する配分的正義と、相互交渉において損害額と賠償額などを等しくする矯正的(整調的)正義とに分かれる。また、国家の内で実現されるべき正義には自然的正義と人為的正義とがあり、前者が自然法、後者が実定法につながる。国家権力の確立した社会では、実定法的正義は国家により定められるが、これは形式化・固定化されやすい。そこで、各人がその価値に応じた配分を受け、基本的人権を中心とした諸権利を保障されるべしという社会的正義の要求が、社会主義思想などによって掲げられることになる。公正。公平。」、法(のり)は「法律。法令。」「道理。道徳。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「酉の秋」は、そのまま見れば酉年の大事な時期ということだが、秋(とき)は秋(あき)に通じる。また「取り(最後)の時」とも読める。

どうして「時」をわざわざ「秋」(とき)と読ませて「大事な時期」の意味になっているのか?

神が言葉を作ったという前提に立てば、それは秋(あき)の時期に大事なことが起こるからであろう。

ということで、歌をそのまま解釈すれば、いよいよ今年の秋から最後の締めくくりの立替が始まると読み取れる。

その説明が、その次からの部分と思われる。

「伊勢と出雲と 神十字」は、|(天)と―(地)が、縦と横が十(合わさる)ということを示しているように思う。

「帝持つ意図 正義と法と」は、天帝が持っている意図、即ち正義と法が復活するということだろう。

なので今一度ここで、自らを正義と法に照らし合わせて、問題が無いかを考えるべきなのだろう。

何気、出口王仁三郎聖師の下記歌を思い出す。

『立替を 世人のことと 思ふなよ 立替へするは 己が身魂ぞ』(霊界物語 13巻 如意宝珠 子の巻 余白歌より)

Posted on 2017/07/31 Mon. 21:36 [edit]

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31

まわりうた 

なかきよて へすわるかひの
   むつひあひ つむのひかるわ すへてよきかな

(永き代で 辺座る佳美の 睦び合ひ 頭の光る輪 全て良きかな)

解説

辺(へ)は「辺り。ほとり。そば。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、睦ぶ(むつぶ)は「仲よくする。むつまじくする。むつむ。」、頭(つむ)は「人間のあたま。つぶり。かしら。つむり。おつむ。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「辺座る」は、側で座るという意味になるが、何の側かというと、おそらく天帝の意味であろう。だから「永き代で 辺座る」は、永遠の世界で(天帝の)側に座る、という意味になる。

だが、歌から感じるイメージでは、色とりどりの花が咲き匂う、丘っぽいところで座っている天国的な情景である。

だから天帝の側で座っているといっても、物理的に側にいるのではなく、心境的に常に側にいるように感じている、と解釈できそうだ。

その心境が「佳美の 睦び合ひ」と「頭の光る輪」で説明されているように思う。

まあ要するに、お互いに仲が良くて、そこにいる人々は天真爛漫でありながらも、智慧証覚(ちえしょうかく)に満ちていて、大変徳が高い、ということかと思う。

徳云々と言うと、何やら堅苦しく感じられるが、徳は「行+直+心」である。自らの内に元々備わっている、神と直に繋がっている心をそのまま行動に移すと、それが勝手に徳になっているように思う。

智慧証覚については下記参照。

『出口王仁三郎全集 第1巻 皇道編 第6篇 愛善の真意義 第3章 人類愛善の真義』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121801c49

『出口王仁三郎全集 第5巻 言霊解・其他 【随筆・其他】瑞言祥語 智慧と証覚』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B121805c255

Posted on 2017/07/30 Sun. 10:53 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきしか むねのひかりか
  なつきぬき つなかりかひの ねむかしきかな

(永き詩歌 胸の光が 脳貫き 繋がり佳美の 音むがしきかな)

解説

詩歌(しか)は「和歌・俳句・詩など韻文の総称。」、脳(なずき)は「脳・脳髄・脳蓋(のうがい)などの称。転じて頭。」、貫く(ぬく)は「通す。つらぬく。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、むがしは「喜ばしい。ありがたい。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/07/29 Sat. 22:25 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

なかやみの かすかなるみち
  たたくしく たたちみるなか すかのみやかな

(長闇の 幽かなる道 ただ奇しく 直路見る中 須賀宮かな)

解説

奇し(くし)は「神秘的である。不思議である。」、直路(ただじ)は「まっすぐな道。」「正しい筋道。正道。」の意味です。

余談

この歌は、「大神 オリジナル・サウンドトラック」にある「ヤマタノオロチ退治 其の一」~「ヤマタノオロチ退治 其の二」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ふと湧いて来た歌です。

調べてみると「須賀宮」(すがのみや)は古事記に出て来ることが判ったのだが、具体的にどこを指すのかちょっとよくわからない。清々しい宮で清の宮という意味で受け取ればよいようにも思う。

或いは主賀(すが)として、主神のお出ましを賀する御屋(みや)という意味でもあるのかもしれない。

また別の視点で見ると、長闇は長い八つの身で、ヤマタノオロチのことかと思われる。長はナーガ(蛇)にも通じる。

「幽かなる道」は幽界の道のことかと思われる。

だから「長闇の 幽かなる道 ただ奇しく」は、ヤマタノオロチが敷いた幽界の道は、ただただ不思議で奇妙なので、迷いやすいという意味か。しかしその中でも正しい筋道を見ることによって、目の前に須賀宮が見える、ということかと思う。

おそらく、幽界的な力を手に入れるよりも、神への素直な信仰こそが、正しく神へと至る一番遠くて近い道なのだ、ということを、この歌は言いたいようにも感じる。

逆に言うと、神への信仰を持つというのは、暗闇の幽かなる道を歩いているようなものだ、ということでもあるようにも思う。なにせ、いるかどうかもわからない神を信仰するのだから、中々その実態はつかみにくい。しかしながら、自らの内に信仰があれば、それは不可能なことではなく、その信仰の中に、はっきりと神の姿が見て取れるようになる、ということかと思う。

Posted on 2017/07/29 Sat. 15:56 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

しらなみの しほのかにくも
  なみたまた みなもくにかの ほしのみならし

(白波の 潮の香に雲 涙また 水面国処の 晡時のみならし)

解説

香(か)は「におい。かおり。」、晡時(ほじ)は「申(さる)の刻。午後四時頃。転じて,夕方。」、ならしは「…であるよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「6番目の駅」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

国処(くにが)はどこかの国の処(ところ)を指しているのではなく、単に陸地の意味で使っている。

辞書にこの言葉自体は載っていなかったが、国処から転じて陸(くぬが)になった、と解説があったので、この言葉を使うことにした。

別の視点で見れば、国には「故郷」という意味もあるので、そのニュアンスも含まれている、と見ても良いかもしれない。

白い波の立つ音、そして潮の香りに空に浮かぶ雲。それら光景に涙がまた流れ、目の前の水面と今ここに立っている陸地全てが、夕方の時間帯特有の雰囲気に包まれている。それらひっくるめて、どこか故郷めいた懐かしさを感じる、ということ。

Posted on 2017/07/29 Sat. 10:41 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

なかれくも ついさうしては
  なみのまの みなはてしうさ いつもくれかな

(流れ雲 追想しては 波の間の 皆果てし憂さ 何処も暮れかな)

解説

追想(ついそう)は「過去を思い出してしのぶこと。追憶。追懐。」、憂さ(うさ)は「心が晴れ晴れしないこと。気がめいること。」、何処(いず)は「不定称の指示代名詞。場所を表す。どこ。 」、暮れは「日が沈みかけてあたりが暗くなる頃。夕方。夕べ。」の意味です。

余談

この歌は、「千と千尋の神隠し サウンドトラック」の中にある「6番目の駅」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

憂さは有作(うさ)とかかっている気がする。有作は「因縁によって生じたもの。有為。」の意味です。

ちなみにこの歌は、自分の中にある原風景を、可能な限りイメージして書いたものです。

イメージとしては、流れ雲を見ながら、いろいろと昔のことを思い出しては、感慨に耽っているのだけれども、繰り返す波の音を聞いているうちに、それら記憶が思い出す先から抜け落ちていって、最後は晴れ晴れとしない心も朽ち果てていって、永遠なる夕べの中に自分自身も溶け込んでいく、というような感じです。

Posted on 2017/07/28 Fri. 02:20 [edit]

category: まわりうた

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28

いろはうた 

ゆふさりつかた をとくれて
ゐあきぬへいろ よみせなむ
まそほのえもん けすちめに
うねるおはやし わらひこゑ

夕さりつ方 遠暮れて
居飽きぬ平路 夜店並む
真赭の衣紋 毛筋目に
うねる御囃子 笑ひ声

解説

夕さりつ方(ゆふさりつかた)は「夕方。」、遠(をと)は「遠い所。遠方。」、平路(へいろ)は「平らな道。平坦(へいたん)な道。」、並むは「並ぶ。連なる。」、真赭(まそほ)は「赤い色。ますお。」、衣紋(えもん)は「衣服。身なり。」、毛筋は「結い上げた髪の毛の流れ。」、うねるは「上下・左右に大きく波うつ。また、うねりが寄せる。」、御囃子(おはやし)は「囃子を丁寧にいう語。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

雑感

見ての通り、夏祭りのイメージを膨らませて作った歌です。

Posted on 2017/07/27 Thu. 23:54 [edit]

category: いろはうた

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27

まわりうた 

なかきよの うくるれいちの
  いまのみの まいのちいれる くうのよきかな

(永き代の 受くる霊智の 今のみの 真命入れる 空の良きかな)

解説

霊智は「霊妙な知恵。はかりしれないほどすぐれた不思議な知恵。」、入る(いる)は「はいる。はいってゆく。」「至る。なる。達する。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

霊智は霊妙なる智恵という意味だろうが、個人的には0の智というイメージが湧く。

0を知っている状態というか、0に成り切った状態。

しかし自分(自我)というものがある限り、それは実現できないように見える。しかし、0なる状態を表している、次の「今のみの 真命」の部分を見ると、何となくイメージが湧く。

この部分はおそらく、今のみにある自らの命の行方のままに身を任せる、ということだと思う。

たとえば反射神経。これは自分が気付く前に、身体が勝手に動いている現象だ。これは自分が意志したというよりも、自らの命を司る部分が、そのままに動いたと言えると思う。そこに自我は介入していない。

或いは朝に目覚めたら、自然に体が起き上がる。これも自分が思うよりも先に身体が動いている。自我が気付くのは、そうしてしまってから気付く。

いわば自我というものは今ここではなく、有るはずのない過去や未来しか認識できない、ということになる。だから今に集中すると、何かに熱中すると、没我状態となって自分が無くなる。

反対に、この命は常に今にしか存在していない。

常に脈打つ心臓が、もし「明日の晩飯何食べようか」と急に思い立って、その動きを一瞬でも止めたら、その途端に自分の命は危機にさらされる。

だから自分も、自分の存在を忘れるぐらいに、自らの命の行方のままに身を任せればよいのだ。

こうなることによって「入れる空」になるということだろう。

ちなみに、この入れるは「ボールを箱に入れる」などの意味の入れるではなくて、入る(いる)の命令形「入れ」に、完了を表す助動詞りの連体形「る」がついたものと考えられるので、入った、または達した、至った、という意味になる。

だから自分をそこに入れるのではなくて、命の行方のままに身を任せると、自然と空の中に入るわけである。

つまるところ、私たちは目の前の世界を、常に過去や未来の視点でしか見ていないように思う。

本当は目の前には、今のみの世界が広がっているのに、それを認識せず、そこに有るはずのない過去を、或いは未来を常に見ているのだ。

その錯覚を取っ払って、今のみの世界に丸々入り切ることが、いわゆる悟りというやつではないかと思うのである。

去年か一昨年か、一瞬だけそれと思われる世界を垣間見たことがあるが、とても美しかった。

たとえるならば、一匹の蟻が象になる夢を見て、さらに夢の中の象が、今度は人間になる夢を見ている、というぐらいに理解不能な世界であった。

目覚めた後の蟻が、何が起こっているのかちんぷんかんぷんだったのは言うまでもない。だが、その理解不能の世界が、やたら壮大であった印象だけは、今も記憶として残っている。

もうあまり覚えていないが、永遠に戻ってこない世界が、目の前でリアルタイムで動いていく美しさが、とにかくすごかったのだ。

日常と変わらない風景なのに、そこには見たこともない光景が広がって、まるで別の星に来たかのようであった。

あまりに美しいので、今この瞬間の時間と空間をそっくりそのまま固めて、永遠にその中で眺めていたいと思いながらも、目の前の世界は否応なしに流れていく、その惜しさ。

いや、厳密にいうと、そんなことを思う間もなかった。響きとしては、そういう響きだったが、とにかくただ惚けていた。

そして、ああ、これは何だろう、これがいわゆる悟りというやつだろうか? と、それを理解しようと思考した瞬間、その世界は消えてなくなった。

Posted on 2017/07/26 Wed. 12:24 [edit]

category: まわりうた

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26

まわりうた 

なはのこる けさのこかねの
  しふかふか ふしのねかこの さけるこのはな

(名は残る 今朝の黄金の 十合が 富士の峰加護の 咲ける木の花)

解説

名(な)は「名声。名誉。」、峰(ね)は「山の頂。みね。」、加護は「神仏が力を加えて守り助けること。」、木の花(このはな)は「木に咲く花。特に、桜の花や梅の花。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

中々解釈が難しいが試みてみる。

「名は残る」は、名誉は残る、と解釈したい。

「今朝」は時代の夜明けを意味し、「黄金の十合」は黄金色に輝く十合目(頂点)の神が出て来ることを意味する。

黄金色に輝く神様と言えば、艮の金神様が有名なので、国常立大神のお出ましということだろう。

「富士の峰」は不二の音に通じ、絶対的な響きを意味する。つまり、揺るがない軸が出て来るということ。いわば法(ダルマ)のようなイメージ。

「加護」は火凝(かご)で、これは火が凝り固まるイメージを受ける。この火の凝り、火の固まりが、人にはヒ・カ・リ(光)として感じられるように思う。

なので「加護の 咲ける木の花」は、その光(霊化理)の法の加護の下、それぞれ花を咲かせるように、嬉し楽しの状態になる、という意味かと思う。

ただこの歌は同時に、富士山頂からの噴火もイメージできるので、中々厳しい内容としても受け取れるかもしれない。

具体的に解釈すれば、朝日が昇らんとする早朝に、富士山頂から黄金色の光(火)の花が咲き乱れるというもの。そしてその噴火は、今後の歴史に名を残すほどの大噴火になる。

そもそも霊界と現界は映し鏡のようだと言われているので、霊的に見ると良いことが、現実的には厳しい現象として出て来る、ということは十分ありえる。

日月神示でも「富士はいよいよ動く」とあるので、その現象が近々出て来ないとは言い切れない。人である身としては勘弁して欲しいところだが、反面これぐらいの大きな変化がないと、もう世の中は良くならない、人の心は根本から変わらない、とも感じるので、中々難しい所ではあると思う。

日月神示参照。

『世の元の大神(かみ)の仕組といふものは、神々にも分らん仕組であるぞ、この仕組 分りてはならず分らねばならず、なかなかに六ヶ敷い仕組であるぞ、知らしてやりたいなれど、知らしてならん仕組ぞ。外国がいくら攻めて来るとも、世界の神々がいくら寄せて来るとも、ぎりぎりになりたら神の元の神の神力出して岩戸開いて一つの王で治める神のまことの世に致すのであるから、神は心配ないなれど、ついて来れる臣民 少ないから、早う掃除して呉れと申すのぞ、掃除すれば何事も、ハッキリと映りて楽なことになるから、早う神の申すやうして呉れよ。今度はとことはに変らぬ世に致すのざから、世の元の大神でないと分らん仕組ざ。洗濯できた臣民から手柄立てさしてうれしうれしの世に致すから、神が臣民にお礼申すから、一切ごもく捨てて、早う神の申すこと聞いて呉れよ。因縁の身魂は何うしても改心せねばならんのざから、早う改心せよ、おそい改心なかなか六ヶ敷ぞ。神は帳面につける様に何事も見通しざから、神の帳面 間違ひないから、神の申す通りに、分らんことも神の申す通りに従ひて呉れよ。初めつらいなれど だんだん分りて来るから、よく言うこと聞いて呉れよ、外国から攻めて来て日本の国丸つぶれといふところで、元の神の神力出して世を建てるから、臣民の心も同じぞ、江戸も昔のやうになるぞ、神の身体から息出来ぬ様にしてゐるが、今に元のままにせなならんことになるぞ。富士から三十里四里離れた所へ祀りて呉れよ、富士にも祀りて呉れよ、富士はいよいよ動くから、それが済むまでは三十里離れた所へ、仮に祀りて置いて呉れよ。富士は神の山ざ、いつ火を噴くか分らんぞ、神は噴かん積りでも、いよいよとなれば噴かなならんことがあるから、それまでは離れた所へ祀りて呉れよ、神はかまはねど、臣民の肉体 大切なから、肉体もなくてはならんから、さうして祀りて呉れ。まつりまつり結構。』(上つ巻 第二十一帖)

『岩戸開く役と岩戸しめる役とあるぞ。一旦世界は言ふに言はれんことが出来るぞ、シッカリ身魂みがいて置いて呉れよ、身魂みがき第一ぞ。この道開けて来ると、世の中のえらい人が出て来るから、どんなえらい人でも分らん神の道ざから、よくこの神示読んで置いて何んな事でも教へてやれよ、何でも分らんこと無いやうに、この神示で知らして置くから、この神示よく読めと申すのぞ。この道はスメラが道ざ、すめるみ民の道ぞ。みそぎせよ、はらひせよ、臣民 早くせねば間に合はんぞ。岩戸開くまでに、まだ一苦労あるぞ、この世はまだまだ悪くなるから、神も仏もこの世には居らぬのざといふところまで、とことんまで落ちて行くぞ。九月に気をつけよ、九月が大切の時ぞ。臣民の心の鏡凹(くぼ)んでゐるから、よきことわるく映り、わるきことよく映るぞ。今の上に立つ人、一つも真の善い事致しては居らん、これで世が治まると思ふてか、あまりと申せばあまりぞ。神は今まで見て見んふりしてゐたが、これからは厳しくどしどしと神の道に照らして神の世に致すぞ、その積りでゐて呉れよ。神の申すこと、ちっともちがはんぞ。今の世に落ちてゐる臣民、高い所へ土持ちばかり、それで苦しんでゐるのざ。早う身魂洗濯せよ、何事もハッキリと映るぞ。』(上つ巻 第十八帖)

『岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。』(碧玉の巻 第十帖)

火水伝文参照。

「 今までの世は、悪の力が強ければ強き程、上へ上へと上がれた世なれど、既に悪の世は終わりて居るのぞ。今今に悪に見ゆるはこ度の大掃除の舞台造り由、勘違い致してまだまだ悪の世が続く思いて、好い加減なことをなして居ると、残念では済まなくなるから、今今に心入れ替えて、清まれる程に心鍛えて下されよ。
 新しき御代は、汝等も含め万象万物マコトのもので無くれば、生くるは適わぬ御代にござるから、何事も上から下までマコトがキリリと立て分けられて何でも透けりて解かる御代で御ざるから、人民様皆々ご安心なされて得心なされて全く口舌の無いご苦労も悩みもない、嬉し楽しの歓喜弥栄の御代となりて来るのじゃ。マコト持ち来た汝等が、幾久しく待ちて居りたは知りておるのぞ。嬉し慶び取りて善いのじゃぞ。新しき御代に入るれば、もはや悲しき目には合わせぬ由、ミロク代至るまで今暫しの辛抱じゃ。富士動くまで何がありても堪えて下されよ。死に急ぎなさるで無いぞ。時至りなばこの方とミロクの岩戸を共に開かん。」

Posted on 2017/07/25 Tue. 17:57 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

みるかある かひいのちのき
  つなかるか なつきのちのい ひかるあかるみ

(見るが在る 佳美命の木 繋がる我 脳の知の網 光る明るみ)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、脳(なずき)は「脳・脳髄・脳蓋(のうがい)などの称。転じて頭。」、網(い)は「くもの糸。また、その巣。」、明るみは「明るい所。また、明るさ。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

Posted on 2017/07/24 Mon. 17:22 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

かみのうよ いめみるはたて
  きおくとく おきてたはるみ めいようのみか

(神の紆余 夢見る果たて 記憶解く 起きて賜ばる身 名誉のみが)

解説

紆余(うよ)は「うねり曲がっていること。」「伸び伸びとしてゆとりのあること。」、夢(いめ)は「ゆめ。」、果たては「端。はし。はて。」、賜る(たばる)は「いただく。頂戴する。」、名誉(めいよう)は「珍しいこと。また、そのさま。不思議。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

紆(う)という漢字は糸のように曲がりくねった道の意味なのだそうだ。

「神の紆余」から感じるイメージは、神が見ている夢の中の世界、という感じ。夢なので、その内容は曲がりくねっていて、つじつまが合わない。

神の世界は本来は完全無欠で悪い所は存在しないわけだが、ここは夢の中の世界というわけだ。

要するに、私たちの住む世界は、まるで不完全で、悪がはびこっているように見えるわけだが、それは神が見ている夢の世界であり、神自身が目覚めればフッと消えてしまう世界なわけである。

こうして見ていた夢の果てで、今までの夢の中での記憶を解く、即ち夢から目覚めて起きれば、夢の中の感覚世界ではなく、現実の身体感覚が蘇って、あぁ、今までの夢は不思議だったなぁ、と判るわけである。

ちょうど、不思議の国のアリスが物語の最後で目覚めた時のように、夢から覚めることで、今までの奇妙奇天烈な世界が全部無くなっていた、というイメージである。

仏教的に言えば、いろは歌にあるように「有為の奥山」を越えて、もう浅い夢は見ない、と言っているのと同じだ、ということ。

おもしろいのは、夢の中も奇妙奇天烈だが、現実の中も奇妙奇天烈だということ。だから最後は、不思議のみだなぁ、となっている。

個人的な体験だが、何か月か前に一度だけ、夢に入る時のプロセスを、おぼろげながら意識できたことがあった。

通常は、いつの間にか眠っていて、気付いたら夢の中に居て、いろいろその中で体験して、目が覚めたら、あぁ夢だったなぁ、と判る、いうプロセスが一般的だと思うが、その時は、自分の中から次々に出て来る意味の為さない思考が、夢の映像として形作られていく様を、リアルタイムで意識していた。

これらプロセスは現実世界から見れば辻褄が合わず、奇妙奇天烈なのだが、非常に自由で面白いわけである。

たとえばその日、かわいい子豚の写真を見たとする。また別の場面では、ふと空を見上げて、幾ばくかの解放感を感じたとする。

それは現実的に見れば全く関連性のない、別々の事柄だが、写真を見た時の「かわいい」と思った気持ちと、空を見上げた時の「綺麗だな」と思った気持ちが、夢の中で合わさって、結果、空に子豚が飛んでいる、という夢を見るかもしれない。

現実では、豚が空を飛ぶはずもないが、まあ、こうして夢の中では実現する。

それが歌の最後の「名誉(不思議)」の本質の部分ではないかと思うのである。思ったり議論したりすることが不(出来ない)、まさに奇妙奇天烈で不思議な世界だと。

ざっくり言えば「豚が空を飛ぶ」ことは、夢の中では常識なわけである。しかし、夢から覚めて初めてそれが奇妙奇天烈、非常識な世界だったことが判る。

このように、夢の中での常識が、目が覚めてから非常識だと判るように、神の夢を見ている我々がその夢から覚めると、今まで当たり前だと思っていたことが、全く当たり前でなく、奇妙奇天烈な世界であったことを認識する、ということかと思う。

一言で言うと「この世界は何てナンセンスなんだ!」と心から開き直ることが、夢から覚めるということかと思う。

ゲームluv waveの中で、自分の身体も記憶も感情も自分の物ではないと認識する少女(真由美)が出て来るが、もし自分が素直に感じる感情、脳内から出て来る思考が、全く自分の物ではないという心境にまで追い詰められたら、その人は世界をどう感じるだろうか。

きっとその人は、自分が存在していないナンセンスなその世界を、とても愛おしく感じるに違いない。

Posted on 2017/07/23 Sun. 14:11 [edit]

category: まわりうた

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23

まわりうた 

かみのりき ちくらのおきと
  のこふてふ このときおのら くちきりのみか

(神の力 千座の置戸 拭ふてふ この時己等 口切りのみが)

解説

力(りき)は「体力。腕力。また、精力。ちから。」、千座の置戸は「祓(はらえ)のとき、罪の償いとして出す多くの品物。」、拭う(のごう)は「(恥・汚点・印象などを)消し去る。取り去る。」、てふは「…という。」、己等(おのら)は「一人称。複数に用いられる。われら。われわれ。」、口切り(くちきり)は「容器などの封を切ること。または、封を切って開けたばかりのもの。口あけ。」「物事のし始め。かわきり。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「真スサノオ」を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「千座の置戸」は、素盞嗚命が高天原を追放される時に課せられた刑で、今でいうところの罰金とか損害賠償とかの類とされる。

イメージとしては、多くの台に罪を償いとして出した品物を置く、といったところか。

しかし、霊界物語では違うイメージとして語られており、これはキリストの十字架みたいなものなのだそうだ。

古事記では千座ではなく千位(ちくら)となっている。また置戸の戸は座の意味という見方もあるそうだ。

「千位の置座」と見ると、これは素盞嗚命が本来持っている地位を座に置いて、明け渡す、という意味になるような感じがする。

スサノオの神は霊界物語では主神なので、本来主の位、頂点の位に居る神が、その座を明け渡して地上に下った、ということになる。これは国祖国常立尊の御退隠とも重なっているようにも思う。

イメージするならば、昨日まで王様だった人が囚人になるような感じかと思う。

話は変わるが、スサノオの化身である出口王仁三郎聖師の背中には、オリオン座の中にある三ツ星のホクロがあったそうだ。スサノオの神は「瑞(みづ)の御霊」とされており、瑞(みづ)は三つ(みつ)に通じる。

個人的に解釈すれば、オリオンは織音(おりおん)で、音を縦に横に織る意味だと思うが、それが隠されて檻隠(おりおん)になってしまったのだろうと思う。

こうして三ツ星(瑞霊)は、あたかも刑務所の塀の中に入るように、周りの口(くち)状の四つ星に囚われてしまった。

下記参照

『大地の母 第11巻「天下の秋」 豪傑天狗』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138911c09

『大地の母 第12巻「永久の道」 開祖昇天』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=B138912c09

呪術的な解釈で見れば、音を操る術、即ち言霊が、口(言葉)の中に隠されて囚われてしまった、ということだろう。

だが歌では、それを神の力で取り去る、と出ている。仮にそれが起きるとすれば、嘘は付けなくなり、誠のみとなる。

誠とは「言+成」である。出した言葉が必ず成就する世界は結構な世界とも言えるが、一方では恐ろしい世界とも言える。

というより、もうその時は霊体一致しているので、それぞれの霊(心)の状態に合った言葉しか出せなくなるように思う。

たとえば、他者の幸せを願っている人は、他者を傷つける言葉は出せなくなるし、逆に他者を傷つけたい人は、他者を労わる言葉は出せなくなる、ということ。

まあ、こういう呪術的な話を抜きにしても、オリオン座の四隅の星の一角でもあるベテルギウスが、近々超新星爆発を起こす可能性は否定はできない。

仮にそれが起これば、現実的な事象としても大きな変化が生まれることは間違いない。

『アルマ望遠鏡がとらえたベテルギウス』(AstroArsより)
http://www.astroarts.co.jp/article/hl/a/9217_betelgeuse

Posted on 2017/07/23 Sun. 02:37 [edit]

category: まわりうた

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23

まわりうた 

きしなかき なつそらこくい
  せみのねの みせいくこらそ つなきかなしき

(岸長き 夏空黒衣 蝉の音の 店行く子等ぞ 繋ぎ悲しき)

解説

黒衣(こくい)は「黒い色の衣服。こくえ。」「僧侶や尼僧の着る墨染めの衣。こくえ。」の意味です。

余談

この歌は、中孝介さんのアルバム「絆歌」の中にある「夏夕空」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

袈裟はもともと、いろんな布を繋ぎ合わせて作っていたのだとか。

歌の「繋ぎ」は、蝉の音が鳴り響いている(木の近くや、或いは道に面している)店に行く子等の姿を見た瞬間、昔の記憶が繋がった、という意味ですが、その他には袈裟のニュアンスも含まれているように感じます。

最初はただの袈裟だったのが、その場面を見た後にもう一度袈裟を見ると、そこに今一度、悲しさや愛(かな)しさが込み上げて来た、というニュアンスです。

Posted on 2017/07/22 Sat. 10:12 [edit]

category: まわりうた

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22

まわりうた 

ひとつたち のいくなかはて
  せみのねの みせてはかなく いのちたつとひ

(一つ立ち 野行く半ばで 蝉の音の 見せて儚く 命尊び)

解説

立つは「(季節が)やってくる。始まる。」「出発する。出かける。旅立つ。」、尊ぶ(たっとぶ)は「尊ぶ。尊重する。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

Posted on 2017/07/21 Fri. 11:57 [edit]

category: まわりうた

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21

いろはうた 

くにあけわらふ とよさかゆ
つねなるみやゐ ひはりむれ
たてしおほこゑ ぬへもろめ
そんすうをませ いのちきえ

国明け笑ふ 豊栄ゆ
常なる宮居 雲雀群れ
立てし大声 野へ諸目
尊崇を交ぜ 命帰依

解説

豊(とよ)は「助詞‘の’を伴って連体修飾語として用いられるほか、名詞、時に動詞の上に付いて用いられる。物事が豊かである意を表し、褒める意を添える。」、栄ゆ(さかゆ)は「繁栄する。栄える。」、常なりは「永久だ。不変だ。」、宮居(みやゐ)は「神が鎮座すること。また、その住まいとするもの。神社。」、雲雀(ひばり)は「スズメ目ヒバリ科の鳥。全長17センチくらい。体は褐色の地に黒い斑があり、頭に短い冠羽をもつ。日本では留鳥・漂鳥として河原・畑などにすみ、春になると空高く舞い上がりながら、ピーチュク、チルルなど長くて複雑な節回しでさえずる。告天子(こくてんし)。」、野(ぬ)は「野原。野。」、諸目(もろめ)は「左右の目。両眼。両目。」、尊崇(そんすう)は「とうとびあがめること。そんそう。」、帰依は「神仏や高僧を信じてその力にすがること。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

国が明るくなって皆笑っている。豊かに栄えている。

永久なる神が鎮座する場所から、雲雀の群れが飛び立つのを見て、(その素晴らしさに思わず)立ててしまった大声。そのまま両目を(周りの)野原へやると、しみじみとした感情が湧きあがって来る。

(この光景を心底)尊び崇めながら、私の命は分からない何かに帰依していく。

Posted on 2017/07/20 Thu. 23:59 [edit]

category: いろはうた

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20

いろはうた 

あまくたるねろ すはらしさ
てりそめゐやふ うきゆひに
おほこゑもれぬ をえつせむ
かみよへなんと いのちわけ

天降る嶺ろ 素晴らしさ
照染め礼ぶ 盞結ひに
大声漏れぬ 嗚咽せむ
神世へ何度 命分け

解説

天降る(あまくだる)は「神や天人などが、天上から地上におりる。」、嶺ろ(ねろ)は「峰(みね)。」、礼ぶ(ゐやぶ)は「礼を尽くす。敬う。」、盞結ひ(うきゆひ)は「杯を交わして、固く誓約すること。」、嗚咽(をえつ)は「声を詰まらせて泣くこと。むせび泣き。」、分けるは「障害物などを押し開いて進む。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

神様が天降る(山の)峰の素晴らしさはどうだ。この神様の御稜威によって、今まさに地上が照り染められるように、私たちの顔も驚きと興奮によって照り染められている。今はただ有り難いばかりで、この神様を迎えるにあたっては、ひたすら礼を尽くすのみだ。

これにより、昔からの神の誓約が実現すると共に、新たな神世の幕開けとして、盛大な結婚(結魂)式が行われることに、拍手喝さいの大歓声が漏れた。

あぁ、このまま歓喜に打ちひしがれながらむせび泣こう。今回の神世を迎えるまでに、何度転生を繰り返し、この命を分け進めて来たことか……。

雑感

見ての通り、歌の中に「天照大神」と「素盞嗚命」の神名を織り込んでいます。

いろいろな意味が含まれていそうですが、ひとつは天津神(あまつかみ)と地津神(くにつかみ)の完全なる和解、和合を示しているものと思われます。簡単に言うと、この世界が天でも地でもなく、天地になるということ。霊体一致するということ。

(山の)峰は、どこかの山の峰というよりは、この世のピラミッド構造の頂点に神が君臨するという意味かと思います。それゆえの神の世でもある、ということかと。

Posted on 2017/07/19 Wed. 18:24 [edit]

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いろはうた 

もとつおほかみ ひらきます
いろはうたこゑ さくあけぬ
むへんのわれを えてちよに
ねふりゆめなし やそせゐる

元津大神 開き坐す
伊呂波歌声 幸く上げぬ
無辺の我を 得て千代に
眠り夢無し 八十瀬居る

解説

坐す(ます)は「(補助動詞) 他の動詞の連用形に付いて、補助動詞‘ある’‘いる’の尊敬語。また、その動詞に尊敬の意を添える。…ていらっしゃる。お…になる。 」、伊呂波(いろは)は「‘いろは歌’の最初の三字をとったもので、‘いろは歌’の仮名四七字の総称。または、これに‘ん’あるいは‘京’を加えた四八字。」「〔‘いろは歌’を手習いの初歩に使ったことから〕 物事の初歩。基礎的なこと。 ABC 。」、幸く(さく)は「幸いに。無事に。変わりなく。さきく。」、上ぐは「神仏に供える。奉納する。」「声を大きくする。」、無辺は「広々と限りのないこと。際限のないこと。また、そのさま。」、千代は「非常に長い年月。千年。永遠。ちとせ。」、眠り(ねぶり)は「ねむること。ねむり。」、八十瀬(やそせ)は「多くの瀬。瀬々(せぜ)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

元津大神が開いていらっしゃるいろは歌を、声に出して無事に上げた。(その結果)無辺の我を得て、永遠に眠ることなく、夢を見ることなく、(今は)この八十瀬に居る。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

霊界物語によれば、いろは歌は空海の作ではなく、「太元顕津男の神の言霊より鳴り出でし神歌」なのだそうだ。簡単に言うと、大元の神様の言霊から鳴り出た神歌ということになる。

下記霊界物語参照。

『霊界物語 第73巻 天祥地瑞 子の巻 第1篇 紫微天界 第10章 婚(とつ)ぎの御歌』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm7310

意訳では、いろは歌を声にして上げた、ということだが、上記霊界物語の内容を加味すると、これは修理固成を完成させたとも解釈できそうだ。

また、いろはには物事の基本と言う意味もある。いろは歌を歌うことで広大なる自分を得て、永遠に迷うことのない真理の世界にたどり着いた、という呪術的な側面だけでなく、これは大元の神様のいろはの教えの道を歩くことで、真理の世界にたどり着いた、という意味にも取れるような気がする。

世の中にはいろいろと神様や仏様、その他宗教的な教えがあってバリエーションがあるが、まあ要は良心に従って生きよ、ということかと思う。それが大元の神様のいろはの教えではないかと。

最後の「八十瀬」だが、これは八十世(やそせ)に通じる。下記ブログによれば今は七代目の世の中で、次は八代目になるのだそうだ。ということで、この言葉の意味は八代目の十(神)の世という意味も含まれているように思う。

また八代(はちだい)は八代(やしろ)とも読める。おそらくこれは社(やしろ)にかかっていて、皆が神の社(宮)となるという意味も含まれているように思う。

ここで言う神の宮とは神社のことではなく、一人一人が神と繋がって、それぞれが神の全き(まったき)顕れ(あらわれ)として生きる、ということ。

もちろんそのままの意味にとって、宇宙全体が神の社、神の宮殿として感じられる、という意味でも良いだろうし、神の社、神社(じんじゃ)は神社(かんしゃ)に通じる、ということで、皆がいつも感謝するような素晴らしい世の中になる、ということでもあるように思う。

下記ブログ参照。

『物質(七)の世は終わるダルマ(宇宙法)の七転び八起』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=36

『3月3日は豊受様の命日?。3月3日の桃の花。5月5日の桃の実で神代八代に』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=351

ちなみに今回の歌では、七文字ずつ区切ると「みろくのよなる」(弥勒の世成る)の言葉が浮かび上がって来るように、趣向を凝らしてみた。

いわゆる折句のことだが、なぜ七文字にしたかというと、七は七(な)で、「成る」「生る」の‘な’に通じるためである。全部で四十八文字なので、最後は六文字になるが、六は六(む)で、結ぶに通じる。

イメージとしては、鳴り鳴る果てに(弥勒の世と)成り結ばれた、といった感じ。

Posted on 2017/07/18 Tue. 18:07 [edit]

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まわりうた 

なかきよの ひかりのみたね
  ふちむけむ ちふねたみのり かひのよきかな

(永き代の 光の神胤 縁向けむ 千船民乗り 加被の良きかな)

解説

神(み)は「霊的な力をもつものの意。」、胤(たね)は「血統また、血統を受け継ぎ伝えていくもの。子。子孫。」、縁(ふち)は「物の端の、他との境界になる部分。へり。はし。また、そこを取り囲む枠など。」、加被は「神仏が力を貸して守ってくれること。加護。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

神胤(みたね)は神様の子孫、神様の末裔というニュアンスで使っている。血(ち)は霊(ち)に通じるので、これは血統のみならず霊統の意味も含まれている。

血統で見れば、日本は神代から続く万世一系の天皇を中心に戴く国家ということになるが、それのみならず、神代から続く霊統を引き継いだ、世界中に散らばった人達も指しているということ。

「縁向けむ」は、海の向こう側にある境界線、即ち水平線に向けると解釈できる。

一方、縁(ふち)は縁(ろく)とも読めるので、これは神縁(みろく)に通じる。この解釈で意味を読み取れば、この部分はミロクの世に向けるとなり、また神様との縁(えん)を付けるという意味にもなるかと思う。

「千船民乗り」は、多くの船に民が乗って、という意味になるが、千は地(ち)に通じて、地船とも解釈できる。

つまりは、地球を宇宙に浮かぶ船とみて、この地球に居るみんなが、一蓮托生でミロクの世へ行く様を、この歌は詠っている。

総合的な歌のニュアンスは、下記の感じになるかと思う。

神様の意図を汲み取った人達が先陣となって、今の世をミロクの世の境界まで差し向ける。その甲斐もあり、最後は神様のご加護の下、皆揃ってミロクの世にたどり着けることが出来た。あぁ、まこと良いなぁ。

Posted on 2017/07/17 Mon. 14:44 [edit]

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