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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

かをるうめ かなたのそらは
  さくもるも くさはらそのた なかめうるをか

(香る梅 彼方の空は さ曇るも 草原その他 眺め得る丘)

解説

さ曇る(さぐもる)は「くもる。」、草原(くさはら)は「草の茂っている野原。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「神州平原」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2018/02/22 Thu. 18:38 [edit]

category: まわりうた

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22

まわりうた 

なかくゆれ かなしきなかは
  たたよふよ たたはかなきし なかれゆくかな

(長く揺れ 悲しき半ば 漂ふ夜 ただ儚帰し 流れ行くかな)

解説

儚(はかな)は「形容詞‘はかなし’の語幹。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『夢まぼろし・初音ミクの日本文化論(24)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20180217

Posted on 2018/02/18 Sun. 09:18 [edit]

category: まわりうた

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18

まわりうた 

かみそのの ひかりとさんせ
  ふしきみき しふせんさとり かひののそみか

(神園の 光と三世 不思議見き 十全覚り 佳美の望みが)

解説

三世(さんぜ)は「三つの世、すなわち前世・現世・来世、また過去世・現在世・未来世など。三際。三界。三生。」、十全(じゅうぜん)は「少しの欠点もなく、完全なさま。十分に整っていて危げないさま。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、望みは「ながめ。眺望。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

Posted on 2018/02/17 Sat. 19:56 [edit]

category: まわりうた

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17

まわりうた 

なかきよの やみのみかへす
  せいなるな いせすへかみの みやのよきかな

(長き世の 闇のみ帰す 聖なる名 伊勢皇神の 宮の良きかな)

解説

帰すは「人を、初めにいた所、または本来の居場所に戻らせる。帰らせる。」、皇神(すべかみ)は「神を敬っていう語。すめかみ。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2018/02/17 Sat. 09:51 [edit]

category: まわりうた

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17

まわりうた 

かなしみの なみたうきよの
  とさりけり さとのよきうた みなのみしなか

(悲しみの 涙憂き世の 音去りけり 里の良き歌 皆呑みし中)

解説

憂き世(うきよ)は「つらくはかないこの世の中。変わりやすい世間。」、音(と)は「おと。ひびき。こえ。 」、里は「ふるさと。故郷。」、呑むは「飲む。飲酒する。」の意味です。

余談

この歌は、新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、下記記事を読んでそれをモチーフに書いた歌です。ちなみに「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

『日本人であることの証明・初音ミクの日本文化論(15)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20180202

Posted on 2018/02/03 Sat. 10:17 [edit]

category: まわりうた

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03

まわりうた 

こいたるる ふあんしんしる
  ゆきはには きゆるしんしん あふるるたいこ

(五噫垂るる 不安心知る 行き端には 消ゆる身心 溢るる大悟)

解説

五噫(ごい)は「嘆き憂えること。」、垂るは「垂れ下げる。ぶら下げる。垂らす。」「したたらす。」「現し示す。」、行き端(ゆきは)は「行った先。ゆくえ。いきは。」、身心(しんしん)は「こころと、からだ。精神と身体。」、大悟(たいご)は「完全円満な悟りを開くこと。」の意味です。

余談

この歌は、アニメ映画「イノセンス」の主題歌「Follow Me」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分は英語がさっぱりわからないので、「Follow Me」の歌詞の最後の「While the world goes on turning and turning Turning and falling」の、微妙なニュアンスを理解しきれないのがくやしい。

直訳すると「同時に世界は回転して回転して、回転しながら落ちて行く」になると思うが、その直前の歌詞は「Singing in the silent swerve a heart is free」となっているので、たぶん、一心に歌っていたら心が自由になって、同時に(この煩わしい)世界も消えてなくなる、というニュアンスなのではないかと思う。

しかし、この「Follow me」(私について来なさい)は誰が言っているのだろう。

歌詞に「love」の単語が出て来ているが、個人的にはむしろ、智慧の女神である「ソフィア」を連想してしまう。

Posted on 2018/02/01 Thu. 21:45 [edit]

category: まわりうた

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01

まわりうた 

はかなみの うくるみはきゆ
  ときめくめ きとゆきはみる くうのみなかは

(儚みの 受くる身は消ゆ ときめく目 きと行き場見る 空の真中は)

解説

儚みは「マ行五段活用の動詞‘儚む’の連用形である‘儚み’、あるいは連用形が名詞化したもの。」、ときめくは「喜びや期待などで胸がどきどきする。心が躍る。」、きとは「動作が瞬間的に行われるさま。急に。とっさに。」「特に意図せずにある動作をするさま。思わず。ふと。」、真中(みなか)は「まんなか。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中にある「風の谷のナウシカ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

空(くう)とは、要するに空っぽのこと。

何かを見たり感じたりして、それにときめいた瞬間は、もうその対象と自分とが同化していて、自分は空っぽになっている。

この瞬間にこそ、儚さに満ちた命、身体の煩わしさは消え、生きる実感を感じているのだ。

おそらくこの歌は、そういう感慨を詠っているように思う。

そして何となくだが、生く(いく)は行くに通じ、歌の「行き場」は生き場、即ち「生きる場」というニュアンスも感じる。

自分の行くべき場所は、そこにこそあらんとばかりに。

Posted on 2018/01/29 Mon. 22:40 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

みなかはる ゆくてみしなか
  いつくしく ついかなしみて くゆるはかなみ

(皆変はる 行く手見し中 美しく つい悲しみて 薫る儚み)

解説

美し(いつくし)は「美(うつく)しい。」、ついは「そうする気持ちのないままに、そのことをしてしまうさま。思わず。うっかり。 」、薫る(くゆる)は「炎を出さずに燃えて、煙が立つ。ふすぼる。くすぶる。」「表面に出さないで、心の中で思い悩む。」、儚みは「マ行五段活用の動詞‘儚む’の連用形である‘儚み’、あるいは連用形が名詞化したもの。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「ナウシカ・レクイエム」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「皆変はる 行く手見し中 美しく」は、ちょっとうまく説明できないが、下記ナウシカの言葉のような感慨です。

(漫画版「風の谷のナウシカ」のネタバレあり。)

   ↓
   ↓
   ↓

---------------------------------

「私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている」
「その朝が来るなら私達はその朝にむかっていきよう」
「私達は血を吐きつつ、繰り返し繰り返しその朝を越えてとぶ鳥だ!!」
「生きることは変わることだ。王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。腐海も共に生きるだろう」
「だが、お前は変われない。組み込まれた予定があるだけだ。死を否定しているから。」 

「絶望の時代に理想と使命感からお前がつくられたことは疑わない」
「その人たちはなぜ気づかなかったのだろう。清浄と汚濁こそ生命だということに」
「苦しみや悲劇やおろかさは清浄な世界でもなくなりはしない。それは人間の一部だから・・」
「だからこそ、苦界にあっても喜びやかがやきもまたあるのに」

---------------------------------

まあ、一言でいうと諸行無常の様が美しいと言っているわけだが、同時に「つい悲しみて 薫る儚み」でもあって、やはり全てが変わっていくことは悲しいことでもあるし、その避けがたい儚さには悶々としてしまう。

しかしその儚さに悶々とすればするほど、目の前の諸行無常の、そのとんでもない美しさに圧倒されてしまう、といった感じです。

Posted on 2018/01/27 Sat. 11:25 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

さくらある けしきとのこる
  はかなかな かはるこのとき しけるあらくさ

(桜散る 景色と残る 儚かな 変はるこの時 繁る新草)

解説

散る(ある)は「離れる。ちりぢりになる。遠ざかる。」、儚(はかな)は「形容詞‘はかなし’の語幹。」、新(あら)は「名詞に付いて、新しいものである意を表す。」の意味です。

余談

この歌は、下記記事を読んでそれをモチーフに書いた歌です。

『桜の木の下で・初音ミクの日本文化論(9)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20180124

『セックスアピール(その十)・ネアンデルタール人論150』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20160415

雑感

桜の季節にはちと早いが、出て来てしまったのだからしょうがないので、そのまま掲載することに。

Posted on 2018/01/25 Thu. 12:49 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

きしなかし かのそらはのし
  いつくしく ついしのはらそ のかしかなしき

(岸長し 彼の空は伸し 美しく 追思の原ぞ 逃し悲しき)

解説

彼(か)は「遠称の指示代名詞。話し手や聞き手からともに離れた物や人をさし示す。かれ。あれ。」、伸す(のす)は「伸びる。伸びひろがる。」、美し(いつくし)は「美(うつく)しい。」、追思(ついし)は「過ぎ去ったことをあとから思い出すこと。追想。追懐。」、原(はら)は「草などの生い茂った平らで広い土地。はらっぱ。野原。平原。」、逃すは「にげさせる。にがす。」「つかみそこなう。失する。逸する。」の意味です。

余談

この歌は、「風の谷のナウシカ サウンドトラック はるかな地へ・・・」の中の「ナウシカ・レクイエム」を聴きながら、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『腐海は広がっているか・初音ミクの日本文化論(7)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20180121

雑感

下記、「風の谷のナウシカ」の重要なネタバレあり。


   ↓
   ↓
   ↓


さて、漫画版「風の谷のナウシカ」では、ナウシカがユートピアでもある「青き清浄の地」を見つけたとき、またここを人間たちが見つけてしまうと、この地が汚される、との結論に至り、その場所を誰かに教えることもせず、その場を立ち去っている。

なので歌の「逃し」は、わざと逃がすというニュアンスと、つかみそこなってしまったというニュアンスを同時にあらわしている。

もともと「青き清浄の地」というのはユートピアでも何でもなく、ごくごく普通の草木や小動物たちが生きる湿地帯の原っぱに過ぎなかった。

だが、風の谷のナウシカの世界では、1000年前に「火の7日間」という最終戦争が起きて文明が崩壊してしまい、それに伴って自然も破壊されたため、ごく普通の湿地帯ですら、ユートピア的な場所になってしまった。

それに代わって、猛毒ガスをまき散らす菌類や異質の蟲(むし)達が住まう「腐海の森」と呼ばれる場所が、ただ広がるだけになってしまった。

もともとそこにあったであろう「青き清浄の地」は、人間の業というか、そういうものに埋没してしまい、ついに人類は、それを逃してしまった。

しかし1000年前の人間は、その「青き清浄の地」を、また無理矢理、その業によって取り戻そうとしている所に、この漫画のおもしろさがあると思う。

ナウシカは、腐海システムによって世界が浄化されていることを知り、さらにその腐海システムやそこに住む王蟲(オーム)と呼ばれる蟲すらも、旧人類が作りだしたものであることを知る。

そうしてその汚染に生きられるように子孫を遺伝子操作し、また一方で、全ての浄化が終わった後、穏やかに暮らせるように新人類の卵を隠し持っていた。

その時、汚染された世界でしか生きられない旧人類は、全て死ぬことをナウシカは知る。

説明が雑多になってしまったので、これを現代的なニュアンスに当てはめると、まあつまりは、下記のようなことが行われたわけである。

まず、世界最終戦争が起きて、その核による放射能汚染によって世界が荒廃してしまった。そして世界中でおびただしい死や食糧難が押し寄せてきた。

時の世のエリートたちはどうにかして人類を生き延びさせようと思い立って、人間を含めた動植物を遺伝子操作して、汚染に耐えられるような身体に作り変えた。そして長い時間をかけて、その汚染が浄化されるように、自然形態そのものを作り変えてしまった。

一方で、浄化された後の楽園を生きるべく、新人類の卵も用意していた。

しかしそれは、人間らしさを抜き取るというか、性格は穏やかだけれども、去勢されたような感じで、もはや人間とは呼べない人間であった。

ナウシカはそれを知って最後、それら政治的な思考そのものがおぞましいと考え、全てをぶち壊してしまう。

そうして荒廃された地を生きて行く決意の中で、物語は終わっている。

歌では、そういう悲しさを詠っています。

Posted on 2018/01/24 Wed. 21:39 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

せんさとり こなたなかるる
  すわりあり わするるかなた なこりとさんせ

(禅悟り 此方流るる 座りあり 忘るる彼方 名残と三世)

解説

禅は「古くからインドで行われる修行方法で、精神を一つの対象に集中し、その真の姿を知ろうとすること。静慮(じょうりょ)。禅定(ぜんじょう)。」「‘座禅’の略。」、此方(こなた)は「近称。話し手に近い場所・方向などをさす語。こちら。こちらのほう。」「過去のある時から、現在までの間をさす。以来。このかた。」「未来のある時からさかのぼって現在までの間をさす。それより以前。以前。」、彼方(かなた)は「あるものを越して、話し手から遠く離れた先の方、またはその場所をさす。むこう。あなた。」「現在から遠く隔たった過去および未来をさす。」、名残(なごり)は「物事が過ぎ去ったあとになお残る、それを思い起こさせる気配やしるし。余韻や余情。また、影響。」、三世(さんぜ)は「三つの世、すなわち前世・現世・来世、また過去世・現在世・未来世など。三際。三界。三生。」の意味です。

余談

この歌は、映画「禅 ZEN」を見て、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

これまで禅というものが一体何なのか、よくわからなかったのだが、この映画を見て、その一端を垣間見れたような気がした。

これまでは、禅をする結果として悟りに至るのだろうと思っていたのだが、座禅の姿は仏の姿のそれであり、座ること自体が悟りを表しているのだそうだ。

劇中にも出て来るが、悟りに関する本で「普勧坐禅儀」とかいう書物があるらしく、これを読むと、なるほど、と思わせられる。

下記参照。

「坐禅の奥義書『普勧坐禅儀』を現代語訳するとこうなる」(「禅の視点 - life -」さん)
http://www.zen-essay.com/entry/hukanzazengi

ということで、歌の解釈に移りたいと思う。

「禅悟り」は、座禅の姿でもあり、悟っている(仏の)姿でもある様を指しているように思う。

「禅悟り 此方流るる 座りあり」は、一刻一刻流れていく周りの状況や自分の心の状態がありながらも、ただ座っている状態がある、この状態こそが禅であり悟りなのだ、という感じかと思う。

「忘るる彼方 名残と三世」は、座禅を組んでいると、周りの状況や自分の心の流れすらも全て忘れてしまって、それらは言葉や思いにすらならない余韻と共に、過去も現在も未来も無い彼方へと消えてゆく、という感じ。

つまりは、世界も私も無くなって、ただ座っているという体験だけが残る、ということ。

一瞬、だからどうした、とも思ってしまうが、そこにこそ禅があり、悟りがあり、安らぎがあるのだろうと思う。

通常の感覚では、たとえば座っている時は「私が今ここに座っている」と思って「私がこれ(座っていること)を体験している。」と考えるが、その「私」が抜け落ちて、ただ「これを体験している。」という状態になる、ということだ。

でも、このような説明では、結局その体験をしているのは私なのだから、結局私が体験していることに変わりないじゃないか、と思ってしまうが、そうではなく、世界も私も消えて「座っている」という体験だけが残る、ということ。

だから「座っている」という体験だけが大事なのであって、それを体験しているのが誰かまでは、関係ないということ。

つまり、主観とか客観とかが無くなることで、主体と客体が一つとなるのだ。

通常ならば「座っている私の意識」と、「座っている私の身体」の二つを認識しているわけだが、その「私」が消えてしまうというか、その「私」を超えて、ただ「座っている」状態になるのだ。

だから普段は「私(は)が座っている」と意識して、最初に「私は」「私が」が付くが、これが消えて「座っている」だけの状態となる。

一言でいうと「私(は)が座っている」から「座り(は)が私」になるということ。

こうなると「座ること」と「私」は一つとなり、「座り=私」となって、私が消えてしまうのだ。

そうして、まるで動かない物になったかのように、ぼーーっと座っている状態の中で、ある種の余韻というか、安らぎというか、そういう状態の中へと耽溺していくのだ。

Posted on 2018/01/23 Tue. 11:21 [edit]

category: まわりうた

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23

まわりうた 

とほるしか りあれはあかし
  なかれはれ かなしかあはれ ありかしるほと

(点る自我 理有れば明し 流れ晴れ 愛しがあはれ 在り香知るほど)

解説

点る(とぼる)は「ともしびなどに火がつく。あかりがつく。ともる。」、自我は「自分。自己。意識や行為をつかさどる主体としての私。対象(非我)・他者(他我)から区別されるが、他我もまた一個の自我である。人格や作用の中枢として、認識の根拠・道徳的行為や良心の座となる。」「自分自身に関する主体としての意識の総体。自我意識。」「精神分析で、イド・超自我とともに人格を構成する心的領域。イドと外界の現実や超自我との間で現実原則に従って調整をはかるもの。エゴ。」、理は「物事のすじ道。法則。ことわり。道理。」「(有為転変する、事実・現象に対して)真理・真実あるいは法・規範などをいう。仏教の真如・法性など。」「宋学で、宇宙の根本原理。」、明し(あかし)は「明るい。」「まじりけがない。心が清い。」、愛し(かなし)は「しみじみとかわいい。いとしい。」「身にしみておもしろい。すばらしい。心が引かれる。」、あはれは「‘をかし’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。」、在り香(ありか)は「よいにおい。香り。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「点る自我 理在れば明し 流れ晴れ」は、物心ついた頃から目覚めた我々の自我は、ともすれば悩んだり苦しんだりするが、しかし道理をわきまえていれば、(たとえ自分では暗闇に思えても)目の前の道は常に明るく、また日々流れる自身の心も清々しく、晴れやかで居られるのだ、といった感じ。

「愛しがあはれ 在り香知るほど」は、理があるその心であるからこそ、全てが愛おしく見え、また素晴らしい物事や自分の心が引かれる何かを楽しめる心、理解できる心を育むことができる。その幽玄なる心境の中へ進めば進むほど、ただ、あぁ、と感嘆してしまうのみとなるのだ、といった感じ。

内容はだいたいこんな感じだが、この歌の一番の醍醐味はやはり「愛しがあはれ」の部分にあると感じる。

解説でも載せているが、愛し(かなし)は「しみじみとかわいい。いとしい。」「身にしみておもしろい。すばらしい。心が引かれる。」という意味がある。

下記ブログ記事で書かれている通り、かわいいというのは、かなしいに通じるものがある。

『世界の終わりを味わい尽くす・神道と天皇(126)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20180108

前から「かなしい」には、なぜ反対の意味のニュアンスを持つ、愛しい(かなしい)と悲しい(かなしい)があるのだろう、と疑問に思っていたが、上記記事を読むとよくわかる。

赤ん坊がかわいいのは「生きられないこの世のもっとも弱いもの」であって、その裏には、一人では何もできない悲しさを含んでいるから、という見方はとても納得する。

そしておそらく、そこに「あはれ」があるのだ。

おもしろいことに、この言葉にも二つの意味がある。美としての「あはれ」と、哀しみ(かなしみ)としての「あはれ」だ。また「あはれ」は、天晴れ(あっぱれ)の語源でもある。

生きてある哀しみをただ感じて、消えてゆく身体の向こう側にあるのが「あはれ」であり、天晴れなのだと思う。

それは「在り香知るほど」に、それをより深く感じられるのだ。

だからここで言う「在り香」は、「あはれ」の香りであり、哀しみの向こう側にある晴れの気配でもあるように思う。

Posted on 2018/01/14 Sun. 20:31 [edit]

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14

まわりうた 

きしかすい かせんせんさん
  せいかくか いせんさんせん せかいすかしき

(岸河水 俄然全山 清客が 依然三千 世界清しき)

解説

岸は「陸地が海・湖・川・池などの、水と接する所。みずぎわ。 」「土地のきり立った所。がけ。」、河水(かすい)は「河の水。河の流れ。」、俄然は「状態などが今までとは急に変わるさま。にわかに。突然。急に。」、全山(ぜんざん)は「ある山全体。」「ある地域のすべての山。」、清客(せいかく)は「梅の別名。」、依然(いぜん)は「もとのままであるさま。前のとおりであるさま。語幹だけで副詞的にも用いる。」、三千世界は「仏教の世界観による広大無辺の世界。須弥山(しゅみせん)を中心に日・月・四大州・六欲天・梵天などを含む世界を一世界として、これが千集まったものを小千世界、それが千集まったものを中千世界、さらにそれが千集まったものを大千世界といい、これらを総括していう。三千大千世界。」、清しい(すがしい)は「さわやかで気持ちがよい。すがすがしい。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

「岸」には水際の他、崖の意味もあるので、この「岸河水」は河の両側に岸や崖が続いている風景がイメージされる。

次の「俄然全山 清客が」は、そこから見える周りの山全体が、春になって一斉に梅が咲く様が描かれている。

ちなみに「全山」は「ある山全体。」「ある地域のすべての山。」の二つの意味があるので、一つの大きな山でも、連山でも、好きな方をイメージすれば良いかと思う。

個人的には、中国の神仙思想に出て来る蓬莱山のような風景がイメージされる。

Posted on 2018/01/13 Sat. 11:06 [edit]

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13

まわりうた 

なかきよの めうくさかさむ
  そのひとひ のそむさかさく うめのよきかな

(永き代の 妙句探さむ その一日 望む坂咲く 梅の良きかな)

解説

妙句は「すぐれてあじわいのある句。また、すぐれてよい言葉や表現。」、一日(ひとひ)は「いちにち。また、いちにちじゅう。終日。」、望むは「遠くをながめやる。はるかに見渡す。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2018/01/12 Fri. 19:40 [edit]

category: まわりうた

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12

まわりうた 

みるゆきに まいのちあはれ
  たひのまの ひたれはあちの いまにきゆるみ

(見る雪に 真命あはれ 旅の間の 浸れば彼方の 今に消ゆる身)

解説

あはれは「‘をかし’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。」、彼方(あち)は「遠称の指示代名詞。あちら。あっち。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、下記ブログを読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『ややこしいことを考える・神道と天皇(127)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20180109

Posted on 2018/01/10 Wed. 16:22 [edit]

category: まわりうた

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10

まわりうた 

しきのかの こしすはらしき
  しいりけり いしきしらはす しこのかのきし

(色の我の 越し素晴らしき 死入りけり 美しき白蓮 四顧の彼の岸)

解説

入る(いる)は「人などが、ある建物・区画の中に移動する。はいる。」、美し(いし)は「よい。すばらしい。見事である。」、白(しら)は「 他の語の上に付いて複合語をつくり、白色であることを表す。」、四顧(しこ)は「辺り。付近。四辺。」、彼の岸は(かのきし)は「迷いを脱し,生死を超越した理想の境地。悟りの境地。涅槃(ねはん)。」の意味です。

余談

この歌は、「魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTION」にある「prelude to Act 1」~「prelude to Act 2」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

彼の岸の説明には「生死を超越した理想の境地」とあるのに、歌の中心に「死入りけり」とあり、これでは意味が矛盾している。

明らかにおかしいのだが、詠んでみるとなぜかしっくり来るので、調べてみたら、ようやくその意味がわかった。

背景に輪廻転生の考え方があって、通常の死は生まれ変わりを前提とした死であるのに対して、涅槃に入るというのは、同じ死であるが、こちらは、もう二度と生まれ変わらない死である、ということなのだと思う。

だから「色の我の 越し素晴らしき 死入りけり」となっているのだ。

個人的には、生きている限り煩悩を解き放つというは、限り無く不可能に近いのではないかと思っている。

しかし、そんな状態であっても、何かに熱中したり、何かに感動している時には、そんな自分をも忘れている。ある意味、これが彼岸であるようにも思うのだ。

その代えがたい美しさというか、崇高さの前でのみ、生死を超えられるように思うのだ。

Posted on 2018/01/09 Tue. 22:11 [edit]

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09

まわりうた 

はなのみき ふもといくはゆ
  たまのをの またゆはくいと もふきみのなは

(花野見き 麓行く逸ゆ 玉の緒の また結はく糸 思ふ君の名は)

解説

花野(はなの)は「秋草の咲き乱れている野。」、麓(ふもと)は「山のすその部分。山麓。」、逸ゆ(はゆ)は「心がはやる。勢いこむ。」、玉の緒(たまのお)は「 〔‘魂の緒’の意〕 いのち。生命。」、結わく(ゆわく)は「しばる。くくる。むすぶ。ゆわえる。」、思う(もう)は「〔‘おもう’の転〕 思う。」の意味です。

余談

この歌は、アニメ映画「君の名は。」を見て、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

数日前、テレビでやっていたのを見た後、何となくイメージが膨らんで出来たものです。

以下ネタバレです。

  ↓
  ↓
  ↓

「花野」は、劇中に出て来る、御神体のある野原をイメージしています。

「麓」は、山の麓に位置する糸守町をイメージしています。

「玉の緒の また結はく糸」は、御神体のある場所で御神酒(口噛み酒)を飲んだ主人公が、ヒロインの生命と結ばれる様をイメージしています。

下記参照。

ヒロインのおばあちゃんのセリフより

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水でも米でも酒でも、人の身体に入ったもんが、魂と結びつくこともまたムスビ。

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Posted on 2018/01/06 Sat. 11:09 [edit]

category: まわりうた

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06

ともゑうた 

なかきよの ねむりてかひの
  かむるなか すかしきのかは こころことしほ

(永き世の 眠りて加被の 被る中 清しきの川 心ごと思慕)
(晡時と子等 此処は彼の岸 幽かなる 無何の陽が照り 胸の良きかな)

解説

加被は「仏・菩薩・神が慈悲の力を加えて衆生を助け、願いをかなえること。加護。被護。加持。」、被る(かむる)は「恩恵など好ましいものを受ける。かぶる。こうむる。」、清し(すがし)は「すがすがしい。さわやかで気持ちがよい。」、ごとは「名詞に付いて、そのものも含めて、の意を表す。…とともに。…ぐるみ。」、思慕は「思いしたうこと。恋しく思うこと。」、晡時(ほじ)は「申(さる)の刻。午後四時頃。転じて、夕方。」、子等(ころ)は「‘こら(子等)’に同じ。」、彼の岸(かのきし)は「‘彼岸(ひがん)’を訓読みにした語。涅槃(ねはん)。」、幽か(かすか)は「 物の形・音などがかろうじて認められる程度であるさま。勢いがなくて、弱々しいさま。」「物寂しいさま。人けのないさま。」、無何(むか)は「‘無何有(むかう)’の略。作為がなく、自然のままであること。また、無我の境地。」の意味です。

余談

この歌は、「魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTION」にある「prelude to Act 1」~「prelude to Act 2」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

正月で、普段あまり飲まないお酒を飲んでいたら、何だか無性に諸行無常を感じてしまって、まるで何かに縋るようにして書いた歌です。

Posted on 2018/01/01 Mon. 22:31 [edit]

category: ともゑうた

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01

いろはうた 

りんわうもよへ みちとせの
あきらかなるを むすふゆゑ
ねいろさえゐぬ やしまくに
おほはつひこそ めてたけれ

輪王も世へ  三千年の
明らかなるを 結ぶ故
音色冴え居ぬ 八洲国
大初日こそ  目出度けれ

解説

輪王(りんわう)は「インド神話で、正義によって世界を治める理想的帝王。仏教では三十二相・七宝を具備するとされ、天から感得した輪宝(りんぼう)を転がして四州を治める。輪宝の種類により、鉄輪王・銅輪王・銀輪(ごんりん)王・金輪王の四輪王がいる。転輪聖王。転輪王。」、三千年(みちとせ)は「三千年(さんぜんねん)。」、八洲国(やしまくに)は「日本国の別名。大八洲(おおやしま)。八洲。」、大(おほ)は「(名詞に付けて)偉大なもの、貴ぶべきものを表す。」、初日は「元旦の太陽。初日の出。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

正義によって世界を治める理想的帝王、即ち輪王が世へいよいよ出て来るということは、この世の悪が一切合財祓われるということでもある。

よって来年2018年は、これまでの悪もいよいよ善に立ち返って、善悪揃って偉大な働きを始めるのではないかと思われる。

歌の内容通りに紐解けば、日本こそが、その働きの中心となっているに違いない。

日月神示参照。

『此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。この神示よく見てゐると、いざと云ふ時には役に立つぞ、肝腎の時に肝腎が成るぞ。元は元、分れは分れ、元と分れ、同じであるぞ、別であるぞ、それぞれに分れの集団(まどい)つくってよいぞ、今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、その覚悟せよ、上に立つ番頭殿、下の下まで目届けておらんと、日本つぶれるぞ、つぶれる前に、そなた達がつぶれるのざぞ、早う改心して誠の政治仕へまつれよ。いれものキレイにして居りたらこの方がよきに使ふぞ、今の仕事仕へて居れよ、神示腹に入れて、あせらず身魂磨き結構々々。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。』(空の巻 第十帖)

『神の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。』(富士の巻 第二十七帖)

Posted on 2017/12/31 Sun. 13:28 [edit]

category: いろはうた

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31

いろはうた 

ひんかしのほる たいやうに
おもてそめられ よろこはむ
せとあをきさえ すゑへゆく
まつりふねゐぬ なみちわけ

東昇る 太陽に
面染められ 喜ばむ
瀬戸青き冴え 末へ行く
祭り船居ぬ 波路分け

解説

東(ひんがし)は「(‘ひむかし’の転〕)ひがし。」、面(おもて)は「顔面。顔。」「物の表面。外面。」、瀬戸(せと)は「相対する陸地が接近して、海が狭くなっている所。狭い海峡。」、冴ゆは「光・音・色などが澄みわたる。さえる。」、末は「下。果て。奥。」、波路(なみぢ)は「船の行く波の上を道に見立てた語。ふなじ。航路。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

東から昇る太陽に顔を染められて、(あなたも私も)喜ぶだろう。

海峡の水面は青きに冴えて、沖へと向かって行く祭り船の中に(気が付けば、あなたも私も)居た。(そうしている間にも船は)波路を分け進むばかりであるよ。

雑感

まあ、何というか、イメージとしては、祭りの船に乗って、海の彼方(みろくの世)へと行く様子を詠ったものである。

もちろん、これはまだ実現はしていないわけだが、この歌は「(あなたも私も)喜んでいるだろう。」と、あらかじめこの様子を詠うことで、これが必ず実現される、という呪術的な側面もあるように思う。

ということで、個々の句を見て行きたいと思う。

「東昇る 太陽に」は、東から昇る太陽のことだが、つまりは日の出の神が出て来る時節に成ったことが示唆されている。

「面染められ 喜ばむ」は、単純に見れば、朝日に顔が染められて喜ぶだろう、という意味だが、別の見方をすれば、日の出の神の出来(しゅったい)によって、私達の顔も生気を取り戻して喜ぶだろう、というような意味があるかと思われる。

また面(おもて)は表面という意味もある。日が昇ることで、辺り全てが闇の世界から光の世界に変わるように、日の出の神の出来により、世の中全体が明るくなって、という意味も同時にあると思われる。

「瀬戸青き冴え 末へ行く 祭り船居ぬ」は、日が昇ることによって、海の青さが冴え渡る様が見えると同時に、沖へ行く祭り船に、既に自分も乗っていることが確認される様が描かれている。

ちなみに末には「下。果て。奥。」の意味があるので、個人的には「沖」のことだと解釈した。

なぜなら、沖は一面広がる海の果てでもあり、また奥の方でもあるからだ。

また海坂(うなさか)という言葉があるように、昔の人は水平線の向こうに消えて行く船は、坂を下っているかのように見ていた。だから「下。果て。奥。」の意味がある末を、沖と解釈した次第である。

きっと昔の人には、海の彼方に消えて行く船の姿は、まるで海の坂を下って、海底へと消えていくようにも見えたのだろう。

こうして、歌の中の「祭り船」もまた、海の彼方、海の底へと向かうわけだが、海の彼方、海の底には何があるかというと、それは民俗学的に見れば異界であり、楽園であり、祖先が住む所であり、一番身近な例としては、竜宮城である。

さて、戦前に栄えた大本教の神典によれば、日之出の神様と龍宮の乙姫様は夫婦であり、この神様が出て来るとミロクの世になるという。

来年から大祓が始まり、いよいよ瀬戸際に立たされることになると思うが、最後は晴れて、めでたしめでたしの日の出の世で締めくくられることを願うばかりである。

下記ブログ参照。

『みろく神の「芋」の教え。最後の審判【火の雨】が降り注ぐ時、どこに逃げるか?。』((「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20150419

Posted on 2017/12/29 Fri. 21:33 [edit]

category: いろはうた

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29

いろはうた 

きたるすゑのよ おほはらへ
いぬとしになり ねそこあく
ちゐさけもろて せめつふれ
かむみやをゆひ えんまわう

来たる末の世 大祓
戌年に成り 根底開く
地維裂け諸手 攻め潰れ
神宮を結ひ 閻魔王

解説

大祓(おほはらへ)は「人々の罪やけがれを祓い清める神事。中古以降、6月と12月の晦日みそかを恒例とし、臨時に大嘗祭の前後、疫病・災害などの際にも行なった。現在でも宮中や神社の年中行事の一つとなっている。おおはらい。」、地維(ちゐ)は「大地を支えていると考えられた綱。転じて、大地。」、諸手(もろて)は「もろもろの軍隊。また、隊伍。」、結ふは「組み立てる。作り構える。こしらえる。」、閻魔王は「インド神話で、正法・光明の神。のち死の神と考えられ、仏教では、冥界(めいかい)の王、地獄の王として、人間の死後に善悪を裁く者とされる。閻魔。閻魔大王。閻魔羅(えんまら)。閻羅(えんら)。閻王。」の意味です。

余談

この歌は、「大神 オリジナル・サウンドトラック」にある「妖怪退治」~「双魔神 モシレチク コタネチク退治」~「妖魔王キュウビ退治」~「ヤマタノオロチ復活」~「ヤマタノオロチ退治 其の一」~「ヤマタノオロチ退治 其の二」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

下記ブログの記事によると、来年戌年には大きな祓いが起きるかもしれないことが書かれてある。

『魂を磨く④/汚れがない捻れた魂よりも、汚れていても魂は丸い方がいい』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=475

どこまでも可能性としての話だが、世間を見渡していると、段々煮詰まってきている感は確かにある。

大きい所では、この三つが大きな懸念材料ではないだろうか。

1. 北朝鮮暴発の危険性増大と国内政治における軍国化の兆し
2. 日銀の金融緩和の限界
3. 首都圏を中心に広がる放射能汚染の表面化

個人的に感じる所では、2018年に、これら全てが一気に噴き出して来るようにも感じる。

1. 北朝鮮暴発の危険性増大と国内政治における軍国化の兆し

北朝鮮のミサイルの危険性は今更言うに及ばないが、それに対応するべく、本来社会保障などに使われるべきお金が、防衛費に流れている。

下記ニュースによると、2018年度防衛予算案は5兆1911億円と、4年連続で過去最大を更新するとある。

『日本の18年度防衛費、4年連続で過去最大 巡航ミサイル取得』(ロイターより)
https://jp.reuters.com/article/defence-expenditure-idJPKBN1EG07V

一方、生活保護費は減額されていたりする。

『生活保護費 年1.8%削減へ 18年10月から3年かけ』(毎日新聞より)
https://mainichi.jp/articles/20171219/k00/00m/010/097000c

国防に観点をおけば、国防費増大は必要なことであり、国民の生活に観点をおけば、生活保護費減額は、かなり厳しい決定と映るだろう。

どちらが良い悪いとは言えないが、ただこれから、国内が軍国化していくかもしれない、ということは頭の片隅にでも良いので、置いておいたほうが良いように思う。

軍国化することで、平和国家としての日本を捨てていくのではないか、という危惧もあるが、庶民にとって一番痛いのは、軍国化していくほど、国民の生活が後回しになって困窮していく、ということだ。

それは戦前の日本の社会情勢の移り変わりを見ていけば一目瞭然だろうし、今の世相を見ても、うなずけるのではないだろうか。

ちなみに日月神示では、下記のような箇所がある。

『あらしの中の捨小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも分かるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さへ折れた舟、何うすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして肥料になりと思へども、肥料にさへもならぬもの、沢山出来て居らうがな、北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意をいそぐぞよ。』(富士の巻 第十六帖)

『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。』(水の巻 第十四帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』(日月の巻 第二十二帖)

一方、北朝鮮のミサイルも怖い。

今はまだ、まさか日本には飛んでこないだろう、と楽観視されがちかもしれないが、ミサイルが落ちてこない保証はどこにもない。

原発を狙われれば一発で日本は終わるだろうし、それは一極集中の東京が狙われても同じだろう。

さらに恐ろしいのは、その一発のミサイルが契機となって、日本が一気に軍国化へと傾いていくことだ。

今はまだ、徴兵制云々は言われていないが、たとえば、失敗したにせよ、北朝鮮のミサイルが日本国土に一発でも落ちれば、それが発端となって、徴兵制復活を望む声が、出て来るとも限らない。

そうなればもう、後戻りはできなくなってしまう。

神示では、戦争になると、日本は相当苦しむだろう様が描かれている。

『生味(しょうみ)の、生き通しの神が、生味を見せてやらねばならんことに、何れはなるのざが、生神の生味ははげしいから、今の内に綺麗に洗濯しておけと申すのざ、皆にまつろひておけと申すのざ。可哀さうなは兵隊さんざぞ、神に祈りてやりて呉れよ。幽界人(がいこくじん)よ、日本の国にゐる幽界魂(がいこくたま)の守護人よ、愈々となりて生神の総活動になりたら、死ぬことも生きることも出来ん苦しみに一時はなるのざから、神から見ればそなた達も子ざから早う神の下にかえりてくれよ、いよいよとなりて来たのざぞ、くどうきづけるぞ。』(磐戸の巻 第十四帖)

『神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。』(地つ巻 第七帖)

『大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思へる時ぞ神国の、まこと危なき時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ、後には老人(としより)不具者(かたわ)のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、悉々暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終り近づきぬ。この神示(ふで)心に入れ呉れと、申してある事わかる時、愈々間近になりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌締めよ。』(日月の巻 第三十八帖)

『神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事 神こころぞ。神のした事になるのざぞ。行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。』(夜明けの巻 第七帖)

2. 日銀の金融緩和の限界

少々古いが、下記ニュースによると、日銀の国債買い入れが来年(2018年)中ごろに限界に達する可能性があると書かれている。

『木内前日銀委員:国債買い入れは「来年中ごろに限界に達する可能性」』(Bloombergより)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-08-04/OU56G96JTSE901

下記記事も参照のこと。

『ジョジョの奇妙な黒田バズーカ~イカサマは2018年にバレるんだぜ…=東条雅彦』(MONEY VOICEより)
http://www.mag2.com/p/money/13914/amp

上記記事内で、大まかな流れが示されているが、その内容がわかりやすいので、一部抜粋してみる。

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<予想される国債の売買をめぐる価格遷移>

(Step1)日銀は市場で高い値段を提示して、国債を買い取ろうとする。

(Step2)金融機関は儲かるため、日銀に国債を売る。

(Step3)金融機関は手持ちの国債が減っているので、売りにくくなる。

(Step4)日銀はさらに市場で高い値段を提示して、国債を買い取ろうとする。

(Step5)金融機関は儲かるため、日銀に国債を売る。

(Step6)金融機関は手持ちの国債が少なくなっているため、売る量を減らす。

(Step7)日銀は国債の買い取り量を減らす。

(Step8)だんだん国債が市場で売れなくなり、価格が下がる。

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(抜粋終わり)

現在はStep6からStep7に移行しつつある状況だと言えそうだ。

下記ニュースによると、来年の国債購入は40兆円台になると予想されており、これまで80兆ペースで買われていたものが、約半分程度にまで引き下げられるかもしれない。

『来年の国債購入40兆円台、長期金利引き上げ予想4割-日銀サーベイ』(Bloombergより)
https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2017-12-17/P0ZJM86TTDS001

やはり、予想されていた通りの展開になっている。

日銀の買い入れが限界に達すると、もう他で買う所がなくなるがゆえに、当然国債が売れなくなり、結果、価格が下がる。

徐々に下がっていけばまだ致命傷にはならないが、既に大量に国債を買い続けている日銀が、もう買えないとなれば、当然暴落する可能性も出て来る。

とはいっても、最後まで政府も日銀も手を打つはずなので、大暴落まではいかないかもしれないが、かといってそのシナリオが全く無いとも言い切れない。

仮に国債が大暴落すれば、金利が急上昇して、政府の資金繰りが急激に悪化する。結果、円の価値が大幅になくなり、ハイパーインフレとなる。つまり、私達の持っている有り難い1万円札は、全て紙くずと化してしまう。

さて、話は変わるが来年は平成30年である。30年と言えば、下記部分の神示が妙に気になる所ではある。

『神示に書かしたら日月の神(一二◎)が天明に書かすのであるから其の通りになるのであるぞ、皆仲よう相談して悪き事は気付け合ってやりて下され、それがまつりであるぞ、王(おー)の世が※(さかさまのおー)の世になって居るのを今度は元に戻すのであるから、その事 早う判っておらんと一寸の地の上にもおれん事になるぞ、今度の戦(いくさ)すみたら世界一平一列一体になると知らしてあるが、一列一平 其の上に神が居ますのざぞ、神なき一平一列は秋の空ぞ、魔の仕組、神の仕組、早う旗印見て悟りて下されよ、神は臣民人民に手柄致さして万劫末代、名残して世界唸らすのざぞ、これ迄の事は一切用ひられん事になるのざと申してあろ、論より実地見て早う改心結構、何事も苦労なしには成就せんのざぞ、苦労なしに誠ないぞ、三十年一切(ひときり)ぞ、ひふみ肚に入れよ、イロハ肚に入れよ、アイウエオ早ようたためよ、皆えらい取違ひして御座るぞ、宮の跡は草ボウボウとなるぞ、祭典(まつり)の仕方スクリと変へさすぞ、誠の神の道に返さすのざから、今度は誠の生神でないと人民やらうとて出来はせんぞ。』(雨の巻 第五帖 ◎は原文では「○にヽ」の形 ※は原文では「‘王’の文字を180度逆さまにした文字」の形)

平成元年(1989年)に日経平均株価が38,957円44銭の史上最高値を付けたが、それから30年一切りで、経済大国としての日本は終わりを迎えるのかもしれない。

平成の平の漢字を上から分解すれば、「一と八と十」で「いわと」となり、平成は「一八十成る」(岩戸成る)とも読める、というのは一部で有名な話だが、おそらく「平成」が終わることによって、「岩戸成る」が為されるのであろう。

3. 首都圏を中心に広がる放射能汚染の表面化

内部被曝の影響と見られる免疫力と脳機能の低下が、いよいよ表面化してきて、人によっては社会生活を送れないほどにまでになっているそうな。

現にツイッターでは、いろいろと報告されている。

・芸能人による体調不良増加
・極度の物忘れ
・車の逆走
・車が家や店などに突っ込む
・駅内で血だまりを見かける

等々

下記twitter参照。

『かにちゃんと世界線さん』
https://twitter.com/hunterkani?lang=ja

ということで、時期的に見ても、もう何もかもが限界に来ているのではないだろうか。

むしろ今まで体裁だけでも保たれていたほうが不思議なぐらいなので、2018年には、もうそれが隠しきれない所まで表面化して来るのではないかと思われる。

下手をすると、社会全体が底抜けする恐れもある。

もし底抜けになった場合、日本全体が阿鼻叫喚の地獄のごとき様相になってしまうのは想像に難くない。

大難を小難に、と思うものの、この大きな流れは、一個人ではどうしようも出来ないほどに巨大な感じがする。

別の見方をすれば、軍国化も経済破綻も放射能汚染も、全てこれは祓いであって、一種のカルマの支払いなので、まあ、しょうがないとも言えなくもない。

どのような流れになるにせよ、少なくとも自分だけは、その流れに流されることなく、穏やかに健やかに、日々を過ごして行くように心がけたいと思う。

場合によっては、大量の備蓄も必要になって来るかもしれない。

下記参照。

「照り霞み 渇き終には 真命の 今際に棺 我が身尽りて」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-801.html

「2018年へのメモ」(「ガメ・オベールの日本語練習帳_大庭亀夫の休日ver.5」さん)
https://gamayauber1001.wordpress.com/2018/01/04/2018/

そして、それら祓いの後には、ぜひ無料の世が来て欲しいと願うばかりである。

下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

こうして、何もかも無料になって、皆が一平一列になって等しく天地の恵みを受けられるようになれば、それこそがまさに「岩戸成る」(平成)の完結と言えるだろう。

Posted on 2017/12/27 Wed. 15:36 [edit]

category: いろはうた

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27

まわりうた 

なかひかる あまたみなした
  かみのみの みかたしなみた まあるかひかな

(中光る 数多皆自他 神のみの 見方し涙 真在る佳美かな)

解説

中は「中央。まんなか。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『絵の中の世界』(「サイババが帰って来るよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/298429250126f29b271408ad6cdb61dd

Posted on 2017/12/24 Sun. 12:42 [edit]

category: まわりうた

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24

ともゑうた 

はるけしと ひかりもきよみ
  そのかをる けささくらのき よものひろきか

(遥けしと 光も清み 苑香る 今朝桜の木 四方の広きが)
(陽炎の 萌黄野良草 咲ける丘 望み良き森 佳美と繁る葉)

解説

遥けしは「空間的・時間的に遠くへだたっている。はるかである。」、清みのみは「原因・理由を表す接尾語。(…が)…なので。」、四方(よも)は「東西南北の四つの方角。」「周囲。」、陽炎(かぎろい)は「東の空に見える明け方の光。曙光(しょこう)。」、萌黄(もよぎ)は「やや黄色みをびた緑色。」、望みは「ながめ。眺望。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ここ数日、気分が落ち込み気味でどうしようもないので、気分転換に書いた歌です。

今まで書いた歌の表現方法ばかりになってしまって、また気分が落ち込んできそうになるが、それでも一応、うまくまとまった形にはなったので、とりあえずこれで良しとすることにします。

Posted on 2017/12/24 Sun. 11:23 [edit]

category: ともゑうた

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24

まわりうた 

すへかみに まいのりかひの
  さありけり あさのひかりの いまにみかへす

(皇神に 真祈り佳美の 座有りけり 朝の光の 今に見返す)

解説

皇神(すべかみ)は「神を敬っていう語。すめかみ。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌のイメージとしては、朝の太陽を拝む、というもの。

「玉座」という言葉があるが、昇る太陽を玉(ぎょく)とし、地平線を座と見立てているように感じなくもない。

「朝の光の 今に見返す」は、宗教的な解釈をすれば、今日も一日、無事に生かされているこの命に感謝する、という感じになるかと思う。

そしてしばしば、神話では太陽と月は目にたとえられるが、そうして見守ってくれている太陽に「見返す」というニュアンスで、拝んでいる感じがする。

神は全知全能ともいわれるが、もし全知全能の神を前にすれば、自分の心に曇りがない限り、直に「見返す」ということは、中々できないように思うのだ。

なぜなら、神は自分にしか知り得ない秘密や、たとえ公になっていなくても、今まで自分が犯した嘘や悪事を全て知っているのだから。

しかしそれでもなお、今日もまた一日、この命が与えられているのだ、ということが真に心に沁みていれば、その多大な恩寵に感謝せざるを得なくなる。見返さざるを得なくなる。

こうして初めて、自分の中にある邪(よこしま)な心も捨てる覚悟が出て来る。

その決意表明としての「見返す」でもあるのだろうと思う。

日月神示参照。

『ひつくの神にひと時拝せよ、神のめぐみ身にも受けよ、からだ甦るぞ、神の光を着よ、み光をいただけよ、食べよ、神ほど結構なものないぞ、今の臣民 日をいただかぬから病になるのざぞ、神の子は日の子と申してあらうがな。』(地つ巻 第九帖)

『神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命(いのち)おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命 大切せよ。神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだはってゐるのぞ。出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて釆たぞ、上下ぐれんぞ。』(地つ巻 第六帖)

『用意なされよ。いよいよざぞ、愈々九@三(くるぞ)。神のみこと知らすぞ。知らすぞ、眼覚めたら起き上がるのざぞ。起きたらその日の命頂いたのざぞ。感謝せよ、大親に感謝、親に感謝せよ、感謝すればその日の仕事与へられるぞ。仕事とは嘉事(よこと)であるぞ、持ち切れぬ程の仕事与へられるぞ。仕事は命ざぞ。仕事喜んで仕へ奉れ。我出すと曇り出るぞ。曇ると仕事わからなくなるぞ。腹へったらおせよ。二分は大親に臣民腹八分でよいぞ。人民食べるだけは与へてあるぞ。貪(むさぶ)るから足らなくなるのざぞ。減らんのに食べるでないぞ。食(おせ)よ。おせよ。一日一度からやり直せよ。ほんのしばらくでよいぞ。神の道 無理ないと申してあろが。水流れる様に楽し楽しで暮せるのざぞ、どんな時どんな所でも楽に暮せるのざぞ。穴埋めるでないぞ、穴要るのざぞ。苦しいという声 此の方嫌ひざ。苦と楽 共にみてよ、苦の動くのが楽ざぞ。生れ赤児みよ。子見よ、神は親であるから人民守ってゐるのざぞ。大きなれば旅にも出すぞ、旅の苦 楽しめよ、楽しいものざぞ。眠くなったら眠れよ、それが神の道ぞ。神のこときく道ざぞ。無理することは曲ることざぞ。無理と申して我儘無理ではないぞ、逆行くこと無理と申すのざ。無理することは曲ることざ、曲っては神のミコト聞こへんぞ。素直になれ。火降るぞ。相手七と出たら三と受けよ、四と出たら六とつぐなへよ、九と出たら一とうけよ、二と出たら八と足して、それぞれに十となる様に和せよ。まつりの一つの道ざぞ。~以下略~。』(風の巻 第一帖 @は原文では渦巻きの形)

『まつりてない時はお日様とお月様おろがめよ、マトとせよ。裁判所(しらす)いらんぞ、牢獄(ろうや)いらんぞ、法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ、国も同様ざぞ。そんな事すれば、世の中メチャメチャぢゃと申すであらうが、悪人がとくすると申すであろが、誰も働かんと申すであらうが、与へる政治だめぢゃと申すであろ、人間の小智恵ぢゃ。其処に人間の算盤(そろばん)の狂うたところ気付かんか、上に立つ人もっともっと大き心 結構ぞ、算盤なしで梶とらすぞ、神の申す通りに進むのぢゃ、これが出来ねば一段さがって頭下げてござれ、余り大き取違ひばかりぢゃぞ、悪の守護となってゐるからぢゃ、此処の道理判るまでは動きとれんのぢゃぞ。世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱(かむはしら)現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから、皆 仲良う手引き合ってやって呉れよ。』(光の巻 第四帖)

与える政治については下記参照のこと。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「元戻す 岩戸開きし 只の世の 正しきラビと 拝す共々」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1534.html

Posted on 2017/12/20 Wed. 15:59 [edit]

category: まわりうた

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20

まわりうた 

きしなかき しけのゆふてり
  はなもみも なはりてふゆの けしきかなしき

(岸長き 時化の夕照り 花も実も 隠りて冬の 景色悲しき)

解説

時化(しけ)は「風雨のために海が荒れること。」、夕(ゆう)は「日が暮れて夜になろうとする時。ゆうぐれ。ゆうがた。」、隠る(なばる)は「かくれる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

内容としては、時化る冬の海を見ている情景だが、この歌の一番の楽しみ所は「花も実も 隠りて」の部分ではないだろうか。

冬は、春や秋と違って花も実も無いけれども、それは無いのではなく、ただ隠れているだけだ、という認識が、この歌からは見てとれる。

ニュアンスとしては、一つ前の秋の季節では、秋の実りを存分に楽しんでいたのに、そしてまた一つ先の春の季節では、花が満開に咲くのに、今目の前にある冬の季節にはそれが無い、という悲しさを、特に詠っているように思うのである。

だから、周りに花も実も見当たらず、冬が寒くて厳しいから悲しいのではなく、目の前の冬の情景から、過ぎ去った秋と、未だ来ない春を恋しく思うから悲しい、ということなのだ。

また時化は「時+化」である。目の前の時化を見ながら、時節の変化の儚さと、それに対する恋しさが含まれているように思う。そしてその時化の荒々しさは、自らの心の投影でもあるようにも感じる。

しかし、こうして冬の時節に目一杯嘆き悲しみ、それを乗り越えるからこそ、春を迎えた時、それに匹敵する歓喜を感じられるのだと思う。

難波津に 咲くやこの花 冬ごもり 今を春べと 咲くやこの花

という有名な歌があるが、この歌が素晴らしいのは「冬ごもり」が入っているからなのだろう。

ただ単に、春になって咲いた花が素晴らしいね、というのではなく、冬に籠もって、じっと耐えていたからこそ、今、ここに春の季節になって一気に花開いたんだなぁ、というニュアンスが、この歌からは感じ取れる。

さらによく見れば、「難波津」は難しい波の津と書く。津には港という意味があるので、この歌を詠った作者も、冬の時節には荒々しい海を見ていたのかもしれない。

ちなみに「難波」(なにわ)には、「浪速」(なにわ)の漢字もある。おそらく、浪(なみ)が速い場所だったのだろうと推察される。

Posted on 2017/12/18 Mon. 21:41 [edit]

category: まわりうた

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18

まわりうた 

なかきよの ししいてんてる
  たくのみの くたるてんてい ししのよきかな

(永き代の 紫宸殿照る 沢のみの 降る天帝 至慈の良きかな)

解説

紫宸殿(ししいでん)は「内裏の正殿。南面して建つ入母屋いりもや造り檜皮葺(ひわだぶき)の建物。正面九間の母屋の四方に廂(ひさし)を設け、母屋と北廂の間に賢聖障子(けんじょうのそうじ)を入れる。もと日常の政務を議する所であったが、大極殿(だいごくでん)焼失後は即位などの儀式も行うようになった。南殿(なでん)。前殿。現在の京都御所のものは1855年の造営。」、沢(たく)は「めぐみ。恩恵。恩沢。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/12/18 Mon. 20:32 [edit]

category: まわりうた

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18

まわりうた 

かけたれむ はたとうちなる
  かみめさめ みかるなちうと たはむれたけか

(影垂れむ はたと内なる 神目覚め 身軽な宙と 戯れだけが)

解説

影は「日・月・星・灯火などの光。」「姿。そのものの形。」、垂るは「現し示す。」、はたとは「新しい状況や考えが突然表れるさま。」、宙は「大空。天。また、地面から離れた所。空中。空間。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画の曲を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

『Lagi Bina/Chal Mele Noon Challiye, Saieen Zahoor & Sanam Marvi, Episode 6, Coke Studio Season 9』(you tubeより)
https://youtu.be/I3tS2oTUvHI

雑感

下記ブログでこの曲が紹介されていて、聴いてみたらとてもよかったので、それをモチーフに歌を書いてみました。

下記参照。

『ブログのテーマソング』(「サイババが帰って来るよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/7e72f05aa70161ac55c2d976fcc8dc91

気まぐれに、歌の解釈でもしようかと思う。

「影垂れむ」は、私(内なる神)の姿を現し示そう、という感じ。

まあ、そういう言葉にならない言葉が、響きが、ふっと心の中に湧いて来るニュアンス。一筋の光明が心の中に差し込む、という解釈でも良いかもしれない。

そうやって、はたと内なる神に目覚めるわけだが、その姿というのが歌の後半部分の「身軽な宙と 戯れだけが」に表されているように思う。

表現が抽象的だが、世界自体が歌い踊りながら戯れている感じで、その楽しげな雰囲気に自分も引き込まれ、呑み込まれていくような感じを受ける。

そういえば、ヒンズー教では「(神の)戯れ」という意味の、リーラという言葉があるそうだ。中々おもしろい考え方だと思う。

といっても、これは神様がただ単に遊んでいるのではなくて、神の属性は愛であるので、愛を表現して楽しんでいる、というニュアンスであるように思う。

時には絶望して人生を嘆くこともあるが、全ては神様の戯れなのだと考えれば、何だか気持ちが一気に楽しくなってきて、目の前の世界の輝きも再認識できる。

Posted on 2017/12/11 Mon. 10:52 [edit]

category: まわりうた

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11

まわりうた 

なかきよの ととめさんせの
  いありけり あいのせんさめ ととのよきかな

(永き代の 留め三世の 意在りけり 愛の善覚め とどの良きかな)

解説

三世(さんぜ)は「三つの世、すなわち前世・現世・来世、また過去世・現在世・未来世など。三際。三界。三生。」、とどは「とどろく音を表す語。」「最後。限度。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画の曲を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

『Abida Parveen & Rahat Fateh Ali Khan, Chaap Tilak, Coke Studio Season 7, Episode 6』(you tubeより)
https://youtu.be/7SDrjwtfKMk

雑感

「永き代の 留め三世の 意在りけり」は、過去・現在・未来の中に渡って、ある意志が介在しているというニュアンス。

どういう意志かというと、その次に出て来る「愛の善」のことかと思われる。

愛は当然、善だろうと思ってしまうが、日月神示では愛の悪もある、と書かれてある。

日月神示参照。

『思ふようにならんのは、天地の弥栄、育成化育にあづかって働いていないからぞ。今の世界の行き詰りは、世界が世界の御用をしてないからぢゃ。神示よめよ。秘文(ヒフミ)世界にうつせよ。早ううつせよ。早ううつせよ。人間の智のみでは世界はよくならん。裏側だけ清めても総体は清まらん。神にめざめねばならん。愛にも内のものと外のものとがある。愛と申せば何でもよいと思ふていてはならん。愛の悪もあるぞ。総てこの通りぢゃ。上の、より高いところから来るから奇跡と見へ、偶然と見へるのぢゃ。神からの現われであるから、その手順が判らんから偶然と見へるのぢゃぞ。偶然の真理さとれと申してあろう。これが判れば大安心。立命。』(春の巻 第十五帖)

仏教で、とある神様が自分の子供を育てるために、人間の子供をさらって食っていた、という、いわゆる鬼子母神のお話があるが、愛だから何でも良い、ということにはならないようだ。

また下記部分によると「己の為の善は死し、善の為の善は弥栄える」のだそうだ。

『◎の中のヽの中の◎は一であり、二とひらき、三と生命するぞ。理は一(ヒ)で二(フ)で、三(ミ)であると申してあらう。一(ヒ)も二(フ)も三(ミ)も同じであり、違って栄えるのざ。一二三(ヒフミ)であるぞ。このこと教へられても判るまい。ハラで判る大切こと、ハラ大切ぞ。かたまってはならん。ヽに捉はれるとヽは判らん。地の定規ではかってはならん。如何なる天国も自分でつくるのぞ。そろばん捨てよと申してあらうがな。よろこびは理(ミチ)ぞ。数ぞ。言ぞ。真理ぞ。愛善ぞ。生命のイキと云ふこと判るであらう。天国と申すのは一人の大きな人間であるぞ。天国は霊人のみの住む所でないぞ。そなた達も今住んでゐるでないか。霊人も現界に住んでゐるでないか。現界をはなれて天国のみの天国はないのであるぞ。故にこそ、現界で天国を生み出し、天国に住めんものが、死んで天国へ住める道理ないのぢゃ。アメツチと申してあらう。この道理よくわきまえよ。善とか悪とか真とか偽とか愛とか憎とか申すのは相対の天国ぞ。まことの天国には喜びのみが生きてゐるのであるぞ。喜びの中にとけ入って、喜びのものとなってゐるのであるぞ。喜び食し、喜び着、喜びを呼吸し、喜び語り合って、嬉し嬉しとなるのぞ。いらんものは形が変って来る。新しき生命 湧き出るのであるぞ。善が悪と、真が偽と変った時は死となるぞ。その死は新しき別の生命と現はれて、新しき形の、新しき世界の善となり真となるのぞ。善も悪もないのざと申してあらう。善悪はあるが無いのざと申してあること判りたか。自分自身、己の為の善は死し、善の為の善は弥栄えるぞ。死んだものは新しき形をとって生命するのであるぞ。弥栄の道、神の喜び人間の喜びの中にあるぞ。愛ざと申して愛に囚はれて御座るぞ。真ざと申して真に囚はれて御座るぞ。喜びに生きよ。宗教に囚はれてはならん。道に囚はれてはならん。喜びに生きて、喜びに囚はれるなよ。お互に喜びの湧き出づることでなければ真の愛でないぞ。理(ミチ)でないぞ。天国に理あると申すが、今の人間の申したり、考へたりするやうな道でないぞ。道なき理と申してあらうが。喜びが理であるぞ。嬉し嬉しの理、早う合点せよ。生命栄えるもの皆喜びであるぞ。信仰とは、その喜びの中にとけ入ることぞ。生も死もなくなるのざ。時間や空間を入れるから、知(血)、通はなくなるのぞ。』(白銀の巻 第三帖)

歌の大意を要約すると、ふとした時に、目の前の世界に愛の善なる意志が介在していることを感じ取ってしまい、さらにその意志は過去・現在・未来に渡る永遠なる時間空間の中に鳴り響いていることを知って、まことに良いなぁ、という感じです。

一言でいうと、法(ダルマ)に目覚めてこの世界は良いなぁ、という感嘆しているニュアンス。

感覚的な側面から見ると、この世界全体が、愛の善によって永遠に光り輝いていることをふと覚(さと)って、その衝撃に感動しまくるというニュアンスです。

「とど」のニュアンスは、とどろくような衝撃を受けた、というニュアンスの他、これまで探しに探していた、その限界の所で出会った、というニュアンスを感じる。

だから、いきなり棚から牡丹餅的にその感覚を感得したのではなく、探し求めていた果てで出会った、ということです。

再び日月神示参照。

『宇都志(うつし)水に 天津(あまつ)水添え 奉(たてまつ)らむを。 夕陽(ゆうひ)より 朝日照るまで フトノリトせむ。 火結神(ほむすび)の 実秀答(ミホト)焼かへて 岩戸(言答)(一八十)閉ざしき。 世界を一つにするのであるから王は一人でよいぞ、動きは二つ三つとなるのぢゃ、キはキのうごき、ミはミのうごき、動いて和してキミと動くのぢゃ。三が道ぞと知らしてあろう、自他の境界つくるでないぞ、おのづから自他の別と和が生れて お互に折り重なって栄へるのぢゃ、世界一家への歩み方、やり方、間違へるでないぞ。九分九厘まで進まねば後の一厘は判らん、今が九分九厘であるぞ、日本は日本、世界は世界、日本は世界のカタ国、おのづから相違あるぞ。』(極めの巻 第一帖)

Posted on 2017/12/05 Tue. 06:37 [edit]

category: まわりうた

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05

まわりうた 

はかなさの まいのちみなは
  なみたたた みなはなみちの いまのさなかは

(儚さの 真命見なば 涙ただ 皆花道の 今の最中は)

解説

なばは「…てしまったならば。…たならば。」、ただは「他の物事は問題とせず、それだけに限定するさま。」、花道は「最後にはなばなしく活躍する場面や時期。また、人に惜しまれて引退する時期。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

いろいろな神典が伝える所によると、輪廻転生はもう終わって、今生が最後の生になるそうだ。

今は皆、それぞれ自分に適した花道を歩いているのだろうと思うと、どことなく感慨深いものがある。

Posted on 2017/11/27 Mon. 19:40 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

かみかみつ ともにまいのり
  まつのよの つまりのいまに もとつみかみか

(神が満つ 共に真祈り 末の世の 詰まりの今に 元津御神が)

Posted on 2017/11/25 Sat. 09:55 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

なかきよの ねむりてかみの
  きおくとく おきのみかてり むねのよきかな

(長き夜の 眠りて神の 記憶解く 沖の海が照り 胸の良きかな)

解説

海(み)は「〔‘うみ’の‘う’が脱落した形〕 うみ。」の意味です。

余談

この歌は、「NEON GENESIS EVANGELION [DECADE] Soundtrack」の中にある「心よ原始に戻れ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/11/24 Fri. 19:02 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

よのくろみ きひへひあくま
  かいしんし いかまくあひへ ひきみろくのよ

(世の黒み 鬼魅蛇悪魔 改心し 以下幕間へ 引き弥勒の世)

解説

鬼魅(きび)は「鬼とばけもの。妖怪変化(ようかいへんげ)。きみ。」、改心は「今までの行いを反省し、心を改めること。改悛(かいしゅん)。」、幕間(まくあい)は「演劇で、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間。」の意味です。

雑感

下記記事によると、地球の自転が速度低下を起こしているらしい。

『「地球の回転が《謎の速度低下》を起こしている」 :アメリカ地質学会の衝撃的な発表。そして来年、大規模地震の発生数は大幅に上昇するという予測も公開』(in deepさん)
https://indeep.jp/earth-rotation-mysteriously-slowing-down-and-earthquakes-must-increase/

そして、速度が低下していくと地震が大幅に増えるらしいのだが、下記記事によると、まあいわゆるポールシフトのような現象が起こって、大津波が世界中に押し寄せて来るそうなのだ。

『ピタゴラスとゾロアスター』(「サイババが帰ってくるよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/3a9f7f8e9d272dd98e820939f7761563

『大艱難のメカニズム』(「サイババが帰って来るよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/ad85726ff674449ed2985f078e563691

『最後の大津波とアボリジニ伝説』(「サイババが帰って来るよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/4c1bd26fcde9b080b9a1132e1a653a1c

ということで、いよいよ、この世の幕引きが迫って来る兆しが見え始めているように思う。

出来得れば、いち早く、自らの中の鬼魅蛇悪魔を改心させておきたいものです。

おまけ。

『もしも地球の自転が止まったら?』(you tubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=p0HowKZm78Y

Posted on 2017/11/23 Thu. 14:17 [edit]

category: まわりうた

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23

まわりうた 

なかきよも のとかなるみの
  しあはせは あしのみるなか とのもよきかな

(長き四方 長閑なる身の 幸せは 葦の見る中 外の面良きかな)

解説

四方は「東西南北の四つの方角。」「周囲。」、長閑は「(外界の状態が)穏やかで、のびのびと気持ちよく過ごせるようなさま。」「天気がよく、穏やかなさま。」「心にかかることもなく、落ち着いて、のんびりとしているさま。」「(動作・態度が)落ち着いていてあわてないさま。悠然としたさま。」、葦は「イネ科の多年草。温帯および暖帯に広く分布し、水辺に自生する。地下の長い根茎から高さ2メートル 以上に達する稈かん(茎)を出し、群生する。葉は二列に互生し、ササの葉に似る。秋、ススキに似た大きな穂を出す。稈は簾すだれやよしずにする。‘あし’が‘悪し’に通ずるのを忌んで、「よし」ともいう。ハマオギ。」、外の面(とのも)は「家の外。戸外。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌のニュアンスとしては、のんびりと過ごせる時間は幸せだけれども、特に幸せなのは、葦を見ている時だなぁ、という感じかと思う。

なぜ葦を見ることが幸せなのかというと、たぶんこういうことだ。

日本は古来、豊葦原の瑞穂の国と呼ばれていたが、日本には四季があって、山があり、川があり、森がある。また湿地帯には草木が自然と芽生え、そこには多種多様な動物や昆虫などが寄って来る。

なので、この部分には、自然が自然のままに循環して、共に歓喜弥栄していく、というニュアンスが感じられる。

そういう自然の風景を、穏やかでのんびりした気持ちで見られることが何よりも幸せだなぁ、ということを、この歌は詠っているように思う。

Posted on 2017/11/22 Wed. 12:08 [edit]

category: まわりうた

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22

まわりうた 

よきをしへ かみのまたみの
  いつのめの ついのみたまの みかへしをきよ

(良き教へ 神の真民の 伊豆能売の 対の神霊の 見返しを着よ)

解説

真(ま)は「(名詞・形容詞・形容動詞などに付いて)うそいつわりのない、真実の、本当の、などの意を表す。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」、着るは「(罪や恩を)受ける。こうむる。」の意味です。

雑感

伊豆能売(いづのめ)は古事記に出て来る神様のこと。通常は○○神とか、○○命とか、いわゆる神号がついているが、この神様はなぜかついていない。

「対の神霊」は、その時に一緒に生まれた、神直毘神、大直毘神のように思う。

難しいことはよくわからないが、これら神様は禍を直す性質を持っているので、おそらくそういう意味だろう。

どうやって直すのかというと、歌の最後の「見返しを着よ」の部分がヒントになっているようだ。

結論から言うと、省みる(=返り見る)ことが大事だ、と言っているように思う。

日月神示参照。

『省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。苦しむばかりが能ではない。自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。厭なこと起って来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。肉体は親から受けたのざから親に似てゐるのぞ。霊は神から受けたのざから神に似てゐるぞ。判りた守護神 一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。』(黄金の巻 第六十六帖)

またこれは、因果応報を示しているようにも思う。

嫌なことがあった時、我々はつい被害者側に立ってしまうが、因果応報の法則から言えば、それは自分が為したことが返って来ているだけであり、被害者でもなんでもない、ということになる。

だから物事の一切を見て、そこに因果応報の法則を見よ、と言っているのだ。

この世全てが神様が統治しているという視点に立てば、自分が病気になったり、不運な目にあったり、何かの被害がでたりするのは、本来とてもおかしいことで、そういうことが起こるなれば、それは自分に原因がある、ということになる。

なぜなら至誠至愛の神様が、病気にさせたり、不運な目に合わせたりするはずがないからだ。

しかし、そういうことがなぜ起こって来るかというと、そうしないとその人自身が気付けないから起こってくる。

因果応報の法則から言えば、過去その人が加害者であったがゆえに、今被害者となっている、ということになる。

たとえば、物を盗む癖がある人は、盗まれた経験をして初めて、盗まれることが辛い、ということに気付くことができる。そして自分が過去、どういうことをして来たか、ということもわかるわけである。

何か盗まれたその時点で、自分から深く省みることができれば、その人はもう物を盗んだりしないだろう。

物を盗まれたことは辛いが、そこで省みることが出来るならば、後々のことを考えれば、それはそれで良かったこと、と言える。

日月神示参照。

『反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ、低い世界は戒律なくてはならんぞ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、気つけ下されよ。病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。神からの巻物おろそかにするでないぞ。』(碧玉の巻 第一帖)

『病むことは神から白紙の手紙を頂いたのぢゃと知らしてあろう。心して読めよ。ありがたき神からの手紙ぞ。おろそかならん。 腹八分、二分は先づささげよ。運ひらけるぞ。病治るぞ。』(月光の巻 第十一帖)

しかし因果応報は何も悪いことだけでなく、良いことも返って来る。その良いことの喜びを知ってほしい、という意味でもあるように思う。

そしてその喜びを通して、初めて天地の大恩というものが判って来るのだ。

『病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。 一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。 ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。 理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。』(冬の巻 補帖)

Posted on 2017/11/21 Tue. 15:08 [edit]

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21

まわりうた 

かみのたみ よとみかきいつ
  いみにはに みいついきかみ とよみたのみか

(神の民 淀みが帰一 斎庭に 御稜威生き神 豊御田の実が)

解説

淀みは「水や空気などが流れずにたまっていること。また、その所。よど。」「底に沈んでたまること。どんより濁ること。」「物事が順調に進まないこと。また、その箇所。」、帰一は「別々の事柄が、同一のものに帰着すること。」、斎(いみ)は「他の語の上に付いて複合語を作り、汚れを清めた、神聖な、などの意を表す。」、御稜威(みいつ)は「‘いつ(厳)’の尊敬語。御威光。御威勢。」、生き神(いきがみ)は「生きている神。人の姿で現れている神。」、豊(とよ)は「助詞‘の’を伴って連体修飾語として用いられるほか、名詞、時に動詞の上に付いて用いられる。物事が豊かである意を表し、褒める意を添える。」、御(み)は「主として和語の名詞に付いて、それが神仏・天皇・貴人など、尊敬すべき人に属するものであることを示し、尊敬の意を添える。」の意味です。

雑感

歌の内容としては、稲を奉納して厳粛に祝う、いわゆる収穫祭の風景が思い起こされる。

大きく解釈すれば、米(神となった人)のその一粒一粒(一人一人)が、余すことなく天帝に奉納されて、共に収穫を祝う祭りとなる、とも見ることできそうだ。

……と書くと、何かイケニエになったような感じでおどろおどろしいが、これは肉体的にではなくて、霊的にという意味であろう。要するに「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」のごとく、善行を積んで謙虚に生きて来た人は、その心が神の心に近づいて、永遠の至福を得ることができる、という感じがする。

そういえば、もうすぐ新嘗祭ですね。

Posted on 2017/11/20 Mon. 14:46 [edit]

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20

まわりうた 

ひましよの みやりてかひの
  まありけり あまのひかてり やみのよしまひ

(日増し世の 見遣りて佳美の 真在りけり 天の日が照り 闇の夜終ひ)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、真(ま)は「本当。真実。まこと。」、終い(しまい)は「物事が終わること。物事をやめること。」の意味です。

Posted on 2017/11/20 Mon. 12:55 [edit]

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20

まわりうた 

へしをるな うめのみかみつ
  まありけり あまつみかみの めうなるをしへ

(圧し折るな 梅の見が満つ 間在りけり 天津御神の 妙なる教へ)

解説

圧し折る(へしおる)は「物に押しつけるなどして曲げて折る。力を入れて一気に折る。」「勢いをそぐ。気勢をそぐ。」、見(み)は「ながめ。」、妙は「不思議なほどにすぐれているさま。霊妙なさま。」の意味です。

雑感

なぜにこの時期に梅なのかわからないのだが、出て来てしまったので載せておくことにしました。

内容もちょっと意味がわからない。

調べてみると花見ならぬ、梅見(うめみ)という言葉があるようだ。今は桜が主流だが、昔は花見と言えば梅を見ていたそうな。

何が「天津御神の 妙なる教へ」なのかよくわからないが、個人的な解釈をすると、満開に咲いている梅の花がいくら見事で美しくとも、その枝を勝手にへし折って、持って帰るな、という意味かと思う。

ちなみに梅の花言葉は「高潔」「忠実」「忍耐」「厳しい美しさ」「上品」などあるらしい。

大きく解釈するならば、全うな手段でもって花を咲かせた人を、大成した人を、妬んだり羨んだりするな、悪口や陰口をたたいて邪魔するな、その人を貶めてその手柄を横取りしようとするな、というような意味合いがあると思われる。

我を出して、それらを横取りして手に入れようとするよりも、大成しているその方を見倣って、そこから漂う品格や忍耐強さを自分も身につけて、常に忠実であろうとしなさい、ということかと思う。

Posted on 2017/11/20 Mon. 12:09 [edit]

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20

まわりうた 

なかいけの ほとりかひみる
  むねのまの ねむるみひかり とほのけいかな

(長池の 辺佳美見る 胸の間の 眠る御光 遠の景かな)

解説

長(なが)は「他の語の上または下に付いて複合語をつくり、ながいことの意を表す。」、辺(ほとり)は「川や池などの水際。きわ。ふち。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、遠のは「名詞に付いて、とおくの、遠方のの意を表す。」、景(けい)は「けしき。ながめ。情景。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容としては、池の辺で景色を眺めていたら、自分の胸の中に眠っている光景と重なって、その中に深い趣を感じてしまう、というもの。

この光景は、実際過去に見た光景でも良いのだけれども、別の解釈としては、ちょっとしたデジャヴのような、そういう感覚に陥った、というものでも良いかと思う。

個人的に感じる所では、この「御光」が特におもしろい。

ニュアンス的には、光がパッと見えるように、脳裏にその光景がよぎって、ハっとしてしまう。でも、その光景がなんなのか、どこで見たのか、その肝心な所が思い出せない。そうした中、その感覚はすぐさま「遠の景」となって消えてゆく。

そうして再び、目の前の景色に戻っていく。

今何か、ものすごく懐かしい感じがしたのだけれども、でも、それが自分でもよくわからない。よくわからないけれども、その余韻だけが残っている、という体験を、この歌は詠っているように思う。

Posted on 2017/11/20 Mon. 09:28 [edit]

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20

まわりうた 

うやいたる ほのかなるをか
  しののめの のしかをるなか のほるたいやう

(礼至る 仄かなる丘 東雲の のし香る中 昇る太陽)

解説

礼(うや)は「うやうやしくすること。礼儀。いや。」、仄かは「光・色・香りなどがわずかに感じられるさま。」、東雲(しののめ)は「東の空がわずかに明るくなる頃。夜明け方。あけぼの。」、のしは「シオン(紫苑)の古名。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「水晶のささやき」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/11/18 Sat. 14:05 [edit]

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18

まわりうた 

なかきよき たまのみすまる
  かひのよの ひかるますみの またきよきかな

(長き良き 玉の御統 佳美の世の 光る真澄の また清きかな)

解説

御統(みすまる)は「多くの玉を糸で貫いて輪にした、古代の装身具。首飾りや腕輪にした。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、真澄(ますみ)は「よく澄んでいること。澄み切っていること。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/11/18 Sat. 11:51 [edit]

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18

まわりうた 

しきのかの りはふしるなか
  とまりけり まとかなるしふ はりのかのきし

(四季の香の 理法知る中 留まりけり 円かなる十 玻璃の彼の岸)

解説

香(か)は「かおり。におい。」、理法は「道理にかなった法則。」、円か(まどか)は「まるくて欠けたところのないさま。」「穏やかなさま。円満なさま。欠けたところのないさま。」、玻璃(はり)は「仏教で、七宝の一。水晶のこと。」の意味です。

雑感

「四季の香の 理法知る中 留まりけり」は、毎年、自然の法則に従って四季が巡っていくという、その道理にかなった流れの中に、思えば自分は居たんだなぁ、という感慨深さを感じている。

「円かなる十」は円(○)に十ということで、○(始め)と十(終わり)が同時に有る世界観でも良いし、○(円満)で十(完璧)なる世界、という世界観でも良いかと思う。

「玻璃の彼の岸」は、言葉通りに解釈すれば、全てが水晶のように透き通る彼岸(=涅槃)ということだが、個人的には、この彼の岸はわざわざ涅槃と解釈するよりかは、そのまま彼(か)の岸、というニュアンスで見たい。つまり、彼方側の岸、という意味。

ゆえに「玻璃の彼の岸」は、こう何というか、自分が望んでいた理想の世界というか、そういうニュアンスだ。

また、玻璃(はり)の言葉の音感は晴れ(はれ)に通じる感じがする。彼(か)は箇(か)、岸は帰しに通じる感じがする。ニュアンス的には、晴れの心境が生まれる箇所たる「カ」が「キ」するという感じ。

つまり、理想の場所をずっと探していたのだけれども、今自分がここにいる箇所がそうであった、という結論に帰したんだ。巡り巡る四季の中に居て、ふとそこで立ち止まって見たら、常にそこに留まっていたことがわかったんだ、というニュアンスを感じる、ということ。

Posted on 2017/11/16 Thu. 10:52 [edit]

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16

まわりうた 

ひのもとの いはとひらかれ
  まほらから ほまれからひと はいのとものひ

(日の本の 岩戸開かれ まほらから 誉れ唐人 拝の友の日)

解説

まほらは「すぐれた立派な場所。まほらま。まほろば。」、誉れ(ほまれ)は「ほめられて世間的に光栄であること。評判のよいこと。名誉。」、唐人(からひと)は「中国、または朝鮮の人。」、拝(はい)は「頭を下げて敬礼すること。おがむこと。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

火水伝文参照。

『 新しき御代の体申すは、新た鳴る高き響きにて真釣ろい創りあるのぞ。響き一つ上ぐりて居るのじゃ。光一つ上ぐる伝え知らせあろうがな。この方が汝等に生きありても、死にありても三真釣り持ち行き、マコト磨け申したは、この事に関わりて大事な事にてある由、くどうくどう申し来たりたのじゃ。そは汝等のミタマ、マコトの響き無くあれば、新しき代の肉のお宮に入るは適わぬからであるぞ。光一つ上ぐりた肉のお宮に収まれるだけの、ミタマに鳴りておい出なされませ。
 申すも辛い事なれど、今ザマの人民様のありザマにありては、適わぬ事と知り置かれよ。なれば汝等皆々神の響きを行成す者と成り鳴りて、一人でも多くの方々に真釣りあるを知らせくれよ。三真釣り持ち行き鳴するがミチぞ。解かりたか。
 今今は心曇りて居るが由、ご自身自ら、アタマでご自身の体をバラバラに分け縛り付けて居られるから、体の各部は益々酷き有り様と鳴りて居るのぞ。日本が世界のヒナ型申すは、汝等も世界のヒナ型申すを言うのであるぞ。真釣り役の胴体がふ抜けて居りては、ご自身のお体が真釣れぬ同様、世界が真釣れぬも無理無かろうが。この方がヒノモトの人民様に厳しく申すは、この事在りて有るが由ぞ。汝等ヒノモトの民申すものは、地球世界を真釣り背負わねば鳴らぬ、スメラの御ミタマにござるのぞ。汝等の申す、人知に汚れた、への突っ張りにもならぬ話をして居るので無いぞ。数ある民魂の真中の御役、最も辛きご苦労の、地の日月の神と統べ真釣る導き御役の響きにておわすのぞ。辛きご苦労のお身魂であるが由、枝葉とタテワケ、一段も二段も上の響きのご苦労に堪えれる様、【元つキ】の直の御チ筋を引かせあるのぞ。中身のご苦労もなさらいで、カタチばかりで取り違え、日本は偉い偉いなぞ申し参りても、ハラにマコトの一厘も無きが者の成さり様は、犬、猫にも恥ずかしい限りであるぞよ。自らの真中のマコトが解からぬから、カタチばかりの言の葉で、体裁を作りて我が一番、我が一番等と威張り合うて参りたから枝葉の身魂にも劣る、悪き身魂に落ちてしもうたのじゃ。
 マコトを立て持つご苦労を、堪えて厭わぬおハタラキが、出くる身魂を上段の霊魂、申すのぞ。少しは恥を知りて下されよ。それだけの霊魂授かり、地の日月の神と鳴り成さる御チ筋にありながら、今のザマは何たる事ぞ。ハラが枝葉のやり方真似てどうするのじゃ。未だにハラにマコトの無き者は、アタマの毒に侵され居るから、自ら選んで成りた訳でもないに迷惑じゃ等、申す者も居られ様が何度も申し伝えある様に、そが者どもは、この方一人も要らんから、お邪魔せぬ様下がって見て居れ申し居ろうがな。枝葉は真釣るを知らんから、我善し勝手に持ち荒らし、やがて潰えてしまうから、そうなりてからでは遅いから、可哀想なから、枝葉束ねる汝等に早う五体統べ真釣りて下され申し来たのであるぞ。世界を統べ真釣りて下され申すも同じぞ。肝腎要の真釣りが外され居りたのじゃ。
 真釣り統べるがハラのハタラキにござるのぞ。ハラにマコトが据えてござらぬから、腰が座らんのであるよ。ハラに真釣りの何かが解かりてござらぬから、アタマが取り違えを致して、我善しで何をやりても良い思い込みて、五体を好き放題我善し力で使い動かしありたのじゃ。なれど真釣りて使うて居らぬから、バラバラに不都合出ありて、継ぎ接ぐマコトの無き世となりたから、五体各部も何が何だか解からぬままに、我善し力のやり方で自由勝手に真似だして、更鳴る魔釣り世となさしめたのじゃ。しかあれ皆々真釣りて無きが由、皆々段々衰えて参りて、先行き不安となりたところで、体(地球)の栄養を一人受け居る、結構なハラ(日本)が悪いとアタマが仕組み煽りて、四体を巻き込みハラを弱らせ攻め入りて、何としても真中のハラを我が物と致して、胴を奪いて五体(世界)の魔コトの王にならんと画策致し居るが解からんか。日本の上を預かる者どもは、これより訪れ参る外圧に、好い加減なところで妥協せんとなされるが、そは適わぬ事と知り置かれよ。この方が許さぬなり。そが時、汝等マコトの者は世間より悪く悪し様になされる由、今今よりシカリ、心鍛えてマコト護持出くる様、気張りて下されよ。
 アタマが何をなさろうが、ハラがマコト真釣りを少しでも致して居れば、如何様にも持ち直す事は出来たのであるぞ。今の世の酷き有様はハラにマコトが無い由に、アタマのやり方を善き様に吹き込まれ、思い込まされ、身欲に走りて信じ込み、行に結びたが終わりの始めとなりたのじゃ。今今になりても、世の識者呼ばれる者共や宗教家申す者共は、マコト耳に入れども聞きもせず、見せども見えぬあき盲ばかりでござるから、日本はだまされて居りたのじゃから、日本ばかり責めいで下され等と物知り顔で申すなれど、そは今今に至りても尚、ヒノモトの真姿の見えぬ大ウツケの申し様でござるぞ。マコトの事が解かりて無くあれば、人民様のお邪魔にならぬ様、口を慎み、心を慎み、行を慎みて黙って見て居れよ。
 汝等の申し様は、親が子にだまされ成せし悪なれば、ワレばかり責めねで子も責むが公平なり、と申すが如きぞ。何たる情け無きザマであるか。恥を知りて下されい。ユダヤのミタマ申すは、大き構えが陽の構えでござるから、ハタラキは水の御ハタラキと鳴りて居るのぞ。情けと花の表の音色じゃ。スメラのミタマ申すは大き構えが陰の構えにござるから、ハタラキは火の御ハタラキと鳴りて居るのじゃ。情けと花の裏の音色ぞ。どちらがどちらを背負うのか、これでハキリ解かりたでござろうが。世界の人民様申すは、すべて皆々大神のご大切なる御子なれど、汝等の兄弟にてはあらぬ者なり、汝等は親なり、世界の人民様は皆々、汝のお子なり。この神仕組み取り違い居りていては、世は滅ぶなり。今までの考え様、さっぱり捨てて下されと、くどう申して居ろうが。マコトの解からぬ神や仏にいつまでも使われて居るからそのザマであるぞ。
 よきか、今今の汝等のマコトの有り様申すものは、汝等ご自身のお子を自ら殺すか生かすかの瀬戸際に立ちて居るのぞ。今一歩踏み選べばどちらかに決まりてしもう瀬戸際じゃ、申して居るのぞ。人類皆兄弟等と腰抜けたる思い様にありては易きミチに入るは必定。目も当てられぬ残念ご無念でござるよ。
 親と申すものは、子にマコトを立て開くがハタラキでござるのぞ。マコト真釣りて行に結ぶを【口、心、行】にて開き渡すなり。顕すなり。子にマコトの開くのを【情け】と【花】にて見守るが、親たる者の有り様でござろうが。情けの表は【真釣る厳しさ】であるぞ。情けの裏は【忍ぶご苦労】でござるよ。花の表は【行に結びた形】にござる。花の裏は【散らぬマコトの花一輪】ハラに咲かせしことなるぞ。見守るご守護のハタラキは、表に立ちては適わぬぞ。下に下り下りて与えるが陰のご守護の基なり。親と申すはこれ程のご苦労の御役なり、さればそれだけの力与えあるは、幼子にありては尚、解かる道理でござるのぞ。
 【散らぬマコトの花一輪】汝のハラにも、お子のハラにも、見事咲かすが出くたなら、万古末代弥栄じゃ。どうでも利かぬお子であれば、強きメグリ背負いたお子なれは尚の事、今生に覚え無くありても、何時の世かで共に真釣りを崩す様な因縁を持たれたは、明々白々であろうから、お子を神と崇められ、お詫びの響きを感謝に繋げ、汝が三真釣り持ち行きて、マコトに結ぶご苦労を少しでも早うなさりて下されよ。メグリ申すものは、真釣りた響きで逃げも和するも致すのざから申して居るのぞ。やって見なされよ。この方がついて居る言うて居ろうが。
 汝等、世界の人民様の親なれば、世界の人民様より一段も二段も上の霊魂授けあるを伝え知らせあろうがな。偉い偉く無いの話で無いぞ。尊き神真釣りの基であるぞ。いつまでもイシヤの仕組みに引っ掛かりて居りて、この世にありもせぬ自由・平等・博愛なる戯言に振り回された挙げ句、不自由・不平等・不博愛なる世を創り上げてしもうた事に、まだ気付かんか。アタマの創りた『あやま知』の世にありては適わぬ事でありたのじゃ。自由・平等・博愛なる、マコトの響き言うは【真釣り】た全一如の和したる響きなかりせば、有りは致せぬ事なのぞ。親有りて子が有るのであろうが。神有りて人が有ると同じ事ぞ。汝等皆々、宇宙コトワリの似姿なると申し伝えあろうが。親なる中心が有りて、幹なる中心が有りて初めて枝葉に全一如のハタラキが出くるのであろうが。こに自由・平等・博愛なることどもは、猛々しく言挙げさるるも無く、至善に生き活かされあるのでござろうが。日本の人民様、良い加減にシャキッと目を覚まして下されよ。自覚無き申しても余りのザマでござるぞ。真中が真釣りを忘れて居りてはどうする事も出来はせんぞ。五体におきても同じ事ぞ。ハラは五体の基なり、親なり。胴が無くれば五体バラバラであろうが。五体すべてを真釣る由、元つ気ハラに集め居るのぞ。五体すべてをかまう由、滋養ここより取るる様、型に示しあるを忘るなよ。四体、枝葉も神の御子なれば、尊き御ハタラキ持ちて居るのぞ。なれどそはハラが真釣り統べりてあれば、の事にてござるのぞ。ハラが真釣らねばいつでも逆法に鳴りてしもうは、アタマの仕組みで型示しあるは、伝え知らせあろうがな。
 ヒノモトの人民様は、世界の父親なる責を忘れて久しくありたから、今今のザマと成り果てしもうてござるが、今、最期の時。子にマコトも示せず散りて果てるは末期の恥と知りて下されよ。今今に、汝の三真釣り持ち行くが、マコト鳴り成る響きにて、汝のお子にも世界にも、マコト知らしむ型と成る。解かりたか。
 ここまで申し伝え来たなれば、よもや不足は無かろうまい。今今の時節にありては、真釣りた響き無くれば、何事も成就致せんと、くどう申し参りたが。汝に一厘のマコト残りあるなれば、今を外して、何時に使うお積もりか。こ度は万古末代二度は無い、後にも先にも一度こっきりの大層でござるぞ。今までの世は、何あろう命ありての物だねでも良かりたのであるが、これからの世申すは、マコト無くては生きられぬ神代と成るのであるから、既にその響きに入って久しくあるから、マコト有りてのお命なるを、決して忘れんで下されよ。何に付け、今生にマコト懸けての花一厘、見事に咲かすか、果て散るか、今今、この場で決めて下され。ここ今に決めれぬ者はもういらぬ。お好きな様になさるが善かろうぞ。
 この方は死に急げ、申して居るので無いぞ。逆ぞ。汝等皆々、大事な神の御子様じゃ。タテナオシの尊き天命背負いて居られる、地の日月の神々様じゃ。魔釣りの魔やかす毒牙にて、尊きおイノチ散らさるるを、この方、見るに忍びぬ由、か程きつう申すのじゃ。何がありてもマコトを護持致せ申すは、汝のハラ内に末代倒れぬマコトを立て持て申して居るのぞ。マコトが大事じゃ申しても、ケガレ逆巻く悪き世に、ご一人でマコトを掲げて正面からぶつかられては、おイノチがいくらありても足りはせぬぞ。かたひじ張らずに、避けれるものはのらりくらり機転を利かして避けくれよ。汝がことさら荒立てねば、相手もそが以上の罪ケガレ、積まねで済むのじゃ。汝の思いは次にして相手善かれの心を持つも、神の心に適うマコトにてござるぞ。汝のマコトを貫くためにもそうして下されよ。そも修行の内でござるよ。解かりたな。無駄死にはして下さるなよ。神、頼みたぞ。
 汝等皆々、こ度のご用に使うてやりたいから申して居るのぞ。ハラにマコトの立ちてる者で無くればこ度使うは出来んのじゃ。曇り残りある程に、汝ご自身が苦しゅうて、とてもご用どころの騒ぎで無いぞ。由にくどう申して居るのじゃ。身魂相応に使う申しても、【足場】の【足場】の【足場】のアの字も出来て居らん様な身魂でありてはとても使うことは出来んから、早う三真釣り持ち行きて一成る花を二成る花へ、二成る花を三成る花へ、自らにマコト持ち行く情けを課して、堪えるご苦労に勝ち行く程に、楽にご用が勤まる様に成るのであるから、ご苦労を成された分、キッチリ見取って、楽に出来るだけのご用に回してやるぞ。マコトが一番でござるから、マコトを手にして下されよ。ケガレ多き身、思えど、残るマコトの一厘で何かの神のご用をさせくれと、ケガレたとは申せ、ひそかに思うがマコト日本の人民様じゃ。この方それを知りて居る由、汝が愛しいのじゃ。何かのご用に使うてくれ申す者、一人も余さず使うてやるから、残るマコトの花一輪、何かに付けて見事咲かすが汝の務めじゃ。一厘、磨き出されて見事、水晶と成して見なされ。この方しっかと見届け致して、アッバレご用に使うてやるから、ガンバリ成されよ。』

Posted on 2017/11/15 Wed. 14:13 [edit]

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15

まわりうた 

なかきよの ひかりのみてり
  あいのちの いありてみのり かひのよきかな

(永き代の 光のみ照り 愛の智の 意有りて神法 佳美の良きかな)

解説

意(い)は「心の働き。思っていること。気持ち。考え。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」、法(のり)は「法律。法令。」「道理。道徳。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

何気に、この法(のり)はダルマを表しているように思う。

Posted on 2017/11/14 Tue. 08:54 [edit]

category: まわりうた

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14

まわりうた 

なかひかり あまのみかとは
  とことはと ことはとかみの まありかひかな

(中光り 天の帝は 常と 言葉と神の 真在り佳美かな)

解説

中(なか)は「中央。まんなか。」、常(とことわ)は「永久に変わらない・こと(さま)。永久不変。」、真(ま)は「本当。真実。まこと。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です

余談

この歌は、下記動画の曲を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

『組曲「白山」神厳の杜』(you tubeより)
https://youtu.be/1AYICYEWDTk

Posted on 2017/11/12 Sun. 10:42 [edit]

category: まわりうた

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12

まわりうた 

なかきよの ひかりのみつひ
  いねのほの ねいひつみのり かひのよきかな

(永き代の 光の満つ日 稲の穂の 寧謐実り 佳美の良きかな)

解説

寧謐(ねいひつ)は「世の中が治まり、おだやかなこと。また、そのさま。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容としては、秋晴れの空の下、たわわに実る稲穂が静かに風に揺られて、見事な黄金色の絨毯を作りだしている、という風景がイメージされる。

特にそこには、天と地の両方が光り輝いて、世の中が非常に平穏で大変美しい、というニュアンスを感じる。

Posted on 2017/11/11 Sat. 08:16 [edit]

category: まわりうた

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11

まわりうた 

ひのかなた はろはろここの
  きよまるま よきのこころは ろはたなかのひ

(日の彼方 遥々午後の 清まる間 良きの心は 炉端中の火)

解説

遥々(はろばろ)は「遠くまで、また遠くから動作・作用が及ぶさま。また、非常に遠くへ時間をかけて移動するさま。はるばる。」、清まる(きよまる)は「清らかになる。」、炉端(ろばた)は「囲炉裏(いろり)のそば。いろりばた。ろべ。ろへん。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

下記日月神示によると、火の御恩は全て、日の大神様によるものらしい。

『日本の人民 餌食(えじき)にしてやり通すと、悪の神申してゐる声 人民には聞こへんのか。よほどしっかりと腹帯締めおいて下されよ。神には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、待てるだけ待ってゐるぞ、月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。この御三体の大神様、三日この世構ひなさらねば、此の世、くにゃくにゃぞ。実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。五十になっても六十になっても、いろは、一二三(ひふみ)から手習ひさすぞ。出来ねばお出直しぞ。慢心、早合点 大怪我のもと、今の人民、血が走り過ぎてゐるぞ、気付けおくぞ。』(風の巻 第十二帖)

思えば、太陽と地球の距離はほとんど奇跡といってもよく、これより近いと熱くなり、これより遠いと寒くなって、我々は地球に住むことすらできなくなる。

当たり前といえば当たり前のことなのだが、これをよくよく考えてみると、ものすごい恵みの中に、今我々は住まわせてもらっているということが、身に沁みるのではないだろうか。

夏が暑い、冬が寒い、と言っているレベルではないくらいに。

ということで、歌の最初の「日の彼方 遥々午後の 清まる間」の部分は、日(太陽)の光が、彼方から遥々地球までやってきて、私達が清々しいと感じられる午後の陽気の環境を作りだしている、というニュアンスを感じる。

また、日の大神様は火の御守護もされているという。

囲炉裏については、私は実際に見た事はないが、昔話などではよく見る代物だ。

その風景を見ていると、囲炉裏は家族団らんの場でもあり、友人と仲睦まじく語らう場でもあり、また食事を頂く場所でもある。その空間には何とも温かく、和気藹々とした雰囲気が流れている。

なので「良きの心は 炉端中の火」の部分は、良い心というのは、周りの人の心が温かくなるような気配りができる心であり、そういう心を常に絶やさない心でもある、というニュアンスを感じる。

大きく見れば太陽系も、太陽という火を中心にして、それを各惑星が囲みながら、共に和気藹々と活動している場である、という風に見えなくもない。

Posted on 2017/11/10 Fri. 10:38 [edit]

category: まわりうた

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10

まわりうた 

なかれくも きありてかひの
  ふゆとりと ゆふのひかてり あきもくれかな

(流れ雲 木有りて佳美の 冬鳥と 夕の日が照り 秋も暮れかな)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、冬鳥は「秋、北方から渡来して越冬し、春、北方に去ってそこで繁殖する渡り鳥。日本ではガン・カモ・ツグミなど。」、夕(ゆう)は「日が暮れて夜になろうとする時。ゆうぐれ。ゆうがた。」、暮れは「ある期間や時節の終わり頃。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

見渡せば 花も紅葉も なかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ

という有名な歌があるが、儚さのニュアンスとしては、この歌の情景に比較的近いと思う。

この「木有りて」の木は、既に落葉していて一見するとどんな種類の木かわからない、という、そういう寂しさを漂わせているように感じる。

冬の気配が近づいて来る中、流れる雲があり、落葉した木があり、そして空を飛ぶ冬鳥と共に夕日が輝いている、というその情景の中に、晩秋の匂いを感じてしまう、というようなニュアンスの歌かと思う。

Posted on 2017/11/09 Thu. 12:07 [edit]

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09

まわりうた 

きみたみと まやのくらしの
  きひよきよ ひきのしらくの やまとみたみき

(君民と 真屋の暮らしの 気味良き代 氷木の至楽の 大和御田見き)

解説

真屋(まや)は「棟の前後二方へ軒をふきおろした家。切妻造り。」、気味良い(きびよい)は「気持ちがよい。愉快である。きみよい。」、氷木(ひぎ)は「千木(ちぎ)のうち、先端部分が横削ぎになっているもの。」、至楽は「この上なく楽しいこと。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

雑感

千木には先端が縦削ぎ・横削ぎのもの2種があるそうだ。

一説には、縦削ぎのものは男性的、横削ぎのものは女性的な性格や願望を表しているのだとか。

なので、御祭神が男神女神どちらにしても、天災や飢饉、或いは争いごとが絶えない場所では、それに立ち向かうために男性的な縦削ぎのものが多く、逆に気候が穏やかで、治安が安定している場所では、それらがずっと穏やかに推移して欲しい、その状態が長く保たれて欲しい、という願いから、女性的な横削ぎのものが多い、という見方も、ある意味では出来るのかもしれない。

よって、歌で「氷木」とあるのは、女性的な性質が現れている、と言える。

世の中が治まっているので、君主と臣民が共に、楽しく愉快な日常を過ごせている、というニュアンスの上に、さらにそれが氷木によって、未来永劫続くことが担保されている、という、非常に穏やかで平安的なニュアンスが、この歌からは見て取れる。

特に最後の「御田見き」は重要で、これは大和の国が皆上から下まで揃って、衣食住が常に保証されている状態を示している。

何気、過去に書いた「日の光の政治」を思い出す。

下記記事参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

ちなみに氷(ひ)は、単なる当て字であって、氷(こおり)の意味はないと思われる。それが証拠に、他の所では比木(ひぎ)の漢字が当てられていたりする。

では、この千木のチ、氷木のヒとは何であろうか。一つ思いつくのは、これらに共通するのは霊(ち)、霊(ひ)であるということ。

まあ詳細はわからないが、これは霊木(ちぎ)、霊木(ひぎ)と見ることが出来るようにも思う。木は神霊の依代にもなり得るので、正味の所はわからないけれども、天から降って来る神様の最初の出入り口、玄関口、といった感じを受ける。

これは個人的な想像だが、チギ(千木)、ヒギ(氷木)、の言葉のニュアンスを感じ取ると、天から降りて来た神様が、その地(ち)に引き(ひき)つけられる、というニュアンスを感じる。

尖った形状の先端に雷が落ちやすいように、古代の人々は千木を建てることで、そこに神様を呼び込もうとしたのかもしれない。

もちろん「千木高知りて」との言葉があるように、神様の御威徳が立派であることを知らしめるものでもある、とも思うが。

Posted on 2017/11/08 Wed. 11:36 [edit]

category: まわりうた

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08

まわりうた 

みのつまり おみのとかみつ
  まありけり あまつみかとの みおりまつのみ

(身の詰まり 臣の咎満つ 間ありけり 天つ帝の 御降り待つのみ)

解説

臣(おみ)は「主君に仕える人。臣下。しん。」、咎は「人からとがめられるような行為。あやまち。」「罰されるべきおこない。つみ。」「非難されるような点。欠点。きず。」、天つは「天の。天にある。天上界に所属する。」、御(み)は「主として和語の名詞に付いて、それが神仏・天皇・貴人など、尊敬すべき人に属するものであることを示し、尊敬の意を添える。」の意味です。

雑感

人々の生活も詰まって来て、不正をしないと生存できないような雰囲気に世の中がなって来ている。こうなれば、もはや天帝の降臨を待つのみだ。

日月神示参照。

『今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。』(日月の巻 第三十六帖)

『学の鼻高さん何も出来んことになるぞ、今に世界から正真(しょうまつ)が段々判り来て、あわてても間に合はんことになるぞ、今の内に神示よく肚に入れておけよ、この道には色々と神の試(ためし)あるから漫心するとすぐひっくり返るぞ、考へでは判らん、素直結構ぞ。日本には五穀、野菜、海、川、いくらも弥栄の食物あるぞ、人民の食物 間違へるでないぞ、食い過ぎるから足らんことになるのざぞ、いくら大切な、因縁の臣民でも仕組の邪魔になると取り替へるぞ、慢心取違ひ致すなよ、代へ身魂いくらでもあるぞ。学問の世はすみたぞ、学者は閉口するぞ、商売の世も済みたから商売人も閉口するぞ、力仕事は出来んし、共喰するより他に道ないと申す人民許りになるぞ、今迄とはさっぱり物事変るから今迄のやり方 考え方 変へて呉れよ、神示通りに行へば其の日その時から嬉し嬉しざぞ、此処は落した上にも落しておくから、世の中の偉い人には中々見当とれんから、身魂の因縁ある人には成程なあと直ぐ心で判るのぢゃぞ、九の花咲けば皆よくなるのぞ、九の花中々ぞ。』(空の巻 第十二帖)

『この神示は心通りにうつるのざぞ、思ひ違ふといくら神示読んでも違ふことになるぞ、心違ふと今度はどんなに偉い神でも人でも気の毒出来るぞ、この方クヤム事嫌いぞ。次の世となれば、これ迄の様に無理に働かなくても楽に暮せる嬉し嬉しの世となるのざが、臣民 今は人の手に握ってゐるものでもタタキ落して取る様になりてゐるのざから神も往生ざぞ、神は臣民楽にしてやりたいのに楽になれて、自分でした様に思ふて神をなきものにしたから今度の難儀となって来たのざぞ、其処にまだ気付かんか、キが元ざと申してあろがな、早う気付かんと間に合はんぞ。この神は従ふ者にはおだやかざが、さからふ者には鬼となるのざぞ。』(キの巻 第五帖)

下記記事参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

Posted on 2017/11/06 Mon. 12:33 [edit]

category: まわりうた

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06

まわりうた 

しきのかの ひかれはあかき
  きせかいか せききかあはれ かひのかのきし

(色の香の 光れば明き 器世界が 夕暉があはれ 佳美の彼の岸)

解説

香(か)は「におい。かおり。」、明し(あかし)は「明るい。」「まじりけがない。心が清い。」、器世界(きせかい)は「三種世界の一。生命のあるものが生きる場となる山河・大地など。器世間。器界。」、夕暉(せっき/せきき)は「夕日の光。夕陽。いりひ。」、あはれは「‘をかし’とともに、平安時代における文学の基本的な美的理念。深いしみじみとした感動・情趣をいう。のち、しだいに日本文学の美の根幹として発展し、調和美・優雅美・静寂美・悲哀美などのさまざまな内容を持つようになった。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、彼の岸は(かのきし)は「迷いを脱し,生死を超越した理想の境地。悟りの境地。涅槃(ねはん)。」の意味です。

余談

この歌は、「魔法少女まどか☆マギカ MUSIC COLLECTION」にある「prelude to Act 1」~「prelude to Act 2」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「器世界」という言葉は中々おもしろいと思う。

器として目の前の世界を認識すると、この世界は私達の霊(心)を入れる器ということになる。或いは、因果が入っている器とも見なせる。

器は空(うつ)の輪(わ)で空輪(うつわ)だろうか。輪廻とかいう言葉があるが、人がいくら善悪と言えども、その実態は空(うつ)の輪で、空っぽなのかもしれない。

しかし同時にこれは全(うつ)の和(わ)、全和(うつわ)でもあるのかもしれない。

夕陽に限らず、何かを見てハッとさせられるような感慨深さを感じる時こそ、私たちはこの輪廻から脱して、全和(うつわ)としての世界を垣間見ているのかもしれない。

輪廻を脱するということは、生死を超えるということだが、何かに魅せられている時、確かにそこに生だの死だのの感覚はない。歌の中の表現では「あはれ」がこれに当たるように思う。

ただただ、その美しさの中に自我が埋没していくだけだ。とすれば、これこそが彼岸とも言えるのかもしれない。空(うつ)の我(わ)となり、同時に全(うつ)の我(わ)となる。

そして、この瞬間こそが、いわゆる光明(こうみょう)と呼ばれるものなのかもしれない。

昔、一瞬。ほんの一瞬だが、窓の外を見ていたらふと、見る世界が感覚的に変わったことがあった。

とにかく世界が壮大で美しかった。そして「あっ、これは何だろう?」と理解しようとした瞬間、元の世界に戻ってきてしまった。一瞬何かが開いて、そして、それが終わらぬうちにまた何かが閉じてしまった。

その感覚を言語化すると、この世界の空っぽの存在性は奇跡そのものであり、その奇跡を保ったまま、二度と戻らない世界が目の前で一瞬一瞬の中で繰り広げられていくという、二重の意味での奇跡が繰り広げられている、というものだ。

おそらくこの時、私は何かの弾みで、空っぽな存在性、空っぽな器に一瞬のうちでもトリップしてしまい、この世界と同化してしまったのだと思う。一瞬ではあったが、あれは自分にとってまさに一期一会と呼べるにふさわしい体験であった。

Posted on 2017/11/05 Sun. 15:36 [edit]

category: まわりうた

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