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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

ひのふけて けふひのふけて
  けふのひの ふけてけふのひ ふけてけふのひ

(日の更けて 今日日の耽て 今日の日の 化けて今日の日 ふけて今日の火)

解説

更ける(ふける)は「時間が経過して、真夜中に近くなる。夜が深まる。」「その季節になってから、かなり時間が経過する。季節がたけなわになる。季節が深まる。たける。 」、今日日(きょうび)は「きょうこのごろ。今どき。」、耽る(ふける)は「ある一つの事に夢中になる。熱中する。」、化ける(ふける)は「古くなって品質が悪くなる。」、ふけるは「逃げだす。脱けだす。姿をくらます。」の意味です。

余談

この歌は、アニメ「風が吹くとき」のエンディング曲「Folded Flags」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

今回の歌は、アニメ「風が吹くとき」の、日常が日常のまま無惨に壊されていくというモチーフと、「Folded Flags」の曲調と歌詞の内容を踏まえながら書いたものです。

歌詞の最初に「Rock a bye baby」と出て来るのが、何だか印象深い。

調べてみると、このフレーズはイギリスの童謡マザーグースから来ているらしく、訳は「(揺りかごに)揺られて、おやすみ、赤ちゃん」というような意味なのだろう。

おそらくこの「baby」は、放射線や権力者たちの持つ力の、本当の怖さを知らない、このアニメの中の老夫婦に代表される、一般市民を指しているのだろう。

日本でも「赤子(せきし)」という言葉があるが、これが「赤ちゃん」の意味の他、「国民」の意味もあるのは、何だか出来過ぎな気がする。

ちなみに「民」という漢字は「片目を針で刺した」象形で、片目をつぶされた奴隷・被支配民俗を意味するのだそうだ。

国民が「主権者」というのが、もはや建前でしかないことは、既に皆、心の中で感じている所ではないだろうか。

国を預かる為政者が、国民を「国の民(=奴隷)」としか認識していないのではないか、そしてその「国の民(=奴隷)」を外国に売り渡すことによって、自らの権力を維持しようとしているのではないか、と感じることが最近多くなったが、おそらくその構造は、戦前から戦後ずっと引き継がれていて、ただ自分が知らなかっただけなんだろうな、とも思う。

奇しくも3.11の地震によって、その構造がわかりやすく見える形になった、とも思うが、これまた大変な皮肉なことである。

話は変わるが、どうも最近の風潮では、左翼は売国奴ということらしい。しかし一昔前は、右翼と言えば、ただ過激で暴力的な集団、という認識が一般的であったように思う。

一昔前は右翼が白い目で見られ、今は左翼が白い目で見られている。

一体どっちが正しいのだろうか? そして、そのどちらかが正しいとして、その正しさが証明されることに、何か意味はあるのだろうか?

時代によって、左が正しい、いや右が正しい、と移り変わる社会の姿は、今ではただ、左に右にゆられる揺りかごの中で眠る、赤ん坊のようにさえ見えて来る、と言うのは言い過ぎだろうか。

結局、右でも左でも、赤ん坊の生殺与奪権が赤ん坊自身にはないという所が、一番の問題であるように思う。

そういえば「Folded Flags」の歌詞の中に「Hey Joe, where you goin' With that dogma in your head? You can prove your point, But your kids will still be dead」(おいジョー、どこへ行くんだい 頭ん中にそんな独断を持ちこんでさ そりゃ、お前の主張はそれで証明できるだろうさ でも、お前の子供たちはこれからずっと先も、死んだままなんだぜ)という部分があったが、これと同じように、一番大事なのは私達自身の暮らしが良くなることであり、間違っても私達や私達の子孫が無惨な死を遂げるような社会ではない。

だが、残念ながら、時代の方向は全く逆に動いていると感じる。

さて、前置きが長くなってしまったが、歌の内容を解釈してみたいと思う。

歌の大意としては、一日一日が流れ、一つ一つの季節が流れ、時代時代の潮流に乗りながら、毎年の流行や世相に夢中になっている内に、社会全体が年老いて、粗悪な状態になって、今まで当たり前に過ごしてきた日常風景が一つ、また一つと消えて、気が付けば戦争の火ぶたが切って落とされていて、果ては自分の住んでいる町に空襲が起きるとか、日本の大きな都市に核爆弾が落ちるとか、今まで映画やアニメの中でしか見たことがなかった、一面火の海の場面に、なぜか今日、遭遇しているなぁ、といった感じです。

Posted on 2018/05/19 Sat. 18:13 [edit]

category: まわりうた

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19

まわりうた 

なかきよの かなしきせきと
  ふたりきり たふときせきし なかのよきかな

(長き夜の 悲しき咳と 二人きり 尊き昔時 仲の良きかな)

解説

咳は「のど・気管の粘膜が刺激されたとき、反射的に呼吸を止め、短く強く吐き出す息。また、その音。しわぶき。」、昔時(せきじ)は「むかし。過去。いにしえ。」の意味です。

余談

この歌は、「ハウルの動く城 サウンドトラック」の「-エンディング-世界の約束~人生のメリーゴーランド」を聴きながら、アニメ「風が吹くとき」の内容をモチーフに書いた歌です。

雑感

「世界の約束」とアニメ「風が吹くとき」は何のつながりもないのだが、何となく自分の中で雰囲気が重なった、というか、このアニメがあまりにも悲惨過ぎたので、無意識のうちに「世界の約束」の世界観を重ね合わせたかったのかもしれない。

知っている人も居るかもしれないが、アニメ「風が吹くとき」とは、イギリスの作家、レイモンド・ブリッグズが1982年に発表した漫画をアニメーション化したもので、これまで普通に田舎暮らしをしていた老夫婦が、戦争による爆弾によって、その日常が壊される、という内容になっている。


――以下「風が吹くとき」のネタバレあり――


といっても、爆弾が落ちて来て家が木端微塵になるだとか、空一面からの大空襲があるだとか、兵隊が押し寄せてくるだとか、そのような描写は一切ない。

あるのはただ、その爆弾が核爆弾で、老夫婦はその爆風によって被ばくし、自分たちも知らない間に、放射線障害によって身体が蝕まれていく、という描写だけである。

一番怖いと思ったのは、田舎で何気ない静かな日常を送っていた老夫婦は、その爆風を受けてもなお、核に対する知識が足りないがために、いつもと変わらない日常を送ろうとする所である。

といっても、この老夫婦は決して愚かなのではない。

むしろ人柄がよく、道徳心もあり、また愛国心もある、ごくごく普通の模範的な善良市民である。

夫は国際情勢や社会的知識に長け、婦人は家を切り盛りするための事細かな知恵に溢れている。だからこそ、戦争が始まったと知ったときには、政府が発行しているパンフレットに従い、シェルターを作り、備蓄もしていた。間接的にせよ、ヒロシマ・ナガサキのことさえも知っていた。

しかしそのシェルターは、およそ被ばくを防げるようなものではなく、ただ外したドアを壁に立てかけて、釘で固定して、手前にクッションをおいて、中にマットレスを敷いただけの、およそシェルターとは呼べない、簡易的なものであった。

やがて新聞も届かず、水道がとまっても、老夫婦は、今に助けが来るだろうと楽観視しながら、放射線を含んだ雨水を飲んだりして、日常を何とか続けようとするが、事態はますます深刻になってゆく。

「はだしのゲン」が動とすれば、この「風が吹くとき」は静に感じる。だからといって、核や内部被曝の恐ろしさの描き方が、はだしのゲンに劣っているとは思わない。

なぜなら「はだしのゲン」は、まだゲンが子供がゆえに、天真爛漫で純粋無垢な強さがあり、そこには未来があるからだ。

一方「風が吹くとき」は、何気ない日常が、何気ない日常を保ったまま壊れていく描写に焦点を当てているがゆえに、非常に恐ろしいものがある。

自分でも気付かないままに血便を垂れ流す兵隊さんや、荒廃した瓦礫でやり取りされる闇市を実際に見聞きしながら、やがて目の前の現実に疑問を抱き、自身で考え、必死に生きていこうとするゲンに対し、こちらの老夫婦は、政府の言うことを忠実に守り、家にたてこもり、今までの日常を保とうとしながらも、生気が徐々に失われていく様は、非常にリアルに感じられる。

また、直接には描かれていないが、実は政府は、核の威力と身体に与える影響を、最初から全部知っていたのではないか、と思われる描写がある。

政府が発行したパンフレットには、用意するものの中に身分証明証が含まれていたり、袋に入れ(熱から少しでも身を守るため?)という指示がある。

実際に最後、老夫婦はじゃがいも袋の中に入っていくわけだが、これは、政府が後々の遺体の身元処理をスムーズに行う為という説があるそうだ。

この老夫婦が死んだ後、じゃがいも袋の中に入った遺体と、傍らにある身分証明書を照らし合わせながら、放射線防護服を着た処理班が、事務的かつ無造作に片づけていく様を想像すると、得体の知れない恐怖感が湧き上って来る。

このように、善良市民の老夫婦の方は、いざとなったら国が助けてくれる、と最後まで信じて、パンフレットに書いてある通りに、忠実に従い続けていた一方、国のほうは核が落ちたら国民は助からないことを知っているがゆえに、国民一人一人を助けるのではなく、今ある国体(=国家の状態)が機能不全に少しでも陥らないように、遺体の後処理回収をスムーズにするべく、国民を守るふりをしながらも、最初から手を打ってあった、という所に、このアニメの本当の怖さがあるように思う。

だから、我々がこのアニメを全部見終わった後、「この老夫婦には、核の知識がなかったんだな」と、無邪気に笑える立場には、到底無いと思うのである。

もし我々が、あの状況の中に突然放り込まれた時には、個人で出来ることなど、もはや無いはずである。

であるならば、あの老夫婦のように、一途の望みを託して、見ないふり、知らないふりを続け、今の状況がごく普通の日常の延長線上にある、と思おうとすることは、決して無知無関心から来ているのではなく、また単なる現実逃避から来ているのでもない、と思う。

最初は明るく豊かに描かれていた日常風景の色彩が、物語が進むにつれ暗くなり、やがてどんより重くのしかかる中、唯一変わらないのが、夫婦間の愛情だ。

被ばくした後、妻が腹が痛いと言った時には、夫は気のせいだといい、吐き気を繰り返した時には、大丈夫だ、あわてることはない、と言う。

一見すると、現状を直視せず、ただ現実逃避を続け、症状を悪化させていくだけの愚かな夫婦のように見えるが、しかしおそらくこの夫婦は、何十年も連れ添った中で、お互い、そのような励ましを何度も何度もしながら、人生の節目節目を乗り越えてきたのだろうと思う。

状況が目に見えて悪化していく中、最初は日常世界の中で同化していた夫婦愛が浮彫になって来て、絶望のラストに向けて、その愛が最高潮にまで達し、それが昇華されていく様を見れたのは、このアニメのただ唯一の救いであったように思う。

我々もこの老夫婦のように、自分が気付かない内から死を宣告され、その死に日常が犯され、いよいよどうにもならなくなって表に出て来た時には、もはや何の手も打てず、ただ死んで行くより他に道なし、ということを弥(いや)が上にも知らされ、悟らざるを得なくなった時、我々は何を思うだろうか。

きっと、もう二度と来ないであろう、以前の当たり前の日常を思い、そこで体験した記憶や思い出が、何物にも代えがたき宝物であったと知り、涙するのだろうと思う。

そうして、以前の日常のその全てを背負って、唯一体現されたものが、今の自分自身だと悟り、その涙を胸に刻み込みながら、生きていく、或いは死んでいくのだろうと思う。

日月神示や火水伝文では、日本が餌食になって、悪者にされると書かれているが、実際その通りになって来ている昨今、最早何が起こってもおかしくないように思う。

核戦争や原発に反対してもどうにもならず、今の国の遣り方や在り方に対して意見しても、どうにもならないのであれば、せめて自分自身だけは、神に恥じない生き方をしていくしか、もう道は残されていないのではないか、とも思う。

それは死後天国にいけるからとか、そうしないとばちが当たるから、とかではなく、本当は世界はとても美しく、ふんわりとしていて優しい、ということを知るためなのだ。

日月神示参照。

『日本の人民 餌食(えじき)にしてやり通すと、悪の神申してゐる声 人民には聞こへんのか。よほどしっかりと腹帯締めおいて下されよ。神には何もかも仕組てあるから、心配ないぞ。改心出来ねば気の毒にするより方法ないなれど、待てるだけ待ってゐるぞ、月の大神様が水の御守護、日の大神様が火の御守護、お土つくり固めたのは、大国常立の大神様。この御三体の大神様、三日この世構ひなさらねば、此の世、くにゃくにゃぞ。実地を世界一度に見せて、世界の人民一度に改心さすぞ。五十になっても六十になっても、いろは、一二三(ひふみ)から手習ひさすぞ。出来ねばお出直しぞ。慢心、早合点 大怪我のもと、今の人民、血が走り過ぎてゐるぞ、気付けおくぞ。』(風の巻 第十二帖)

『悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ。』(磐戸の巻 第十帖)

火水伝文参照。

「 三千年の昔より、汝等には解からぬよう汝等の心身の薄弱化を図り続け来たる力ありたぞよ。そは汝等の身魂捕らえるがためぞ。汝等の心、曇り曇らせ汝等の光輝忘却させ、自ら思考する事の出来ぬ獣と化さしめ、欲望のままに生くる者となさしむるがためぞ。そは汝等アメとムチにて治めんがためなるぞ。そは己が野望を成就せんがためなるぞ。そは自ら地球の盟主とならんがためでありたのじゃ。
 汝等を獣化せしむるに用いたる、主たる力が『あやま知』なるぞ。かの力、侮りてはならんと申した事、こ度の人類の歴史、彼等の思うどうりに描かれ来たりたの見つれば得心致すであろうがな。汝、幾度もの転生揺りかごから墓場までどぷりと彼等の作りせし世で過ごし来たりたのぞ。三千年の企みぞ。そ度『あやま知』に囚われ囚われ苦しみ来たったのぞ。ソクラテス殺せし力も、イエス殺せし力も『あやま知』なるぞ。マコト唱えし者殺しマコト覆い隠せし力『あやま知』なるぞ。『あやま知』言うも直接手を下せしは『あやま知』に囚われたる人民様でありたのぞ。ここそ『あやま知』の狙うた企みぞ。果であるぞ。力であるぞ。
 『あやま知』仕掛けた者ども、この力よく知りておる。本来チカラ無きも知りておるのじゃ。悪は苦労に甘いから、知らず誉め称える人民様ばかりじゃ。誉めて力与えしも人民様ご自身なるぞ。誉め称える度毎に汝等の身魂、曇りに曇りて行きたのじゃ。ワナにはまりて行きたのぞ。治め易き獣と成り果てたのじゃ。
 『あやま知』操る者どもも『あやま知』振りまく害悪を、知るが唯一の者なれば自ら冒され無き者と、勝ち誇りておるなれど、こ度は悪の影さえ残さぬのざから最期の仕上げを見てござれ。こ度の相手は元つ神ぞ。決死の覚悟で来てござれ。
 しかあれ、彼の者どもも始源の時汝等と共に『囚われ』の重き病みにかかりた者でありたのじゃ。このこと彼の者どもも知らず。由に『我善し』と思うておるのじゃ。この事、こ度に関わる深因なるゆえ覚えおきくれよ。後に解かるぞよ。
 今、最期の時。彼等の企み、彼等の申すとうり九分九厘成功しておるのぞ。彼等の企み最も鮮やかに花開きたるは日本なるぞ。汝、気付かぬか。日本の人民様見てご戯れ、上から下まで見てご戯れ。彼等の言うた〈自ら思考する事の出来ぬ〉人民様や〈欲望のままに生くる〉人民様ばかりの世になりなりておろうが。ここそ『あやま知』に見事にはめられし果ぞ。実ぞ。証ぞ。破滅の花でありたのじゃ。
 破滅の花はこわいぞ。欲心の種何処ともなく寄り付きて汝に芽吹くが由なるぞ。これ大事なことぞ。汝『あやま知』にどぷりと囚われておるが由、関わり無きと申すなれど、汝の持ちたる衣の糸引いて見て下されよ。食の糸引いて見て下されよ。住の糸引いて見て下されよ。衣食住その糸引きたる先見れば、商人がいるであろうが。更に引きたる先見れば工場見えるであろうが、農場見えるであろうが。さてその先に、汝何を認めしか。汝等日々ほとんど省みし事なきが、そは資源ぞ。汝等の創りたりえぬモノぞ。天恵ぞ。水ぞ。油ぞ。食物ぞ。鉱物ぞ。森林ぞ。海洋ぞ。地球ぞ。すべてのすべて神なるぞ。
 汝等この天恵なくば一日たりとも生きてはおれんのぞ。されば汝等一人一人にその糸集まりきておろうが。されど汝等、自然とあまりにも隔たされ過ぎたるが由に衣食住の本義忘れ、ただただ『あやま知』たる衣食住むさぼり生くるようになりてしもうたのじゃ。食えば食ほどゼイに入り、着買え着捨つる狂り返し、住むに不自然作り上げ怪適かなえる物集み、『あやま知』病みたる欲望の糸引く勢い増しに増し、『我善し』消費の限り尽く。引かれし糸の先見れば、ワガ国ばかりか他国まで天恵むさぼり略奪の汚名頂く様となる。三千年の策略に、まんまとはまりし由なれど、成せしは汝の罪なるぞ。天恵とられし国々は、衣食貧しく住難く、辛き思いの国なるぞ。物心飢餓の国作り、地球の環境悪化させ、騒ぎ起きれば人ごとの、援助、援助と騒ぎ立て、汝の成せしは自覚無く『あやま知』たてたる援助にて、金出し、口出し、手を出して自国ばかりか他国まで利権むさぼり食い尽くし。『あやま知』散々ばらまきて、山死ぬ海死ぬ心死ぬ、貧富逆巻く悪き世にさせたが日本の罪なるぞ。寝ぼけマナコに在りては危ういぞ。こ度の大変、悪神は日本の人民様餌食に致してやり通す、申す声聞こえんか。これより日本を世界の悪者に成す仕組み、どんどん表に顕れ来るぞ。出て来てから騒ぐなれど後の祭りじゃ。真釣りは真先でなくてはならんのじゃ。これで少しは解かりたか。
 汝、外に悪認めしと申すなれど、悪現われたる元見れば、汝の手元に結ぶのぞ。汝の集めしその糸は『我善し』汝のご都合に合わせ作らる欲糸ぞ。『あやま知』生みたる悪の糸。汝の育む欲糸じゃ。汝の厭う原子力、背後で育む悪親は『あやま知』病みたる汝等の『我善し』使うる電力のひたすら消費が真の親ぞ。汝等、悪滅っせんと申すなれど、握りた糸切ったかや。汝等欲糸引かずば悪育たず。生ぜず。自ら滅するの他無きであろうが。糸切りて滅びる産業、悪の業と知る時ぞ。慘業でありたのじゃ。滅びる他に無きものでありたのじゃ。お役目終わりぞ。」

Posted on 2018/05/17 Thu. 22:33 [edit]

category: まわりうた

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17

まわりうた 

きしひきし うらのさくいの
  ひのもとも のひのいくさの らうしきひしき

(旗幟引きし 裏の作意の 日の本も 野火の戦の 牢死厳しき)

解説

旗幟(きし)は「旗とのぼり。旗じるし。」「表立って示す立場・態度。」、作意は「機転。工夫。」「意志。たくらみ。」、野火(のび)は「小説。大岡昇平作。1952年(昭和27)刊。フィリピンのレイテ島に上陸した日本軍兵士の、人肉を食うまでに追いつめられた極限状態の心理を、精神の平衡を失った兵士の手記として描く。」「野山の不審火。」、牢死(ろうし)は「牢屋に入れられ、そこで死ぬこと。獄死。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「常闇ノ皇」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ふと湧いて来た歌です。

こういう内容の物が出て来てしまったことに自分でも驚いている。ちょっと疲れているのかもしれない。

内容がよくわからないので、ひとつ解釈を試みようかと思う。

「旗幟」は旗じるしの意味だが、旗と言えばオリンピックを連想する。

調べてみると1940年に一度、東京オリンピックは中止になっているのだそうだ。

目下の状況を見てみると、当時の歴史の流れと一致する部分(関東大震災~治安維持法成立~日中戦争勃発~第二次世界大戦)があり、今回も同じ経緯をたどる可能性が見え隠れする。(ちなみに第二次世界大戦は1939年~1945年。日本の参戦は1941年。)

一番危惧すべき点は、来年再来年と日本中がオリンピック開催に向けて盛り上がっていこうとする中、軍靴の音が聞こえて来ることによって、本来オリンピックで体現すべき国の一体感が、戦争によって体現していこうという方向に、国民も国も、まるで催眠術にかかったかのように、一気に流れていくことだ。

そうしていざ戦争になると、おそらく日本の国自体が大きな牢屋のようになって、その時になって海外に逃げようとしても逃げることができない状態になるように思う。または逃げる人は非国民扱いされるなど、外国からの攻撃に加えて、国民同士が争って、仕舞いには殺し合って人肉を奪い合うほどの、壮絶な光景になる恐れもある。

何もかも無料でやりくりするやり方に変えることができれば、無駄な苦しみを出さずに次の世に移行できると思うのだが、一旦何もかも潰れないことには、このやり方は出て来ないのだろうか……。

今の世の中、ネットもSNSも発達しているので、何もかも無料でやりくりするという「型」を、たとえ一つでも見せることが出来れば、このやり方が全人類を第三次世界大戦の危機から救い、また恒久的な幸せを産みだせることも出来る、ということも周りに容易に理解されて、そのやり方があっという間に世界中に広がっていき、最後は大団円になるようにも思うのだが、どうだろうか。

日月神示に「念が新しき武器」という記述があって、これまではよくわからず首を捻っていたが、それはこのことではないか、と今では思う次第である。

思うに、戦いや争いというものは、個人単位にせよ国単位にせよ、もともとそれぞれの「利益」(自分は損したくない/今ある権利を手放したくない)の衝突から生ずるように思う。

突き詰めれば、自分の生存が危ぶまれる恐れがあるゆえに、戦い争うわけである。

しかし何もかも無料にすれば、誰もがその恩恵にあずかれるので、争いようがなくなるのだ。それは個人同士でも国同士でも変わらない。

ただ、こう言うと、何もかも無料にすれば誰も働かなくなるのではないか、との意見を持つ人もあるかもしれないが、そう思う人は下記歌のURLを参照して頂ければと思います。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

日月神示参照。

『同じこと二度くり返す仕組ざぞ、この事よく腹に入れておいて下されよ。同じこと二度、この神示 神と仏のふで。』(青葉の巻 第七帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』(日月の巻 第二十二帖)

『またたきの間に天地引繰り返る様な大騒動が出来るから、くどう気つけてゐるのざ、さあといふ時になりてからでは間に合はんぞ、用意なされよ。戦の手伝ひ位なら、どんな神でも出来るのざが、この世の大洗濯は、われよしの神ではよう出来んぞ。この方は元のままの身体(からだ)持ちてゐるのざから、いざとなれば何んなことでもして見せるぞ。仮名ばかりの神示と申して馬鹿にする臣民も出て来るが、仕まひにはその仮名に頭下げて来ねばならんぞ、かなとは◎(カミ)の七(ナ)ぞ、神の言葉ぞ。今の上の臣民、自分で世の中のことやりてゐるように思うているが、みな神がばかして使ってゐるのに気づかんか、気の毒なお役も出て来るから、早う改心して呉れよ。年寄や女や盲、聾ばかりになりても、まだ戦やめず、神の国の人だねの無くなるところまで、やりぬく悪の仕組もう見て居れんから、神はいよいよ奥の手出すから、奥の手出したら、今の臣民ではようこたえんから、身魂くもりてゐるから、それでは虻蜂取らずざから、早う改心せよと申してゐるのぞ、このことよく心得て下されよ、神せけるぞ。』(下つ巻 第二十八帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『今度の御用は世におちて苦労に苦労した臣民でないと中々につとまらんぞ、神も長らく世におちて苦労に苦労かさねてゐたのざが、時節到来して、天晴(あっぱれ)世に出て来たのざぞ、因縁のミタマ世におちてゐるぞと申してあろがな、外国好きの臣民、今に大き息も出来んことになるのざぞ、覚悟はよいか、改心次第で其の時からよき方に廻してやるぞ。改心と申して、人間の前で懺悔するのは神国のやり方ではないぞ、人の前で懺悔するのは神きづつけることになると心得よ、神の御前にこそ懺悔せよ、懺悔の悪きコトに倍した、よきコトタマのれよ、コト高くあげよ、富士晴れる迄コト高くあげてくれよ、そのコトに神うつりて、何んな手柄でも立てさせて、万劫末代名の残る様にしてやるぞ。この仕組判りたら上の臣民、逆立ちしておわびに来るなれど、其の時ではもう間に合はんから くどう気付けてゐるのざぞ。臣民、かわいから嫌がられても、此の方申すのざ。悪と思ふことに善あり、善と思ふ事も悪多いと知らしてあろがな、このことよく心得ておけよ、悪の世になってゐるのざから、マコトの神さへ悪に巻込まれて御座る程、知らず知らずに悪になりてゐるのざから、今度の世の乱れと申すものは、五度の岩戸しめざから見当とれん、臣民に判らんのは無理ないなれど、それ判りて貰はんと結構な御用つとまらんのざぞ、時が来たら、われがわれの口でわれが白状する様になりて来るぞ、神の臣民はづかしない様にして呉れよ、臣民はづかしことは、神はづかしのざぞ。愈々善と悪のかわりめであるから、悪神暴れるから巻込まれぬ様に褌しめて、この神示よんで、神の心くみとって御用大切になされよ。』(磐戸の巻 第十八帖)

『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。』(水の巻 第十四帖)

『一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用 事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程 悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民 可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、青氣(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、松心となれよ、何時も変らん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。』(雨の巻 第十四帖 青氣は原文では「青+氣」の一文字漢字の形)

『富士は晴れたり日本晴れ。◎の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。』(日月の巻 第一帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。』(梅の巻 第十四帖)

『神の国は神の肉体ぞと申してあるが、いざとなれば、お土も、草も、木も、何でも人民の食物となる様に出来てゐるのざぞ。何でも肉体となるのざぞ。なるようにせんからならんのざぞ。それで外国の悪神が神の国が慾しくてならんのざ。神の国より広い肥えた国 幾らでもあるのに、神の国が欲しいは、誠の元の国、根の国、物のなる国、元の気の元の国、力の元の国、光の国、真中(まなか)の国であるからぞ、何も彼も、神の国に向って集まる様になってゐるのざぞ。神の昔の世は、そうなってゐたのざぞ。磁石も神の国に向く様になるぞ。北よくなるぞ。神の国おろがむ様になるのざぞ。どこからでもおろがめるのざぞ。おのづから頭さがるのざぞ。海の水がシメであるぞ。鳥居であるぞと申してあろうが、シメて神を押し込めてゐたのであるぞ。人民 知らず知らずに罪犯してゐたのざぞ。毎日、日日(ひにち)お詫(わび)せよと申してあらうが、シメて島国日本としてゐたのざぞ、よき世となったら、身体(からだ)も大きくなるぞ。命も長くなるぞ。今しばらくざから、辛抱してくれよ。食物心配するでないぞ。油断するでないぞ。皆の者喜ばせよ。その喜びは、喜事(よろこびごと)となって天地のキとなって、そなたに万倍となって返って来るのざぞ。よろこびいくらでも生まれるぞ。』(夜明けの巻 第二帖)

『わからんミタマも今迄は機嫌取って引張りて来たなれど、もう機嫌取りは御免ぢゃ。こんなことに長う掛かりてゐたなら実地が遅れるから、ひときりにいたすぞ。神代となれば天は近くなるぞ、神人共にと申してあらうがな。一人となりても、神の申す事ならば、ついて来る者が誠の者ざぞ、誠の者少しでも今度の仕組は成就するのざぞ、人は沢山には要らんのざぞ。信者引張ってくれるなよ。道は伝へて下されと申してあらうがな。竜宮の乙姫殿のお宝、誰にも判るまいがな。びっくり箱の一つであるぞ。キT(た)がよくなる、キたが光るぞ、きT(た)が一番によくなると申してあること段々に判りて来るのざぞ。これ程に申してもまだ疑ふ人民 沢山あるなれど、神も人民さんには一目置くのぞ、閉口ぞ、よくもまあ曇ったものぢゃなあ、疑ふなら今一度 我でやって見よれ、それもよいぞ、あちらこちらにグレングレンとどうにもならんのざぞ、人民には見当取れん大きな大きな大望ざから、その型だけでよいからと申してゐるのぢゃ、型して下されよ。改心の見込ついたら、世の元からの生神が、おのおのにタマ入れてやるから、力添へ致してやるから、せめてそこまで磨いて下されよ。悪はのびるのも早いが、枯れるのも早いぞ。いざとなればポキンぞ。花のまま枯れるのもあるぞ。』(岩の巻 第十帖)

『いくさは善にもあり、悪にもあり、右には右の、左には左の、上には上の、下には下の、中には中の、外には外のいくさあるぞ。新しき御代が到来しても いくさはなくならん。いくさも歩みぞ。弥栄ぞ。ぢゃと申して今のような外道のいくさでないぞ。人殺し、生命殺すようないくさは外道。やればやる程はげしくなるぞ。正道のいくさは人を生かすいくさ、やればやるほど進むのぢゃ。今の人民いくさと申せば、人の殺し合ひと早合点するが、それは外道のいくさ。天国へのいくさもあるぞ。幽界へのいくさもあるぞ。人民の云ふ今のいくさ、今の武器は、人殺す外道の道、それではならんのう。外道なくして下されよ。外道はないのであるから、外道 抱き参らせて、正道に引き入れて下されよ。新しき霊界は神人(カミヒト)共でつくり出されるのざ。それは大いなる喜びであるからぞ。神のみ旨であるからぞ。新しき世はあけてゐるぞ。夜明ければヤミはなくなるぞ。新しきカタはこの中からぞ。日本からぞ。日本よくならねば世界はよくならん。外道の武器すてよ。外道の武器生かして、活かして、いのちを生かす弥栄の武器とせよ。かへられるでないか。』(春の巻 第四十二帖)

『与へよ、与へよ、与へよ、与へる政治と申してあろうが。戦争か平和かと人民申してゐるなれど、道はその二つでないぞ、三が道と、くどう申してあろう。水の外道の武器と火の外道の武器の他に、新しき武器気づかんのか。神示よく読めば示してあるのであるぞ。ほかに道ないと きめてかかるから判らんのざ。生れ赤児になれば判るぞ。知らしてやりたいなれど、知らして判るのでは自分のものとならん。自分が体得し、自分から湧き出ねば自分のものでないぞ。つけ焼刃は危ない、危ない。気狂ひに刃物ぞ。平面的考え、平面生活から立体に入れと申してあろうがな。神人共にとけ合ふことぞ。外道でない善と悪ととけ合ふのぞ。善のみで善ならず。悪のみで悪ならず。外道は夜明けくれば消えて了ふぞ。夜明けの御用大切と申してあろうが。外道の悪 殺すでないぞ。抱き参らすから消えるのであるぞ。』(春の巻 第四十三帖)

『今の武器は幽界の裏打ちあるぞ。神界の裏打ちある武器でなくてはならん。まことの武器ぞ。ヒックリであるぞ。念からつくり出せよ。その念のもとをつくれば、神から力を与へるから、この世の力と現はれるぞ。念の凸凹から出た幽界を抱き参らさねばならんのざ。中々の御苦労であるなれど、幽界を神界の一部に、力にまで引きよせねばならん。』(春の巻 第四十六帖)

『念が新しき武器であるぞ。それでは人民まわりくどいと申すであろうなれど。ものごとには順と時あるぞ。もとのキから改めて下されよ。尊き御役。』(春の巻 第四十七帖)

『念なりと、今の人民申す思想はマコトの念でないぞ。思想は思想ぞ。念とは力であるぞ。実在であるぞ。喜びであるぞ。喜びは神ぞ。弥栄。』(春の巻 第四十八帖)

『念入れかへるぞ。念入れかへるとは、新しき霊界つくることぞ。新しき霊界つくるとは、太神の真中にとけ入ることぞ。』(春の巻 第四十四帖)

『大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。 それより他に人民の得心出来る道はないと申してゐるが、道はいくらでもあるぞ。人民の申してゐるのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にアヤなせば弥栄えて真実の道が判るのぢゃ。ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。(十二月二十五日) 神はうそつきぢゃと人民申しても、悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。もう、ものばかりでは治まらんこと、キンでは治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よく判ってゐるのにカブトぬげん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ。よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。 区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。 人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。 空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。 奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。 奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。』(月光の巻 第七帖)

『よき神にはよき御用、悪き神には悪き御用、自分で自分がつとめあげるのぢゃ、人になんと云はれても腹の立つ様では御用六ヶ敷いぞ、腹立つのは慢心ぢゃと申してあろがな。仕組途中でグレンと変り、カラリと変る仕組してあるのぢゃ、其処に一厘の仕組、火水の仕組、富士と鳴門の仕組、結構々々大切致してあるのぢゃ。仕組変り変りて人民には判らんなり、よき世と致すのぢゃ、いくら智あっても人間心では出来ん仕組ぞ、智捨てて神にすがりて来ねば分らん仕組ぢゃ、と云ふて人間世界は人間の智いるのぢゃ、智でない智を神が与へるぞ、神人共にと申してあろがな、つとめ上げたら他にない結構な御用。』(青葉の巻 第十帖)

Posted on 2018/05/15 Tue. 17:19 [edit]

category: まわりうた

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15

まわりうた 

なかきよの ひかりかなつの
  しほかせか ほしのつなかり かひのよきかな

(永き代の 光が夏の 潮風が 星の繋がり 加被の良きかな)

解説

潮風は「海から吹く塩けを含んだ風。」、加被(かび)は「仏・菩薩・神が慈悲の力を加えて衆生を助け、願いをかなえること。加護。被護。加持。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、「秘密のたからばこ」という本の内容をモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の中の「星」は、夜に瞬く星、或いはこの地球を指しているものと思われる。

最近、自称救世主の人が書いた「秘密のたからばこ」という本を読み始めているのだが、中々おもしろい。

この人が本当に救世主なのか、或いは一風変わった新手の新興宗教の類なのか、私にはちょっと判断し切れない部分があるが、いろんな意味でぶっとんでいる内容と、恋愛小説のようなほろ苦さと、時折みせる作者の詩的な表現が、微妙なコントラストを見せて、不思議な心地にさせられる。

ただ、一つ気になったのは、作者のブログやそれを応援する人々のツイッターを見てみると、選民思想や優生思想がちらっと見え隠れすることだ。そこだけは、若干違和感を覚えた。

作者はたぶん、そういう思想から言葉を発しているのではないのだろう、とは思うが、少なくとも周りの一部の人たちはそう受け取ってしまって、舞い上がっている感じは受ける。(自分たちは選ばれた者たちなんだ、自分たちこそが優秀な魂の持ち主なんだ、と)

あと応援ツイッターでは、日月神示も引き合いに出されていたが、自分から見ると、内容が正確でないっぽい箇所もあったので、そこは残念だった。(まあ、解釈の違い、と言えばそれまでだが、ん? そこは違うんじゃないか? どこでどう解釈したら、その内容になるんだ? と思う所があった。確かに、作者の予言には日月神示とリンクしていると思われる部分がある、ということも、また事実ではあるが。)

まあ何にせよ、大難を小難にして、早く弥勒の世にしたいものである。

Posted on 2018/05/12 Sat. 10:14 [edit]

category: まわりうた

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12

まわりうた 

ちのこくの ちみのよのあけ
  かみのよの みかけあのよの みちのくこのち

(地の獄の 魑魅の夜の明け 神の代の 御影彼の世の 道退く此の地)

解説

魑魅(ちみ)は「‘魍魎魑魅魍魎’(ちみもうりょう)に同じ。」「人の霊魂。たましい。」、影(かげ)は「(日・月・灯火などの)光。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

首都東京を始めとして、他の一部の大都市も二つ三つ核の火でやられて、その攻撃によって起こる原発事故をも含む死の灰によって皆被ばくさせられ、京都や奈良などの国宝級の神社仏閣も軒並み壊されるなど、その事変が起こって数年の内に、全ての日本人の7割以上が殺され、後に残るのは女子供や障がい者ばかりの中、今日食べる食料すらも尽きた我々日本人は、既に乍らく続いている内部被曝によって脳神経がやられた同胞の日本人によって、いよいよ共喰いをはじめるようになり、獣同然のあり様となって、他人の物を略奪したり、治安が全く機能していないことを良いことに、女子供を強姦し、また年寄りは皆、お前らが馬鹿ばっかりやってきたから日本がこんな状態になったんだ、とリンチされ、なぶり殺されていって、後に残った獣同然の人々も困窮する中で、衣食住全てが無くなった所から、いよいよ日本人同胞を殺し合ってその人肉を食べる、という所までいく中で、ここぞと言わんばかりに、複数の外国の軍勢が北から南から本土上陸してきて、残った人々も皆、外国に強制収容され、日本の領土は全て、複数の外国の領土に様変わりして分断される、というようなことが日月神示に書かれているが、それは本当に勘弁してもらいたい……。

そうならないように少しでも早く、何もかも無料の世の中になることを望むばかりである。

下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

日月神示参照。

『神の国八つ裂きと申してあることいよいよ近づいたぞ、八つの国一つになりて神の国に攻めて来るぞ。目さめたらその日の生命(いのち)おあづかりしたのざぞ、神の肉体、神の生命 大切せよ。神の国は神の力でないと治まったことないぞ、神第一ぞ、いつまで仏や基(キリスト)や色々なものにこだはってゐるのぞ。出雲の神様 大切にありがたくお祀りせよ、尊い神様ぞ。天つ神、国つ神、みなの神々様に御礼申せよ、まつろひて下されよ、結構な恐い世となりて釆たぞ、上下ぐれんぞ。』(地つ巻 第六帖)

『いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。』(上つ巻 第十一帖)

『あらしの中の捨小舟ぞ、どこへ行くやら行かすやら、船頭さんにも分かるまい、メリカ、キリスは花道で、味方と思うた国々も、一つになりて攻めて来る、梶(かじ)も櫂(かい)さへ折れた舟、何うすることもなくなくに、苦しい時の神頼み、それでは神も手が出せぬ、腐りたものは腐らして肥料になりと思へども、肥料にさへもならぬもの、沢山出来て居らうがな、北から攻めて来るときが、この世の終り始めなり、天にお日様一つでないぞ、二つ三つ四つ出て来たら、この世の終りと思へかし、この世の終りは神国の始めと思へ臣民よ、神々様にも知らすぞよ、神はいつでもかかれるぞ、人の用意をいそぐぞよ。』(富士の巻 第十六帖)

『神の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。』(富士の巻 第二十七帖)

『知恵でも学問でも、今度は金積んでも何うにもならんことになるから、さうなりたら神をたよるより他に手はなくなるから、さうなりてから助けて呉れと申しても間に合わんぞ、イシヤの仕組にかかりて、まだ目さめん臣民ばかり。日本精神と申して仏教の精神や基督教の精神ばかりぞ。今度は神があるか、ないかを、ハッキリと神力みせてイシヤも改心さすのぞ。神の国のお土に悪を渡らすことならんのであるが、悪の神わたりて来てゐるから、いつか悪の鬼ども上がるも知れんぞ。神の国ぞと口先ばかりで申してゐるが、心の内は幽界人(がいこくじん)沢山あるぞ。富士から流れ出た川には、それぞれ名前の附いてゐる石置いてあるから縁ある人は一つづつ拾ひて来いよ、お山まで行けぬ人は、その川で拾ふて来い、みたま入れて守りの石と致してやるぞ。これまでに申しても疑ふ臣民あるが、うその事なら、こんなに、くどうは申さんぞ。因縁の身魂には神から石与へて守護神の名つけてやるぞ。江戸が元のすすき原になる日近づいたぞ。てん四様を都に移さなならん時来たぞ。江戸には人住めん様な時が一度は来るのぞ。前のやうな世が来ると思うてゐたら大間違ひぞ。江戸の仕組すみたらカイの御用あるぞ。いまにさびしくなりて来るぞ。この道栄えて世界の臣民みなたづねて来るやうになるぞ。』(下つ巻 第十六帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』(日月の巻 第二十二帖)

『人の上の人、みな臭い飯食ふこと出来るから、今から知らして置くから気をつけて呉れよ。お宮も一時は無くなる様になるから、その時は、みがけた人が神のお宮ぞ。早う身魂みがいておけよ、お宮まで外国のアクに壊されるやうになるぞ。早くせねば間に合わんことぞ、ひつくのか三。』(上つ巻 第三十七帖)

『お宮も土足にされる時が来る、おかげ落さん様に気付けよ。勲章も何んにもならん時が来る、まこと一つに頼れ人々。』(水の巻 第四帖)

『大きアジアの国々や、島々八十(やそ)の人々と、手握り合ひ神国の、光り輝く時来しと、皆喜びて三千年、神の御業(みわざ)の時来しと、思へる時ぞ神国の、まこと危なき時なるぞ、夜半に嵐のどっと吹く、どうすることもなくなくに、手足縛られ縄付けて、神の御子等を連れ去られ、後には老人(としより)不具者(かたわ)のみ、女子供もひと時は、神の御子たる人々は、悉々暗い臭い屋に、暮さなならん時来るぞ、宮は潰され御文(みふみ)皆、火にかけられて灰となる、この世の終り近づきぬ。この神示(ふで)心に入れ呉れと、申してある事わかる時、愈々間近になりたぞよ。出掛けた船ぞ、褌締めよ。』(日月の巻 第三十八帖)

『神の国を、足の踏むところない迄にけがして仕舞ふてゐるが、それで神力は出ぬぞ。臣民無くなるぞ。残る臣民 三分むつかしいぞ。三分と思へども、二分であるぞ。邪魔せん様に、分らん臣民 見物して御座れ。ここまで知らして眼覚めん臣民なら手引いて見てゐて御座れ。見事仕上げて見せるぞ。雀ちうちう烏かうかう。』(松の巻 第二帖)

『今度の戦で何もかも埒ついて仕まふ様に思うてゐるが、それが大きな取違ひぞ、なかなかそんなチョロッコイことではないぞ、今度の戦で埒つく位なら、臣民でも致すぞ。今に戦も出来ない、動くことも引くことも、進むことも何うすることも出来んことになりて、臣民は神がこの世にないものといふ様になるぞ、それからが、いよいよ正念場ぞ、まことの神の民と獣とをハッキリするのはそれからぞ。戦出来る間はまだ神の申すこときかんぞ、戦出来ぬ様になりて、始めて分かるのぞ、神の申すこと、ちっとも違はんぞ、間違ひのことなら、こんなにくどうは申さんぞ。神は気(け)もない時から知らしてあるから、いつ岩戸が開けるかと云ふことも、この神示(ふで)よく読めば分かる様にしてあるのぞ、改心が第一ぞ。』(下つ巻 第二十五帖)

『牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、一度 神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ、八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。』(天つ巻 第五帖)

『三千年の昔に返すと申してあらうがな。よい御用いたす身霊(みたま)ほど苦労さしてあるのぢゃ。他から見ては、わからんなれど、苦労に苦労さして、生き変り、死に変り、鍛へに鍛へてあるのぢゃぞ。肉体の苦労も霊の苦労も、どちらの苦労にも、まけん人民臣民でないと、眼先のことで、グレングレンと引繰りかへりて、あわてふためく様なことでは、どんな事あっても、びくともせん、ミタマでないと、御用六ヶ敷いぞ。こんどの苦の花は真理(ふじ)に咲くのみざぞ。不二に九(こ)の花咲くや媛(ひめ)まつれと申してあるが、九(こ)の花、おのもおのもの心の富士にも咲くのざぞ。九(こ)の花咲けば、此の世に出来んことないぞ。まことの@かかりぞ。この先もう建替出来んギリギリの今度の大建替ぢゃ。愈々の建替ざから、もとの神代よりも、も一つキの光輝く世とするのぢゃから、中々に大層ざぞ。人民 苦しからうが、先楽しみに御用見事つとめ上げて下されよ。二つづつある神様を一つにするのであるから、嘘偽(うそいつわり)ちっともならんのぢゃ。少しでも嘘偽あったら、曇りあったら、神の国に住めんことになるのざぞ。途中から出来た道では今度と云ふ今度は間に合はんのざぞ。根本からの道でないと、今度は根本からの建直しで末代続くのぢゃから間に合はん道理わかるであらうがな。われの国同士の戦 始まるのぢゃ。この戦、神は眼あけて見ておれんなれど、これも道筋ぢゃから、人民にも見て居られんのぢゃが、友喰ひと申して知らしてあらうが。この方等が天地自由にするのぢゃ。元のキの道にして、あたらしき、キの光の道つくるのぢゃ。あらたぬし、世にするのぢゃと申してあること愈々ざ、人民、臣民 勇んでやりて下され。神々様 守護神どの、勇め勇め。』(岩の巻 第二帖 @は原文では「渦巻き」の形)

『山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所 愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。』(キの巻 第十帖)

『元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民 取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。』(上つ巻 第三十六帖)

『この方 カの神と現はれるぞ、サの神と現はれるぞ、タの神と現はれるぞ、ナの神と現はれるぞ、ハマの神と現はれるぞ。ヤラワの神と現われたら、人間 眼明けて居れん事になるぞ、さあ今の内に神徳積んでおかんと八分通りは獣の人民となるのざから、二股膏薬ではキリキリ舞するぞ、キリキリ二股多いぞ。獣となれば、同胞(はらから)食ふ事あるぞ。気付けておくぞ。』(夜明けの巻 第四帖)

『神の智と学の智とは始は紙一重であるが、先に行く程ンプ出来て来て天地の差となるぞ、◎の神の薬のやり方 悪の神の毒のやり方となるぞ、神の御用が人の御用ぞ、人の御用が神の御用であるなれど、今の臣民 神の御用するのと人の御用するのと二つに分けてゐるが、見苦しき者にはこれからは御用致させん事にきまりたから気付けておくぞ、何事も順正しくやりて下されよ、神は順であるぞ、順乱れた所には神の能(はたらき)現はれんぞ。何もせんでゐて、よき事許り持ちてゐると物事後戻りになるぞ、神の道には後戻りないと申してあろがな、心得なされよ、一(ハジメ)の火 消へてゐるでないか、まだ判らんか、都会へ都会へと人間の作った火に集まる蛾(が)の様な心では今度の御用出来はせんぞ、表面(うわつら)飾りてまことのない教への所へは人集まるなれど、誠の道伝へる所へは臣民なかなか集まらんぞ、見て御座れよ、幾ら人少なくても見事なこと致して御目にかけるぞ、縁ある者は一時に神が引寄せると申してあろがな、人間心で心配致して呉れるなよ。目眩(めまひ)する人も出来るぞ、ふんのびる人も沢山に出来て来るぞ。行けども行けども白骨許りと申してあろがな、今のどさくさにまぎれて悪魔はまだえらい仕組致して上にあがるなれど、上にあがりきらん内にぐれんぞ、せめて三日天下が取れたら見物であるなれど、こうなることは世の元から判ってゐるから もう無茶な事は許さんぞ。軽い者程 上に上に上がって来るぞ、仕組通りなってゐるのざから臣民心配するでないぞ。今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神 キつけておくぞ。人の苦しみ見てそれ見た事かと申す様な守護神に使はれてゐると気の毒出来るぞ、世建替へて先の判る世と致すのぢゃぞ、三エスの神宝(かんだから)と、3S(スリーエス)の神宝とあるぞ、毒と薬でうらはらであるぞ。五と五では力出んぞ、四と六、六と四、三と七、七と三でないと力生れんぞ、力生れるから、カス出来るのざから掃除するのが神の大切な仕事ぞ、人民もカスの掃除する事 大切な御役であるぞ、毒と薬と薬と毒で御座るぞ、搗(つ)きまぜて こねまぜて天晴(あっぱれ)此の世の宝と致す仕組ざぞ、判りたか。一方の3Sより判らんから、人民 何時も悪に落ち込むのぢゃ、此の道は中行く道と申して知らしてあろがな、力余ってならず、力足らんでならず、しかと手握りてじっと待ってゐて下されよ、誠の教ばかりでは何もならんぞ、皆に誠の行(オコナイ)出来んと此の道開けんぞ、理屈申すでないぞ、幾ら理屈立派であっても行(オコナイ)出来ねば悪であるぞ、此の世の事は人民の心次第ぞ。』(雨の巻 第九帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『神の臣民に楽な事になるぞ。理屈無い世にするぞ。理屈は悪と申してあろが、理屈ない世に致すぞ。理屈くらべのきほひ無くして仕舞ふぞ。人に知れん様によいことつとめと申してあろが。人に知れん様にする好い事 神こころぞ。神のした事になるのざぞ。行けども行けども白骨と申したが、白骨さへなくなる所あるぞ。早よ誠の臣民ばかりで固めて呉れよ。神世の型 出して呉れよ。時、取違へん様に、時、来たぞ。』(夜明けの巻 第七帖)

Posted on 2018/05/07 Mon. 16:35 [edit]

category: まわりうた

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