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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

しらなみの くりかへしきて
  くかねふね かくてきしへか りくのみならし

(白波の 繰り返し来て 黄金舟 斯くて岸辺が 陸のみならし)

解説

黄金(くがね)は「こがね。」、斯くて(かくて)は「前に述べた事柄を受けて、あとの事柄が起こり、あるいは、あとの事柄に移っていくことを表す。こうして。このようにして。かくして。」、ならしは「…であるよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は、攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.+(プラス)の中にある「Some Other Time」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌のイメージとしては、白波が繰り返し黄金の舟を押し流すことで、半ば自動的に岸辺に着き、目の前には見たことも無い新しい大陸が広がっている、というもの。

おそらく陸は離苦(りく)の言葉とかかっていて、一種心の流れを表したものとも解釈できる。白波は知らぬ波、知らない流れの意味で、自我では見ることのできない流れのことか。まあつまりは自我では見ることのできない法(ダルマ)のことかと思われる。よく見れば法は「サンズイ+去」なので、ニュアンスとしてはあながち間違っていないようにも思う。

ダルマについては下記記事参照。

『何がダルマで、何がダルマでないか』(sathya sai organization japanより)
http://www.sathyasai.or.jp/mikotoba/discourses/d_19621005.html

黄金舟の黄金は九が音(くがね)で九つの音を意味し、これは九識、または九星図(魔方陣)と解釈できる。また舟は普根(ふね)で普く根本を表し、おそらく自分または現存の宇宙を指しているものと思われる。岸辺は帰し方(きしべ)で、その自我が知らない流れの先に着く方向、先を表す。どこに着くのかというと、先ほどの九が音(くがね)でも判るように、9の次の10に着く、十(神)の大陸に着くという意味かと思う。

そしてこれは神を100%帰依する心を持った、という意味でもあるのだろう。さらに9は一桁、10は二桁なので、この行き着く大陸は、今までの宇宙の枠組みの根本が変わっている場所と見ることが出来る。そしてこの10は、二桁の宇宙の世界の始まりの場所でもある、ということ。つまり一桁の宇宙、今までの宇宙から見れば10は「1」と「0」としてしか認識できず、0は見えないので、「10」は「1」に見えて、まるで9から1に戻るように、今までの宇宙を1からやり直すように感じるということでもあるように思う。

Posted on 2017/05/24 Wed. 13:41 [edit]

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まわりうた 

なかきよの ひとりよかよみ
  うちのまの ちうみよかより とひのよきかな

(長き夜の 一人余暇余味 内の間の 宙見よか寄り 肚皮の良きかな)

解説

余暇は「仕事の合間のひま。仕事から解放されて自由に使える時間。ひま。」、余味(よみ)は「あとに残っている味わい。あとあじ。」、宙は「大空。天。また、地面から離れた所。空中。空間。」、か寄る(かよる)は「《‘か’は接頭語》寄り添う。一説に、ゆらゆら動く。」、肚皮は「心の中。腹の中。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容は要するに、一人静かに心を鎮めれば、そこに神様が寄り添ってきて平安が広がりますよ、ということかな。

Posted on 2017/05/23 Tue. 21:04 [edit]

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まわりうた 

なかきよの いあてしんかと
  しひのをの ひしとかんして あいのよきかな

(永き代の 射当て真我と 至美の小野 犇と感じて 愛の良きかな)

解説

小野(おの)は「野。野原。」、至美は「たいへん美しいこと。すばらしいこと。また、そのさま。」、犇と(ひしと)は「離れないように、すきまなく密着しているさま。しっかりと。」「すべてにわたるさま。完全に。」「勢いよく打つさま。びしっと。」の意味です。

余談

この歌はアニメ「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」のOPテーマ「inner universe」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

湧いて来たイメージをそのまま書くと、この「至美の小野」に居る感覚は、とんでもなく心地よい。これは自分が美しい野原に居るからではない。むしろ自分は、この野原に溶けて一部になっているためである。だから自分は居るけれども、同時にそこには居らず、野原の一部として野原を見ている。

風がキラキラと煌めいていて、陽射しは適度に心地よく、草の匂いが鼻の奥から頭の奥へと響き渡り絶えない。その香りはまるで心地よい讃美歌のようである。

肌に触れるキラめく風は、まるで百年の友と出会ったかのように親しく感じられ、向こうのほうにどっしりと構えた大きな山は、まるで先人たちが積み上げてきた徳の集大成のようだ。

近くにいる兎などの小動物が動くたび、何かキラキラとしたものが舞っていて、それらが草の匂いと交じり、また私の鼻の奥を通っていく。その香りを嗅ぐと、なぜか兎の記憶が私の脳内に映し出され、気が付けば私はその兎となって、過去の体験を一緒に追体験している。

こんな感じで自分が居るような居ないような感じで、よくわからないけれども、ただそれら体験だけは鮮明に映し出される。

たとえるならば、オレンジジュースを飲むにはコップなどの器が必要だが、その器が無いまま飲んでいる感じである。オレンジジュースを飲みたいと思った瞬間、口の中でオレンジ100%の果汁が湧いて出て来て、そのまま飲んでいる感じである。

そしてこの味がとにかくおいしい。何というか、言葉に出来ないほの甘さで、その果汁一滴一滴の中に無数の時の育みと恵みすら感じてしまう。どうも、そのオレンジが成るまでの過程というか、育ってきた環境というか、日とか水とか土とか風とかの恵みを感じてしまうほどに、うっとりしてしまう。

うっとりしすぎてもう、これを飲んでいるの自分が自分なのか、飲まれているオレンジジュースが自分なのか判らないぐらいになっている、といった感じです。

Posted on 2017/05/23 Tue. 20:23 [edit]

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まわりうた 

なかきよの かむくらしとく
  ふしのみの しふくとしらく むかのよきかな

(永き代の 神座至徳 不二のみの 至福と至楽 無価の良きかな)

解説

不二(ふじ)は「二つとないこと。無二。ふに。」「二つに見えるが、実際は一つであること。ふに。」、無価(むか)は「値をはかることができないほど貴重なこと。むげ。」「代価を必要としないこと。ただであること。」の意味です。

雑感

この歌は、来たるべき「与える政治」「日の光の政治」によって、代価を必要としない何もかも無料の社会制度が出来上がる様子を詠ったものです。

下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

意訳

永遠なる神の御座は最上の徳を備えている。それは日の光に代表されるように、皆の為に何もかも与えるのみ、奉仕するのみの御座だからである。

神の子、神の宮たる人も、この御座におさまり、自分の出来る範囲で何もかも奉仕するようになれば、唯一無二の至福と至楽を体験できる。このような精神に基づいて創造される奉仕のみの世界、何もかもが無料の世界、与えることに何の対価を求めない世界は、お金があった世界では到底考えれなかったほどの貴重な世界で、誠に良いなぁ。

日月神示参照。

『もの与へること中々ぢゃ、心してよきに与へねばならんぞ。与へることは頂くことと知らしてあろうが、与へさせて頂く感謝の心がなくてはならん、強く押すと強く、弱く押すと弱くハネ返ってくるぞ。自分のものと言ふもの何一つもないぞ、この事判れば新しき一つの道がわかるぞ。』(五葉の巻 第五帖)

Posted on 2017/05/23 Tue. 17:37 [edit]

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まわりうた 

しかときさ きよきかみのま
  たみのまの みたまのみかき よきさきとかし

(確と帰座 清き神の間 民の間の 身魂の磨き 良き幸と賀詞)

解説

確と(しかと)は「はっきりしているさま。確かであるさま。」「物事を完全に行うさま。しっかりと。かたく。」、帰座(きざ)は「もとの座に帰ること。特に、神などがもとの御座所に帰り鎮座すること。」、幸(さき)は「さいわい。幸福。さち。」、賀詞(がし)は「祝意を表す言葉。祝詞(しゅくし)。賀辞。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

テロ等準備罪法案(いわゆる「共謀罪」法案)が衆院委で可決されたが、この法案は戦前の治安維持法とよく似ているという指摘がある。

ただ治安維持法は個人の思想信条まで踏み込んだのに対し、今回の法案は組織的犯罪行為そのものが対象なので、運用には問題ないという見方もある。

治安維持法の経緯を見てみると、この法律は大正14年に出来たが、昭和16年には、七つあった条文が六十五条にまで拡大して、大幅に改正されている。

今回の法案で、組織的犯罪が正しく取り締まれるようになるのは喜ばしいことであるが、今後日本の国が傾いて、いよいよ倒れるとなった時、この法案が大幅に拡大解釈、または改正がなされ、本来の主旨とは異なった主旨となる恐れがあることは心の片隅に置いていても良いかもしれない。

というのも戦前、昭和10年に大本(教)がこの治安維持法を適応されて、徹底的に破壊されているので、この型が現代に転写する可能性も否定できないからだ。

加えて日月神示にも、これを指したと思われる部分がある。

『人民もの言へんことになると申してありたこと近うなったぞ、手も足も出んこと近づいたぞ、神が致すのでない、人民自身で致すこと判りてくるぞ。人民の学や智では何とも判断出来んことになるぞ。右往左往しても、世界中かけ廻っても何もならんぞ、判らんでも判りた顔せねばならん時が来たぞ、ウソの上ぬり御苦労ぞ、人民がいよいよお手上げと言うことに、世界が行き詰りて神のハタラキが現れるのであるぞ、日本人びっくりぢゃ、日本人はいくらでも生み出されるが日本の国は出来まいがな、身体中、黄金(こがね)に光ってゐるのが国常立大神の、ある活動の時の御姿ぞ、白金(しろがね)は豊雲野大神であるぞ、今の科学では判らん。一万年や三万年の人間の地上的学では判らんこと、国常立大神のこの世の肉体の影が日本列島であるぞ、判らんことがいよいよ判らんことになったであろうが、元の元の元の神の申すことよく聞きわけなされよ、神の学でなければ今度の岩戸はひらけんぞ。』(星座の巻 第四帖)

『エドの仕組すみたらオワリの仕組にかからすぞ。その前に仕組む所あるなれど、今では成就せんから、その時は言葉で知らすぞ。宝持ちくさりにして呉れるなよ、猫に小判になりて呉れるなよ。天地一度に変ると申してあること近づいたぞ、世は持ちきりにはさせんぞよ、息吹(いぶ)き払ひて議論(ろん)なくするぞ、ことなくするぞ、物言はれん時来るぞ、臣民見当とれんことと申してあらうが、上の人つらくなるぞ、頑張りて呉れよ。』(地つ巻 第三十三帖)

『神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言ふ時ぞ。神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てん詞様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんばばかりと申してもあまりでないか。』(地つ巻 第十五帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』(日月の巻 第二十二帖)

『火と水と申してあろがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。火の災(わざわい)あるぞ。水の災あるぞ。火のおかげあるぞ、水の災 気つけよ。火と水 入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。家族幾人居ても金いらぬであろが。主人(あるぢ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型 残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国治まるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民 口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ。でんぐり返るぞ。』(水の巻 第十三帖)

『人民もの言わなくなると申してあろうが、ものが今迄のようにものを言わなくなり、マコトの世となるぞ、天人の言葉はマコトであるから、只一言で万語を伝へ得るぞ。言葉の生命(いのち)は愛であり、真であるから、真愛から発しない言葉はマコトの言葉でないぞ。子音と母音と組み組みて父音の気を入れて始めて言葉となるのぢゃ、今の人民のは言葉でないぞ、日本の古(光)語がマコトの言葉ぞ、言霊ぞ、数霊と倶に弥栄ゆく仕組。』(星座の巻 第十九帖)

大きい声で物が言えなくなる時が来るとはいえ、それもまた大きく見れば神の働きということだろう。改心すれば型は小さくなる、とも書かれてある。

『ツギ、アメノトコタチノミコト、ツギ、クニノトコタチノミコト、ツギ、トヨクモヌノミコトトナリナリテ、アレイデタマイ、ミコトスミキリタマヒキ。 辛酉(かのととり)の日と年はこわい日で、よき日と申してあろがな。九月八日は結構な日ざが、こわい日ざと申して知らしてありた事少しは判りたか。何事も神示通りになりて、せんぐりに出て来るぞ。遅し早しはあるのざぞ。この度は幕の一ぞ。日本の臣民これで戦済む様に申してゐるが、戦はこれからぞ。九、十月八日、十八日は幾らでもあるのざぞ。三月三日、五月五日はよき日ぞ。恐ろしい日ざぞ。今は型であるぞ。改心すれは型小(ち)さくて済むなれど、掃除大きくなるぞ。猫に気付けよ、犬来るぞ。臣民の掃除遅れると段々大きくなるのざぞ。神が表に出ておん働きなされてゐること今度はよく判りたであろがな。◎と神との戦でもあると申してあろがな。戦のまねであるぞ。神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。これからがいよいよの戦となるのざぞ、鉄砲の戦ばかりでないぞ。その日その日の戦烈しくなるぞ、褌締めて呉れよ。』(日月の巻 第十帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『日の大神様は日の御働き、月の大神様は月の御働き、日の大神様も世の末となって来て御神力うすくなりなされてゐるのざぞ、日の大神様も二つ、三つ、自分一人の力では何事もこれからは成就せんぞ、心得なされよ、神示で知らしただけで得心して改心出来れば大難は小難となるのぢゃ、やらねばならん、戦は碁、将棋、位の戦ですむのぢゃ、人民の心次第、行ひ次第で空まで変ると申してあろがな、この道理よく心得なさりて、神の申すこと判らいでも、無理と思ふ事も貫きて下されよ、これがマコトぢゃ。』(青葉の巻 第十六帖)

『富士は晴れたり日本晴れ。◎の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。』(日月の巻 第一帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『一日一日(ひとひひとひ)みことの世となるぞ。神の事いふよりみことないぞ。物云ふなよ。みこと云ふのぞ。みこと神ざぞ。道ぞ。アぞ。世変るのぞ。何もはげしく引上げぞ。戦も引上げぞ。役に不足申すでないぞ。光食へよ。息ざぞ。素盞鳴尊(スサナルノミコト)まつり呉れよ。急ぐぞ。うなばらとはこのくにぞ。』(日月の巻 第二十九帖)

やはり、何もかも神様、てんし様に捧げる日の光のやり方を始めるしか、もはや道は無いように思う。

下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

何もかも無料になれば、もはや犯罪をする意味が無くなるので、テロを起こす必要も無くなるし、大規模な犯罪組織も生まれない。また、テロの予兆を事前に察知するために、そこら中に防犯カメラを置いたり、法律でがんじがらめにする必要も無くなる。

犯罪を取り締まる側も犯す側も、これ以上無駄なイタチごっこをする必要がそもそも無くなり、皆等しく衣食住が保障された上で、嬉し楽しの毎日を送ることができる。

この視点に立てば、犯罪を犯す時間も、またそれを取り締まる労力も、そのどちらも馬鹿馬鹿しくなる。何て無駄なことにエネルギーを浪費していたのだろう、とありありと判る。それどころか、誰一人落とすことなく幸せにできる。果ては動植物、虫まで幸せにできる。

なのでこの社会制度を、まずは日本の国を足場として、いち早く構築することこそが目下の急務である。

そしてこの実現こそが、人の本性が獣ではなく、神であることの何よりの証明となり、またこの三千世界の本当の姿(素型)を拝めるに至る、素盞鳴大神様がどういう神様であるのかを知ることができる、唯一の道であるのだ。

こうして、人類含めた全ての存在が幸せになれる社会システムの完成でもって、この世界を守護する素盞鳴大神様の罪が、実は冤罪(えんざい)であったことに初めて気付くことができるわけである。

晴れてこの道を歩むときには、あらゆる悪がもはや用済みとなり、善一筋の世が来る。といってもこれは、善が悪を懲罰して消えていくわけではない。犯罪を起こす者が居なければ必然的に警察がいらないように、この地上に永遠の平和があれば軍隊がいらないように、悪は自然と消えていくのだ。

だからこの善一筋というのは、悪に対しての善の意味に留まらず、是(ぜ)をゴクンと呑み込む、という意味のゼ・ンでもあるわけだ。つまり、全てを是として呑み込める至福の状態でもあると解釈できる。

是は「旦+止」であるが、「日+正」にも見える。思いつくままに書くと、これは旦(=夜明け)の止め(とどめ)、また日(=ひ=霊)が正しい、の意味に受け取れる。

旦は「日(太陽)+一(地平線)」なので、これは天と地をおさめる二神、即ち天照大御神様と素盞鳴大神様の同時顕現になる止め(とどめ)であり、また過去・現在・未来全ての一日一日が正しい、つまりどの時間軸で見ても全て正しい、という意味になる。もちろんどの時間軸で見ても正しい状態であれば、どの空間軸で見ても正しいとなる。

アニメ「おもひでぽろぽろ」のワンシーンではないが、夜明け方、自分の作業なり何なりを止めて、昇る太陽に向かってしばし拝むように、この世界の全ての何もかも、またどの人もALL OKとなる、という状況を表しているように思う。

Posted on 2017/05/22 Mon. 15:17 [edit]

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