10 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.» 12

花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよの ねむりてかみの
  きおくとく おきのみかてり むねのよきかな

(長き夜の 眠りて神の 記憶解く 沖の海が照り 胸の良きかな)

解説

海(み)は「〔‘うみ’の‘う’が脱落した形〕 うみ。」の意味です。

余談

この歌は、「NEON GENESIS EVANGELION [DECADE] Soundtrack」の中にある「心よ原始に戻れ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/11/24 Fri. 19:02 [edit]

category: まわりうた

TB: 0    CM: 0

24

まわりうた 

よのくろみ きひへひあくま
  かいしんし いかまくあひへ ひきみろくのよ

(世の黒み 鬼魅蛇悪魔 改心し 以下幕間へ 引き弥勒の世)

解説

鬼魅(きび)は「鬼とばけもの。妖怪変化(ようかいへんげ)。きみ。」、改心は「今までの行いを反省し、心を改めること。改悛(かいしゅん)。」、幕間(まくあい)は「演劇で、一幕が終わって、次の一幕が始まるまでの間。舞台に幕が下りている間。」の意味です。

雑感

下記記事によると、地球の自転が速度低下を起こしているらしい。

『「地球の回転が《謎の速度低下》を起こしている」 :アメリカ地質学会の衝撃的な発表。そして来年、大規模地震の発生数は大幅に上昇するという予測も公開』(in deepさん)
https://indeep.jp/earth-rotation-mysteriously-slowing-down-and-earthquakes-must-increase/

そして、速度が低下していくと地震が大幅に増えるらしいのだが、下記記事によると、まあいわゆるポールシフトのような現象が起こって、大津波が世界中に押し寄せて来るそうなのだ。

『ピタゴラスとゾロアスター』(「サイババが帰ってくるよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/3a9f7f8e9d272dd98e820939f7761563

『大艱難のメカニズム』(「サイババが帰って来るよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/ad85726ff674449ed2985f078e563691

『最後の大津波とアボリジニ伝説』(「サイババが帰って来るよ」さん)
http://blog.goo.ne.jp/saiponics/e/4c1bd26fcde9b080b9a1132e1a653a1c

ということで、いよいよ、この世の幕引きが迫って来る兆しが見え始めているように思う。

出来得れば、いち早く、自らの中の鬼魅蛇悪魔を改心させておきたいものです。

おまけ。

『もしも地球の自転が止まったら?』(you tubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=p0HowKZm78Y

Posted on 2017/11/23 Thu. 14:17 [edit]

category: まわりうた

TB: 0    CM: 0

23

まわりうた 

なかきよも のとかなるみの
  しあはせは あしのみるなか とのもよきかな

(長き四方 長閑なる身の 幸せは 葦の見る中 外の面良きかな)

解説

四方は「東西南北の四つの方角。」「周囲。」、長閑は「(外界の状態が)穏やかで、のびのびと気持ちよく過ごせるようなさま。」「天気がよく、穏やかなさま。」「心にかかることもなく、落ち着いて、のんびりとしているさま。」「(動作・態度が)落ち着いていてあわてないさま。悠然としたさま。」、葦は「イネ科の多年草。温帯および暖帯に広く分布し、水辺に自生する。地下の長い根茎から高さ2メートル 以上に達する稈かん(茎)を出し、群生する。葉は二列に互生し、ササの葉に似る。秋、ススキに似た大きな穂を出す。稈は簾すだれやよしずにする。‘あし’が‘悪し’に通ずるのを忌んで、「よし」ともいう。ハマオギ。」、外の面(とのも)は「家の外。戸外。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌のニュアンスとしては、のんびりと過ごせる時間は幸せだけれども、特に幸せなのは、葦を見ている時だなぁ、という感じかと思う。

なぜ葦を見ることが幸せなのかというと、たぶんこういうことだ。

日本は古来、豊葦原の瑞穂の国と呼ばれていたが、日本には四季があって、山があり、川があり、森がある。また湿地帯には草木が自然と芽生え、そこには多種多様な動物や昆虫などが寄って来る。

なので、この部分には、自然が自然のままに循環して、共に歓喜弥栄していく、というニュアンスが感じられる。

そういう自然の風景を、穏やかでのんびりした気持ちで見られることが何よりも幸せだなぁ、ということを、この歌は詠っているように思う。

Posted on 2017/11/22 Wed. 12:08 [edit]

category: まわりうた

TB: 0    CM: 0

22

まわりうた 

よきをしへ かみのまたみの
  いつのめの ついのみたまの みかへしをきよ

(良き教へ 神の真民の 伊豆能売の 対の神霊の 見返しを着よ)

解説

真(ま)は「(名詞・形容詞・形容動詞などに付いて)うそいつわりのない、真実の、本当の、などの意を表す。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」、着るは「(罪や恩を)受ける。こうむる。」の意味です。

雑感

伊豆能売(いづのめ)は古事記に出て来る神様のこと。通常は○○神とか、○○命とか、いわゆる神号がついているが、この神様はなぜかついていない。

「対の神霊」は、その時に一緒に生まれた、神直毘神、大直毘神のように思う。

難しいことはよくわからないが、これら神様は禍を直す性質を持っているので、おそらくそういう意味だろう。

どうやって直すのかというと、歌の最後の「見返しを着よ」の部分がヒントになっているようだ。

結論から言うと、省みる(=返り見る)ことが大事だ、と言っているように思う。

日月神示参照。

『省みると道見出し、悟ると道が判り、改むると道進む。苦しむばかりが能ではない。自分の中にあるから近よって来るのであるぞ。厭なこと起って来るのは、厭なことが自分の中にあるからじゃ。肉体は親から受けたのざから親に似てゐるのぞ。霊は神から受けたのざから神に似てゐるぞ。判りた守護神 一日も早く奥山へ出て参りて、神の御用結構。』(黄金の巻 第六十六帖)

またこれは、因果応報を示しているようにも思う。

嫌なことがあった時、我々はつい被害者側に立ってしまうが、因果応報の法則から言えば、それは自分が為したことが返って来ているだけであり、被害者でもなんでもない、ということになる。

だから物事の一切を見て、そこに因果応報の法則を見よ、と言っているのだ。

この世全てが神様が統治しているという視点に立てば、自分が病気になったり、不運な目にあったり、何かの被害がでたりするのは、本来とてもおかしいことで、そういうことが起こるなれば、それは自分に原因がある、ということになる。

なぜなら至誠至愛の神様が、病気にさせたり、不運な目に合わせたりするはずがないからだ。

しかし、そういうことがなぜ起こって来るかというと、そうしないとその人自身が気付けないから起こってくる。

因果応報の法則から言えば、過去その人が加害者であったがゆえに、今被害者となっている、ということになる。

たとえば、物を盗む癖がある人は、盗まれた経験をして初めて、盗まれることが辛い、ということに気付くことができる。そして自分が過去、どういうことをして来たか、ということもわかるわけである。

何か盗まれたその時点で、自分から深く省みることができれば、その人はもう物を盗んだりしないだろう。

物を盗まれたことは辛いが、そこで省みることが出来るならば、後々のことを考えれば、それはそれで良かったこと、と言える。

日月神示参照。

『反対の世界と合流する時、平面の上でやろうとすれば濁るばかりぢゃ、合流するには、立体でやらねばならん、立体となれば反対が反対でなくなるぞ、立体から複立体に、複々立体に、立立体にと申してあろう、漸次(ぜんじ)輪を大きく、広く、深く進めて行かねばならんぞ、それが岩戸ひらきぢゃ、低い世界は戒律なくてはならんぞ、人民の頭で、戒律と秩序、法則をゴッチャにして御座るぞ、平面と立体とをゴッチャにするのと同じ迷ひの道であるぞ、気つけ下されよ。病むことは神から白紙の巻物をもらったことぢゃ、この巻物をどんなに読みとるかによって新しき道がひらけるのぢゃ。神からの巻物おろそかにするでないぞ。』(碧玉の巻 第一帖)

『病むことは神から白紙の手紙を頂いたのぢゃと知らしてあろう。心して読めよ。ありがたき神からの手紙ぞ。おろそかならん。 腹八分、二分は先づささげよ。運ひらけるぞ。病治るぞ。』(月光の巻 第十一帖)

しかし因果応報は何も悪いことだけでなく、良いことも返って来る。その良いことの喜びを知ってほしい、という意味でもあるように思う。

そしてその喜びを通して、初めて天地の大恩というものが判って来るのだ。

『病、ひらくことも、運、ひらくことも、皆 己からぢゃと申してあろう。誰でも、何でもよくなるのが神の道、神の御心ぢゃ。親心ぢゃ。悪くなると云ふことないのぢゃ。迷ひが迷ひ生むぞ。もともと病も不運もない弥栄のみ、喜びのみぢゃ。神がよろこびぢゃから、その生んだもの皆よろこびであるぞ。この道理よくわきまえよ。毎日々々、太陽と共に、太陽について起き上がれよ。その日の仕事、与へられるぞ。仕事いのちと仕へまつれよ。朝寝するからチグハグとなるのぢゃ。不運となるのぢゃ、仕事なくなるのぢゃ。神について行くことが祈りであるぞ。よろこびであるぞ。食物、食べ過ぎるから病になるのぢゃ。不運となるのぢゃ。口から出るもの、入るもの気つけよ。いくさ起るのぢゃ。人間の病や、いくさばかりでない、国は国の、世界は世界の、山も川も海も、みな病となり、不運となってくるぞ。食べないで死ぬことないぞ。食べるから死ぬのぢゃぞ。 一椀をとって先づ神に供へよ。親にささげよ。子にささげよ。腹八分の二分はささげよ。食物こそは神から、親から与へられたものであるぞ。神にささげずにむさぶるからメグリつむのぢゃ。メグリが不運となり、病となるのぢゃぞ。運ひらくのも食物つつしめばよい。言つつしめばよい。腹十分食べてはこぼれる。運はつまってひらけん。この判りきったこと、何故に判らんのぢゃ。 ささげるからこそ頂けるのぢゃ。頂けたらささげると今の人民申してゐるが、それがウラハラと申すもの。衣類も家も土地も、みな神から頂いたのでないぞ。あづけられてゐるのであるぞ。人民に与へられてゐるものは食物だけぢゃ。日のめぐみ、月のめぐみ、地のめぐみだけぢゃぞ。その食物節してこそ、ささげてこそ、運ひらけるのぢゃ。病治るのぢゃ。人民ひぼしにはならん。心配無用。食物、今の半分で足りると申してあらうが。遠くて近いものヒフミの食べ方して見なされよ。運ひらけ、病治ってうれしうれしと輝くぞ。そんなこと位で、病治ったり、運ひらける位なら、人民はこんなに苦しまんと申すが、それが理屈と申すもの。理屈悪と申してあるもの。低い学に囚われたメクラ、ツンボと申すものぞ。 理屈すてよ。すててやって見なされ。みなみな気つかん理(ミチ)、気つかん病になってゐるぞ。ツキモノがたらふく食べてゐることに気づかんのか。食物節すればツキモノ改心するぞ。先づ百日をめあてに、百日過ぎたら一年を、三年つづけたら開運間違ひなし。病もなくなってうれしうれしとなるぞ。三年目、五年目、七年目ぞ、めでたいナア、めでたいナア。』(冬の巻 補帖)

Posted on 2017/11/21 Tue. 15:08 [edit]

category: まわりうた

TB: 0    CM: 0

21

まわりうた 

かみのたみ よとみかきいつ
  いみにはに みいついきかみ とよみたのみか

(神の民 淀みが帰一 斎庭に 御稜威生き神 豊御田の実が)

解説

淀みは「水や空気などが流れずにたまっていること。また、その所。よど。」「底に沈んでたまること。どんより濁ること。」「物事が順調に進まないこと。また、その箇所。」、帰一は「別々の事柄が、同一のものに帰着すること。」、斎(いみ)は「他の語の上に付いて複合語を作り、汚れを清めた、神聖な、などの意を表す。」、御稜威(みいつ)は「‘いつ(厳)’の尊敬語。御威光。御威勢。」、生き神(いきがみ)は「生きている神。人の姿で現れている神。」、豊(とよ)は「助詞‘の’を伴って連体修飾語として用いられるほか、名詞、時に動詞の上に付いて用いられる。物事が豊かである意を表し、褒める意を添える。」、御(み)は「主として和語の名詞に付いて、それが神仏・天皇・貴人など、尊敬すべき人に属するものであることを示し、尊敬の意を添える。」の意味です。

雑感

歌の内容としては、稲を奉納して厳粛に祝う、いわゆる収穫祭の風景が思い起こされる。

大きく解釈すれば、米(神となった人)のその一粒一粒(一人一人)が、余すことなく天帝に奉納されて、共に収穫を祝う祭りとなる、とも見ることできそうだ。

……と書くと、何かイケニエになったような感じでおどろおどろしいが、これは肉体的にではなくて、霊的にという意味であろう。要するに「実るほど 頭を垂れる 稲穂かな」のごとく、善行を積んで謙虚に生きて来た人は、その心が神の心に近づいて、永遠の至福を得ることができる、という感じがする。

そういえば、もうすぐ新嘗祭ですね。

Posted on 2017/11/20 Mon. 14:46 [edit]

category: まわりうた

TB: 0    CM: 0

20