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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた ~長唄バージョン~ 

もやるさか またくとふたは
しきのみる このちたもとの
ほとにはき にしひのあくた
たそかれか そたたくあのひ
しにきはに とほのともたち
のこるみの きしはたふとく
たまかさるやも

靄る坂 跨ぐと双葉
色の見る この道袂の
歩と庭木 西日の芥
黄昏が そだたく彼の日
死に際に 遠の友達
残る身の 岸は貴く
玉飾る八面

解説

靄る(もやる)というのは「靄がかかる。」という意味で、坂というのは「一方が高く,一方が低く傾斜して勾配のある道。さかみち。」という意味で、跨ぐというのは「両足を開いて,ものの上を越える。」「一方から他方へ至らせる。またがる。」という意味で、双葉というのは「人のごく幼い頃。また,物のごく初期。」という意味で、色(しき)というのは「目で見ることのできるもの,すなわち色(いろ)と形。」という意味で、道(ち)というのは「みち。」という意味で、袂というのは「かたわら。あたり。ほとり。」という意味で、庭木というのは「庭に植える樹木。庭にある樹木。」という意味で、芥というのは「ごみ。ちり。くず。転じて,つまらないもの。」という意味で、そだたくというのは「しっかり抱きしめる。」という意味で、死に際というのは「臨終の時。いまわの際。」という意味で、遠(とお)というのは「‘とおつ’‘とおの’の形で,または直接に名詞の上に付き,遠いことの意を表す。」という意味で、八面(やも)は「八つの方面。あらゆる方面。四方八方。」という意味です。

余談

この歌は、「電脳コイル サントラ音楽集」を聴きながらそれをモチーフに書いた歌です。

―――以下、電脳コイルのネタバレ注意―――

雑感

個人的な解釈を少々。

「靄る坂 跨ぐと双葉 色の見る」は、幼き日のヤサコがおじじの葬式の日、デンスケを探して電脳医療空間に迷い込んだシーンを指している。また坂(さか)はもともと境(さかい)から来ているそうだ。境(さかい)は今では線引きされた境目のような感覚だが、一説ではあっちの世界とこっちの世界の中間の、そのどちらともつかない世界のことも指すらしい。

また「西日の芥」の芥は、これはイリーガルと解釈してみることにする。うまく説明できないので、EDシーンでのハラケンの台詞を貼り付けておくことにする。

「今までのイリーガルは、全部、なにかの感情だったんじゃないか。憧れとか、怖いとか、もう会えなくなってしまった誰かに、会いたいとか、そういう気持ちを、誰にも知られずに消えていくはずの気持ちを、あのヌル達は拾い上げていたとしたら、それが、イリーガルなんじゃないかって」

また「庭木」の、この庭は電脳医療空間のことで「死に際に 遠の友達」は、死に際にあるおじじと、遠い友達である(ヤサコから見た)イサコのこと、或いは死に際にあるイサコの前に現れたヤサコ、と解釈してもいいかもしれない。

ただ、最終回のエンディングのシーンでヤサコは「わたし、まだどっちだかわからないの。私たちって、友達になれたのかな。」とイサコに問いかけている。

それに対してイサコは「言っただろ、私は友達と言う物は良くわからないんだ。でも、おまえは、そうだな、同じ道を迷って、同じ道を目指した、仲間だ。でも仲間なのは、同じ道を目指している時だけだ。私みたいな人間は、いつまでも他人と一緒にいては、自分の道が見えなくなってしまう。又会おう、同じ道を迷った時に。それまでは、さよならだ。わたしはイサコ。名付け親は、あんただ。」と答えている。

結局友達だったのか友達ではなかったのかはわからない所だが、きっと彼女達がもっと時を経てから当時の小6の頃を思い出したなら、きっと「友達」だったと思うんじゃないだろうか、と個人的には思う。

最後の「残る身の 岸は貴く 玉飾る八面」は、此岸(=この世)にまだ残って生きている自分自身、そして他人は貴く、自分の玉(=魂)を飾る四方八方の世界、つまり目の前の森羅万象はとても美しいなぁ、といった感じになるかと思う。要するに、自分が今ここに存在していること自体が素晴らしい、ということ。そしてその素晴らしさは、電脳コイルのエンディングの最後でデンスケが登場しているように、此岸と彼岸の境(さかい)すらも超えるのかもしれない、ということ。

Posted on 2014/12/18 Thu. 20:20 [edit]

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まわりうた ~長唄バージョン~ 

きしいのり とほのくおのれ
まほろしの うちとくひひは
てうとんか しきとくもんち
はしるふる しはちんもくと
きしかんと うてはひひくと
ちうのしろ ほまれのおくの
ほとりのいしき

帰し祈り 遠退く己
幻の 打ち解く日々は
朝暾か 識得門地
走る触る 死は沈黙と
既視感と 打てば響く音
宙の白 誉れの奥の
辺の意識

解説

帰す(きす)というのは「最後にはそうなる。結果としてそうなる。」という意味で、己(おのれ)というのは「反照代名詞。その人自身,またはその物自体をさす。自分。自分自身。」という意味で、打ち解くというのは「解く。解き放つ。」「うちとける。」という意味で、朝暾(ちょうとん)というのは「朝日。朝陽。」という意味で、識得(しきとく)というのは「見きわめて理解すること。」という意味で、門地(もんち)というのは「《家の格式によって作法などが違うところから》物事の関係・順序などが本来の逆になっていること。また、そのさま。あべこべ。」という意味で、触る(ふる)というのは「‘触れる’に同じ。」という意味で、既視感(きしかん)というのは「一度も経験したことのないことが,いつかどこかですでに経験したことであるかのように感じられること。既視感。デジャビュ。」という意味で、音(と)というのは「おと。ひびき。こえ。」という意味で、宙(ちゅう)というのは「大空。天。また,地面から離れた所。空中。空間。」「そらで覚えていること。暗記していること。」という意味で、白(しろ)というのは「雪のような色。物がすべての光線を一様に反射することによって、目に感じられる色。」という意味で、誉れ(ほまれ)というのは「誇りとするに足る事柄。また、よいという評判を得ること。名誉。」という意味で、辺(ほとり)というのは「川や池などの水際。きわ。ふち。」「あるもののかたわら。そば。」「端。果て。境界。」「ある地点の周囲一帯。また,場所に関して,大体の見当を示す。」という意味です。

余談

この歌は、ヴァネッサ・メイさんのアルバム「レッド・ホット」の中にある「Toccata and Fugue in D Minor, BWV 565」(トッカータとフーガ ニ短調)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。ゲーム「luv wave」の中でも、このバッハの曲は使われていたので、それも意識しています。

雑感

いちいち書くのは野暮かもしれませんが、歌を見ただけではちょっと判りにくいかなと思ったので、ちょっと思うところを書いてみたいと思います。

まず「帰し祈り」というのは、結果的に、必然的に祈って(意乗って)しまう、というようなニュアンスで私は捉えています。自分の魂の奥底から出て来る衝動によって、結果的にその意に、その意識に乗っかってしまう必然性を、この「帰し祈り」の部分に感じます。

ゲームluv waveの中で真由美が語っていた「ボクは必然で生きている。‘もしも’はないんだ。そしてボクは一つ一つの未来を固定する。つまり、時間を操るんだ」の部分を思い出します。

次の「遠退く己」は、まさにその自分の奥底の純なる部分と、表層の自分自身が重なって意乗っている時、自分自身が遠退いて居なくなっているような感覚になる、ということです。簡単にいうと無我夢中の状態、没我の状態になっている、ということです。

そして次の「幻の 打ち解く日々は 朝暾か」は、その没我の状態がある一定の時間の中の話ではなく、普段の状態からそのような状態になっている毎日は、あの清々しい朝日を見ている状態と一緒の状態だろうか、ということです。またこの朝暾というのは、文字通り朝の太陽のことでもありますが、自分が産声を上げた瞬間の意識状態も表しています。

つまり日常から没我の状態になっている日々の毎日は、自分が産まれた時の瞬間の意識と一緒だろうか、今はもう覚えていない、自分が産声を上げた時の意識もこのような状態だたのだろうか、ということです。

また次の「識得門地」はちょっと判りにくいかもしれませんが、ようするに理由と結果が本来は逆になっている、という状態を理解するということです。たとえば通常の感覚だと、自分は母親のお腹の中から出てきたから自分はこの世に生まれてきたんだ、となり、理由があるから結果がある、と思ってしまいますがそうではなく、実際に自分がこの世に産まれ出て来た瞬間は、自分は母親のお腹の中から出て来た、という論理的な認識はしていないはずで、そのことを知るのは生まれてからもっと後だ、ということです。つまり本当の事実は、自分がこの世に生まれてきた、という結果がまず先にあり、そしてその後で、それは母親のお腹の中から出てきたからだ、という理由がそこにある、ということです。

さらに次の「走る触る 死は」は、結果がまず先にあって、そしてその後で理由が存在している、という感覚の中で過ごしていると、生れた瞬間をいつも感じている裏側で、死ぬ瞬間もまた同時に感じるようになる、ということです。この感覚の中では生と死は等価値であり、同じであり、また表裏一体である、ということが判るはずです。

そしてその死は「沈黙と 既視感と 打てば響く音 宙の白」だということです。沈黙というのは、この感覚は感じた人にしかわからない、ほかの人には説明できない、言葉にできない、ということで、既視感というのは、現実的に考えればまだ死んでいないにも関わらず、既(すで)にその死を瞬間瞬間ごとに感じている、ということです。また、既にこの世に生まれ出て来ているにも関わらず、生まれる瞬間のその生を瞬間瞬間ごとに感じている、ということです。

また打てば響く音というのは、結果がまず先にありますから、まさに打てばすぐに音が響くような、そのような状態を指しているということです。「空即是色 色即是空」のニュアンスに近いかもしれません。

そして宙の白ですが、これは通常は死は白ではなく黒、光ではなく闇、といったイメージで捉えられると思いますが、それが本来は逆になっている、ということです。ようするに生きることは善い事、死ぬことは悪い事、という見方ではなく、すでにその感覚の中では生と死は等価値であり表裏一体ですから、死に対しても最大限の明るいイメージを持っている、ということです。

つまり先の朝暾(=朝日)の言葉を受けての、宙(=大空)の中の白(=光)ということで、死もまた、生れる瞬間の光の輝きとして受け止めている、ということです。

この部分は、日月神示の以下の部分が参考になるかもしれません。

『総てのものは歓喜に向かい、歓喜によって行為する。歓喜がその目的であるが故に、歓喜以外の何ものも意識し得ない。故に、歓喜よりはなれたる信仰はなく、真理はなく、生命はない。生前の霊人が地上人として生れてくるのも死ではなく、地上人が霊界に入るのもまた死ではなく、弥栄なる誕生であることを知らねばならぬ。』(地震の巻 第八帖)

そして最後の「誉れの奥の 辺の意識」ですが、この「誉れ」は人や世間に対してではなく、この宇宙そのものに対して、ということです。この感覚の中では、まるで世界中から一斉に自分が誉められているような感覚で、自分が今ここに存在している、という確かな喜びと安堵感を、魂の奥の奥まで染みた状態で感じている、そのような意識の状態にある、ということです。

Posted on 2014/12/08 Mon. 19:49 [edit]

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まわりうた ~長唄バージョン~ 

よききより とこよさをあく
さみをひき ほとよきをみよ
みからそみ すきとほるすみ
そよかせか よそみするほと
きすみそら かみよみをきよ
とほきひを みさくあをさよ
ことりよききよ

良き季より 常世さ青明く
三味を弾き 程良き丘海よ
身から染み 透き通る隅
微風が 余所見する程
帰す御空 神よ澪木よ
遠き日を 見放く蒼さよ
小鳥よ木々よ

解説

季(き)というのは「一年を四つに分けた春・夏・秋・冬のそれぞれの時節。」「年月の区分にいう語。一年を一季,半年を半季という。」という意味で、常世というのは「永久に変わらない・こと(さま)。永遠。」「常世の国 に同じ。」という意味で、さ青(さお)というのは「あお。」という意味で、三味(さみ)というのは「‘三味線(さみせん)’の略。しゃみ。」という意味で、丘(お)というのは「山の小高い所。みね。おか。また,尾根。」という意味で、海(み)というのは「うみ。」という意味で、染む(そむ)というのは「染まる。」「影響を受ける。心に深く感じる。」という意味で、微風(そよかぜ)というのは「そよそよと吹く風。びふう。」という意味で、澪木(みおぎ)というのは「澪標(みおつくし) に同じ。」という意味で、見放く(みさく)というのは「遠く見やる。みはるかす。」「見て、気持ちを晴らす。」という意味です。

余談

この歌は、元ちとせさんの「いつか風になる日」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

昔、この曲が収められているアルバム「ノマド・ソウル」を買ったのですが、気に入った曲が一つもなく全く聴いていませんでした。しかし今日、この曲を聴いたらとても良い曲でした。なぜに買った当時気に入らなかったのかが不思議なぐらいです。

追記

たぶん一昨年ぐらいか・・・いつ書いたか思い出せない歌です。

Posted on 2014/12/08 Mon. 19:49 [edit]

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まわりうた ~長唄バージョン~ 

みきはにも なみのりのいき
ほとるしら かみのちひたる
このめあく つつくひなたか
もくりきり くもかたなひく
つつくあめ のこるたひちの
みからしる とほきいのりの
みなもにはきみ

水際にも 波乗りの息
熱る白 神の血浸る
この目開く 続く日向が
潜り霧 雲が棚引く
続く雨 残る旅路の
身から知る 遠き祈りの
水面には君

解説

熱る(ほとる)というのは「熱くなる。熱を帯びる。ほてる。」という意味で、白(しら)というのは「作り飾らない・こと(さま)。正直であること。まじめ。」という意味です。

余談

この歌は、元ちとせさんの「心神雷火」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/12/08 Mon. 19:42 [edit]

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まわりうた ~長唄バージョン~ 

なかめるめ そのつとひかり
こなみうむ すすかせとちと
みききさる くものまはるか
なつのひの つなかるはまの
もくるさき きみとちとせか
すすむうみ なこりかひとつ
のそめるめかな

眺める目 その都度光り
小波生む 涼風と地と
見聞き去る 雲の間遥か
夏の日の 繋がる浜の
潜る先 君と千歳が
進む海 余波が一つ
望める目かな

解説

小波(こなみ)というのは「小さいなみ。」という意味で、千歳(ちとせ)というのは「千年。また,長い年月。」という意味で、余波(なごり)というのは「風が静まったあとに残っている波。」「潮が引いたあとに残っている海水。また,あとに残された海藻など。」という意味です。

余談

この歌は、元ちとせさんの「君ヲ想フ」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/12/08 Mon. 19:41 [edit]

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