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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

ともゑうた 

かみのさし たたりたひとり
  きみかよか みきみけはしめ よきまいかなみ

(神の座し ただ利他一人 君が代が 神酒神饌始め 良き幣が並み)
(真中今 清めし励み 君が代が 右と左 正しさのみが)

解説

座す(ざす)は「座(すわ)る。」、利他は「他人に利益となるように図ること。自分のことよりも他人の幸福を願うこと。」、一人は「ひとりでに。自然に。」、神酒(みき)は「お酒。特に、神に供える神聖な酒。」、神饌(みけ)は「神祇(じんぎ)に供える飲食物の総称。稲・米・酒・餅・魚・鳥・蔬菜(そさい)・果実・塩・水など。供物。しんせん。」、幣(まい)は「謝礼として贈る物。贈り物。また、神への供え物。」、並む(なむ)は「並ぶ。連なる。」、真中(みなか)は「真ん中。」、励みは「励むこと。精を出すこと。」「気力を奮い立たせるもの。精を出す支えとなるもの。はげまし。」、右(みぎり)は「みぎ。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

日月神示によると、てんし様は神で、皆てんし様に捧げよ、と書かれてある。神示では、この神示は8通りの解釈が出来ると書かれているが、普通に解釈すると天子様と読み取れる。

歌では、その様子が詠われているものと思われる。

なお、解説でも触れているが「一人」は「ひとりでに。自然に。」という意味で使っている。

上の歌は、皆が神の座であるてんし様に何もかも捧げている様子が描かれている。神の座す場所に、ただ利他の精神でもって奉ることによって、自然とイザナギイザナミの両神が揃う岐美(きみ)の代があるということを詠っている。

下の歌は、それぞれの真ん中にあるもの、すなわち心を清めに清めた、その心こそが全てに通じる励みとなる、ということ。もちろん一人一人の心は違うわけだから、左に行く人、右に行く人、それぞれの方向性はあるが、しかし誰もが自分の真ん中にある心を、常に清めんとしていることから、そのどちらも正しいことになる、ということを示している。また左は火(霊)、右は水(身)に通じ、霊体どちらとも正しい、という意味も含まれていると受け取れる。

全てを神様、てんし様に捧げて、改めてそこから頂く日の光のやり方の顕現をいち早く望むのみである。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

日月神示参照。

『この世はみな神のものざから臣民のものと云ふもの一つもないぞ、お土からとれた物、みな先づ神に供へよ、それを頂いて身魂を養ふ様になってゐるのに、神には献げずに、臣民ばかり喰べるから、いくら喰べても身魂ふとらぬのぞ、何でも神に供へてから喰べると身魂ふとるぞ。今の半分で足りるぞ、それが臣民の頂き方ぞ。』(上つ巻 第十七帖)

『コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めるのざ。何事も末代のことであるから、末代動かん様に定めるのざから、大望であるぞ。上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、其の心われよしざぞ。今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気(け)ありたら、先になりて また大きな間違ひとなるから、洗濯々々とくどう申してゐるのざ。神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、◎(モト)の◎(ニホン)の◎(カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、早う洗濯せんと間に合はんぞ。この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。ますぐに神の道に進めよ。神の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度(はっと)からコトから、やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、する迄 苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもない様なことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ、何も彼も神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろがな、それが神国の民の心得ぞ、否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。神国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民に判る様に申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも神様にささげるのざ、神の御社は幸でうづもれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光のまちとなるのざぞ。神からわけて下さるのざぞ、其の人の働きによってそれぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝 徳相当に集まるのざぞ、キンはいらんと申してあろがな、元の世になる迄に、さうした事になって それからマコトの神の世になるのざ。神の世はマツリあるだけぞ、それ迄にお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)の様なものざぞ。判る様に申すなら、神の御社と臣民のお役所と市場と合した様なものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、マコトのマツリの一(ハジメ)ざぞ。このことよく肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心して、勇んで暮す様にしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、さびしくなりたら たづねて御座れと申してあろがな。』(磐戸の巻 第十三帖 ◎は原文では「○の中にヽ」の形)

『何もかもてんし様のものではないか、それなのにこれは自分の家ぞ、これは自分の土地ぞと申して自分勝手にしているのが神の気に入らんぞ、一度は天地に引き上げと知らしてありたこと忘れてはならんぞ、一本の草でも神のものぞ、野(ぬ)から生れたもの、山から取れたもの、海の幸もみな神に供へてから臣民いただけと申してあるわけも、それで分るであろうがな。この神示よく読みてさへ居れば病気もなくなるぞ、さう云へば今の臣民、そんな馬鹿あるかと申すが よく察して見よ、必ず病も直るぞ、それは病人の心が綺麗になるからぞ、洗濯せよ掃除せよと申せば、臣民 何も分らんから、あわててゐるが、この神示よむことが洗濯や掃除の初めで終りであるぞ、神は無理は言はんぞ、神の道は無理してないぞ、よくこの神示読んで呉れよ。よめばよむほど身魂みがかれるぞ、と申しても仕事をよそにしてはならんぞ。臣民と申すものは馬鹿正直ざから、神示よめと申せば、神示ばかり読んだならよい様に思うてゐるが、裏も表もあるのぞ。役員よく知らしてやれよ。』(富士の巻 第十三帖)

『人間心には我(が)があるぞ。神心には我がないぞ。我がなくてもならんぞ、我があってはならんぞ。我がなくてはならず、あってはならん道理分りたか。神にとけ入れよ。てんし様にとけ入れよ。我なくせ、我出せよ。建替と申すのは、神界、幽界、顕界にある今までの事をきれいに塵一つ残らぬ様に洗濯することざぞ。今度と云ふ今度は何処までもきれいさっぱりと建替するのざぞ。建直しと申すのは、世の元の大神様の御心のままにする事ぞ。御光の世にすることぞ。てんし様の御稜威(みいつ)輝く御代とする事ぞ。政治も経済も何もかもなくなるぞ。食べるものも一時は無くなって仕舞ふぞ。覚悟なされよ。正しくひらく道道鳴り出づ、はじめ苦し、展きゐて、月鳴る道は弥栄、地ひらき、世ひらき、世むすび、天地栄ゆ、はじめ和の道、世界の臣民、てん詞様おろがむ時来るのざぞ。邪魔せずに見物いたされよ、御用はせなならんぞ。この神示読めよ、声高く。この神示血とせよ、益人となるぞ。天地まぜこぜとなるぞ。』(水の巻 第十二帖)

『物、自分のものと思ふは天の賊ぞ、皆てんし様の物ざと、クドウ申してあるのにまだ判らんか。行(おこない)出来て口静かにして貰ふと、何事もスラリとゆくぞ、行(ぎょう)が出来ておらんと何かの事が遅れるのざぞ、遅れるだけ苦しむのざぞ。神の国の半分の所にはイヤな事あるぞ、洗濯出来た臣民に元の神がうつりて、サア今ぢゃと云ふとこになりたら、臣民の知らん働きさして悪では出来ん手柄さして、なした結構な事かとビックリ箱あくのざぞ。天と地との親の大神様のミコトでする事ぞ、いくら悪神じたばたしたとて手も出せんぞ、この世 三角にしようと四角にしようと元のこの方等の心のままぞ。後から来た守護神 先になるから、今の役員さうならん様に神示で知らしてあるのざから、よく裏の裏まで読んで肚に入れて、何一つ分らん事ない様にして呉れよ、今に恥づかしい事になるぞ。元の大和魂の誠の身魂揃ふたら、人は沢山なくても この仕組成就するのざと申してあろが、末代動かぬ世の元の礎きづくのざから、キマリつけるのざから、気つけおくぞ。キが元と申してあろがな、上は上の行、中は中、下は下の行ひ、作法あるのざぞ、マゼコゼにしてはならんぞ、この中からキチリキチリと礼儀正しくせよ。』(キの巻 第七帖)

『三ハシラ、五ハシラ、七ハシラ、コトアマツカミ、ツギ、ウヒジニ、ツギ、イモスヒジニ、ツギ、ツヌグヒ、ツギ、イモイクグヒ、ツギ、オホトノジ、ツギ、イモオホトノべ、ツギ、オモタル、ツギ、イモアヤカシコネ、ミコトト、アレナリ、イキイキテ、イキタマヒキ、ツギ、イザナギノカミ、イザナミノカミ、アレイデマシマシキ。 足許に気付けよ。悪は善の仮面かぶりて来るぞ。入れん所へ悪が化けて入って神の国をワヤにしてゐるのであるぞ、己の心も同様ぞ。百人千人万人の人が善いと申しても悪い事あるぞ。一人の人云っても神の心に添ふ事あるぞ。てんし様拝めよ。てんし様拝めば御光出るぞ、何もかもそこから生れるのざぞ。お土拝めよ。お土から何もかも生れるのぞ。人拝めよ、上に立つ人拝めよ、草木も神と申してあろがな。江戸に攻め寄せると申してあろがな。富士目指して攻め来ると知らしてあること近付いたぞ。今迄の事は皆型でありたぞ、江戸の仕組もお山も甲斐の仕組も皆型ぞ、鳴門とうづうみの仕組も型して呉れよ。尾張の仕組も型早よう出して呉れよ。型済んだらいよいよ末代続くまことの世直しの御用にかからすぞ。雨降るぞ。』(日月の巻 第十二帖)

『戦済みても後の紛糾なかなかに済まんぞ。人民いよいよ苦しくなるぞ。三四五(みよいづ)の仕組出来ないで、一二三(ひふみ)の御用はやめられんぞ。此の神示読んで三四五の世の仕組よく腹の中に入れておいて上(かみ)の人に知らしてやりて下されよ。三四五とはてんし様の稜威(みいづ)出づことぞ。』(日月の巻 第四帖)

『富士は晴れたり日本晴れ。◎の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。』(日月の巻 第一帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。』(地つ巻 第三十六帖)

『世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりて その御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。』(地つ巻 第十一帖)

『この神示いくらでも出て来るのざぞ、今の事と先の事と、三千世界、何も彼も分るのざから、よく読みて腹に入れておいて呉れよ、この神示 盗まれぬ様になされよ、神示とりに来る人あるから気つけて置くぞ。この道は中行く道ぞ、左も右りも偏ってはならんぞ、いつも心にてんし様拝みておれば、何もかも楽にゆける様になりてゐるのざぞ、我れが我れがと思うてゐると、鼻ポキリと折れるぞ。』(地つ巻 第四帖)

『今度の戦済みたら てんし様が世界中知ろしめして、外国には王はなくなるのざぞ。一旦戦おさまりても、あとのゴタゴタなかなか静まらんぞ、神の臣民ふんどし締めて神の申すことよく腹に入れて置いて呉れよ、ゴタゴタ起りたとき、何うしたらよいかと云ふことも、この神示(ふで)よく読んで置けば分るやうにしてあるのざぞ。神は天からと宙からと地からと力(ちから)合はして、神の臣民に手柄立てさす様にしてあるのざが、今では手柄立てさす、神の御用に使ふ臣民一分(いちぶ)もないのざぞ。神の国が勝つばかりではないのざぞ、世界中の人も草も動物も助けてみな喜ぶやうにせなならんのざから、臣民では見当取れん永遠(とことは)につづく神世に致すのざから、素直に神の申すこときくが一等ざぞ。人間の知恵でやれるなら、やって見よれ、あちらへ外れ、こちらへ外れて、ぬらりくらりと鰻つかみぞ、思ふやうにはなるまいがな、神の国が本の国ざから、神の国からあらためるのざから、一番つらいことになるのざぞ、覚悟はよいか、腹さへ切れぬ様なフナフナ腰で大番頭とは何と云ふことぞ、てんし様は申すもかしこし、人民さま、犬猫にも済むまいぞ。人の力ばかりで戦してゐるのでないこと位 分って居らうがな、目に見せてあらうがな、これでも分らんか。』(天つ巻 第十六帖)

『世界中の臣民はみなこの方の臣民であるから、殊に可愛い子には旅させねばならぬから、どんなことあっても神の子ざから、神疑はぬ様になされよ、神疑ふと気の毒出来るぞ。いよいよとなりたら、どこの国の臣民といふことないぞ、大神様の掟通りにせねばならんから、可愛い子ぢゃとて容赦出来んから、気つけてゐるのざぞ、大難を小難にまつりかへたいと思へども、今のやり方は、まるで逆様ざから、何うにもならんから、いつ気の毒出来ても知らんぞよ。外国から早く分りて、外国にこの方祀ると申す臣民 沢山出来る様になりて来るぞ。それでは神の国の臣民 申し訳ないであろがな、山にも川にも海にもまつれと申してあるのは、神の国の山川ばかりではないぞ、この方 世界の神ぞと申してあろがな。裸になりた人から、その時から善の方にまわしてやると申してあるが、裸にならねば、なるやうにして見せるぞ、いよいよとなりたら苦しいから今の内ざと申してあるのぞ。凡てをてんし様に献げよと申すこと、日本の臣民ばかりでないぞ、世界中の臣民みな てんし様に捧げなならんのざぞ。』(富士の巻 第二十五帖)

『神の申すこと何でも素直にきくやうになれば、神は何でも知らしてやるのぞ。配給のことでも統制のことも、わけなく出来るのぞ、臣民みな喜ぶやうに出来るのぞ、何もかも神に供へてからと申してあろがな、山にも川にも野(ぬ)にも里にも家にも、それぞれに神祀れと申してあろがな、ここの道理よく分らんか。神は知らしてやりたいなれど、今では猫に小判ぞ、臣民 神にすがれば、神にまつはれば、その日からよくなると申してあろが、何も六ヶ敷いことでないぞ、神は無理言はんぞ、この神示読めば分る様にしてあるのざから役員早う知らして縁ある臣民から知らして呉れよ。印刷出来んと申せば何もしないで居るが、印刷せいでも知らすこと出来るぞ、よく考へて見よ、今の臣民、学に囚へられて居ると、まだまだ苦しい事出来るぞ、理屈ではますます分らんやうになるぞ、早う神まつれよ、上も下も、上下揃えてまつりて呉れよ、てんし様を拝めよ、てんし様にまつはれよ、その心が大和魂ぞ、益人のます心ぞ、ますとは弥栄のことぞ、神の御心ぞ、臣民の心も神の御心と同じことになって来るぞ、世界中一度に唸(うな)る時が近づいて来たぞよ。』(富士の巻 第二十一帖)

『何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに まだ金追うてゐる見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は◎の光のやり方ぞ。臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位 不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりて呉れよ。』(下つ巻 第三十五帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『上(うえ)、中(なか)、下(しも)の三段に身魂をより分けてあるから、神の世となりたら何事もきちりきちりと面白い様に出来て行くぞ。神の世とは神の心のままの世ぞ、今でも臣民 神ごころになりたら、何でも思ふ通りになるぞ。臣民 近慾(ちかよく)なから、心曇りてゐるから分らんのぞ。今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。神力が九分九厘まで負けた様になったときに、まことの神力出して、ぐれんと引繰り返して、神の世にして、日本のてんし様が世界まるめてしろしめす世と致して、天地神々様にお目にかけるぞ。てんし様の光が世界の隅々まで行きわたる仕組が三四五(みよいづ)の仕組ぞ、岩戸開きぞ。いくら学力強いと申しても百日の雨降らすこと出来まいがな。百日雨降ると何んなことになるか、臣民には分るまい、百日と申しても、神から云へば瞬きの間ぞ。』(下つ巻 第二十帖)

『二二は晴れたり、日本晴れ。神の国のまことの神の力をあらはす代となれる、仏もキリストも何も彼もはっきり助けて七六かしい御苦労のない代が来るから みたまを不断に磨いて一筋の誠を通して呉れよ。いま一苦労あるが、この苦労は身魂をみがいて居らぬと越せぬ、この世初まって二度とない苦労である。このむすびは神の力でないと何も出来ん、人間の算盤では弾けんことぞ、日本はお土があかる、外国はお土がさかる。都の大洗濯、鄙の大洗濯、人のお洗濯。今度は何うもこらへて呉れというところまで、後へひかぬから、その積りでかかって来い、神の国の神の力を、はっきりと見せてやる時が来た。嬉しくて苦しむ者と、苦しくて喜ぶ者と出て来る◎は神の国、神の力でないと何んにも成就せん、人の力で何が出来たか、みな神がさしてゐるのざ、いつでも神かかれる様に、綺麗に洗濯して置いて呉れよ。戦は今年中と言っゐるが、そんなちょこい戦ではない、世界中の洗濯ざから、いらぬものが無くなるまでは、終らぬ道理が分らぬか。臣民同士のいくさでない、カミと神、アカとあか、ヒトと人、ニクと肉、タマと魂のいくさぞ。己の心を見よ、戦が済んでいないであろ、それで戦が済むと思うてゐるとは、あきれたものぞ、早く掃除せぬと間に合わん、何より掃除が第一。さびしさは人のみかは、神は幾万倍ぞ、さびしさ越へて時を待つ。加実が世界の王になる、てんし様が神と分らん臣民ばかり、口と心と行と、三つ揃うたまことを命(みこと)といふぞ。神の臣民みな命(みこと)になる身魂、掃除身魂結構。』(上つ巻 第一帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『火と水と申してあろがな。火つづくぞ。雨つづくぞ。火の災(わざわい)あるぞ。水の災あるぞ。火のおかげあるぞ、水の災 気つけよ。火と水 入り乱れての災あるぞ、近ふなりたぞ。火と水の御恵みあるぞ。一度は神の事も大き声して云へん事あるぞ、それでも心配するでないぞ。富士晴れるぞ。家族幾人居ても金いらぬであろが。主人(あるぢ)どっしりと座りておれば治まっておろが。神国の型 残してあるのざぞ。国治めるに政治はいらぬぞ、経済いらぬぞ。神おろがめよ、神祭れよ、てんし様おろがめよ。何もかも皆神に捧げよ、神からいただけよ。神国治まるぞ。戦もおさまるぞ。今の臣民 口先ばかりでまこと申してゐるが、口ばかりでは、なほ悪いぞ。言やめて仕へまつれ。でんぐり返るぞ。』(水の巻 第十三帖)

『今の法律 此の方嫌ひぢゃ、嫌ひのもの無くするぞ。凝り固まると害(そこな)ふぞ。此の道 中行く道と申してあるが、あれなら日津久の民ぞと世間で云ふ様な行ひせねばならんぞ。神の国と申すものは光の世、よろこびの世であるぞ。虫けらまで、てんし様の御光に集まるよろこびの世であるぞ。見事 此の方についてご座れ。手引ぱって峠越さしてやるぞ。』(松の巻 第十一帖)

『あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり、此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も云ふでないぞ。言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。悟った方 神示とけよ。といて聞かせよ。役員 皆とけよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ、役員 気付けて呉れよ。神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。愈々の時ぞ。神示で知らすことのはじめは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。つらいなれど、がまんせよ。ゆめゆめ利功出すでないぞ。判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。何にでもなれる様にしてあるでないか。役員も同様ぞ。まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。此の方 喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。信者つくるでないぞ。道伝へなならんぞ。取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。日本の臣民 皆勇む様、祈りて呉れよ。世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服(まつ)ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄(もや)の裡(うち)。」「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」 「アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」 アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ。此の巻 夜明けの巻とせよ。この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ。天津日嗣皇尊(あまつひつぎすめらみこと)弥栄(やさか)いや栄(さか)。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。 一二三四五六七八九十百千卍(ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず)。』(夜明けの巻 第十三帖)

『何も六ヶ敷いこと申すのではない。自分の、内の自分を洗濯して明らかに磨けばよいのぢゃ。内にあるものを浄化すれば、外から近づくものがかわって来る道理。内の自分を洗濯せずにゐて、きたないものが近づくとか、世の中がくらいとか不平申して御座るなれど、そこにそなたの間違いがあるぞ。木でも草でも中から大きくなって行くのぢゃ。三千年に一度の時がめぐり来てゐるのであるぞ。為せば成る時が来てゐるのぢゃ。為さねば後悔ぞ。時すぎて種まいても、くたびれもうけ。そなたは世の中が悪いとか人がよくないとか申してゐるが、すべては大神の肚の中にゐて、一応 大神が許しなされて居ればこそ存在し、いのちしてゐるのであるぞ。悪くうつるのは心のかがみがくもってゐるからぞ。悪い世の中、悪い人と申すことは、神を悪く申し、神界が悪いのぢゃと申すのと同じであるぞ。新しき世界には新しき【てんし(天詞)てんか】をこしらえねばならん。このこと間違えるでないぞ。珍らしき御型(方)が出て来てびっくりぢゃ。びっくりしなければヒックリとはならんぞ。神は今迄 化けに化けていたが、もう化けては居られん。人民ももう化けては居られんぞ。九分九厘までは化けて、がまんしてゐたなれど、化けの世、方便の世、方便の教はすんだのぢゃ。教では世は正されん。教のつどいはつぶれて了うのぢゃ。無理してはならん。そなたの無理押しは よいことをわるく曲げるぞ。』(月光の巻 第五十帖)

『神が臣民の心の中に宝いけておいたのに、悪にまけて汚して仕まうて、それで不足申してゐることに気づかんか。一にも金、二にも金と申して、人が難儀しようがわれさへよけらよいと申してゐるでないか。それはまだよいのぞ、神の面(めん)かぶりて口先ばかりで神さま神さま てんしさま てんしさま と申したり、頭下げたりしてゐるが、こんな臣民一人もいらんぞ、いざと云ふときは尻に帆かけて逃げ出す者ばかりぞ、犬猫は正直でよいぞ、こんな臣民は今度は気の毒ながらお出直しぞ、神の申したこと一分一厘ちがはんのざぞ、その通りになるのざぞ。うへに唾(つば)きすればその顔に落ちるのざぞ、時節ほど結構なこわいものないぞ、時節来たぞ、あはてずに急いで下されよ。世界中うなるぞ。陸が海となるところあるぞ。今に病神(やまいがみ)の仕組にかかりてゐる臣民苦しむ時近づいたぞ、病はやるぞ、この病は見当とれん病ぞ、病になりてゐても、人も分らねばわれも分らん病ぞ、今に重くなりて来ると分りて来るが、その時では間に合はん、手おくれぞ。この方の神示(ふで)よく腹に入れて病追ひ出せよ、早うせねばフニャフニャ腰になりて四ツん這ひで這ひ廻らなならんことになると申してあらうがな、神の入れものわやにしてゐるぞ。』(地つ巻 第十六帖)

Posted on 2017/05/05 Fri. 07:34 [edit]

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05

ともゑうた 

なかやみの せいきけきとつ
  いきちみる ありくあくまと ききふはいしう

(長闇の 凄気激突 生き血見る 歩く悪魔と 危疑腐敗臭)
(牛祝ふ 熙々と幕開く 理ある道 帰一と喜劇 伊勢の宮かな)

解説

凄気(せいき)は「すさまじい気配。」、歩く(ありく)は「あちらこちらと移動する。」、危疑(きぎ)は「あやぶみうたがうこと。」、熙々(きき)は「やわらぎ楽しむさま。」「ひろびろとしたさま。」「往来のはげしいさま。」、理(り)は「物事のすじ道。法則。ことわり。道理。」「(有為転変する、事実・現象に対して)真理・真実あるいは法・規範などをいう。仏教の真如・法性など。」「宋学で、宇宙の根本原理。」、喜劇は「諧謔(かいぎゃく)・機知・風刺などに富む演劇。幸福な結末をとるものが多い。コメディー。」の意味です。

余談

この歌は、「交響組曲ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁」の中にある「戦火を交えて~不死身の敵に挑む」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

さて、日月神示や大本神諭に天地のびっくり箱が開くと書かれているのだが、大胆に予想すると、これは人々の心の状態によって、それぞれに相応する世界に飛ばされるということではないかと思うのである。

そもそも「三千世界一度に開く梅の花」とあるが、この三千世界を神・幽・顕の三界の千(あらゆる)世界を指すと解釈すると、私達が住む顕界(現界)に神界(天界)と幽界(中有界・地獄界)が混じりあって来ると捉えることが出来る。

月並みな言い方をすれば、自らの心の状態によって天国的世界、或いは地獄的世界に行くということだ。

驚くべきは、これは何かの比喩ではなく、文字通りその場所へ飛んで行くということだ。つまり、これまでの天地(現実世界)は消えて、気付いたら目の前に地獄的風景が現れる。或いは天国的風景が現れるということ。

今から見ればあり得ない話ではあるが、しかし夜眠って夢を見て、そして朝目が覚める時、一瞬にして夢の世界から現実の世界へ映像が切り替わることを思えば、全くあり得ないとは言えない。

そしてもうそこに飛んでしまったら最後、その空間から出られなくなる、と考えれば、下記神示の部分も納得できる。

日月神示参照。

『天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。』(雨の巻 第十四帖)

『今度 神の帳面から除かれたら永遠に世に出る事出来んのであるから、近慾に目くれて折角のお恵みはづすでないぞ、神 キつけておくぞ。』(雨の巻 第九帖)

『富士と鳴門の仕組わかりかけたら、いかな外国人でも改心するぞ、それ迄に神の国の臣民 改心して居らぬと気の毒出来るぞ。』(磐戸の巻 第九帖)

『牛の喰べ物たべると牛の様になるぞ、猿は猿、虎は虎となるのざぞ。臣民の喰べ物は定まってゐるのざぞ、いよいよとなりて何でも喰べねばならぬやうになりたら虎は虎となるぞ、獣と神とが分れると申してあろがな、縁ある臣民に知らせておけよ、日本中に知らせておけよ、世界の臣民に知らせてやれよ、獣の喰ひ物くふ時には、一度 神に献げてからにせよ、神から頂けよ、さうすれば神の喰べ物となって、何たべても大じょうぶになるのぞ、何もかも神に献げてからと申してあることの道理よく分りたであろがな、神に献げきらぬと獣になるのぞ、神がするのではないぞ、自分がなるのぞと申してあることも、よく分ったであろがな、くどう申すぞ、八から九から十から百から千から万から何が出るか分らんから神に献げな生きて行けん様になるのざが、悪魔にみいられてゐる人間いよいよ気の毒出来るのざぞ。』(天つ巻 第五帖)

『天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。』(地つ巻 第二十七帖)

『神がいよいよとなりて、びっくり箱開いたら、臣民ポカンぞ。手も足も動かすこと出来んぞ。たとへではないのざぞ。くどう気付けておくぞ。』(日月の巻 第十帖)

『天地引くるめて大建替いたすのぢゃ。天地のビックリ箱とはそのことざぞ。間違ひ出来んうちに、間違はん様 気つけて下されよ。出来てからは、いくら泣いても詫びしても後へは返せん。この方でもどうにもならん元のキの道ぢゃぞ。くどう気付けておくぞ。』(岩の巻 第三帖)

火水伝文参照。

「 遅し。神、既に動きたぞ。浮かれ暮らす人民様、この度のこと取り違えおれば末期の不覚となりぬるぞ。しっかと世情見ていて下されよ。現界の荒らぶる現象いよいよ混乱狂気となりておろうが。正邪、背徳、驕奢の膿、様々なる形なさして世に噴出させておろうが。これ予兆ぞ。既に世界はウラにて一つになりたぞよ。真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。これ、こたび始めの神仕組なり。これ日本の事ぞ、マコトぞ。仕組ありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。国、土台から破壊され。ケガレし権力潰れしも外なるケガレ逆巻きて内なるケガレ払うのぞ。私有財産壊滅し、衣食住にも窮迫し、国民同士の戦ある。人と獣との分かれ目ぞ。ケガレしものの消ゆるまで、三歳苦難の道行きぞ。こは神仕組み神ハタラキなれど、汝等人民様の招きしことなるぞ。汝の欲心甘やかし来たりたであろうが。しただけのことは拒めぬぞ。神恨むでないぞ。
 しかあれ、人民様の苦しき死。残り苦しむ様。神、望みてないぞ。既に遅けれど、このワケ、縁ある者に伝え置く。この度死ぬる者はこのワケ聞いて肚に入れ、生き戻れるように死んで下されよ。死んでも頑張りて下されよ。残されし者も同じぞ。死に急ぎなさるなよ。よくよく頑張りて下されよ。よいな、三年の間ぞ。三年の間、汝等の心魂、修羅場と化せしその地にて耐え難きを耐え魂磨くのぞ。死して逃れんと欲っせしも、異界にて万倍の地獄飲まなならんのぞ。神、頼むぞ。汝蒔いた種なればこらえにこらえて三真釣り持ち行け。」

「 今までの世でありたならケガレと光、共にあることも仕組み有りて出来たことなれど、新しき御代になりたればケガレと光、共にあること適わぬのじゃ。仕組み変わるのじゃ。このことよくよくハラに入れて下されよ。今迄の神仏説きし転生は古き教えの中でのことじゃ。今迄は中つ世の神々のお役目なればいたしかたなくありたなれど古き転生の教えこ度で終わりぞ。取り違え致すなよ。
 こ度の事は元つ神の仕組みなれば、中つ神々様でも解からぬ事ぞ。元つ心にスミキリてなくれば神々と申せど何処へも逃げおおせぬお仕組みなるぞ。光ひとつ上ぐるのじゃから、ケガレ持ち越せぬのじゃ。汝初めてのこと由、解かり難きも無理なきが、ケガレ持ちたまま何処へ生まれ落つるつもりぞ。こ度は汝の生まれ落つる所、何処にもなきぞ。神、許さぬが由ぞ。これ程申してもマコト持ち行けぬ者、止むなし。その者の最も避けたき苦難、万倍の有りざまにして未来へ打ち捨つる外なきも解かるであろうが。もう神、待たれんのぞ。」

「 魔コトの思いを持ちて、神の御前で申せぬ様な【行】いを図るが如きなさり様を、逆位の構えの『魔釣り』申すのぞ。そは、真コトの御座なる【口】の座にウソを据えるが事にてあるぞ。そは正位に座すは適わぬ魔コトを、正位の御座に据え置きて、そをマ釣りの基に成すをいうのぞ。魔コトを正位に位させ、真コトを外に追いやるがその事じゃ。こは恐ろしきことであるを知りて下されよ。【口】の座申すは、真釣りを支える御ハタラキの御座でござろうが。【火の御ハタラキ】の御座にござるぞ。この御座に座るもの、マコト無きは許されぬ由、マコト無くありて座りたるもの、先々可哀想であるぞ。何れ姿形を変えメグル情けと鳴り鳴り響きて、必ず【行】に結び現し、外した真釣りを取り戻さしめる、至誠の極みの御座にござるからじゃ。人民様は、生きある何時かの時々に、自ら至誠の口の座に、数多の不誠を据え置きたを忘れて居られるが由、自らがもろうメグリの真姿に気付けぬのじゃ。こは元つ真釣りの、万古不易の神法なるを知りて下されよ。」

富士(不二)と鳴門(成答)の仕組みが開いて、今まで目にも見えず、誰にも知られることのなかった自分の心が、その心と対応した霊と一体になることで、そっくりそのまま形として表れるとしたら、神示であれほど「改心」の一点張りを言われたことも頷ける。

自らの心の状態によって自らの地位、また自分の住む世界が未来永劫永遠に確定することが理解されれば、いかな悪人でも改心しようと思うのではないだろうか。

想像するに、天国的世界は気候も常に穏やかで、毎日晴れやかな日が多い。風を欲せば気持ちの良い風がどこからともなく吹き、雨を欲せば恵みの雨が降って来る。周りを見渡せば、何とも言えない良い香りのする果実や色とりどりの草木がある。

水を見遣れば、まるで水晶のように綺麗であり、それを一口飲んでみれば、仄かでスッキリとした微かな甘みが全身を潤していくのが解る。また、水もそれぞれの地方によって味に特徴があり、望めば種々の名産の水をいかほどにでも飲むことができる。

また火を見遣れば、まるで輝く宝石が揺らめいているかのようにうっとりとした気分になる。その程良い暖かさは、ちょうど誰かに優しく触れられているようであり、それを通して天帝の恵みと心を間接的に知ることができる。

人々は木の実や草木を好んで食べ、争いや諍いは無益なことを誰もが承知している。それぞれ自らの内なる情動により、音楽、絵画、詩、歌、華道、書道、パントマイム、ダンスなどの芸術から建築、流通、酪農、インテリア、コンサートやイベント造りなどの技術を磨き、それらを楽しみながら仕事に励んでいる。

同時にそれら芸術や技術を磨き表現することが、天帝の徳を顕現することであると誰もが理解しているため、皆こぞってそれぞれの道に励んでいる。それが各人々の喜びであり、生活であり、仕事となっている。

ひとつ付け加えておくと、それら全ては自らの内なる情動から起こることであり、外から強制されたものではない。中には一日中何もせずのんびりしている人達もおり、その人達は先に述べた様々な芸術や技術を楽しんだり享受したりすることで、天帝の徳の高さを表現する人達である。

一方、地獄的世界は気候も激しく、晴れやかな日は一日も無い。とにかくどこに行っても腐敗臭がもの凄くて、鼻が曲がりそうになる。

空はどんよりとしていて、場所によっては赤黒かったり、瘴気(しょうき)がすごい所だと黒紫色だったりする。その瘴気に当たるとたちまち皮膚がただれて来て、数分もするとドロドロになって来る。当然激しい痛みに襲われ、血肉は抜け落ちて、ガイコツ状態になるのだが、もうそこから霊(心)が抜け出ることができない、つまり死ぬことができないので、ガイコツ状態のまま過ごすことになったりする。

他には、ごつごつした岩で人気(ひとけ)の寂しい所があったり、森を見つけたと思ったら、そこに生えている草木がまた醜いものばかりで、人を食べる草があったりする。

中には、より腐敗臭がすごい所へ赴いて、その匂いを嗅ぎながら一日中吐いている者もいる。驚くべきは、それを嫌々しているのではなく、その者が自らの意志で好きでやっているという点である。

その吐物には蛆が湧き、いやらしい虫がうごめているが、その吐物をまた別の者が食べるという見るに堪えない光景があったりする。それも、その者達が自分の意志で好きでやっているので、もうどうしようもない。

また鳥型、山羊型、猿型、狼型、犬型、牛型の半獣半人の魔物や怪物もそこら中にうじゃうじゃ居て、時には徒党を組んで虐殺の限りを尽くしている。そこはとにかく弱肉強食の世界で、弱い者の肉を強い者が食う世界となっている。

半鳥半人怪物は、特に人の目や内臓を好んで食べていたりする。特に、生きながらにしてその肉をついばみ、その者の苦しみや痛む姿を見ながら食すことを好んでいる。

半山羊半人怪物は性欲旺盛と残虐性を兼ね備えていて、エログロ的なことをしてたりする。女性の全身の皮を剥いだり、男性のペニスを切り取ったりして、それを焼いて食べたりしている。恐ろしいので誰も近づかないと思いきや、どうも身体からエロい雰囲気が出ているようで、一種の媚薬のような作用をもたらしている。

その山羊型人間の500m範囲内ぐらいに入ると、どこからともなくエロい気分になってしまって、頭ではダメだと思っていても、身体が勝手に動いてしまうほどの性的興奮を覚えてしまって、最後捕食される。

半猿半人怪物は徒党を組んではぐれ者を襲ったり、その持ち物を奪ったりしている。智慧がまわるので急襲することが多い。何百の猿が一斉に石を投げてきたりして、あっという間に全身打撲のような状態になる。

街や村もあるが、ここもひどい。その地獄的世界では魔物や怪物が大半で、普通の人型化物はむしろ少数派だが、それでも年中争ったり略奪や詐欺、だまし討ちが起きているので、ここも弱肉強食、騙される方が悪い世界となっている。

ここではある意味、普通の人型化物は貴重で、魔物や怪物の奴隷や玩具として人気が高い。それらを相手にしてひと儲けしている人型化物もいる。

その人型化物は催眠術やマインドコントロールなどの幻術が得意で、初めてここに来た人型化物に対して「こんなひどい所は嫌だろう? 天国へ連れていってあげよう」と、歩み寄る。初めてここに来た人型化物は悪人だらけの街で、唯一無二の善人がいると思いこみ、また五感を伴う天国的風景を実際に見せて信用させるので、地獄に仏はまさにこのことだ、この人は間違いないと信用して、そしてコロっと騙される。そうして怪物たちに売られてゆく。

このように人型にせよ怪物型にせよ、その世界ではもう誰もが良心が無いので、皆やりたい放題好き放題して、見るに堪えない状態となっている。

ちなみにその地獄的世界にも王がいて、その世界を統率している。俗にいう魔王だが、この魔の王の力は絶対的に強く、その姿を一目見たものは魂から凍り付くほどである。一目見ただけで全身の毛が逆立ち失神するほどなので、この王には無条件で絶対服従するしかないと思わせるほどである。

この世界に唯一信仰があるとすればその魔の王への信仰である。その信仰は知力、財力、統率力など、力の強いものが正義、自分のみが正義というものである。数々の人型獣型の化物がこの魔王に取って代わろうと挑戦しているが、みな殺されている。

その地獄的世界を統べる王ですら、力善し我善しの考え方なので、自分の力を超えるものが居れば、その者がこの世界を統べるべきだ、その者こそが正義だ、との考えを持っている。

その世界で安泰になろうと思えば、自らの悪の力を強くしていくより他なくなる。人を裏切ったり騙したりして財力を貯え、その財力でさらにより強い力を得るために半獣半人になるための手術を受け、そこからまた強い力を得るために残虐行為の限りを尽くしていかなければならない。それも数限りの他者からの裏切りや騙しを潜り抜けてのことである。もはや悪魔にならなければ生きていけない世界なのだ。

……と、話が長くなってしまったが、今までは輪廻転生があり、死んだらやり直しが出来ていたが、仕組みが変わって今後それは無くなり、天国的世界地獄的世界どちらにせよ、それらが永遠に続く可能性がある。

おそらくそれは、対応する霊が固定されるからであろう。今までは人は霊止(ひと)であって、時には善的な霊が懸かって善的なことをしたり、時には悪的な霊が懸かって悪的なことをしたり、自らの選択によって善悪の間を行き来できていた。だから善心から悪心に堕ちる可能性もあり、悪的心を改心させて善的心に戻ることも出来た。また魂の核には「良心」と呼ばれる天帝の分霊が付与されていた。

しかしもうその和光同塵の仕組みは終わって、別れ別れになることになる。それぞれの心の状態によって、懸かる神霊(正神邪神含む)の固定化が起き、善も悪も末代になるのではないか、ということだ。

天国的世界と地獄的世界が一旦この世界で交わり、そしてその後、それぞれの心の状態によって行く世界が決まるとするならば、なるべく良い方に行きたいと思うのが人情である。しかし神示ではもうその時では遅いと書かれてある。やはり、まだ何も出切っていない今の内から改心しておくのが吉のようだ。なるべく善的な心を持って善的な行動を積んで、神徳を集めておくのが良いように思う。

下記ブログにあるように、悪魔的怪物的な何かが目撃されるというのは、その前兆ではないかと思われるのである。

『悪魔元年? : 怒濤の「北緯33度線からの使者ラッシュ」が示す場所「フェニックス」の意味。そして、2017年という年の示唆を再び振り返る』(in deepさん)
http://indeep.jp/the-year-of-demon-and-what-existance-from-phoenix/

『地獄の釜の蓋開けとは?/パンドラの箱が開く???』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20131202

Posted on 2017/01/08 Sun. 17:03 [edit]

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08

ともゑうた 

なかきよの ゆつれぬははの
  とこつくに ちつかのてそめ たうはかきろひ

(長き夜の 譲れぬ母の 常つ国 千束の手染め 堂は陽炎)
(広き川 歌女袖の香 土に屑 言の葉は濡れ 露の良きかな)

解説

母というのは「親のうちの,女の方。女おや。実母・継母・養母の総称。母親。」「物事を生み出すもととなるもの。」という意味で、常つ国(とこつくに)というのは「死者が行くという永遠の世界。よみのくに。」という意味で、千束(ちづか)というのは「千たば。幾つものたば。多数。」「〔‘束’は四本の指をそろえて置いた幅〕 きわめて長いこと。」という意味で、手染めというのは「手ずから染めること。また,そのもの。」という意味で、堂というのは「古く接客や礼式などに用いた建物。表御殿。表座敷。」「神仏を祭る建物。」「多くの人が集まる建物。」という意味で、陽炎(かぎろい)というのは「かげろう。」「明け方の空の明るみ。曙光(しよこう)。」という意味で、歌女(うため)というのは「歌をうたうのが巧みな女。」「雅楽寮に属し,古代から伝わる歌をうたう女。」という意味で、袖の香というのは「袖にたきしめたかおり。」という意味です。

余談

この歌は「Ghost in the Shell (Original Soundtrack)」の中の「M10 謡Ⅲ -Reincarnation」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/12/29 Mon. 19:47 [edit]

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29

ともゑうた 

しきのかの はとはにしふき
  とふとりの めあきてしむる むけのまにかな

(思議の我の 波止場に飛沫 飛ぶ鳥の 目明きて占むる 無碍の摩尼かな)
(中に間の 煙る無始出来 天の理と 太き俯視には 永久の彼の岸)

解説

思議(しぎ)というのは「思いはかること。考えめぐらすこと。」という意味で、我というのは「われ。自分。自我。」「自分の意志や考えを言い張って、人の言葉に従わないこと。わがまま。」「仏語。人間の個体そのもの。また、その個体の中心生命。」という意味で、波止場というのは「港で,波止(はと)のある所。埠頭(ふとう)。また,港のこと。」という意味で、飛沫というのは「細かな粒となって飛び散る水。」という意味で、占むというのは「ある才能・性質などを備える。」という意味で、無碍(むげ)というのは「何ものにも妨げられないこと。何の障害もないこと。また,そのさま。」という意味で、摩尼(まに)というのは「玉。神秘的な力をもつ玉。摩尼珠。摩尼宝珠。」「竜王あるいは摩竭魚(まかつぎよ)の脳中にあるとも,仏の骨の変化したものともいわれる玉。これを得ればどんな願いもかなうという。如意宝珠。」という意味で、煙るというのは「火がよく燃えずに煙ばかりが盛んに出る。くすぶる。」「煙が立ちこめたようにかすんで見える。」という意味で、無始(むし)というのは「ある時点から始まったのではなく,永遠の過去から存在すること。」「転じて,遠い昔。大昔。」という意味で、俯視というのは「上から見おろすこと。」という意味で、永久(とわ)というのは「いつまでも変わらない・こと(さま)。永久(えいきゆう)。永遠。」という意味で、彼の岸(かのきし)というのは「迷いを脱し,生死を超越した理想の境地。悟りの境地。涅槃(ねはん)。」という意味です。

余談

この歌はアルバム「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.2」の中にある「Cyberbird」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/12/29 Mon. 19:47 [edit]

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29

ともゑうた 

はかなのち ひたけかきたれ  
  かなたまて けうなつきかけ あよふあしかな

(儚の地 陽だけが来たれ 彼方まで 稀有な月影 歩ぶ足かな)
(流し合ふ 夜明けが絆 受けてまた 流れたき影 旅路の半ば)

解説

儚(はかな)というのは「形容詞‘はかなし’の語幹。」という意味で、垂る(しだる)というのは「垂れる。垂れ下がる。」という意味で、稀有というのは「めったにないこと。非常に珍しいこと。また,そのさま。」「不思議なこと。」という意味で、月影というのは「月の光。月光。」「月の形。月の姿。」という意味で、歩ぶ(あよぶ)というのは「あるく。あゆむ。」という意味で、たきというのは「希望の助動詞‘たし’の連体形。」という意味で、影というのは「物が光をさえぎった時,光源と反対の側にできる,その物の黒い形。」「光。灯火。」「ユング心理学で,人格の影の面を指す元型の一つ。自分が生きられなかった半面が無意識の中に残されて作られるイメージ。シャドー。」「魂。」という意味で、旅路というのは「旅行の道筋。旅行の道。また,旅。」という意味です。

余談

この歌はアルバム「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T.2」の中にある「i do」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/12/29 Mon. 19:44 [edit]

category: ともゑうた

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