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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

いろはうた 

いきねはならぬ もりとむし
こふくさをのち かせおそれ
うろへあつけて たえすまほ
ゑんにみるゐわ ひゆやめよ

生きねばならぬ 森と蟲
業苦さ青の地 風畏れ
虚へ預けて 絶えず真面
園に見る慰和 媚諛止めよ

解説

業苦というのは「前世の悪業(あくごう)がもととなって現世で受ける苦しみ。」という意味で、さ青というのは「あお」という意味で、畏れるというのは「神仏などを,人為の及ばないものとして敬い,身をつつしむ。」という意味で、虚(うろ)というのは「内部が空(から)になっている所。空洞。」という意味で、真面(まほ)というのは「十分であること。完全であること。よく整っていること。また,そのさま。」「本格的であること。正式であること。また,そのさま。」「まともに向き合うこと。直接に対座すること。また,そのさま。」という意味で、慰和というのは「なぐさめやわらげること。」という意味で、媚諛(びゆ)というのは「こびへつらうこと。」という意味です。

余談

この歌は、漫画版「風の谷のナウシカ」を読んで、その内容をモチーフに書いた歌です。ひさびさに自分でも納得のいく歌が出来て喜んでいます。

――以下、漫画版「風の谷のナウシカ」のネタバレあり――

雑感

漫画版の「風の谷のナウシカ」のテーマを考えた時に、やはり思うのは「生きる」ということではないかと思う。最終巻である第7巻の最後のセリフはナウシカの「生きねば……」の言葉であった。

ではなぜ、生きねばならないのか? ということであるが、ナウシカの言葉を借りれば「どんなにみじめな生命であっても生命はそれ自体の力によって生きています。この星では生命はそれ自体が奇跡なのです」(第7巻 p172) 「私達の身体が人工で作り変えられていても、私達の生命は私達のものだ。生命は生命の力で生きている」(第7巻 p198) ということのように思う。

腐海の森や蟲達は、旧文明の者達が遺伝子操作で作った業苦そのものであるが、しかし「腐海は私達の業苦です。でも敵ではありません」(第6巻 p137)「蟲や腐海にとっては突然変異体の粘菌すら仲間なんだ」(第5巻 p86) とナウシカが言っているように、人類がどんなに生命をいじくっても、自然は必ずそれ以上の大きな包容力でそのバランスを取り戻していく。メチル水銀すらも分解する菌が存在しているように。

そしてその最たるものが、その業苦から青き清浄の地が産まれることではないかと思う。そして、遺伝子操作をされた人類の一員であるナウシカが自らの生きる意志のもと、その旧文明の科学技術が結集された墓所を破壊することも、また必然であったのかもしれない。

続いて物語の中での「風」の意味も考えてみたいと思う。

まず思い当たるのが「私達の生命は風や音のようなもの……。生まれ、ひびきあい、消えていく」(第7巻 p132) 「ちがうわ!! 私たちの風の神様は生きろといってるもの。わたし生きるのすきよ。光も空も人も蟲もわたし大好きだもの!!」(第4巻 p91) のナウシカのセリフ。

さらにそれに続く上人さまが亡き盟友に語りかけているセリフ「永く待ったかいがありましたね。ええ……風が来ました。やさしく猛々しい風が……」(第4巻 p92)や、入滅した後にナウシカに語りかけるセリフ「お行き。心のおもむくままに。いとしい風よ……」(第4巻 p97) などが印象深い。

思えば「風の谷」というのは腐海の森のほとりに位置しており、海から吹く風によって守られてはいるものの、それで腐海の瘴気全てが防がれているわけではなく、その瘴気からくる石化の病気は避けられない、という常に死と隣り合わせの場所であり、ナウシカの言葉を借りれば「亡びは私達のくらしのすでに一部になっている」(第7巻 p201) ということであり、森の毒に犯されるのは「それが腐海のほとりに生きる者の定めとか……」(第1巻 p26) ということである。

また「風の谷」の人々にとって、自分たちの生命がその「風」によって決定付けられている現実を加味すれば、まさに神そのものであろうと思うが、それ以上に「風」は先にも述べた「私達の生命は風や音のようなもの……」のセリフにもあるように、生命を構成する中心の要素として描かれているようにも思う。

少々話は脱線するが火風水(ひふみ)ともあるように、火垂り(ひだり)と水極り(みぎり)の中心に位置するものとして「風」を見てみれば、「風」は見えない中心とも言えるのではないだろうか。さらに強引に解釈するなれば、自分という生命が存在しているが故に左が存在し、そして右が存在しているのではないかと思うほどである。

また「風」という漢字は「虫+凡」から出来ているそうな。ネットで調べてみると「風」の甲骨文字は元々神の使いである鳳凰を表していたが、のちに天には龍が住み、風は龍の姿をした神が起こすと考られようになり、その音を示す部分が「凡」ということなのだそうだ。さらにそののち龍を含めた爬虫類の虫(き)という文字が加えられて、風の字が作られたのだそうだ。

また日月神示にも竜神は@神(理◎)である、と書かれてある。(@は渦巻きの形、◎は○にヽの形)

これをナウシカの言葉で表すならば「生きることは変わることだ。王蟲も粘菌も草木も人間も変わっていくだろう。腐海も共に生きるだろう。だがお前は変われない。組みこまれた予定があるだけだ。死を否定しているから……」(第7巻 p198) ではないかと思う。

次に「虚無」について考えてみたいと思う。

単純にいうと「虚無」は人の心の闇、というか生きることに対する無力感や失望感、すなわち死への願望ではないかと思うが、ここでは第7巻の墓所の主が「虚無だ!!それは虚無だ!!」と言わしめたナウシカのセリフ「それはこの星がきめること……」(第7巻 p201) に注目してみたい。そしてそのナウシカのセリフに対して墓所の主は「お前は危険な闇だ。生命は光だ!!」と畳み掛けるが、ナウシカは「ちがう。いのちは闇の中のまたたく光だ!!」と切り返す。

おそらく生命は心の真ん中で瞬いている光のようなもの、ということなのだろう。であるから、歌の中の「風畏れ」と「虚に預けて」というのはほぼ同じ意味である。光が瞬くためには空気の揺らぎ、すなわち風が必要であるし、その瞬く光を感じるためには、全てを虚に預けなければならない。ちょうどナウシカが「わたしも森になろう……」「生きたままわたしも木になれれば……!?」(第5巻 p147) と言って王蟲と一体になり、その先で虚無と対峙し、そしてその虚無を抜けた向こう側で、セルムに導かれる形で腐海の尽きる所にたどり着いたように、である。

ナウシカがなぜ「それはこの星がきめること……」と言って、わざわざ旧文明の技術を棒にふってまで、生まれる子がますます少なくなり、石化の業病からも逃れられないその現実を選んだのか? それはきっと彼女の中で生と死が等価値であったからだと思う。自らの生命をどこまでも肯定しているからこそ、周りのありとあらゆる死を肯定することができ、そしてその死を受容し、さらにその死を通して生命の奇跡を知ることが出来るからだ。

だからこそナウシカは「ちがう いのちは闇の中のまたたく光だ!!」「すべては闇から生まれ闇に帰る。お前達も闇に帰るが良い!!」(第7巻 p201~p202) と躊躇なく墓所の主に言えたのだと思う。そして「巨大な墓や下僕などなくとも私達は世界の美しさと残酷さを知る事ができる。私達の神は一枚の葉や一匹の蟲にすら宿っているからだ」(第7巻 p208) と言えたのだ。

つまりそれが歌の中の表現をすれば「絶えず真面」であり「園に見る慰和 媚諛止めよ」なのだと思う。

第7巻の庭園でのヒドラが「この庭はすべてをたちきる場所 トルメキアの二人の王子を見ただろう 彼等は生まれてはじめて安らかな喜びを感じている」(第7巻 p122) と言ったが、それ以上にそのあとのナウシカの沈黙のシーンが印象深い。なぜならヒドラの言う「みな自分だけは過ちをしないと信じながら、業が業を生み悲しみが悲しみを作る輪から抜け出せない」(第7巻 p122) といこともまた事実だからだ。

しかし同時に、不死の身体を持ち、絶滅したはずの汚染されていない動植物の原種や農作物、また音楽と詩に囲まれているヒドラが、ナウシカが去った後に「またつまらなくなるね」(第7巻 p136) と感想を漏らしている。

また庭園という場所が、ミト達の乗せたガンシップの音が聞こえなかったり、ヒドラがナウシカの母親の心像を見せるシーンで「外では悪い風が吹いているの。母さんとここにいましょう」(第7巻 p118) というように、ここでは外界と切り離され、まるで時間と空間の変化がないように見える。

おそらくナウシカは墓所の主に「永い浄化の時はすぎ去り、人類はおだやかな種族として新たな世界の一部となるだろう」「私達の知性も技術も役目もおえて、人間にもっとも大切なものは音楽と詩になろう」(第7巻 p200) と言われても、その肝心要の人類、人間が庭園で見たヒドラのような種族になってしまう可能性があることに、きっと激しい違和感を覚えたのだろうと思う。

それに関連して、清浄な世界にもどった時の人間の卵がつぶれるシーンで、自分の罪深さにおののくと言ったナウシカに対してヴ王が言った言葉「そんなものは人間とはいえん」(第7巻 p211) も興味深い。

なぜなら「王蟲のいたわりと友愛は虚無の深淵から生まれた」(第七巻 p201) とナウシカも言っているように、青き清浄の地というユートピアにこびへつらい、死を否定し、人工的に無理やり大地を浄化し、不老不死の身体に作り変えたとしても、そこにいたわりや友愛が芽生えるわけではないからだ。

逆から言えば自分自身の今を生きることによって、自分の意識そのものがすでに不老不死であり、今生きているこの場所がすでにユートピアであることを知ることが出来るからだ。

だから最後のセリフが「生きねば……」となっているのだろうと思う。

Posted on 2014/11/30 Sun. 22:01 [edit]

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まわりうた 

またとこふ よあけゆふかた
  まちのはの ちまたかふゆけ あよふことたま

(また呪ふ 夜明け夕方 街の端の 巷交ふ遊戯 歩ぶ言霊)

解説

呪う(とこう)というのは「のろう。」という意味で、端(は)といのは「物のはし。へりの部分。はた。」「はんぱであること。はした。」という意味で、巷(ちまた)というのは「道の分かれる所。分かれ道。辻(つじ)。」「物事の境目。分かれ目。」「町の中の道路。また,町中(まちなか)。」「世間。世の中。」「物事の行われる場所。」という意味で、交うというのは「かわす。さしかわす。」という意味で、遊戯(ゆげ)というのは「心にまかせて遊び楽しむこと。」「楽しく思うこと。」という意味で、歩ぶ(あよぶ)というのは「あるく。あゆむ。」という意味です。

余談

この歌は、ゲーム「夕闇通り探検隊」のOPムービーを見ながら、それをモチーフに書いた歌です。

ちなみにこのゲームでは、主に学校で囁かれているいろいろな噂を、中学生である主人公達が検証していくのですが、その噂の真相にたどり着くと、囁かれていた噂が一人歩きして誇張されていたり、全く別な話として伝わっているケースも多々あります。また、そのような根も葉もないあやふやな噂に振り回されて不安な気持ちになったり、また或いはその噂のタネにされて傷ついているクラスメートがいたりします。

そして安易に他人の悪口や噂を流している側は、その悪口や噂の最終的に行き着く場所、結果に対してどこまでも無責任で、さらにそのような言動こそが「呪い」である、という自覚すら無い所が、このゲームの一番怖い所であり、これこそがゲーム製作者の意図した「恐怖」ではなかっただろうか、と個人的には思うのです。

Posted on 2014/11/30 Sun. 21:47 [edit]

category: まわりうた

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いろはうた 

たそかれのさま ぬけねへや
おもひはめくり をこよせて
いちろなつあす ふるゐとに
えんゆむきわら ほうしゑみ

黄昏の狭間 抜け寝部屋
想ひは巡り 烏滸寄せて
一路夏褪す 古井戸に
縁由麦藁 帽子笑み

解説

狭間(さま)というのは「細いすき間。」「窓。」という意味で、寝部屋というのは「寝るへや。寝室。」という意味で、烏滸(おこ)というのは「ばかげていること。愚かなさま。」「ふとどきなさま。不敵なさま。」という意味で、褪すというのは「時間が経過したり,光線が当たったりして,色・つやなどが薄くなる。色がさめる。」「もとの美しさや力を失う。衰える。」「褪せる。」という意味で、縁由(えんゆ)というのは「物事がそうなった訳やきっかけ。原因・理由・由来など。えんゆう。」という意味です。

以下、ゲーム「夕闇通り探検隊」のネタバレ注意。また内容がちょっとダークなので、見たくない人は見ない方がいいかも・・。

余談

この歌はゲーム「夕闇通り探検隊」の最後のシーン、及びネット上で公開されている資料「人面ガラスディティール」を見ながら、それをモチーフに書いた歌です。つまり、13年前に精神病院の特殊隔離地下房を抜け出し、その奥の森の古井戸の中で死んだ少女と、ゲームの最後に出て来る麦藁帽子のシーンをモチーフにしている、ということです。

では、歌の解説に移りたいと思います。

まず歌の最初の部分は、人面ガラスディティールにある文章「だが、日に一度だけ、変化は訪れた。突然に。夕刻が訪れたとき、小窓から斜めに注ぐ光線が、室内をオレンジ色で満たしたのである。少女は、その一瞬、生命の炎が逆流したかのような勢いで、小窓に飛びつき、あらゆる手段を使って、ほとんど動物的に、鉄格子の一本を老朽化したコンクリート共々たたき落とした。」の部分をモチーフにして書いたものです。

また、烏滸というのは愚か者という意味ですが、「気楽な、屈託のない、常軌を逸した、行儀の悪い、横柄な」(『日葡辞書』)など、同じ愚か者という意味の「馬鹿」よりも、むしろ道化的な意味が強いようです。これもOPのムービーや「殺人ピエロの噂」に出て来るピエロの人形のオルゴールを意識しています。言うまでもありませんが、烏(からす)の漢字が入っていることも意識しています。

ちなみに烏滸の語源は、後漢時代の中国で黄河や楊子江に集まるやかましい人達をさしていて、これは、やかましいことをカラスに喩え、水際を意味する「滸」から「烏滸(おこ)」としたものだそうです。また烏滸(おこ)には痴(おこ)、尾篭(おこ)という漢字も当てはめることが出来ます。さらに尾篭(おこ)は同時に尾篭(びろう)とも読め、意味は「わいせつであったり不潔であったりして,人前で口にするのがはばかられること。きたないこと。また,そのさま。」「礼を失すること。失礼。無礼。」ということから、この歌の中で使われている「烏滸」は、むしろ「ヨドミ」のニュアンスで捉えたい所です。

さらに突き詰めるならば、ざわざわした心の動きが自分の心の境界線を越えた所から湧き出て来るような、そういう心の動き、つまり本能とか狂気といったものに通じる何かをこの「烏滸」の中に見出したい、ということでもあります。

そしてそれが歌の後半の「一路夏褪す 古井戸に」へと続いていきます。夏は一年の中で最も生命力溢れた季節で、夕方になっても陽は中々衰えず、まるで永遠に夜が来ないような、そんな錯覚すら覚えてしまうぐらいですが、しかし時間、季節は確実に前へ前へと突き進んでいきます。これはちょうど生と死の関係にも当てはまるような気がします。

夕刻の森の中、本能のままに走り去った少女は、この時全身全霊で生きている実感を感じていたのではないでしょうか。

そしてそのような物語を内包している「古井戸」に、まるで鎮魂の意味を込めているかのように、EDの最後の所で麦藁帽子が登場している点に注目して、今回の歌の締め括りとしてみました。

最後に一言。

目の前の他人や現実を呪うことで死を克服しようとするのではなく、その外側に向かうエネルギーを全て内側へと反転させ、さらにそのエネルギーを自身の生きる力に変える時、呪詛の力は祝福の力へと変わるような気がします。

Posted on 2014/11/30 Sun. 21:45 [edit]

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まわりうた 

はしるほと にしのひもおく
  ととまるま ととくおもひの しにとほるしは

(走るほど 西の日も奥 留まる間 届く想ひの 時に通る死は)

解説

時(じ)というのは「とき。ある特定の時刻。」という意味です。

余談

この歌は、ゲーム「夕闇通り探検隊」のオープニングムービーを見ながら、それをモチーフに書いた歌です。

さらに突っ込んだ解説

すこし解説しておくと、この「夕闇通り探検隊」というゲームは、三人の中学生が学校が終わってからの夕暮れ時の時間帯に、学校で手に入れたさまざまな噂を検証していく、という一風変わったホラーアドベンチャーゲームになっています。

ですので、歌の最初の「走るほど 西の日も奥」というのは、この三人がいろいろと町の中を探検して行くにつれ、太陽もまたその町並みの景色の奥へと隠れていき、気が付けば普段とは違う夕方特有の昼でも夜でもない異質の空間に変貌している、というその様を描いています。そしてこの「走る」というのは、歌の中心の「留まる」、また最後の「死」と対比させて、生きるという意味も込めてあります。

「留まる」ことと「死」がどうしてつながるのかというと、まずゲームの中にヨドミという概念があり、舞台となる町はこのヨドミによってどんどん侵食され、人々の想いもまた孤独や不安に囚われがちになっている、という背景があるからです。ヨドミはおそらくケガレのようなものと思われます。

そして歌の中心の「留まる間」ですが、これはこのゲームの舞台になっている架空の町、陽留見(ひるみ)の文字と、さらに主人公三人組のある意味中心人物になっているであろう久留美(くるみ)ちゃんの名前から連想しました。また「留まる」の次に来る「間」(ま)には、間(はざま)という意味も込めてあります。

つまり町全体が昼でも夜でもない、一種のあいまいな境界そのものを表している、ということです。と同時に、この物語の主人公たちもまた子供でも大人でもない、一種の境界の中で生きているということにも注目したいところです。

このように、徐々に町並みのずっと奥へと隠れていくけれど、しかしその状態になればなるほど町は異様な美しさに彩られ、そしてそれがまるで、時空そのものを切り取ったかのような永遠性すら帯びてくる。夜(死の世界)が近づけば近づくほど、また太陽(生)も輝く、というその状態を目一杯表現出来ていたらよいなと思います。

ということで歌の後半の「届く想ひの 時に通る死は」ですが、この届く想いというのはまさに人々の心の奥底にある、普段は誰にも届けられることのない淀んだ想いが届く、ということであり、また死者の想いが幽かながら表の世界に滲み出てくる、ということでもあります。なぜなら夕闇に染まっていく町の中で主人公たちは、その探検を通して様々な人々の、時には幽霊達の想いですら知ることになるからです。つまり一番に夜(=死の世界)に近い夕方のこの時間帯こそが「届く想ひの 時」であり、そのような特殊な時間と空間の中に居るからこそ、普段は絶対に触れることが出来ない様々な想いを知ることが出来るのではないか、ということです。

そしてその死の世界に触れることで主人公たち少年少女は、今自分達が生きている世界を再認識し、それによってまた「走って」いくことが出来るのではないか、次の世界へと旅立って行けるのではないか、ということです。

Posted on 2014/11/30 Sun. 21:39 [edit]

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まわりうた 

なかきよみ そのみやるなか
  つしのちの しつかなるやみ のそみよきかな

(永き黄泉 その見遣る中 辻の路の 静かなる闇 望み良きかな)

解説

黄泉というのは「死後,霊魂が行くとされる所。死者の国。冥府。冥土。よみの国。よみじ。よもつ国。」、見遣るというのは「視線を遠くへ向ける。」「そっちの方を見る。」という意味で、辻というのは「二つの道路が十字形に交差している所。また,四方からの道が集まりゆききする人が出会い別れる交通の要所。辻堂・辻社(つじやしろ)が置かれ道祖神がまつられることが多い。十字路。四つ辻。」という意味で、路(ち)というのは「みち。」という意味で、望みは「そうしたい,そうありたいと思っている事柄。願い。希望。願望。」「ながめ。眺望。」という意味です。

余談

この歌はゲーム「夕闇通り探検隊」の中で出て来る、古街通りの十字路の(カスカが登場する)場面をモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/11/30 Sun. 15:46 [edit]

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まわりうた 

いたくむけ とほかとくほと
  みきとはと きみとほくとか ほとけむくたい

(抱く無碍 遠香解くほど 幹と葉と 君と僕とが 解けむ躯体)

解説

無碍(むげ)は「何ものにも妨げられないこと。何の障害もないこと。また,そのさま。」、遠香(とおか)というのは「遠くから匂う香り。」という意味で、解けむの‘む’は「推量の助動詞。~だろう。」という意味で、躯体(くたい)というのは「からだ。体躯。」という意味です。

余談

この歌は、ゲーム「luv wave」の中で流れている「stream memory」という曲を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/11/30 Sun. 15:24 [edit]

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まわりうた 

らかんから かみのひこそり
  なうかんか うなりそこひの みからかんから

(裸眼から 神の美挙り 脳幹が 唸り底方の 身から肝から)

解説

挙る(こぞる)というのは「残らず集める。」「ことごとく集まる。残らずそろう。」という意味で、脳幹というのは「脳のうち、間脳・中脳・橋(きょう)・延髄の総称。大脳半球の幹の意でいい、生命維持に重要な機能の中枢部があるほか、感覚神経・運動神経の通路になっている。」という意味で、底方(そこい)というのは「行きついてきわまる所。限り。奥底。はて。」という意味で、肝(かん)というのは「肝臓。きも。」「《昔、魂の宿るところとされたところから》心。まごころ。」という意味です。

意訳

自らの中にある様々な価値観や偏見や思い込み、悩みや不平不満を一旦全部捨てて、色眼鏡を外して改めてこの世界を見渡してみると、言葉に出来ないほどの美しい世界がただ目の前に広がっている。そして、それはまるで自分のためだけに用意された夢の国のように感じる。

と同時に、このどうしようもない美しさを目の前に私の中の本能が唸り声をあげ、その感極まる先にある身体と心の奥底から、さらなる感動が湧き上がって来て、もうどうしようもないなぁ、といった感じ。

余談

この歌は、ゲーム「luv wave」の中で流れている「stream memory」という曲を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2014/11/30 Sun. 15:06 [edit]

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まわりうた 

なかきよに もとめるみたま
  みそめるめ そみまたみるめ ともによきかな

(長き夜に 求める身魂 見初める目 染みまた見る目 共に良きかな)

解説

見初めるというのは「異性を一目見て好きになる。」「初めてあう。初めて見る。」「男女が初めて契りを結ぶ。」という意味です。

Posted on 2014/11/30 Sun. 13:20 [edit]

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まわりうた 

こひのちの いまはきみはき
  つきのよの きつきはみきは まいのちのひこ

(恋の路の 今は君剥ぎ 月の夜の 気付きは渚 真命の秘語)

解説

路(ち)というのは「みち。」という意味で、渚(みぎわ)というのは「陸地の,水に接する所。みずぎわ。」という意味で、真(ま)は「名詞・形容詞・形容動詞などに付いて、うそいつわりのない,真実の,本当の,などの意を表す。」という意味で、秘語というのは「秘密の言葉。仲間うちだけに通用する特殊な言葉。また、公言がはばかられるような言葉。」という意味です。

余談

この歌はエヴァの「Fly Me To The Moon」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。


雑感

渚は身際(みぎわ)とかけている。また、この「秘語」をロゴス的な意味合いで解釈しても面白いかもしれない。何気カヲルの「一時的接触を極端に避けるね、君は」のセリフが思い出される。

Posted on 2014/11/30 Sun. 12:39 [edit]

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まわりうた 

きしひこと みきはにこころ
  ちいほのほ いちろここには きみとこひしき

(帰し日毎 身際に心 千五百の歩 一路此処には 君と恋しき)

解説

千五百(ちいほ)というのは「数のきわめて多いこと。無数。ちいお。」という意味で、一路というのは「一筋の道。」「(副詞的に用いる)寄り道せずにまっすぐに。ひたすら。」という意味です。

Posted on 2014/11/30 Sun. 12:17 [edit]

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