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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよの みきはのとこと
  きすのまの すきとことのは きみのよきかな

(長き夜の 身際の床と キスの間の 好きと言の葉 君の良きかな)

解説

言の葉は「ことば。」の意味です。

余談

この歌は、luv waveサウンドトラックの中にある「digital leaf」を聴きながら、それをモチーフにした歌です。

Posted on 2015/03/31 Tue. 21:21 [edit]

category: まわりうた

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31

まわりうた 

かひのあい あひたみなるる
  かなたたた なかるるなみた ひあいあのひか

(佳美の愛 間見慣るる 彼方ただ 流るる涙 悲哀あの日が)

解説

佳美(かび)は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、見慣るは「いつも見ていて目になれる。」、悲哀は「かなしく,あわれな・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「神無月の人魚 -Piano Version-」 を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

エメラダか……なつかしいな。。。ストーリー思い出したら泣けてきた。。。

Posted on 2015/03/30 Mon. 22:21 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきよの みからひたすら
  このときと のこらすたひら かみのよきかな

(永き代の 身から一向 この時と 残らず平ら 神の良きかな)

解説

一向(ひたすら)は「ただその事だけに心が向かうさま。いちず。ひたぶる。」「すっかり。全く。」、平らは「平らな場所。平地。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「MELKABA」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分で書いておきながら意味不明な歌。まあいっか。

Posted on 2015/03/30 Mon. 21:41 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

むからひと みよたまかへし
  ことのとの とこしへかまた よみとひらかむ

(無から人 見よ霊返し 言の音の 常しへがまた 黄泉門開かむ)

解説

音(と)は「おと。ひびき。こえ。」、常しへ(とこしえ)は「変わらずにいつまでも続く・こと(さま)。とこしなえ。えいきゅう。」、黄泉門は「黄泉にはいる入り口。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「Reset」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

言は九十(こと)で、一から八の一八(岩)の中の世界の外にある世界のこと。つまりナギとナミの神様の世界がいよいよ入り混じるということ。

日月神示参照

『ナギ、ナミ夫婦神は八分通り国土を生み育てられたが、火の神を生み給ひてナミの神は去りましたのであるぞ。物質偏重の世はやがて去るべき宿命にあるぞ、心得なされよ。ナミの神はやがて九と十の世界に住みつかれたのであるぞ。妻神に去られたナギの神は一人でモノを生むことの無理であることを知り給ひ、妻神を訪れ給ひ、相談されたのであるなれど、話が途中からコヂレて遂に別々に住み給ふ事となり、コトドを見立てられて千引の岩戸をしめ、両神の交流、歓喜、弥栄は中絶したのであるぞ。』(至恩の巻 第八帖)

『千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。』(至恩の巻 第九帖)

『岩戸しめの始めはナギ(伊邪那岐命)ナミ(伊邪那美命)の命の時であるぞ、ナミの神が火の神を生んで黄泉国に入られたのが、そもそもであるぞ、十の卵を八つ生んで二つ残して行かれたのであるぞ、十二の卵を十生んだことにもなるのであるぞ、五つの卵を四つ生んだとも言へるのであるぞ、総て神界のこと、霊界のことは、現界から見れば妙なことであるなれど、それでちゃんと道にはまってゐるのであるぞ。一ヒネリしてあるのぢゃ、天と地との間に大きレンズがあると思へば段々に判りてくるぞ。夫神、妻神、別れ別れになったから、一方的となったから、岩戸がしめられたのである道理、判るであろうがな。その後、独り神となられた夫神が三神をはじめ、色々なものをお生みになったのであるが、それが一方的であることは申す迄もないことであろう、妻神も同様、黄泉大神となられて、黄泉国の総てを生み育て給ふたのであるぞ、この夫婦神が、時めぐり来て、千引の岩戸をひらかれて相抱き給う時節来たのであるぞ、うれしうれしの時代となって来たのであるぞ。同じ名の神が到るところに現はれて来るのざぞ、名は同じでも、はたらきは逆なのであるぞ、この二つがそろうて、三つとなるのぞ、三が道ぞと知らせてあろうがな。時来たりなば この千引の岩戸を倶にひらかんと申してあろうがな。次の岩戸しめは天照大神の時ぞ、大神はまだ岩戸の中にましますのぞ、ダマシタ岩戸からはダマシタ神がお出ましぞと知らせてあろう。いよいよとなってマコトの天照大神、天照皇大神、日の大神、揃ふてお出まし近うなって来たぞ。次の岩戸しめは素盞鳴命に総ての罪をきせてネの国に追ひやった時であるぞ、素盞鳴命は天下(あめがした)を治しめす御役(おんやく)の神であるぞ。天ヶ下(あめがした)は重きもののつもりて固まりたものであるからツミと見へるのであって、よろづの天の神々が積もる(と言ふ)ツミ(積)をよく理解せずして罪神と誤って了ったので、これが正しく岩戸しめであったぞ、命(みこと)をアラブル神なりと申して伝へてゐるなれど、アラブル神とは粗暴な神ではないぞ、あばれ廻り、こわし廻る神ではないぞ、アラフル(現生る)神であるぞ、天ヶ下、大国土を守り育て給う神であるぞ、取違ひしてゐて申しわけあるまいがな。このことよく理解出来ねば、今度の大峠は越せんぞ。絶対の御力を発揮し給ふ、ナギ、ナミ両神が、天ヶ下を治らす御役目を命じられてお生みなされた尊き御神であるぞ。素盞鳴の命にも二通りあるぞ、一神で生み給へる御神と、夫婦呼吸を合せて生み給へる御神と二通りあるぞ、間違へてはならんことぞ。神武天皇の岩戸しめは、御自ら人皇を名乗り給ふより他に道なき迄の御働きをなされたからであるぞ。神の世から人の世への移り変りの事柄を、一応、岩戸にかくして神ヤマトイハレ彦命として、人皇として立たれたのであるから、大きな岩戸しめの一つであるぞ。仏教の渡来までは、わずかながらもマコトの神道の光がさしてゐたのであるなれど、仏教と共に仏魔わたり来て完全に岩戸がしめられて、クラヤミの世となったのであるぞ、その後はもう乱れほうだい、やりほうだいの世となったのであるぞ、これが五度目の大き岩戸しめであるぞ。』(碧玉の巻 第十帖)

『いよいよ判らんことが更に判らんことになるぞと申してあるが、ナギの命の治らす国もナミの命の治らす国も、双方からお互に逆の力が押し寄せて交わりに交わるから、いよいよ判らんことになるのであるぞ。』(至恩の巻 第十一帖)

『高天原に 千木高しりて 仕へまつらむ。 岩戸(言答)のひらけた、その当座は、不合理に思へることばかりでてくるぞ、逆様の世界が、この世界に入り交じるからであるぞ、親よりも子の方が早く目さめるぞ、子が親となるぞ、さかさまの世界と申しても悪の世界ではないぞ、霊の世界には想念のままにどんなことでも出来るのであるぞ、うれしい、こわい世界が近づいて来ているのであるぞ。』(扶桑の巻 第三帖)

『ツミケガレ 今はあらじと はらえ給ひそ。 空白とは九八九であるぞ、八と九、九と八の境をひらくことが岩戸を開くことぢゃ、空白とは最も根本を為す最も力あることであるぞ。』(扶桑の巻 第四帖)

Posted on 2015/03/30 Mon. 21:13 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきよの きつきたましひ
  たかひあひ かたひしまたき つきのよきかな

(長き夜の 気付き魂 互ひ合ひ 我他彼此全き 月の良きかな)

解説

我他彼此(がたひし)は「我と他と,彼と此とを対立的に見ること。個物を個物としてのみ把握して,根元的な万物の同一性を見失っていること。我他彼此の見。」、全い(またい)は「完全である。欠けていない。」の意味です。

余談

この歌は、志方あきこさんのアルバム「RAKA」の中にある「Luna piena」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2015/03/29 Sun. 20:55 [edit]

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29

まわりうた 

なかきよの きすとまくはひ
  あてとへと てあひはくまと すきのよきかな

(長き夜の キスと目合ひ 当て所へと 出合ひ吐く間と 好きの良きかな)

解説

目合ひ(まぐはひ)は「目を見合わせて愛情を通わせること。めくばせ。」、当て所は「あてる所。あてるべき所。」、出合ひは「合うこと。」「調和すること。」の意味です。

余談

この歌は、志方あきこさんのアルバム「Istoria~Musa~」の中にある「POLYMNIA-ポリュムニア-」を聴きながら、それをモチーフにした歌です。

Posted on 2015/03/29 Sun. 20:07 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

かみのつけ うふめつしのま
  たみてまて みたまのしつめ ふうけつのみか

(神の告 産女辻の間 廻みて真手 御魂の鎮め 風月のみが)

解説

告(つげ)は「告げること。しらせること。特に神仏の託宣。お告げ。」、産女(うぶめ)は「難産のために死んだ女性の幽霊。通行人に赤子を抱かせようとしたり,幼児に危害を加えたりするといわれる。うぶめどり。」、辻は「二つの道路が十字形に交差している所。また,四方からの道が集まりゆききする人が出会い別れる交通の要所。辻堂・辻社(つじやしろ)が置かれ道祖神がまつられることが多い。十字路。四つ辻。」、廻む(たむ)は「めぐる。まわる。まがる。」、真手(まて)は「両手。左右の手。」、御魂は「死者の霊魂を尊んでいう語。」、風月は「風と月。自然界の風物。」の意味です。

余談

この歌は、神人さんのアルバム「神 2010」の中にある「鎮魂(みたましずめ)の音」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

自分で書いておきながら、よくわからん歌。たぶん鎮魂のための歌かと思われる。イメージとしては、辻で鎮魂の儀式をすることによって産女が消えさり、あとには自然の景色だけが残ったというもの。

Posted on 2015/03/28 Sat. 22:24 [edit]

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28

まわりうた 

はるつきと いめのきさくら
  はやかはか やはらくさきの めいときつるは

(春月と 夢の黄桜 早川が 和らぐ先の 冥途来つる場)

解説

夢(いめ)は「ゆめ。」、黄桜は「サトザクラの園芸品種。花は淡黄緑色の八重咲きで新緑と同時に開花。」、早川は「流れの早い川。」、冥途は「 死者の霊魂が行く暗黒の世界。冥界。よみじ。」の意味です。

余談

この歌は、志方あきこさんのアルバム「RAKA」の中にある「Luna piena」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

三途の川というのがあるが、重罪のものは流れの速い川を渡るのだそうな。この歌は、そのような人たちすら救い、極楽浄土に誘(いざな)うというイメージの歌です。

Posted on 2015/03/28 Sat. 20:49 [edit]

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28

まわりうた 

はるたから くさのはかをる
  かひのひの ひかるをかはの さくらかたるは

(春田から 草の葉香る 佳美の陽の 光る小川の 桜が垂る場)

解説

春田(はるた)は「稲を刈り取ったあと,春までそのままにしてある田。また,春にすき起こされた田。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

余談

この歌は、志方あきこさんのアルバム「RAKA」の中にある「春告げ ~Raggi di primavera~」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

草の葉香る春の田んぼと、陽に照らされてきらきら光る小川と、枝垂れ桜のコンボで、まるで天国の風景さながらだわ。

Posted on 2015/03/28 Sat. 09:59 [edit]

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28

まわりうた 

なかきよの たうとみのみか
  かみとひと みかかみのみと うたのよきかな

(永き代の 田人身の身が 神と人 御鏡のみと 歌の良きかな)

解説

田人(たうど)は「《‘たひと’の音変化》田仕事に従事する人。田子(たご)。」の意味です。

余談

この歌は、神人さんのアルバム「神 2010」の中にある「神」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

日月神示参照

『そなたの用意が足らんぞ。日々の人間の御用を、神の御用と和すように、神の御用が人の御用、人の御用が神の御用となるのがまことの道であり、弥栄の道であり大歓喜であるぞ。いつでも神かかれるように神かかってゐるように、神かかっていても、われにも他にも判らぬようになりて下されよ。鍬とる百性が己をわすれ、大地をわすれ、鍬をわすれてゐる境地が、まことのみたましづめであり、神かかりであるぞ。そこらでなさる行も、それに到る一つの道ではあるが、それのみではならんぞ。気つけ合ってよきに進んで下されよ。そなたが歩むのぢゃ。道は自分で歩まねばならんぞ。他人におんぶしたり、他人が歩かしてくれるのではないぞ。そなたの力で、そなた自身の苦労で人を助けねばならんぞ。人を助ければその人は神が助けるのであるぞ。この道理なぜに判らんのぢゃ。人を助けずに我を助けてくれと申しても、それは無理と申すもの。神にも道はまげられんぞ。』(月光の巻 第四十九帖)

『一度に立替へすると世界が大変が起るから、延ばし延ばしてゐるのざぞ、目覚めぬと末代の気の毒できるぞ。国取られた臣民、どんなにむごいことになりても何も言ふこと出来ず、同じ神の子でありながら余りにもひどいやり方、けものよりもむごいことになるのが、よく分りてゐるから、神が表に出て世界中救ふのであるぞ、この神示腹に入れると神力出るのざぞ、疑ふ臣民沢山あるが気の毒ざぞ。一通りはいやがる臣民にもこの神示一二三(ひふみ)として読むやうに上の人してやりて下されよ。生命あるうちに神の国のこと知らずに死んでから神の国に行くことは出来んぞ、神の力でないと、もう世の中は何うにも動かんやうになってゐること、上の番頭どの分かりて居らうがな、何うにもならんと知りつつ まだ智や学にすがりてゐるやうでは上の人とは申されんぞ、智や学越えて神の力にまつはれよ、お土拝みて米作る百姓さんが神のまことの民ぞ、神おろがみて神示取れよ、神のない世とだんだんなりておろがな。真通(まつ)ることは生かす事ぞ。生かす事は能(はたら)かす事ぞ。神の国には何でもないものないのざぞ、神の御用なら何でも出て来る結構な国ぞ、何もなくなるのは やり方わるいのぞ、神の心に添はんのぞ。』(地つ巻 第三十帖)

『二二は晴れたり日本晴れ、二二に御社(みやしろ)してこの世治めるぞ。五大州ひっくり返りてゐるのが神には何より気に入らんぞ。一の大神様まつれ、二の大神様まつれよ、三の大神様まつれよ、天の御三体の大神様、地の御三体の大神様まつれよ、天から神々様 御降りなされるぞ、地から御神々様おのぼりなされるぞ、天の御神、地の御神、手をとりてうれしうれしの御歌うたはれるぞ。◎の国は神の国、神の肉体ぞ、汚(けが)してはならんとこぞ。』(天つ巻 第一帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

Posted on 2015/03/27 Fri. 21:58 [edit]

category: まわりうた

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