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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよの ひきてめをとこ
  まつのよの つまことをめて きひのよきかな

(長き夜の 弾きて女男 松の世の 爪琴を愛で 機微の良きかな)

解説

女男(めおとこ)は「妻と夫。夫婦。」、爪琴(つまごと)は「箏の異名。」、愛づは「愛する。恋慕する。思い慕う。」、機微(きび)は「表面からは知りにくい微妙な心の動きや物事の趣。」の意味です。

余談

この歌は、十二国記 O.S.T.1 - 十二幻夢組曲にある「十二幻夢曲(アコースティック・ヴァージョン)」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2015/11/30 Mon. 23:21 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきよし いはとかひらく
  はいかいか いはくらひかと はいしよきかな

(永き由 磐戸が開く 排開が 磐座美雅と 拝芝良きかな)

解説

由(よし)は「物事の理由や事情。いわく。」「風情。情緒。」、磐戸は「天の岩戸。」、排開は「おしひらくこと。」、磐座(いわくら)は「神のおられる所。神のまします場。天(あま)の磐座。」、美雅は「清らかで美しい・こと(さま)。」、拝芝は「面会することをへりくだっていう語。拝顔。拝眉。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

意訳

長い間、訳あって閉められていた磐戸が開く。それによって磐戸の中の世界が、神のまします場が、どれだけ清くて美しいかを知るのだ。さらにそこから出て来られる天照大神様を拝めるとは、何とも良いことだなあ。

Posted on 2015/11/30 Mon. 22:20 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきよの うくるみひかり
  とひらから ひとりかひみる くうのよきかな

(永き代の 受くる御光 扉から 一人佳美見る 空の良きかな)

解説

扉は「ある物事への入り口のたとえ。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、空(くう)は「万物はすべて因縁(いんねん)によって起こる仮の相で,実体がないということ。大乗仏教では,自我も存在も空であるとして,人法二空を説く。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見ながら、それをモチーフに書いた歌です。

『摩訶般若波羅蜜多心経 Prajna-paramita Hrdaya Sutram (The Heart Sutra)』
https://youtu.be/InkJE2PMX3Y

雑感

以前からおぼろげには知っていたけれど、今回初めてちゃんと般若心経を聴いてみたらけっこう面白かったので、それを歌にしてみました。自分でも唱えてみたら、何だか不思議な気分になりました。

Posted on 2015/11/26 Thu. 00:07 [edit]

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26

まわりうた 

なかきよの ほまれはたかし
  くつろくろ つくしかたはれ まほのよきかな

(永き代の 誉れは高し 寛ぐ廬 筑紫潟晴れ 真秀の良きかな)

解説

誉れ(ほまれ)は「ほめられて世間的に光栄であること。評判のよいこと。名誉。」、寛ぐ(くつろぐ)は「ゆったりとした気分になる。心身が休まる。」、廬(ろ)は「小さく粗末な家。いおり。草庵。」、筑紫潟(つくしがた)は「有明海の別名。」、真秀(まほ)は「十分であること。完全であること。よく整っていること。また,そのさま。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「旅は続く」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2015/11/25 Wed. 19:50 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

なかきよの めうとむすひの
  ひのてみて のひのひすむと うめのよきかな

(永き代の 夫婦結びの 日の出見て 伸び伸び住む都 梅の良きかな)

解説

夫婦(みょうと)は「結婚した男女。夫婦(ふうふ)。めおと。」、結びは「しめくくること。最後。終わり。」、伸び伸びは「心配などがなく,自由でゆったりとしたさま。」、都(と)は「みやこ。」です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「Reset」を聴きつつ、下記ブログの記事を見て、それをモチーフに書いた歌です。

『みの尾張の女子とは白山菊理姫様のことか?。その肉体の演技に「静御前」?』
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20150517

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

日月神示では下記のように仮死状態になると書かれてある。

『今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。』(五葉の巻 第十五帖)

上記ブログでは、その役割をするのが「白山菊理姫様」(龍宮の乙姫様)と書かれてある。この世の締めくくりである身の終わりは、逆からいうと霊の始まりでもある。つまり産霊(むすひ)である。晴れて霊の出(=日の出)を見て半霊半物質となれば、そこには文字通り「三千世界一度に開く梅の花」が咲いているのだろう。

Posted on 2015/11/24 Tue. 23:37 [edit]

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24

まわりうた 

しこのいけ きせつみしかね
  かくてりて くかねかしみつ せきけいのこし

(自己の意解 季節見し鐘 覚照りて 黄金が清水 夕景の古寺)

解説

自己(じこ)は「おのれ。自分自身。」、意解(いげ)は「心の解脱(げだつ)。」、鐘は「つりがね。」「鐘の音。」、覚(かく)は「悟り。仏の智慧。菩提(ぼだい)。」「ブッダ。仏。悟った者。」、黄金(くがね)は「こがね。」、清水は「澄んで,きれいな水。せいすい。」、夕景は「夕方の景色。夕景色。」、古寺は「古い由緒のある寺。古刹(こさつ)。ふるでら。」の意味です。

余談

一昨日、京都の金閣寺に行ってきたので、それを記念に書いた歌です。

雑感

「自己の意解」は、自分の意(心)が解けるぐらいに金閣寺が美しかったということです。その素晴らしい様子が「季節見し鐘 覚照りて 黄金が清水 夕景の古寺」で示されている。

「季節見し鐘」は、庭園内に居る時ちょうど鐘の音が鳴り、なんだか風流だなぁ、と季節を超えた悠久の時を感じたので、その部分を示しています。

次の「覚照りて」は、仏の智慧を具現化したかのような夕照と解釈したい。

後半の「黄金が清水」は、直訳すれば黄金色の清い水となるが、これは鏡湖池(金閣の周りを囲む池)に映った黄昏時の空と黄葉(もみじ)と金閣の取り合わせと解釈したいところ。(実際行ったときは黄葉はほとんど終わっていたが……)

金閣寺は極楽浄土をこの世に再現したと言われているが、この歌でその極楽浄土が少しでも表現出来ていたらいいなと思います。

Posted on 2015/11/23 Mon. 22:04 [edit]

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23

まわりうた 

かのきしの ひしりのいくた
  たそかれか そたたくいのり しひのしきのか

(彼の岸の 聖の幾多 黄昏が そだたく祈り 至美の四季の香)

解説

彼の岸は「迷いを脱し,生死を超越した理想の境地。悟りの境地。涅槃(ねはん)。彼岸。」、聖(ひじり)は「高徳の僧。高僧。また,一般に僧の敬称。」「徳の高い人。聖人。」、黄昏(たそかれ)は「夕暮れ方。夕方。夕方、薄暗くなって向こうにいる人が識別しにくくなった時分。」、そだたくは「しっかり抱きしめる。」、香(か)は「におい。かおり。」です。

余談

この歌は、「電脳コイル サントラ音楽集 Disc 1」の中にある「街の灯」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

昔からなぜか夕陽が異常に好きで、その光の中に渇望せざるを得ない懐かしさを感じるのだが、なぜそうなってしまったのかは今ではよく思い出せない。幼稚園のころ、近所の小さな神社の中にピアノ教室があってそこに通っていたのだが、夕方レッスンが終わって母親を待っている時、その境内で遊んでいたのでそれが原風景なのかもしれないと思いつつも、それだけでは説明しきれない何かがあるようにも思える。

以前考えたのは、この懐かしい感覚は死んだ後、自分が生きてきた世界を振り返った時の感覚なのかもしれない、と思ったことがある。

そういえば一度、母親のパートが遅くなったかで迎えが来ず、辺りはどんどん暗くなっていき、このまま置き去りにされて帰れなくなるのではないかと死ぬほど不安になった覚えがある。

今思うとこの恐怖は、自分がこの世を去る時に、お迎えが来ない恐怖と似ているのかもしれない。

ということで、この歌は無事に成仏していく様をイメージして書いたものです。(笑)

意訳

何も見えない暗闇の道を歩いていると、向こう側にぼんやりと、全てを恍惚の中に溶かしてしまう黄金色に満ちた世界が見えて来る。半ば無意識のまま吸い寄せられるように歩いていくと、幾多の僧か聖人かわからない誰かが、お経か何かを唱える祈り言が遠くから響いて来る。そのよくわからない祈り言の響きを聴いていると、なぜか心がとても安心してきて、今までの不安や苦しみの意識が洗われ、次の瞬間、まるで夢から覚めるように感覚が鋭敏になっていく。

その時、今までの人生が走馬灯のように蘇って来て、その巡る過去の、この上ない美しさにこの霊なる全身は、慈しみと感謝とで一杯になるのだ。

Posted on 2015/11/22 Sun. 10:19 [edit]

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22

まわりうた 

なかきよて みなかもついと
  せいとへと いせといつもか なみてよきかな

(永き代で 真中持つ糸 聖都へと 伊勢と出雲が 並みて良きかな)

解説

真中(みなか)は「真ん中。」、糸は「繊維が長く線状に連続したもの。綿糸・毛糸など短い繊維を紡績したものと,生糸・合成繊維など長い繊維からなるものがある。」「細く長くて糸のようになっているもの。」、聖都は「神聖な都。」、並むは「並ぶ。連なる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「神州平原」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

伊都能売神諭では丹波は神都と書かれてある。

『東京の経綸はミノヲハリ、尾張の経綸は世の終り、伊勢は丹波に丹波は神都、みやこの経綸は万古末代つづくぞよ。』(大正七年一二月二二日)

霊界物語でも書かれてある。

『福知山舞鶴は外囲ひ、十里四方は宮垣地、綾部はまん中になりて、黄金世界に世が治まるぞよ。綾部は結構な所、昔から神が隠しておいた、真誠の仕組の地場であるぞよ。』(第60巻 第5篇 20章 三五神諭 その一)

日月神示でも似たようなことが書かれてある。

『だました岩戸からはだました神が出て、ウソの世となったのぢゃ、この道理判るであろう、ニセ神やら、だました神やら、次々に五度の岩戸閉めと申してあろが、タンバはタニハ、田庭とは日の本の国ぞ、世界の事ぞ、タンバとはタンバイチとは世界の中心と云ふ事ぞ、日の本と云ふ事ぞ、キミの国ざぞ、扶桑の国ざぞ、地場ざぞ、判りたか。地場を固めなならんぞ、五十鈴の川はムツの川、和合の川ぞ。』(海の巻 第十一帖)

ということで、新しくミロクの世になると旧丹波国(福知山市、綾部市、亀岡市、南丹市、京丹波町、篠山市、丹波市)が世界の中心となり、さらにその中心が綾部となるそうな。ちなみに元出雲とされる出雲大神宮は亀岡市にあり、元伊勢の皇大神社は福知山市にある。

次に、これを踏まえて歌の解釈をしてみようかと思う。

「永き代で 真中持つ糸 聖都へと」がいきなり意味不明だが、綾部は蚕都とよばれたぐらいに養蚕・生糸業がさかんだったのだそうだ。また糸は一十(いと)でこれは一十(ひと=人)に通じる。そして「真中」(みなか)は天之御中主神の御中に通じる。

さらに「糸」を分解すると「幺+小」となる。下記ブログによれば幺はムが二つ重なったものなのだそうだ。

『「ム」から生じた【玄】、創造神は幽の幽界に在り』
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20120730

9から一桁あがると10になるが、これは一(はじめ)の○(霊)と解釈できる気がする。99ならば一(はじめ)の○(霊)の○(霊)、即ち、さらなる霊妙なる始まりの世界を見ることができるということであろう。今回ミロクの世になるについては、次元が転換されると言われている。

火水伝文参照

『 こ度の天意転換は、この宇宙創りたる始源より決まりてありたことなのぞ。汝等の宇宙、光ひとつ上ぐる仕組み、七つに別けて進み来たりたのじゃ。こ度がその最期なり。七期目の仕上げの時になりたのじゃ。』

ミロクの世に移行する人は、既にその世界に居る人々、神々にとってはムのムのごくごく小さい世界から誕生した者とみなされるように思う。我々が気付いたらこの世に生まれていたように、新しい世でも気づいたらそこに生まれ、そこで永遠を生きるのだ。そして本来生まれるはずのない有難い世界が目の前に生ずることになるわけである。

逆から言うと、今の宇宙は本当の宇宙からするとムのムの宇宙であり存在していないということでもあるわけである。その存在しない宇宙から、存在している宇宙に移行するので、まさに全てがあり得ない、有難い現象であり、何もかもが有難いままに本当の宇宙を拝めるという仕組みになっている。

また糸は意図に通じる。ミロクの世では霊主体従で想いが先に来ることから、自分の意をすぐさま図にできる、即ち想ったことが即現実化する、という意味での糸(意図)のような気もしないでもない。

このように解釈すれば「真中持つ糸」とは、真ん中、中心を持つ意図という意味になる。中心とは自分の中の中、奥の奥にある心で、それは即ち神である。常にその心の中に神が存在しており、その心(=しん=神)が真ん中なる自分となって全てが意図されるようになるということである。

そしてその糸(意図)が聖都へと向かわせる。これは即ち、聖なる都へ行くという意味でもあるが、より中心に近い段階へと向かうということであろう。なぜならミロクの世では何もかもがありやかなので、中心に行けば行くほど喜びが増すのがわかるからである。

日月神示参照

『へその緒はつながってゐるのであるから、一段奥のへそえへそえと進んで行けば、其処に新しき広い世界、大きくひらけるのであるぞ。自分なくするのではなく高く深くするのであるぞ。無我でないぞ。』(秋の巻 第五帖)

後半の『伊勢と出雲が 並みて良きかな』は、天津神と地津神(国津神)が並んで良いなぁ、ということであり、この段階ではもう天と地ではなく天地になったことを意味している。天地になったとは、霊と物が一つになって半霊半物質になったということであり、生も死もなく状態の変化をただ喜び楽しむだけとなったということである。

Posted on 2015/11/20 Fri. 02:13 [edit]

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20

まわりうた 

なかきよの ちのをろここの
  きよまるま よきのこころを のちのよきかな

(長き世の 地の尾ろ個々の 清まる間 良きの心を 後の良きかな)

解説

尾ろ(をろ)は「尾。」の意味です。尾には「物事の終わりの部分。末の方。」の意味もあります。

余談

下記ブログを見て、それをモチーフに書いた歌です。

「人に内在する良心神(神言会)」
http://kamikotokai-b.jugem.jp/

意訳

長く続いて来た地上の世界が終わるこの時、大神様が仕組まれたタテカエによって個々の心身が清められる。なのでこの時節を見誤ることなく、自らの良心をどこまでも護持していたいものだ。その良心があれば、今は辛くとも後々は良きようになり、永遠に続くミロクの世で嬉し楽しの日々を暮らせるのだから。

Posted on 2015/11/18 Wed. 16:42 [edit]

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まわりうた 

なかきよの ねふりのいまに
  みうるはる うみにまいのり ふねのよきかな

(長き夜の 眠りの今に 見得る春 海に真祈り 船の良きかな)

解説

眠り(ねぶり)は「ねむること。睡眠。ねむり。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。ちなみに「あはがり」というのは奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

雑感

夢の中で、穏やかな海面を進む船に乗って、常春の岸辺に行く光景が広がる、といったイメージ。

意訳

長い夜の眠りの中で見ることが出来る世界が素晴らしい。広がる青い海に思わず祈りにも似た感謝の念が湧き出してくると共に、常春の岸辺に向かう船の、その滞りのない進みの良いことだなぁ、といった感じ。

Posted on 2015/11/15 Sun. 19:24 [edit]

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