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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

ひひるくに ひつくよもみな
  ひかりけり かひなみもよく つひにくるひひ

(沖る国 日月四方皆 光りけり 佳美な身も良く 終に来る日々)

解説

沖る(ひひる)は「ひらひらと舞い上がる。高く飛び上がる。」「高くそびえる」、国は「(天に対して)地。大地。」、月(つく)は「つき。」、四方(よも)は「東西南北の総称。また、四方(しほう)。周囲。」、佳美(かび)は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、終には「長い時間の過ぎたのちに,期待したり危惧したりした状態に達するさま。さまざまの過程を経て実現したさま。とうとう。」の意味です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

日月神示参照。

『神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。』(天つ巻 第二十帖)

Posted on 2016/02/26 Fri. 22:04 [edit]

category: まわりうた

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26

まわりうた 

なかきよの きするてんこく
  かみのての みかくこんてる すきのよきかな

(永き代の 帰する天国 神の手の 磨く魂出る 好きの良きかな)

解説

帰すは「最後に一つのところに落ち着く。帰着する。」、磨くは「いっそう洗練させる。いっそうりっぱなものにする。」、魂(こん)は「たましい。特に,陽の気に属して精神をつかさどるとされる。」「こころ。」、好き(すき)は「風雅の道。風流。▽和歌・音楽・芸道などの風流の道に深く心を寄せることをいう。」「心がひきつけられること。気持ちにぴったり合うさま。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、下記ブログを見て、それをモチーフに書いた歌です。

『【転載】D 語 録 34.みんな、ダイダイダーイ好き・・・・・』(お土のうたさん)
http://rokushohblog.blog41.fc2.com/blog-entry-43.html

雑感

‘好き’には「風雅の道。風流。」という意味もあるが、歌ではその意味も含めて使っている。

ミロクの世では、人々は水晶魂を授けられると言われている。歌では、あたかも一つの句、書、絵、碗などの芸術作品が創作されるように、神の手で洗練された水晶魂が完成し、そして神人共に好き合う状態となり、永遠の天国を味わう様が描かれている。

日月神示参照。

『取られたり取り返したりこねまわし、終りは神の手に甦(よみが)へる。世の元のまし水 湧きに湧く所、やがて奥山移さなならんぞ。神示判る臣民二三分できたなら、神愈々のとどめのさすなり。三界を貫く道ぞ誠なり、誠の道は一つなりけり。神界の誠かくれし今迄の道は誠の道でないぞや。鬼おろち草木動物虫けらも一つにゑらぐ道ぞ誠ぞ。』(マツリの巻 第六帖)

『念入れかへるぞ。念入れかへるとは、新しき霊界つくることぞ。新しき霊界つくるとは、太神の真中にとけ入ることぞ。』(春の巻 第四十四帖)

『今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。』(五葉の巻 第十五帖)

『草木は身を動物虫けらに捧げるのが嬉しいのであるぞ。種は残して育ててやらねばならんのざぞ、草木の身が動物虫けらの御身(みみ)となるのざぞ、出世するのざから嬉しいのざぞ、草木から動物虫けら生れると申してあろがな、人の身(み)神に捧げるのざぞ、神の御身(みみ)となること嬉しいであろがな、惟神のミミとはその事ぞ、神示よく読めば判るのざぞ、此の道は先に行く程 広く豊かに光り輝き嬉し嬉しの誠の惟神の道で御座るぞ、神示よく読めよ、何んな事でも人に教へてやれる様に知らしてあるのざぞ、いろはに戻すぞ、一二三(ひふみ)に返すぞ、一二三(ひふみ)が元ぞ、天からミロク様みづの御守護遊ばすなり、日の大神様は火の御守護なさるなり、此の事 魂までよくしみておらぬと御恩判らんのざぞ。悪も善に立ち返りて御用するのざぞ。善も悪もないのざぞと申してあろがな、◎の国真中に神国になると申してあろがな、日本も外国も神の目からは無いのざと申してあろうが、神の国あるのみざぞ、判りたか。改心すればヽ(たま)の入れかへ致して其の場からよき方に廻してやるぞ、何事も我がしてゐるなら自由になるのであるぞ。我の自由にならんのはさせられてゐるからざぞ、此の位の事判らんで神の臣民と申されんぞ、国々所々に宮柱太敷キ立てよ、たかしれよ。此の先は神示に出した事もちいんと、我の考へでは何事も一切成就せんのざぞ、まだ我出して居る臣民ばかりであるぞ。従ふ所には従はなならんぞ、従へばその日から楽になって来るのざぞ、高い所から水流れる様にと申して知らしてあろがな。』(雨の巻 第三帖 ◎は原文では「○にヽ」です。)

『今度 役目きまったら、末代続くのざぞ、神示に出た通りの規則となるぞ。善も末代ぞ、悪も末代ぞ。此の世は一(ひとつ)であるぞ。われの身体われに自由にならぬ時来たぞ。神に縋(すが)るより仕方なくなって、すがったのでは、間に合はんぞ。今度はいろはの世に戻すぞ。ひふみの世に戻すぞ。素直にすればタマ入れかへて、よい方に廻してやるぞ。よろこびの身といたしてやるぞ。』(松の巻 第十帖)

『あなたまかせ、よい妻と申してあろうが。神まかせがよい人民であるぞ。この神とみとめたら理解して、マカセ切れよ。太元の神さまにホレ参らせよ。真の信仰の第一歩ぞ。雨降らば雨を、風ふけば風を、一先づ甘受せよ。甘受した後、処理して行かなならん。受けいれずにハネ返すのは大怪我のもと。何回でも何回でも同じことくりかえさねばならんことになるぞ。何か迫り来るのは、何か迫り来るものが自分の中にあるからぞ。内にあるから外から迫るのぢゃ。自分で呼びよせているのぢゃ。苦しみの神、因果の神 呼んでおいて、不足申している者 多いのう。自分で呼びよせながら嫌がってハネ返すテあるまいにのう。同じものでも表からと裏からとでは違ふのぢゃ。同じ目で見ても、ちがってうつるのぢゃ。心得よ。』(春の巻 第十六帖)

『これだけに、世界にアラ事をさして見せて、神示通りに出て来ても、まだ目醒めんのか。まだまだ改心中々ぢゃなあ。悔い改めよ。顧みよ。恥ぢ畏れよ。慎めよ。その日その時からよくなるぞ。人間には神は知れんものぞ。神のはたらきのみ、やっと知れるぞ。神の能(ハタラ)きは千変万化、能(ハタラ)き見て神そのものと思ふは人間心。この神示、針の穴程も違はん。書かしたこと そのまま出て来るぞ。神は人となりたいのぢゃ。人は神となりたいのぢゃ。霊は形を形は霊を求めて御座るのぢゃ。人は神のいれもの、【神は人のいのち】。』(黄金の巻 第四帖)

『はじめの喜びは食物ぞ。次は異性ぞ。何れも大きな驚きであろうがな。これは和すことによって起るのぞ。とけ合ふことによって喜びとなるのぢゃ。よろこびは神ぢゃ。和さねば苦となるぞ。かなしみとなるぞ。先づ自分と自分と和合せよと申してあろうが。そこにこそ神の御はたらきあるのぢゃ。ぢゃがこれは外の喜び、肉体のよろこびぞ。元の喜びは霊の食物を食ふことぞ。その大きな喜びを与へてあるのに、何故 手を出さんのぢゃ。その喜び、おどろきを何故に求めんのぢゃ。何故に神示を食べないのか。見るばかりではミにつかんぞ。よく噛みしめて味はひて喜びとせんのぢゃ。喜びが神であるぞ。次には神との交わりぞ。交流ぞ。和ぞ。そこには且って知らざりし おどろきと大歓喜が生れるぞ。神との結婚による絶対の大歓喜あるのぢゃ。神が霊となり花むことなるのぢゃ。人民は花よめとなるのぢゃ。判るであろうが。この花むこはいくら年を経ても花よめを捨てはせぬ。永遠につづく結びぢゃ。結婚ぢゃ。何ものにも比べることの出来ぬおどろきぞ。よろこびぞ。花むこどのが手をさしのべてゐるのに、何故に抱かれんのぢゃ。神は理屈では判らん。夫婦の交わりは説明出来まいがな。神が判っても交わらねば、神ととけ合はねば真理は判らん。なんとした結構なことかと人民びっくりする仕組ぞ。神と交流し結婚した大歓喜は、死を越えた永遠のものぞ。消えざる火の大歓喜ぞ。これがまことの信仰、神は花嫁を求めて御座るぞ。早う神のふところに抱かれて下されよ。』(月光の巻 第三十八帖)

Posted on 2016/02/24 Wed. 17:45 [edit]

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24

まわりうた 

なかきよの しふくのちみて
  きたるはる たきてみちのく ふしのよきかな

(永き代の 至福の地見て 来たる春 抱きて陸奥 富士の良きかな)

解説

至福は「この上ない幸福。」、来たるは「やって来る」、陸奥(みちのく)は「陸前・陸中・陸奥(むつ)・磐城・岩代の奥州五国の古名。ほぼ現在の東北地方に相当する。みちのくに。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

今日は2月23日で富士山の日なので、それにちなんだ歌を書いてみました。

東北には別称「陸奥の富士」と呼ばれる岩木山があるそうな。なので、この歌は岩木山の頂上から地上の景色を一望した時の様子を詠ったものと思われる。

Posted on 2016/02/23 Tue. 10:51 [edit]

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23

まわりうた 

なかきよひ くすしきしくみ
  かかりけり かかみくしきし すくひよきかな

(長き宵 奇しき仕組み 掛かりけり 屈み奇しき死 救ひ良きかな)

解説

宵(よい)は「夜になってまだ間もない頃。夜がそれほどふけていない頃。初更。」「よる。夜間。」「祭りの前夜。」、奇し(くすし)は「霊妙だ。不思議だ。くすばし。」、屈むは「(体の一部が)折れ曲がる。しゃがむ。」「身をひそめる。忍び隠れる。」、奇し(くし)は「霊妙だ。不思議だ。くすし。」の意味です。

余談

この歌はXenogears ORIGINAL SOUNDTRACK Disc1の中にある「遠い約束」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

内容がオカルトの範囲になってしまい少々恐縮気味だが構わず掲載。

下記ブログ(お土のうたさん)では「暗黒の三日間」が人類を救う最良の手立てだと書かれてある。

『【転載】D 戦 記 《2005年9月1日》』
http://rokushohblog.blog41.fc2.com/blog-entry-47.html

『【転載】D ザ ー ト D44、 チョー大物 2006.2』
http://rokushohblog.blog41.fc2.com/blog-entry-49.html

ブログにも書かれてあるが、太陽が光を無くすことは聖書にも書かれており、また日月神示にも似たようなことが書かれてある。

聖書参照。

『イエスがオリーブ山で座っておられると、弟子たちがやって来て、ひそかに言った。「おっしゃってください。そのことはいつ起こるのですか。また、あなたが来られて世の終わるときには、どんな徴(しるし)があるのですか。」~(中略)~。その苦難の日々の後、たちまち太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は空から落ち、天体は揺り動かされる。そのとき、人の子の徴が天に現れる。~(中略)~。「その日、その時は、だれも知らない。天使たちも子も知らない。ただ、父だけがご存じである。人の子が来るのは、ノアの時と同じだからである。洪水になる前は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は食べたり飲んだり、めとったり嫁いだりしていた。そして、洪水が襲って来て一人残らずさらうまで、何も気がつかなかった。人の子が来る場合も、このようである。そのとき、畑に二人の男がいれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。二人の女が臼をひいていれば、一人は連れて行かれ、もう一人は残される。だから、目を覚ましていなさい。いつの日、自分の主が帰って来られるのか、あなたがたには分からないからである。 』(マタイによる福音書24章 新共同訳)

日月神示参照。

『岩戸ひらき 御祷(みほぎ)の神宝(たから) たてまつらまし。 月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空はちの色となるぞ、流れもちぢゃ。人民四つん這(ば)ひやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、ヒの雨降らしての大洗濯であるから、一人のがれようとて、神でものがれることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ。』(紫金の巻 第五帖)

『豊栄に 栄り出でます 大地(くに)(九二)の太神。 大掃除はげしくなると世界の人民皆、仮四の状態となるのぢゃ、掃除終ってから因縁のミタマのみを神がつまみあげて息吹きかへしてミロクの世の人民と致すのぢゃ、因縁のミタマには◎(カミ)のしるしがつけてあるぞ、仏教によるもののみ救はれると思ってはならんぞ、キリストによるもののみ救はれると思ってはならん、神道によるもののみ救はれると思ってはならん、アラーの神によるもののみ救はれるのでないぞ、その他諸々の神、それぞれの神によるもののみ救はれるのではないぞ、何も彼も皆救はれるのぢゃ、生かすことが救ふこととなる場合と、小呂すことが救ふことになる場合はあるなれど。』(紫金の巻 第四帖 ◎は「○にヽ」の形)

『今に大き呼吸(いき)も出来んことになると知らせてあろうが、その時来たぞ、岩戸がひらけると言ふことは【半分のところは天界となることぢゃ、天界の半分は地となることぢゃ】、今の肉体、今の想念、今の宗教、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ、今の肉体のままでは、人民生きては行けんぞ、一度は仮死の状態にして魂も肉体も、半分のところは入れかえて、ミロクの世の人民としてよみがへらす仕組、心得なされよ、神様でさへ、この事判らん御方あるぞ、大地も転位、天も転位するぞ。』(五葉の巻 第十五帖)

『「天地のことわり書き知らすぞ。」この巻しろかねの巻。天国ぢゃ、霊国ぢゃ、地獄ぢゃ、浄土ぢゃ、穢土ぢゃと申してゐるが、そんな分けへだてはないのであるぞ。時、所、位に応じて色々に説き聞かせてあるのぢゃが、時節到来したので、まことの天地のことわりを書き知らすぞ。三千の世界の中の一つがそなた達の世界であるぞ。この世も亦三千に分れ、更に五千に分れてゐるぞ。このほう五千の山にまつれと申してあろう。今の人民の知り得る世界はその中の八つであるぞ。人民のタネによっては七つしか分らんのであるぞ。日の光を七つと思うてゐるが、八であり、九であり、十であるぞ。人民では六つか七つにしか分けられまいが。「イワトがひらけると更に九、十となるぞ。【かくしてある一厘の仕組、九十の経綸、成就した暁には何も彼も判る】」と申してあらうが。~後略~。』(白銀の巻 第一帖)

歌の「屈み」についての解釈だが、屈むには「身をひそめる。忍び隠れる。」の意味もあり、また漢字を見れば「尸(しかばね)+出」であるので、これは肉体的な死からの解放、即ち輪廻転生からの脱出を意味するものと思われる。また残った者からすれば、亡骸すら残っていないので文字通り神隠し状態となる。ちなみに日月神示によれば昔は亡骸を残さなかったのだとか。

『神にまつらふ者には生も死もないのぞ、死のこと、まかると申してあろうがな、生き通しぞ、なきがらは臣民残さなならんのざが、臣民でも昔は残さないで死(まか)ったのであるぞ、それがまことの神国の臣民ぞ、みことぞ。世の元と申すものは天も地も泥の海でありたのざぞ。その時からこの世初まってから生き通しの神々様の御働きで五六七(みろく)の世が来るのざぞ。腹が出来て居ると、腹に神づまりますのざぞ、高天原ぞ、神漏岐(かむろぎ)、神漏美(かむろみ)の命(みこと)忘れるでないぞ。そこから分りて来るぞ。海をみな船で埋めねばならんぞ、海断たれて苦しまん様にして呉れよ、海めぐらしてある神の国、きよめにきよめておいた神の国に、幽国(がいこく)の悪わたり来て神は残念ぞ。見ておざれ、神の力現はす時来たぞ。』(地つ巻 第七帖)

さらに‘尾’はお尻から生えた毛、‘屎’(くそ)はお尻からでる食物(=米)というように、‘尸’は尻(しり)の意味もある。シリはまたケツともいうが、言葉尻、どんけつ、というように両方とも最後、終わりの意味がある。

このことからこの「屈む」には、これが最後で終わり(尾張)の仕組みが出るという意味も含まれているように思う。

下記ブログ参照。(「人に内在する良心神(神言会)」さん)

『スピリチュアル霊感女子の大流行で、【みの終わり】の時の近づきを知る』
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20160202

『神の時計と主の神(国常立尊)35万年前に御引退から読む「みのおわりの女子」』
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20151031

『みの尾張の女子とは白山菊理姫様のことか?。その肉体の演技に「静御前」?』
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20150517

Posted on 2016/02/22 Mon. 10:35 [edit]

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22

まわりうた 

きしといそ まつのきしける
  ゆははには はゆるけしきの つまそいとしき

(岸と磯 松の木繁る 湯場は日和 映ゆる景色の 妻ぞ愛しき)

解説

湯場(ゆば)は「温泉地。温泉場。また、浴場。」、日和(にわ)は「穏やかな海面。穏やかな天気。」、妻(つま)は「〔配偶者の意〕 夫婦や恋人などが,互いに,相手を呼ぶ称。男女ともに用いた。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。ちなみに「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

雑感

イメージとしては、温泉街で恋人、或いは妻と共に散歩を楽しんでいるというもの。

今回歌を書くにあたって松の異称を調べていたのですが、その多さに驚きました。下記一覧です。

久木草 ひさきぐさ
久見草 ひさみぐさ
五大夫 ごだいふ
初代草 はつよぐさ
初見草 はつみぐさ
十八の公 じゅうはちのきみ
十千代草/豊千代草 とちよぐさ
千代木 ちよき
千代美草 ちよみぐさ
千代草 ちよぐさ
千引木 ちびきぎ
千枝草 ちえぐさ
問草 とわれぐさ
夕影草/夕陰草 ゆうかげくさ
夕見草 ゆうみぐさ
寝覚草 ねざめぐさ
常磐草 ときわぐさ
延喜草 ひきまぐさ
延見草 ひさみぐさ
手向草 たむけぐさ
折見草 おりみぐさ
時見草 ときみぐさ
曇草 くもりぐさ
朝見草 あさみぐさ
木公 もくこう
松木/松樹 まつのき
涼暮草 すずくれぐさ
物見草 ものみぐさ
玉箒 たまばはき
琴弾草 ことひきぐさ
白雲草 いらくもぐさ
百草 ももぐさ
目覚草 めざましぐさ
翁草 おきなぐさ
色無草 いろなぐさ
貞木 ていぼく
都草 みやこぐさ
鏡草 かがみぐさ
髯叟 せんそう

Posted on 2016/02/20 Sat. 21:22 [edit]

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20

まわりうた 

たかみのり ないさいのよき
  たまてりて またきよのいさ いなりのみかた

(田が実り 内在の良き 玉照りて 全き世のいざ 稲荷の御象)

解説

玉は「球体・楕円体、またはそれに類した形のもの。」「丸い形の美しい石の総称。宝石や真珠など。」「きわめて大切に思う貴重なもの。」、全いは「完全だ。欠けたところがない。」「無事である。安全だ。」、いざは「人を誘ったり,張り切って事を始めようとする時に発する語。さあ。どれ。」、稲荷は「‘いななり(稲生)’の音変化という》五穀をつかさどる食物の神、倉稲魂神(うかのみたまのかみ)のこと。また、倉稲魂神を祭った、稲荷神社。」、御象(みかた)は「神体。また,仏像。お姿。」

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk1の中にある「神木村 其の一~神木村 其の二」を聴きつつ、下記ブログを見て、それをモチーフに書いた歌です。

『人に内在する良心神』(マトメノフミさん)
http://ameblo.jp/meme567/entry-12129474935.html

雑感

「田が実り 内在の良き 玉照りて」は、田が実って殻の中の実一粒一粒が宝石のように輝く穀物を表している。と同時に、世の為人の為にする奉仕によって田(他)が実り、それによって自分を含めた森羅万象に内在する玉(魂)が一如に照る様も描かれている。

「全き世のいざ 稲荷の御象」は身の安全が確保されて、衣食住に困らない世の中、即ちミロクの世のことである。また‘実るほど頭を垂れる稲穂かな’の諺の通り、どの人も実がありつつも謙虚である様が、豊作の田畑になぞらえられて描かれている。

Posted on 2016/02/19 Fri. 10:51 [edit]

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19

まわりうた 

なかきよと かみのめあては
  いさきよき さいはてあめの みかとよきかな

(長き夜音 神の目当ては 潔き 最果て天の 御門良きかな)

解説

夜音(よと)は「夜に聞こえる物音。」、潔いは「汚れがない。清浄だ。」「清らかで気持ちがよい。」、最果ては「最後。最終。‘さいはち’とも。」、天の御門は「朝廷。また,天皇の尊称。」の意味です。

雑感

三千年(みちとし)の 富士は晴れたり 岩戸あけたり

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

日月神示参照。

『偉い人 皆 俘虜(とりこ)となるぞ。夜明け近くなったぞ。夜明けたら何もかもはっきりするぞ。夜明け前は闇より暗いぞ、慌てるでないぞ。神の国一度負けた様になって、終ひには勝ち、また負けた様になって勝つのざぞ。腹の中のゴモク一度に引張り出してもならぬし、出さねば間に合わんし、いよいよ荒事にかかるから そのつもりで覚悟よいか。わからん人民 退いて邪魔せずに見物してござれよ。』(松の巻 第七帖)

『富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。お山開きまこと結構。松の国 松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。めぐりあるから心配あるのぞ。めぐり無くなれば心配なくなるぞ。心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ。金に難渋して負けぬ様にして下されよ。金 馬鹿にしてはならんぞ。あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。神はうれしいぞ。旧九月八日とどめぞ。』(水の巻 第九帖)

『今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民 火がついてもまだ気付かずにゐるが、今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。今度の御用外(はず)したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ。末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。』(日の出の巻 第二十帖)

『天地には天地の、国には国の、びっくり箱あくのざぞ、びっくり箱あけたら臣民みな思ひが違ってゐること分るのぞ、早う洗濯した人から分るのぞ、びっくり箱あくと、神の規則通りに何もかもせねばならんのぞ、目あけて居れん人出来るぞ、神の規則は日本も支那も印度もメリカもキリスもオロシヤもないのざぞ、一つにして規則通りが出来るのざから、今に敵か味方か分らんことになりて来るのざぞ。学の世はもう済みたのぞ、日に日に神力あらはれるぞ、一息入れる間もないのぞ。ドシドシ事を運ぶから遅れんやうに、取違ひせんやうに、慌てぬやうにして呉れよ。神々様もえらい心配なされてござる方あるが、仕組はりうりう仕上げ見て下されよ。旧九月になればこの神示(ふで)に変りて天(アメ)の日つくの神の御神示出すぞ、初めの役員それまでに引き寄せるぞ、八分通り引き寄せたなれど、あと二分通りの御役の者引き寄せるぞ。おそし早しはあるなれど、神の申したこと一厘もちがはんぞ、富士は晴れたり日本晴れ、おけ。』(地つ巻 第二十七帖)

『大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。 それより他に人民の得心出来る道はないと申してゐるが、道はいくらでもあるぞ。人民の申してゐるのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にアヤなせば弥栄えて真実の道が判るのぢゃ。ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。(十二月二十五日) 神はうそつきぢゃと人民申しても、悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。もう、ものばかりでは治まらんこと、キンでは治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よく判ってゐるのにカブトぬげん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ。よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。 区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。 人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。 空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。 奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。 奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。』(月光の巻 第七帖)  

『世こしらへてから臣民の種うゑて、臣民作ったのであるぞ。世、こしらへた神々様は「ながもの」の御姿ぞ、今に生き通しぞ。神が見て、これならと云ふミタマに磨けたら、神から直々の守護神つけて、天晴れにしてやるから御用見事に仕上げさすぞ、臣民ばかりでは出来ん、三千世界の大洗濯、誰一人 落したうもない神心、皆揃ふておかげやりたや、喜ぶ顔見たや、遠い近いの区別なし、皆々我が子ぢゃ、可愛い子ぢゃ、早う親の心汲みとれよ。』(マツリの巻 第四帖)

Posted on 2016/02/18 Thu. 18:05 [edit]

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18

まわりうた 

なかきよの よみちのくいて
  みそきいき そみていくのち みよのよきかな

(長き夜の 黄泉路の悔いて 禊息 染みて行く後 御代の良きかな)

解説

黄泉路(よみじ)は「黄泉(よみ)へ行く道。冥途(めいど)への道。また,黄泉。」、禊は「海や川の水で体を清め,罪や穢(けが)れを洗い流すこと。」、染む(そむ)は「染まる。」「影響を受ける。心に深く感じる。」、御代は「天皇・皇帝・王などの治世を敬っていう語。ごよ。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk1の中にある「神木村 其の一~神木村 其の二」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ふと湧いて来たので、そのまま掲載。「息」(いき)の二文字の部分のみ中々決まらず、何度か練り直してこの形になった。

Posted on 2016/02/18 Thu. 17:22 [edit]

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18

まわりうた 

なかきよの めあきをあてに
  はにのちの にはにてあをき あめのよきかな

(永き代の 目明きを当てに 埴の地の 庭にて青き 天の良きかな)

解説

目明きは「目の見える人。」「文字の読める人。また、道理をわきまえている人。」「茶器に限らず,あらゆる道具について,その良否を判別できる能力。また,その能力をもった人。‘目利き’以上とされる。」、当ては「行動の目当て。目標。目的。」、埴(はに)は「きめの細かい黄赤色の粘土。古代は,これで瓦や陶器を製し,また丹摺(にず)りに用いた。あかつち。へな。はにつち。」、天(あめ)は「空。天。あま」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

アフリカには‘Ubuntu’(ウブントゥ)という概念があるそうだ。Ubuntuは「あなたが居るから私が居る」の意味。

下記参照
『アフリカの心、ウブントゥ』(英語で読む「TED Talks」さん)
http://tedtalks-english-japanese.blogspot.jp/2014/04/blog-post.html

永遠に変わらない道理があるとすれば、この‘Ubuntu’こそがそれであり、人間をも含めた自然の本来の在り方ではないかと切実に思う。

意訳

道理をわきまえる人となれるように生きていこう。あぁ、それにしてもこの赤土の大地に立って見上げる青い空の、なんと素晴らしいこと!!!

Posted on 2016/02/17 Wed. 11:53 [edit]

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17

まわりうた 

かむにはと ことたまふるふ
  またきいき たまふるふまた とことはにむか

(神庭と 言霊振るふ 全き息 魂振るふまた 常に無何)

解説

言霊は「古代日本で、言葉に宿っていると信じられていた不思議な力。発した言葉どおりの結果を現す力があるとされた。」、全い(またい)は「完全である。欠けていない。」、魂(たま)は「たましい。」、常(とことわ)は「永久に変わらない・こと(さま)。永久不変。」、無何(むか)は「‘無何有(むかう)’の略。》自然のままで何の作為もないこと。また、そのような状態。」の意味です。

余談

この歌は、アニメ「Angel Beats!」のOPテーマ「My Soul,Your Beats!」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

久々にこの曲を聴きたくなって聴き入っていたら出て来た歌です。

Posted on 2016/02/13 Sat. 07:13 [edit]

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