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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよの うわるしんてり  
  たいあしあ いたりてんしる わうのよきかな

(永き代の 植わる仁照り 大アジア 至り天知る 王の良きかな)

解説

植わるは「植えられている。」、仁は「愛情を他におよぼすこと。いつくしみ。おもいやり。」「(仁の道を行う人の意から)ひと。かた。」「核小体」「種子から種皮を取り去った内部。胚と胚乳から成る。にん。」、大は「(名詞に付いて)偉大な,すぐれた,などの意を表す。」の意味です。

余談

この歌は、下記「ふるさとはアジア」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

http://musictrack.jp/musics/13558

雑感

日月神示ではアジヤ(アジア)が足場と書かれている。戦前には「大アジア主義」なるものが盛んだったらしいが、時にはナショナリズムの隠れ蓑にされていた感も否めない。

日月神示参照。

『三千年(みちとし)の不二は晴れたり、言答(イワト)あけたり。実地ざぞ、遣り直し出来んのざぞ。早う足場つくれと申してあろがな、三千の足場つくったら神の光出ると申してあらうがな、足場つくれよ、アジヤ足場ぞ。足場なくては何も出来ん道理 人間にも判らうがな、何より足場第一ざぞ、世界の民の会二人でやれよ、一人でしてならんぞ、くどう気つけあらうがな。あなさやけ、あなすがすがし。』(青葉の巻 第四帖)

孫文が来日した時に神戸で大アジア主義の講演を行っているが、特に印象的だったのは覇道と王道の言葉。講演の最後はこのように締めくくられている。

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日本民族は既に一面、欧米の文化の覇道を取入れると共に、他面、亜細亜の王道文化の本質を有している。

今後日本が世界の文化に対して、西洋覇道の犬となるか、或は東洋王道の干城となるかは、日本国民の慎重に考慮すべきことである。

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覇道は武力・策略などで天下を治める道だが、これに対して王道は仁義・道徳などで天下を治める道だ。

話は変わるが、大本では人の心の中にある利己主義(われよし)と弱肉強食(つよいものがち)の思いが世界を暗くしているとある。これら思いを「悪い心」とするならば、それに対抗できるのは「良い心」、すなわち良心だろう。

これまでの歴史を振り返ると、悪が栄えれば覇道が求められ、善が栄えれば王道が求められるという仕組みだったのだろうと思う。

世界を見渡すと今は覇道ばかりだ。だが神示にもある通り、これは長くは続かない。行き詰った先で人々が求めるのは、やはり王道ではないかと思う。

また神示では、王の王(の王)はタマ(魂)で現れるとある。

行き詰った最後の最後、人々の良心が火山の噴火のように発露されるだろう。少なくとも日本の人々はそのような状態になると私は見ている。

そうして一人一人が良心に従って行動することで、天がまことに世界を統一する王を使わすように思う。

火水伝文参照。

「 元つ天の大神様は、地のへにスメラとユダヤの神策成就の経綸を背負うた二民を創り降ろされて、天地のご守護に、正神真神のご霊統にあらせられる二柱の大神を配し置かれたのじゃ。天上をご守護しなさるご一柱をアマテラスオオカミ様と称し奉る。地のへをご守護なさり、こ度、神響きにて地のへの王の王の王と現れなされミロクを顕じます、尊き御役のご一柱をカムスサナルノオオカミ様と称し奉る。」

日月神示参照。

『天地の先祖、元の神の天詞(てんし)様が王の王と現はれなさるぞ、王の王はタマで御現はれなされるのざぞ。~後略~。』(雨の巻 第十七帖)

『誰の苦労で此の世出来てゐると思ふてゐるのぢゃ。此の世を我がもの顔にして御座るが、守護神よ、世を盗みた世であるくらゐ、わかってゐるであらうがな。早う元にかへして改心いたされよ、神国(かみくに)の王は天地の王ざぞ、外国(とつくに)の王は人の王ざぞ。人の王では長う続かんのぢゃ。外国にはまだまだ、きびしいことバタバタに出て来るぞ、日本にもどんどん出て来るぞ。云はねばならんことあるぞ。出づ道は二つ、一はひらく道、二は極む道、道出で世に満つ、ゑらぎゑらぐ世ぞ。前に書かしてあること、よく読めばわかるのぢゃ、御身(みみ)に利(き)かして御身でかかしたもの二曰(じし)んの巻といたせよ。いよいよア@九(あらく)なって来るのざぞ。因縁みたま結構となるのざぞ。』(岩の巻 第十一帖 @は原文では「○にヽ」の形)

『何もかも持ちつ持たれつであるぞ、臣民喜べば神も喜ぶぞ、金(きん)では世は治まらんと申してあるのに まだ金追うてゐる見苦しい臣民ばかり、金は世をつぶす本ぞ、臣民、世界の草木まで喜ぶやり方は◎の光のやり方ぞ。臣民の生命も長うなるぞ、てんし様は生き通しになるぞ、御玉体(おからだ)のままに神界に入られ、またこの世に出られる様になるぞ、死のないてんし様になるのぞ、それには今のやうな臣民のやり方ではならんぞ、今のやり方ではてんし様に罪ばかりお着せしてゐるのざから、この位 不忠なことないぞ、それでもてんし様はおゆるしになり、位までつけて下さるのぞ、このことよく改心して、一時(ひととき)も早く忠義の臣民となりて呉れよ。』(下つ巻 第三十五帖 ◎は「○にヽ」の形)

『竜宮の音秘様が神力天晴れぞ、金神殿お手伝ひ。外国では日の出の神様。神界、幽界、現界、見定めて神示読まねば、表面(うわつら)ばかりでは何もならんぞ、気つけて結構ぞ。神がもの申す内に聞くものぢゃ、帳面切ったら申さんぞ。悪と学は長うは続かん事、そろそろ判りて来るぞ。』(マツリの巻 第十九帖)

『愈々となって助けてくれと走り込んでも、その時では遅いから、間に合はんから、早う神の心悟れと申してあるのざ。笑のない教にして下さるなよ。学問や金を頼ってゐる内は、まだまだ改心出来ないぞ。今迄の宗教の力でも、法律でも、どうにもならん。掃除が目の前に来てゐるぞ。神の力を頼るより他に理(ミチ)ないことまだ判らんか。中程まで進むと判らんことあるぞ。神の試練 気つけてくれよ。どちらの国も見当とれんことになるぞ。肚立つのはめぐりあるからぞ。善でつづくか悪でつづくか、この世に善と悪とがあって、どちらで立って行くか、末代つづくか、得心ゆくまで致させてあったが、もう悪ではつづかんことが、悪神にも判って来るのであるから、今しばらくのゴタゴタであるぞ。ものの調和が判れば、正しき霊覚が生れるぞ。神の姿がうつって来るぞ。』(黄金の巻 第八十二帖)

さらに「仁」には「核小体」「種子から種皮を取り去った内部。胚と胚乳から成る。にん。」の意味もある。核小体とは「細胞核の中に存在する分子密度の高い領域」のことだ。

歌では「仁照り」とあることから、これは人に元々植えられている仁(思いやり・慈しみ)という良心が露わになるという意味に取れる他、晴れて次の世、ミロクの世に生きる人種(ひとだね)となる意味、或いは細胞核が輝き出す、即ち人を含めた生物が光り出す、という意味にも取れる。

とにかく一日も早く天地の王が現れるように祈るばかりである。

日月神示参照。

『神の世と申すのは、今の臣民の思ふてゐるやうな世ではないぞ、金(きん)は要らぬのざぞ、お土からあがりたものが光りて来るのざぞ、衣類たべ物、家倉まで変るのざぞ。草木も喜ぶ政治と申してあらうがな、誰でもそれぞれに先の分る様になるのぞ。お日様もお月様も海も山も野も光り輝いて水晶の様になるのぞ。悪はどこにもかくれること出来ん様になるのぞ、ばくち、しょうぎは無く致すぞ。雨も要るだけ降らしてやるぞ、風もよきやうに吹かしてやるぞ、神をたたえる声が天地にみちみちて うれしうれしの世となるのざぞ。』(天つ巻 第二十帖)

『世界丸めて一つの国にするぞと申してあるが、国はそれぞれの色の違ふ臣民によりて一つ一つの国作らすぞ。その心々によりて、それぞれの教作らすのぞ。旧きものまかりて、また新しくなるのぞ、その心々(こころこころ)の国と申すは、心々の国であるぞ、一つの王で治めるのざぞ。天つ日嗣の実子様が世界中照らすのぞ。国のひつきの御役も大切の御役ぞ。道とは三つの道が一つになることぞ、みちみつことぞ、もとの昔に返すのざぞ、つくりかための終りの仕組ぞ、終は始ぞ、始は霊(ひ)ぞ、富士、都となるのざぞ、幽界(がいこく)行きは外国行きぞ。神の国光りて目あけて見れんことになるのざぞ、臣民の身体からも光が出るのざぞ、その光によりて その御役、位、分るのざから、みろくの世となりたら何もかもハッキリして うれしうれしの世となるのぞ、今の文明なくなるのでないぞ、たま入れていよいよ光りて来るのぞ、手握りて草木も四つあしもみな唄ふこととなるのぞ、み光にみな集まりて来るのざぞ、てんし様の御光は神の光であるのざぞ。』(地つ巻 第十一帖)

『神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。臣民物言はなくなるぞ、この世の終り近づいた時ぞ。石物言ふ時ぞ。神の目には外国もやまともないのざぞ。みなが神の国ぞ。七王(ななおう)も八王(やおう)も作らせんぞ、一つの王で治めさすぞ。てん詞様が世界みそなはすのざぞ。世界中の罪負ひておはします素盞雄の大神様に気附かんか、盲つんばばかりと申してもあまりでないか。』(地つ巻 第十五帖)

火水伝文参照。

「 三千年に渡り仕組み参りた、『魔釣り』の表を操る蛇の者共は、《身欲》を餌に金で釣りて思想を煽り、継ぎ接ぐ学にて仕組み説き、真釣り外せし枝だの葉の形を基の科学にて、思うが御代を造らんと成し来たりたのぞ。末代マコトに至れぬ、善を偽る『あやま知』で、『ウソ』を基の策謀で、この世を支配し参りたのであるよ。なればこれにて幾生も、育たれありた汝等の、ハラの真中に据え立つモノは、汝等が気付き無くありたなら、そは仇恐ろしき『ウソ』にござるが道理であろうが。身欲のためなら節度なく、何でも信じる『ウソ』にござるよ。知らぬは汝等ばかりなり。真中が総ての御座を統べ居るなれば、汝等の総ては、身欲のご都合に魔釣り副う、『ウソ』に依り立ち居るを今今に、ス直に知りて取らるが善かろうぞ。我のハラは大丈夫じゃ等と申して居るのでないぞ。天をも含む地を創り、神をも含む汝等を創りせしこの方の申す事にてある。一言半句の否やも言わせはせぬぞ。今のままでは汝等が危ういから言うて居る。黙して聞くのじゃ。素性卑しき《身欲》の響きを、永きに渡りて忘れる程に、汝等のハラに住まわせ居るから『ウソ』が入りても気付かんのじゃ。ご自身でミタマの検め成しくれよ。
 人民様の曇り様は救い難きに至りた由、多くを伝うも詮無きことなれど、汝等は少しでも曇りたマナコを明なに致すが大事にてござるから、今少し申し置くぞ。汝等は人の生き死の長短を神の無慈悲と嘆ずるが、そも《身欲》が基と知り居るか。短き命は医学の遅れた悲しき事にてござろうか。不慮の事故死は神の無きが証にてござろうか。なれば長く生きるは、医学の進みた嬉しき事にてござろうか。神の座し座す証にてござろうか。人の生き死の長短は、真釣るマコトのコトワリの、大事な情けの仕組みにて、大悲大愛の事にてあるは汝等も、深きところで知り居るなれど、《身欲》な思いが段々と、強きに響きて鳴り来ると、《身欲》を果たす基なる、この身、この時大切と、生くる基のマコトなる、生かされあるを忘れ去り、長きを得るに自らが、《我善し》力と『あやま知』で、長寿を図りた成し様は、真釣り外したそがために、多くのケガレを結び行く、囚われ曇りをカタチ成す、メグリ深める末期道。生かされある申すは、真釣るコトワリに鑑みて、生かす者はどうありても生かし行き、引き上ぐる者はどうありても引き上ぐるが神のオキテなれば、こに身欲人知を持ち込みて、情けの仕組みに仇成すは、カタチばかりのその内に、更なる情けを創り行く、げに恐ろしき魔釣り業。末期の酷きを知りぬるか。
 この方がこう申せば、医学は悪き業じゃ。医者は魔釣りの使い魔じゃ。なぞ取り違え致す底の浅き人民様も居られようから、ちいとご注意申し置くぞ。
 この方は、痛き辛きを治すが『あやま知』申して居るのでないぞ。こを取り違え致しては、片ハタラキの神々や狐や狸の戯言になりてしもうから、ハキリ申し置くぞ。善きか。汝等、真釣り外せば、情けが出くるは申し伝えあろうがな。なればこの世が『欲』と【情け】の両輪で動き参りたは解かりあるな。真釣りを外す度毎に情けをかけて参りた申しあろうがな。大神様は総てを知られ居りて、至誠至愛で汝等に情けをお渡しなされ居るのぞ。汝等の今がか弱き心身で、堪え得る情けをかけるのじゃ。痛き辛きを顕すが情けの表にてござるのぞ。病みたる表の顕れを水を基の医術にて〔治す〕が花の表にござるよ。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ。大神様も共に堪えてござるのぞ。汝一人の痛みで無いぞ。顕幽双方の世界に苦しむ総てのミタマの苦しみを、御身ご一人に移され堪えてござるのじゃ。この世に在りて有るものは総ての総て神なるが由ぞ。解かるでござろうが。堪ゆる辛抱が情けの裏じゃ申したが、こで汝等が、身欲にありて何かの真釣りを外しありた事に気が付きて、自らを生かし支えある元つ天地の深きご恩に、お詫びと感謝の響きが鳴り鳴り出くれば、真釣るマコトがハラに咲くのじゃ。ハラに咲かせた花一輪、こが花の裏にてござるのぞ。こが咲けば顕幽ただちに【直る】を知りて下されよ。外した真釣りのメグル響きも、真釣ろうた申すことにてあるぞ。
 なれど汝等皆々は、何時いつにありても気付けぬままに、水を基の医術のみで【直り】た積もりで〔治り〕て居りて、正味のメグル情けはそのままに、新たに酷きメグリを育み行くのじゃ。外した真釣りは気が付きて、真釣ろう響き出るまでは、万古末代鳴り鳴り響きて消えはせぬ、申したであろうがな。新たな酷きメグリ申すが、難しき病と鳴り行くは解かるであろうが。こが身欲を基の種となす医学の魔化けを促すのじゃ申して居るのぞ。誰ぞが医学の『あやま知』を押し進め参り来たか、これでハキリ解かりたでござろうが。医者の治すが魔釣りで無いぞ。汝の身欲が魔釣りでござる。人を責めむも業を責めむも恥ずかしき限りにてあるよ。汝の身欲が基じゃ。良う目を見開かれて、スミキリてあれよ。
 これで少しは解かりたか。医学に限らず総ての『学』や『業』呼ばれるものは、九分九厘、人民様の《欲》を基と成し居るが由、末のこ度は総て解くぞ。解く申すは新ら魂をお入れ致す申す事にてもあるぞ。何もかも綺麗サッパリ無うなる言うて居るので無いぞ。取り違え致すなよ。『商』の響きは末代無いぞ。そばかりか政治も経済も律法も総て無う成るぞ。タテナオシよりミロク代へ至る暫しの間、三つが一つになりた様なハタラキが在るだけぞ。マコト、ミロク代へ至りなば、農鳴る響き、漁鳴る響き、林鳴る響き、鉱鳴る響き、医鳴る響き、身欲を外したる総ての響き、新ら魂もお入りに鳴られて、一如に鳴り鳴り真釣ろう響きになりて、在りて有るのぞ。真釣りあるだけの、歓喜弥栄の御代と鳴るのじゃ。
 ざから『商』や『業』が無う成る申したは、そを支える初発の基が保身なる、身欲に発し在るからじゃとくどう言うて居ろうが。生かされあるものに保身の必要無きも申したな。逆に真釣るマコトのお邪魔に成るも解かりたであろうがな。今今の『学』や『商』や『業』の発展申すも、『魔釣り』に囚われた申すも、汝等お一人お一人の《身欲》強きが因でありたと、よくよく真ス直に取りて解かりて下されよ。【真中】に《身欲》の『魔釣るあやま知』を据え置くが、いかに気枯れケガレし世と成せしあるか、八御座総てが曇る申したも解かりたであろうがな。なれば、そを基と成したる力持て、力ある。国力ある。申すはマコト恥ずかしき事にてあろうが。ざから恥力じゃ申して居るのじゃ。解かりたか。
 汝は知らず、気付かず。汝の真中に座し座すモノがマコトのモノで無いなれば、総てが総て知らず身欲に仕え魔釣る様になりてしもうのじゃ。真中に座し座す尊きは、マコト火の位の至誠にておわすなれば、心スミキリあらねば適わぬ事ぞ。
 汝等皆々それぞれにマコト聞きワケ護持致し、二(フ)の座、幽の座、心の座、こ度真中の要石、曇りハライて水晶のスミキル素型と鳴り鳴らし、ハキリタテワケ鳴りた火と、マコト組み組み組み結ぶ、水の清きを取り戻す、透け切る一二三(ヒフミ)の神と鳴る。解かりたでござろうか。フミにてマコトを聞きワケて、心の曇りを一つずつ、ハライ落として下されて、見え来るマコトを護持致し、口と心と行いを、違わず顕すそのことが、こ度の汝のタテカエにござるのぞ。タテカエ進みたそれ相応、真中のマコトが肥え太り、段々、真釣りが解かりて来るから、マコト真釣るが進みて参りて、ものごとも楽に進む様に鳴り成りて来るぞ。それまでのひと苦労ふた苦労申して居るのじゃ。苦労の多きはまだまだに、曇りマ釣りて居る由と、自ら厳しく清まるが至誠至楽に至るミチじゃ。励みて下されよ。」

Posted on 2016/04/29 Fri. 19:44 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

よみのやみ ことたまてれは
  なみていて みなはれてまた とこみやのみよ

(黄泉の闇 言霊照れば 並みていで 皆晴れてまた 常宮の御代)

解説

並むは「並ぶ。連なる。」、いでは「誘いかけたり,促したりする時の呼び掛けの語。さあ。」、常宮は「いつまでも変わらない宮殿。永遠の宮。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

とにかく何もかも丸つぶれが迫っている今、どうにかしなければと思い立って書いた歌です。

相手に優しい言葉、相手を思いやる言葉、相手に温かい言葉、相手が元気になる言葉、相手が嬉しくなる言葉、相手が笑う言葉、相手を誉める言葉、相手がヤル気を出す言葉、相手を尊重する言葉、相手が楽しくなる言葉、相手を慰める言葉、相手をいたわる言葉、相手から好かれる言葉、相手がホッとする言葉、相手が幸せになる言葉、相手が気持ちよくなる言葉、相手を愛する言葉、等々、皆が良い言葉を使うことで世の中が変わるのかなと思っています。

Posted on 2016/04/27 Wed. 21:52 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

なかすます みつてみそきの
  みかたまた かみのきそみて つみすますかな

(中清ます 水で禊の 御型また 神の気染みて 罪清ますかな)

解説

清ますは「清らかにする。澄ます。」「洗い清める。洗う。」、染む(そむ)は「染まる。しみ込んで色がつく。」の意味です。

余談

この歌は、「大神 オリジナル・サウンドトラック」にある「妖怪退治」~「双魔神 モシレチク コタネチク退治」~「妖魔王キュウビ退治」~「ヤマタノオロチ復活」~「ヤマタノオロチ退治 其の一」~「ヤマタノオロチ退治 其の二」を聴きながら、下記記事を読んで、それをモチーフに書いた歌です。

『緊急告知! 私が書いた【魂の禊に水をもって洗う水行】に関して、第七チャクラの目詰まり解消』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?day=20160422

雑感

試しに自分も風呂場で頭から水をかぶってみたら、思いのほか気持ちよかったです。

Posted on 2016/04/27 Wed. 09:47 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

ちみるほと つたふるふかち
  いたりけり たいちかふるふ たつとほるみち

(地見るほど 伝ふる不可知 至りけり 大地が震ふ 竜通る道)

解説

不可知は「知ることができないこと。」の意味です。

余談

この歌は、「大神 オリジナル・サウンドトラック」にある「妖怪退治」~「双魔神 モシレチク コタネチク退治」~「妖魔王キュウビ退治」~「ヤマタノオロチ復活」~「ヤマタノオロチ退治 其の一」~「ヤマタノオロチ退治 其の二」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

この頃の大地の動きを見るにつけ、天だけでなく地についても人の知ることが出来ない領域なのだと痛感する。

地中の気の流れを「龍脈」というそうだが、中央構造線を一つの大きな龍脈と見れば、もはやここの流れが活発化してきている今現在、次の大きな地震は免れないように思う。

ここは一つ、人知の力ではどうすることもできないことを素直に認め、また地震を無くしてくださいなどと虫のいいことも言わず、地震が起こるにせよ、なるべく弱い力で揺すぶって下さい、大難を小難にして下さい、と祈るのが最善のように思う。

大本の出口なおは、神様から立替立直しに伴う大峠があることを聞かされた時、皆の為を思う気持ちから、そのような難は無くして欲しいと頼んだが、何度頼んでもそれはできないと言われたそうだ。だからせめて被害が少ない春か秋の季節(夏や冬だと暑さ寒さがきついので被害が広がる)にして下さいと直談判をして了承されたそうだ。

うろ覚えだが、それはただ頼んで了承されたというわけではなく、神様としても勝手に道は曲げられないので、その分なおに苦しい行をさせて、因果応報の帳尻を合わせた上で了承されたものと記憶している。

また、今度の大地震をなるべく小難にすることは、世界の視点から見てもとても重要だ。

なぜなら日本は世界の雛形であるので、次の大地震が起これば、今度はスイッチが切りかわったかのように、世界そのものが揺れ動いていくからである。

このように次に来る大地震の被害がより甚大なものになると、回りまわって世界の人々の苦労もそれだけ長くなることから、まだそれが起こっていない今から、大難を小難にして下さいと神様に祈り祈るのが、人として出来る唯一のことのように思う。

日月神示参照。

『神の力が何んなにあるか、今度は一度は世界の臣民に見せてやらねば納まらんのざぞ、世界ゆすぶりて知らせねばならん様になるなれど、少しでも弱くゆすりて済む様にしたいから、くどう気つけてゐるのざぞ、ここまで世が迫りて来てゐるのぞ、まだ目醒めぬか、神は何うなっても知らんぞ、早く気つかぬと気の毒出来るぞ、その時になりては間に合はんぞ。』(天つ巻 第十九帖)

Posted on 2016/04/26 Tue. 09:33 [edit]

category: まわりうた

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26

まわりうた 

なかきよの めうつせしのひ
  いさめさめ さいひのしせつ うめのよきかな

(永き代の 目移せ偲び いざ目覚め 最美の時節 梅の良きかな)

解説

偲ぶは「過ぎ去ったり遠く離れたりしたことや人を,なつかしむ気持ちや賞賛・同情の気持ちをもって思い出す。追憶する。」「目の前にある物の美しさを賞賛する。めでる。」、最美(さいび)は「最も美しい・こと(さま)。」、時節は「季節。時候。特に,最適の季節。」「世の中の情勢。時世。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

「永き代の 目移せ」とは、永遠の視点で何事も見るようにせよ、ということ。そうすれば今ここに居る自分が、永遠なる時間の中の一瞬一瞬の中だけに生きていることが、頭だけでなくリアルな感覚として感じられる。

そうなることで、自然と目の前の全てが美しく感じられる。さらにその中でも最も美しい時節である春に咲く梅の、何とも良いことだなぁ、といった感じ。

Posted on 2016/04/25 Mon. 08:45 [edit]

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25

まわりうた 

なかきよは まいのちみるめ
  さをのちの をさめるみちの いまはよきかな

(永き代は 真命見る目 さ青の地の 治める道の 今は良きかな)

解説

さ青は「あお。」の意味です。

余談

この歌は、十二国記 O.S.T.1 - 十二幻夢組曲の中にある「十二幻夢曲(フル・ヴァージョン)」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

特に、景王陽子の初勅の内容をモチーフにしている。

下記、十二国記「風の万里 黎明の空」終章より引用。

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陽子:「みんな、立ちなさい」

景麒:「主上」

陽子:「景麒にも聞いてもらおう。私は人に礼拝されたり、人の間に序列あることが好きではない。相手の顔が見えないことが嫌だ。人から叩頭されることも、叩頭する人を見るのも不快だ」

景麒:「お待ちください」

陽子:「これ以後、礼典、祭典及び諸々の定めある儀式、他国からの賓客に対する場合を除き、伏礼を廃し、跪礼、立礼のみとする」

景麒:「主上」

陽子:「もう決めた」

景麒:「侮られたと怒る者がおりましょう」

陽子:「他者に頭を下げさせて、それで己の地位を確認しなければ安心できない者のことなど、私は知らない。それよりも、人に頭を下げるたび壊れていくもののほうが問題だと私は思う。人はね景麒、真実相手に感謝し、心から尊敬の念を感じた時には、自然に頭が下がるものだ。他者に対しては、礼をもって接する。そんなことは当たり前のことだし、するもしないも本人の品性の問題で、それ以上のことではないだろうと言っているんだ」

景麒:「それは、そうですが」

陽子:「私は、慶の民の誰もに王になってもらいたい。地位でもって礼を強要し、他者を踏みにじることに慣れた者の末路は、昇紘・呀峰の例を見るまでもなく明らかだろう。そしてまた、踏みにじられることを受け入れた人々が辿る道も。人は誰の奴隷でもない。そんなことのために生まれるのじゃない。他者に虐げられても屈することない心。災厄に襲われても挫けることのない心。不正があれば正すことを恐れず、けだものに媚びず。私は慶の民に、そんな不羈(ふき)の民になって欲しい。己という領土を治める唯一無二の君主に。そのためにまず、他者の前で毅然とこうべを上げることから始めて欲しい。諸官は私に、慶をどこに導くのかと聞いた。これで答えになるだろうか。その証として、伏礼を廃す。これをもって、初勅とする」

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Posted on 2016/04/24 Sun. 14:18 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

なかきよの ちさきてしうい
  ういのもの いういうしてき さちのよきかな

(永き代の 地咲きて繍衣 羽衣の者 悠々自適 幸の良きかな)

解説

繍衣(しゅうい)は「刺繍(ししゅう)をした美しい衣服。」、羽衣(うい)は「天人・仙女が空を飛ぶときに着るという衣。はごろも。」、悠々自適は「俗事にわずらわされず,自分の思うままに心静かに生活を送ること。」、幸は「さいわい。しあわせ。幸福。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

日月神示によれば、天人はその内分に応じていろいろな衣類を着ているのだとか。

日月神示参照。

『霊界には、山もあり、川もあり、海もあり、また、もろもろの社会があり、霊界の生活がある。故に、其処には霊人の住宅があり、霊人はまた衣類をもつ。住宅は、その住む霊人の生命の高下によって変化する。霊人の家には、主人の部屋もあれば、客室もあり、寝室もあり、また、食堂もあり、風呂場もあり、物置もあり、玄関もあり、庭園もある、と云ったふうに、現実世界と殆ど変りがない。と云うことは、霊人の生活様式なり、思想なりが、ことごとく同様であると云うことを意味する。また、内分を同じくする霊人たちは、相集まり、住宅は互に並び建てられており、地上に於ける都会や村落とよく似ている。その中心点には多くの場合、神殿や役所や学校等あらゆる公共の建物が、ほどよく並んでいる。そして、これらの総てが霊界に存在するが故に、地上世界に、それの写しがあるのである。霊界を主とし、霊界に従って、地上にうつし出されたのが、地上人の世界である。地上人は、物質を中心として感覚し、且つ考えるから、真相が中々につかめない。これら総ての建物は、神の歓喜を生命として建てられたものであって、霊人の心の内奥にふさわしい状態に変形され得る。また天人の衣類も、その各々がもつ内分に正比例している。高い内分にいる霊人は高い衣を、低いものは低い衣を自らにして着することとなる。彼等の衣類は、彼らの理智に対応しているのである。理智に対応すると云うことは、真理に対応すると云うことになる。但し、最も中心に近く、太神の歓喜に直面する霊人たちは衣類を着していないのである。この境地に到れば、総てが歓喜であり、他は自己であり、自己は他であるが故である。しかし、他よりこれを見る時は、見る霊人の心の高低によって、千変万化の衣類を着せる如く見ゆるのである。また、衣類は総て霊人の状態の変化によって変化して行くものである。~以下略~。』(地震の巻 第十五帖)

Posted on 2016/04/24 Sun. 08:46 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

ひときなか みすくなけくな
  いそくとく そいなくけなく すみかなきとひ

(酷き中 身剥く嘆くな 急ぐ徳 粗衣無く食無く 住み処無き都鄙)

解説

酷いは「だまって見ていられないほど残酷だ。むごい。」「非常に悪い。きわめてお粗末だ。」「程度がはなはだしい。はげしい。」、剥く(すく)は「そぐ。」、粗衣(そい)は「粗末な衣服。」、食(け)は「食べ物。」、住み処は「住んでいる所。住まい。」、都鄙(とひ)は「みやこと田舎。都会と地方。」の意味です。

余談

この歌は、Xenogears ORIGINAL SOUNDTRACK Disc 2の中にある「覚醒」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

身剥く(みすく)は身を削ぐ(そぐ)、即ち禊(みそぎ)の意味。これから厳しくなっていくだろうが、一人一人が徳を積めば大難が小難で済むはずだ。

日月神示参照。

『喜びは神から流れ、愛から流れ出るのであるが、愛そのもの、善そのものではない。生命であるぞ。生命であるが生命の本体ではないぞ。天地には天地のキ、民族には民族のキあるぞ。そのキは時代によって変って来る。その時のキが、その時のまことの姿であるぞ。それに合はんものは亡んで了ふぞ。火の洗礼、水の洗礼、ぶったり、たたいたり、カ、ミの洗礼なくては銘刀は出来ん道理ぢゃ。』(黄金の巻 第八十九帖)

『今に臣民 何も言へなくなるのざぞ、神烈しくなるのざぞ、目あけて居れんことになるのざぞ。四つン這ひになりて這ひ廻らなならんことになるのざぞ、のたうち廻らなならんのざぞ、土にもぐらなならんのざぞ、水くぐらなならんのざぞ。臣民可哀さうなれど、かうせねば鍛へられんのざぞ、この世始まってから二度とない苦労ざが、我慢してやり通して呉れよ。』(天つ巻 第二十五帖)

『喰うものがないと申して臣民不足申してゐるが、まだまだ少なくなりて、一時は喰う物も飲む物もなくなるのぞ、何事も行(ぎょう)であるから喜んで行して下されよ。滝に打たれ、蕎麦粉(そばこ)喰うて行者は行してゐるが、断食する行者もゐるが、今度の行は世界の臣民みな二度とない行であるから、厳しいのぞ、この行 出来る人と、よう我慢出来ない人とあるぞ、この行 出来ねば灰にするより他ないのぞ、今度の御用に使ふ臣民はげしき行さして神うつるのぞ。今の神の力は何も出ては居らぬのぞ。この世のことは神と臣民と一つになりて出来ると申してあろがな、早く身魂みがいて下されよ。外国は○、神の国はヽと申してあるが、ヽは神ざ、○は臣民ぞ、○ばかりでも何も出来ぬ、ヽばかりでもこの世の事は何も成就せんのぞ、それで神かかれるやうに早う大洗濯して呉れと申してゐるのぞ、神急(せ)けるぞ、この御用大切ぞ、神かかれる肉体 沢山要るのぞ。今度の行は○を綺麗にする行ぞ、掃除出来た臣民から楽になるのぞ。どこに居りても掃除出来た臣民から、よき御用に使って、神から御礼申して、末代名の残る手柄立てさすぞ。神の臣民、掃除洗濯出来たらこの戦は勝つのぞ、今は一分もないぞ、一厘もないぞ、これで神国の民と申して威張ってゐるが、足許からビックリ箱があいて、四ツん這ひになっても助からぬことになるぞ、穴掘りて逃げても、土もぐってゐても灰になる身魂は灰ぞ、どこにゐても助ける臣民 行って助けるぞ、神が助けるのでないぞ、神助かるのぞ、臣民も神も一緒に助かるのぞ、この道理よく腹に入れて呉れよ、この道理分りたら神の仕組はだんだん分りて来て、何といふ有難い事かと心がいつも春になるぞ。』(富士の巻 第五帖)

『山の谷まで曇りてゐるぞ、曇りた所へ火の雨降るぞ、曇りた所には神は住めんぞ、神なき所 愈々ざぞ。ひどい事あるぞ、神がするのでないぞ、臣民 自分でするのざぞ。一日一日のばして改心さすやうに致したなれど、一日延ばせば千日練り直さなならんから、神は愈々鬼となって規則通りにビシビシと埒(らち)あけるぞ、もう待たれんぞ、何処から何が出て来るか知れんぞと申してあろがな。花火に火つけよ、日本の国の乱れて来たのは来られんものを来らしたからぞ。三千年の昔に返すぞ、三万年の昔に返すぞ、三十万年の昔に返さなならんかも知れんぞ。家内和合出来ん様では、この道の取次とは申されんぞ、和が元ざと申してあろが、和合出来ぬのはトラとシシぞ、どちらにもメグリあるからざぞ、昼も夜もないのざぞ、坊主 坊主くさくてはならんぞ。』(キの巻 第十帖)

『いよいよ戦烈しくなりて喰ふものもなく何もなくなり、住むとこもなくなりたら行く所なくなるぞ。神の国から除かれた臣民と神の臣民と何ちらがえらいか、その時になりたらハッキリするぞ、その時になりて何うしたらよいかと申すことは神の臣民なら誰でも神が教えて手引張ってやるから、今から心配せずに神の御用なされよ、神の御用と申して自分の仕事をなまけてはならんぞ。何んな所にゐても、神がスッカリと助けてやるから、神の申すやうにして、今は戦して居りて呉れよ。てんし様 御心配なさらぬ様にするのが臣民のつとめぞ。神の臣民 言(こと)に気をつけよ、江戸に攻め来たぞ。』(富士の巻 第十帖)

『元の神代に返すといふのは、たとへでないぞ。穴の中に住まなならんこと出来るぞ、生(なま)の物食うて暮らさなならんし、臣民 取り違ひばかりしてゐるぞ、何もかも一旦は天地へお引き上げぞ、われの慾ばかり言ってゐると大変が出来るぞ。』(上つ巻 第三十六帖)

火水伝文参照。

「 遅し。神、既に動きたぞ。浮かれ暮らす人民様、この度のこと取り違えおれば末期の不覚となりぬるぞ。しっかと世情見ていて下されよ。現界の荒らぶる現象いよいよ混乱狂気となりておろうが。正邪、背徳、驕奢の膿、様々なる形なさして世に噴出させておろうが。これ予兆ぞ。既に世界はウラにて一つになりたぞよ。真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。これ、こたび始めの神仕組なり。これ日本の事ぞ、マコトぞ。仕組ありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。国、土台から破壊され。ケガレし権力潰れしも外なるケガレ逆巻きて内なるケガレ払うのぞ。私有財産壊滅し、衣食住にも窮迫し、国民同士の戦ある。人と獣との分かれ目ぞ。ケガレしものの消ゆるまで、三歳苦難の道行きぞ。こは神仕組み神ハタラキなれど、汝等人民様の招きしことなるぞ。汝の欲心甘やかし来たりたであろうが。しただけのことは拒めぬぞ。神恨むでないぞ。
 しかあれ、人民様の苦しき死。残り苦しむ様。神、望みてないぞ。既に遅けれど、このワケ、縁ある者に伝え置く。この度死ぬる者はこのワケ聞いて肚に入れ、生き戻れるように死んで下されよ。死んでも頑張りて下されよ。残されし者も同じぞ。死に急ぎなさるなよ。よくよく頑張りて下されよ。よいな、三年の間ぞ。三年の間、汝等の心魂、修羅場と化せしその地にて耐え難きを耐え魂磨くのぞ。死して逃れんと欲っせしも、異界にて万倍の地獄飲まなならんのぞ。神、頼むぞ。汝蒔いた種なればこらえにこらえて三真釣り持ち行け。」

「 汝、外に悪認めしと申すなれど、悪現われたる元見れば、汝の手元に結ぶのぞ。汝の集めしその糸は『我善し』汝のご都合に合わせ作らる欲糸ぞ。『あやま知』生みたる悪の糸。汝の育む欲糸じゃ。汝の厭う原子力、背後で育む悪親は『あやま知』病みたる汝等の『我善し』使うる電力のひたすら消費が真の親ぞ。汝等、悪滅っせんと申すなれど、握りた糸切ったかや。汝等欲糸引かずば悪育たず。生ぜず。自ら滅するの他無きであろうが。糸切りて滅びる産業、悪の業と知る時ぞ。慘業でありたのじゃ。滅びる他に無きものでありたのじゃ。お役目終わりぞ。
 神の渡せし糸と汝の集めし糸、混同してはならぬのじゃ。欲糸ひとつ放せば神の渡せし糸太くなるぞ。欲糸ひとつ生ずれば神の渡せし糸細くなるのじゃ。この道理解かるであろうが。
 これ程言うても解からぬ人民様ばかりじゃ。汝関わり無きと思いせば、その場で落つるのぞ。謙虚になりなされ。もう間違え出来んのぞ。最後のときぞ。後はないのぞ。神、頼むぞ。『あやま知』万物万象に渡りておるのぞ。汝一人関わりなきと思うてか。万物万象糸引かばすべて汝に及ぶなり。汝動きしその時は万物万象動くなり。針一本落ちても万物万象に関わるのぞ。汝の言の葉(口)、汝の思い(心)、汝の生き様(行)、何ぞ万物万象に関わり無きか。まして世の大変、汝等一人一人の『あやま知』由の現れと、素直に気付きて下されよ。
 大変起こるそれまでに『あやま知』捨つるミチのれよ。大変起きしその後は『マコト』貫くミチのれよ。ふたミチ貫く大切は『口・心・行』とぞ知れぞかし。三真釣り合わぬミチのりは、神も仏も無きものと思う世界へ向かうなり。三真釣り合わせしミチのりは、意乗り(祈り)神来るミロク世へ生くる唯一のミチなるぞ。
 汝等これまで言うてる事、心に思うてる事、行うてる事皆ばらばらでありたであろうが。そは『あやま知』の世に合わせ生くるためでありたと申すも、最早ならぬぞ。生きて地獄、死にて地獄。益々その身さいなむだけぞ。後いくばくも無き年月、ちいとはご苦労して見なされよ。今この時一つのご苦労百の安らぎぞ。
 かほど三真釣り成せ申すも、人民様の自覚甘きが由ぞ。汝等、巷に大変知らすオフレガミ数多あるを知り居るな。なれどこれより起き来たる危難、事細かに知りて何とするおつもりか。逃げ道探るは破滅のミチじゃ。そろそろ卒業結構ぞ。この期に及びて尚、逃れんと欲するは《身欲》を基の『あやま知』で《我善し》力で押し進み、ミロクの御代に残らんと、思える程に曇りて居るのであろうから、この方、末期の今今に辞世の歌を聞いて遣わす。思いの侭になさるが善いぞ。
 こ度のコトはいかなる神仏に頼み参らせれど適わぬコトぞ。人を創り、神をも創りせしものの意なるが由ぞ。元つ神の御ハタラキなれば、人にも神にも解からぬとくどう申し置き居ろうが。こ度の大変は時にあらず。場にあらず。マコト危うきは汝自身と知りて下され。時空越えたる祓い清めなるが由じゃ。助くる捨つるは後の後。自ら祓い清めるが、こ度の汝の【苦心行】三真釣り合わすミチのりぞ。
 解かりたか。海、荒るるが危うきで無いぞ。山、火吹くが危うきで無いぞ。地、裂けるが危うきで無いぞ。戦、激しきが危うきで無いぞ。衣食住、無うなるが危うきで無いぞ。めぐりだけの事はせにゃならんが、三真釣り持ち行く者なれば呼ベば助くる手出しすると申して居ろうが。由に汝、マコト持ち行けぬただその事が危ういのじゃ。生死一如と申して居ろうが。生きておりても死しておりても同じ事ぞ。三真釣り持ち行けぬ者、海、危うきぞ。山、危うきぞ。地、危うきぞ。戦、危うきぞ。衣食住、危うきぞ。死後も危うきと申すこと、ハラに入れよ。」

「 解かりてもらおう思いてなさるは身欲にござるぞ。通ぜねば、すぐに怒りに変わる底の浅きものじゃ。恥ずかしいぞ。そが我善し汝お一人の思い込みじゃ申して居るのぞ。これからは、汝の大切に思いて居る事どもが、次から次に消え行く時節ぞ。今ザマの汝の響きにありてはマコトを取るにお邪魔と鳴るからであるぞ。汝にマコトの無きが分、消えるが情けの知らせであるよ。【幸せ】申すは、汝が思い込みで握り持つものにて無いぞ。そは身欲にござろうが。総ての総ては授けものなれば、神に一旦自らお返し致して、後々の事は神にお任せなさるが善いぞ。今の様に、汝が欲糸しっかり握り絞めて居られたら、渡すものも渡せんではござらぬか。我欲の思い強ければ強い程、辛う鳴るぞ。汝が辛うあれば、この方も辛いのじゃ。家族にも、社会にも、男にも、女にも至慈至誠を心に持ちて、三真釣り尽くして裏切られ、尚、心底笑みで応え得る者が、マコトの嬉し楽しを手にするのじゃ。身欲がありては適わんことなり。最期の最後ではござらぬか、万分の一鳴りと、行いにて清き響き、三真釣り持ち行き鳴り鳴る様、なされて下されよ。
 解かりたでござろうが。汝等は何時までも、身欲を基のイサカイや汝病みをぐじぐじと、こねくり回し居る時にてはなかろうが。喜怒哀楽激しきはハラの座りて無きが証ぞ。早う三真釣り持ち行きて心の掃除をなしくれよ。後数年で総ての『過つカタチ』使え無うなりて来るのぞ。汝等を取り巻くカタチ九分九厘『過つカタチ』であるぞ。仕舞いには真釣りたマコトのカタチも、総ては一旦引き上げじゃ。カタチに総てを魔釣ろわせ、自らは何一つ真釣ろい産むが出くなくなりた汝等は、いかでこれより生くるのぞ。真っぱだかであるぞよ。衣食住ある思うなよ。穴に住まねばならぬぞよ。生もの食べねばならぬぞよ。マコトぞ。その日その日生くるがやっとに鳴りて来るのじゃ。頼れるものは、汝の真中唯一つ。それまでに真中スミキリ無くれば、透みて無い分、お苦しみぞ。こ度は真中透みて無くれば、いかな神に頼む申せど、この方が一切許さぬのぞ。真中スミキルがこ度のお仕組みの仕上げにござるからじゃ。汝等、地の日月の神成る身なれば余りに酷きザマとなる前に、見事、汝の真中磨いてござれよ。自ら磨くがこ度の要じゃ。ミロク明けますその時は、この方と共にハタラク申したではござらぬか。」

Posted on 2016/04/22 Fri. 20:23 [edit]

category: まわりうた

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22

まわりうた 

かちみるな くこもるともも
  くいてはて いくももとるも こくなるみちか

(勝ち見るな 口籠もる友も 悔いて果て 行くも戻るも 酷なる道が)

解説

勝ちは「勝つこと。勝利。」、口籠もるは「病気などのために,声が言葉として聞きとれない状態である。」「返答に窮したり、言いづらい事情があったりして、言うのをためらう。また、途中で言うのをやめる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「常闇ノ皇」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

原子力規制委員会は、運転開始から40年を超えた高浜原発が新規制基準を満たすと認める審査書を正式決定し、伊方原発に対しては7月再稼働の前提となる審査を全て終了させた。

熊本から大分方面へと震源地が移動して、日本を横断する中央構造線がいよいよ本格的に活発化し、もはや日本全国で震度7クラスの地震が起こる可能性が大幅に高くなってきたこの時期での原発推進は、戦前末期の日本の様相さながらだ。

おそらく今回も行くところまで行くだろう。

日月神示では逆さまという言葉が出て来るが、再稼働一つとっても一般庶民の感覚とお上の感覚が全く逆さまだ。別な個所では日本が潰れる前に、下が潰れる前に、上が先に潰れると書かれてあり、また大将は皆思い違うとある。逆に、上がわかりかけたら全て埒(らち)が明く、方(かた)がつくとも書かれてある。また、上も良くしようと思ってやっているが、やり方が逆さまだと書かれてある。

神示にある通り、上から変えて貰わないと下ばかりではどうにもならない。どうか学や智慧や金を頼りとせず、神を頼りにして、全てをタダにする政治、何もかも与えっぱなしの政治に変えてくれることを祈るばかりである。ここの道理が判るまでは動き取れん、と書かれてあるが、まさにその通りだと思う。

このままでは本当に日本が潰れてしまう。自然の驚異はいつも人の想像力を凌駕することを考えれば、下手すると今後、今までとは桁違いの巨大地震が日本に相次ぎ、国土そのものがいくつかに割れて、文字通り八つ裂きになる恐れもある。日本は世界の雛形であるから、もしそうなれば初発の泥海となるだろう。

もはや人間の力でどうにか出来る段階では無くなってきた。

今はただ 神にすがりて お詫びして 祈るそれより 他に道無し

といったところか。

日月神示参照。

『元からの神示 腹に入れた人が、これから来る人によく話してやるのざぞ。この道はじめは辛いなれど楽の道ぞ。骨折らいでも素直にさへして その日その日の仕事しておりて下されよ。心配要らん道ぞ。手柄立てようと思ふなよ。勝たうと思ふなよ。生きるも死ぬるも神の心のままざぞ。どこにどんな事して居ても助ける人は助けるのざぞ。神の御用ある臣民 安心して仕事致しておりて下されよ。火降りても槍降りてもびくともせんぞ。心安心ぞ。くよくよするでないぞ。神に頼りて神祀りてまつわりておれよ。神救ふぞ。』(日月の巻 第三十五帖)

『悪の仕組は、日本魂をネコソギ抜いて了ふて、日本を外国同様にしておいて、一呑みにする計画であるぞ。日本の臣民、悪の計画通りになりて、尻の毛まで抜かれてゐても、まだキづかんか、上からやり方かへて貰はねば、下ばかりでは何うにもならんぞ。上に立ちてゐる人、日に日に悪くなりてきてゐるぞ。メグリある金でも物でも持ちてゐたらよい様に思ふてゐるが、えらい取違ひであるぞ。早う神の申すことききて下されよ。世界の何処さがしても、今では九九(ここ)より他に、神のマコトの道知らす所ないのざぞ。此の道の役員、上から見られん所によきことないと今度の御用、なかなかにつとまらんぞ、洗濯急げよ、掃除急げよ、家の中が治まらんのは女にメグリあるからぞ、このことよく気付けておくぞ、村も国々も同様ぞ。女のメグリはコワイのざぞ。節分からは八回拍手うちて下されよ。神はげしくなるぞ。』(磐戸の巻 第十帖)

『此の方 悪が可愛いのぢゃ、御苦労ぢゃったぞ、もう悪の世は済みたぞ、悪の御用 結構であったぞ。早う善に返りて心安く善の御用聞きくれよ。世界から化物出るぞ、この中にも化物出るぞ、よく見分けてくれよ、取違ひ禁物ぞ。この神示よく見てゐると、いざと云ふ時には役に立つぞ、肝腎の時に肝腎が成るぞ。元は元、分れは分れ、元と分れ、同じであるぞ、別であるぞ、それぞれに分れの集団(まどい)つくってよいぞ、今日働いて今日食はなならん事に皆なりて来るのざから、その覚悟せよ、上に立つ番頭殿、下の下まで目届けておらんと、日本つぶれるぞ、つぶれる前に、そなた達がつぶれるのざぞ、早う改心して誠の政治仕へまつれよ。いれものキレイにして居りたらこの方がよきに使ふぞ、今の仕事仕へて居れよ、神示腹に入れて、あせらず身魂磨き結構々々。今度は世界のみか、三千世界つぶれる所まで行かなならんのざから、くどう申してゐるのざぞ。』(空の巻 第十帖)

『まつりてない時はお日様とお月様おろがめよ、マトとせよ。裁判所(しらす)いらんぞ、牢獄(ろうや)いらんぞ、法律いらんぞ、一家仲ようしたらいらんのぢゃ、国も同様ざぞ。そんな事すれば、世の中メチャメチャぢゃと申すであらうが、悪人がとくすると申すであろが、誰も働かんと申すであらうが、与へる政治だめぢゃと申すであろ、人間の小智恵ぢゃ。其処に人間の算盤(そろばん)の狂うたところ気付かんか、上に立つ人もっともっと大き心 結構ぞ、算盤なしで梶とらすぞ、神の申す通りに進むのぢゃ、これが出来ねば一段さがって頭下げてござれ、余り大き取違ひばかりぢゃぞ、悪の守護となってゐるからぢゃ、此処の道理判るまでは動きとれんのぢゃぞ。世界国々所々に世の大洗濯知らす神柱(かむはしら)現はしてあろが、これは皆この方の仕組ぢゃから、皆 仲良う手引き合ってやって呉れよ。』(光の巻 第四帖)

『今の臣民見て褒める様な事は皆奥知れてゐるぞ。之が善である、まことの遣り方ぞと思ってゐる事九分九厘迄は皆悪のやり方ぞ。今の世のやり方、見れば判るであらうが、上の番頭殿 悪い政治すると思ってやってゐるのではないぞ。番頭殿を悪く申すでないぞ。よい政治しようと思ってやってゐるのぞ。よいと思ふ事に精出してゐるのざが、善だと思ふ事が善でなく、皆悪ざから、神の道が判らんから、身魂曇りてゐるから、臣民困る様な政治になるのぞ。まつりごとせなならんぞ。わからん事も神の申す通りすれば自分ではわからんこともよくなって行くのざぞ。悪と思ってゐることに善が沢山あるのざぞ。人裁くのは神裁くことざぞ。怖いから改心する様な事では、戦がどうなるかと申す様な事ではまことの民ではないぞ。世が愈々のとことんとなったから、今に大神様迄 悪く申すもの出て来るぞ。産土様(うぶすなさま)何んぞあるものかと、悪神ばかりぞと申す者 沢山出てくるぞ。此の世始まってない時ざから我身我家が可愛い様では神の御用つとまらんぞ。神の御用すれば、道に従へば、我身我家は心配なくなると云ふ道理判らんか。何もかも結構な事に楽にしてやるのざから、心配せずに判らん事も素直に云ふ事聞いて呉れよ。子に嘘吐く親はないのざぞ。神界の事知らん臣民は色々と申して理屈の悪魔に囚はれて申すが、今度の愈々の仕組は臣民の知りた事ではないぞ。神界の神々様にも判らん仕組ざから、兎や角申さずと、神の神示腹に入れて身魂磨いて素直に聞いて呉れよ。それが第一等ざぞ。此の神示は世に出てゐる人では解けん。苦労に苦労したおちぶれた人で、苦労に負けぬ人で気狂いと云はれ、阿呆と謂はれても、神の道 素直に聞く臣民でないと解けんぞ。解いてよく噛み砕いて世に出てゐる人に知らしてやりて下されよ。苦労喜ぶ心より楽喜ぶ心高いぞ。』(日月の巻 第三十六帖)

『今度は世に落ちておいでなされた神々様をあげねばならぬのであるぞ、臣民も其の通りざぞ、神の申す通りにすれば何事も思ふ通りにすらすらと進むと申してあろがな。此れからは神に逆らふものは一つも埓あかんぞ、やりてみよれ、九分九厘でぐれんざぞ。神の国は何うしても助けなならんから、神が一日一日と延ばしてゐること会得らんか。皆の者がかみを軽くしてゐるからお蔭なくなってゐるのざぞ、世の元の神でも御魂となってゐたのではまことの力出ないのざぞ。今度の経綸(しぐみ)は世の元の生き通しの神でないと間に合はんのざぞ。何処の教会も元はよいのであるが、取次役員がワヤにしてゐるのぞ、今の様(さま)は何事ぞ。此の方は力あり過ぎて失敗(しくじ)った神ざぞ、此の世かもう神でも我出すと失敗るのざぞ、何んな力あったとて我出すまいぞ、此の方がよい手本(みせしめ)ぞ。世界かもう此の方さへ我で失敗ったのぞ、執念(くど)い様なれど我出すなよ、慢心と取違ひが一等気ざはりざぞ。改心ちぐはぐざから物事後先になりたぞ、経綸少しは変るぞ。今の役員、神の道広めると申して我(われ)を弘めてゐるでないか、そんな事では役員とは言はさんぞ。今迄は神が世に落ちて人が神になりておりたのぞ、これでは世は治まらんぞ。神が上(かみ)で、臣民、人民 下におらねばならんぞ。吾が苦労して人救ふ心でないと、今度の岩戸開けんのざぞ、岩戸開きの御用する身魂は吾の苦労で人助けねばならんのざ。 十年先は、五六七(みろく)の世ざぞ、今の人間 鬼より蛇より邪見ざぞ、蛇の方が早う改心するぞ、早う改心せねば泥海にせなならんから、神は日夜の苦労ぞ。道は一つと申してあろがな、二つ三つ四つあると思ふてはならんぞ、足元から鳥立つと申してあろが、臣民 火がついてもまだ気付かずにゐるが、今に体に火ついてチリチリ舞ひせなならんことになるから、神、執念気つけておくのざぞ。三四気つけて呉れよ、神の国は神の力で何事も思ふ様に行く様になりてゐるのに、学や智に邪魔されてゐる臣民ばかり、早う気付かぬと今度と云ふ今度は取返しつかんぞ。見事なこと神がして見せるぞ、見事なことざぞ、人間には恐しいことざぞ、大掃除する時は棚のもの下に置く事あるのざぞ、下にあったとて見下げてはならんぞ、この神は神の国の救はれること一番願ってゐるのざぞ、外国人も神の子ではあるが性来が違ふのざぞ、神の国の臣民がまことの神の子ざぞ、今は曇りてゐるなれど元の尊い種植えつけてあるのざぞ、曇り取り去りて呉れよ、依怙(えこ)の様なれど外国は後廻しぞ、同じ神の子でありながら神の臣民の肩持つとは公平でないと申す者あるなれど、それは昔からの深い経綸であるから臣民には会得(わから)んことであるぞ、一に一足す二でないと申してあろが、何事も神の国から神の臣からぞ、洗濯も同様ぞ。今度の御用外(はず)したら何時になりても取返しつかんことになるのざから、心して御用して呉れよ、遣り損なひ出来ないことになりてゐるのざぞ。天に一柱 地に一柱 火にも焼けず水にも溺れぬ元の種隠しておいての今度の大建替ぞ、何んなことあっても人間心で心配するでないぞ、細工は隆々仕上げ見て呉れよ、此の神はめったに間違いないぞ。三千年 地に潜りての経綸で、悪の根まで調べてからの経綸であるから、人間殿 心配せずに神の申す様 素直に致して下されよ。末法の世とは地の上に大将の器(うつわ)無くなりてゐることざぞ。オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。』(日の出の巻 第二十帖)

『今迄は闇の世であったから、どんな悪い事しても闇に逃れる事出来てきたが闇の世はもうすみたぞ。思ひ違ふ臣民 沢山あるぞ。何んな集ひでも大将は皆思ひ違ふぞ。早ふさっぱり心入れ換へて下されよ。神の子でないと神の国には住めんことになるぞ。幽界(がいこく)へ逃げて行かなならんぞ。二度と帰れんぞ。幽界(がいこく)行きとならぬ様、根本から心入れかへて呉れよ。日本の国の臣民 皆兵隊さんになった時、一度にどっと大変が起るぞ。皆思ひ違ふぞ。カイの御用はキの御用ぞ。それが済みたら、まだまだ御用あるぞ。行けども行けども、草ぼうぼう、どこから何が飛び出すか、秋の空グレンと変るぞ。この方 化(ば)けに化けて残らずの身魂調べてあるから、身魂の改心なかなかにむつかしいから、今度と云ふ今度は、天の規則通り、びしびしとらちつけるぞ。御三体の大神様 三日此の世をかまひなさらぬと この世はクニャクニャとなるのざぞ。結構近づいて居るのざぞ。大層が近づいて居るのざぞ。この神示読みて神々様にも守護神殿にも聞かせて呉れよ。いよいよあめの日津久の神様おんかかりなされるぞ。』(水の巻 第十四帖)

『マコトの者は千人に一人ざぞ、向ふの国にはまだまだドエライ仕組してゐるから今の内に神の申すこと聞いて、神国は神国のやりかたにして呉れよ。人の殺し合ひ許りではケリつかんのざぞ、今度のまけかちはそんなチョロコイことではないのざぞ、トコトンの処まで行くのざから神も総活動ざぞ、臣民 石にかじりついてもやらねばならんぞ、そのかわり今後は万劫末代のことざから何時迄もかわらんマコトの神徳あたへるぞ。云はれぬこと、神示に出せぬことも知らすことあるぞ。』(磐戸の巻 第十二帖)

『コトちがふから、精神ちがふから、ちがふことになるのざぞ、コト正しくすれば、正しきこととなるのざぞ。日本の国は元の神の血筋のまじりけのないミタマで、末代 世治めるのざ。何事も末代のことであるから、末代動かん様に定めるのざから、大望であるぞ。上の臣民この儘で何とか彼んとかいける様に思ふてゐるが、其の心われよしざぞ。今度は手合して拝む許りでは駄目ざと申してあろが、今度は規則きまりたら、昔より六ヶ敷くなるのざぞ、まけられんことになるのざぞ、神魂(カミタマシ)の臣民でないと神の国には住めんことになるのざぞ。この世治めるのは地の先祖の生神の光出さねば、この世治まらんのざぞ、今度はトコトン掃除せねば、少しでもまぢり気(け)ありたら、先になりて また大きな間違ひとなるから、洗濯々々とくどう申してゐるのざ。神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。大国常立尊大神と現はれて、一時は天もかまひ、地の世界は申すに及ばず、天へも昇り降りして、◎(モト)の◎(ニホン)の◎(カミ)の光りクッキリ現はさなならんと仰せあるぞ、早う洗濯せんと間に合はんぞ。この道の役員、吾は苦労して人助けるのざぞ、その心でないと我出して吾のこと思ふてゐるとグレンざぞ。仏もキリストも何も彼もスカリと救はねばならんのざ、殺して救ふのと、生かして御用に使ふのとあるぞ、今度はハッキリ区別するのざぞ、昔からの因縁ざぞ。この方のもとに参りて、昔からの因縁、この先のこと克く聞いて得心出来たら、肚の底から改心してマコトの御用結構につとめあげてくれよ。逃げ道つくってはならんぞ、二つ三つ道つくってはならんぞ。ますぐに神の道に進めよ。神の道は一筋ざと申してあろが。何なりとそれぞれの行せねばマコトのことは出来んのざぞ、世界の片八四浜辺からいよいよが始まると知らしてあること近うなりたぞ、くどい様なれどさっぱりと洗濯してくれよ、神の国は神のやり方でないと治まらんから今までの法度(はっと)からコトから、やりかたかえて、今迄はやりかた違ってゐたから、神のお道通りに致しますと心からお詫びせねば、する迄 苦しむのざぞ、この苦しみは筆にも口にもない様なことに、臣民の心次第でなるのざから、くどう申してゐるのざぞ、何も彼も神にささげよ、てんし様にささげよと申してあろがな、それが神国の民の心得ぞ、否(いや)でも応(おう)でもそうなって来るのざぞ。神国の政治経済は一つざと申してあろうがな、今の臣民に判る様に申すならば、臣民働いてとれたものは、何でも神様にささげるのざ、神の御社は幸でうづもれるのざぞ、御光輝くのざぞ、光のまちとなるのざぞ。神からわけて下さるのざぞ、其の人の働きによってそれぞれに恵みのしるし下さるのざぞ、それがお宝ぞ、お宝 徳相当に集まるのざぞ、キンはいらんと申してあろがな、元の世になる迄に、さうした事になって それからマコトの神の世になるのざ。神の世はマツリあるだけぞ、それ迄にお宝下さるのざぞ、お宝とは今のお札(さつ)の様なものざぞ。判る様に申すなら、神の御社と臣民のお役所と市場と合した様なものが、一時は出来るのざぞ、嬉し嬉しとなるのざぞ、マコトのマツリの一(ハジメ)ざぞ。このことよく肚に入れて一二三(ひふみ)として説いて、早う上の守護人殿にも、下の守護人殿にも知らして、安心して、勇んで暮す様にしてやりて下されよ。それも臣民の心次第、素直な人、早う嬉しくなりて、心勇むぞ、さびしくなりたら たづねて御座れと申してあろがな。』(磐戸の巻 第十三帖 ◎は原文では「○にヽ」の形)

『逆立ちして歩くこと、なかなか上手になりたれど、そんなこと長う続かんぞ。あたま下で手で歩くのは苦しかろうがな、上にゐては足も苦しからうがな、上下逆様と申してあるが、これでよく分るであろう、足はやはり下の方が気楽ぞ、あたま上でないと逆さに見えて苦しくて逆様ばかりうつるぞ、この道理分りたか。岩戸開くとは元の姿に返すことぞ、神の姿に返すことぞ。三(みち)の役員は別として、あとの役員のおん役は手、足、目、鼻、口、耳などぞ。人の姿見て役員よく神の心悟れよ、もの動かすのは人のやうな組織でないと出来ぬぞ。この道の役員はおのれが自分でおのづからなるのぞ、それが神の心ぞ。人の心と行ひと神の心に融けたら、それが神の国のまことの御用の役員ぞ、この道理分りたか。この道は神の道ざから、神心になると直ぐ分るぞ、金銀要らぬ世となるぞ。御用うれしくなりたら神の心に近づいたぞ、手は手の役、うれしかろうがな、足は足の役、うれしかろうがな、足はいつまでも足ぞ、手はいつまでも手ぞ、それがまことの姿ぞ、逆立して手が足の代りしてゐたから よく分りたであろうがな。いよいよ世の終りが来たから役員気つけて呉れよ。神代近づいてうれしいぞよ。日本は別として世界七つに分けるぞ、今に分りて来るから、静かに神の申すこと聞いて置いて下されよ。この道は初め苦しいが、だんだんよくなる仕組ぞ、わかりた臣民から御用つくりて呉れよ、御用はいくらでも、どんな臣民にでも、それぞれの御用あるから、心配なくつとめて呉れよ。』(下つ巻 第十三帖)

『日本には五穀、海のもの、野のもの、山のもの、皆人民の食ひて生くべき物、作らしてあるのぢゃぞ、日本人には肉類禁物ぢゃぞ。今に食物の騒動激しくなると申してあること忘れるなよ、今度は共喰となるから、共喰ならんから、今から心鍛へて食物大切にせよ、食物おろがむ所へ食物集まるのぢゃぞ。ひたすらに神にすがりてお詑びせよ、それより他に今は道なし。外国を日本の地面にせなならん、日本とにほんと取違ひすな。何事も神第一ぞ、神よそになすこと云ふことスコタンばかりぢゃ。分け隔てあると思ふは我が心に分け隔てあるからぢゃぞ、世界中のそれぞれの国、皆、氏神様、産土様、愈々天の命令通りにかかり下されよ、もう待たれん事に時節参りて居るぞ、世界の人民 皆泥海の中に住んでゐるのぢゃぞ、元の水流して清めてやらねばならんなり、泥水を泥水と知らずに喜んでゐるので始末に困るぞ、清い水に住めん魚は誠の魚ではないのぢゃぞ。つらい役は因縁のミタマに致さすぞ。心得なされるがよいぞ。』(梅の巻 第十四帖)

Posted on 2016/04/21 Thu. 23:36 [edit]

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まわりうた 

なかきよの つまりなくよに
  まいのりの いまによくなり まつのよきかな

(永き世の 詰まり泣く世に 真祈りの 今に良くなり 松の良きかな)

解説

詰まりは「物事の行きつくところ。果て。終わり。」「行きどまり。すみ。」「行きづまること。困窮。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「Reset」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

戦後から続いて来た社会構造の何もかもが行き詰まっているように思う。

特に熊本の大地震が起きてから、さらにそれが誰の目にも判るようになって来たように感じる。

熊本を九○(くま=隈/曲)の本の意味と取ると、隈(くま)は奥まったすみの所という意味があるので、いよいよ九分九厘のそのまた九分九厘の所まで来た、行き詰まりのさらに奥まった所に来た、という合図とも解釈できる。

しかし川内原発を未だ停止させない政府の対応を見るにつけ、このままでは原発事故が起こるのは必定と言える。

福島原発では偏西風によって放射性物質は太平洋に流れたが、仮に川内原発が事故を起こすと、今度は日本中がその範囲内にどっぷり浸かってしまう。こうなると、世界中の誰がどう見ても日本は終わったとしか思えない事態に陥るのは明白だ。

また日本神話で初めて生まれたオノゴロ島を淡路島周辺の島のことと仮定すれば、おおよそ福島原発は艮(うしとら)、川内原発は坤(ひつじさる)に位置していることが判る。

大本によると艮に国祖国常立尊が隠退し、坤にご妻神の豊雲野尊が隠退したということだが、川内原発事故によって夫婦神のお出まし、というシナリオだけは本当に本当にお願いですから勘弁してください、と一心不乱に祈るばかりである。

この蓋が開くと日本国中が阿鼻叫喚の地獄と化し、いくら泣いても詫びても悔やんでも、もう後戻りはできない。

逆から言うと、この度は全ての身魂を一点の曇り無きまでに祓われる仕組みであるがゆえ、仮に第二の原発事故が起こるならば、もうここまでしないと曇りは祓えないということなのだろう。

勘違いしてはならないのは、艮の金神、坤の金神の両神が出て来るとしても、何か奇跡的な救い方をするために出て来るのではないということだ。

この度は外なるケガレが逆巻いて、内なるケガレを祓う仕組みであるがゆえ、また今は全て逆さまになっているがゆえ、神から見た救いと人から見た救いの形は違うということである。

陰陽道では艮は鬼門、坤は裏鬼門とされ忌み嫌われてきたが、この度、まさに人心にとっては最大の忌み嫌われる神様が出て来たのであり、神心に戻らなければそれが救いと見えないようになっている。

どちらにせよ、もはやここまで来たからには、末の末には必ず救いの時節が来るのだと日々待ちながら、神様に祈りつつ最善を尽くすより他、道は残されていないように思う。

Posted on 2016/04/20 Wed. 19:19 [edit]

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