06 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31.» 08

花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

てんへきて なみしほなりや
  かりとりと りかやりなほし みなてきへんて

(天へ来て 並みし穂成りや 刈り取りと 離歌遣り直し 皆出来へんで)

解説

並む(なむ)は「並ぶ。連なる。」、穂は「《‘秀(ほ)’と同語源》稲・麦やススキなどの花序。長い茎の先に花や実が群がりついたもの。特に、稲のものをいう。」、成りは「成ること。成就。」、離歌は「離別の歌。別れの歌。」の意味です。

雑感

出来へん(できへん)は出来ないという意味の関西弁です。

歌の内容は、米の収穫になぞらえて、天へ昇る人は米(コ・メ=光・命)の存在となって永遠の嬉し楽しの状態となり、反対に土に還る(地に沈む)人とは別れ別れとなる、という意味かと思う。

このように今度は何事も永遠に続くものなので、銘々遣り直しが出来ないので、そこのところをよく考えて、良心から踏み外さずにしてくれ、という意味になるかと思う。

要するに、見事この度の大峠を越して、立派な米(コメ=光命)と、コシヒカリ(越し光)となってくれ、という意味だろう。

日月神示参照。

『今は善の神が善の力弱いから善の臣民苦しんでゐるが、今しばらくの辛抱ぞ、悪神総がかりで善の肉体に取りかからうとしてゐるから よほどフンドシしめてかからんと負けるぞ。親や子に悪の神かかりて苦しい立場にして悪の思ふ通りにする仕組立ててゐるから気をつけて呉れよ。神の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世の、も一つ上の神の世は戦済んでゐるぞ、三四五(みよいづ)から五六七(みろく)の世になれば天地光りて何もかも見えすくぞ。八月のこと、八月の世界のこと、よく気つけて置いて呉れよ、いよいよ世が迫りて来ると、やり直し出来んと申してあろがな。いつも剣の下にゐる気持で心ひき締めて居りて呉れよ、臣民 口でたべる物ばかりで生きてゐるのではないぞ。』(富士の巻 第六帖)

『幾ら誠申してもまことは咽喉へつかへて呑み込めぬから、誠の所へは人民なかなか集まらんなれど、今度の御用は臣民 沢山は要らんぞ。何もかも神が仕組みてゐるのざから、人民仕様とて何も出来はせんぞ、神の気概に叶はん人民は地の下になるのざぞ。神示わからねば一度捨てて見るとわかるのざぞ。』(松の巻 第四帖)

『のりのり祈らば 岩戸ひらけん。 神は一時は仏とも現れたと申してありたが、仏ではもう治まらん、岩戸が開けたのであるから、蓮華ではならん。人民も改心しなければ、地の下に沈むことになるぞ、神が沈めるのではない、人民が自分で沈むのであるぞ、人民の心によって明るい天国への道が暗く見へ、暗い地の中への道が明るく見えるのであるぞ、珍しきこと珍しき人が現れてくるぞ、ビックリ、ひっくり返らんように気つけてくれよ、目の玉 飛び出すぞ、たとへでないぞ。』(紫金の巻 第七帖)

『一番尊い所 一番落してあるのぢゃ、此の事判りて来て天晴れ世界唸(うな)るのぢゃ、落した上に落して もう落す所無い様にして上下引繰り返るのぢゃ、引繰り返すのでないぞ、引繰り返るのぢゃぞ、此の事 間違へるでないぞ。此の道 難しい道でないぞ、欲はなれて、命はなれてなる様にしておりて下されたら それでよいのぢゃ。今が神国の初めぞ、今までのことすっかり用ひられんのに未だ今迄の事云ふて今迄の様な事考えてゐるが、それが盲聾(めくらつんぼ)ざぞ、今迄の事自慢すると鼻ポキンぞ、皆 鼻ポキン許りぢゃなあ。まだまだ俘虜(とりこ)になる者 沢山あるなれど、今度の俘虜(とりこ)まだまだぞ、何れ元に帰って来るから、元に帰って又盛り返して来るなれど、またまた繰り返すぞ、次に又捕へられる者 出て来るのざぞ、次はひどいのざぞ、是も因縁ざぞ。神の国は誰が見ても、どう考へても、二度と立ち上がられん、人民 皆外国につく様になって、此の方の申した事、神示に書かした事、皆 嘘(うそ)ざと申す所まで世が落ちてしまうてから始めて神力現れるのざぞ、人民臣民 早合点して御座るが九分九分九厘と申してあろがな、事務所作らいでもよいぞ、事務所作るのは表の仕組ぞ、裏の御用 事務所禁物ぞ、それぞれの役員殿の住むとこ皆それぞれの事務所でないか、よく相談してやりて下され、段々判りて来るぞ。表と裏とあななひぞ、あななひの道と申してあろ、引寄せる身魂は、天で一度改めて引寄せるのであるぞ、今お役に立たん様に臣民の目から、役員の目から見えても袖にするでないぞ、地でも改めしてまだまだ曇り取らなならんぞ、磨けば皆結構な身魂許りぢゃぞ、人民の肚さへたら天もさへるぞ、心鎮(しづ)もれば天も鎮もるぞ、神勇むぞ。我(が)はぢっと奥に鎮めて表面(うわべ)には気(け)も出されんぞ、我の無い様な事では、我で失敗(しくじ)た此の方の御用出来ないのざぞ、毒にも薬にもならん人民 草木にかへしてしまふぞ。此の神示 無闇(むやみ)に見せるでないぞ、神示は出ませんと申せよと申してある事 忘れるでないぞ。天の規則 千でやる事になってゐるのざぞ、今度 規則破りたら暗い所へ落ち込んで末代浮ばれんきつい事になるのざから、神くどう気付けておくぞ。次に世に出る番頭殿 まだ神なきものにして御座るから一寸先も判らんぞ、先判らずに人間の勝手な政治して世は治まらん道理ぢゃぞ、三日天下でお出直しぞ、その次もその次も又お出直しぢゃ、此の神示よく見てこの先何うなる、其の先どうなると云ふ事、神はどんな事計画しておいでますと云ふ事判らいで政治ないぞ、すればする程 悪うなるぞ、神にはこうなる事判って呑んでゐるのざから、何んなことあっても心配ないなれど、それでは臣民 可哀想なから、此の神示ウタにして印刷して世によき様にして皆に知らしてやれよ、表の集団でよいぞ、神は天からも地からも日も夜も九十(コト)で知らしてゐるのに、九十(コト)聞く身魂ないから、九十(コト)きく御身(みみ)曇りてゐるから、人民は判らんなれど、余り判らんでは通らんぞ、早う洗濯掃除せよと申してゐるのざ。人の十倍も今の仕事して其の上で神の御用するのが洗濯ぞ、掃除ぞと申して知らした事忘れたか、地に足つけよと申した事判らんのか、百姓になれ、大工になれと申した事判らんのか、青氣(てん)の地もあるぞ、天の百姓、大工もあるのざぞ。善と悪と小さく臣民分けるから判らんのざぞ、大きく目ひらけよ。松食(お)せよ、松おせば判らん病直るのぢゃぞ、松心となれよ、何時も変らん松の翠(みどり)の松心、松の御国の御民幸あれ。』(雨の巻 第十四帖 青氣は原文では「青+氣」の一文字漢字の形)

火水伝文参照。

「 時いよいよ現れ来たりたぞ。これより先、新しき世に至るまで暫しの年月、辛抱肝心ぞ。人民様、程度の差こそあれ業火の死、遂げる者。生き残り塗炭の苦しみ、受くる者。二つに一つになりたぞよ。人ごとでないぞ、汝も同じぞ。悪人、善人らちもない。死に行かれる者も、残し置かれる者も聞くのざぞ。
 この度は地球最後の転生の時、天意転換の時ぞ。それ由の厳しさぞ。全人類、己が囚われ積みしケガレ、一点の曇り無きまで払い清めせなならんから、数多の民、死ぬる者も残りし者も相等しく、阿鼻叫喚の地獄の如き洗礼をその身に受けねばならんのぞ。女、子供辛きこと哀れであるが、一人とてこれ避けること出来んから、早よう魂磨きてくれよと申してきたであろうが。
 遅し。神、既に動きたぞ。浮かれ暮らす人民様、この度のこと取り違えおれば末期の不覚となりぬるぞ。しっかと世情見ていて下されよ。現界の荒らぶる現象いよいよ混乱狂気となりておろうが。正邪、背徳、驕奢の膿、様々なる形なさして世に噴出させておろうが。これ予兆ぞ。既に世界はウラにて一つになりたぞよ。真中を過ぎし不測の時、世界の悪勢一挙に入り来たり全土を一つと七つに分け占めて修羅の地獄と化さしめん。これ、こたび始めの神仕組なり。これ日本の事ぞ、マコトぞ。仕組ありて、真先に日本払い清めせなならんからぞ。国、土台から破壊され。ケガレし権力潰れしも外なるケガレ逆巻きて内なるケガレ払うのぞ。私有財産壊滅し、衣食住にも窮迫し、国民同士の戦ある。人と獣との分かれ目ぞ。ケガレしものの消ゆるまで、三歳苦難の道行きぞ。こは神仕組み神ハタラキなれど、汝等人民様の招きしことなるぞ。汝の欲心甘やかし来たりたであろうが。しただけのことは拒めぬぞ。神恨むでないぞ。
 しかあれ、人民様の苦しき死。残り苦しむ様。神、望みてないぞ。既に遅けれど、このワケ、縁ある者に伝え置く。この度死ぬる者はこのワケ聞いて肚に入れ、生き戻れるように死んで下されよ。死んでも頑張りて下されよ。残されし者も同じぞ。死に急ぎなさるなよ。よくよく頑張りて下されよ。よいな、三年の間ぞ。三年の間、汝等の心魂、修羅場と化せしその地にて耐え難きを耐え魂磨くのぞ。死して逃れんと欲っせしも、異界にて万倍の地獄飲まなならんのぞ。神、頼むぞ。汝蒔いた種なればこらえにこらえて三真釣り持ち行け。」

「 日本の大変が酷いのは上に立つお偉い様方、ヒノモトは《元つキの国》なるを『あやま知』に惑わされすっかりだまされ忘れ去り、神気息も出来ぬほどにケガレ気枯らしてしもうたが由なるぞ。汚してはならぬ元つ神のご神体でありたのじゃ。汚したるご無礼、末代ワビつると申せど取り返しのつかぬ事でありたのじゃ。一度は日本はもう潰れたと、誰もが思うひどき有りざまにせなならぬ。神も辛いがこれも人民様にマコト無きが由ぞ。マコト無き所にマコトの神は降りぬのぞ。
 神、幾度も注意を促し来たりたのぞ。されど汝等聞かず、『あやま知』に目がくらみ我欲に囚われておりたのじゃ。由に申して居る、こ度の災難、天意転換の仕組みより受くるのでないぞ。神仕組みで無いぞ。汝等自身の仕組みし大変の事なるぞ。巷で騒ぎつる世の破滅、汝等の仕組みし世を祓う大掃除のことであるぞ。
 今までの世でありたならケガレと光、共にあることも仕組み有りて出来たことなれど、新しき御代になりたればケガレと光、共にあること適わぬのじゃ。仕組み変わるのじゃ。このことよくよくハラに入れて下されよ。今迄の神仏説きし転生は古き教えの中でのことじゃ。今迄は中つ世の神々のお役目なればいたしかたなくありたなれど古き転生の教えこ度で終わりぞ。取り違え致すなよ。」

Posted on 2016/07/31 Sun. 14:48 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

31

まわりうた 

やそかてる かかみかへすと
  まいのちの いまとすへかみ かかるてかそや

(八十日照る 鏡返すと 真命の 今と皇神 掛かる手下ぞや)

解説

八十日(やそか)は「はちじゅうにち。また、多くの日数。」、皇神(すべかみ)は「神を敬っていう語。すめかみ。」、手下(てか)は「てした。配下。」、ぞやは「…だなあ。…ことだ。…だぞ。▽感動・詠嘆を込めて強く指示する。」の意味です。

雑感

神示では、細工はりゅうりゅう(流々)と書かれてあり、紆余曲折はあっても最後は見事なことになると記されている。

つまり全てが終わった後に、今までの多くの日数、時間、年月の全てが祝福されるということだ。大本の神典や日月神示では、神はその仕組みをするのに三千年かかったと書かれてあるが、それを以てそれら全てが報われるということになる。この三千年余りに渡る、不完全続きの人類の歴史が日の目を見るということだ。

「真命の 今と皇神」の部分は、命のままの自分、自分らしい自分を取り戻すことと、神がこの世に居るか居ないかがはっきりわかる、と解釈できる。その為の「掛かる手下」であって、もう今のこの最後の段階では、あらゆる神が総出で働きをしているという意味になる。

「鏡返す」とは因果応報の流れが速くなって、因が即果になるという意味が考えられる。または自らの中にある直霊(なおひ)という模範に、鑑に照らし合わせると、という意味でもあるように思う。

或いは、自らに懸っているカカ(蛇の古語)のミ(見)を、在るべき所に返すという意味でもあるかもしれない。自分の内側にある蛇的な思い、たとえば執着心とかいやらしい思いとか、そういうものから一旦離れて、全てを神に返して、最善を尽くしながらお任せするということだ。

日月神示参照。

『大奥山は神人交流の道の場である。道は口で説くものではない。行ずるものである。教は説かねばならない。多数決が悪多数決となるわけが何故に判らんのぢゃ。投票で代表を出すと殆んどが悪人か狂人であるぞ。世界が狂ひ、悪となり、人民も同様となっているから、その人民の多くが選べば選ぶ程、益々混乱してくるのであるぞ。 それより他に人民の得心出来る道はないと申してゐるが、道はいくらでもあるぞ。人民の申してゐるのは平面の道、平面のみでは乱れるばかり、立体にアヤなせば弥栄えて真実の道が判るのぢゃ。ぢゃと申して独裁ではならん。結果から見れば神裁ぢゃ。神裁とは神人交流によることぞ。(十二月二十五日) 神はうそつきぢゃと人民申しても、悪い予言はうそにしたいので日夜の苦労、こらえられるだけこらえてゐるのである。もう、ものばかりでは治まらんこと、キンでは治まらんこと、平面のみでは駄目であること、よく判ってゐるのにカブトぬげん神々様よ、気の毒が来ぬ前に改心結構。遠くからでは判らんし、近づくと迷うし、理屈すてて神にほれ参らせよ。よくこの神をだましてくれたぞ、この神がだまされたればこそ、太神の目的なってくるのぢゃ。細工はりゅうりゅう仕上げ見て下されよ。 区別すると力出るぞ、同じであってはならん。平等でなくてはならんが、区別なき平等は悪平等である。天に向って石を投げるようなことは、早くやめねばならん。霊かかりもやめて下されよ。 人民が絶対無と申してゐるところも、絶対無ではない。科学を更に浄化弥栄させねばならん。 空間、時間が霊界にないのではない。その標準が違うから無いと考えてよいのである。 奥山は奥山と申してあろう。いろいろな団体をつくってもよいが、何れも分れ出た集団、一つにしてはならん。奥山はありてなきもの、なくて有る存在である。 奥山と他のものとまぜこぜまかりならん。大き一つではあるが別々ぞ。今迄になかった奥山のあり方、判らんのも無理ないなれど、これが判らねば この度の大神業、判りはせんぞ。』(月光の巻 第七帖)

『富士は晴れたり日本晴れ、いよいよ岩戸開けるぞ。お山開きまこと結構。松の国 松の御代となるぞ。旧九月八日から大祓ひのりとに天津祝詞の太のりと「一二三(ひふみ)のりとコト」入れてのれよ。忘れずにのれよ。その日からいよいよ神は神、けものはけものとなるぞ。江戸道場やめるでないぞ、お山へ移してよいぞ、役員一度やめてよいぞ。またつとめてよいぞ。めぐりあるから心配あるのぞ。めぐり無くなれば心配なくなるぞ。心配ないのが富士は晴れたりぞ、富士晴れ結構ぞ。日津久の御民 何時も富士晴れ心でおりて下されよ。肉体ちっとの間であるが、魂は限りなく栄へるのざぞ。金に難渋して負けぬ様にして下されよ。金 馬鹿にしてはならんぞ。あせるでないぞ。あせると心配事出来るぞ。神が仕組みてあること、臣民がしようとて出来はせんぞ。細工はりうりう滅多に間違ひないのざぞ。見物して御座れ、見事して見せるぞ。不和の家、不調和(ふわ)の国のささげもの神は要らんぞ。喜びの捧げもの米一粒でもよいぞ。神はうれしいぞ。旧九月八日とどめぞ。』(水の巻 第九帖)

『富士は晴れたり日本晴れ。◎の巻 書き知らすぞ。此の世に自分の物と云ふ物は何一つないのであるぞ。早う自分からお返しした者から楽になるのざぞ。今度の大洗濯は三つの大洗濯が一度になって居るのざから、見当取れんのざぞ。神の国の洗濯と外国の洗濯と世界ひっくるめた洗濯と一度になってゐるのざから、そのつもりで少しでも神の御用務めて呉れよ。此れからがいよいよの正念場と申してあろがな。今はまだまだ一の幕で、せんぐり出て来るのざぞ。我(が)出したら判らなくなるぞ、てんし様おがめよ、てんし様まつりて呉れよ、臣民 無理と思ふ事も無理でない事 沢山にあるのざぞ、神はいよいよの仕組にかかったと申してあろがな。毀(こわ)すのでないぞ、練り直すのざぞ。世界を摺鉢(すりばち)に入れて捏(こ)ね廻し、練り直すのざぞ。日本の中に騒動起るぞ。神の臣民 気つけて呉れよ。日本も神と獣に分れているのざから、いやでも応でも騒動となるのざぞ。小さくしたいなれど。』(日月の巻 第一帖 ◎は原文では「〇にヽ」の形)

『臣民ばかりでないぞ、神々様にも知らせなならんから、なかなか大層と申すのぞ。一二三(ひふみ)の仕組とは、永遠(とは)に動かぬ道のことぞ、三四五(みよいづ)の仕組とは、みよいづの仕組ぞ、御代出づとは神の御代になることぞ、この世を神の国にねり上げることぞ、神祀りたら三四五の御用にかかるから、その積りで用意して置いて呉れよ。この神は世界中の神と臣民と、けだものも草木もかまはねばならんのざから、御役いくらでもあるぞ。神様と臣民 同じ数だけあるぞ。それぞれに神つけるから、早う身魂みがいて呉れよ、みがけただけの神をつけて、天晴れ後の世に残る手柄立てさすぞ。小さいことはそれぞれの神にきいて呉れよ、一人ひとり、何でもききたいことは、病直すことも、それぞれの神がするから、サニワでお告うけて呉れよ、この方の家来の神が知らせるから何でもきけよ。病も直してやるぞ、その神たよりたなら、身魂みがけただけの神徳あるぞ。この世始まってない今度の岩戸開きざから、これからがいよいよぞ。飛んだところに飛んだこと出来るぞ。それはみな神がさしてあるのざから、よく気つけて居れば、さきの事もよく分かるようになるぞ。元の神代に返すと申すのは喩へでないぞ。七から八から九から十から神烈しくなるぞ、臣民の思う通りにはなるまいがな、それは逆立してゐるからぞ。世界一度にキの国にかかりて来るから、一時は潰れたやうに、もうかなはんと云ふところまでになるから、神はこの世に居らんと臣民申すところまで、むごいことになるから、外国が勝ちたやうに見える時が来たら、神の代近づいたのぞ、いよいよとなりて来ねば分らん様では御用出来んぞ。』(下つ巻 第十四帖)

『神の国を真中にして世界分けると申してあるが、神祀るのと同じやり方ぞ。天(あめ)のひつくの家とは天のひつくの臣民の家ぞ。天のひつくと申すのは天の益人のことぞ、江戸の富士と申すのは、ひつくの家の中に富士の形作りて、その上に宮作りてもよいのぞ、仮でよいのぞ。こんなに別辞(ことわけ)てはこの後は申さんぞ。小さい事はサニワで家来の神々様から知らすのであるから、その事忘れるなよ。仏(ぶつ)も耶蘇(やそ)も、世界中まるめるのぞ。喧嘩して大き声する所にはこの方鎮まらんぞ、この事忘れるなよ。』(下つ巻 第二十六帖)

※下記箇所は特殊文字があるので下記リンク先で読んでください。

日月(ひふみ)神示 黄金の巻 第四十九帖(ひふみ神示データさん)
http://hifumi.uresi.org/24.html

Posted on 2016/07/31 Sun. 13:53 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

31

まわりうた 

なかきよの みかたまかてる
  ひのもとも のひるてかまた かみのよきかな

(永き代の 身が魂が照る 日の本も 伸びる手がまた 神の良きかな)

解説

魂(たま)は「たましい。」、日の本は「日本の異名。」の意味です。

雑感

「伸びる手」の手だが、手は手段とか方法という意味にもとれる。日本はもう国自体が行き詰りつつあって手も足も出せない状態だが、神が手のひらを返して道をつける、というようなことが書かれてある。

或いは、世界だけでなく、この日本も神の手によって助けられるとも解釈できるかと思う。

日月神示参照。

『此の方のコト、腹にひしひしと響き出したら、よき守護神となったのざぞ。神の国の元のミタマと外国のミタマとスッカリ取換へられてゐるのにまだ眼覚めんのか。神の国は真中の国、土台の国、神の元の鎮まった国と申してあらうがな。神の国であるぞ、我さへよけら、よその国、よその人民どうなってもよいといふ程に世界の臣民、皆なりてゐるが、表面(うわべ)ばかりよい事に見せてゐるが、中は極悪ぢゃ。気付いてゐる臣民もあるなれど、どうにも、手も足も出せんであらうがな。それが悪神に魅いられてゐるのぢゃぞ。道はあるに闇、祓ひ潔めて道見て進め。勇ましきやさかの道、光りあるぞ。』(岩の巻 第八帖)

『この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。』(天つ巻 第二十九帖)

『二二は晴れたり日本晴れ、てんし様が富士(二二)から世界中にみいづされる時近づいたぞ。富士は火の山、火の元の山で、汚してならん御山ざから臣民登れんやうになるぞ、神の臣民と獣と立て別けると申してあろうが、世の態(さま)見て早う改心して身魂洗濯致して神の御用つとめて呉れよ。大き声せんでも静かに一言いえば分る臣民、一いへば十知る臣民でないと、まことの御用はつとまらんぞ、今にだんだんにせまりて来ると、この方の神示(ふで)あてにならん だまされてゐたと申す人も出て来るぞ、よくこの神示読んで神の仕組、心に入れて、息吹として言葉として世界きよめて呉れよ。分らんと申すのは神示読んでゐないしるしぞ、身魂 芯(しん)から光り出したら人も神も同じことになるのぞ、それがまことの臣民と申してあらうがな、山から野(ぬ)から川から海から何が起っても神は知らんぞ、みな臣民の心からぞ、改心せよ、掃除せよ、洗濯せよ、雲霧はらひて呉れよ、み光出ぬ様にしてゐてそれでよいのか、気つかんと痛い目にあふのざぞ、誰れかれの別ないと申してあらうがな。いづれは天(アメ)の日つくの神様 御かかりになるぞ、おそし早しはあるぞ、この神様の御神示は烈しきぞ、早う身魂みがかねば御かかりおそいのざぞ、よくとことん掃除せねば御かかり六ヶしいぞ、役員も気つけて呉れよ、御役ご苦労ぞ、その代り御役すみたら二二晴れるぞ。』(地つ巻 第三十六帖)

『悪の世であるから、悪の臣民 世に出てござるぞ、善の世にグレンと引繰り返ると申すのは善の臣民の世になることぞ。今は悪が栄えてゐるのざが、この世では人間の世界が一番おくれてゐるのざぞ、草木はそれぞれに神のみことのまにまになってゐるぞ。一本の大根でも一粒の米でも何でも貴くなったであろが、一筋の糸でも光出て来たであろがな、臣民が本当のつとめしたなら、どんなに尊いか、今の臣民には見当とれまいがな、神が御礼申すほどに尊い仕事出来る身魂ぞ、殊に神の国の臣民みな、まことの光あらはしたなら、天地が輝いて悪の身魂は目あいて居れんことになるぞ。結構な血筋に生まれてゐながら、今の姿は何事ぞ、神はいつまでも待てんから、いつ気の毒出来るか知れんぞ。戦恐れてゐるが臣民の戦位、何が恐いのぞ、それより己の心に巣くうてる悪のみたまが恐いぞ。』(富士の巻 第七帖)

『いくさ何時も勝と許りはかぎらんぞ、春まけとなるぞ、いざとなれば昔からの生神様総出で御働きなさるから、神の国の神の道は大丈夫であるなれど、日本臣民 大丈夫とは申されんぞ、その心の通りになること忘れるなよ、早うミタマ磨いてくれよ、も少し戦すすむと、これはどうしたことか、こんなはづではなかったなあと、どちらの臣民も見当とれん、どうすることも出来んことになると知らしてあろが、さうなってからでは遅いからそれ迄に、この神示よんで、その時にはどうするかと云ふこと判りて居らんと仕組成就せんぞ、役員の大切の役目ざぞ、われの思いすてて了ふて早うこの神示、穴のあく程うらの裏まで肚に入れておいてくれよ、この神示の終りに、神強く頼むぞよ。』(磐戸の巻 第二十帖)

『日の出の神様お出ましぞ、日の出はイであるぞ、イの出であるぞ、キの出であるぞ、判りたか。めんめめんめに心改めよと申してあろがな、人民と云ふ者は人に云はれては腹の立つ事あるものぢゃ、腹立つと邪気起るから めんめめんめに改めよと、くどう申すのぢゃぞ、智や学ではどうにもならんと云ふ事よく判りておりながら、未だ智や学でやる積り、神の国の事する積りでゐるのか。判らんと申して余りでないか、何事も判った臣民 口に出さずに肚に鎮めておけよ、言ふてよい時は肚の中から人民びっくりする声で申すのざ、神が申さすから心配ないぞ、それまでは気(ケ)も出すなよ。二十二日の夜に実地が見せてあろうがな、一所だけ清いけがれん所残しておかな足場なく、こうなってはならんぞ、カタ出さねばならんぞ、神国、神の子は元の神の生神が守ってゐるから、愈々となりたら一寸の火水で うでくり返してやる仕組ざぞ、末代の止(とど)めの建替であるから、よう腰抜かさん様 見て御座れ、長くかかりては一もとらず二もとらさず、国は潰れ、道は滅びてしもうから早う早うと気もない時から気つけてゐるのぢゃが、神の申すこと聞く臣民人民まだまだぞ。此の道 難しい道でないから その儘に説いて聞かしてやれよ、難し説くと判らん様になるのぞ。平とう説いてやれよ、難しいのは理屈入るのざぞ、難しい事も臣民にはあるなれど理屈となるなよ、理屈悪ざぞ。霊術も言霊(ことだま)もよいなれど程々に、三分位でよいぞ、中行かな行かれんのざぞ、銭儲けて口さへすごして行けばよい様に今の臣民まだ思ってゐるが、それは四つ足の四つの悪の守護である位 判りておろがな。悪とは他を退ける事であるぞ、まつりまつりとくどう申してあること未だ判らんのか、今 外国よいと申してゐる臣民は外国へ行っても嫌はれるぞ、外国にも住むところ無くなるぞ、外国も日本もないのざぞ、外国とは我よしの国の事ぞ、神国は大丈夫ざが、外国や日本の国 大丈夫とは申されんぞ、と事分けて申してあろがな、日月の集団作り、境界作ってもならんが入れた集団作らなならんぞ、〇も作らずヽも入らずに力出ない位 判りておろがな、馬鹿正直ならんと申してあること忘れたのか、集団のつくり方知らしてあろが、盲(めくら)には困る困る。人の苦労あてにして我が進んで苦労せん様な人民では神の気感(きかん)に適はんから、今度は苦労のかたまりの花咲くのざ、苦の花咲くのざぞ、二二に 九(コ)の花咲耶姫の神 祀りて呉れと申してあろがな、永遠にしぼまん誠の花咲く世来たぞ。』(雨の巻 第十一帖)

『天の日津久の大神(あめの一二の◎)のお神示(ふで)であるぞ、特にお許しもろて書きしらすぞ。十二の巻 説いて知らすのであるぞ、此の巻アメの巻と申せよ、此の度は昔から無かりた事致すのであるから人民には判らん事であるから素直に致すが一等ざぞ、惟神(かんながら)の道とか神道とか日本の道とか今の臣民申してゐるが、それが一等の間違ひざぞと申してあろが、惟神(かんながら)とは神人共に融け合った姿ざぞ。今の臣民 神無くして居るではないか、それで惟神も神道もないぞ、心大きく、深く、広く持ちて下されよ、愈々となるまでは落しておくから見当とれんから、よくこの神示読んでおいて下されよ。世界ぢゅうに面目ない事ないよにせよと申してあろが。足元から鳥立ちてまだ目覚めんのか、神示(ふで)裏の裏までよく読めと申してあろがな。此の道は只の神信心とは根本から違ふと申してあろが、三千世界の大道ざぞ。所の洗濯と身魂の洗濯と一度になる所あるぞ、「イスラ」の十二の流れの源泉(みなもと)判る時来たぞ。命がけで御用つとめてゐると思ふて邪魔ばかり致しておろがな、金や学や智では大峠越せんぞ。神はせよと申すことするなと申すこともあるのぞ、裏の裏とはその事ぞ、よく心得て下さりて取違ひいたすでないぞ。手のひら返すぞ返さすぞ、此の度の岩戸開きは人民使ふて人民助けるなり、人民は神のいれものとなって働くなり、それが御用であるぞ、いつでも神かかれる様に、いつも神かかっていられるようでなくてはならんのざぞ。神の仕組 愈々となったぞ。』(雨の巻 第一帖 ◎は原文では「〇にヽ」の形)

Posted on 2016/07/30 Sat. 19:44 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

30

まわりうた 

むらくさや まいにちのいく
  なつのひの つなくいのちに いまやさくらむ

(叢草や 毎日の生く 夏の日の 繋ぐ命に 今や咲くらむ)

解説

叢草(むらくさ)は「群がって生えている草。」、生くは「生きる。生存する。」、今やは「 今,この時が特に取り立てられるさま。今こそ。まさに今。」の意味です。

雑感

暑い日が続くが、夏というものは一番生命力が溢れる季節でもある。歌のニュアンスとしては、そのような夏の季節、他の目立った草木や動物に負けじと、何でもないそこらへんの草すらも必死に生きようとしている様を描いたもの。

一つ付け加えると、草は通常「生える」だが、ここではその名もなき密集した草にスポットを当てている意味もあって、あえて「咲く」としている、といったところだろう。

Posted on 2016/07/30 Sat. 01:01 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

30

まわりうた 

うやのあけ かみとひのみこ
  きせついつ せきこみのひと みかけあのやう

(烏夜の明け 神と日の御子 期節出づ 急き込みの人 磨け彼の様)

解説

烏夜(うや)は「闇夜。暗夜。」、期節(きせつ)は「時節。時期。」、急き込みは「ひどく心がせくこと。あせってことをすること。」、様(よう)は「ありさま。様子。すがた。」の意味です。

Posted on 2016/07/30 Sat. 00:31 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

30

まわりうた 

なかきよの またくかみよへ
  なにもかも になへよみかく たまのよきかな

(永き代の 急ぐ神世へ 何も彼も 荷へよ磨く 霊の良きかな)

解説

急ぐ(またぐ)は「心がはやる。あせる。」、霊(たま)は「たましい。」の意味です。

Posted on 2016/07/30 Sat. 00:19 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

30

まわりうた 

なかきよの いはひとつとめ
  ととかかか ととめとつとひ はいのよきかな

(永き代の 祝ひと務め ととかかが 止めと集ひ 拝の良きかな)

解説

務めは「任務。義務。」、ととかかは「父と母。」、拝は「頭を下げて敬礼すること。おがむこと。」の意味です。

Posted on 2016/07/30 Sat. 00:10 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

30

まわりうた 

やめとつき うやにてまふと
  みかきあき かみとふまてに やうきつとめや

(八女十月 烏夜にて舞ふと 御垣開き 神問ふ全手に 陽気づとめや)

解説

烏夜(うや)は「闇夜。暗夜。」、御垣は「宮中・神社などの神聖な地域のまわりにある垣。」、全手(まて)は「両手。左右の手。」の意味です。

雑感

あ~、この意味不明さ加減がたまらん!

あと何気、下記日月神示を思い出す。

『イワトの巻かき知らすぞよ、イワトひらくには神人共にゑらぎにぎはふのざぞ、カミカカリして唱ひ舞ふのざぞ、ウズメノミコトいるのざぞ。ウズメとは女(おみな)のみでないぞ、男(おのこ)もウズメざぞ、女のタマは男、男のタマは女と申してあろがな。ヤミの中で踊るのざぞ、唄ふのざぞ、皆のものウズメとなりて下されよ、暁(あけ)つげる十理(とり)となりて下されよ、カミカカリて舞ひ唄ひ下されよ、カミカカリでないと、これからは何も出来ぬと申してあろがな。』(磐戸の巻 第一帖)

Posted on 2016/07/30 Sat. 00:02 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

30

まわりうた 

やそくまて なみたのあをね
  たゆまぬま ゆたねをあのた みなてまくそや

(八十隈手 涙の青嶺 弛まぬ間 斎種を彼の田 皆で蒔くぞや)

解説

八十隈手(やそくまで)は「多くの曲がり角。」、青嶺(あおね)は「木が青々と茂っている山。青山。」、弛まぬは「とだえることのない。着実な。」、斎種(ゆだね)は「祭りをして斎いみ清めた稲の種。清浄な種子。」、ぞやは「…だなあ。…ことだ。…だぞ。▽感動・詠嘆を込めて強く指示する。」の意味です。

雑感

ほぼ勢いだけで書いてもうた歌。

「彼の田」を棚田と見ると、意味が通らなくもない気はする。「涙の青嶺」はよく雨が降る地域の青山と解釈できるかと思う。

そういえば、昔はこんな感じで多少意味不明でもバンバン書いてたのを思い出した。何だかすごく自由で、懐かしい感覚だ。

Posted on 2016/07/29 Fri. 23:32 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

29

まわりうた 

てるひのて のこふくすみの
  ゆつりけり つゆのみすくふ このてのひるて

(照る日の出 拭ふくすみの 移りけり 露の身救ふ この手伸びるで)

解説

拭う(のごう)は「ぬぐう」、くすみは「くすむこと。また、黒ずんだ色の出ること。」、移る(ゆつる)は「時間が経過する。うつる。」、露の身は「露のように消えやすい身。はかない身の上。露の命。」の意味です。

雑感

ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

Posted on 2016/07/27 Wed. 06:51 [edit]

category: まわりうた

TB: --    CM: 0

27