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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

かみのその さゆりかひのみ
  つむのへの むつみのひかり ゆさのそのみか

(神の園 小百合佳美のみ 頭の上の 睦みの光 ゆさの其の身が)

解説

小百合(さゆり)は「ユリの美称。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、頭(つむ)は「人間のあたま。つぶり。かしら。つむり。」、上(へ)は「あるものの表面。うえ。」、睦(むつみ)は「むつむこと。また、むつむ気持ち。」、ゆさは「わらを編んで作った揺り籠。」の意味です。

余談

この歌は、オムニバスアルバム「still echo」の中にある「アヴェ・マリア」(シューベルト)を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

初めは、頭上から何か抜けていく感覚? を表現する流れだったが、モチーフにした曲の世界観に引っ張られて、楽園での風景っぽくなってしまった。

Posted on 2017/04/30 Sun. 23:59 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

なかきよき かみのひかてり
  とものわの もとりてかひの みかきよきかな

(中清き 神の秘が照り 友の輪の 戻りて佳美の 御垣良きかな)

解説

中は「(物の)内部。内側。中。心の内。胸中。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、御垣は「宮中・神社などの神聖な地域のまわりにある垣。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

今までは表に出て来なかった、人の心の中の清い部分が発露されるに伴い、神の秘密も照り輝いて、誰の目にも映るようになった。その結果、世界中の人々が皆お互いに、友達と映るような平和的な輪の状態、円(まる)の状態、円か(まどか)なる状態に戻って、この地上が嬉し楽しの場、大きな祭りが行われる場、という一つの枠に無事収まった。本当に良いことだなぁ。

Posted on 2017/04/30 Sun. 21:50 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

すはやけむ とこよかみきて
  のひのひの ひのてきみかよ ことむけやはす

(素早けむ 常世神来て 伸び伸びの 日の出君が世 言向け和す)

解説

けは「上代のク活用形容詞の未然形活用語尾。」、むは「推量を意味する助動詞。…だろう。…う。」、伸び伸びは「心配などがなく、自由でゆったりとしたさま。」、言向くは「 話して相手を自分の意に従わせる。説き伏せる。また、服従させる。」、和(やわす)は「やわらげる。また、平和にさせる。帰服させる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

中々解釈が難しい……。とりあえず意訳してみる。

事(言)は素早く為されるだろう。(何が為されるのかというと)常世の神が来て、皆が何の心配もなくゆったりと過ごせる日の出の世、即ちイザナギとイザナミの神様の両方が揃う岐美(きみ)の世になったことを皆にいち早く告げて、安心させ納得させるのだ。

雑感

「言向け和す」の言(こと)は九十(こと)であり、一八(いわ=岩)の中の世界、即ち1~8までの世界とは全く違う九、十の世界ということだろう。今までとは全く異なる(九十鳴る)世界に皆の意識を向かせて、そしてそのやり方で今までの八方ふさがりの世界を開かせるということではないかと思う。

ちなみにこの「素早けむ」は「素早+け+む」と同時に「素+早けむ」でもあるように思う。上で書いたような、今の閉塞した空気を打破する新しい流れが出て来るにあたって、それは誰か一人の超人的な天才とか救世主の下で為されるのではなく、同時多発的にどこからともなくスーーっと自然に出て来て、気付いたらそういう人達が世に出て来て、最終的に安楽の世へ向かう、というニュアンスを感じる。

常世の神がどういう神様なのかよくわからないが、辞書によれば「常世の国の神。長寿・富などを授けるとされる。」とある。ちなみに常世の国とは、一般的には海の彼方にある国で、少彦名神、田道間守、また浦島太郎などが渡ったとされている。何となく七福神っぽいニュアンスも感じなくもない。

調べて見ると、その昔、常世神信仰があったそうな。その信仰とは、常世の神であるこの虫(蚕に似た虫で一説ではイモムシのこと)を祀れば、「貧しい人は富を得て、老いた人は若返る」というもの。さらに人々に財産を喜捨させ、酒や食物を道端に並べ「新しい富が入って来たぞ」と唱えさせたそうだ。当時の人々は熱狂したらしい。しかし、何のご利益もなく、大損する人が出て来た。

そしてついに、この信仰は当時、聖徳太子の側近である秦河勝(はたのかわかつ)によって鎮圧された。

その時に称えられた歌が下記となる。

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『太秦(うずまさ)は 神とも神と 聞こえくる 常世の神を 打ち懲(きた)ますも』(日本書紀 皇極)

意訳

秦氏は、神の中の神だという評判が聞こえてくる。あの常世の神を打ち懲らしめたのだからなぁ。

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さて、この類のお話はどこかで聞いたような話である。

不老不死や金運の御利益をエサに、財産を根こそぎ差し出させる新興宗教。そんな怪しい宗教に引っかかるわけがない、と思うものの、しかし意外や意外、その現実離れしたご利益につられて、多くの人がそれに熱狂し、信仰する人が後を絶たない。その結果、社会の秩序も乱れて来るほどになる始末。この蔓延する害悪の元凶を取り除くべく、時の権力者もついに動き出し、無事これを鎮圧した、というニュアンスを孕むが……本当にそうだろうか?

渡来人である秦氏はハタという名前の通り、当時最先端の養蚕や機織りの技術を持っていた。であれば、彼ら自身、既に蚕の神を祀っていた可能性もある。

そんな中、同じように虫を祀り崇める集団が出て来たかと思えば、爆発的に人々が熱狂していく。権力側にいた秦氏からすれば、現体制を揺るがしかねない脅威に映っていたのではないだろうか。

そして、この常世神信仰の形態を見てみると、どうもこの信仰はこの世の御利益ではなくあの世の御利益を謳ったもののように思う。

キリスト教では、お金持ちが天国に行くのは難しいという話があったり、仏教では喜捨(きしゃ)という言葉もあったりするが、生きている内に善行や徳を積むことで、あの世で幸せに暮らせる、という話は、古今東西の宗教で既に言われていることだ。

ましてや、常世神の常世とはあの世のことである。虫は成長すれば、その姿からは想像もつかない美しい蝶の姿になる。この世では惨めな虫であっても、常世神を信仰すれば、あの世では蝶のような美しい姿になれる。そういう信仰でもあったようにも感じる。

この世では到底老人が若返ることはできないし、貧乏人がお金持ちになれるのも一握りだが、この話があの世(霊界)の話であれば十分考えられる。

そもそも虫は無私(むし)に繋がる。財産を誰かに施したとしても、この世では何のご利益もないが、霊界ではその徳、善行によって地位が上がり、そこで幸せな暮らしができる、ということではないだろうか。

秦氏はユダヤの末裔だとも言われているが、日月神示ではユダヤはミツグ(身継ぐ)の民と表現されている。ちなみに日本はヒツグ(霊継ぐ)。

思うに常世神信仰と秦氏が祀る神は「不老不死」「金運招福」という点では全く同じだろうが、霊的なご利益、体的なご利益、という点で一厘違い、紙一重なのではないかと思う。

だから秦氏から見れば、自身が祀る神と似たような虫の神を祀り、不老不死やお金持ちになれるとの触れ込みをしているにも関わらず、(現実的な視点で見れば)そんなことは全く実現しておらず、人々を惑わしているように見えたのではないか。自分たちとうまく似せてはいるが紙一重のニセモノなので、討伐しなければならない、と。

どちらが良い悪いとは言えないが、一方は霊的な視点で見て、一方は体的な視点で見ているので、どちらも噛み合わない(神会わない)のは、当然の道理なのかもしれない。

ただ下記日本書紀にも書かれているように、この常世の虫が「常に橘(タチバナ)の木になる」という点が、非常に臭う。思うに、これは単なる新興宗教の話ではないような気がする。

お話を読んでみると、この常世神信仰を起こした人は、ムーブメントが起きた際、どのような行動を取って、どのような状態であったかは書かれてはいない。

『日本書紀 皇極天皇(二十三)大生部多の虫と常世の神・秦造河勝は神を打つ』(日本神話・神社まとめさん)
http://nihonsinwa.com/page/2036.html

常世神信仰が過熱した結果「それで得られるものがあるわけもなく、損失がただただ極めて多くなるばかり。」とあるが、しかしその得られるものがないのは、損失が極めて多くなるばかりなのは、一体誰なのか? それは秦氏であり当時の政権がそうだったに過ぎないのではないか?

そんなに無知蒙昧な信仰なのであれば、そんなに何もかも得られるものがなく、損ばかりするのであれば、なぜ一介の村人から始まった信仰が都にまで広がるのか。仮に、村里の人々がたまたま純粋無垢で迷信深い人達だったからだまされていた、と見ても、様々な情報が集まっていたであろう都の人々にまで広まるだろうか?

想像するに、常世神信仰によって喜捨された財産は、貧しい人が貰っていったのではないか? ではその貧しい人はどうするのか? 当然その人々も常世神信仰を通じて喜捨していたはずで、それらはさらに貧しい人々へ渡っていたはずだ。

おそらく常世神を祀る祭壇にはいつも、酒や食べ物など様々な幸があふれていたはずだ。お話によれば、ただ財産を喜捨するだけでなく、そこで歌や舞もしていたという。

これはまさしく、祭りそのものだ。

ご利益は「貧しい人は富を得て、老いた人は若返る」ということだが、このシステムによって実際に貧者は施しをされ富を得、またその常世神が祀られた場所で常に行われる歌や舞のにぎわいは、老いた人でさえ元気を取り戻すほどの活気ぶりだったのではないだろうか。

こうして、都の人々もその賑わいが楽しくて、常世神信仰が爆発的に広がっていったのではないか?

他の為に尽くすと天国に行ける……といって、その尽くされた善意を、本来神の取次となるべき教団幹部が食い物にするならば邪教になるが、その取次幹部はおらず、神だけとなれば、どうなるだろうか?

自らの持てる能力やスキルは、全て神から与えられたものとして受け取り、それを無料で天地に奉仕する。一人残らず、全員がそれをしだしたら、どうなるか? 富裕者も貧困者も、持っている物やお金やその他権利財産全てを神様に一旦捧げて、その代わり何もかも無料にしたら、一体社会はどうなるか?

上記、日本書紀に書かれている常世神信仰は、奇しくも日月神示に書かれている「与える政治」に、本質的な部分において非常に近いものを感じる。

「与える政治」については下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

ただ唯一困る集団がいるとすれば、それは現行の社会システムを永続的に支配したい権力者だけではないのだろうか。それがあったから、秦氏は常世神信仰を潰したのではないか。

話は飛ぶが、戦前、数々の予言を的中させた出口王仁三郎聖師は、日本の敗戦後、下記のように述べている。いわゆる「吉岡発言」と言われるもの。

『大阪朝日新聞 昭和20年12月30日 朝刊【吉岡発言】』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=NPOAc19451230A1

ということで、人や枝葉の神様ではなく、大元の根源の神様を祀って、全ての恵みはその神様から頂く、という風にすれば、全てがうまくいくと思う。

下記日月神示にもにあるように、かみ(上)の役員に分かりかけたらバタバタと埒つく、とある。「与える政治」のやり方が中々実現しないが、しかし広まる時はあっという間に広がるのではないか。なぜならこのやり方は、誰にでもすぐ理解できて、また誰が見ても、誰もが幸せになれるやり方だと合点がいくはずだからだ。

『神の国のカミの役員に判りかけたらバタバタに埒(らち)つくなれど、学や智恵が邪魔してなかなかに判らんから、くどう申しているのざぞ。』(地つ巻 第十五帖)

『神は一時は菩薩とも現はれてゐたのざが、もう菩薩では治まらんから、愈々生神の性来現はしてバタバタにらちつけるのざぞ、今の学ある者 大き取り違ひいたしてゐるぞ。』(磐戸の巻 第十三帖)

『オロシヤの悪神(あく)と申すは泥海の頃から生きてゐる悪の親神であるぞ。北に気つけて呉れよ、神の国は結構な国で世界の真中の国であるから、悪の神が日本を取りて末代の住家とする計画でトコトンの智恵出して何んなことしても取る積りで愈々を始めてゐるのざから余程褌締めて下されよ、日本の上に立ちて居る守護神に分りかけたら ばたばたに埓あくぞ。早う改心して呉れよ。』(日の出の巻 第二十帖)

以下、蛇足です。

橘について、もう少し考えてみたいと思う。

そもそも橘とは蜜柑のことで、鏡餅の上に乗っかっているあれである。

橘はしばしば太陽の象形とみなされることがある。確かに鏡餅を真上から見れば蜜柑が太陽、餅が太陽光と見えなくもない。

一方真横から見れば、蛇のとぐろのようにらせん状に昇っていくエネルギーの形であり、蜜柑はその頂点に当たる。よくわからないが、霊的な成長を指しているようにも感じる。

餅は二段あることから、これは右回りと左回りの流れが同時にらせん状に駆け上がっていくような感じを受ける。火垂り(ひだり)と水極り(みぎり)ということだが、同時に下の餅が現界、上の餅が霊界っぽい感じもする。

とすると、その上の蜜柑は霊界も現界も全て照らす、何というか、根源的な太陽、言わば大元の太陽というか、霊的な太陽というか、まあそういう象徴なのかもしれない。一番しっくりくるのは、岩戸開きの後に輝くまことの太陽と受け取れるが……。

また天津祝詞にも「皇親神伊邪那岐命 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に」とあり、橘の言葉が出て来るので、やはり太陽との関連がうかがえる。

思い付きで書いてみると、筑紫は尽くし。日向は日(霊)に向かう、または日(霊)を迎える。橘は立ち端(たちばな)。小戸(おど)は音(おと)がドドドっと押し寄せて来る様。阿波岐原は、あぁー、っと掃き祓う動き、と感じる。

(何かを)尽くして、自らの内なる霊(ひ)を迎え、その霊と向かい立つ先端の中から来る音、響き、閃きがドドドとやって来る、まさにその中心にある掃き清め祓う動きの中に、といった感じか。

さらに話が脱線するが、常世神は古事記に「常世思金神」とあることから、オモイカネの神様と受け取れなくもない。(体系に対する)霊系である高皇産霊神 (たかみむすびのかみ) の子とされるので、系統としては合っている気はする。

日月神示では地は智の神様がしらす、とある。ゆえに歌にある「常世神」は智恵の神様であるオモイカネの神様と見ても良いのかもしれない。

『国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。』(至恩の巻 第十帖)

Posted on 2017/04/30 Sun. 00:56 [edit]

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30

まわりうた 

はるかさり をかてなほほく
  よきかせか きよくほほなて かをりさかるは

(春が去り 丘で尚祝く 良き風が 清く頬撫で 香り盛る葉)

解説

去るは「(本来は移動する意で、古くは、遠ざかる意にも近づく意にもいう)ある場所から離れる。そこを離れてどこかへ行ってしまう。遠ざかる。」「 時・季節などが近づく。巡ってくる。」、祝く(ほく)は「祝い言を唱える。ことほぐ。祝う。」、清いは「にごりやけがれがない。きれいである。さわやかだ。」、盛るは「にぎわう。栄える。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「春が去り」の解釈が難しい。去るは「遠ざかる」だけでなく「近づく」の意味でも使われるが、本来は移動する意味だという。よって、この歌の「去り」は、今を起点として、やって来た春と過ぎ去っていく春の、その真ん中にある春というニュアンスで捉えたい。つまり概念的な春ではなく、今まさにやって来て過ぎ去ろうとしていく、臨場感溢れる春の様子と捉えたいということ。

意訳

やって来た春は、今まさに過ぎ去ろうとしているけれども、丘ではなお、この季節を祝うかように良い風が吹き、さわやかに頬を撫でていく。(風に乗ってやって来る)緑の香りと、さやさやと音を立てて賑わう葉もまた、春らしいなぁ。

Posted on 2017/04/28 Fri. 10:42 [edit]

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28

まわりうた 

はるのいけ とほのそらてり
  ほのかなか のほりてらその ほとけいのるは

(春の池 遠の空照り 仄かな香 昇り寺苑 仏祈る場)

解説

遠(とお)は「‘とおつ’‘とおの’の形で、または直接に名詞の上に付き、遠いことの意を表す。」、香(か)は「におい。かおり。」、苑(その)は「庭。庭園。また、花・野菜・果樹を栽培する区域。」の意味です。

余談

この歌は新日本風土記のテーマ曲「あはがり」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。「あはがり」は奄美の島言葉で「全てが明るい」という意味だそうです。

Posted on 2017/04/27 Thu. 19:52 [edit]

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27

まわりうた 

なかきよの こころいきより
  むけんかん けむりよきいろ ここのよきかな

(永き代の 心意気より 無限間 烟良き色 此処の良きかな)

解説

心意気は「性格。気性。気質。」「真情。こころね。」、烟(けむり)は「水蒸気。霞(かすみ)。霧。もや。塵(ちり)。▽けむりのようにたなびいたり、かすんだり、立ちのぼったりするもの。」「炊事のけむり。▽暮らし・生活を意味する。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「MELKABA」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

まあ要するに、これまでの長い道のりで得た体験により、それぞれの身魂の色が決まり、それに応じて各々の生活様式が必然的に決まって、それ相応の天国に住むことになる、ということだろう。

根拠はないが、この「烟」は霊体の本質、という感じを受ける。無限に続く世界で、自分が自分でよかった、と皆が言えるようになるのだろう。これまでの時代には一度も見られなかった、大変有り難い時代になってきたようだ。

Posted on 2017/04/27 Thu. 10:06 [edit]

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27

まわりうた 

なかきよの ひかるまとてき
  ときのまの きときてとまる かひのよきかな

(永き代の 光る窓出来 時の間の 来と来て止まる 佳美の良きかな)

解説

時の間は「少しの間。きわめて短い時間。つかのま。」、来と来(きとく)は「遠くからはるばるやって来る。」「次々と来る。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」の意味です。

雑感

窓は真戸、真音かしらね。真十(まど)で真神という意味ならば、窓は「ウ+公+心」なので、皆に公の心が生まれるとも受け取れる。我善しと対極にある公の心、即ち良心であろう。

或いは○十(まど)とすると、○(始め)と十(終わり)が同時に出来て、という意味にもなるかもしれない。だから「永き代」がついている。始めと終わりが同居している世界、中今の世界ということかと思う。

だから「止まる」が、十(と)の○(まる)となって、表の○から十(まど)と裏の十から○(とまる)がそれぞれ至って、表の11(○~十)と裏の11(十~○)が合わさって22となり、ここに二二(ふじ=不二)の世界が現れるということであろう。

石器時代から現在まで、物質的には○から十へと発達したと言えるが、精神的には十から○へと退化したと言える。この全てを体験して、新しい窓が開かれるのであろう。

また窓は英語でwindowだが、ここには風(wind)が含まれている。火(精神)と水(物質)の道の流れが、究極にまで極まることで、その中心に風が起こるということなのかもしれない。これによって、これまで火水(ひみつ=秘密)であったものが、火風水(ひふみ=一二三)となり、今までとは全く違う新しい道が一、二、三と進んでいく、とも読み取れる。

というかまあ、シンプルに考えると、個人的には「光る窓」は、ひところ騒がれたクオンタムリープ(量子的飛躍)の意味に受け取れる。そしてそのあまりの激しい変化がゆえに、瞬間、時が止まったかのようなインパクトとなる、ということなのだと思う。

Posted on 2017/04/27 Thu. 08:52 [edit]

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まわりうた 

なかきよの かなしきのかれ
  たいうちう いたれかのきし なかのよきかな

(長き世の 悲しき逃れ 大宇宙 至れ彼の岸 仲の良きかな)

解説

彼(か)は「遠称の指示代名詞。話し手や聞き手からともに離れた物や人をさし示す。かれ。あれ。」の意味です。

余談

この歌は、ゼノギアスアレンジヴァージョン-CREIDの中にある「MELKABA」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/27 Thu. 08:18 [edit]

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まわりうた 

しけるはの きとくさかをり
  かひなはな ひかりをかさく ときのはるけし

(繁る葉の 木と草香り 佳美な花 光り丘咲く 時の遥けし)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、遥けしは「空間的・時間的に遠くへだたっている。はるかである。」の意味です。

余談

この歌は、「テイルズ オブ レジェンディア オリジナル サウンドトラック」のdisk2にある「鳥は鳴き、僕は歌う」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/26 Wed. 21:21 [edit]

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まわりうた 

ひたちはて みしひんかしに
  のありけり あのにしかんひ しみてはちたひ

(日立ち果て 見し東に 野ありけり あの虹甘美 沁みては千度)

解説

東(ひんがし)は「ひがし。」、甘美は「うっとりと快く楽しい・こと(さま)。」、千度は「回数の非常に多いこと。千回。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/04/26 Wed. 19:28 [edit]

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