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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

きしといそ やみのみいきと
  ふたかみか たふときいみの みやそいとしき

(岸と磯 止みの御息と 二神が 尊き斎の 宮ぞ愛しき)

解説

斎は「心身を清浄に保ち、けがれを避けて慎むこと。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

岸は喜詞(きし)? 磯は五十(いそ)? 止みは八と三で八三(やみ)? うーん、自分で書いておきながら何ですが、歌の意味がよくわからんです。

Posted on 2017/05/14 Sun. 21:42 [edit]

category: まわりうた

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まわりうた 

もときよき かみのみいつと
  ひみついつ みひとついみの みかきよきとも

(元清き 神の御稜威と 秘密出づ 身一つ斎みの 御垣良き友)

解説

御稜威(みいつ)は「‘稜威(いつ)’を敬っていう語。天皇や神などの威光。」、身一つは「体一つ。自分一人。」、斎みは「心身を清浄に保ち、けがれを避けて慎むこと。」、御垣は「宮中・神社などの神聖な地域のまわりにある垣。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/05/14 Sun. 19:17 [edit]

category: まわりうた

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まわりうた 

かみのくら ひまからひとつ
  みひかりか ひみつとひらか まひらくのみか

(神の座 隙から一つ 御光が 秘密扉が 真開くのみが)

解説

隙(ひま)は「すきま。物と物との間。」、真(ま)は「うそいつわりのない、真実の、本当の、などの意を表す。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「天照大御神-AMATERAS SYSTEM-」~「月読命-TSUKUYOMI SYSTEM-」~「須佐能乎命-SUSANOWO SYSTEM-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

秘密(ひみつ)は火水(ひみづ)、日光(ひみつ)につながり、岩戸開きに通じる。

今朝、北朝鮮がミサイルを打ったが、下手すると日本本土に着弾して一気に戦争へと突入するシナリオもあったのではないか。神示では、全ては神芝居であると言われているものの、本当に綱渡りである。

まだ大難が出て来ていない内に、いち早く岩戸(言答)開きと相成って、安心したいものである。ここまで来たら、もはや神に祈るばかりだ。

Posted on 2017/05/14 Sun. 13:12 [edit]

category: まわりうた

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まわりうた 

いはやのと まやらひたまふ
  はいかいか いはふまたひら やまとのやはい

(岩屋の戸 魔遣らひ給ふ 排開が 祝ふ真平 大和の野梅)

解説

岩屋は「岩壁に自然にできた洞穴。また、岩に横穴を掘って住居としたもの。いわむろ。」、遣らう(やらう)は「追い払う。追い出す。」、給うは「(動詞・助動詞の連用形に付いて)その動作主を尊敬する意を表す。…てくださる。お…になる。お…なさる。」、排開(はいかい)は「おしひらくこと。」、真(ま)は「うそいつわりのない、真実の、本当の、などの意を表す。」、平は「平らな場所。平地。」、野梅(やばい)は「野に咲く梅。野生の梅。」の意味です。

余談

この歌は「イノセンス オリジナル・サウンドトラック」の中にある「傀儡謡_陽炎は黄泉に待たむと」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

三千世界一度に開く梅の花

ということで、ミロクの世の到来を言祝ぐ歌です。

平(たいら)の文字を分解すると上から「一と八と十」になって、一八十(いわと)に通じるので、真平は、真(まこと)の岩戸が開かれる、というニュアンスがあるように思う。また平らげるは「平定する」の意味があったりするので、岩戸が開かれてことごとくが平になって治まる、という意味になる。

平になるというのは、つまり神が上にいて、人は皆、高低なく、凸凹なく、一様に嬉し楽しになるという意味を孕んでいる。もちろん一人一人身魂の色は違ってくるので、誰一人として同じ人はいない。横の軸で見れば無限の変化と広がりを見せるが、縦の軸で見れば、永遠に変わらずに皆、揃って神から親しまれ、愛されるということである。

と、まあこういうと、人によっては宗教的に感じて、なんだかうさん臭さを感じるかもしれないが、もうそういう理屈を超えて、とにかく岩戸の中から開かれた光が、ものすごいと感じる。感無量とはまさにこのことだ。おそらく、その光は自動的に各人々に合わせた光となって、それぞれ感じられるに違いない。

ある人は春の陽射しのような温かさを感じたり、ある人は長らく忘れていた途方もない懐かしさを感じたり、或いは100倍の勇気をもらう感じがしたり、唯一無二の親友が語りかけてくるような親しみある感じがしたり、両親の愛のようなものをそこに感じたり、その光(ひかり=霊化理)は、人によって様々な感じがする。

人間心では今いちピンと来ないが、これは言葉では到底語り尽くせないほどの、大きな大きな大望だと感じる。

また、全ての上にまします神は、何というか救世主的な誰かとして現れるのではなく、時節的な流れとしてやって来るはずだ。やがては、その神様を世界中で祭るようになるだろうが、しかしその神様は永遠に渡って絶対に見えない。見えないけれども、その神様が居ることは誰にも判って、祭るようになるものと思われる。

それはたとえるならば、私達の「心」のようなものである。自分の心は見えないし、どこにあるのか判らないが、しかし自分の心が存在していることは全人類誰もが認めるところだろう。そういう類の、見えない、判らない神様を祭ることになる。

こうして、どこに居るかもわからない、どんな御利益をくれるのかもわからない、そういう神様を祭ることになるのだが、しかし、その神様の存在、または御利益、お蔭の片鱗は森羅万象の全てに浸透している。人々は、自分他人を含めたこの森羅万象を通じて、その神様を断片的に知ることが出来るようになっている。

そして驚くべきことに、その神様の断片的な部分をいくら見ても見ても、その嬉し楽しのお蔭、ご利益は無限に続いて終わりが見えない、というもの凄いことになっていて、今はピンと来ないが、後になればなるほど、その神様の偉大さというか絶大さというか、有り難さが判る仕組みになっているようだ。

はっきり言うと、このような未だかつてない大望が出て来たことを、私達はもっともっと喜ぶべきなのだ。たとえていうなら、10億円の宝くじが当たったのに、当の本人がそのくじを買ったことをすっかり忘れていて、まるで価値のない紙切れとしてタンスの奥にしまわれて、その存在すらも忘れ去られている状態、という感じに似ている。

そういう人に「あんた10億円当たってるよ!!」と教えると、当のその人はくじを買ったことすら忘れているので「お前さんは何を夢みたいなことをいってんだい!」と言われるだろうが、実際出て来たおりにはびっくりの嬉しさであろう。そして当初こそ怒っていたが、後になればなるほど、有り難いと感じるようになるはずだ。たとえが少々下世話だが、まあだいたいそういうことである。

というか、実際には10億円どころか、どんな高級な物でもどんな質の高いサービスでも一生享受できる、いわば「無限のお金」と同等の価値を持つパスポートをもらうようなものだが……。

下記参照。

「山彼方 海の地の岸 霞止み 清しき後の 神歌流れむ」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-1220.html

「真祈る場 言霊が治す 元の気の 点す地がまた 常春の今」
http://uresitanosi123.blog.fc2.com/blog-entry-267.html

ちなみに「魔遣らひ給ふ」は、魔と戦って追い払う、というよりも、岩戸が開かれて自然と退散するというニュアンスである。「光が存在する」ということは、逆から言えば「闇が存在しない」ということだ。今が「昼」であれば、必然的にそれは「夜ではない」と言ってることと同じだ、ということ。

全人類誰もが、その時に必要な物や状態が、いつ如何なる時にでも、その場その場で手に入るならば、そもそも将来の生活を心配したり、国同士やテロリストと戦争をする意味もなくなる。そうして個人的視点による貪欲・不寛容・怠惰・心配・不安・憎悪・ねたみ・嫉妬・怒り・偏見・執着心等から、全体的視点による戦争・暴力・支配・差別・貧困・飢餓等まで、あらゆる魔が一斉に、潮が引くようにして自然と消えていくのだ。

Posted on 2017/05/14 Sun. 11:59 [edit]

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