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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

かとかみつ ことたまのれは
  しふかふか ふしはれのまた とこつみかとか

(下土が満つ 言霊宣れば 十合が 富士晴れのまた 常つ御門が)

解説

下土(かど)は「下界。大地。」、満つは「思いや願いがかなう。成就する。充足する。」、合(ごう)は「登山路の概略を示す単位。頂上までを険阻の度を目安として一〇合に分ける。 」、常つ御門(とこつみかど)は「永久に変わらず栄える宮殿。とこみや。」の意味です。

余談

この歌は、WAVEのアルバム「Citra re:verse -其歌は真言顕す欠片と為りて-」の中にある「伊邪那岐命 -PROTO:IZANAGI-」~「伊邪那美命 -PROTO:IZANAMI-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

下記ブログ参照。

『九分九厘と一厘の違いが一厘の秘密???。99までは行けても、最後の百は誰も行けない』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=387

意訳

地上世界の天国化が成就する。言霊を宣れば、頂上である十合目の神様が出て来る。再び富士晴れの状態となって、永遠に変わらずに栄える宮殿が現れるのだ。

Posted on 2017/06/30 Fri. 23:07 [edit]

category: まわりうた

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30

まわりうた 

かみかみの せいゐんてれは
  ちよのまの よちはれてんゐ いせのみかみか

(神々の 声韻出れば 千代の間の 輿地晴れ天威 伊勢の三神が)

解説

声韻(せいいん)は「こえとひびき。また、こえのひびき。音韻。」、千代は「非常に長い年月。千年。永遠。ちとせ。」、輿地は「大地。地球。全世界。」、天威は「天子・天帝の威光。」の意味です。

雑感

解釈を試みる。

神々とは天津神、国津神含めた神々のことで、これは地の日月の神と呼ばれる人も含まれるように思う。

「声韻出れば」とは、それら神々の声が出れば、ということ。現状を見るに、すでに九分九厘の所まで来ており、神によっては、いち早く天帝のお出ましを願ったり、どうにかしなければならないとの声もある。

これまでは奥に隠れていたり、化けていたりして、和光同塵的な在り方であったのが、時節に従って、それぞれの神柄(=神の素性・性格。神格。かみから。)が現れて来るということかと思う。

そうなることによって、永遠なる時間の常に真ん中にあるこの世界は晴れて、天帝の威光が、伊勢の三神が現れて来る、ということ。

伊勢神宮は、天照大御神(内宮)と豊受大御神(外宮)の二神が筆頭にあげられるが、歌では三神と出て来た。最初は御神(みかみ)だったのが、どうもしっくり来ず、三神(みかみ)とした。

話は変わるが、霊界物語では日の出神の配偶神は龍宮の乙姫様という記述がある。

『霊界物語 第1巻 霊主体従 子の巻 第3篇 天地の剖判 第24章 神世開基と神息統合』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm0124

下記ブログでは、日の出神は真性天照太御神、龍宮の乙姫様は豊受姫と書かれてある。

『聖なる天の火と地の火。天の岩窟の中の天照太御神とは?』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=275

『鶴と亀とで統一されるみろく世は【千万年王国】に訂正します』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=281

結論を言うと、この二神のそろい踏みと天帝を合わせて三神ではないか、ということだ。

神は数字だと十と表現するが、三神を三十と見ると、これは「三+十」で「王」の文字が浮かび上がって来る。「伊勢の三神」の前には「天威」となっているので、この歌は天の王、即ち天帝のお出ましを詠ったものではないかと推察される。

もしかしたら真性天照太御神と豊受姫の結婚式において、天帝が仲人をつとめる、ということなのかもしれない。

Posted on 2017/06/29 Thu. 23:27 [edit]

category: まわりうた

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29

まわりうた 

ちをはんし くにとこたちの
  かみふるふ みかのちたこと にくしんはをち

(地を判じ 国常立の 神振るふ 身が後田子と 肉身は復ち)

解説

判ず(はんず)は「物事の優劣・適否・可否を見きわめる。」「推測・推量によって不明なものを判断する。」、振るうは「思うままに使いこなして、そのものの持つ能力を十分に表す。 」、田子(たご)は「田を耕す人。農夫。」、肉身(にくしん)は「生身のからだ。肉体。」、復つ(おつ)は「元に戻る。若返る。」の意味です。

余談

この歌は「大神 オリジナル・サウンドトラック」のDisk4の中にある「Reset~ありがとうバージョン~」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

今月25日にあった長野県の地震の影響で、御嶽神社の駐車場の地面に亀裂が入ってしまったそうな。

『震度5強の王滝村、神社の駐車場に亀裂 墓石倒れる被害も』(TBSニュース)
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3087768.html

この神社には国常立尊が祭られているが、とても象徴的な出来事に思う。

今、中央構造線がかなり綱渡りの状態が続いているものと思われるが、もう既に綱は切れているのかもしれない、との思いも頭によぎる。

もはや、地震を無くして下さい、という虫のいい願い事をする時期は疾(と)うに過ぎ去って、今となっては、なるべく小難になるように、小さい揺れでお願いします、と乞い願う時期に差し掛かっているように思う。

一応、歌の解釈を書いておく。

地上世界の状況を審判して、国常立の神様が持っている本来の神権を振るう時が来た。振るうは震うに通じることから、この審判は地震となって現れる。

この地震は、大都市に壊滅的な被害をもたらし、皆、一から出直す形で百姓に戻る。こうして、また一から田を耕し、土に触れることで、肉体の不調も元に戻り、赤き心(=偽りのない心。まごころ。誠意。)を取り戻すのだ、といった感じです。

日月神示参照。

『病神がそこら一面にはびこって、すきさへあれば人民の肉体に飛び込んでしまう計画であるから、余程 気付けて居りて下されよ。大臣(おとど)は火と水と二人でよいぞ、ヤとワと申してあろが、ヤ、ワ、は火の中の水、水の中の火であるぞ、後はその手伝いぞ、手足ざぞ、役人 自(おのづか)ら出来るぞ。ヤクはヤクであるぞ、今迄は神国と外国と分れてゐたが、愈々一つにまぜまぜに致してクルクルかき廻してねり直して世界一つにして自ら上下出来て、一つの王で治めるのぢゃぞ。人民はお土でこねて、神の息入れてつくったものであるから、もう、どうにも人間の力では出来ん様になったら お地(つち)に呼びかけよ、お地(つち)にまつろへよ、お地(つち)は親であるから親の懐(ふところ)に帰りて来いよ、嬉し嬉しの元のキよみがへるぞ、百姓から出直せよ。ミロク様とはマコトのアマテラススメラ太神様のことでござるぞ。』(光の巻 第五帖)

『この方オホカムツミノ神として書きしらすぞ。病あるかなきかは手廻はして見れば直ぐ分かるぞ、自分の身体中どこでも手届くのざぞ、手届かぬところありたら病のところ直ぐ分るであろうが。臣民の肉体の病ばかりでないぞ、心の病も同様ぞ、心と身体と一つであるからよく心得て置けよ、国の病も同様ぞ、頭は届いても手届かぬと病になるのぞ、手はどこへでも届くやうになりてゐると申してあろが、今の国々のみ姿見よ、み手届いて居るまいがな、手なし足なしぞ。手は手の思ふ様に、足は足ぞ、これでは病直らんぞ、臣民と病は、足、地に着いておらぬからぞ。足 地に着けよ、草木はもとより、犬猫もみなお土に足つけて居ろうがな。三尺上は神界ぞ、お土に足入れよ、青人草と申してあろうがな、草の心に生きねばならぬのざぞ。尻に帆かけてとぶようでは神の御用つとまらんぞ、お土踏まして頂けよ、足を綺麗に掃除しておけよ、足よごれてゐると病になるぞ、足からお土の息がはいるのざぞ、臍(へそ)の緒の様なものざぞよ、一人前になりたら臍の緒切り、社(やしろ)に座りて居りて三尺上で神につかへてよいのざぞ、臍の緒切れぬうちは、いつもお土の上を踏まして頂けよ、それほど大切なお土の上 堅めているが、今にみな除きて了ふぞ、一度はいやでも応でも裸足(はだし)でお土踏まなならんことになるのぞ、神の深い仕組ざから あり難い仕組ざから 喜んでお土拝めよ、土にまつろへと申してあろうがな、何事も一時に出て来るぞ、お土ほど結構なものないぞ、足のうら殊に綺麗にせなならんぞ。神の申すやう素直に致されよ、この方 病直してやるぞ、この神示よめば病直る様になってゐるのざぞ、読んで神の申す通りに致して下されよ、臣民も動物も草木も病なくなれば、世界一度に光るのぞ、岩戸開けるのぞ。戦も病の一つであるぞ、国の足のうら掃除すれば国の病直るのぞ、国、逆立ちしてると申してあること忘れずに掃除して呉れよ。上の守護神どの、下の守護神どの、中の守護神どの、みなの守護神どの改心して呉れよ。いよいよとなりては苦しくて間に合はんことになるから、くどう気つけておくのざぞ。病ほど苦しいものないであらうがな、それぞれの御役忘れるでないぞ。天地唸るぞ、でんぐり返るのざぞ、世界一どにゆするのざぞ。神はおどすのではないぞ、迫りて居るぞ。』(天つ巻 第二十九帖)

『いづくも土にかへると申してあろうが、東京も元の土に一ときはかえるから、その積りでゐて呉れよ。神の申したこと違はんぞ。東京は元の土に一時はかへるぞ、その積りで用意して呉れよ。』(上つ巻 第十一帖)

『神の堪忍袋 切れるぞよ、臣民の思ふやうにやれるなら、やりて見よれ、九分九厘でグレンと引繰り返ると申してあるが、これからはその場で引繰り返る様になるぞ。誰れもよう行かん、臣民の知れんところで何してゐるのぞ、神には何も彼も分りてゐるのざと申してあろがな、早く兜脱いで神にまつはりて来いよ、改心すれば助けてやるぞ、鬼の目にも涙ぞ、まして神の目にはどんな涙もあるのざぞ、どんな悪人も助けてやるぞ、どんな善人も助けてやるぞ。江戸と申すのは東京ばかりではないぞ、今の様な都会みなエドであるぞ、江戸は何うしても火の海ぞ。それより他 やり方ないと神々様申して居られるぞよ。秋ふけて草木枯れても根は残るなれど、臣民かれて根の残らぬやうなことになりても知らんぞよ、神のこのふみ早う知らしてやって呉れよ。八と十八と五月と九月と十月に気つけて呉れよ、これでこの方の神示の終わりぞ。この神示は富士(二二)の巻として一つに纒(まと)めておいて下されよ、今に宝となるのざぞ。』(富士の巻 第二十七帖)

エドは穢土(えど)に通じる。もし東海・東南海・南海地震が連動して起きれば、福岡・大阪・名古屋・東京をはじめとした大都市すべてが、土に返る可能性すら出て来る。おそらくその混乱に乗じて、外国の軍勢もここぞとばかりに一気に攻めて来るはずだ。

ちなみに百姓は農業をする人のことだが、百姓は「ひゃくせい」とも読める。百姓は百の性(せい)に通じることから、これは田畑を耕すだけでなく、出稼ぎにいったり、内職をしたりと、百(いろんなこと)をする人という意味もある、とかいう話をどこかで聞いたことがある。

なので、百姓から出直すとは、農業から出直すという意味だけでなく、何でも一から自分でしなければならなくなる、という意味もあるように思う。巨大地震が起きて、日本中が混乱すれば、否が応でもその様になっていくことは想像に難くない。

再び日月神示参照。

『あら楽し、すがすがし、世は朝晴れたり、昼晴れたり、夜も晴れたり。あらたのし、すがすがし、世は岩戸明けたり、待ちに待ちし岩戸開けたり、此の神示の臣民と云ふても、人間界ばかりでないぞ。神界幽界のことも言ふて知らしてあると、申してあろが。取違ひ慢心一等恐いと申してあろが。祭典(まつり)、国民服もんぺでもよいぞ。天明まつりの真似するでないぞ。役員まつりせい。何も云ふでないぞ。言ふてよい時は知らすぞよ、判りたか。仕へる者無き宮、産土様の横下にいくら祀ってもよいぞ。天明は祈れ。祈れ。天に祈れ、地に祈れ、引潮の時引けよ。満潮の時進めよ。大難小難にと役員も祈れよ。口先ばかりでなく、誠祈れよ。祈らなならんぞ。口先ばかりでは悪となるぞ。わかりたか。今度は借銭済(な)しになるまでやめんから、誰によらず借銭無くなるまで苦し行せなならんぞ、借銭なしでないと、お土の上には住めん事に今度はなるぞ。イシの人と、キの人と、ヒの人と、ミヅの人と、できるぞ。今にチリチリバラバラに一時はなるのであるから、その覚悟よいか。毎度知らしてあること忘れるなよ。神示 腹の腹底まで浸むまで読んで下されよ。神頼むぞ。悟った方 神示とけよ。といて聞かせよ。役員 皆とけよ。信ずる者皆人に知らしてやれよ。神示読んで嬉しかったら、知らしてやれと申してあらうが。天明は神示書かす役ぞ。アホになれと申してあろが、まだまだぞ、役員 気付けて呉れよ。神示の代りにミ身に知らすと申してある時来たぞ。愈々の時ぞ。神示で知らすことのはじめは済みたぞ。実身掃除せよ。ミ身に知らすぞ。実身に聞かすぞ、聞かな聞く様にして知らすぞ。つらいなれど、がまんせよ。ゆめゆめ利功出すでないぞ。判りたか、百姓にもなれ、大工にもなれ、絵描きにもなれ。何にでもなれる様にしてあるでないか。役員も同様ぞ。まどゐつくるでないぞ、金とるでないぞ。神に供へられたものはみな分けて、喜ばしてやれと申してあろが。此の方 喜ぶこと好きぞ、好きの事栄えるぞ。いや栄へるぞ。信者つくるでないぞ。道伝へなならんぞ。取違へせん様に慢心せん様に、生れ赤児の心で神示読めよ。神示いただけよ。日本の臣民 皆勇む様、祈りて呉れよ。世界の人民 皆よろこぶ世が来る様 祈りて呉れよ、てんし様まつれよ。みことに服(まつ)ろへよ。このこと出来れば他に何も判らんでも、峠越せるぞ。御民いのち捨てて生命に生きよ。「鳥鳴く声す 夢さませ、見よ あけ渡るひむかしを、空色晴れて沖つ辺に、千船行きかふ靄(もや)の裡(うち)。」「いろは、にほへとち、りぬるをわかよ、たれそ、つねならむ、うゐのおくやま、けふこ、えてあさき、ゆめみしゑひもせすん。」 「アオウエイ。カコクケキ。サソスセシ。タトツテチ。ナノヌネニ。ハホフヘヒ。マモムメミ。ヤヨユエイ。ラロルレリ。ワヲウヱヰ。」 アイウエオ。ヤイユエヨ。ワヰヱヲ。カキクケコ。サシスセソ。タチツテト。ナニヌネノ。ハヒフヘホ。マミムメモ。ヤイユエヨ。ラリルレロ。ワヰウヱヲ。五十九柱ぞ。此の巻 夜明けの巻とせよ。この十二の巻よく腹に入れておけば何でも判るぞ。無事に峠越せるぞ。判らん事は自分で伺へよ。それぞれにとれるぞ。天津日嗣皇尊(あまつひつぎすめらみこと)弥栄(やさか)いや栄(さか)。あら楽し、あら楽し、あなさやけ、あなさやけ、おけ。 一二三四五六七八九十百千卍(ひふみよいつむゆななやここのたりももちよろず)。』(夜明けの巻 第十三帖)

『お宮も壊されるぞ。臣民も無くなるぞ。上の人臭い飯食ふ時来るぞ。味方同士が殺し合ふ時、一度はあるのざぞ。大き声で物言へん時来ると申してあろがな。之からがいよいよざから、その覚悟してゐて下されよ。一二三が正念揚ぞ。臣民の思ふてゐる様な事でないぞ。この神示よく腹に入れておけと申すのぞ。ちりちりばらばらになるのざぞ。一人々々で何でも出来る様にしておけよ。』(日月の巻 第二十二帖)

Posted on 2017/06/28 Wed. 17:37 [edit]

category: まわりうた

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28

まわりうた 

すへかみの ひかりあもれは
  しふくあく ふしはれもあり かひのみかへす

(皇神の 光天降れば 至福明く 富士晴れも有り 加被のみ返す)

解説

皇神(すべがみ)は「神を敬っていう語。すめがみ。」、天降る(あもる)は「天上から降りてくる。天下る。」、天降ればの‘ば’は「順接の確定条件を表す助動詞。…ので。…から。」、加被は「神仏が力を貸して守ってくれること。加護。」意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

意訳

神様の光が天上から降りてきたので、この上ない幸福というものが、どういう状態であるかが明らかになる。これに関連して富士(不二)晴れも有り、他にもいろいろと問題に決着がつく。なぜなら、神様が全て加護するのみの元の状態に戻すからだ。

雑感

皇神は統べる神の意味であり、全てを纏める神様のことをいう。この度、この神様の光が天上から降りて来た。

日月神示などの神典を解釈すると、今までの世は七乃至(ないし)八までの神様しか出ておらず、未だ完璧ではなかったという。本来であれば九、十、そして百千万と、十万十全まで拡がるべきものであると書かれている。

日月神示参照。

『千引岩をとざすに際して、ナミの神は夫神の治(し)らす国の人民を日に千人喰ひ殺すと申され、ナギの神は日に千五百の産屋(うぶや)を建てると申されたのであるぞ。これが日本の国の、又地上の別名であるぞ、数をよく極めて下されば判ることぞ、天は二一六、地は一四四と申してあろうが、その後ナギの神は御一人で神々をはじめ、いろいろなものを生み給ふたのであるぞ、マリヤ様が一人で生みなされたのと同じ道理、この道理をよくわきまへなされよ。此処に大きな神秘がかくされている、一神で生む限度は七乃至八である、その上に生まれおかれる神々は皆七乃至八であるが、本来は十万十全まで拡がるべきものである。或る時期迄は八方と九、十の二方に分れてそれぞれに生長し弥栄し行くのであるぞ。』(至恩の巻 第九帖)

『国常立神も素盞鳴命も大国主命も、総て地(智)にゆかりのある神々は皆、九(光)と十(透)の世界に居られて時の来るのをおまちになってゐたのであるぞ、地は智の神が治(し)らすのぞと知らしてあろうが、天運 正にめぐり来て、千(智)引の岩戸(言答)はひらかれて、これら地(智)にゆかりのある大神達が現れなされたのであるぞ、これが岩戸ひらきの真相であり、誠を知る鍵であるぞ。』(至恩の巻 第十帖)

日本には天孫降臨伝説があって、すでに皇神の光は遠い昔に天降っているという意見もあるだろうが、この歌は、もう一段奥の、より深く高い座にまします皇神の光が出て来た、ということを詠っている。

ゆえに、各々の至福の状態も、富士晴れも、加護の在り方も、全てもう一段奥のものが出て来る、ということになる。

Posted on 2017/06/28 Wed. 13:48 [edit]

category: まわりうた

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28

まわりうた 

うたいてに ひつくふうかて
  みなよきよ なみてかうふく つひにていたう

(宇内手に 日月風雅で 皆良き世 並みて幸福 終に帝道)

解説

宇内(うだい)は「天下。世界。」、月(つく)は「月(つき)。」、風雅は「高尚で、みやびな趣のあること。また、そのさま。」、並む(なむ)は「並ぶ。連なる。」、幸福は「満ち足りていること。不平や不満がなく、たのしいこと。また、そのさま。しあわせ。」終に(ついに)は「長い時間ののちに、最終的にある結果に達するさま。とうとう。しまいに。」、帝道(ていどう)は「帝王が国を治める道。仁徳を主とする政道。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/27 Tue. 22:12 [edit]

category: まわりうた

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27

まわりうた 

きるつみの かむすさのをの
  みこととと こみのをのさす むかのみつるき

(切る罪の 神素盞嗚 尊とど 籠みの尾の刺す 無瑕の神剣)

解説

神素盞嗚尊(かむすさのおのみこと)は「素盞嗚尊のこと。」、とどは「《‘とどのつまり’の略》結局。しまいに。」、籠む(こむ)は「ぎっしり詰まる。混雑する。」、無瑕(むか)は「傷がないこと。むきず。」、神(み)は「霊的な力をもつものの意。‘山祇(やまつみ)’‘海神(わたつみ)’など他の語と複合して用いられる。」の意味です。

余談

この歌は、「大神 オリジナル・サウンドトラック」にある「妖怪退治」~「双魔神 モシレチク コタネチク退治」~「妖魔王キュウビ退治」~「ヤマタノオロチ復活」~「ヤマタノオロチ退治 其の一」~「ヤマタノオロチ退治 其の二」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

歌の内容は、見ての通りヤマタノオロチ退治伝説のものとなっている。特に、退治した後に尾っぽを切り刻んでいると、都牟刈之太刀(つむがりのたち)が出て来た、という部分にスポットを当てている。ちなみに都牟刈之太刀は草薙剣のことを指す。

まず、籠みは九(こ)の身(み)に通じて、八股に分かれている九つ大蛇の身の意味も含まれているように思う。

都牟刈之太刀(つむがりのたち)は頭(つむ)を刈る質(たち)と解釈したい。つまり何でも頭で考えて、損得勘定で考えるその根性を絶つということ。

逆から言うと、八岐大蛇はその質が怖いので、その太刀を飲み込んでいたわけだ。損得勘定で考えず、頭ではなく何事も肚(はら)で動いていく。頭が肚を従わせるのではなく、肚が頭を従わせている、そういう性質の者たちが。

しかし、その太刀を飲み込まれていたということは、そういう性質の者たちでさえ、八岐大蛇を退治できず、飲み込まれていったことを意味する。

だから最後は素盞嗚尊が退治することになったのだろう。

ツムガリのツムは積むに通じ、歌の最初の切る罪(積み)に通じて来る。これはこれまでいろいろと雑多に積まれた、様々な問題に決着を付ける、尾(最後)のとどめを刺すというニュアンスを感じる。

ちなみに霊界物語では都牟刈之太刀を下記のように記している。

『霊界物語 第15巻 如意宝珠 寅の巻 第2篇 古事記言霊解 第11章 大蛇退治の段』(「霊界物語.ネット~出口王仁三郎 大図書館」さん)
http://reikaimonogatari.net/index.php?obc=rm1511

八岐大蛇が洪水の比喩とかではなく、生存競争、弱肉強食といろいろと理屈を言いながら、実質強い者勝ちの世の中、共喰いしないと生きていけないような今の社会のシステムそのものだとすれば、それを退治するとは、そのシステムが一斉に停止することを意味する。

草薙剣はまた天叢雲剣と呼ばれる。これは天界で書き留められている業(カルマ)を取る剣と解釈されるそうだ。

結論から言えば、今の社会システムが一斉に停止するほどのカルマ返しが起こる、と解釈できる。それを通じて、損得ばかり考えて行動する人々が、今一度良心に立ち戻って生きて行く、ということなのかもしれない。

Posted on 2017/06/26 Mon. 22:35 [edit]

category: まわりうた

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26

まわりうた 

なかやみの とおりてかひの
  かむかせか むかのひかてり おとのみやかな

(長闇の 途降りて佳美の 神風が 無何の日が照り 乙の宮かな)

解説

途(と)は「道。道すじ。道のり。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、無何(むか)は「‘無何有(むかう)’の略。作為がなく、自然のままであること。また、無我の境地。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「真スサノオ」を聴いて、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

ちょっと歌の意味がわからんです。

「長闇の 途降りて」とあるので、暗闇の中、坂を降っているのでしょう。無我夢中で降っていると、気付けば美しい神風が吹いてきて、日の光が照り、辺りの様子が見えて来た。そうすると「乙の宮」が見えて来た、ということかと思います。

だが、これがどういう状況での出来事なのかが、よくわからない。

全体的な流れを見てみると、今まで長く続いて来た闇の世が、いよいよその道を降って、もはやこれまでとなった時に神風が吹いて、日之出神と龍宮の乙姫様のそろい踏みとなる、とも読み取れるが、この解釈は半分願望も混ざっている。

日本では大分、長野と中央構造線上に近い所で中規模地震が起き始めているし、アメリカの一部では50度を超える気温すら出て来ているし、これはもはや異常気象や天変地異の域を超えて、地球自体がいよいよ危険水域に入って来た感がある。

最後は何とか大団円で終われたら、とも思うが、今までのやりたい放題好き放題の経緯もあるので、それはちょっと虫が良すぎるのかもしれない。

でも、そこを何とか……、と、神に祈りながら最善を尽くす以外に、もはや道は残されていないのかもしれない。

Posted on 2017/06/25 Sun. 22:31 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

はかなみの みさくあまいろ
  ここのまの こころいまあく さみのみなかは

(儚みの 見放く天色 此処の間の 心今開く さ身の真中は)

解説

儚みは「マ行五段活用の動詞‘儚む’の連用形である‘儚み’、あるいは連用形が名詞化したもの。」、見放く(みさく)は「遠くを見る。はるかに眺める。」、天色(あまいろ)は「晴天の澄んだ空のような鮮やかな青色のこと。」、さ身(さみ)は「物の主となる部分。なかみ。」、真中(みなか)は「真ん中。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「真スサノオ」を聴きながら、下記記事をモチーフに書いた歌です。

『女の本能・神道と天皇(54)』(「ネアンデルタール人は、ほんとうに滅んだのか」さん)
http://d.hatena.ne.jp/HIROMITI/20170625

雑感

何となくだが、この「さ身」は寂しい(さみしい)のさみに通じる気がする。さ身のさは接頭語なわけだが、小(さ)、狭(さ)から来ているのだとか。

小さい身、狭い身が「~しい」、となって寂しいとなったようにも思う。同時にさびしいもあるが、こちらは錆(さび)から来ているのだそうだ。びは微細の微な気がする。小(さ)の微(び)が「~しい」となって動詞化したと感じる。

どちらにせよ、小さい微細な存在として自分を感じる、というニュアンスがさびしい・さみしいには含まれているように思う。

「儚みの 見放く天色」は、儚んで、遠くを見る天の色のこと。そしてその天の色に「此処の間の 心今開く」となるわけだ。

まあ何だかわかないけども、全てが儚く感じて、自分の存在もこのまま消えていったら良いのにと思って、遠くの天を見たら、そこに同じ儚さを感じて、あぁ!! と感じたということ。

このように、遠くに見る天の色と、此処の間の心とが今この瞬間の中で一致して、自然と心が開いていく。儚さで悶々としていたものが、一気に雲散霧消していく。

なぜなら、儚むことは自分だけだと思っていたのに、遠くに見る天の中にも、その儚みを見たからだ。こうして自分と天が通じる時、すでに自分という中身の真ん中にも、天の広がりを見てしまう。

このような感覚を感得した時「今ここ」しかないことを知る。今ここのど真ん中に、気付けば自分も入っているが、天もまたそこに存在しているということ。

Posted on 2017/06/25 Sun. 12:23 [edit]

category: まわりうた

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25

まわりうた 

すそんてる すきときらひと
  はいしよし いはとひらきと きするてんそす

(素尊出る 好きと嫌ひと 拝し良し 岩戸開きと 帰する天蘇す)

解説

素尊は「素盞嗚尊のこと。」、帰すは「最後にはそうなる。結果としてそうなる。」、蘇すは「生き返る。よみがえる。」の意味です。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「ウシワカ登場」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/06/25 Sun. 08:24 [edit]

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まわりうた 

かみかくら すやりかすみの
  きみかよか みきのみすかり やすらくかみか

(神神楽 すやり霞の 君が代が 御酒飲みすかり 安らぐ神が)

解説

神神楽(かみかぐら)は「‘かぐら(神楽)’に同じ。」、すやり霞は「大和絵、特に絵巻物で、横に長く棚引く霞。鎌倉時代以降、遠近感を与え、また場面を転換するために用いた。槍霞(やりがすみ)。」、君が代は「我が君の御代。特に、天皇の治世にいう。」、御酒(みき)は「酒の美称。また、神に供える酒。おみき。」、すかりは「すっかり。」の意味です。

※「すかり=すっかり」は、辞書にはないけれども、日月神示、火水伝文にその意味と思われる箇所があるため使用しています。

余談

この歌は「大神 五重之音調」の中にある「太陽は昇る」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

「すやり霞」は場面を転換するために用いられているものでもあるので、この歌は時代が変わって、皆が宴をしているような嬉し楽しの世の中になった様を詠っているように思う。

個人的には、宴は歌(うた)と食(け)でウタゲと解釈したい。

誰もが食べることを、衣食住を保障されて、いつも歌を歌っているような気分で毎日を過ごせる、そんな世の中が早く来れば良いのになぁ、と毎日首を長くして待っています。

Posted on 2017/06/24 Sat. 16:40 [edit]

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