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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

かみのうま いたりかひみき
  たまのひの またきみひかり たいまうのみか

(神の馬 至り佳美見き 魂の火の 全き御光 大望のみが)

解説

佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、全し(またし)は「完全だ。欠けたところがない。」、大望(たいもう)は「大きな望み。遠大な志。たいぼう。」の意味です。

余談

この歌は「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX O.S.T」の中にある「Fish - Silent Cruise」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

神の馬?

意味がさっぱりわからないので、辞書を引くと神馬の文字があった。

神馬(しんめ)は「神霊の乗り物として神聖視されている馬。白馬を特に重んじる。」の意味だそうだ。

白馬と言えば、下記記事を思い出す。

『第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その6』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=465

記事によれば、この白馬に乗った神霊はヨハネ黙示録に出て来る義の方でもあって、神界を統一できるだけの力を持った神霊なのだとか。

イメージとしては、そのお方が霊界において表に出て来ることによって、現界も劇的に変わる、というもの。

どう変わるかというと、人、動物、植物を始め、各魂が同時多発的に光を放ち始めて、そこら中が光り輝くというもの。

地球の魂も当然光り輝いていて、その色は緑色に透き通っている。

宇宙から見ると、まるで巨大な宝石のように大変美しく、それを見た者は、魂の芯からうっとりとして、一瞬にして虜になってしまうほどのようだ。

肉体的に見れば、この一連の流れの中で皆朽ち果ててしまうのだが、まるで脱皮するかのように、内側から光輝いた霊体が現れて、気が付けば皆、新しい地球で甦っている、というイメージが湧く。

そして、その光はそれぞれの個性によって色も光り方も違っている。しかし間違いないのは、それら無数の魂の光が新しく輝く地球に、より一層の彩りを与えている、という点だ。

何にせよ、人知を遥かに超えた、大きな大きな大望である。

Posted on 2017/09/24 Sun. 13:05 [edit]

category: まわりうた

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24

まわりうた 

みるさうに ますみのひかり
  まとのへの とまりかひのみ すまにうさるみ

(見る像に 真澄の光 窓の辺の 止まり佳美のみ 隅に失さる身)

解説

像は「神仏・人・鳥獣などの形をまねて描いたりつくったりしたもの。」、真澄(ますみ)は「よく澄んでいること。澄み切っていること。」、辺(へ)は「辺り。ほとり。そば。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、隅(すま)は「‘すみ(隅)’に同じ。」、失さるは「なくなる。消えうせる。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「悔恨と安らぎの檻にて- Orchestral Version -」 を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

イメージとしては、壇上のはるか上にちりばめられているステンドグラスから光が差し込んで、十字架にかけられた大きなキリスト像がそれに照らされ、美しく輝いているという、そういう教会に居合わせているというもの。

「隅に失さる身」は、隅に消えていく身体、というニュアンス。

単純に解釈すれば、その圧倒的な美しさに吸い込まれて、思わず自分を忘れて見入ってしまう、釘づけになってしまうという意味であるが、宗教的に考えれば、その美しさとは、イエスキリストの自己犠牲の美しさであり、隣人愛とも解釈できる。

その大いなる利他の行為の前に、自我の強いこのちっぽけな私がことごとく打ち砕かれていくという、ある意味、言葉にできない神秘体験を、この歌は表しているように思う。

隅に消えていくというとネガティブなニュアンスだが、隅(すみ)は澄み(すみ)に通じるものがある。隅(すま)と読めば、これは澄まされた間、主(す)の間のニュアンスに感じる。

自分が隅に消えていくことによって、逆に自分の中心が照らされる。主(しゅ)が居られる間が現れる。いわば、自らの内にある魂の座がはっきりと見えて来る、というニュアンスを感じるのである。

宗教的に言えば、この時まさに、主の神が内なる魂の座に降りて来て、魂の救済を行っているのだ。こうして自然と【悔い改め】というものが起きるのだ。

Posted on 2017/09/21 Thu. 20:29 [edit]

category: まわりうた

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まわりうた 

なかくとき しいれはまなか
  すかしよし かすかなまはれ いしきとくかな

(永く時 死入れば真中 清し良し 幽かな間晴れ 意識解くかな)

解説

清し(すがし)は「すがすがしい。さわやかで気持ちがよい。」、入る(いる)は「はいる。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

唐突だが、「なが」(永・長)と「なか」(中)には、同じニュアンスを感じる。

長い長いトンネルを歩いていくことは、トンネルの中へ中へと向かっていくことと同じである、と。

だからこの「永く時」は、永遠の中に入っていく、というニュアンスであって、今を起点として、これまで永く続いてきた過去や、これから永く続いていく未来を思い浮かべて、そこに向かっていくのではない。

今この時の中へ中へと入っていくのだ。

そのことを歌では死と表現している。それは、我々が普段から過ごしている生の中に含有する、過去も未来もその一切を切り捨てるという事でもある。

その状態を真中と表現しており、それが清しい状態であり、良い状態であるなぁ、と言っているのだ。

「幽かな間」というのは、ゆらぎの間のことと解釈したい。我々が普段認識している目の前の空間は、おそらく一瞬過去の映像であるように思う。

我々は常に、今この瞬間を生きていると錯覚しているが、実際はそうではなく、一瞬遅れた残像の世界に生きているように思うのである。意識はいつも一歩前の過去に存在しており、ピタっと合った今を認識できていないはずなのだ。

そのわずかにズレた幽かな間が、要らぬ思考や自我、または死への恐怖を生み出しているように思うのである。それを全部とっぱらって、一瞬先の世界へとこの意識ごと飛び込んでいく。

それは従来の感覚からすれば、まるで目の前の崖に向かって飛び込んでいくような、死へとダイブしていくような感覚なのだが、しかしその一瞬先の世界こそが、本来存在している世界の姿であり、そこに到達し続けることによって、この意識は解き放たれるように思うのである。

Posted on 2017/09/20 Wed. 09:42 [edit]

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まわりうた 

またのこり つうかんしいさ
  いなのめの ないさいしんか うつりこのたま

(また残り 痛感しいざ いなのめの 内在神が 移りこの魂)

解説

いなのめは「語義未詳。‘あけがた’‘あけぼの’‘しののめ’の意か。」、魂(たま)は「たましい。」の意味です。

余談

この歌は、ゲーム「ゼノサーガエピソードⅢ ツァラトゥストラはかく語りき」のEDテーマ「maybe tomorrow」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/09/18 Mon. 12:05 [edit]

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まわりうた 

もかひかる をかにはきさし
  こすもすも すこしさきはに かをるかひかも

(面が光る 丘には萌し コスモスも 少し咲き場に 香る佳美かも)

解説

面(も)は「おもて。表面。あたり。方向。」、萌し(きざし)は「物事が起こりそうな気配。兆候。」、コスモスは「キク科の一年草。高さ1.5~2メートル。葉は細かく羽状に裂ける。秋、白色や紅色の花を開く。メキシコの原産で、観賞用。アキザクラ。オオハルシャギク。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、かもは「感動・詠嘆を表す終助詞。…ことよ。…だなあ。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「やさしい風がうたう -Orchestra Version-」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

Posted on 2017/09/18 Mon. 09:56 [edit]

category: まわりうた

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まわりうた 

もんてしる まとまたちつく
  をはりなり はをくつちたま とまるしてんも

(門で知る 真と魔質付く 終はりなり 破屋地球 止まる自転も)

解説

門は「物事が出入り、また経由する所。」、質(たち)は「人の生まれつきの性質・体質。」「その事柄の性質。」、破屋は「こわれ破れた家。あばらや。」、地(つち)は「地球の陸地の表面をおおう物質。風化した岩石の細かい破片、生物の遺骸およびその腐敗物、微生物などよりなる。土壌。」「地球の表面。地上。大地。地面。古くは天あめに対して地上界をさす。」、自転は「天体がその内部にある軸の周りを回転運動すること。」の意味です。

余談

この歌は、下記動画を見ながらそれをモチーフに書いた歌です。

「【巡音ルカ】 劇場 【オリジナル曲】」

雑感

個人的に、明日の日付にはちょっと注目している。なぜなら9月18日は九十八(ことは=言葉)に通じるからだ。

と言っても、この日付は毎年来る。なぜ今年だけ気になるのかというと、2017にも意味を感じるからである。

二千十七は「二千(にせん)十(と)七(なる)」で「二線と成る」と読める。

大本神諭や日月神示では、かねてから善と悪が分かれる、と言われてきたが、明日を境にそれが起きて来るように感じる。つまり、善と悪の二つの線に分かれて、それらはもう永遠に交わらない、ということだ。

今までは玉石混交で真と魔が入り乱れていたが、その真と魔がきっちり分かれる気がするのである。そして真と魔の間には、ある種の蓋。境界線。神話的にいうと岩戸が出来るように思うのである。

そして二千十七は、また「二千(ふたせん)十(と)七(なる)」でもあって、これは「蓋せんと鳴る」とも読める。

意味としては、その境界線に蓋をしようと鳴る、という意味になる。この鳴るというのが、地球規模で言うならば天変地異であり、個人的な範囲で言うならば、それぞれが大切にしているものを、自分で選択していく、ということになる。

もちろん、これまでも天変地異は幾度となくあったし、各々自分の人生の行く末を、その場その場で選択して来ただろうが、今までとさっぱり違うのは、その場が玉石混交ではなくなる、ということだ。

善と悪の世界がばっさりと分かれれば、善人の世界は善人ばかりとなり、悪人の世界は悪人ばかりとなる。

善人のみの世界では、当然争いは起こらず、もう悪人に騙されたり、痛めつけられることもなくなる。それどころか、何かあれば周りが助けてくれるし、また自分も助けようとする。

結果、周りに敵はどこにも居らず、安心立命で暮らせるようになる。

一方悪人のみの世界では、とにかく自分の力しか頼れなくなるので、幸せになろうと思うと、相対的に他人を蹴落としたり、殺したりするしかなくなる。

結果、今まで以上に争ったり、騙し合いが起きる。恐ろしいのは、その世界では、今までのように善人がさっぱり居ないということだ。

見るからに世間知らずで騙しやすそうな相手とか、いかにも気弱でいじめやすそうな相手とか、そういうカモに見える人々が一人も居なくなるのである。それどころか、今まで自分の知らなかった、もっと大きな悪の力を知ることになる。

その大きな悪の力の前では、自分こそが世間知らずで騙しやすそうな相手であり、自分こそが気弱でいじめやすそうな相手となってしまう。

さらに恐ろしいのは、今までは人の内側に神様が居たので、どんな悪人にせよ「良心」というものがあって、一旦悪を為しても、そこで後悔したり反省したりすることが出来たが、もうそれが一切なくなる所である。

なので、その世界では、もはや中途半端な悪をやっていては、コロっと騙されたり、すぐいじめられたり、殺されたりするので、どこまでも悪を強くするしかなくなる。

そこで初めて気付いて後悔して善に戻ろうとしても、もう遅いのである。その世界では善人は一人も居ないし、良心を持った人も一人も居ないのである。

だから二千十七は「二千(ふせん)十(と)七(なる)」でもあって、「不戦と成る」年でもあるのだ。

ハルマゲドン的に善と悪が最終戦争を起こすのではなく、善と悪は自然に二つの線に分かれて、戦いは起こらず、永遠の別れとなるのである。

日月神示で「負けが勝ちぞ」(青葉の巻 第十四帖)とあるが、最後は負けた状態が一番勝っていた状態であることに気付くのである。

今まで人のためにと思って良いことをしても、何一つ自分に利することがあるわけでもなく、逆にそれが仇となって、人からつけこまれたりして、何も報われない、と嘆いていた、まさにその状態こそが、一番の最良の自分をつかみ取っていることになっている、ということも、場合によってはあるわけである。

続いて歌の解釈に移ろうかと思う。

「門で知る」は、今まさに開かんとする門の前で知る、という意味かと思う。

門はモ(百)のン(无)であって、完成する最後の瞬間、というようなニュアンスを感じる。

「真と魔質付く 終はりなり」は、真と魔、そのどちらかの性質が付く終わりの時だ、ということ。これが一旦付くと、もう永遠に覆らない。

これから永遠を生きて行く自分に真神が懸かるのか、それとも魔神が懸かるのか、その決着の時だということ。

「破屋地球」は、地球があばら家となる、ということで、とても人が住めるような環境ではなくなる、という意味になる。

ちなみに下記ブログでは、良心神に従う人々は新しい地球に移行して、そうでない人々は、今の地球の地下に王国を作って過ごす、と書かれてある。

『第××章 Xデー 最後の審判・世の大立替・天の岩戸開けは本当にあるのか?  その3』(「人に内在する良心神(神言会)」さん)
http://kamikotokai-b.jugem.jp/?eid=462

ついでに、この動画も参考になるかもしれません。

『もしも地球の自転が止まったら?』(you tubeより)
https://www.youtube.com/watch?v=p0HowKZm78Y

Posted on 2017/09/17 Sun. 12:33 [edit]

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