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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

なかきよの うくるれいちの
  いまのみの まいのちいれる くうのよきかな

(永き代の 受くる霊智の 今のみの 真命入れる 空の良きかな)

解説

霊智は「霊妙な知恵。はかりしれないほどすぐれた不思議な知恵。」、入る(いる)は「はいる。はいってゆく。」「至る。なる。達する。」の意味です。

余談

この歌は、ゲームluv waveの中にある「stream memory」(ブート画面でのBGM)を聴きながら、それをモチーフに描いた歌です。

雑感

霊智は霊妙なる智恵という意味だろうが、個人的には0の智というイメージが湧く。

0を知っている状態というか、0に成り切った状態。

しかし自分(自我)というものがある限り、それは実現できないように見える。しかし、0なる状態を表している、次の「今のみの 真命」の部分を見ると、何となくイメージが湧く。

この部分はおそらく、今のみにある自らの命の行方のままに身を任せる、ということだと思う。

たとえば反射神経。これは自分が気付く前に、身体が勝手に動いている現象だ。これは自分が意志したというよりも、自らの命を司る部分が、そのままに動いたと言えると思う。そこに自我は介入していない。

或いは朝に目覚めたら、自然に体が起き上がる。これも自分が思うよりも先に身体が動いている。自我が気付くのは、そうしてしまってから気付く。

いわば自我というものは今ここではなく、有るはずのない過去や未来しか認識できない、ということになる。だから今に集中すると、何かに熱中すると、没我状態となって自分が無くなる。

反対に、この命は常に今にしか存在していない。

常に脈打つ心臓が、もし「明日の晩飯何食べようか」と急に思い立って、その動きを一瞬でも止めたら、その途端に自分の命は危機にさらされる。

だから自分も、自分の存在を忘れるぐらいに、自らの命の行方のままに身を任せればよいのだ。

こうなることによって「入れる空」になるということだろう。

ちなみに、この入れるは「ボールを箱に入れる」などの意味の入れるではなくて、入る(いる)の命令形「入れ」に、完了を表す助動詞りの連体形「る」がついたものと考えられるので、入った、または達した、至った、という意味になる。

だから自分をそこに入れるのではなくて、命の行方のままに身を任せると、自然と空の中に入るわけである。

つまるところ、私たちは目の前の世界を、常に過去や未来の視点でしか見ていないように思う。

本当は目の前には、今のみの世界が広がっているのに、それを認識せず、そこに有るはずのない過去を、或いは未来を常に見ているのだ。

その錯覚を取っ払って、今のみの世界に丸々入り切ることが、いわゆる悟りというやつではないかと思うのである。

去年か一昨年か、一瞬だけそれと思われる世界を垣間見たことがあるが、とても美しかった。

たとえるならば、一匹の蟻が象になる夢を見て、さらに夢の中の象が、今度は人間になる夢を見ている、というぐらいに理解不能な世界であった。

目覚めた後の蟻が、何が起こっているのかちんぷんかんぷんだったのは言うまでもない。だが、その理解不能の世界が、やたら壮大であった印象だけは、今も記憶として残っている。

もうあまり覚えていないが、永遠に戻ってこない世界が、目の前でリアルタイムで動いていく美しさが、とにかくすごかったのだ。

日常と変わらない風景なのに、そこには見たこともない光景が広がって、まるで別の星に来たかのようであった。

あまりに美しいので、今この瞬間の時間と空間をそっくりそのまま固めて、永遠にその中で眺めていたいと思いながらも、目の前の世界は否応なしに流れていく、その惜しさ。

いや、厳密にいうと、そんなことを思う間もなかった。響きとしては、そういう響きだったが、とにかくただ惚けていた。

そして、ああ、これは何だろう、これがいわゆる悟りというやつだろうか? と、それを理解しようと思考した瞬間、その世界は消えてなくなった。

Posted on 2017/07/26 Wed. 12:24 [edit]

category: まわりうた

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