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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

みるさうに ますみのひかり
  まとのへの とまりかひのみ すまにうさるみ

(見る像に 真澄の光 窓の辺の 止まり佳美のみ 隅に失さる身)

解説

像は「神仏・人・鳥獣などの形をまねて描いたりつくったりしたもの。」、真澄(ますみ)は「よく澄んでいること。澄み切っていること。」、辺(へ)は「辺り。ほとり。そば。」、佳美は「りっぱで美しい・こと(さま)。」、隅(すま)は「‘すみ(隅)’に同じ。」、失さるは「なくなる。消えうせる。」の意味です。

余談

この歌は、-MYTH- The Xenogears Orchestral Albumの「悔恨と安らぎの檻にて- Orchestral Version -」 を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

イメージとしては、壇上のはるか上にちりばめられているステンドグラスから光が差し込んで、十字架にかけられた大きなキリスト像がそれに照らされ、美しく輝いているという、そういう教会に居合わせているというもの。

「隅に失さる身」は、隅に消えていく身体、というニュアンス。

単純に解釈すれば、その圧倒的な美しさに吸い込まれて、思わず自分を忘れて見入ってしまう、釘づけになってしまうという意味であるが、宗教的に考えれば、その美しさとは、イエスキリストの自己犠牲の美しさであり、隣人愛とも解釈できる。

その大いなる利他の行為の前に、自我の強いこのちっぽけな私がことごとく打ち砕かれていくという、ある意味、言葉にできない神秘体験を、この歌は表しているように思う。

隅に消えていくというとネガティブなニュアンスだが、隅(すみ)は澄み(すみ)に通じるものがある。隅(すま)と読めば、これは澄まされた間、主(す)の間のニュアンスに感じる。

自分が隅に消えていくことによって、逆に自分の中心が照らされる。主(しゅ)が居られる間が現れる。いわば、自らの内にある魂の座がはっきりと見えて来る、というニュアンスを感じるのである。

宗教的に言えば、この時まさに、主の神が内なる魂の座に降りて来て、魂の救済を行っているのだ。こうして自然と【悔い改め】というものが起きるのだ。

Posted on 2017/09/21 Thu. 20:29 [edit]

category: まわりうた

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