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花鳥風月

気ままに回文歌、いろは歌を書いています。

まわりうた 

きしみさけ とほそらのしき
  にしのへの しにきしのらそ ほとけさみしき

(岸見放け 遠空の色 西の方の 死に帰し野良ぞ 仏寂しき)

解説

見放く(みさく)は「遠くを見る。はるかに眺める。」、遠(とお)は「‘とおつ’‘とおの’の形で、または直接に名詞の上に付き、遠いことの意を表す。」、色(しき)は「目で見ることのできるもの、すなわち色(いろ)と形。」、方(へ)は「そのものにごく近い場所、また、それへの方向を示す。近く。ほとり。あたり。」、帰すは「最後に一つのところに落ち着く。帰着する。」、野良(のら)は「野。野原。」「田や畑。」の意味です。

余談

この歌は、地獄少女オリジナルサウンドトラックの中にある「かりぬい」を聴きながら、それをモチーフに書いた歌です。

雑感

イメージとしては、三途の川を渡って、西方の寂静(じゃくじょう)の世界に行き着いた時の心境を詠っている。

なので「岸見放け」は、岸を遠くはるかに眺めて、という意味になるので、この岸は彼岸(=あの世)から見た此岸(=この世)のことと解釈したい。

「遠空の色」は、向こう側の岸(此岸)の方の、遠くに見える空色(が美しいなぁ)というニュアンスなのだが、これは色(しき)でもあるので、要するに、死後、生前の世界を改めて見て、生の世界特有の色(しき)の世界、形ある世界のその美しさというか、懐かしさというか、そういう感慨深さが魂に沁みて来るニュアンスが含まれているように思う。

だから最後が「寂しき」となっているのだろうと思う。

あんなに嫌だと思っていた生前の世界が、思い出す一瞬一瞬の全てが狂おしいほど懐かしく、また美しく輝いている様を見て、とてもとても寂しくなってしまうのである。

もっと自分は良い対応ができなかったのか、と思ってしまうのである。

それは、あたかも、身近な人が死んだ時のような寂しさでもある。だが、死後、西方の寂静の世界に行き着いた自分は、すでに生前に持っていた色(しき)から離れているがゆえに、空(くう)であるがゆえに、その寂しささえも、愛おしく感じられるのである。

そしてその心境こそが仏の心境でもある、ということ。

歌の最後にある「仏」は、仏に成った(=死んだ)自分という意味でもあるが、西方世界にいらっしゃる仏様という意味でもある。西方の仏様は阿弥陀如来なので、まあこの仏様という意味でもある、ということでもある。

というよりも、自分と阿弥陀如来とが一つになって、何とも言えない感慨深さの中に身を置くことになるのである。

嫌な記憶、辛い記憶だと思っていたその記憶全てが、まるで夕日の光に照らされて流されて行くように抜け落ちて行くというか、その辛さをひっくるめて美しく感じるというか、まあ、うまく言えないが、そのような感情に変わり、後には楽しかった思い出、嬉しかった思い出、感動した思い出、そのような思い出だけが残り、生前にあった全ての全てが自分の中で消化(昇華)され、肯定されて行くのである。

そうして、自分の中で生前の人生全てが納得できた時、生前あった私というものは消え、仏になるのである。仏は火(ほ)の解け(とけ)であり、煩悩の火が一切合財解けて消え去った状態のことをいう。

そうして今度は、自分の中に残った楽しかった思い出、嬉しかった思い出等の、その思念が土台となって、それにふさわしい世界へと旅立つのである。

Posted on 2017/10/06 Fri. 18:55 [edit]

category: まわりうた

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